2019/08/27

岡山の山村

 午前十時に寝て、起きたら夕方十六時半。ぼーっとした頭のまま、原稿の校正作業と掃除。
 季節の変わり目はいつも睡眠時間がズレる。家にこもりがちなのもよくないようだ。

 枕もとに置いてある色川武大著『戦争育ちの放埒病』(幻戯書房)を読んでいたら、移住の話が出てきた。

《現に、私の気持ちの中にあるいくつかの地方で住むことを空想してみることがある。たとえば、鹿児島。あるいは、岡山あたりの山村。徳島県の東南の海岸端。東北の横手盆地あたり——。いずれも私の好きなところだ》(「引越し症候群」)

 色川武大は引っ越し魔だった。一ヶ所に定住すまいと決め、借家を転々としていた。

「私の日本三景」(『いずれ我が身も』中公文庫)でも似たような記述がある。この「日本三景」は「鹿児島県薩摩半島の外海側」「高知県東部海岸、甲浦付近白浜」「新幹線岡山駅手前の山村」とある。
 岡山は何度となく行っているが、岡山駅手前の山村はどこなのか。

 まだ行ったことがないのだが、岡山と兵庫の県境付近にある山陽道の三石宿も気になっている。岡山から下久井につながる金毘羅往来という街道も歩きたい。時間がほしい。

2019/08/26

仕事の喜び

 イギリスの歴史学者、政治学者のP・N・パーキンソンは「パーキンソンの法則」でその名を知られている。
 彼が提唱した法則は「仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する」「支出の額は、収入の額に達するまで膨張する」というもの。

 パーキンソンはさまざまな人生訓も残している。
 久しぶりに『パーキンソンの経済を見ぬく目』(三田貞雄訳、至誠堂)を読んでいたら、こんな言葉を見つけた。

《いちばん幸福な人間は、働く時間がいちばん短い人間ではなく、自分の仕事によろこびを見出す人間である》

 この言葉のすこし前にパーキンソンは、古い自宅の話をしている。一九一〇年、パーキンソンが生まれた一年後に建築された家は細部にいたるまで熟練職人による加工が施されていた。

《箪笥や靴箱の戸を開けたり閉めたりすると「フーシュ」という音をたてた。指物大工がこの戸を文字どおり気密につくっておいたのだ》

 大工たちはみな自らの仕事、技術に誇りを持っていた。

 わたしの母方の祖父も大工だった。当時としては珍しいひとりっ子で乳母日傘で育った。母からは気がのらないと仕事をしない人だったという話を聞いた。欄間を作るさい、いい木材じゃないと、やる気をなくしたらしい。
 そのかわり、いい木材が入ると採算度外視し、手間ひまかけて仕事した。
 つまり、仕事をしてもしなくても貧乏だった。それでも祖父の話を聞くと羨ましい働き方だなとおもう。

阿波踊り

 土曜日、高円寺、阿波踊りの日。午後、西部古書会館。古書会館近くの中華料理屋でチャーハンをテイクアウト。夕方くららで生ビール、KYOYAさんの店で祭り用のステーキ、抱瓶で焼きそばを買い、仕事部屋の掃除の続き。今週はずっと本の整理していた。再読したい本がいっぱい出てくる。
 日曜日、夕方くららで生ビール、KYOYAさんの店でスープカレーをテイクアウト。松永の串カツとだし巻き卵。あと北口のあずま通りで大道芸(エキセントリック吉田)を見て、芋煮を買って帰る。この二日間、自炊せず、屋台メニュー三昧だった。

 なるべく人通りの少ない道を選んで移動していたのだが、あちこちから笛や太鼓の音が聞こえてきて、お祭りの雰囲気も堪能した。
 ちょっと涼しくなった。これから仕事をせねば。

2019/08/19

私小説の話

 二十代後半から三十代の前半にかけて、年がら年中、文学や音楽の話をしていた旧友と久しぶりに飲んだとき、「(いろいろ本を読んできたけど)結局、私小説に戻るんだよなあ」といっていた。
 これまでも私小説が好きな理由をあれこれ書いてきた気がするが、読み慣れた作家の本を再読するのは精神安定剤のような効能があるような気がする。
 もちろん、私小説作家であれば、誰でもいいというわけではない。
 わたしは破滅型よりは調和型の作家が好みで、困ったときはその調和型の代表格の尾崎一雄の作品を読み返す。

