2019/09/27

頭がまわらない

 WEB本の雑誌で連載中の「街道文学館」の第十六回を更新——。今回は山陽道編。五月に歩いた宿場の話を九月末になって書いたわけだが、矢掛宿の風景は、かなり鮮明に覚えている。

 先週末に帯状疱疹を発症し、それにともなう神経痛が厳しく、一日のうち、一、二時間、薬が効いているあいだ、ちょこちょこ原稿を書いた。

 最近、クリス・ルイス著『なぜ、あなたはいつも忙しくて頭がまわらないのか』(小佐田愛子訳、マイクロマガジン社)という本が刊行された。この中で「部外者だからできた教育改革」というイギリスのポーツマス大学の学長スティーブ・フランプトンの話を興味深く読んだ。

 彼が手がけた改革のひとつに大学の時間割の変更がある。

《そもそも時間割がどこから来たのか、誰も知りませんでした》

 始業時間は午前10時、1日の授業は2コマ(授業は3時間1コマ)。この改革により、学生たちの学業面で大きな成果があったらしい。それだけではない。

《たとえば、スタッフの多くが子育て中で、朝、時間通りに子どもたちを学校にやるので一苦労。午前中からせわしなくて疲れた雰囲気になることが多いようすだったそうです。スタッフにとっても、朝が遅いことは、より多くのエネルギーと熱意を授業に注ぎ込めることになり、集中する時間も長くなりました》

 あとフランプトンは「iPhoneどころか、モバイル機器をいっさい使っていない」という。

《仕事をする邪魔になりますからね。(中略)なにかができるからといって、それをするべきだとは限らないことを知っておくべきです》

 長年、わたしは朝七時に寝て午後二時ごろ起きる生活を送っている(ときどき睡眠時間が五、六時間ずつズレてしまう時期もある)。起きてからもスロースタートで、だいたい夕方までは掃除や洗濯、散歩、あんまり頭をつかわなくてもできる作業などをして、そのあと本を読んだり、資料を調べたりして、日付が変わるくらいの時間から調子が出てくる。それがいいかわるいかは別として。

 自分にとっては好きな時間に寝て起きて、疲れたらすぐ横になれることが、職業選択のさいの優先事項だった。その選択はまちがってなかった——といいたいところだが、成果らしい成果を出していないので小声で呟きたい。

2019/09/19

安心と油断

 仕事部屋の引っ越しから二ヶ月ちょっと。つい最近のような気もするし、ずいぶん前のことのようにもおもえる。
 荷物の整理をしながら、自分の興味をどこまで広げるか、あるいは絞るかを考えた。
 大切なこと(もの)は、そんなに多くないほうが、気楽に過ごせる。

 残りの人生——といったら大ゲサかもしれないが、今の仕事がいつまでできるのかわからない。といっても、三十歳のときも四十歳のときもそうおもっていたわけで、この悩みに関しては「わからないままやり続けるしかない」という答えを出している。

 高円寺での生活もまもなく三十年になる。
 ひとつの町に三十年。おそらく、この先、それ以上に長く住む町はないだろう。さすがに高円寺界隈では道に迷わない。

 次の目標は四十年……といいたいところだが、三十五年にしておく。仕事部屋もあと五年くらいはどうにかしたい。

 どんなことでも五年続けるというのは大変だ。でも「週三日、自炊する」くらいの目標でも五年くらい続けると料理の腕はけっこう上がる。味付け云々ではなく、野菜の皮むきとか下ごしらえみたいな手際がよくなる。あまり考えなくてもできる作業が増える。

 仕事でも考えなくてもできる作業が増えていくと、三時間かかっていたことが二時間、一時間ですむようになる。そのことが余裕につながる。ところが、忘れたころに大きなミスをしてしまう。慣れることは大事だが、慣れすぎるのも考えものだ。

2019/09/14

ウッデンの父の話

 金曜日、徹夜。土曜日、起きたら夕方五時、生活リズムがおかしい。

 部屋の掃除をしていたら、バスケットボール、UCLAの伝説のヘッドコーチのジョン・ウッデン著『まじめに生きるのを恥じることはない』(ディスカヴァートゥエンティワン、二〇〇〇年)が出てきた。今、アマゾンの古書価は五千円以上になっている。
 わたしはウッデンの父の「人生で大切な六つの教え」に感銘を受けた。

