2026/01/13

低迷中

 寒さに弱いが、冬の晴れた日の澄んだ空気が心地よい。
 一月二日に横浜から高円寺に戻って以来、十日以上、電車に乗っていない。すこし前に永福町まで散歩し、「ふくにわ」で富士山を見て、バスで高円寺に帰った。

 毎年一月中旬から二月の間の数日——「冬の底」と呼んでいる気力体力の低迷期がある(一月二十日の大寒のあたりが多い)。昨年は「一月二十六日、二十七日、二十八日」がそうだった。一月十日前後の年もある。
 今年は——今日一月十一日、十二日、十三日がそうかもしれない。まだわからない。急に生活リズムが崩れ、一日の大半、頭が回らなくなる。今のところ、体の怠さはない。

 夜になり、調子が上向いた気がしたので佐藤春夫の『白雲去来』『續 白雲去来』(筑摩書房、一九五六年)を再読する。新書よりやや大きめのサイズの本。新聞連載をまとめた時評風の随筆である。

『續 白雲去来』に「散歩の場所を求める」という一篇がある。
 西洋哲学、ドイツ文学、古典語学、そして音楽家のケーベル博士(ラファエル・フォン・ケーベル)の話。
 ケーベル博士は、東京にはいい散歩の場所がないと嘆いていた。赤坂離宮付近は例外だった。
 佐藤春夫はケーベル博士の言葉を受け、今日の東京の町は「人間の散歩はおろか必要な歩行さえむつかしい場所」となったという。
「今日の東京」は七十年前。佐藤春夫、六十三歳ごろ。

《僕のやうなそそつかしい、うつかりしたのはとても東京で散歩などは思ひも及ばない。機械類の横行せぬ裏道を行けば、犬の糞や小便の悪臭のために僕のやうな野人も閉口するありさまで、つひに東京の散歩はあきらめるほかはないと思ひ知る》

 佐藤春夫の随筆——昔の話と今の話の按配がいい。
 一九五〇年代半ばの東京、当然のことながら生活は不便だったし、道路事情もわるい。今のほうが歩道も整備されていて、歩きやすい。

『續 白雲去来』の「何のために書くか」は久々に再読して新たな感銘を受けた。

《一般の世人と多少すべての感じ方考へ方に相違ある自分は、いつも通俗的な考へ方の世人よりは自分の思考方法もしくは思想そのものを世人よりも正しいと信じ、それを世人に承認させるために書いて、自分流の考へ方感じ方をする種族を一人でも多く世にはびこらせて置く仕事をしてゐるのだと考へて自分だけはそれで納得した》

《同じ考へ方、同じ感じ方、すなはち同じ生き方の人間を世界に繁栄させて新しい希望を世界につなぐわたくしである》

 わたしは佐藤春夫のように「自分の思考方法もしくは思想そのものを世人よりも正しい」とはおもっていない。
 いっぽう古本好きや不規則な生活をする人や意味もなくふらふら歩く人が増えたら嬉しい。自分と似た種族を増やしたいのかもしれない。繁栄しそうな気配はあまりしない。

2026/01/11

冬の散歩

 風が冷たい。散歩で愛用している通気性のよいウォーキングシューズ——寒い日は厳しい。足の裏が冷える。手足の冷えはなかなか改善されない。年明けから左膝に軽い痛みあり。

 一月六日(火)、夕方、昨年借りていた本を返却するため、高円寺図書館。二階のテラスで十五分ほど日向ぼっこ。そのあと青梅街道近くのセシオン杉並に行く。梅里公園で紅冬至の花を見る。真冬に咲くこの梅の名前も最近知った。

 先月、何度かセシオン杉並の三階の西側の窓から富士山が見えるかどうか確かめに行ったのだが、薄い雲がかかっていて見えなかった。この日の夕方、すこし雲がかかっていたがぼんやり山の形が見えた。冬の富士山は雪で白くなっているので昼間はすこしでも雲がかかっていると見えないことが多い。