 高松の本屋ルヌガンガで福田賢治さんとトークショーをしたときに会った若者が書いている「ボログ」というブログを読んでいたら、こんな一節があった。

《尾崎一雄「ある私小説家の憂鬱」読み終える。
「口の滑り」という話に古本屋の関本良三という人物が出てきたので、あれ?と思い調べてみたら、「昔日の客」の関口良雄がモデルのようだ》

 今、尾崎一雄の私小説を読んでいて、「関本良三=関口良雄」に気づく人は日本中探してもそんなにいないとおもう。

 岡崎武志さんの『古本病のかかり方』(ちくま文庫)の「視力がよくなる」でも似たような話を書いている。

《知識が増えていくと、それに比例して目が拾う情報も増えていく。極端なことを言えば、以前には見えなかったものが、のちに見えてくるようになるのだ》

 こうした「古本の視力」が何かの役に立つのかといえば、正直、わからない。
 読書にかぎらず、知識が増えたり、年を重ねたりするうちに、いろいろな発見がある。

「口の滑り」では尾崎一雄の二歳年上の大崎五郎という先輩作家も出てくる。たぶん「大崎五郎=尾崎士郎」だろう。
 ちなみに、尾崎一雄と尾崎士郎の娘はたまたま「一枝」という名前でよく間違えられた。

2019/08/15

新陳代謝

 青春18きっぷで京都に行こうとおもっていたが、台風が来そうだというので迷っているうちにお盆になってしまった。
 部屋の掃除をしながら、山本夏彦の文庫をいろいろ読み返す。

《隠居とはむかしの人はうまいことを考えたものです。親は未練を断ち切って、家督を子に譲って以後いっさい口出しをしません。こうして十年たてば子は三十代になって、親が口出ししたくても今後は出せなくなって、自分は全き過去の人になったと知って安心して死ねるのです。
 これを新陳代謝と言います》(「人間やっぱり五十年」/山本夏彦著『つかぬことを言う』中公文庫)

 隠居とまではいかなくても、もうすこしのんびり暮らしたいとおもっている。しかし「人生五十年」といわれても、いざ五十歳(ちかく)になってみると、精神年齢は三十代半ばくらいの気分だ。三十年前、ライターの仕事をはじめたころ、同業者の最年長は四十歳くらいだった。書く仕事よりも、雑誌のブレーンや最終稿をまとめるアンカーといわれる仕事をしていた記憶がある。

 すこし前に就職氷河期の人の就労支援のニュースがあった。今、四十歳前後の人たちは就職難だった。
 二〇〇〇年代のはじめ、大きな書店に行けば、三十歳以下はみんなアルバイトといったかんじだった。図書館の司書の平均年齢が五十代という記事を新聞で読んだ。団塊の世代、あるいはバブル期に社員をとりすぎて、そのしわよせを若い人たちが食らった。

 山本夏彦著『かいつまんで言う』(中公文庫)に「これを新陳代謝という」というコラムがある。

 内容は「人間やっぱり五十年」とほぼ重なっている。

《隠居するというのは、昔の人の叡知で、爾今自分は現役ではないと友人知己に声明して、口出しすることを自らに禁じたのである。そして五年たち十年たって、なお生きていれば、今度は口出ししたくても出せなくなって、文字通り過去の人になるのである。
 薄情のようだが、これが自然なのである。新陳代謝といって、古いものは去らなければいけないのである》

 さらに「こんなことを言うのは、寿命がのびたから定年をのばせという説があるからである。それはむろん老人の説で、若者の説ではない」と綴る。

 あらゆる分野で新陳代謝の失敗が蔓延している。シルバー民主主義を批判する若者たちもいずれ年をとる。
 わたしも老害といわれる日が来るだろう。
 その前に隠居したいのだが……。

2019/08/12

五分の理

《あの戦争は別に悪かったわけじゃないという理屈はいくらでもありますよね。日本って国は近代化をあわててやって、とにかく生き残ることに成功して、要するに西洋の植民地主義を真似しただけであり、他の連合軍であるイギリスとかフランスとかは植民地主義の面では札つきだったわけですし。だから理屈では合理化できると思う。そもそも理屈ってのは「泥棒にも三分の理」というくらいなんだから、普通の人だったら五分の理くらいまで持っていけるもんですよ。だからそういう眼で見てしまえば全部間違ってしまう》(「〈戦争〉と〈革命〉が終った時代へ」/菅谷規矩雄、鮎川信夫の対談/『すこぶる愉快な絶望』思潮社)

