2008/01/11

趣味人と野人

 中村光夫を読んでいるときも読んでいないときも、このところ「文明」について考えている。
 わたしは文明というと、エジプト文明やアステカ文明といった古代文明のことをおもいうかべてしまう。
 失われた文明。ロマンだ。古代文明の探究とかに一生をつぎこんでいる人が、むしょうに羨ましくおもうことがある。
 遺跡の探索、古代文字の解読、なんでもいい。
 かつて繁栄した文明が滅びる。かならずしも人間は進歩し続けているとはかぎらない。
 壮大な巨石建造物を築き、高度な知識を身につけていた民族が、いつの間にか文字を忘れて、ジャングルで生活するというようなことも起こりうる。
 天変地異、疫病、戦争など、文明が滅びた理由はいろいろある。
 今の日本だって、この先どうなるかわからない。そんな大きな変化が自分が生きているうちに訪れるのだろうか。

 現在はあっという間に情報が伝搬する。ルネサンス以前の西欧は、自然科学その他でイスラム文化圏やアジアよりもはるかに遅れていた。たとえば、医学や天文学の知識は数世紀以上の差があったというような話を聞いたことがある。

 中村光夫が二十代だった一九三〇年代は、アメリカやヨーロッパと比べて、まだまだ日本と欧米諸国のあいだには歴然とした文化の差があった。
 今の日本は新刊書店、古本屋の数でいえば、世界屈指の文明国といってもいいだろう。
 そんな文明国に生まれて、活字漬けの生活をしているわけだが、出版事情がそれほどよくなかった昔の人と比べて、まったく賢くなっていない気がするのはなぜか。
 ここ数年、わたしはただただ活字を目で追うだけで、血肉化の作業を怠っている。読む本が多すぎるせいかもしれない。

 中村光夫の『戦争まで』(中公文庫)は、鈴木信太郎訳のボードレール『悪の華』の「旅」の一節が掲げてある。

《地図や版画の大好きな少年にとり
 宇宙とは、その旺盛な食欲と同じもの
 ああ、実に、洋燈の光の下で見る世界の大きなこと
 それなのに、思い出の眼に映っている世界の何と小さなこと》

 知らないことは山ほどある。その多くは理解しようにもできないことでもある。
 科学についていけず、政治経済についていけず、趣味の将棋ですら最新戦法はさっぱりわからない(「藤井システム」以降)。
 悲しいことだが、年々、自分の手に負えそうにないことに関してはすぐ見切りをつけるようになっている。
 好奇心、探求心……旺盛な食欲は体力とともに衰える。

『戦争まで』で、中村光夫はフランスのルネサンスについて論じている。十五、六紀、ルネサンスのイタリーに比べて、フランスはまだまだ野蛮国だった。
 そのイタリーにフランスは無謀ともいえる遠征をしかける。その結果、いいようにあしらわれてしまう。ただし、この遠征によって、数万の「粗野な兵卒」はイタリー市民の生活を見て、その文化に多大な影響を受けたはずだという。

《ルネッサンスその物の根本の性格が、新たな文化に触れた若い野生を持つ国民の激しい覚醒を意味するものとすれば、このときすでに十六世紀のルネッサンス運動の中心は爛熟と頽廃のイタリーを去って、フランスに移るべく約束されていたといえましょう》

『戦争まで』の前半は、一九三九年に留学先のフランスから中村光夫が送った小林秀雄宛の手紙である。中村光夫もまた文化に渇望していた青年だった。
 ルネサンスの分析で、中村光夫は、「趣味豊かな文芸愛護者」だったイタリーの僭主と比べ、フランソワー一世は「文化に対する渇望の血」を秘めた「聡明な野人」だったとも述べている。
 わたしも田舎から上京したころは、聡明かどうかはさておき、文化に渇望する野人だった。
 それから二十年ちかくの月日がすぎ、文化にたいする飢えはしだいに薄れてしまった。
 趣味人としても野人としても中途半端なかんじだ。
 ひょっとしたら中村光夫もそうだったのではないかという気もする。

 ルネサンスから三百年後、「当代のフランス人の中でも比類を冷徹犀利な絶した人生計算家」だったスタンダールの「イタリー愛好」は、「細緻にすぎる精神の動きに疲れた文明人の野生への復帰」(願望)であり、フランス・ルネサンス期のフランソワ一世が「憧れを終生瑞々しく保った秘密」については、「中世伝来の騎士気質」が関係しているのではないかと中村光夫は考えていた。