 春の桜、秋の紅葉みたいな感覚で冬の富士山が見たい。季節に関係なく、高円寺界隈で東京スカイツリーと代々木のドコモタワー、新宿の歌舞伎町タワーが見える場所を探している。視界を広げる訓練も兼ねている。

 梅里公園を歩いて環七の歩道橋を渡り、蚕糸の森公園を散策する。

 一月十日(土)、起きたら夕方四時五十分(寝たのは同じ日の朝六時)。ひさしぶりに十時間以上の睡眠。よく寝たおかげで左膝の痛みが治った。
 午後五時すぎ、今年初の西部古書会館。『江戸時代の旅と街道』(上田市立博物館、一九九一年)、『企画展示 描かれた江戸』(国立歴史民俗博物館、一九九一年)、『神戸市立博物館館蔵名品図録』(神戸市スポーツ教育公社、一九九一年)、『神戸市立博物館総合案内』(神戸市立博物館、一九八八年)。『源平の美学 平家物語の時代』(サントリー美術館、二〇〇二年)、『特別展示 お伽草子絵』(和泉市久保惣記念美術館、一九八七年)など。
 神戸市立博物館の図録は古地図関係の資料として買った。物語絵巻の図録の収集は今年も続くとおもう。

 昨年暮れに西部古書会館で買った本や図録も積読状態のままだ。積読は自分が知りたいことの道標になる。
 散歩も読書も継続することが面白い。月日を経ることで見えてくるものがある。自分の興味もすこしずつ変わる。

2026/01/04

新年

 年末年始は横浜で過ごした。菊名から妙蓮寺あたりの旧綱島街道を歩いた。家を出る前に地図を見て、現地ではオイルコンパスのみで散策したのだが、坂道だらけで楽しかった。途中、富士塚という地名があったが富士山は見えなかった。道に迷いながら子安、新子安あたりまで歩いた。知らない町を歩いていると「生きているうちにまたここに来るのかな」という気分になる。

 大晦日は紅白、ぐるナイ年越しおもしろ荘!を見る。ゆっくりテレビを見るのは高校野球の季節か正月くらいになっている。たまにテレビを見ると、コマーシャルに出ている人がわからない。生きている人か死んでいる人か、わからなくなってきている。

 年明け、中村光夫著『知人多逝 秋の断想』(筑摩書房、一九八六年)を再読。「若い散歩者たち」は、何年か前から鎌倉に若い人が大挙して来るようになったという話から、こんな感想を述べている。

《彼らは、いわゆる「名所」に惹かれてきているのではなさそうです。(中略)では彼らは何に惹かれてくるのか、というとそれは低い丘の形で街の中心まで食いこんだ自然と、戦災を免れたために比較的古い建物の残った街との調和がもたらす、或る落着きと思われます》

 東京は一年も経たないうちに町の様子が変わってしまう。

《こういう場所に生れ、育った青年たちの心には、二十歳にならなくとも、故郷を失った老人に似た空虚感がある筈です》

『知人多逝』には「日記から(昭和四十九年)」も収録されている。この日記が気になって再読した。
 この夏から中村光夫はジョギングをはじめた。中村光夫は一九一一年二月生まれなので、六十三歳。ジョギングといっても「歩くのと駈けるのとの間ぐらいなスピード」だったらしい。

《六十をすぎてから、何故こんなことを始めたかというと、かなり身体の衰えを痛感したからです》

《思いがけない拾いものは、この単純な肉体運動の精神的効果でした》

 年をとり、予想外の寝起きの不快感をおぼえるようになった。それが十分くらい走ると解消されると……。

 わたしはジョギングはしていないが、一日二時間くらい散歩している。遊歩道や公園など、車や自転車が通らない道はすこし早足で歩く。体が温まってくると気分もよくなる。
 若いころはこんなことをしなくても仕事や趣味に没頭できたのだが、年をとると何をするにも体調管理が避けられない。

 平穏無事。むずかしい。