2021/11/26

低迷期の心得

 十一月のはじめに首の寝ちがえから左肩、左の二の腕、左肘あたりまで神経痛になった。数日前に首と肩の痛みは緩和し、今は左肘のみ。ずいぶん回復した。もう痛め止めの薬は飲んでいない。わたしの場合、体が治ってきて活力が戻ってくると、むしょうにコーヒーが飲みたくなる(昨日まではずっとほうじ茶だった)。

 年をとると、肉体の限界や時間の限界について、若いころより切実に感じるようになる。何かやりたいことをおもいついても体力は持つのか、時間はあるのかという疑念がすぐ頭をよぎる。さらに体に不具合が生じている状況だと考えていることがどんどん後ろ向きになる。不調時の延長線上の未来を想像し、悲観する。そういうときは余計なことを考えないに限る。どうせなるようにしかならない。

 寝込んでいる間に岡崎武志さんの新刊『ドク・ホリディが暗誦するハムレット』(春陽堂書店)と南陀楼綾繁さんの新刊『古本マニア採集帖』(皓星社)が届いた。
 岡崎さんの本を読むと、中央線文士だったり第三の新人だったり、読書傾向は似ているとおもう半面、それ以外の抽出の数がまったくちがうなと。演芸、映画、音楽それぞれ年季が入っている。ここ数年わたしは街道歩きにのめりこんでいるのだが、岡崎さんはかなり長期にわたって文学散歩の実践者でもある。多種多様な趣味と文学との掛け合わせ方も面白い。同じことはできないが、勉強になる。

 南陀楼綾繁さんの新刊、目次を見ると知り合いも何人か出ている(『些末事研究』の福田賢治さんも)。日本の古本屋のメールマガジンで連載中もけっこう読んでいた。最終回が退屈男さんだった——今まで知らなかったことがたくさんある。わたしの中では南陀楼さんと退屈男さんは、本のまわりに生息している、どうやって暮らしているのかよくわからない人と認識している。

 岡崎さん、南陀楼さんとは『sumus』という同人誌をやっていたつながりがあり、三十代前半の一時期、南陀楼さん主宰の読書会にも参加していた。

 二十代の終わりから三十代のはじめに多くの古本好きと知り合いになり、自分の知識のなさをおもい知った。そこから開き直ってやりたいことをやろうと決意した。世の中の流行りと関係なく、自分の好きなものを追いかける。そうした本流ではない傍流の生き方がわたしには合っていた。おかげで生活はしょちゅう困窮している。

 自分の意志で道を切り開くというより、半分くらいはなりゆきまかせで気がついたら、わけのわからないところにいるというのが、今のわたしの理想である。

 不調時に気持が落ち込んでいたときも、心のどこかでどうにかなるだろうとはおもっていた。二十代のころ、中央線沿線の高円寺や阿佐ケ谷界隈の深夜の酒場でよく見かけた五十歳すぎくらいの定職についていないふらふらしたおっさんに憧れていた。今の自分はまさにそれではないか。傍目には気楽そうに見えていたが、いざなってみるとしんどいものだな。今さらいってもしょうがないが、あるていど人生設計はしておいたほうがいいとおもう。

2021/11/17

続・多分大丈夫

 先週日曜日に首を寝ちがえて十日ちょっと。完治とまではいかないが、痛みはずいぶん軽くなった。寝起きから一時間くらいまではつらいが、しばらく動いて体が温まってくるとだんだん楽になる。

 今回の寝ちがえは三、四日目が一番きつかった。麺をすすったり、肉を噛んだりするだけで痛みが走った。ドアノブや蛇口をひねる動作もつらい。手さげを肩にかけたり、リュックを背負ったり、ふだん無意識にやっている動きの中にも危険が潜んでいる。
 一行書くたびに痛みで思考が止まる。この一週間ずっとそんな感じだった。頭で考えたことを腕と手をつかって文章化する。書くことが頭に浮んでも首が痛くて腕がおもうように動かないと文章がどんどん消えていってしまう。座業も体が資本だと文字通り痛感した。

