2023/03/20

昭和十年代 その三

『文学・昭和十年代を聞く』の阿部知二の社会分析(自己分析も含む)をもうすこし紹介したい。

《さらに憶説に過ぎないのですが、明治以来の文学をみても田舎から出て来た人が、たとえば写実主義とか自然主義とか西洋の主義を受け容れたと思います。藤村や花袋や独歩にしてもそうです。都会人は自己の文化伝統があるから、それ以上受け容れる余地がない。田舎から出て来た人は伝統的文化に恵まれないから、かえって素朴に抵抗なく西洋近代を受け容れたということがあると思います》

 阿部知二は一九〇三年、岡山県勝田郡湯郷村(現・美作市)の生まれで、生後すぐ島根県大社町、九歳のときに姫路市に移り住んだ。その後、旧制高校(名古屋)を経て、東京帝大に入る。
 経歴を見るかぎり、阿部知二自身、「田舎から出てきた人」である。いっぽう父が中学の教師で「田舎ではいくらか本を読んだりする階層」だったとも語っている。

『冬の宿』でも卒業間近の大学生が、合理性を気にせず生きる人々に戸惑い、翻弄される場面がたびたび描かれる。
 阿部知二は『文学・昭和十年代を聞く』のインタビューでこんなことを語る。

《ぼくは今だって年は寄りながら叙情的なものへの傾斜をなかなか脱却しきれない。(中略)その一方で、いよいよ強く主知的なものの必要というのが考えられる。それはぼくの身にとっては不幸な精神分裂です》

 旧制高校から帝大に進んだエリートであり、「文化的リベラリズム」を身につけた阿部知二だが、世の中の多くの人は「主知的なもの」では動かない。しかも阿部知二自身、「叙情的なもの」にも愛着がある。

 知と情の調和を目指すのか、あくまでも知を貫くのか、情に流されるのか。ひとりの人間の中にもそうした揺れがある。

(……続く)

2023/03/18

昭和十年代 その二

『文学・昭和十年代を聞く』(勁草書房)の「新興芸術派の周辺 阿部知二氏」は、一九七〇年三月十六日の日付がついている。五十三年前のインタビューである。
 阿部知二は一九〇三年六月生まれ。一九七三年四月、六十九歳で亡くなった。今年生誕百二十年、没後五十年になる。
 数社の日本文学全集にも入っている著名な作家で、『白鯨』『宝島』『ホームズ』などの翻訳者としても有名だが、わたしは素通りしてきた。一年ちょっと前に『冬の宿』(P+D BOOKS)を読み、こんなにすごい作品を書く人だったのかと……。一九三六(昭和十一)年の作品だが、人物描写の冷徹さが容赦ない。主人公の下宿先の大家さん一家の生態(妻に暴力をふるいまくり、とにかく金にだらしない)が微細に描かれている。

 それはさておき、阿部知二は昭和十年代についてこんなふうに語っている。

《昭和十年代の前半期にはこの日本でも資本主義というものがかなりな程度成熟していたということがあったのではないでしょうか。もちろん、その資本主義は根本的には矛盾をもっていた弱いもので、性格的にはミリタリズムと絶対君主制がくっついた黒い危険なもので、もちろんそれが本質的な部分であったとすべきでしょう。(中略)しかし、同時に、そこに資本主義的リベラリズムも混じりあっていたのです》

 資本主義の成熟によって教育水準も上がり、文学、思想の読者も増えた。その結果、「文化的リベラリズム」も育った。
 阿部知二も青年期にそうしたモダニズム文学の洗礼をうけ、その思潮に身を置くようになった。

 小林秀雄の誘いで阿部は『文学界』に参加する。

《ぼくは——あるいはぼくたちは、『文学界』の座談会か何かで、昭和十四年か五年ぐらいでも、日本における家族主義といいますか、この島国の中で、よくいえば調和、わるくいえばなれ合いのようなものがある、と話し合ったような記憶もありますが、それは戦争が終るまで「ムード」としてつづいたと思います》

(……続く)

2023/03/17

昭和十年代 その一

 文学的立場編『文学・昭和十年代を聞く』(勁草書房、一九七六年)は、阿部知二、井伏鱒二、金子光晴、中野重治、舟橋聖一、中島健三、石川淳、久野収の名が並ぶ。

《昭和十年代という時代は、だれにとっても、むつかしい、つらい時代だったが、文学者にとっても、それを切りぬけるということの特別に困難な時代だった》(まえがき)

 この本を読むのは二度目だが、内容はほとんど忘れていた。
 阿部知二は一九五〇年ごろ、ペンクラブでイギリスに行ったとき、ジョン・モリス(ウィリアム・モリスの孫)が制作にかかわったラジオドラマの話を聞く。
 アメリカで捕虜になった日本人の兵隊が民主主義者になって帰国する。父は戦前戦中と変わらぬ超国家主義者のままで、親子の対立が起き……。そんな筋書だったらしい。
 阿部知二はその話を聞いた帰り道に「どうもおかしい」とおもう。西洋人と日本人はちがうし、インテリと庶民もちがう。

《日本の場合は、「お父さん、帰りました」と言ったら「イヨーッ、帰ったか。一杯呑め」。つまり、そこでは思想の問題で、おれは絶対天皇崇拝の国家主義だ、ぼくは民主主義だといって喧嘩しません》

 多くの日本人は、人と人との衝突を避ける温和な雰囲気、生活知みたいなものを大切にする。自らの思想を表明せず、何事もうやむやにしがちである。

《ぼくは現在もそういう精神風土が日本において、よかれ悪しかれ残っていて、思想の問題をあいまいにしていると思います》

 阿部知二は、そうした「矛盾した渾沌とした人間の情動」について考えることが文学の重要な役割とし、「文学における知性」の問題を追究していた。

 何が正しくて何が間違っているのか。人間の情はそうした思考には収まらないところがある。わたしも「一杯呑め」の側に親近感をおぼえ、思想信条で敵味方を分ける世界になじめないまま今に至っている。

(……続く)