《1 自分に正直であれ。
 2 他人を助けよ。
 3 一日一日精いっぱい生きよ。
 4 良書を精読せよ。
 5 友情を芸術の域まで高めよ。
 6 自分が享受している恵みに日々感謝せよ》

 ジョン・ウッデンが小学校の卒業式のあと、父からもらったカードに書かれていた言葉だそうだ。ウッデンは読書を愛し続けたことが、生涯の財産になったと回想している。
 ウッデンの父の教えでもっとも心に響いたのは次の助言である。

《自分がどうにもできないことに惑わされると、自分がどうにかできることに悪影響を及ぼす》(「批判にも称賛にも影響されるな」/同書)

 自分のコントロールできないことに時間や労力を費やすなら「自分がどうにかできること」に最善を尽くしたほうがいい。

 ストア派の哲学とも近い考え方かもしれない。ある種の利己主義なのだが。

2019/09/07

節制と休息

 三泊四日の旅から帰ってきて、頭が日常モードに切り替わらない。足のふくらはぎの筋肉痛も三日くらい治らない。
 疲れているときは肉だ。それからオクラやなめこなどネバネバしたものもいい。

 色川武大の「節制しても五十歩百歩」という言葉はかぎりなく真理にちかいとおもっているが、人並以下の気力体力でどうにか生活していくためには、心身の調整だけは怠るわけにはいかない。
 昔、ある年輩のライターが多作なのに仕事の質がまったく落ちない同業者のことを「あの人は搭載しているエンジンがちがうから」といっていた。
 でも小さなエンジンなら、小さなエンジンなりに運転の技術を磨いて、燃費のかからない生き方を目指すというのもわるくないとおもうようにしている。
 スピードを出さず、大きなエンジンを積んだ人たちが通りすぎてしまう場所に立ち寄るのもそれはそれでおもしろいものだ。

 三十歳をすぎたころエクナット・イーシュワラン著『スローライフでいこう ゆったり暮らす8つの方法』(スタイナー紀美子訳、ハヤカワ文庫)という本を読んだ。

《今の世の中、多くの人が時間がないとこぼしていますが、正確には少し違うようです。単に「時間がない」のではなく、「自分のやりたいことをすべてやるための時間がない」ということなのです》

 中年になると疲労の回復にも時間がかかる。からだだけでなく、頭を休ませる時間も必要になる。やりたいことの優先順位を決め、さらにやらないことも決め、のんびりだらだらすごす日を作る。余裕がなくなってくると、ふだんどおりの力を出せば、できることすらできなくなる。自分の欲求をコントロールするのはむずかしい。

 イーシュワランは「わたしたちは、たえずお金を稼いでいたり、物を作っていたりする代わりに、人生が投げかける深い問いについて思索する時間を持つことが必要です」と述べている。
 ぼんやり過ごす日をもうすこし増やしたい。

2019/09/05

街道記

 月末、三重に帰省。四日市あすなろう鉄道に乗り、終点の内部駅から、東海道の石薬師宿あたりまで歩く。車の心配をしていたが、意外と旧街道が残っている。
 夕方、ゲリラ豪雨にあう。お寺に避難し、雨が小降りになるまで待つ。石薬師宿から定五郎橋を渡り、牧田小学校へ。そこから鈴鹿ハンターまで行き、ゑびすやのうどんを食べて、郷里の家へ。

 翌日は朝七時に家を出る。JR中央本線を途中下車しながら、奈良井宿、洗馬宿などを歩く。この日の宿は、塩尻のホテル中村屋。長野、涼しい。快適だ。

 翌日、安曇野(臼井吉見文学館)をまわって、十三時半ごろ、篠ノ井駅へ。長野と東京を行き来しているつかだま書房の塚田さんに駅まで車で迎えに来てもらう。
 高速で信濃追分まで。篠ノ井から信濃追分まで、ちょうど電車がない時間だったから助かった。
 追分コロニーで街道本を買う。長野の宿場町はどこも素晴らしい。ただし夕方に店が閉まる。あと冬期、営業していないところがけっこうある。
 この日は塚田家に宿泊。びんぐし湯さん館で温泉に入る。明け方まで飲んでしまう。野菜をたくさんもらう。

 上田から高崎まで新幹線で、そこから18きっぷで途中下車しながら東京に帰った。足の裏が痛い。