 平日の夕方、ラジオを聴いていると神経痛、リウマチの漢方のCMが頻繁に流れる。尾崎一雄の「虫のいろいろ」に出てくる「ロイマチスの痛み」のロイマチスはリウマチのこと。「痩せた雄鶏」では神経痛の痛みを「烈震、激震、強震、弱震」とたとえている。

 激震になると「冷えた手足を縮め、自分の胸を抱き、うめいている外に法はないのだ」と綴り——。

《それが、強震となり、弱震にまで来ると、甚だ快適な気分になる。痛みが弱まったということもだが、それよりも弱まりつつある、という意識の方が、はるかな喜びなのだ。そうして、あれほどの痛みが、うそのように治まった時は、非常な幸福感を覚える》

 当時、尾崎一雄は四十九歳。
 一九四四年八月、四十四歳のときに胃潰瘍で昏倒——郷里の下曾我に帰り、第一次生存五ヶ年計画に入る。「痩せた雄鶏」は生存五ヶ年計画の五年目の作品である。

 わたしは基本不健康だ。元気な日が少ない。体を冷やさず、疲れをためず、調子がよくないなりにだましだましやっていくしかない。

2021/11/12

多分大丈夫

 先週の土曜日、昼前、西部古書会館に行ったら休み。うっかりではなく、古書即売展一覧(紙)では開催の予定になっていた。そのまま大和町まで散歩する。マスクに色付きのフェイスガードをつけて自転車に乗っている人がこちらに向かってくる。どこを見ているのかわからず、左右どちらに避けていいのかわからなくて困る。スマホを見ながら自転車に乗っている人もよく遭遇する。危ない。

 高円寺の北口に賞味期限切れ間近の商品(インスタントコーヒーや粉チーズなど)やお中元お歳暮の売れ残り商品などが格安で並んでいる小さなスーパーがある。コロナ禍中、都内では入手難のコーミソースも売っていて、三本買った(今は売っていない)。さらに散歩コースの他の店では寿がきやのインスタント麺が売っている店がある。

……とここまで書いて中断。

 日曜日、首を寝ちがえる。軽度だが、痛いは痛い。二、三日は痛み止めと神経痛を緩和する作用があるといわれるビタミン剤を交互に飲み、気休めに鎮痛消炎剤を塗って安静あるのみ。といっても簡単な家事や資料の整理など、日常の細々としたことをやっているほうが気がまぎれて痛みを忘れる。布団の上で痛みの少ない姿勢を研究したところ、仰向けになり、右手を上、左手を横にするポーズが楽なことがわかった(薬のことも含め、すべて個人の感想です)。

 昨年の春、五十肩になったときはあらゆることに難渋した。立ったり座ったり、服を着たり脱いだりするだけでもつらかった。スナック菓子の袋、ペットボトルの蓋をあけるのも大変だった。それに比べれば楽。楽だが、痛い。体のどこかに不具合があると思考がほとんどそれに奪われる。つくづく若くて健康というのは才能の一種だとおもう。二十代のころの体力があれば、何でもできるんじゃないかと……。酒飲んでゲームしていた時間を取り戻したいと悔やんでも時は戻らず。

 尾崎一雄の代表作ともいえる「虫のいろいろ」に神経痛などの痛みのことを書いている箇所がある。

《神経痛やロイマチスの痛みは、あんまり揉んではいけないのだそうだが、痛みがさほどではない時には、揉ませると、そのままおさまってしまうことが多いので、私はよく妻や長女に揉ませる。しかし、痛みをこうじさせて了うと、もういけない。触れば尚痛むからはたの者は、文字通り手のつけようが無い》

 痛みへの対処の仕方はむずかしい。温めたほうがいいのか冷やしたほうがいいのか、いまだにわからない。昔、寝ちがえたときに低周波の治療器をつかって、余計に症状が悪化したこともあった。

