2018/03/21

月夜の喫煙

 起きたら、霙。寒い。ようやく春らしくなってきたとおもったのに。
 数日前から寝つきがよくなくて、毎日睡眠時間がズレる。季節の変わり目はよくそうなる。

 東京市外杉並町高圓寺六六九。『新居格創作集 月夜の喫煙』(解放社、大正十五年刊)の巻末に記されていた新居格の住所だ。発行者は、山崎今朝彌である。山崎今朝彌は、アナキストの岩佐作太郎や幸徳秋水とも親交があった弁護士で、学生時代、玉川信明さんの大正思想史研究会でその名前をちょくちょく聞いていた。

『月夜の喫煙』も冒頭の「作者の言葉」があいかわらず素晴らしい。わたしは新居格の「まえがき」が大好きである。あと題名もいいとおもう。

《これはいづれもわたしの心にひそむ感情の投射である。私は作家ではない。だが、私には人生を——それがかなりつまらないものであつても、——人生的に見ようとする傾向が少し計りある。それがこうしたものを書かせたのだ。私は私の書いたどの作品にたいしても大した自信は持てぬ、また持たうなぞと思はない》

《私は私のかきたいと思ふことを書いた計りだ。それでいゝのか、いけないのかは懸念しない、よくても、わるくても仕方がない。こんなのが私の作品、そしてそれだけが作者としての言葉》

 新居格の本は一貫して「自分は自分の書きたいものを書いただけだ」というようなことが記されている。新居格の本を読むたびに、そうした文章を目にする。

《地底から清水が湧き出すとでも云ひたひやうに、物事をほんとうに考へることの出来る明澄さが心の奥底から浮び上がつてくるやうな気がした。そのこころが考へる、そしてさびしい》(月夜の喫煙)

「そしてさびしい」が唐突でおかしい。

2018/03/19

自伝の事典

 二〇〇八年一月号からはじまった『小説すばる』の「古書古書話」が先月号終了——。月刊誌で十年連載を続けられたのはほんとうにうれしい。
 今月号からは「自伝の事典」という連載に変わりました。第一回目は佐藤春夫。タイトルに「事典」と付いているが、作家、漫画家、ミュージシャンといった人たちの自伝(評伝)を中心に取り上げていく予定です。
「古書古書話」のときも何度となく自伝を取り上げていた。
 不遇な時期をどう乗り切ったかというのは、昔からわたしの関心事のひとつで、自伝を読んでいるときもそのあたりのエピソードがいちばん気になる。
 あとデビュー作や出世作が出る直前もおもしろい。

 不遇といっても、後からふりかえると、その時期があったからこそ、成長できたという話はいくらでもある。
 わたしも二十代半ばから三十歳にかけて、仕事がなくて、本やレコードを売りさばきながら、どうにか生活をしていた。そのころ、知り合った人たちのおかげで、三十代は楽しくなった。ひまだったから、本もたくさん読めたし、自炊の腕も上がったし、倹約、節約の知恵も身についた。

 浪人とか落第とか中退とか失業とか、その渦中にいるときはしんどいことが、自伝ではいちばんおもしろい部分になる。

2018/03/15

枕元の本棚

 十四日、どうにか確定申告をすませ、気が抜ける。阿佐ヶ谷から高円寺まで歩いた。

 今、東京堂書店の入口右側のカフェスペースで『絶景本棚』(本の雑誌社)のパネルが展示されている。わたしの枕元の本棚の写真もあります。けっこう恥ずかしい。

 吉行淳之介、山口瞳、古山高麗雄、色川武大、尾崎一雄、木山捷平、梅崎春生、内田百閒、辻潤……。
 すこしは入れ替わっているのだが、十年以上、枕元の本棚の本はほとんど動いていない。

 三十代以降は、海外のコラム、野球と将棋と釣りの本が増えた。漫画はものすごく減った。

 同じような作家が好きでも似たような本棚になるとは限らない。不思議である。