2021/09/12

井伏備忘録 その二

 土曜日、西部古書会館。『井伏鱒二自選全集』(新潮社、全十三巻)を衝動買い。全巻揃いの美本が、一巻分の定価よりも安いとは。嬉しいやら悲しいやら。でも退屈しのぎに全集はもってこいだ。

 井伏鱒二の山梨疎開時代の話はあちこちで読んできたが、いつごろだったかはあんまり意識してこなかった。

《昭和十九年六月、私は戦争中に山梨県の甲運村(今の石和町の地続き)に疎開して、甲府市が空襲で焼けた翌々日、広島県福山市外加茂村に再疎開して、終戦後二年目に(昭和二十二年六月)東京に転入し、それからは毎年のように笛吹川へ釣りに行つた》(「旧・笛吹川の趾地」/『井伏鱒二自選全集』第一巻』)

 井伏鱒二が山梨県の甲運村に疎開したのは一九四四年六月(年譜では五月や七月となっているものもある)、そしてその翌年に——。

《七月十日(昭和二十年)
 甲州から広島県に再疎開。妻子を連れ八日午後一時、日下部駅発、中央線経由にて名古屋より京都に至り、大阪空襲中の故をもつて山陰線を選び、万能倉駅に下車、午後十時生家に着く》(「疎開日記」/『井伏鱒二自選全集』第八巻)

 一九四五年七月六日の深夜から七日にかけて甲府空襲があった。それからすぐ広島に再疎開したことになる。日下部駅は現・山梨市駅である。八日の昼に山梨を出発し、三日かけて郷里に辿り着いた。広島に向かうのに京都から大阪、神戸などの都市を通らず、いったん日本海側に出る。このあたりの用心深さが井伏鱒二らしい。行動が素早く、なおかつ遠回りし、時間がかかっても安全そうなルートを選ぶ。

 万能倉駅は福塩線。井伏一家は鳥取駅のホームで一泊し、その後、伯備線に乗り換えたとおもわれるが、そこから先のルートがわからない。倉敷に出て山陽線で福山駅に出るコースか、途中で芸備線に乗り換えるコースか。空襲の危険が低そうなのは後者だが、ものすごく時間がかかる。

2021/09/11

井伏備忘録 その一

 暑さが戻る。神保町で探していた『別冊 井伏鱒二 風貌・姿勢』(山梨県立文学館、一九九五年)を買う。『別冊』ではない『井伏鱒二 風貌・姿勢』(山梨県立文学館、一九九五年)もいいパンフレットだ。監修に飯田龍太、小沼丹、河盛好蔵、庄野潤三、三浦哲郎、安岡章太郎の名がある。

『別冊』の八木義徳のエッセイ。『風景』の編集長時代、井伏鱒二の名前を「井伏鰌二氏」と誤植した。井伏鱒二を敬愛する八木義徳は「失態中の大失態」とショックを受け、お詫びの手紙を出す。その返事には——。

《そういうことはよくありがちなことだから、あまりお気づかいなさらぬように、という寛容な言葉が書かれていた》

 井伏鱒二自身、編集者時代、「奥付」なしの本を作っている。

『別冊』の「傍証・甲運亭」(湧田佑)に「元女中頭 岩崎むら氏聞き書き」がある。

 甲運亭は笛吹川支流平等川から引いた堀割の岸にあった。

《この近くでは平等川の鮠(ハヤ)を釣られるのですが、いつ見に行きましても余り釣れません。(中略)この近くに一宮という桃の名所がありますが、春など桃の花見にお供したこともございます》

 わたしも山梨に行くと平等川沿いの宿によく泊る(もより駅は石和温泉駅)。甲運亭は、甲府市と笛吹市の境くらいのところにあった。戦時中、井伏鱒二が疎開していたのもこのあたりだった。

 深沢七郎との対談で井伏鱒二は、山梨で余生を送りたいという話の流れで、「いつか、武田(泰淳)君なんかと行った、一ノ宮ですか、あそこらもよさそうですね。西日がよく当たって」と語っている。

 泰淳とも桃の花見で行ったのだろうか。山梨は日本一の桃の産地である。

 井伏鱒二は神経痛を患ってからは「土手から釣る隠居釣り」を好むようになったとも語っている。

《現に私は、五十過ぎても水に立ちこむ釣をして神経痛を拗らせてしまった。私のうちから荻窪駅まで六丁。その道を大通りに出るあたりまで行くと腰痛がこみあげて来る》(『釣人』新潮社、一九七〇年)

 この話どこに書いてあったか思い出せずにいた。付箋大事だ。

 先月、井伏鱒二と河盛好蔵が熱海に行ったときの話に「当時、志賀直哉と広津和郎は熱海に住んでいた。一九四八年か四九年ごろか」と書いたが、井伏鱒二の年譜(『釣師・釣場』講談社文芸文庫、二〇一三年)に「一九四九年 一月、志賀直哉を熱海大洞台に訪ねる」とあった。井伏鱒二、五十歳。まちがってはいないが、確認してから書けばよかった。

 話は変わるが、一九八一年二月に『新潮』で「豊多摩郡井荻村」の連載がはじまった。この連載は後に『荻窪風土記』となる。八十二歳(まもなく八十三歳)で書きはじめている。

2021/09/09

書くインタビュー

 緊急事態宣言再延長。都内、感染者数は減少傾向だが、ワクチン接種率がもうすこし上がるまではガマンといったところか。

 佐藤正午著『書くインタビュー4』(小学館文庫)を読みはじめる。『3』は二〇一七年五月刊だから四年ぶりの刊行——。

 デビュー当初、佐藤正午は安岡章太郎に「けちょんけちょん」に貶された。『ビコーズ』のあの台詞がそうだったのか。

 この巻はインタビュアー(メールでの往復書簡っぽい体裁)に盛田隆二も登場する。
 どこまで本当でどこまで嘘か。本当の中に嘘があって嘘の中に本当が混ざっているかんじ。というわけで、このシリーズは一巻からずっと半信半疑のまま読み続けている。盛田隆二も架空の盛田隆二なんじゃないかと……。

 中年以降、いろいろな感覚が鈍くなったせいもあるが、本を読んでいて、作家から怖さを感じることが減った。しかし佐藤正午の「書くインタビュー」シリーズは自分の読みにまったく自信が持てない。そこが怖い。

 わたしは佐藤正午を(熱烈に)愛読するようになったのは、エッセイ「転居」(『豚を盗む』光文社文庫)を読んだのがきっかけだった。

《生きることの大半はまず、繰り返しである》

 繰り返していくうちにちょっとずつ変わる。わたしはそういう変化の仕方を好ましくおもっている。マンネリ、ワンパターンが嫌いではない。