 ここ数日、鮎川信夫の「そういう眼で見てしまえば全部間違ってしまう」という言葉の意味を考えていた。

「(日本だけが)悪かったわけじゃない」というのは戦後ずっと多くの日本人の中にくすぶっていた気分だとおもう。でも当時の多くの日本人は戦争はもうこりごりだという気持やアジアの国々にたいして後ろめたさもあった。戦争に負けた以上、大っぴらに「五分の理」を主張するのは気が引けたとおもう。戦時中の日本が行ったといわれる「蛮行」や「戦争犯罪」にしても事実とそうでないものはあるだろう。当時の記録の中にも事実もあれば、捏造もある。戦争初期と後期でまったく事情が変わってくる。

《いろいろあって何が真実かわからないとき、大衆の好むものが真実になる。大衆は、自分にとって、最も面白いことや都合のよいことを真実にしたがる》(「信ずべし信ずべからず」/古山高麗雄著『反時代的、反教養的、反叙情的』ベスト新書)

 親日国の人たちの「日本の統治のおかげで豊かになった」という言葉を聞けば、わたしも悪い気はしない。いっぽう日本によって凄惨な目に遭った人たちの話を聞いたり、読んだりすると、申し訳ない気持になる。

 都合のいい史実だけを並べて「自分たちは間違ってなかった」という結論を出すのは、たぶん間違っている。

2019/08/05

いろいろな時計

 日曜日、暑くて頭が回らない。やる気が出ない。昼すぎ、西部古書会館。街道本三冊。千円。土鍋でメシを炊き、カレーを作る。橋本治の『思いつきで世界は進む』(ちくま新書)を読み返す。

 わたしの優先順位としては、仕事や生活のことが大半を占め、残りは趣味といった按配なので、政治について考える余力がほとんどない。だからなるべく信頼できる人の意見を参考にしたいとおもって本を読む。
 鮎川信夫がそうだし、それ以降は橋本治がそうだ。

《世界中には、いろいろな時計がある。近代という時代を示して引っ張って来たヨーロッパ製の時計は、ネジが切れたのか、もう先を示せなくなった。「ヨーロッパに於ける極右勢力」というのは、進んで行く「近代」の時計の陰でおいてけぼりを喰らわされていた、同じ国内の「周辺の土着」だろう彼等が、遅れていた「自分達用の時間」を進めるために、新しい時計のネジを巻き始めたというのに近いはずだ。
 かつては「後進国」として取り残されていた国々が、経済発展のおかげで「先進国並」を当たり前に主張する。でもそれが実現されたら、多分、地球は過飽和状態でぶっ壊れる。今や、それを知るのが「先進国水準」なのだけれど》(「時間は均一に進んでいないの?」/『思いつきで世界は進む』)

 同時代でも、それぞれの国、あるいは人が過ごしている時間はちがう。今の時代にも中世みたいな考え方をする人はいくらでもいる。気にいらなければ、倒せばいい——といった言動をする人間は二十一世紀の日本にも当たり前に存在する。でもさすがに同じ国の人間同士が戦をしていた時代に戻りたい人はいないだろう。いないとおもいたいのだが、自信はない。

 何かを嫌いになるためにつかう時間があるなら、好きなことをしたい。

2019/08/02

親米と反米

《最近は情報だけが溢れかえって、いろんな意味でものが見えなくなってきている。価値の均等化、平等化があらゆる分野ですすみ、よほどフンドシを締めてかからなければ、認識を誤り、選択を誤るということになりかねない。このことは、知識人の問題であると同時に、ジャーナリズムの問題でもあり読者の側の問題でもある。
 では、どうすればいいのか》

 一九八四年十一月の「『ベ平連』はどこへ行った」というコラムで鮎川信夫はそう問いかけた。

《アメリカ人を嫌うのは勝手である。外国人なんて、それほど好きになれるものではないからだ。しかし、アメリカ人が寄りつかなくなれば、だんだん自由もなくなることくらいは知っておいていい》

 親米と反米——わたしはしょっちゅうそのふたつのあいだで揺れている。アメリカは正義のごり押しをする。怖い国だとおもっている。しかし敵対陣営も怖い。ようするにどっちも怖い。

 三十五年後の今はテレビ、新聞、雑誌にくわえ、インターネットの情報も加わり、何が正しいのか判断に困ることが増えた。
 年々自分の社会分析と周囲とのズレが大きくなってきている。政治に興味のないフリをして黙っている。