2015/02/22

水木さんのルール

 神保町をふらふらしていたら、谷川俊太郎編『辻征夫詩集』(岩波文庫)が並んでいた。岩波文庫で辻征夫というのは予想外だ。
 古本屋で立ち読みしていたら、パディ・キッチン著『詩人たちのロンドン』(早乙女忠訳、朝日イブニングニュース社、一九八三年刊)がおもしろそうだったので買う。ロンドン版の文学散歩みたいな本。

 家に帰ってから水木しげる著『人生をいじくり回してはいけない』(ちくま文庫)を読む。『小説すばる』の今月号でもすこしだけ水木しげると鶴見俊輔の対談にふれた。水木しげるは、無政府主義者の石川三四郎の著作を読んでいたという話——。

 すこし前に『別冊新評 水木しげるの世界』をようやく見つけて(探していたことすら忘れていたのだが)、水木さん熱が再燃している。

 話は戻るが、『人生をいじくり回してはいけない』は名著です。解説は大泉実成(素晴らしい!)。

 今の目で歴史を裁いてはいけないということは承知の上だが、どう考えても水木さんを戦場に連れてっちゃいかんだろ、とおもう。
 水木さんは、毎日ビンタされていたそうです。

 ただ、南方の島で、現地の人が働かずに昼寝ばっかりしている様子を知ったことは、人生観に大きな影響を与えた。

《水木さんは、それほど頭がよくなかったけれども、「生きる勘」を心得ていた。お金を少し儲けて、楽して生きることが本当の幸せだと思ったんだ。今も、その考えは変わらない》

《水木さんは、「自分のやりたいことしかしない」という「水木さんのルール」を作った。ベビーの頃だね。
 一番やりたいことは、絵を描いて食べていくことだった。全く迷わなかったし、これからうまくいくだろうか、なんて考えもしなかった。人は、苦手なことでお金を儲けることはできない。好きじゃない仕事に追われたら、貧乏神に取りつかれるよ》

2015/02/15

「日常学」はじめました

 今月からWEB本の雑誌で「日常学事始」という連載をすることになりました。
 http://www.webdoku.jp/column/gyorai/

 更新頻度は月二回くらいでしょうか。

 タイトルの「日常学」という言葉はアンディ・ルーニーの『日常学のすすめ』(井上一馬訳、晶文社、一九八四年刊)からとりました。

 アンディ・ルーニーはライター生活で行き詰まっていたときに読んで、今の自分の「日常」から、大きなことから小さなことまで何でも切り取れる——ということに気づかせてくれたコラムニストです。

 それはさておき、ちょっとしたこと——たとえば、田舎から上京して中央線沿線で暮らすようになって、国立という市や駅名の由来が、国分寺と立川のあいだにあるからだと教えてもらったとき、意表をつかれたというか、なぜ気づかなかったんだろうとおもったことがありました。
 ほかにも「ユーラシア」という言葉が、ヨーロッパとアジアを合わせた造語と知ったのも、たぶん二十歳すぎてからです。
 以前、友人が「なあ、大豆と枝豆ともやしが同じだって知ってたか」と興奮気味に話していたこともありました。当時、友人は三十代半ばくらいだったとおもいます。人によっては子どものころから知っていることでも、知らずに大人になることはよくあります。

 日常生活においても、知っている人にとっては当たり前すぎて「今さらかよ」とおもうことでも、知らない人は知りません。

 ナンシー関のコラムで、青森から上京してひとり暮らしをするようになって、カレーが腐ることをはじめて知ったという話がありますが、家を出て自分で生活してみないと気づかないこと、あるいは失敗してはじめてわかることって、けっこうあるとおもいます。初歩とか基本とかいわれても、その手前の手前くらいのレベルからわからないこともよくあります。

 どこまでが「日常」でどこからが「非日常」なのか。
 そのときどきの気分で「日常」の範囲が広がったり狭まったりするかもしれませんが、そのへんのことはあまり厳密に考えずにいきたいとおもっています。

 最近、『日常学のすすめ』以外にも『鈴木健二の頭のいい“日常学” 「進歩向上」のヒント』(三笠書房、一九八九年刊)という本があることを知りました。
 ぜひとも読まねば……。

2015/02/12

武川寛海の本がおもしろい

 武川寛海の『音楽家たちの意外な話』(音楽之友社、一九八二年刊)がおもいのほかよかったので、インターネットの古本屋で同じ著者の本を何冊か注文した。自力(足)でゆっくり探すことも考えたが、かなり苦労しそうだとおもったのでやめた。

