2014/12/30

回復

 ようやく疲れがとれた。今さらながら、健康だと酒とコーヒーがうまい。ここ数日、胃の調子がわるく、三日くらいコーヒーを飲んでいなかった。

 一日の半分くらい横になっていたので当然ながら万年床状態。五日ぶりに布団をあげて、部屋の換気と掃除をする。

 掃除をしながら、綾小路きみまろと香取慎吾の番組の再放送を観て(聴いて?)、今さらながら、綾小路きみまろはすごいなとおもった。
 番組中、「まろ」と名のっていた三十代後半の映像が流れていたのだが、話し方も中高年いじりも現在のスタイルとほとんど変わらない。本人は「余裕がない」と卑下していたが、当時から話術はすごかった。
 ただし、見た目が若いので、中高年をバカにしているだけの生意気な芸風におもわれていたのではないか。現在の綾小路きみまろと比べると、雰囲気もやや暗い。
 五十歳すぎてブレイクしたのは、年齢(見かけ)とネタがようやくなじんだこと、あと自分がカツラであることをネタにできるようになったのも大きい気がする。毒舌はまず自分に向けるべし。いつか何かの役に立ちそうな教訓を得る。

 数日ぶりに古雑誌の整理をするため仕事部屋に行くと、玄関の鍵がかかってなくて、ドアが全開になっていた(古いドアで鍵がかかりにくく、閉め忘れると勝手に開いてしまう)。幸い、モノ(といっても古本しか置いていないのだが)を盗られた形跡はなかった。安心……していいのかどうか。また寝込みそうになる。

2014/12/29

安静の日々

 二十五日で今年の仕事は終わって気がゆるんだせいか、軽い腰痛になってしまい、毎日十二時間くらい寝ている。寝すぎてからだがだるい。

 紀伊國屋書店のPR誌『scripta』の連載「中年の本棚」は「プロ棋士の“四十歳本”」を書きました。

 トマソン社『BOOK5』(vol.15)の特集は「楽しいサッカー」。わたしはニック・ホーンビィの『ぼくのプレミア・ライフ』(新潮文庫)を紹介しています。原稿を書き終わったあと、この作品が原作の映画(イギリス版、アメリカ版)のDVDも観た。アメリカ版は、サッカーではなく、野球ファンの話だった。

 先週から今週にかけて大崎善生著『将棋の子』(講談社文庫)を読んでいた。単行本が出た二〇〇一年以来の再読。プロ棋士を目指しながら、その夢がかなわなかった奨励会退会者たちの話である。

 ある時期までは順調に昇級、昇段していっても、どこかで停滞してしまう。そこから再び勝ちはじめる人もいれば、伸びが止まってしまう人もいる。

《客観的には踊り場ですむのかもしれない。しかし、当の本人たちにしてみれば、それではすまされない。踊り場の先にある昇りの階段は誰にも見ることはできないのだし、そしてその先にあるのが下りの階段ではないとは、誰にも言いきることはできないのである》

 その不安から酒やギャンブルに逃げてしまう奨励会の若者もいる。

 奨励会は二十一歳までに初段、二十六歳までに四段(プロ入り)にならないと退会しないといけない(厳密には、二十六歳以降も三段リーグで勝ち越せば満二十九歳を迎えるリーグ終了まで在籍可)。三段リーグは上位二名が四段、また次点を二回獲得すれば、フリークラスの四段に昇段できる。

 今年(二〇一四年)は奨励会の三段リーグは最終日までもつれにもつれた。同じ勝ち数なら順位が上の人が昇段する。残り三局であと一勝すれば四段になれた二十五歳の棋士が三連敗という波乱もあった。

 話はかわるけど、三十日に年末恒例(?)の「プロ野球戦力外通告 クビを宣告された男達」(TBS)が放映される。

■5人の幼い子供をもつ一家の大黒柱が突然無職に…。
 かけがえのない家族の未来を背負い、運命のマウンドへ上がる。

■結婚式を1ヶ月後に控えた男がクビ宣告。
 そんな男を励まし、支え続けたのは将来を約束した妻だった。
 彼女が流した涙の訳とは…。

■28歳…働き盛りで突然職を失った。
 “プロ野球選手”に返り咲こうとする男に訪れた予想外の結末とは!?

 番組予告の見出しだけでも泣きそうだ。

2014/12/20

バカになったか、日本人

 数日前から台所の室温が十度切るようになった。寝起き、からだが動かない。背中とおなかにカイロを貼り、葛根湯を飲み、ほうほうのていで活動している。この時期からカイロを二枚つかうのは、どうかとおもいつつも、つい温かさを求めてしまった。
 人と喋ってなかったら電話で声が出なくなった。ちょっとまずい。毎年のことだが(自分比で)ふだんできることができなくなり、気分も滅入りがちになる。しかし毎年のことなので、なんとかなるだろうとおもうようにしている。

 半病人のような状態で橋本治著『バカになったか、日本人』(集英社)を読んだ。

《経済成長を第一に考える人達は、「ペイしない地方のことなんかどうでもいいじゃないか」になってしまうし、都市に住んでそれほど生活に満足していない人達だって、「田舎に金をやるくらいなら、俺達をなんとかしろよ」と思う。既に東京への一極集中が顕著になっているのなら、「富を地方に分散する」もむずかしいでしょう。バブルの時代にそれはやったけれど、「地方」は再生しなかったし、今やそれをやる余分な金もない》

 橋本治は『貧乏は正しい!』(小学館文庫、全五巻)のころからずっとこの問題について論じているのだが、ここ数年、地方が疲弊して、二進も三進もいかなくなったことで、かつてのようなよそ者の排除する空気も変わってきたのではないか。
 すこし前に伊藤洋志×pha著『フルサトをつくる 帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方』(東京書籍)という本を読んだのだが、彼らはそのあたりの変化に言及している。経済以外の価値観で地方の再生にとりくんでいる。

《「経済とはマネーの交換だけじゃない、とにかく何かが交換されればそれは経済が生まれたと言ってもよいのではないか」ということだ。(中略)地域経済活性を「お金を落としてもらう」とか、そういう意識で捉えている人は、はっきり言ってズレている》(「仕事をつくる」——「頼みごと」をつくる/『フルサトをつくる』)

『バカになったか、日本人』では、原発についての発言も印象に残った。

《経済成長促進派は「それでも——」という簡単な接続詞一つで原発の再稼働を考えるし、なにも考えない人は、なにがあってもピンと来ない》(『バカになったか、日本人』)

 橋本治は地方の経済や原発について、賛否を問う以前に、議論の仕方のおかしさに疑問を投げかけているようにおもう。
 地方のことも原発のこともTPPのことも、大雑把に“争点”が作られ、「賛成か反対か」という話になる。むずかしいことはわからない、簡単に説明して、一言でいって。
 郵政民営化の選挙のころから、どんどんそういう傾向になっている(もっと前からもそうだったかもしれない)。

 今、日本のあちこちで起きている問題は、個人の手に負えないくらい複雑で厄介なことになっている。
 行くところまでいって、ほんとうにどうにもならなくなるまで、変化を望まない人たちがいる。多少、自分が損をすることになっても、どうにかしたいとおもう人は、たぶん少数派だ。

 だからこそ、少数派はいろんな形で発言していく必要がある。それ以前に、発言しやすい雰囲気を作ることも大事なことだろう。わたしも「何をいっても無駄」とおもいがちで、何の専門家でもない貧乏ライターという立場で社会にたいして発言することに徒労感をおぼえる。でも、たぶん、そうおもってしまう、おもわされてしまうことはよくない。考える人、行動する人を増やす。増やすだけでなく、そういう人たちを封じ込めようとする雰囲気に抵抗していくこと。

 どうすればいいのかという話はいずれまた。

2014/12/12

ストーナー

 今月の『本の雑誌』(二〇一五年一月号)は、マイケル・ルイス著『フラッシュ・ボーイズ』(文藝春秋)、ジョン・ウィリアムズ著『ストーナー』(作品社)をとりあげた。どちらも東江一紀訳です。

『ストーナー』はここ数年読んだ海外文学の中でもベストかもしれない。ベスト云々を語れるほど、海外の小説を読んでいないのだけど、『ストーナー』を読むと、まちがいなく小説でしか味わえないものがあるとあらためておもう。一九六〇年代に発表されたが、ほとんど売れず、しばらくアメリカでも忘れられていた作品らしい。

 小説をあまり読まなくなったのは、小説を探す力が衰えてきたせいもある。切実に文学を読む気持が弱っている。『ストーナー』のような小説はしょっちゅう読みたい小説ではない。しょっちゅう読んでいたら身がもたない。そのくらい打ちのめされた。

 貧しい農家の家に生まれ、苦学して大学に通い、そして文学に出あい、学問の喜びを知る。
 しかし希望していた仕事についても、好きになった女性と結ばれても、子どもが生まれても「その先」がある。幸せになったかとおもうと、前途多難な境遇に陥る。一難去ってまた一難。夢や目標が実現すれば、ハッピーエンドになるわけではない。夢や目標をかなえるよりも、「その先」の生活を続けていくことのほうが、はるかにむずかしいのだ。

『ストーナー』は「その先」を一切省略しない。どの頁も読み飛ばすことができない。だから読んでいてヘトヘトになる。でも、そのあとに押し寄せてくる読書の充足感はこれまで味わったことのない快楽があった。

 わたしが読みたかったのは「その先」の物語だったことに気づいた。

(追記)
 その後、楡井浩一名義の本を担当していた飲み友だちの塚田さんに誘われ、東江一紀さんをしのぶ会に出席した(たぶん東江さんと面識のない参加者はわたしだけだったとおもう)。
 病床でときどき意識が朦朧とした状態になりながらも『ストーナー』を丹念に訳していたという話を聞いた。

2014/12/05

年末進行中

 年末進行はあと十日くらい。それが終わったら、三月中旬くらいまで、すこしのんびりする予定。腰痛と風邪に注意することを最優先課題として、きっちり休養をとる。

 ここ数年、冬にあまり仕事をしないようになって、三月~十一月くらいの九ヶ月が、わりと調子よくすごせるようになった。寒いのがものすごく苦手で、ほかの季節と比べても冬は疲れやすい。

 腰痛予防は、からだ(とくに下半身)を冷やさないこと、疲れをためないこと、適度な運動の三点。今年もすこし危ない時期があったのだが、なんとかこのまま乗りきりたい。

 渡辺京二、津田塾大学三砂ちづるゼミ著『女子学生、渡辺京二に会いに行く』が文春文庫にはいった。
 単行本(亜紀書房)が刊行されたとき、会う人会う人にすすめまくった本だ。『本の雑誌』の連載でも紹介した。
 ノート風の矢萩多聞の装丁もよかった。

 時間ができたら、佐藤正午著『鳩の撃退法』(上下巻、小学館)も読みたい。

 ライターの仕事をはじめて、最初の十年くらいは、年末進行のたびに体調がガタガタになった。そんなに仕事をしていたわけではないのだが、逆にふだんあまりペース配分を考えていなかったせいで、余計な焦りを生んでいた気がする。

 当時の自分にアドバイスするなら「睡眠をきっちりとれ」といいたい。経験上、休息をとりながら書いたほうがかえって捗る。

 昔から「作家になるには」といったかんじの本をけっこう読んできたのだが、海外の作家には「毎日、書く時間と書く枚数を決めている」という人が多い。
 最初は半信半疑だったが、わたしもだいたい同じ時間(深夜一時)から、書きはじめることにした。そうすると、だんだん自分の決めた時間が近づくにつれ、集中力も高まり、その日の目標の枚数に達することが増えてきた。

 出来不出来よりも「何時から何時までに何枚書く」というふうに目標を切り替えたことで、肩の力が抜けるようになったのも大きい。

 以前は水割三杯までなら仕事に差し支えなかったのが、最近は飲むと眠くなる。

 来年になったら生活を改善するつもりだ。

2014/11/29

『仕事文脈』と『半農半X』

……なるべく悲観せずにすむ未来も考えたい。

 と、書いた翌日、『仕事文脈』の最新号が届いた。この号の特集は「大きい仕事、小さい仕事」。ほんとうに楽しみな雑誌だ。とくに佐野和哉さんの「無職の父と、田舎の未来について」という連載は毎号読ませる。トマソン社が広告を出していた。

 わたしはそれほど裕福な暮らしを望んでいるわけではなく、ほどほどに働いて、好きなことをして生きていきたい。それがむずかしいといえば、むずかしいのだけど、わたしの希望はそれに尽きる。

 働き方の多様性——いや、そんな大げさな話ではなく、自分に合った仕事のしかたを考えることが、暮らしやすさ、生きやすさにつながるのではないか。『仕事文脈』のテーマは一言ではまとめることはできないけれど、ちょっとやる気のない人向けの仕事雑誌ではないかとおもっている。ちがっていたら、すみません。

