2019/12/31

歳末雑感

 年末の土日、西部古書会館。そのときそのときの関心や体調によって買う本も変わってくる。何がしたいのかわからなくなったとき、買った本に教えられることもある。

 古本ではなく、昨年、新刊で買った本だが、山本周五郎著『また明日会いましょう 生きぬいていく言葉』(河出書房新社)を再読する。

《十二月になると一日一日に時を刻む音が聞こえるようである》(年の瀬の音)

《また年末が来たには閉口する》(歳晩雑感)

 周五郎先生の年末随筆、いいぼやき節だ。

「無限の快楽 書物と人生」という随筆を読み、「周五郎流の読書こそ自分の歩むべき道だ」と目の前がぱっと明るくなった気分になる。

《私の読書は無系統で乱脈で、まったくもう(妄)読というにひとしいが、学者になるわけではないから、好きなものを読むという自由だけ確保してゆくつもりである。特にこのごろは自分の生涯の「持ち時間」が少なくなりつつあるので、読むにも書くにも、その時間とにらみ合わせるようなぐあいだから、どちらも「好きなもの」を選ぶ、という自由と権利は譲りたくない》

 その日読みたいものを読む。すこし前に自分の「偏り」みたいなものが気になって、もうすこしバランスをとるようにしたほうがいいのではないかと悩んでいた。しかしバランスをとることにエネルギーをつかいすぎて、読みたい本すら読めなくなるのはまちがった生き方といえる。今年やろうとおもってできなかったことがいろいろあるが、気にしないことにする。

2019/12/27

ああ眠い。

 すこし前に西部古書会館で永倉万治著『屋根にのぼれば、吠えたくなって』(毎日新聞社、一九八八年)を買った。角川文庫版は持っていたが、単行本も欲しくなったのだ。帯付の美本だった。二百円。『サンデー毎日』の連載だったんですね。

 永倉万治は一九四八年一月生まれだから、この本が出たころ、四十歳。連載時期は三十代後半だった。
『屋根にのぼれば、吠えたくなって』で一番好きなエッセイは「眠い。ああ眠い。」だ。

《なんでもいい、うんざりするくらい眠って、のん気に暮らしながら、しかもぼう大な仕事をやれる方法があったら知りたい。いやそうじゃないな。仕事はほとんどしないで、楽しく暮らす方法はないか。結局、いつでもそのテーマに降りていってしまう》

 このテーマに関してはわたしも二十代半ばから四半世紀ちかく思索を続けている。裕福な暮らしは望まない。食べていければいい。自分のペースで働いたり、休んだりしたい。ただ、その塩梅というか匙加減というかバランスがむずかしい。
 三十歳のころは四十歳になったら、四十歳のころは五十歳になったら、そういう生活を送れるようになることを望んでいた。
 好きな時間に寝て起きて、気が向いたときにちょこちょこっと仕事して、夜は近所の飲み屋に行って、眠くなったら寝る。そんなかんじで生きていけないものかと……。

 ほかにも永倉万治は「眠ること」や「休むこと」をテーマにしたエッセイを何本か書いている。

 睡眠と休息は、エッセイにおいて重要なテーマである。今日わたしはそのことを確信した。

2019/12/20

独居と余生

 昨晩、飲みすぎ。起きたら午後三時。冬至が近いせいか、夕方四時すぎで、すでに外が薄暗い。久しぶりに丸の内の丸善に行く。中野駅まで歩き、東京メトロ東西線——電車の車内の半分近くの人がマスクをしている。風邪、流行っているのか。車中、都築響一著『独居老人スタイル』(ちくま文庫)の川崎ゆきおのところを熟読する。

《派手に売れたことがないからな。落ちても気楽なもんやで(笑)》

「タバコ代と喫茶店代、それをキープできとったら、なんとか」というふっきれ方が清々しい。
「独居」に焦点を当てているのだが、「老人」と呼ばれる年齢になるまで歌を唄ったり、絵を描いたり、勝手気ままに好きなことを続けてきた人たちの暮らしぶりは、正直、羨ましい。同時に、家賃問題を考えさせられてしまう(この本に登場する独居老人は実家住まいの人が多い)。
 家賃のこともそうだが、とにかく支出が少ない。お金をほとんどつかわないから、そんなに働く必要がない。だから時間がたっぷりある。その時間を存分につかって、他人の評価に左右されない創作(表現)に打ち込む。
 創作の欲求はあっても、(おそらく)作品を多くの人に知ってほしい、共感してほしい——というような欲求がない。
 そうなれたら楽なのだろうか、それとも……。

 そんな考え事をしているうちに大手町駅へ。丸の内オアゾの水山で水山ちゃんぽんうどんを食べるつもりが閉店していた。

2019/12/09

貼るカイロ生活

 十二月、腰に貼るカイロの日々。木曜日、昼すぎ散歩に出かけたら、西部古書会館で歳末赤札古本市が開催中だった。コンビニのコーヒーを買って帰ろうとおもって家を出たくらいの気楽な散歩だったから、財布の中に二千円ほどしかなく、欲しい本がいっぱいあったが、抑え気味に古書会館を後にした。
 井出孫六の『峠 はるかなる語り部』(白水社、一九八四年)は収穫だった。『歴史紀行 峠をあるく』(ちくま文庫、一九八七年)も面白かったが、『峠』はそれ以上によかった。

《北国街道と別れて、中山道は追分の先で西に向うが、その辺りから和田峠にいたる沿道には、小田井、八幡、望月、芦田など随所に旧い宿場のおもかげがとどめられており、わたしの好きな道だ》

 井出孫六は信州の佐久盆地の出身である。佐久市は宿場町がたくさんある。子どものころから街道になじんできた。

 ほかにも『日本百名峠』(桐原書店、一九八二年)など、七〇年代後半から峠を攻めている。井出孫六は自腹、もしくは何か他の仕事のついでに峠を取材していた。見習わねば。

 土曜日、再び古書会館。三月書房の福原麟太郎の随筆集などを買う。福原麟太郎の随筆集は本のあいだにスクラップやハガキ、図書申込書などがはさまっていた(個人情報だだ漏れ)。

 萩原恭次郎の『死刑宣告』の復刻本も木曜日に古書会館で見かけていて、残っていたらほしいとおもっていた。残っていたので買った。デザインがすごい。

 仕事の合間、板倉梓の『タオの城』(芳文社コミックス)を読んでいたら、ヒロインが「あたしミルクティが飲みたいわ タピオカ入りの」というセリフがあった。二〇一二年の作品なのだ。天才か。

2019/12/04

年譜の話

 十二月になった。けっこう暖かい。一日の半分くらいはコタツで仕事か読書という日々を過ごしているが、電源はほとんど切ったままだ。

 講談社文芸文庫の木山捷平の年譜であることを調べていたら、自分の記憶に残っていた記述が見つからない。同じ文芸文庫の『落葉・回転窓』の年譜を見たら、あった。

《一九五六年(昭和三一年)五二歳
 囲碁を始め、生涯の趣味となる》

『木山捷平全詩集』の年譜には、この囲碁に関する一文がなく、その年発表した作品(「耳学問」など)のことや山梨県の増富鉱泉に行ったことが記されている。
 こうした「小発見」はちょっと嬉しくなる。
 今回あらためて木山捷平の年譜を見てみると、五十二歳以降に小説の代表作を書いていることがわかった。

 囲碁の効果なのか。

 五十代になって「生涯の趣味」をはじめるのもわるくない。