2016/08/13

三重と京都

 八月九日、吉祥寺SCARABで「夕涼み『オグラ三弦楽団』リサイタル」を観る。オグラさん、ピアノが原めぐみさん、コントラバスは新井健太さん(東京ローカルホンク)という「オグラ文化祭」でおなじみのメンバー構成。いいライブだったですよ。音楽の中にオグラさんが考えたこと——変わらない部分も変わった部分がつまっている。いろいろな音楽がまざりあい、「円熟」や「洗練」もされているのだけど、それ以上に「変」や「不思議」に磨きがかかっている。

 十日、三重に帰省。凍結されていた父の銀行口座の問題がようやく解決する。
 鈴鹿ハンターのゑびすやで天ぷらうどんを食い、二階のステップで衣類を買う。ハンターの近くにぎゅーとらというスーパーもできていて、大黒屋光太夫あられ(北野米菓)も買った。
 母に鈴鹿ハンターができる前は、どこで買い物をしていたのか訊く。ハンターはわたしが幼稚園のときにできた。それ以前の記憶がない。
「ハンターの前は平田駅前にジャスコがあった」「個人で野菜や魚を路地で売っている人もいた」
 ハンターのすぐそばにはアイリスというションピングセンターもあったが、いつの間にかなくなった。
 夕方、港屋珈琲でアイスコーヒーを飲む。行きの新幹線からずっと橋本治著『ぼくらの東京物語 貧乏は正しい!』(小学館文庫)を読み続ける。名著だ。三重を離れて二十七年のあいだに自分が通っていた喫茶店はなくなった。ドライバーという喫茶店で父は毎週のように通っていた。焼いたトーストに卵焼きをはさんだ卵トーストサンドが絶品だった。あとチャーハンも美味しかった。

 夜、テレビでナイター(ヤクルト中日戦)を見る。副音声でサカナクションの山口一郎が出演していた。中日ファンだったのか。知らなかった。
 朝七時くらいまで眠れず、起きたら昼。母に怒られる。
 近鉄電車で白子駅でいったん降りて、海を見る。それから特急で丹波橋まで、京阪に乗り換え出町柳に着いたのは夕方四時すぎ。下鴨古本まつりに行く。そのあと六曜社でコーヒーを飲んで、高瀬川のベンチで汗だくになったシャツを着替えてぼーっとしていたら、林哲夫さんと会う。ディランセカンドで善行堂の山本さんの還暦祝い(?)のイベントの二部に出席した。
 クジ引きがあって『京阪神 本棚通信』をまとめた冊子(山本さんの連載「天声善語」も所収)が当たった、というか、選んだ。

 そのあとレボリューションブックス(お酒が飲める本屋)で、扉野良人さん、東賢次郎さん、世田谷ピンポンズさんらと飲む。世田谷さんから『勇者たちへの伝言 いつの日か来た道』(ハルキ文庫)の増山実さんを紹介してもらう。
 チューダー、トキワ荘のキャベツ炒めなどのメニューがある(チューダーは売り切れだった)。

 この日は久しぶりに東さんの家に宿泊。あいかわらず、秘密基地みたいな家だ。住みたい。
 翌日、カナートまで東さんに送ってもらい、スガキヤのラーメンを食う。なぜ京都に来てまでスガキヤなのか。それから善行堂に寄る。自著にサインすると、山本さん、たまたま来ていたお客さんにサインしたばかりの本を売る。うらたじゅんさんの大きな絵を見る。ところどころ『sumus』の同人らしき人物も……。

 進々堂でアイスコーヒーを飲んで京都駅。新幹線で東京に帰る。車内で『勇者たちへの伝言』読みはじめ、止まらなくなる。主人公は父といっしょに西宮球場に行って、阪急ブレーブスのファンになる。
 しかし西宮球場もブレーブスもなくなってしまう。「勇者たち」は「ブレーブス」、副題の「いつの日か来た道」も別の意味がある。かけがえのない記憶を結晶化している。わたしも父といっしょに野球を観に行ったときのことをおもいだした。