 ひとつの会社を定年まで勤めて、その後は年金で悠々自適の暮らしを送るというような人生設計は今さら望んでもしかたがない。
 生涯ひとつの仕事だけをやり通すことも簡単ではない。
 うまくいかないこともふくめて、もうすこしゆるく、幅広く仕事を考えていきたい。

 すこし前に読んだ塩見直紀著『半農半Xという生き方 決定版』(ちくま文庫)は、そういう意味でも大きなヒントをもらった。「半農」の部分、自分が農業に向いているかどうかは、やったことがないのでわからない。「半農半X」は、農業を基本に「X」で自分の好きなことをやるというような趣旨なのだけど、「半X半Y」と考えて、「X」と「Y」はそれぞれ「できること」「やりたいこと」を代入することもできそうだ。

 半分ずつである必要もなく、自分の仕事を三分割、四分割していくという方法もあるとおもう。

 不景気とか、人口が減るとか、過疎化とか、そういうこともけっこう考えてはいるのだけど、あまりにも問題が大きすぎて、途方に暮れてしまう。
 とりえあず、近所付き合いを大事にするとか、無駄な出費を見直すとか、なるべく不機嫌を抑えるとか、そんなところからはじめようかとおもっている。

2014/11/28

四十五歳

 今月、四十五歳になった。
 年々一週間にできることが減っている気がする。一日働くと次の日何もする気になれず、一日遊ぶと次の日仕事をする気になれない。
 次の日のための余力を残しながら、仕事をして酒を飲む。それが当たり前といえば、当たり前なのかもしれないが、これまでの生き方をすこしずつ調整しないといけない。

 二十代のころは(四十歳くらいまで)自分の住みたい町で暮らし、好きなだけ本が読めたら、それでいいとおもっていた。その願いはかなったといってもいい。

 上京して二十五年になる。これまでの二十五年は世の中は不景気といわれる期間が長かった。でも食うに困るほどの貧しさは経験せずにすんだ。
 お金がなければないでそれなりに暮らす術も身につけた。

 この先、日本の人口が減って、二十五年後くらいには、いくつか自治体が消滅するという予想がある。もしそうした状況になれば、これまで通りの暮らし方、生き方ができない人が増えていくだろう。その兆候は、すでに現れている。
 頭の中では、困った人間同士が助け合ってどうにか暮らしていく世の中を夢見ているが、わたしの場合、自分が困った境遇に陥ってしまうと、人助けをする余力を失う可能性が高い。

 余力があるうちに、次の一手を考えておきたい。

 なるべく悲観せずにすむ未来も考えたい。

2014/11/20

雑感

 時間がほしい。
 最近よくそうおもう。何かしたいというわけではなく、ただただのんびりするための時間がほしい。
 一日あるいは一週間という時間が細切れになって、それがだらだら続いているかんじがする。

 塩見直紀著『半農半Xという生き方 決定版』(ちくま文庫)を読む。読みながら思案にふけったが、今はまとまった感想を書く余裕ない。単行本は二〇〇三年にソニー・マガジンズから出ている。十年ちょっと前の本だが、古びていないどころか、今こそ読まれるべき内容だとおもう。すこし前にこのブログで「半農半筆」という言葉をつかったのだが、この本のことは知らなかった。

「半農半X」の「X」にあたる部分は人によってちがう。

 今月四十五歳になる。ここのところ東京での生活をこの先どれくらい続けられるのかとよく考える。実行するかどうかは別にして、いくつか選択肢を増やしておきたい。最近、農業や釣りに興味を持ちはじめたのもそのことと無関係ではない。

 話は変わるけど、『フライの雑誌』の最新号(103号)が出た。特集は「すぐそこの島へ」。頁をめくるのがこんなにワクワクするのは久しぶりだ。

 行き詰まってくると、いつも島に行きたくなる。行き先は決めていないのだが、なぜか瀬戸内海だ。島に行って、とくに何もしない。そんな時間に憧れる。
 特集ではないが、この号でわたしも福田蘭童と石橋エータロー親子の釣りの話を書いた。わたしは釣りはほとんどしていないのに、フライの雑誌社の本が好きになった。
 とにかく釣りに人生を捧げる人たちの言葉が眩しかった。この雑誌を読むと、まだまだ自分は好きなことにたいするのめりこみ方が甘いなあという気持になる。
 それから上州屋八王子店で「フライの雑誌社フェア」(11月15日〜30日)が開催中です。これは行きたい。

2014/11/12

阿佐ケ谷の釣り堀

 火曜日、午前中に起床(睡眠時間がズレている)。
 午後二時から阿佐ケ谷の釣り堀(寿々木園)に行く。『フライの雑誌』の堀内さん、フリー編集者の塚田さんといっしょに。

 寒い。この秋、初の貼るカイロ。途中、雨が降ってくる。
 鯉と金魚の池があって、今回は金魚のほう。一時間六百円。
 堀内さんは話をしながら、どんどん釣る。一時間で二〇匹くらい釣っていた。塚田さんも四、五匹か。わたしは……一匹。金魚釣り、むずかしい。

 それでも平日の午後にぼーっと座って釣りをするというのは贅沢な時間におもえた。

 そのあと喫茶店に行って飲み屋を二軒ハシゴ。

 月に一日くらい、釣りの時間があってもいい。それではうまくならないことはわかっているのだが、今はただ水辺でぼーっとするだけでもいいとおもっている。小さな釣り竿を持って、小さな旅ができたらともおもっている。

2014/11/11

カレーと仕事

 先週末から、家にこもって仕事をしなければいけない状況になったので、カレーを作る。おなかが空いたら、すぐ食って、すぐ仕事だ。カレーを食って、コーヒーを飲んで、ひたすら仕事をする。

 日曜日は、十二球団合同トライアウトもあるので、仕事をしながら、その経過を追う。数時間ロス。しかし、気になるものは仕方がない。

 何度か終わらないかもしれないという不安がよぎりつつ、どうにかこうにか原稿を書き上げる。

 ライターの仕事は、週末と週明けにしめきりが集中する(わたしの場合)。週末のしめきりが間に合わなくて、週明けになることも多い。週末のしめきりが週明けになると、もともと週明けのしめきりにしわ寄せがくる。しわ寄せを防ぐ最善策は、週末のしめきりは週末で片づけることだ。週明けのしめきりを週中にズラすと、休みの日がなくなり、身も心もくたくたになる。
 そうすると次の週末のしめきりに支障が出る。だから、次善策は、週末の仕事と週明けの仕事を一気に全部片づけることだ。

 今回は次善策を採用し、カレーを食いすぎた。

 月曜日、久々に荻窪のささま書店に行く。天野忠『動物園の珍しい動物』(編集工房ノア、一九八九年刊)、山下洋輔『セッション・トーク』(冬樹社、一九七九年刊)などを買う。『セッション・トーク』は対談集だが、景山正夫の写真の頁は紙質がちがう。

 カレー以外のものが食いたくなり、荻窪駅前でたこ焼を買う。

『BOOK 5』の最新号「特集 名画座で、楽しむ。名画座を、愉しむ。」を読む。わたしも前号から「スポーツ本」の連載(イラストは松田友泉)をしている。この号では石井一久著『ゆるキャラのすすめ。』(幻冬舎)を紹介した。

2014/11/06

外来魚のレシピ

 長野で稲刈りを手伝ったとき、米といっしょに大量に栗をもらった。米を炊くたびに栗ごはんを作っていたら、太った。栄養あるんだな、栗。

 九月末に上京した藤井豊さんも一ヶ月滞在し、岡山に帰る。

 先週は何日か古本まつりの神保町をぶらぶらした。三十代のころ、生活を切りつめながら買った本がことごとく安くなっている。古山高麗雄の署名本を何冊も見かけた。
 生活が落ち着いている時期(当社比)は、息抜きの読書が増える傾向がある。

 すこし前に出た新刊だけど、平坂寛著『外来魚のレシピ 捕って、さばいて、食ってみた』(地人書館)は、想像以上におもしろかった。エンタメノンフィクション系といってもいいかもしれない。カミツキガメやアリゲーターガーも捕まえて料理する。からだを張りながら綴った文章の熱量がすごい。著者略歴を見たら、一九八五年生まれ——いろいろな意味でうらやましい。

《釣ってやる! 餌は俺の指だ!》

《もう釣り竿すら要らん!》

《逃がす? 飼う? 否、食べる!》

 人類と魚類の異種格闘技を見ているかのような気分にさせられる本だ。

 楽な生活より、おもしろいことに夢中になっている生活のほうが楽しい。釣りの本を読みはじめて、釣りがしたくなったのは、釣り界って変人がいっぱいいて、楽しそうだなとおもったからである。

 部屋にこもって本ばかり読む生活をすこし変えたい。月に一回くらい行ったことのない場所に行って、海や川でぼーっとしたい。できれば、寒がりも克服したい。

2014/11/05

ストーブリーグ

 腰痛の兆候はやや緩和。部屋の掃除、新聞雑誌のスクラップをする。
 寒くなってきたので、休み休み働くつもり。

 プロ野球のストーブリーグの季節に入って、誰に頼まれたわけでもないのに情報収集に励んでいる。何でこんなことをやっているのかと二百回くらいおもったことがあるがやめられない。FAと戦力外の情報を追いかけると、ひいき球団以外の選手の話をいろいろ知ることができて、何の役に立つのかはわからないが、楽しくて仕方がない。

 数年前にドラフトで入団した選手がほとんど一軍に上がらないまま、戦力外になる。
 今年、戦力外になった選手の中にも、ドラフトのとき、将来有望とおもった選手が何人もいた。というか、プロになるくらいだから、みんな、アマチュアのトップクラスの選手ですごいに決まっている。でもその後の明暗は、ずっと野球を観ていても、わからない。助っ人外人の当たり外れとかも……。

 調子のいいときに一軍に呼ばれなかったり、チーム事情で別のポジションを守ることになっておもうような結果を出せなかったり、やっとレギュラーに手が届きそうになったところでケガをしたり、FAで大物選手が入団してはじきだされたり、運も実力も何でもありの世界だ。

 二軍で同じくらいの成績にもかかわらず、戦力外になる選手とならない選手がいる。
 これまでの実績や人気、年齢、年俸、ドラフトの順位、選手の出身校も左右する。
 あまりにも簡単に選手を切れば、高校や大学、社会人のチームとの関係が悪化する。

 昔は、ドラフト下位でプロに入って、高卒なら五年、大卒なら三年くらいで結果を出せないとダメだといわれていた。今はもっと早くなっている。どの球団も即戦力志向、わるくいえば、使い捨て志向になっている。この厳しさは今の世の中の厳しさとも通じている。

 引退後、解説者、コーチ、あるいは球団職員として残ることができるのは、ごく一部の選手である。中には、現役時代に、たいした成績ではなくても、コーチやスタッフとして球団に残れる人もいる。これもよくわからない。選手と指導者の才能は別ともおもわれるけど、引退後の進路は人気や人望(人間性)も大きな要素になるだろう。生え抜きと移籍してきた選手でもちがう。

 戦力外になった選手やFAの人的保障(プロテクトした二十八名以外の選手)になる選手にしても、チームが変われば、活躍する可能性かもしれない。
 問題は、打率二割五分くらいで守備も走塁もそこそこ、バックアップにはいいけど、レギュラーはきびしいという選手である。まだ若ければ伸びしろに期待できるが、二十代後半、三十歳すぎると、やはりプロテクト枠から外されてしまうことも多い。
 野球の話ではあるが、フリーランスの世界でも、器用貧乏タイプは年齢とともにきびしくなる。そこから抜け出すためには、何かしらの技術なり専門なりを特化させるしかないのだが、それが簡単にできれば、苦労しない。簡単にはできないことに挑戦して、苦労するしかないともいえる。

「大きなケガをせず、シーズン無事に」といえるのは、レギュラーを(ほぼ)確約された選手のみで、一・五軍、二軍の選手はケガを怖れていては怠慢プレーと判断されかねない。しかし無理してケガすれば、選手生命を縮めることにもなるから、時には、頑張っているフリをするくらいの要領のよさも必要なのかもしれない。

 これから頑張ります。

2014/10/28

海街diary

 先週コタツ布団を出した。朝方はすこし冷える。
 コタツといえば、腰痛。毎年、コタツの季節になると、腰痛の兆候の二、三歩手前くらいのピリっとした痛みをおぼえる。
 昨日も原稿を書いたり、インターネットでプロ野球のドラフトと戦力外情報を追いかけたりして、ずっと座りっぱなしで、立ち上がった瞬間、いやな予感がした。すぐ薬を飲んで、安静。なんとか事なきを得た……はず。散歩しよう。