(……続く)

2008/01/07

南口と北口

 池袋往来座の「外市」も無事終了。初日は仕事が終わってから、夜七時すぎに行く。往来座の店内で中村光夫の『青春と女性』(レグルス文庫、一九七五年刊)があった。
 収録されている文章は、他の本で読んだものばかりだったが、うれしい収穫。この本でも『胡麻と百合』のラスキンの話がよく出てくるのだが、ラスキンの本を読んだことはない。
         *
 昼から高円寺南口の古本屋巡回ルートをまわる。ラスキンの『胡麻と百合』を探すために都丸書店の岩波文庫の棚を見ていたら、突然、ソーローの『森の生活』(神吉三郎訳、岩波文庫)が読みたくなったので買う。そのあともふらふら古本屋をまわっていたら、大石書店で正津勉の『小説 尾形亀之助』(河出書房新社)が早くも棚に並んでいた。これ、小説なのかなあ。
 正津勉は『笑いかわせみ』(河出書房新社、二〇〇一年刊)という鮎川信夫や北村太郎のことを描いた小説も書いている。この本とねじめ正一の『荒地の恋』(文藝春秋)を併読した人は多いかもしれない。
『荒地の恋』は、北村太郎の『センチメンタル・ジャーニー ある詩人の生涯』(草思社、一九九三年刊)でぼかしていた「恋愛事件」のところが描かれている。ちなみに『センチメンタル・ジャーニー』の後半は、正津勉の聞き書きである。

『センチメンタル・ジャーニー』の最後のほうで、鮎川信夫が結婚していたことを知らなかった北村太郎は、「ぼくもおかしいけど、鮎川もやはりおかしいんじゃないかなっていう気がした」と述べている。
 また「荒地」に関しては、次のような記述があった。

《晩年の鮎川は吉本隆明との対談で『荒地』にはひとりとしてろくなのがいないといっている。それは、少なくともぼくにはよく分かる。ようするに、ちっとも現実というものを見ないで昔書いた詩をなぞって書いている。目をあけて世の中を見ろ、そして世の中にもう少し反抗してもいいと。詩人というのは常に革新的でなければならない。そういう面で頼りにならない連中だという感想をもっていたと思う。自分のことを考えれば、それもよく分かる》

 今は鮎川信夫より北村太郎の詩のほうが読まれているような気がする。
 それにしても加島祥造がベストセラー作家になる日がくることのほうが予想外だ。

 さて、夜七時。こんどは高円寺の北口の巡回コース。古書十五時の犬が中通り商店街からあずま通りに引っ越してきたので、中野よりのあずま通り界隈には、中央書籍販売、ZQ、越後屋書店、さらに古本酒場コクテイル(今日は休みだったが……)などが並ぶようになった。ほかにもこの通りは中古レコード店も充実している。
 古書十五時の犬は、中通りのころと比べて、店舗が広くなって本も増えた。値段もお手頃だ。バラで集めている『ユーモア・スケッチ傑作展』(早川書房)の三巻が五百円。さらにちょこまかとあれこれ買ってしまった。

 ラスキンを探すため、カバーのない岩波文庫の背表紙を凝視しすぎて、目が疲れてくる。
 これから庚申通りの高円寺文庫センターに寄りつつ、琥珀でコーヒーを飲もうかとおもう。

2008/01/05

あけましておめでとう

 大晦日はぷらっとこだまで京都、そのまま恵文社一乗寺店(古本市開催中、同社の『みんなの古本500冊』にわたしも執筆)に直行。そのあと河原町の六曜社を経て、扉野良人さんとUrBANGUILDというライブハウスで、ふちがみとふなと、薄花葉っぱも出演している年越しライブを見た。途中、餅つき大会があったりして、楽しかった。

