2019/09/07

節制と休息

 三泊四日の旅から帰ってきて、頭が日常モードに切り替わらない。足のふくらはぎの筋肉痛も三日くらい治らない。
 疲れているときは肉だ。それからオクラやなめこなどネバネバしたものもいい。

 色川武大の「節制しても五十歩百歩」という言葉はかぎりなく真理にちかいとおもっているが、人並以下の気力体力でどうにか生活していくためには、心身の調整だけは怠るわけにはいかない。
 昔、ある年輩のライターが多作なのに仕事の質がまったく落ちない同業者のことを「あの人は搭載しているエンジンがちがうから」といっていた。
 でも小さなエンジンなら、小さなエンジンなりに運転の技術を磨いて、燃費のかからない生き方を目指すというのもわるくないとおもうようにしている。
 スピードを出さず、大きなエンジンを積んだ人たちが通りすぎてしまう場所に立ち寄るのもそれはそれでおもしろいものだ。

 三十歳をすぎたころエクナット・イーシュワラン著『スローライフでいこう ゆったり暮らす8つの方法』(スタイナー紀美子訳、ハヤカワ文庫)という本を読んだ。

《今の世の中、多くの人が時間がないとこぼしていますが、正確には少し違うようです。単に「時間がない」のではなく、「自分のやりたいことをすべてやるための時間がない」ということなのです》

 中年になると疲労の回復にも時間がかかる。からだだけでなく、頭を休ませる時間も必要になる。やりたいことの優先順位を決め、さらにやらないことも決め、のんびりだらだらすごす日を作る。余裕がなくなってくると、ふだんどおりの力を出せば、できることすらできなくなる。自分の欲求をコントロールするのはむずかしい。

 イーシュワランは「わたしたちは、たえずお金を稼いでいたり、物を作っていたりする代わりに、人生が投げかける深い問いについて思索する時間を持つことが必要です」と述べている。
 ぼんやり過ごす日をもうすこし増やしたい。