 布団にひきこもって、吉田秋生の『海街diary 6 四月になれば彼女は』(小学館)を読む。キンドル版が出るのが待ち遠しかった。

 この作品は川本三郎著『時には漫画の話を』(小学館クリエイティブ)で知った。川本さんは「近年でもっとも好きな漫画」と絶讃している。

《全体にチェーホフの『三人姉妹』やオルコットの『若草物語』の現代版の趣がある》

『フライの雑誌』を読むようになって、近々、釣りをはじめようと決意(来月、釣り竿を買う予定)。本を読んでいても、やたら「釣り」という言葉に反応してしまう。『海街diary』の四姉妹の三女千佳が、鎌倉のスポーツ用品店で働いていて釣り好きという設定だ。

 ちなみに、長女は看護師、次女は地元の信用金庫、末っ子(姉たちとは母親はちがう)は中学生で女子サッカーの選手である。

 二巻で千佳は『月刊へら王』という雑誌を読みながら「よっしゃ! このタイミングか!」と釣り竿をふっている。

 最新刊で四姉妹は金沢(四女すずの亡くなった母の郷里)を訪れるのだが、そこでも千佳は観光そっちのけで加賀毛針(鮎毛針)を買いに行くシーンがある。彼女たちの亡くなった父も渓流釣りが趣味だった。

 すこし前まではこういうシーンをなんとなく読み飛ばしていたかもしれない。わたしはずっと作者の意図みたいなものを探るような読み方ばかりしていた。興味や関心事が増えると読み方も変わってくる。

 登場人物の仕事ぶりや職業観、家族模様……。メインからサブまで、ここまで緻密な人物造形がほどこされた群像劇は、そうはない。ストーリーだけでなく、細部のおもしろさが、作品のふくらみになっている。

 長女の幸が勤めている病院で緩和ケアの仕事に就くのだが、このあたりの話も東京ベンチの砂金さんと会ってなかったら、そんなにピンとこなかったとおもう。

2014/10/21

原点回帰と進化

 10月12日(日)、高円寺ペンギンハウスで「ノラペンギンの夜」、10月13日(月・祝)、吉祥寺JBでオグラ文化祭、10月19日(日)、中央林間のパラダイス本舗で東京ローカル・ホンクのライブを見た。

 先月末から岡山から藤井豊さん、中旬は京都から東賢次郎さんが上京し、仕事部屋で合宿状態だった。東さんはペンギンハウスにはバンドのつれ・づれで出演し、滞在中、連日ペリカン時代で飲んでいた。

 とはいえ、この間、しめきり続きで、節酒……していたことになっている。寝ている時間と飲んでいる時間以外の大半は仕事をしていた(自己新記録を更新するくらいの仕事量だったのです)。

 昔、出版関係の仕事をしている先輩が、「四十代は目先のことばかりやっているうちに、あっという間に十年くらいすぎてしまう」といっていた。その話を聞いたときは、まだわたしは三十代の前半くらいで「目先の仕事でも何でもいいからほしい」とおもっていた。今はよくわかる。

 かけだしのころと比べれば、多少は効率よく仕事ができるようになったのだが、一本一本の仕事をしたあとの疲れがちがう。休み休みやっているつもりでも、あんまり休んだ気にならない。

 自分の中で、オグラさんの「次の迷路へ」の「見つからないものを探しに」という詩、東京ローカル・ホンクの「夜明け前」の「もっとちがう何か」という詩も深く胸に残っていた。

 この曲を作ったあと、ふたりは次にどんな曲を作るのだろう。

 オグラさんの新曲「船乗りマイペ」は、音楽をはじめたころの感性と熟練の職人技を合わせて作ったような見事としかいいようのない曲だった。曲の出だしから「そうきたかー」とふるえた。バカバカしくて、おもしろくて、かっこいい、ごった煮の音楽。

 東京ローカル・ホンクの新曲「遅刻します」も、まだ見ぬ世界を見に行こうというようなおもいがこめられていて、今の自分のもやのかかった視界がひらける気分を味わった。木下弦二節としかいいようがない曲だった。

 ミュージシャンは、原点回帰しながら進化する。たぶん、すごく大きなものを受けとった気がするのだが、しばらくは消化できそうにない。

2014/10/12

マイケル・ルイスの新刊

 先週は新宿のベルクで藤井さんの写真展を観て、今週はステーキハウスKYOYAで肉を食った。うまかったし、居心地もいい。途中から白ワインを飲み続け、ふつうに飲み屋にいる気分になった。ラーメンとうどん以外の外食は久しぶりだった。
 毎日、飲んだり本を読んだり仕事したりしている。仕事がつまってくると、部屋にこもがちになるのだが、なるべくいつもどおり散歩や家事をしたほうがいい。そうしたほうがよく眠れるし、その結果、仕事もはかどる。

 文藝春秋のマイケル・ルイスの新刊が気になるのだが、その前に何冊か仕事に関係する本を読まないといけない。といいつつ、結局、『フラッシュ・ボーイズ 10億分の1秒の男たち』(渡会圭子、東江一紀訳、文藝春秋)を読んでしまった。我慢できなかった。我慢できるわけがない。

『フラッシュ・ボーイズ』は、投資の世界で繰り広げられていた、ミリ秒、マイクロ秒といった単位の速度で売買情報を察知する超高速取引業者たちのカラクリを暴いていくノンフィクションである。マイケル・ルイスは『マネー・ボール』が有名だけど、『フラッシュ・ボーイズ』も難攻不落のようにおもえるシステムに変化を起こす個人(変わり者やはみだし者)を描いていて、金融や株の話がわからないのに、おもしろい(いちおう、九〇年代には経済系の業界紙の仕事をしていたのですが……)。

 読んでいる最中から、これはまちがいなく映画化されるだろうとおもった。日系人のブラッド・カツヤマ役は誰がやるのだろう。すでに『HEROS ヒーローズ』でヒロ・ナカムラの役のマシ・オカにオファーがいっているのではないか。ハマリ役だとおもう。

……と、ここまで書いて、訳者あとがきで、東江一紀が今年六月に亡くなっていたことを知った。別名義は楡井浩一。ジャレド・ダイヤモンド著『文明崩壊』(上下巻、草思社文庫)やビル・ブライソン著『人類が知っていることすべての短い歴史』(NHK出版)の訳者でもある。

 東江一紀のノンフィクション系の翻訳を愛読していた身としては、あとがきを読んで、呆然となって、飲んでいる場合ではなかったのだけど、ペリカン時代に飲みに行くことにした。
 しばらく飲んでいたら、先日、長野でお世話になった書店員兼編集者の塚田さんも来て、『フラッシュ・ボーイズ』の話になって、「アガリエさんの担当だったことがある」という。すごく面倒見のいい人で、若い翻訳者からも慕われていたそうだ。酔っぱらっていたけど、わたしが東江訳のノンフィクションをどれだけ好きだったかという話をして帰ってきた。

2014/10/02

『僕、馬』展その他

 岡山から写真家の藤井豊さんが上京し、ペリカン時代で飲む。『瑣末事研究』の福田さん、長野でお世話になった塚田さんと地方の話をする。
 新宿ベルクで藤井さんの「僕、馬 I am a HORSE」の写真展が開催中。
 期間は十月一日(水)〜三十一日(金) 7:00〜23:00

 住所:新宿区新宿3-38-1 ルミネエストB1(JR新宿駅東口改札20秒)

 昨日は飲みすぎた。藤井さんが帰ったあとも午前三時まで……時間の感覚がおかしくなっている。

 十月中旬くらいに行きたいライブがいくつかある。そのあたりにしめきりが重なっている。今からすこしずつやっておけばいいのだが、直前になってバタバタしそうな気がする。

 生活を立て直そうとおもいつつ、どこから手をつけてよいのやらとおもっているうちに、年末とかになりそう。

 旅行中、深沢七郎著『楢山節考/東北の神武たち』(中公文庫)を読んだ。今年生誕百年なんですね。「白笑」「戯曲 楢山節考」ほか、「第一回中央公論新人賞 受賞の言葉」「新人賞選後評」「深沢七郎氏の作品の世界(伊藤整)」「土の匂いのする文学 石坂洋次郎×深沢七郎」「舞台再訪《楢山節考》」なども収録。解説は小山田浩子。

 深沢七郎の本だと『東京のプリンスたち』が入手難なのだけど、復刊の予定はないのだろうか。

 あと新刊ですごいとおもったのは、デイヴィッド・エプスタイン著『スポーツ遺伝子は勝者を決めるか? アスリートの科学』(福典之/監修、川又政治/訳、早川書房)。ここ数年の海外のスポーツノンフィクションでは、まちがいなく屈指の本だとおもう。四百頁くらいあるのだけど、最後まで退屈せずに読めた。一頁も無駄がない。

2014/09/30

長野へ

 日曜日、朝五時半に起きて、長野に。長野は小布施の一箱古本市以来だから三年ぶり。

 書店員兼フリー編集者のTさん……本名でいいか……塚田眞周博さん(後藤明生の電子書籍コレクションなどを作っている)の郷里の田んぼの稲刈りを手伝いに。
 すこし前に「半農半筆」のような生活が理想だといったことを書いたら、「稲刈りしにきませんか」と誘ってくれたのである。

 長野といっても、上田のちかく。いいところだった。稲刈りといっても、わたしが手伝ったのは稲架掛け(はぜかけ)といわれる作業。米を天日干しするために、稲を束ねてひたすら積んでいく。
 親戚の人も来て、作業は昼すぎに終わる。車でちかくの温泉に。入浴料五百円。贅沢。ねずみ大根をしぼった汁にみそをといて食う「おしぼりうどん」もうまかった。

 夕方はしなの鉄道で長野駅に出て、遊歴書房と『街並み』などを刊行しているナノグラフィカを訪ねる。遊歴書房で団地堂をすすめられ、地図に印をつけてもらい、そこで塚田さんの親戚の長野在住のイラストレーターと待ち合わせ。

 あまり時間がないということで、駅前の居酒屋に。そのあとラーメン屋に行って、ハイボールと餃子。塚田さんはガリガリ君サワーを注文していた。
 長い一日だった。長野はまたじっくり散歩してみたい。

 長野市の人口は三十八万人くらいだけど、このくらいの規模の、自然もあって古い町並みが残っている地方都市は暮らしやすそうな気がする。
 たとえば、都心に二時間くらい出てこれる場所(徒歩で生活できる古本屋と飲み屋と喫茶店がある町)を拠点にして、畑(ジャガイモとかネギとか)を作って、にわとりを飼う。余裕があれば、都内に安い部屋を借りて……。
 最近そんなことをよく考える。ただし、候補地が増えてくるにしたがい、しばらくは東京に住んで、ときどき旅行で訪ねるほうがいいのではないかともおもう。

 翌日は午前中に駅まで送ってもらい、上田城跡、小諸の懐古園などに行く。ひとりでぼーっとベンチに座っていたら、年輩の観光客から「写真撮ってください」と声をかけられまくる。
 カフェイン中毒の禁断症状が出てきたので、小諸の喫茶店で珈琲を飲む。小諸は「あの夏で待っている」、上田は「サマーウォーズ」の舞台で、あちこちにアニメのポスターが貼ってある。聖地巡礼に来た人みたいだ。

 小諸から軽井沢に出ると、ちょうど横川駅行きのバスが止まっていたのですぐ乗る。横川は峠の釜飯で有名なところだけど、はじめて降りた。横川から高崎駅。いちど高崎駅の改札を出て「群馬いろは」でうどんやら何やらを買う。

 高崎からは湘南新宿ラインで東京へ。

 現実と向き合わねば。

2014/09/23

休みの日

 日曜日、雑司ケ谷のみちくさ市に行く。これまで副都心線をつかっていたが、JRの目白駅から歩いていくほうが楽だし、安く行けることに気づく。
 野球本を何冊か買って、池袋の往来座に寄る。『詩人 石川善助 そのロマンの系譜』(萬葉堂出版、一九八一年刊)などを買った。帰りはリュックが重くなる。

 石川善助は、仙台出身の詩人。一九〇一年生まれ。職(藤崎呉服店など)を転々とし、二十七歳で上京。生活苦に陥り、三十一歳のときに草野心平の家に移り住む。草野心平の焼鳥屋の手伝いをしていたこともあった。
 一九三二年、電車が通ったときの風によろけて下水に転落して命を落とし、没後、詩集が一冊刊行された。

 わたしは石川善助の詩のよさがよくわからない。でも、友人知人に送っていた手紙はおもしろく読んだ。
 仙台の明治製菓売店で働いていたころ、友人の郡山弘史に宛てて書いた手紙――。