2016/08/08

言葉があれば

 神保町で仕事、そのあと馬橋盆踊りに行く。高円寺駅から会場に直行し、ラスト十五分、汗だくになる。ひさしぶりに外飲み(といっても水割三杯)。お盆進行で酒を控え気味だ。ひまになりすぎないていどにのんびりしたい。

 日曜日、古書会館。暑い(会場の外)。十五、六年前の野球本が安くたくさん出ていた。

 自分の年齢が五十歳が近づいてくると、ふと「百年ってだいたいこの倍か」とおもう。若いころと比べると、百年、二百年といった歴史が理解できるのではないかという気がする。錯覚かもしれないが。

 中村光夫が四十代以降、文学よりも歴史に興味が向かうようになったというようなことをいっていたが、その気持もわかるような気がする。
 十代、二十代のころのわたしは、そのときどきの自分の心理状態、感情をあらわす言葉が足りなかった。言葉が足りなくて、何が何だかわからず、もやもやしたり、苛々したりすることがよくあった。

 フリーライターが仕事のない時期は無職と変わらない。貯金を切り崩し、本やCDを売って、売るものがなくなったら、アルバイトを探す。
 そういう時期に「就職しろ」とか「だから、おまえはダメなんだ」といわれると返す言葉がない。弱っているときに自分を否定する言葉を浴びても何もいいことがない。むしろ害悪にしかならない。

 言葉をたくさん知っていれば、楽になるというわけではないが、ないよりはあったほうがいい。

2016/08/01

ブログ十年

 二〇〇六年八月からブログをはじめて十年になる。当時、わたしは三十六歳。最初の単行本の刊行が、翌年の五月——当初は本のための未発表や未完成の原稿の整理とデータのバックアップも兼ねてブログを開設した。だから最初は非公開だった。

 高田馬場の居酒屋で古書現世の向井さん、「退屈男と本と街」の退屈君と飲んでいたとき「ブログを書きはじめた」といったら、ふたりに公開したほうがいいと勧められ、その日の晩に公開した。

 最初は書き下ろしのエッセイを中心に発表していたのだが、途中から日記とエッセイの中間みたいな文章になった。
 今は仕事の原稿にとりかかる前のウォーミングアップがわりにテーマを決めずに書くことが増えた。要は、素振りや走り込みみたいなものだ。

 商業誌の仕事は文字数の制約があるから書きたいことを書き切れない。昔からわたしはどうでもいい話(その日の体調とか弱音とか)から書きはじめて、推敲のさい、その部分を削ることが多かった。自分としては削ってしまう部分にも愛着がある。

 わたしは八百字くらいの短い原稿を書くのが好きなのだが、不特定多数の読者、自分のことを知らない読者を想定した原稿では、「主観」を薄めて書く。しかし、そういう原稿ばかり書いているとなんとなく欲求不満になる。どうでもいいことが書きたくなる。

 何を書くか決めず、だらだらと書きはじめ、どこに行き着くかわからない——というかんじの文章も書いてみたい。書きながら考える。考えながら書く。途中で行き詰まったら「続く」にすればいい。何かおもいついたら、また書けばいい。無理して書くことだけはやめようとおもっている。

 とりあえず、十年だ。今、四十六歳。十年後、どうなるかわからない。高円寺にいるかどうかもわからない。この先、ブログというサービス自体、存続しているかわからない。振り返ると、ずっと低迷していた気もするが、ブログを十年続けることができた。この十年で成長したかどうかはわからないが、わたしの目標は書き続けることなのだ。誰かに「やめろ」とか「つまらない」とかいわれても、わたしは続けたい。本が売れる。仕事の依頼がたくさんくる。そうなったら嬉しいけど、そういう目標は自分ではどうにもできない部分も多い。

 でも続けるかどうかは(ほぼ)自分次第だ。持続を目標にしていれば、そんなに大きくは間違えないとおもっている。

……というわけで、まだまだ続けるつもりだ。