 わたしはクラシック音楽の知識はかぎりなくゼロにちかい(家にレコードやCDは一枚もない)。

 だから武川寛海のことも知らなかった。インターネットで検索したら、ゴダイゴのタケカワユキヒデのお父さんだということがわかった(有名な話?)。ちなみに、タケカワユキヒデの娘の武川アイもシンガーソングライターとしてメジャーデビューしている。

 今日読んだ『音楽史とっておきの話』(音楽之友社)は「ONBOOKS」というシリーズなのだが、巻末の広告で柳家小三治著『小三治楽語対談』という本を知る。対談相手は、加山雄三、三上寛、小沢昭一、戸川昌子、永六輔、白石かずこ、小島美子、宇崎竜童……。これも読んでみたいなとおもったら、けっこう高い。知らなかった。そういえば、あまり見たことがない。

 ネットの古本屋が普及する以前は、本の巻末の(自社の)出版広告をメモして古本屋をまわっていた。

 話は戻るが『音楽史とっておきの話』と『続・音楽史とっておきの話』は、カバー裏にもそれぞれ「作曲家豆年表」「音楽家の十二支」が印刷されている。ちょっと得した気分になる。『音楽史とっておきの話』の「よくまあ借りた人貸した人」という音楽家の借金話とか「リストが影響を受けた人与えた人」とか、クラシックの知識はなくてもおもしろく読んだ。

 リストは若い音楽家たちの面倒をよく見ていたらしい。こういう話はすごく好きだ。

2015/02/10

もしもあのとき

 金曜日、神保町。久しぶりに神田伯剌西爾でコーヒー。電車の中で武川寛海著『音楽家たちの意外な話』(音楽之友社、一九八二年刊)を読む。「もしもあのとき」という項目のチャイコフスキーの話がおもしろい。

 チャイコフスキーは幼少のころから母親にピアノを習っていて、一〇歳のときに法律学校に入るも、ピアノの勉強を続けていた。一四歳で母が亡くなり、悲しみをまぎらわすためにピアノにのめりこむ。父は我が子のためにルドルフ・クンディンガーというピアノ教師をつけた。そして三年の月日がすぎた。
 チャイコフスキーはピアニストになろうとおもったが、教師は「あんなものでは駄目」といった。
 そのまま法律学校に通い続け、一九歳で卒業し、法務局に就職する。

《もしもあのとき、である。クンディンガーが「なんとかなるでしょう」みたいな曖昧な答えをしたら、おそらくかれは田舎廻りのピアニストに終ったであろう。かれがアントン・ルービンシテインがペテルスブルクに開設した音楽教室(今日のレニングラード音楽院)に入って、正式に音楽理論の教えを受けることになるのは二〇歳からである》

 何かがうまくいかなかったことで別の何かがうまくいく。そういうことはよくある。

 受験とか就職とかで自分の希望どおりにいかなくても、そのおかげで別の可能性が見つかることはよくある。

 わたしにも「もしもあのとき」とおもうことは何度かあった。しかし、いろいろうまくいかなかったことがあった後に「今の人生でよかった」とおもえたら、それはすごく幸せなことだ。

 チャイコフスキー本人にとっては田舎廻りのピアニストの人生もけっこう楽しかったかもしれない。

2015/02/03

ここ数日

 日曜日、大均一祭二日目。スワローズが優勝した翌年のプロ野球の選手名鑑を何冊か買う。初日から二日目に残っていたら買おうと決めていた。
 家に帰って一九九六年の選手名鑑を見る。九五年の成績は八十二勝四十八敗。もちろん一位。新監督の真中満は当時二十五歳。「激しい外野戦争の中でも有力なレギュラー候補」との評。
 選手名鑑は、時刻表同様、古いものだとけっこう古書価がつく。一九六〇年代のものだと五千円くらいしたとおもう。

 夕方、高円寺北口散歩。庚申通り、早稲田通り、あずま通りの巡回コース。庚申通りにサンカクヤマという古本屋がオープンしていた。片岡義男著『10セントの意識革命』(晶文社)を買う。ショップカードを見たら水曜日が定休日らしい。
 古ツアさんは知っているかなとおもったら、さっそくブログにあがっていた。

 あとサンカクヤマのすぐ近くに漫画のレンタル店もできていた(ポストにチラシが入っていた)。七泊八日十冊八百円。
 西部古書会館のちかくにあったエンターキング(古本とゲームの店)は先月閉店した。

 一月中の仕事がまだ終わらない。頭がまわらない時間が長すぎて、予定通りにいかない。

 せっかくなので、頭がまわらない状態を研究したいのだが、それができないくらい頭がまわらない。
 酒を飲んだり、仕事と関係ない本を読んだり、料理や掃除(風呂場とか換気扇とか)をしたり、いつもどおりの生活を送ることが、いちばんの解決策なのだが、実行しようとすると、なんとなく後ろめたい気分になる。まだまだ修行が足りない。