《永い永い間ほんとうに字を書かなかつた。書けなかったのだ。今日も疲れてゐる非常に。(中略)僕は思ふ、僕のくだらない日々の徒労を悲しく思ふ僕の感情と仕事の貴さをわからない社内の人間等が多く如何にあることよ、僕は毎日会社にとまつてゐる、朝は七時から店先のセイリと会計をやる、ひるは雑務(帳面をつけたり、算盤をおいたり)よるは喫茶部へ出て大理石の台の前でコーヒーやレモンテーを出したり、入れたり、新吉の皿皿皿皿の詩があるだろうバケツの中で皿もあらふよ。(中略)でもねむれない、詩を思ふ、友を思ふ、僕を思ふ、僕はいまこの手紙を泣いて書いてゐるのだ、泣いて書いてゐるのだ、兄よ昨年兄とRと僕が一緒に東一番町のカフェーでアイスクリームをたべた時を思ひうかぶのだ》

 行間から、ダメなかんじがにじみでている。愚痴っぽさがすごくいい。そのまま詩になりそうだけど、石川善助の詩は、そういう詩ではなかった。もったいないけど、しかたがない。

 この日の夜は、西荻窪北口のテキーラ専門店フリーダでミックスナッツハウスと金沢のミュージシャン杉野清隆さんのライブ(口笛ふいてやっておいで vol.10)を見た。いいライブだった。酒もうまかった。

2014/09/17

熱海

 十四日、十五日の連休、朝七時に新宿駅からロマンスカーで小田原、それから熱海に。熱海駅のバス停で金谷ヒデユキさんといっしょになり、そのまま熱海港へ。数日前から熱海に来ていた手まわしオルガンのオグラさんたちと合流し、船で初島に行く。

 二十年ぶりくらいに海で泳ぐ。というか、体力が落ちていて、泳げない。水中メガネとシュノーケルと浮輪を借りて、魚の大群を見る。といっても、海に入っていた時間は数十分。あとは岩場で缶のハイボールを飲みながら、ぼーっとしていた。釣り客の姿を見て、もしまた行くことがあったら、釣りをしようとおもった。肌が痛くなるくらいの日焼けする。

 夕方、熱海に戻り、温泉に入って、トランプする。
 翌日、朝から卓球とビリアードをする。動体視力をはかるゲームみたいなのをやったら五十代という判定だった。視野が狭く、端のほうが見えない。
 淡々と書いているが、おもいだすとこれから仕事をするのが、いやになるくらい楽しかった。

 昼すぎにホテルをチェックアウト。熱海のビーチに行く。屋台で焼きそばやビールを買って、ビニールシートを敷いてだらだらと宴会。夜、熱海の花火を見る。花火が降ってきそうなくらい近い。
 花火が終わった瞬間、睡魔に襲われ、ビニールシートの上で寝てしまう。髙瀬きぼりお画伯に揺すられて、自分が寝ていたことに気づく(不機嫌な対応をしてしまったような気がするが、あんまりおぼえていない)。

 この日、東京に帰るつもりだったのだが、飲みすぎて、面倒くさくなって、オグラさんの知り合いの別荘というか仕事部屋みたいなところにお世話になる。
 本がいっぱいある部屋で寝起きにその別荘の持ち主(他界している)の著作を何冊か読んだ。専用の原稿用紙もあった。

 朝、近所を散策する。熱海は坂が多く、曲がりくねった道も多い。道のあちこちから温泉の湯気が出ている。干物を売っている店が多い。ときどき、海が見える。
 おもしろい地形の場所を歩くのは楽しい。海と山が近い場所が好きなのは、祖母がいた伊勢志摩の地形と似ているからかもしれない。
 東京に帰る電車の中、ふと「あと何回くらい海で泳ぐかな」とおもった。花見の季節に「あと何回桜が見れるんだろう」と考えてしまう、あの感覚にちかい。

 自転車の乗り方と泳ぎはいちどおぼえたら忘れないというが、二十年以上、運動らしい運動をしていないと泳げなくなる。

 気持よさそうに海で泳いでいる友人を見て、ちょっと羨ましかった。

2014/09/13

三年半

 一週間があっという間にすぎる。時間が経つのがはやくかんじるというのではなく、一週間という時間の中で「自分はたったこれだけのことしかできないんだ」という気分もある。

 今週、連載の原稿を二本、短い書評を一本書いた。仕事の打ち合わせもした。誇れるような仕事量ではないが、以前と比べれば、これだけずいぶん働いている。そのあいだ、何冊かの詩集と漫画を読み、夜はラジオでプロ野球のナイターを聴いた。二日、外で酒を飲んだ。神保町にも行って、新刊書店と古本屋をまわった。
 食事はほぼ自炊、二日に一度くらいのペースで洗濯もした。ゴミもちゃんと出した。

 そんなかんじで一週間がすぎて、一ヶ月がすぎ、一年がすぎてしまう。

 今年の秋で四十五歳になる。あとどれくらい仕事ができるのだろう。遊べるのだろう。高円寺で暮らせるのだろう。

 東日本大震災から三年半、そして9・11同時多発テロから十三年——。十三年前でさえ、ついこのあいだのことにおもえたり、三年半前がずいぶん昔のことにおもえたりする。

 十三年前といえば、わたしは独身だった。高円寺にいて、今と同じくフリーライターをしていた。
 それからいろいろ本を読んだり、おもしろい人と会ったり、世の中のこともすこしは考えたりしてきたけど、「何もできないわけではないが、できることは限られている」という実感は深まるばかりだ。

 震災後しばらくは都内でさえ、原発事故の影響がどのくらいあるのかわからなかった。
 今でも、確信をもって安全だといいきる自信はない。大きな震災と原発事故が起きても、日本は世界有数の豊かな国であり、治安に関してもかなり恵まれた国である。水や食べ物だって、安全なほうだろう。

 でも今後はわからない。人口が減って、地方の過疎化も進み、今より格差は広がっていくだろう。
 自分の仕事もどうなるかわからない。出版界がどうなるかもわからない。

 ここ数年、わたしが理想の暮らし方としておもいえがいているのは「半農半筆」の生活である。
 半農の「農」の部分は別に「農業」でなくてもいい。収入の半分くらいを別の仕事で稼ぐことができれば、今の仕事が半分になってもどうにかなる。

 逆に収入が半分になるかわりに、仕事の時間も半分になって、残りの時間でいくらでも副業してもかまわないというオプションがあれば、そういう働き方を選ぶ人もいるとおもう。

 ひとつの会社、ひとつの職種をまっとうする(依存する)という道だけでなく、もうすこしいろいろなことをしながら適当に食べていける道があってもいい。

 そのためにはもうすこし「身軽」になる必要もある。

 どうやって身軽さを保つかという問題もある。

2014/09/10

拡散と集中

 三十歳以降、なんとなく、このままではいけないとおもって、これまでやってきたことをいくつかやめた。

 漫画をあまり読まなくなったし、そのころから音楽に関しても新譜をあまり聴かなくなった。おもしろい漫画、音楽を探すという行為は、それなりにエネルギーがいる。

 ライターの仕事のうち、何割かそういうおもしろいものを探すことも含まれているのだけれど、何でもかんでも手をひろげてしまうと、中途半端になる。

 一日をどうつかうか。何をして何をしないか。
 好きなことばかりもやっていられない。あるていど、やることの優先順位をつけないといけない。そうすると、どうしても仕事に直結しやすいことを選びがちになる。頑なに「これしかやらない」と限定していく過程で、柔軟性のようなものが失われてしまうこともある。自分の知らないことに無関心になる。

 とはいえ、あまりにも好き嫌いがバラバラのままだと形にならない。形にするということは、いろいろなことを捨てたり削ったりしなくてはいけない。ただ、狭く絞り込みすぎると、行き詰まりやすいし、他人から理解されなくなってしまう。

 興味のあることに集中する時期、拡散する時期——どちらも必要なのかなとおもう。

 今のわたしは拡散の時期なのだが、いつまで続くかわからない。また気が変わって、狭く絞りこみたくなるかもしれない。

2014/09/08

夏葉社まつり

 土曜日、荻窪ルースターノースサイドで開催された夏葉社まつりに行く。『あしたから出版社』(晶文社)を読むと、もともと作家志望だったと書いている。人口における割合では、作家よりも編集者のほうが少ない。しかもひとりで会社を作り、(売れるかどうかわからない)本を出し続けている人はすごく稀少だ。
 もっと島田さんみたいな人が出てきたら、出版や本の世界はおもしろくなるだろう。安易にすすめられる道ではないのだけれど。

 というわけで、夏葉社まつりに古本バンドのメンバーとして参加した。ベースを弾くのは二十年ぶり。最初の練習では電池が切れていて、音が出なかった。自分の持っているベースがそういう構造だということも知らなかった(ちなみに、このベースは手まわしオルガンのオグラさんからもらったもの)。結成して一ヶ月で人前で演奏するのは「無理だ」とおもった。
 今さらながら「練習と本番はまったくちがうな」と。素人はひとつ躓くとその後の修正がきかない。何度か経験していたことだけど、忘れていた。とにかく終わってほっとした。

 この日、コクテイルで何度か聴かせてもらっていた世田谷ピンポンズをはじめて生で聴いた。ややかすれてふくらみのある声が心地いい。
 木山捷平の本の題をつけた曲もあった。新しいものと古いものが混在しているかんじがおもしろい。

 それにしても大盛況だった。夏葉社五周年おめでとうございます。

2014/09/03

惑星のさみだれ

 午前中に目がさめたので、ひさしぶりにカーテンを洗う。汚れがひどく、他のものといっしょに洗えない。あといっぺんに洗うと干す場所がなくなる。先に洗ったカーテンが乾くタイミングで残りを洗う。面倒くさいけど、たまに洗うと気分はすっきりする。

 月末の仕事が一段落し、漫画をまとめて読む。ようやく水上悟志の『惑星のさみだれ』(全十巻、少年画報社)がキンドルで読めるようになった。巻が進むにつれて、どんどんおもしろくなる。
 あいかわらず、漫画にかんしては「今さら?」といわれるような作品ばかり読んでいる。キンドルを買う以前は、(置き場所がなくて)巻数の多い漫画はなかなか手を出せなかった。『惑星のさみだれ』がこんなにおもしろいと知っていたら、特例で買っていたのだが……。

 地球の存亡をかけた戦いにまきこまれたふつうの大学生が主人公の話なのだが、ファンタジーの要素とは別に、「大人」とは何かというような問いがあって、わたしも「かくありたい」とおもうような「大人像」が描かれている。できれば、もうすこし若いころに読みたかった。

 作者のことが気になって、「東京漫画ラボ」というサイトの「第31回 水上悟志先生インタビュー」も読む。

《少年画報社「ヤングキングアワーズ」よりデビュー、『惑星のさみだれ』、『スピリットサークル』等の作者水上悟志先生インタビュー!日常と非日常、シリアスとコメディ、リアルとファンタジーの境界を軽々と飛び越えていく、作品制作を支える原動力のルーツを探りました!》

 このインタビューもよかった。

2014/08/28

夏が終わったみたい

 急に涼しくなったので、秋用のシャツを出し、洗濯する。小雨が降っていたので部屋干しに扇風機をまわす。金沢在住のシンガーソングライターの杉野清隆の「夏が終わったみたい」(アルバム『メロウ』に収録)を聴く。

 マクニースの「秋の日記」(中桐雅夫訳)が入った長田弘編『全集 現代世界文学の発見3 スペイン人民戦争』(學藝書林)が届く。長篇詩というからどのくらいの長さなのかとおもっていたら、二段組で六十頁ちょっとあった。一九三九年に発表された詩だ。

《しかし人生は礼儀や習慣にかなったことに限られはじめた、——「ねばならぬ」とか「ふさわしい」とかに——》

《今日の流行は、完全な画一性と
 機械的な自己満足だ》

《だが仕事はぼくには合わぬ》

《ぼくのプライドは理性の名において告げる、
 損の少いうちに手をひいて、やめた、といえと
 あまり自信がないのだったら
 たしかにそうすべきなのだが
 ひょっとしたら、と抜け道を見つけて
 いま一度の逢い引きに賭けるのだ》

《いつでも野蛮人がいる、いつでも各自の生活がある、
 通りには何ダースもの普通の人がいる、それから、
 食物を充分に得るという、重要ではないにしても
 永久的な問題がある》

 引用した部分はマクニースが「わたし自身のもっと私的な生活を扱っている一節」と述べているところだとおもう。でもこれらの「私的な一節」によって、わたしは遠い過去、遠い国の戦争のことを考えさせられている。
 ひとりの人間の輪郭の見える言葉で記録されたもの——は時間が経っても色あせない。

『全集 現代世界文学の発見』は他の巻もおもしろそうなのだが、揃い(十二巻)だと二万円くらい。バラで集めるのは大変か。

2014/08/23

マクニース

 高円寺は阿波踊り。太鼓の音とワッショイの掛け声で目がさめる。ぼんやりした頭で『日本の名随筆 翻訳』をパラパラ読む。

 長谷川四郎が「私の翻訳論」というエッセイで、マクニースの長篇詩『秋の日記』(中桐雅夫訳)について論じている。
『秋の日記』は、スペイン戦争を題材にしたものだ。しかし、長谷川四郎はその内容には深入りしない。