 元旦は、下鴨神社に初詣。近鉄電車で三重に帰省。両親の住む三日市というところは無人駅で、わたしが上京したころはまだ田んぼと畑ばかりの町だったのだが、いつの間にかマンションや家の密集地になっている。
 地元にはハンターとアイリスというショッピングセンターがあった。しかしアイリスは昨年で閉店してしまった。ベルシティという巨大ショッピングモールができた影響だろうか。アイリスにはオンセンドという激安の衣料品があって、帰省すると、いつもそこで靴下やパンツを買っていたので、残念である。
 ハンター内のえびすやでかやくうどんを食って、ボンボンという喫茶店でコーヒーを飲んで、スーパーサンシで田舎あられとコーミソースを買う。ハンターでは、リサイクル市場(だったか?)で古本も売っている。ただし、巻数の多い漫画のバラ売り、あとハーレクインロマンスといった品ぞろえでこれといった収穫はなし。あいかわらず、古本不毛地帯であった。

 散歩中、父が近所に住んでいるブラジル人の若者に挨拶している。父の働いている自動車の下請け工場では半数ちかくが、ブラジルやアルゼンチンからの出稼ぎらしい。その工場の同僚なのだそうだ。
 母からは「お笑い芸人のアンジャッシュに会ったら、サインをもらっといて」と頼まれる。
 所属プロダクションの人力舎は高円寺にあるのだが、たぶん会わないとおもう。

 翌日は妻の親族一同が集まる静岡へ。イカめしを食いすぎて苦しくなる。
 三日の夜、東京に戻り、「外市」の値付け作業をする。今回は七〇冊くらい。
 四日の昼に立石書店の岡島さんとリコシェの阿部さんが本をとりにきてもらう。

 この間、中村光夫ではなく、橋本治の『ロバート本』と『デビッド100コラム』(いずれも河出文庫)を再読した。「書き下ろし」のコラム集。
 中村光夫の本で「文明批評」という言葉に出くわしたとき、今の日本でそういう仕事をしている小説家は、橋本治ではないかとおもった。

 新刊の『日本の行く道』(集英社新書)で、超高層ビルを壊せという話が出てくるのだが、『デビッド100コラム』の「あの頃空は広かった」でも「私は十代からこっち、空が狭いことに慣らされている。視野を建物に塞がられることに慣らされている。空が広いことをよいと思うのは、郷愁でしかないのかもしれない。郷愁で現在を否定するのはバカである。にもかかわらず、私は、やはりビルの一つや二つブチ壊した方がいいと、明確に思っている」とすでに書いている。
 この単行本は一九八五年刊である。

 というわけで、今年初の「外市」の告知をします。

「外、行く?」
第6回 古書往来座外市 〜わめぞ初詣〜
■日時
2008年1月5日(土)〜6日(日) 
5日⇒11:00〜20:00(往来座も同様)
6日⇒11:00〜17:00(往来座も同様)
■雨天決行(一部店内に移動します)

■会場
古書往来座 外スペース(池袋ジュンク堂から徒歩4分)
東京都豊島区南池袋3丁目8-1 ニックハイム南池袋1階
http://www.kosho.ne.jp/~ouraiza/

■参加者
▼メインゲスト
聖智文庫(大棚 藤沢)/にわとり文庫(大棚 西荻窪)/海月書林(on line 荻窪ひなぎく内)
▼スペシャルゲスト
嫌記箱(塩山芳明)/文壇高円寺(荻原魚雷)/BASARA BOOKS(吉祥寺)/ふぉっくす舎/伴健人商店(晩鮭亭)/こまものや/兎角書堂+オホンゴホン堂/他、お客様オールスターズ(朝/Y‘s/N‘s/さとみの本)
▼わめぞオールスターズ
古書現世(早稲田)/立石書店(早稲田)/藤井書店(吉祥寺)/m.r.factory(武藤良子)/旅猫雑貨店(雑司が谷)/リコシェ(雑司が谷)/ブックギャラリーポポタム(目白)/琉璃屋コレクション(目白 版画製作・展覧会企画)/ぶくぶっくす(buku・池袋)/貝の小鳥(目白 紹介ページ)/退屈男(名誉わめぞ民)/古書往来座(雑司が谷)は店内にて「中、入る? 外市記念 特選新入荷」を開催予定
▼「本」だけじゃないのです!
刃研ぎ堂(包丁研ぎ)/古陶・古美術 上り屋敷(会場では特選ガラクタを販売)
■主催・古書往来座 ■協賛・わめぞ
■特報
・林哲夫さんの原画販売します!(聖智文庫さん取扱い)
・聖智文庫さん開店10周年記念目録「ぶらりしょうち 第2号」申込み用紙配布
・海月書林さんが御参加決定
・古書往来座は店内にて中市を