「痩せた雄鶏」でも持病の肋間神経痛の痛みのことを書いている。若いころに読んだときは神経痛の箇所はピンとこなかったけど、今は深く共感する。年をとるのも、体が痛いのもわるいことばかりではない。

《その痛みは、多くは冷えと湿気によって誘発されるようだ。過労も勿論いけないが、病人たることを一寸の動きにも思い知らされつけた緒方の起居には、時たま、のっぴきならなくて書く原稿の仕事以外には、過も労もないのだった》

 四十歳を過ぎたあたりから、毎年のようにわたしは腰痛やら寝ちがえやら膝痛で体がおもうようにならない経験を積んだおかげで、その対処法を学べた。
 中年になると、初日より二日目三日目のほうが痛みがひどくなる……ことがよくある。これが意外と精神面にくる。明日はもっとひどくなるのではないか。そう考えてしまうと気持がどんどん沈んでくる。
 つらいときこそ、希望を持つことが大切だ。すこしずつよくなる。昨日より今日のほうがマシになる。一進一退だが、回復の途上にいると信じる。

 金曜日の夜、まだちょっと首が痛い。でもかなりよくなっている。

2021/11/03

可もなく不可もなく

 コロナ禍以降、家で体温をちょくちょく計るようになった。だいたい三十六度。古書会館の非接触型の体温計だと三十六度二分。十月はじめ、古書会館に行ったさい、三十六度八分と表示されたことがあった。すぐ「昨日、ワクチン(二回目)を打ったからだ」と気づいた。副反応はそれくらい。からだの怠さでいえば、一回目のほうがきつかった。

 今のところ都内の感染者数は少なめで町の活気も戻ってきた。夜になっても人がたくさんいる。一時期は午後九時すぎで町が暗く、歩いている人も少なかった。コロナ以前は日付が変わるころよく飲みに行っていた。町中、酔っ払いだらけだった(わたしもその一人である)。

 郷里にいたころ、夜七時にはほとんど店が閉まってた。道が暗くて夜は怖かった。もともと歩いている人が少ないから、車もかなりスピードを出す。ここ数年、帰省したときはLEDのヘッドライトを手に持って足元を照らしながら歩くようになった。
 街道歩きのときも基本は日没までと決めている。

 外飲みを控えていた数ヶ月——何てことのない雑談が自分の生活にとってすごく大切だったと痛感した。家で仕事する。本を読む。一人で考える。頭の中がごちゃごちゃしてくる。ふらっと飲み屋に行って常連客と喋る。自分がまともかどうかは別として人と話が通じる。それが嬉しい。おかしなことをいえば、それはちょっとちがうんじゃないかと反応が返ってくる。
 どんな人にも常識と非常識の部分がある。その比率は人によってちがう。

 わたしは定職に就いた経験がなく、ずっとフリーランスということもあって、非常識の比率が少し高めかもしれないと自覚している。非常識というか、世の多数派とはちがう考え方をしているとおもうことがよくある。多数派が正しいときもあれば、そうでないときもある。それは少数派にもいえる。
 かれこれ三十年以上夜型生活を送っているが、すくなくともわたしの体調はそのほうが良好だから間違っているわけではない。間違ってはいないが常識とはズレている。自分はどうにかなっているが、世間の基準とズレていることが多々ある。年々そのズレみたいなものが修正が困難になっている。

 今の自堕落な生活を改善したい。自分なりにそういう努力をしているつもりである。その気になれば、今すぐ変えられる(ただし、なかなかその気にならない)。集団はそうはいかない。個人個人のバラバラの生活、人それぞれのバラバラの感覚を調整し、落とし所を決める作業が必要だ。その結果、可もなく不可もなくならまだしも誰にとってもやや不満みたいな状況になりがちである。でもそれでよしとするしかない。

 昔からそうおもっていたわけではなく、年をとるにつれ、だんだんそんなふうに自分を納得させるようになった。