《「……なさそうだ」だとか「……以上のものらしい」だとか、このように言っているところに感覚的な現実性があるように思われる。——詩はなによりもまず正直でなければならない。正直さを犠牲にして「客観的」であったり、きちんと整っていたりすることは、わたしはおことわりだ。とマクニースは言っている》

 わたしも「……そうだ」「……らしい」をよくつかう。こうしたあやふやな言葉づかいを嫌う人がいるが、長谷川四郎は肯定していることを知って、すこし勇気づけられた。

 中桐雅夫の訳したマクニースの「秋の日記」は、『全集 現代世界文学の発見3 スペイン人民戦争』(學藝書林、一九七〇年刊)に収録されている。

 昨年、思潮社から『ルイ・マクニース詩集』と『秋の日記』が刊行されて、買うかどうか迷っていたのだが、むしょうに読んでみたくなった。

 ちなみに中桐訳のほうはルイ・マクニースはルイス・マクニースになっている。

2014/08/21

仙台に行ってきた

 一年二ヶ月ぶりに仙台へ。真夏に行くのも久しぶり。行きの新幹線で細馬宏通著『うたのしくみ』(ぴあ)を再読した。
 喫茶ホルンのコーヒーも久しぶり。book cafe火星の庭の「うたとうたのあいだ」というトーク&ライブを観賞する。
 第一部が細馬宏通、岸野雄一の『うたのしくみ』トーク特別編。第二部が岸野雄一のソロ・ミニライブ。第三部が細馬宏通&澁谷浩次のライブ。
 午後七時三十分開演終わったのが午後十一時。でもあっという間だった。贅沢だった。トークもずっと聴いていたかったし、音楽もずっと聴いていたかった。細馬宏通&澁谷浩次(かえるさんと澁谷さん)は、交互に詞と曲を作って、それぞれが唄う。おもしろい曲ばかりだった。「スワンプ相談室」にはやられた。

 時間の感覚がおかしくなり、打ち上げでこれでもかというほど料理が出て、食べて飲んでいるうちに午前二時をすぎていた。

 この日は、イベントを企画した高橋創一さんのアパートに泊まる。編集を手伝ったという『あきんどでざいん見本帖』をもらう。桜井薬局セントラルホール支配人の遠藤瑞知とフリーペーパー『のんびり』の編集長の藤本智士の対談を興味深く読む。
 早く目がさめてしまい、部屋にあった黒田硫黄の漫画を読みはじめてしまう。昼前に近所のラーメン屋に行って、仙台から在来線で福島に行く。

 福島駅で降りて、駅のまわりをすこしだけ散歩し、ブックオフと喫茶店に寄る。それから各駅停車で郡山に行って、駅のフードコートでメシを食って、汗だくになりながら古書てんとうふまで歩く。清水哲男著『闇に溶けた純情』(冬樹社、一九七九年刊)を買う。この本もコラム集というか雑文集。一九八〇年前後の冬樹社本は見たら買う。

 駅ナカの食品売り場で東北各地の乾麺や調味料を買う。
 郡山からはつばさ。焼きおにぎりを食べ、車内で熟睡し、気が着いたら東京駅だった。

2014/08/16

掃除の途中

 ステレオの音がちょっと調子がよくなくて、新しいケーブルというか、つかってなかった予備のものをつなぎ直したら、急に音が変わった。嬉しくなって、スティーリー・ダンを聴きまくる。
 アンプもスピーカーも中古だし、そんなにすごくいい音というわけではないのだが、長年、聴きこんできたレコードやCDが自分のおもっている音とちがうと、しっくりこない。

 ケーブルをつなぎ直しているときに、ステレオの裏を見たら、埃だらけだった。
 気がついたら、エアコンを止めて、窓を開け、汗だくになりながら、掃除をしていた。いつもおもうことだが、こんなことをしている場合ではないときにかぎって、年に一度レベルの大掃除をはじめてしまう。しかも、まだ途中だ。

 ガリガリ君のWグレープフルーツ味をはじめて食う。うまい。

 テレビで観たか、雑誌で読んだかした掃除の豆知識に、狭い場所から片づけるというのがあった。
 その応用として、頭の中で部屋を何分割かして(和室だと畳一畳とか二畳とか)、すこしずつキレイにすると効率がいい。同じ場所を何度も拭いたり掃いたりしなくてもすむし、どのくらいの時間で片づくか、だいたいの目安がわかるのもいい。

2014/08/14

秋花粉に…

 先週あたりから、秋花粉の症状が出ている。

 以前は八月の終わりか九月のはじめごろだった。ここ数年は八月前半になっている。何かで首都圏でブタクサが減っているという話を聞いた。たしかにそんな気がする。漢方薬(小青龍湯)を飲む。この薬は秋花粉の時期には欠かせない。

『本の雑誌』九月号に『私がデビューしたころ ミステリ作家51人の始まり』(東京創元社)と新刊ニュース編集部編『本屋でぼくの本を見た 作家デビュー物語』(メディアパル)について書いた。
『小説すばる』九月号では、平野威馬雄の「お化けを守る会」の話。『小説すばる』で平野威馬雄を書くのは二回目。平野威馬雄は翻訳もふくめると三〇〇冊ちかく著作がある。さすがにコンプリートはできそうにない。

 最近、日本の古本屋で菅野青顔著『萬有流転(上・下)』(三陸新報社、一九八〇年刊)を買う。昔、値段の折り合いがつかず、買いそびれたまま、忘れていたのだが、急にほしくなった。菅野青顔は気仙沼の人で辻潤とも交遊があった。

 キンドルで荒川弘の『鋼の錬金術師』を全巻揃えた。読み出したら、止まらん。

 これから一眠りして、起きたら仕事。……をする予定。

2014/08/06

散歩の日々

 土曜日、馬橋小学校で馬橋盆踊り。午後六時半まで仕事して、残り一時間くらい堪能。「馬橋ホーホツ音頭」を作詞・作曲したオグラさんの生歌も聴くことができた。焼きそばと生ビール飲む。
 昨年三十年ぶりに復活した町の盆踊りだ。

 日曜日、ガード下を通って阿佐ケ谷まで散歩。暑い。目当ての沖縄そばの濃縮つゆは売り切れ。夏の部屋用のずぼんを買う。

 月曜日、荻窪のささま書店に行く。清水哲男著『球には海を』(あすか書房、一九七八年刊)などを買う。
 あすか書房の「わたくし贔屓のアンソロジー 1」とあるのだが、どんなシリーズだったのか気になる。表紙は谷川晃一。
 本のあいだに錦糸町の栄松堂書店のハンコが押してある「抽せん補助券」がはさまっていた。

 このころの清水哲男は「詩人」ではなく「雑文家」と称している。

 わたしは「読む」のも「書く」のも雑文がいちばん好きだ。しかしテーマらしいテーマや肩書らしい肩書を持たずに、文筆業を続けることはしんどい。

 古本にかぎった話ではないが、手を広げすぎると収拾がつかなくなるし、狭めすぎるとすぐ行き詰まる。どのくらいの加減で読んだり書いたりするのがいいのか。そんなことをちょっと考えた。

 火曜日、また納豆ととろろの蕎麦。オクラも入れる。夏はネバネバしたものがむしょうに食いたくなる。
 知り合いが高円寺に遊びに来たので、ひさしぶりに駅のちかくの定食屋で昼酒を飲む。

2014/07/28

カチリとしたもの

 先週、二週間ぶりに神保町へ行った。神田伯剌西爾で珈琲を飲んで、古本屋をまわる。
 神保町に行きそびれていたのは、飲みすぎて、珈琲をちょっとひかえていたからだ。
 仕事の資料と関係なく、今日なんとなく読んでみたい本を買おうとおもっていたら、清水哲男著『蒐集週々集』(書肆山田、一九九四年刊)という本があった。

 一九八八年六月から一九九三年三月まで産経新聞に連載していたコラム集だ。おもしろい題だし、中身も好きなかんじの本なのだが、こんな本を買いそびれていた……というか知らなかったのは、修業が足りない。どうして見すごしていたのか謎だ。
 家に帰ってから、清水哲男著『ダグウッドの芝刈機』(冬樹社、一九七八年刊)を読む。

《なんにも書きたくない日がつづく。かといって詩を読んでも、あるいは映画を見ても酒を飲んでも、なにかカチリとしたものにつきあたらない》(あとがき)

 一生かかっても読み切れないくらいの本がある。興味のないジャンルであれば、素通りして当然だとおもうのだが、かなり好みの本ですら、何十年も気づかないことがある。
 本にたいする感度も波がある。
 自分が探している本が何かわからなくなることもある。「カチリとしたもの」は、自分の状態にも左右される。どんなにおもしろい本でも、自分の調子がだめなときはピンとこない。
 おそらく「カチリとしたもの」に出くわす頻度が落ちているときは、余裕がない兆候なのかもしれない。
 おもしろいものを探すのと同じくらい、ちゃんと何かをおもしろがれる状態を作ることが大切なのだろう。

(追記)
……『閑な読書人』(晶文社)に収録したさい、痛恨の誤植(『ダグウッドの芝刈機』の書名をまちがえる)をしてしまう。つらい。

2014/07/23

連休でした

 夏バテ気味。そしてやや二日酔い。豚肉としょうが入りの蕎麦を作り、納豆ととろろとごまをかきまぜてペースト状にしたものを乗っけて食う。日中は部屋でごろごろして、夕方散歩する。
 夏場は週一日か二日、安静の日を作ろうとおもう。

 日曜日、JIROKICHIで東京ローカル・ホンクとパイレーツ・カヌーのライブを見て、翌日はペリカン時代で、木下弦二さん、浜崎仁精さん、髙瀬きぼりおさんのトークショー(絵と絵と音楽の対談)。
 パイレーツ・カヌーは新しいアルバム『ワン・フォー・ザ・ペイン・イン・マイ・ハート』が出たばかり。

 トークショーでは「絵を買うかどうか」という話が考えさせられた。音楽に関してはライブを観たりCDを買ったり、何かとお金をつかっているのだけど、わたしの場合、画家の自伝やエッセイは買うけど、絵そのものを買ったことがない。「いい」とおもうことと「ほしい」とおもうことのあいだには大きなちがいがある。

 あと話を聞きながらおもったのは「買う」だけでなく、どれだけの「時間をかける」ことができるか——それも同じくらい大事なのではないか。
 絵を描く人であれば、一日の中でどれだけの時間を絵に捧げることができるか。時間の長さだけでなく、質もふくめて、没頭し、熱中できるか。もちろん、そのあいだは、他のことができない。結局、時間をかけることは、自分を賭けることにもなるのではないか。

 絵がわからなかったり、それを「ほしい」という感覚がないのは、時間をつかってこなかったからなのかなと……。

 自分は何にお金と時間をつかってきたのか。

 さらにこの先の問いについても丸一日くらい考えていた。ただし今はそれを言葉にする気力がない。 

2014/07/15

釣りをはじめてみようかなとおもっている

……『フライの雑誌』102号に「神吉拓郎の釣り」というエッセイを書きました。なんというか、『フライの雑誌』の原稿料はすべて釣りにつかわなければいけない気がしている。とりあえず、釣り堀に行こうとおもっている。
 長年、中央線に乗っていて、市ケ谷にある釣り堀がずっと気になっている。あの釣り堀を見るたびに、仕事に行く途中、会社を休んでふらっと釣りをしてしまう人がいるのではないかと想像してしまう。もし自分が会社勤めをしていたら、そういう人間になっていたとおもう。

 最近、島崎憲司郎著『水生昆虫アルバム』(フライの雑誌社)という大きな本を読みはじめた。

《それに…大きな声では言えないが、釣りというのは生き物に色々とダメージを与える要素を拭い切れない泣きどころもある。偉そうなことを吹聴すると、とんだ薮蛇にもなりかねませんゼ。もっとも、人間が生きていること自体、誰しもその辺は払拭できないわけだが。キャッチ&リリースも残念ながら免罪符にはならない。魚に言わせれば連続暴行魔と大差なかろう》

 この本はフライフィッシャーのための本なのだが、たとえば、カゲロウの生態、昆虫が好きな人が読んでもおもしろいとおもう。
 どんな小さなことでも本気で研究すれば、その人の一生を費やしても研究しつくせない——世の中はわからないことばかりだ。

 釣りに関する文章を読んでいるうちに、最初はちんぷんかんぷんだった固有名詞がだんだんわかってきた。結局、釣りをしないと何もわからないということもわかってきた。

 わたしは釣り道具を何ひとつ持っていない。文字通りゼロからのスタート。わたしはここでよく躓く。自分の残りの人生にこれをする時間はあるのか。限られたお金と時間——できれば有意義につかいたい。いろいろ手をひろげると、何もかもが中途半端になりそうで怖い。しかし有意義とは何だろう。効率よく満足感をえることなのか。たぶん、ちがうだろう。

 こんな文章を書いているひまがあったら、やってみたほうが早いだろうという話でした。

2014/07/12

貧乏は幸せのはじまり

 岡崎武志著『貧乏は幸せのはじまり』(ちくま文庫)が刊行。二〇〇九年に出た『あなたより貧乏な人』(メディアファクトリー)を改題、再編集した本です。

 巻末でわたしと古書ますく堂がそれぞれ対談しています。高円寺のコクテイルで飲みながらちまちましたことをいっぱい喋ったら、それがほとんど収録されていた。対談に出てくる「業務用スーパー」は「業務スーパー」ですね。まちがえました、すみません。

 この本を読んでおもったのは「貧乏」の中におもしろい貧乏や笑える貧乏——それこそ幸せな貧乏もあるということだ。
 もちろん、おもしろい貧乏や笑える貧乏というのは、ほんとうの貧乏ではない。そういう考え方もあるかもしれない。

 でも収入が不安定だったり、ちょっと生活が困窮したりしたときに、案外、気の持ちようでなんとかなることもある。

 そういう意味ではこのエッセイ集は庶民向けの「幸福論」としても読める。というか、わたしはそう読んだ。

2014/07/05

東京ベンチ

 月島であいおい文庫を運営していた砂金一平さんが、七月一日に「東京ベンチ」(東京都江戸川区瑞江2-22-5)というケアブックカフェをオープンした。
 砂金さん自身も昨年末に江戸川区民になった。

 昨日、ペリカン時代で星野博美さんといっしょに砂金さんと飲んだのだけど、「東京ベンチ」のある瑞江という場所が一目で気にいって、デイサービスとブックカフェを融合した空間を作ることになった。
 お年寄りが気兼ねなく寛げる場所というだけでなく、町の人たちがカフェに出入りすることによって、いろいろな世代の人が交流できる場所にしていきたいそうだ。
 この新しい試みは「福祉」というものが、これからどう変わっていくかの試金石になるとおもう。

 親老後、自分の老後について今はそれどころではないというか、正直、考える余裕がない。
 でも「東京ベンチ」のような場所が、江戸川区だけでなく、あちこちにできたら、そうした心配も軽減されそうな気がする。未来に希望が持てそうな気がする。

 最初に志のある個人が無理をしないと切り開けないことはたくさんある。
 砂金さんもそのひとりだとおもう。
 ただし、いろいろな人の世話をする本人が疲れてしまってはいけません。というわけで、また飲みましょう。たぶん、何か困ったことがあったら、飲食業の先輩たちが喜んで相談にのってくれるでしょう。

 詳しくはブログ「東京ベンチでつかまえて。」を参照してください。
 http://tokyo-bench.hateblo.jp/

2014/07/04

あしたから出版社

 島田潤一郎著『あしたから出版社』(晶文社)を読む。二〇〇九年、“ひとり出版社”の夏葉社を創業。マラマッドの『レンブラントの帽子』(小島信夫、浜本武雄、井上謙治訳)、関口良雄著『昔日の客』を復刊し、わたしのまわりの古本好きのあいだでも話題になっていた。「若い人がやっている出版社らしい」「飲むとおもしろい人らしい」という噂も耳にした。

 島田さんは二十七歳まで作家志望でアルバイトで暮らしていた。その後もほとんど定職に就かず、三十一歳になって真剣に仕事を探しはじめる。

《結局、ぼくは、転職活動をはじめてから八ヶ月で、計五〇社から、お断りのメールをもらった。
 だれにも合わせる顔がなかった》

《転職に失敗したら自分で事業をやるしか方法はないのかもしれない、とそのころからぼんやり思いはじめていた》

 島田さんの夏葉社がうまくいったのは「たまたま」なのかもしれない。いや、うまくいっているのかどうかはわからない。たぶん楽ではないとおもう。島田さんのやり方でうまくいくとは限らない。

 追いつめられ、どこにも行けなくなって、自分の道を切り開くしかなかった。それで出版社を作って、自分が読みたい本を出した。

 夏葉社の本は一冊一冊すべて島田さんのおもいがこもっている。手間がかかっている。
 そういう本に飢えていた読者はそれなりにいたはずだ。わたしもそのひとりだ。

 夏葉社の社名の由来はこの本ではじめて知った。

2014/07/03

忘却の日々

 寝る前にいくつか書きたいとおもうことが頭に浮かぶ。しかし翌日、起きて家事や仕事をこなしているうちに忘れてしまう。というか、起きたときには忘れていることのほうが多い。

 書きたいとおもうことの中には、自主規制で書かないこともある。今書くと、愚痴っぽく、ひがみっぽくなりそうなことは、すこし寝かせたほうがいいかなと考える。そうこうするうちに、そのことを忘れてしまう。

 読んだ本の感想もそう。おもしろいとおもったら、一行でもそのときに書き残しておかないと書く気が失せてしまう。

 ただ、何もかも書くこと、書き残すことがいいのかどうか。迷っているうちに忘れてしまう。

 ライター業をしていて、書いて失敗と書かなくて失敗の比率は半々くらいか。いや、書かなくて失敗というのはたいてい忘れてしまうから、ほんとうはその比率は実感よりもはるかに大きいはずだ。

 そんなことを昨日の晩、考えていたのだけど、たまたま忘れなかったので書いてみることにしたが、前の日におもっていたかんじとちがうものになっている。

2014/06/30

つながらない日々

 ここ数日、インターネットがつながらなくなった。
 ふだんも何かの加減で調子がわるくなるときがあるのだが、電源を切ったり入れたりしているうちに、ちゃんとつながるようになる。
 ところが、今回はモデムが壊れた。電源がはいらない。うんともすんともいわない。

 月末しめきりの原稿は送信済みで、あとはFAXで校正するだけなのは幸いだった。しかしメールのやりとりができなくて、かなり焦る。キンドルのダウンロードもできない。

 パソコンの画面にはユーザー名とパスワードの空欄が表示される。入力してもログインできない。
 パソコンのトラブルは何度かあったが、しかしまあどうにかなってきた。でもモデムの故障ははじめてだ。

 モデムは基本レンタルで新しく買い替えるわけにもいかない。こんなこともあるのかと勉強になった。
 駅前のマクドナルドに行けば、無線LANがあるそうだから、そこにノートパソコンを持っていけば、メールの送受信はできる(はずだ。たぶん)。

 日曜日、午後三時、西部古書会館。本を見ているうちに、雷雨。あわてて仕事部屋に。雷が近くで落ちる。蛍光灯が点滅する。
 後で杉並区でも停電になった地域があることがわかった。

 夜、コクテイルに行く。六月二十五日から七月二十日まで「ある本棚の中で」(小泉さよ、髙瀬きぼりお、吉野章)という作品展を開催中。
 きぼりおさんは絵を描いたり、「何だかよくわからないもの」を作ったりしている。わからないものを見るおもしろさは、すこしはわかるようになりたい。

 月曜日の朝、モデムが届き、夜、ようやくネット環境が復旧——。

 たった二日ではあるが、インターネットにつながらない生活。いつもより一日が長くかんじたのは、知らず知らずのうちにすきまの時間をネットにとられているからだろう。

2014/06/26

吉行淳之介娼婦小説集成

『吉行淳之介娼婦小説集成』(中公文庫)の解説を書きました。

「原色の街」(第一稿)や「追悼の辞」、赤線の回想を綴ったエッセイなどが収録されています。

 わたしがちくま文庫の吉行淳之介のエッセイ集を編集したのは十年前。当時、没後十年。新刊書店から、吉行淳之介の本がどんどん消えていた。

 今年の七月二十六日で没後二十年になる。

『吉行淳之介娼婦小説集成』の単行本は一九八〇年に潮出版社から刊行。吉行淳之介の出世作ともいえる「原色の街」は、この本に収録された「原色の街」(第一稿)と「ある脱出」を合わせて書き直したものだ。今読むと「原色の街」(第一稿)がすごくおもしろい。オチもちがう。
 むしろ読後の印象は(第一稿)のほうが鮮烈かもしれない。
 ほかにも「驟雨」「娼婦の部屋」など、初期の代表作もこの本で読める。
 わたしはちょっととぼけたかんじの「髭」が好きですね。

 あらたに追加されたエッセイは「私の小説の舞台再訪」と「赤線という名の不死鳥」の二篇。

 吉行文学の入門書としてもこの集成はおすすめです。

2014/06/24

休日

 日曜日、高円寺の円盤に京都から来たラブラブスパーク(長谷川一志+岩城一彦)のライブに行く。円盤でライブ観るのはひさしぶりだ(たまにCDと古本は見に行く。けっこういい本が売っている)。
 出演者は、ミックスナッツハウスとアコーディオンの遠峰あこさん。
 この日のラブラブスパークは、安宅浩司さん、アンドウケンジロウさんがゲスト参加。
 いいライブでした。打ち上げも楽しかった(前の日も朝まで飲んでいたのだが)。

 昨年、ラブラブスパークは『サンキュー』というアルバムをリリースしている。リラックスできて、くりかえし聴ける名盤です。

 ラブラブスパークの長谷川さんとは、なぜか二〇〇八年九月二十七日の広島市民球場の最終戦の前日の試合(広島対ヤクルト)をいっしょに観ている。
 ルイスに手も足も出ず完封負けしたけど、完全な消化試合だったので別によし。ちなみに、ヤクルトの先発はショーン・ダグラスだった。ヤクルト在籍は二ヶ月ちょっとの投手で、ほとんど記憶にない。今どうしているのかもわからない。

 何十年と野球を観ていても、外国人選手の当たり外れは謎だ。ドラフトも。
            *
 月曜日、ささま書店。荻窪駅に着いたら、雨が降ってきたのだが、店にいるうちに雨がやんだ。
 外の均一で高橋新吉著『ダダと禅』(宝文館出版)と武田泰淳著『揚子江のほとり 中国とその人間学』(芳賀書店)を二冊。『揚子江のほとり』は矢牧一宏の編集本。
 店内で秋山清、富士正晴の未読本を一冊ずつ買う。もっと知らない作家の本も読まないといけない気がする。
 まったく別のジャンルの本を探究する道もあるのだけど、手をひろげすぎるのもどうかと……。

 家に帰って掃除。壊れていた折たたみ椅子を直す。

2014/06/21

人生勉強中(四)

 こんな仕事、こんな生活をいつまで続けられるのか。

 そのおもいは二十五年前も今もある。この先もそんなふうにおもいながら生きていくことになるのかもしれない。

 二〇〇一年、三十代のはじめごろ、アパートの立ち退きでずいぶん本を売った。五十冊くらい入ったダンボールを七十箱。あとレコードとCDも半分くらい手放した。
 その後は買って売ってのくりかえしなのだが、それでも本は増える。
 新聞や雑誌の切り抜きも増える。

 量の制約がある中でどこまでやれるか。
 高円寺で生活することを選択した以上、この問題は避けられない。
 四十代以降は、時間の制約もシビアになる。体力は衰えるし、疲れもとれにくくなる。

 ほんの十年ちょっと前まで、一冊の本を探すのにものすごく時間がかかった。今はインターネットで検索してひっかかれば、翌日か翌々日には本が届く。調べ事も楽になった。

 ぼんやりしたり、なんてことのないことを考えたりする時間がほしい。そういう時間がいちばん贅沢なのではないかと気がしている。

 効率よく資料を揃えて、短時間で仕事を片づけることができても、なんだかなあとおもう。

 家事でも仕事でもなるべくゆっくりやりたいのだが、気持に余裕がないとそれができない。

 どうやって食べていたのだろうとおもいながら、寡作で遅筆の作家や漫画家の作品を読む。

(……続く)

2014/06/18

人生勉強中(三)

 二十五年ってけっこう長い。
 でもですね、中年になってみると、二十五年前なんて、ほんのちょっと前くらいの感覚なのである。
 高校時代のことはすごく昔におもえる。クラスメイトの名前や顔もおもいだせない。

 上京して、十九歳でライターの仕事をはじめてからは、本読んで原稿書いて寝てのくりかえしの生活で、それ以前とは時間の感覚がちがう。
 だから二十五年といっても、その実感はない(※あまり仕事をしてなかったからかもしれません)。

 原稿料で生活できるようになったのは三十代の終わりごろで、それまではずっとひまだった。ひまだったから、お金をつかわない生活をしていた。
 だから「ハイ、ハイ、次、次」と失敗を忘れて、次のしめきりのことを考える生活も最近になって身についてしまった習慣である。よくないことだとおもっている。

 食べていくための方法、というか、方向はひとつではない。

 手っ取り早く稼ぎを増やせたらいいのだが、それはそれで時間やらいろいろなものを失う。
 できれば余裕を失わないていどに働いて、あまりお金をつかわない暮らしがしたい。ただ、そういう暮らしもいつまで続けられるのかわからない。いざというときのために、多少は余裕がほしい。そうすると、余裕を作るために働いて余裕を失うというサイクルにはまってしまう。

 結局、生活レベルを上げるのも下げるのも維持するのもむずかしい。

 何を足して何を引くか。そんなことばかり考えているのだが、年々その計算が複雑になってきている。

(……続く)

2014/06/14

人生勉強中(二)

 やらなきゃよかったとおもう仕事について、いろいろおもいだそうとしたのだが、けっこう忘れてしまった。

 それなりに長く仕事を続けていると、ひとつひとつの失敗によるダメージも多少軽くなってくる。「ハイ、ハイ、次、次」ってかんじで、終わった仕事のことは忘れて、次の仕事に時間をつかう。
 昔の自分からすれば、想像もできない。
 ビジネスライクに割り切ることが苦手だったし、落ち込むとかなりひきずった。

 ライターの仕事は、事実誤認や誤字脱字はつきもので、避けたくてもなかなか避けられない。校正、校閲の人にいつも助けられている。言い訳させてもらうと、おもいこみや勘違いというのは、他人に指摘されないと自分で気づくことはむずかしいのである。

 たとえば、本に関する文章を書くさい、著者名や本の題名はぜったいにまちがうわけにはいけない。でも、まちがえるんですよ。ビックリしますよ。何度も何度も見ているはずなのに、頭の中で誤変換されてしまうのだ。

 あとたまに作家名が男性っぽいのに女性(あるいはその逆)というケースで、後から性別がわかってものすごく焦ることもある(例:荒川弘)。
 外国の作家だと、プロフィールではわからないことがあって、安易に「彼」や「彼女」という言葉をつかうのは怖い。詳しくは教えないが、何度かミスしている。

 いろいろな勉強があるけど、自分の失敗の傾向を知ることは大事だとおもう。とはいえ、わかっていても、同じようなミスをくりかえすものだ。

 たまに、しめきりそのものを別の日と勘違いしてしまうことがある。そのたびに、二度と同じあやまちはくりかえさないと心に誓っているのだが、最近もやってしまった。

 しっかりしろと自分にいいたい。

(……続く)

人生勉強中(一)

 今年の六月でライター生活二十五年になった。
 はじめて仕事をしたときは東武東上線の下赤塚(板橋区)の四畳半の寮に住んでいた。当時は専用電話もFAXもなかった。
 最初の原稿料で六行しか表示されない東芝のルポというワープロを買った。食っていけるかどうかはわからなかったが、ライターを一生の仕事にしたいとおもっていた。そのために何をすればいいのか、二十五年経った今でもよくわからない。

 どんな仕事もそうだとおもうが「続けよう」という意志は大切だ。でもそれだけでは続けることはむずかしい。
 調子がよくなかったり、仕事がぱったり来なくなったりしても、どうにかふみとどまる。最近はわるいときはわるいなりに六回三失点くらいでまとめることを心がけるようになった。
 そういう技術を身につけるまでがけっこうたいへんだ。
 ライターの仕事にかぎっていえば、決められた枚数の原稿を決められた期日までに仕上げるという技術がある。
 最初のころは一回一回の仕事でどのくらいの時間がかかるのかまったくわからなかった。今はおおよその目安がわかる。
 その目安がわかると、月々の予定が組めるようになる。

 自分のまわりのフリーランスも「何でもやる派」と「できないことはしない派」がいるけど、そのあたりは自分の適性に合わせるしかないとおもう。
 こういうことは「続いたほうが正解」なのである。

 量をこなして形にする。
 それしかない……というのが、零細自由業四半世紀の結論、いや、仮の答えだ。
 量をこなさないと身につかない技術もあるし、身についた技術を維持するためにはそれなりに量をこなさないといけない。

 当たり前だけど、頭の中でどんなに傑作を書いても、誰にも伝わらない。
 作って見せて恥をかく。やらなきゃよかったとおもうこともたくさんあるけど、それも経験だ。
 もうすこし早くそのことに気づいていたらよかったのだが、あり余る時間を浪費してしまった。

(……続く)

2014/06/10

昼寝夜起

 ふだんは朝寝昼起の生活なのだが、ここ数日、昼寝夜起になってしまっている。
 週末の古書展にも行けず、洗濯もせず、部屋にこもりがちで、だからといって、仕事がはかどるわけでもなく、石黒正数の漫画をだらだら読み返していた。

『それでも町は廻っている』(少年画報社)の十二巻に「高円寺」という地名が出てくる。
 二十年くらい前にちょっと売れたバンドでシンセを弾いていた人が、漫画の舞台の喫茶シーサイドにいる。
 その喫茶店でバイトしている主人公の歩鳥が、音楽好きの今先輩に「会いたくないですか」というと、先輩は「高円寺のライブハウスとか行けば今でも演奏してるから割と生で見れるよ」と答える。
 そんなちょっとしたやりとりなのだが、高円寺のライブハウスのかんじが妙に出ていておかしい。

 バンドが解散した後も、別のバンドやソロとして音楽活動を続けている人は多い。ただし、その後もずっとライブハウスに観に来るような客はコアなファンだ。でも「ちょっと売れていた」ころより、ずっとよくなっていることもよくある。それがなかなか外の世界に伝わらない。

 元バンドマンのシンセの人は、その後、アイドルに曲を提供したり、ミュージカルの曲を書いたり、けっこう裏方の仕事をしている。
 年齢は四十五歳。結婚もしていて、ステージ以外の素顔はすっかり中年になっている。
 喫茶シーサイドでは、ひさしぶりにそのミュージシャンが母親と対面するシーンがあるのだが、その会話がものすごくリアルなのだ。
 母が、シンセをやっている息子に、「例えばジブリ映画の音楽とか」そういう仕事はやらないのかみたいなことをいったり……。

 知人のミュージシャンも田舎に帰ると親に「あんたは紅白とか出れんの」といわれるという話を聞いたことがある。

2014/06/05

六月

 コタツ布団をしまった……と書いたばかりなのに、日中の気温が三十度以上の日が続く。
 明け方は涼しくて心地よい。

 ずっとうどんが続いていたので、最近、そば(乾麺)を作るようになった。野菜と卵をといたつゆを作って、二人前くらいゆでて、冷蔵庫で冷やし、ちょっとずつ食べる。つゆが残ったら、雑炊にする。

 仕事のあいまに、コージィ城倉『チェイサー』(一巻、小学館)を読む。
 手塚治虫を異様なまでにライバル視する海徳光市が主人公の漫画家マンガ。とにかく手塚治虫のやっていることは何でも真似しようとする。だけど、手塚治虫のファンであることはひた隠しにしている(まわりの編集者にはバレバレ)。

 海徳光市を描くことで、手塚治虫の偉大さが浮び上がってくる。
 完結まで追いかけることになりそう。

 四月に手塚治虫、五月に石ノ森章太郎の漫画がキンドルで読めるようになって、手塚治虫は『鳥人体系』(全二巻)、石ノ森章太郎は『ストレンジャー』(全四巻)などを購入。
 わずか数巻で壮大な話をまとめる強引さが新鮮だった。

『チェイサー』で手塚治虫の『ライオンブックス』の話が出てきて、久しぶりに読み返した。

2014/05/31

金鶴泳

 ようやくコタツ布団をしまう。
 すっきりした。今度出すのは十一月くらいか。

 気温の変化が激しいせいか、睡眠時間がどんどんズレる。これも自分の「ふつう」とおもうことにした。

 昨日、西荻窪に行って音羽館で金鶴泳の署名本を二冊買った。『あるこーるらんぷ』(河出書房新社、一九七三年刊)と『郷愁は終わり、そしてわれらは――』(新潮社、一九八三年刊)。

 古山高麗雄著『袖すりあうも』(小沢書店、一九九三年刊)に「金鶴泳」という文章が収録されている。追悼文の形の「金鶴泳論」といってもいい。
 金鶴泳は一九八五年一月に四十六歳で亡くなっている。

《おとなしく、言葉の少ない人だった。私はおそらく、彼の作品を読んで、執筆を依頼したのである。私が読んだ彼の作品は何と何であったか。彼と会ってどんな話をしたか。そういうことはいちいち憶えていないけれども、「凍える口」「あるこーるらんぷ」ほか、何篇かを読んで、私は彼に期待した》

 古山さんに依頼され、金鶴泳は『季刊藝術』に「石の道」を書いた。

《静かな語り口で、在日韓国人が描かれていた。その存在が。その哀しみが。その存在に対する問いを、人間とは何であるかを追究することで問うている作品であった。鶴泳さんは、問題提起というかたちで問題を提起したりはしない。在日韓国人を作り出したものを告白したりはしない。だから読者は、いっそう、鶴泳さんがおそらく心の中で問うているであろうものについて考えないではいられない》

「あるこーるらんぷ」は「自分の実験室を持つこと、それが俊吉の夢であった」という文章ではじまる。
 それからしばらくして父・仁舜の話になる。父は、強制連行で北海道の炭坑で働かされていた。給料は日本人の三分の一か半分、逃げないように常に見張りがついていた。
 戦時中、幼い栄吉(俊吉の死んだ兄)といっしょにいたところ、一回りも年下の軍人に暴行を受けた。赤ん坊の服が「白っぽい服」を着ていたからだ。「白っぽい服」は敵機の目標になりやすい。しかし日本人の子どもだって、そうした服はざらに着ていた。

 そうした差別を受けてきた父が、酒を飲むと家族に暴力をふるう。日本人の男性を好きになった姉、日本人を頑なに拒絶する父。祖国の指導者を信奉する父、朝鮮籍から韓国籍に変えようとする兄との関係も描かれる。

 分裂した家族から目をそむけるように、俊吉は化学の実験にのめりこむのだが……。

 この小説も「問題提起」はしていない。そして容易く解決できない問いが残る。

2014/05/28

日常

 毎年五月上旬には片づけていたコタツ布団をまだしまっていない。一回洗濯してから片づけたいなとおもっていると、雨が降る。

 ミニコミ『PINCH!』(特集・これからどう生きる?)が刊行。わたしも「半人前の生存戦略」という原稿を書きました。

 プロ野球の交流戦をインターネットで観たり、ラジオで聴いたり、キンドルでダウンロードした漫画を読んだり、酒を飲んだりはしていた。それ以外はずっと仕事をしていた。いつもどおりというか、なんというか、生活に変化がない。

 そんなこんなで、毎日ぐったりしているわけだが、もうこれは不調ではなく、この状態を自分の「ふつう」とおもわざるをえない気がしている。

 とはいえ、もうすこし体力がないとしんどい。体力をつけるための体力はどうすればつけることができるのか。そんなことを考えるひまがあったら、からだを動かせというのが、たぶん正解なのだろう。

2014/05/22

気分転換

 今月は梅崎春生著『幻燈の街』(木鶏書房)、『野呂邦暢 兵士の報酬 随筆セレクション1』(みすず書房)が刊行。『幻燈の街』は、単行本、全集未収録の昭和二十七年に発表された新聞小説である。
 野呂邦暢の随筆セレクションも単行本未収録作品が気になる。全二巻。

 仕事の合間に、山川直人の『道草日和』(小学館)、『夜の太鼓』(KADOKAWA/エンターブレイン)を読む。『道草日和』の帯の裏には『夜の太鼓』、『夜の太鼓』の帯の裏には『道草日和』の紹介文が載っている。
『道草日和』は一回八頁、『ビッグコミックオリジナル』の増刊号の連載(足掛け五年)をまとめた掌編漫画集。
 主人公らしい主人公はいないけど、山川作品でおなじみの売れないミュージシャンや漫画家が、ちょくちょく顔を出す。陸橋があって、古い喫茶店、古道具屋のある町が舞台になっていて、町を行き交う人たちの小さな喜びを描いている。それぞれの回の登場人物がときどき別の話に出てくる。

 夢を追いかけるだけでなく、地に足のついた暮らしの中にも幸せがある——さりげなく、そういうメッセージがこめられているようにおもう。いつまでもふらふらしているわたしがいってもまったく説得力がないのだが……。
 東京に行った息子のことを心配している母親の話(「また会う日まで」)も好きな作品だ。

『夜の太鼓』の「エスパー修業」は、昔なつかしのジュブナイル風(といっても、子ども向けかどうかは微妙)の作品——「そこそこ」の自分を物足りなくおもう女の子がエスパーに憧れ、修業をはじめる。彼女がエスパーになれるかどうかはさておき、修業の過程で小さな変化があらわれる。
 ちょっと謎めいた話で、読み手の想像にゆだている部分も多く、読み返すたびにいろいろな解釈ができる作品になっている。山川さんの絵はSFとすごく合っているとおもった。
 メルヴィルの小説を漫画化した「バートルビー」も収録されている。

 仕事はあと一山。
 これから軽く飲んでくる。適量厳守の予定。

2014/05/17

すこし息抜き

 星野源著『蘇える変態』(マガジンハウス)を読み終えた。エッセイだから、内容を紹介するのも何なのだが、文章がいい。というか、内容に関係なく読まされてしまう。

 先月刊行の細馬宏通著『うたのしくみ』(ぴあ)は、一気にではなく、じっくりゆっくり読んでいる。

 プロ野球が開幕して、四月から(ちょっとだけ)仕事も忙しくなって、酒量も減らし、疲れをためないことを心がけて、日常が単調になって、一週間があっという間にすぎる。

 家にこもっている時間が長くなると、どうせなら、窓から海とか川とかが見えるような部屋に引っ越したくなる。

 三十代半ばに、乳酸菌や納豆菌の入った腸の薬を飲むようになって、ずいぶん改善した。風邪もあまりひかなくなった。その分、太った。

 体質が変わって、外に出るのが億劫ではなくなった。二十代くらいから、そうだったら、また別の人生を送っていたかもしれない。

 今月の仕事はまだ終わらない。

 早く仕事と関係ない本をだらだらしながら読みたい。

2014/05/08

この先の扉

 連休中、ほとんど高円寺。というか、家で仕事をしていた。連休明けにしめきりがあって、休むに休めない。

 先日、『仕事文脈』(タバブックス)の四号が完成し、その打ち上げに出席する。
『仕事文脈』は、地方での働き方をはじめ、これからの仕事のあり方を真摯に模索している雑誌だとおもう。

 ここ数日は、ラジオでプロ野球を聴いて、詰将棋をして、羽海野チカの『3月のライオン』を読み返した。そんなことをやっている場合ではなかったのだが、九巻に登場する名人のライバルの土橋健司九段の言葉を読んで、もっと今の自分にとって難しいことをやってみたくなった。

 将棋の棋士の魅力というのは何だろう。
 人生のかなり早い段階で、生きる道を決め、ひたすらひとつのことに自分の持てる力を特化する。将棋さえ強ければ、処世術なんかいらない。

 ここ最近、これから先どうするか、わからなくなっていた。しかし、わけがわからなくなるほど、勉強や研究したその先に未知の領域につながる扉がたくさん見えてくる——『3月のライオン』の中で描かれているシーンは、仕事の世界にもあるような気がする。

 ここのところ、ずっと低迷しているのだけど、次の扉が見えてくるまで、もがき続けるしかない。

2014/04/30

四月は君の嘘

 四月中に書いておきたかったことをおもいだした。

 おそらくキンドルがなければ、読まなかっただろうとおもう作品に新川直司の『四月は君の嘘』(現在八巻まで刊行、講談社)という漫画がある。

 主人公の有馬公生は、機械のように精確な演奏が得意で、八歳でオーケストラと共演するような神童だったのだが、あることがきっっかけにピアノが弾けなくなる。

 ところが、ある日、自由奔放にバイオリンを弾く宮園かおりと知り合い、公生はすこしずつ音楽の喜びに目覚めていくのだが……。

 公生のピアノの技術は、親(母)から叩き込まれている。ある種の英才教育の壁をどう乗り越えていくのか。
 うまいけど退屈な音楽とそうでない音楽のちがいとは?

 というようなテーマをふみこみつつ、思春期の少年少女の淡い恋愛も描いている。

《痛みも苦しみも あがいた自分さえもさらけだして 弦に乗せる そうやって 音に自分が宿る》

 これは、ヒロインの台詞(三巻)。あとスヌーピーの言葉が絶妙に引用されるシーンもある。

 これほど物語の“熱”がちゃんと伝わってくる漫画はひさしぶりかもしれない。

 二〇一三年、第三十七回講談社漫画賞受賞少年部門受賞。今年の十月からアニメ化(フジテレビ「ノイタミナ」枠)の予定らしい。

2014/04/29

高円寺の話

 日曜日、高円寺のびっくり大道芸。夕方、高円寺北公園でボードビリアンのBARONさんのステージを観る。
ワンパクな子どもをあしらいながら、歌やタップダンス、帽子芸などを披露し、湯たんぽを改造した自作楽器の演奏していた。

 途中、あちこちで知り合いに会う。

「これから飲みに行くの?」
「いや、日が沈むまでは飲まないよ」

 家に帰って、新聞と雑誌のスクラップ。二ヶ月分くらいたまっている。スクラップが仕事の役に立つことは年に一回あるかどうか。何度かやめようとおもったけど、なんとなく、やめずにきたことは続けたほうがいいのかなと。

『小説すばる』は四月号から、松村雄策の「ハウリングの音が聴こえる」が新連載。第一回は、ポール・マッカートニーの話だった。

《僕の人生の六分の五には、いつだってポールの音楽があったのだ》

 第二回では、いきなり「毎日新聞の荻原魚雷さんのコラムで……」という文章からはじまっている。
 すこし前、わたしは毎日新聞の日曜版にプロレスブームについてのコラムを書いたのだが、松村さんはそのことに触れている。

 話は変わるけど、先月三月三日、“人間風車”ビル・ロビンソンが亡くなった。
 引退後は「高円寺のレスリング・マスター」の異名もある伝説のレスラーだ。昔、高円寺には、「ごっち」(カール・ゴッチ公認)という居酒屋があった。この店には格闘技関係のライターをしている須山浩継さんに連れていってもらった。

 あまり知られていないけど、高円寺は「プロレスの町」でもあるんですね。

 昨日はペリカン時代が四周年。当然のように飲みに行く。
 そのペリカン時代と同じビルの一階に「STEAK HOUSE KYOYA」がオープンした。
 THE WILLARD、ラフィンノーズのドラマーだったKYOYAさんの店。

 ちなみに、わたしが上京後はじめて行ったライブがTHE WILLARDだった。関内のライブハウスだったかな。今おもいだしたのだが、KYOYAさんのファンの同郷(三重)のドラマーに連れていかれたのである。鋲のついた革ジャンを着たファンにもまれて、血だらけになった。二十五年前の話である。

 八〇年代後半から九〇年代はじめにかけてのバンドブームで、人生おかしくなった人はたくさんいる。でもおかしくならない人生が考えられないくらい音楽好きにとってはおもしろい時代だった。

 当時のライター仲間もバンドと掛け持ちしていた人もけっこういたし、今より音楽関係の仕事もあった(わたしがやっていたのは主に対談や座談会の構成やテープおこしだったけど)。

 この十年くらいで高円寺の貸しスタジオもずいぶん減った。
 深夜とか明け方とかに、コンビニにタバコを買いに行くと、スタジオ帰りの知り合いのバンドマンと出くわして、そのまま焼き肉を食いに行ったりした。

 一九八九年ごろの話だと、「ZZ TOP」という音楽ビデオを流す飲み屋にはライター仲間とよく行っていた。焼きうどんがうまかった。
 木造の風呂なしアパートに住んでいたから、夜中に友人が遊びにきて音楽を聴きながら騒いでいると、よく壁をドンドンされた。
 苦情がくると、南口の「ちびくろサンボ」という喫茶店に場所を移す。この店も今はない。サンボ丼という丼が好きだった。漫画もけっこうあった。
 漫画が置いてある高円寺の喫茶店だと「グッディグッディ」も懐かしい。あと庚申通りの「琥珀」もよく行った。二軒とも閉店した。

 昨年、中華料理屋の「大陸」もなくなった。この店も深夜すぎになるとバンドマンのたまり場だった。

 最近、若い人に昔の高円寺の話やバンドブームのころの話をすることが増えた。

 齢をとったなあとちょっとおもう。

2014/04/18

つげ義春と葛西善蔵

 今さらながら『芸術新潮』一月号のつげ義春の特集号を入手。「ロング・インタビュー つげ義春、語る」(山下裕二=聞く人)は読みごたえあった。

《つげ (略)文学はほとんど私小説一本槍ですね。でも、あんまり悲惨なのはだんだん嫌になってきちゃって。嘉村磯多とか、あと破滅的な人生を送った人で、誰でしたか……。
 山下 葛西善蔵?
 つげ 葛西善蔵ね。加納作次郎や古木鉄太郎、宮地嘉六も好きで読みましたが、知らないでしょう?
 編集部 知りません。
 つげ 自分は川崎長太郎の大ファンですけど、この作家の目線は徹底して現実的で、超現実に転じる要素がまったくないのがそれなりの魅力ですね(略)》

 葛西善蔵はよくもわるくも怠け者作家なのだが、随筆だと前向きなところもある(単なる願望で行動はまったくともなわないのだけど……)。

『フライの雑誌』の堀内さんもブログでこの箇所に反応していて、おもしろかった(あさ川日記「芸術新潮の編集部が葛西善蔵を知らないのか?」)。

 ひさしぶりに『葛西善蔵随想集』(阿部昭編、福武文庫)を読む。「芸術問答 作家と記者の一問一答録」は、ぐだぐだなのだけど、私小説の神髄が語られている(ような気がする)。

《葛西。(略)僕の今の生活とは言っても……やはり僕は生れた時分から背負ってきたいろいろなものが、ここに来て居るので、急に 抜け出ることもですね、変ることもですな、そう簡単に出来ないことであるんだと……だけれども、抜け出すことは、それは抜け出さなければならないでしょう……どうも悪い生活ですから……しかし……
 記者。 肯定……
 葛西。 待って下さい。しかし全然僕には自棄的な……、そんな気持は終始一貫して持ってないつもりです。で僕は身体も弱いし、偏狭な人間だから、どうかして自分の細い道をコツコツ歩いて行って、それである点まで脱けたいと思っているだけなのです。(略)》

 さらに芸術と生活の問題について記者と論じ合ったあと、次のように語っている。

《葛西。 僕の作はいつも同じように、たぶん見えるでしょう。けれども、僕は病気をして苦しい場合には、その苦しい気持を作の上で働かせ、不幸なことに打っ突かれば、不幸な気持をですね、創作によって一歩でも突き脱けて行きたい、だから多少は僕の生活よりか……身辺よりか、一歩なり、一段なり目標が先にない場合には……僕は書けないのです。(略)》

 葛西善蔵は、貧乏や病気の話ばかり書いていたけど、そうした状況をなんとか乗り越えたい、そこから脱け出したいとおもっていた。
 ただ単に、貧乏をネタに小説や身辺雑記を書いていたわけではない。

 自分の細い道をコツコツ歩く。葛西善蔵が脱けたいとおもっていた「ある点」こそが、文学の希望ではないかとおもっている。

2014/04/10

radikoのエリアフリー

 radiko.jpプレミアムという全国各地(エリアフリー)のAMとFM(すべてではない)が聴けるサービスがはじまった。

 わたしはラジオでプロ野球を聴くのが好きなのだけど、スワローズファンからすると「radiko.jpプレミアム」で巨人戦は関東、中日戦は中部、阪神戦は近畿、広島戦は中国・四国エリアのラジオで聴くことができる。
 横浜戦も横浜ホームの試合は、ニコニコ動画で放映しているから、神宮の横浜戦以外は、ほぼ家にいながらラジオの実況中継が視聴可能になった。
 これは嬉しい。生きててよかった。今年のスワローズ、前途多難なのだけど……。

 関西圏のFM802やKBS京都ラジオも聴けるし、月三百七十八円は高くない。
 早起きした日はCBCラジオのつボイのりおの「聞けば聞くほど」や土曜日にはKBSの「つボからボイン」も聴ける。

 今(深夜一時台)はFM OSAKAの「BIG SPECIAL」(25:00〜28:00)を聴いている。この日のDJは萩原健太。選曲が渋い。

2014/04/06

隠居欲

 先月末から、ぼーっとしていたら、あっという間に一週間経ってしまった。
 冬のあいだ、汁ものにしょうがをいれるようになって、体調がだいぶよくなった気がする。春になっても続行する予定だ。

 四月一日から消費税、五%から八%に上がった。
 古本屋と飲み屋に関してはまだ実感はないが、散歩していたら、値上げしている店をちらほらあった。

 ここ数年、自分の中から「物欲」が消えた。新製品に関する興味はほとんどない。むしろ、ものを減らしたいという気持のほうが強い。
 できれば「こじんまり」とした暮らしがしたい。そして「のんびり」とした時間をすごしたい。

 自分の求めていることを考えていくと、そういう結論にいきついた。
 ただし働かないと食べていけない以上、完全に「隠居」することはむずかしい。

 わたしの場合、自由業ということもあって、二十代後半くらいから、「半隠居」「ちょい隠居」くらいの生活をしてきた。

 すこし前にあと五年ちょっとで五十歳というようなことを書いたのだが、この先、生活の「縮小」がテーマになる気がしている。

 今のところ、東京にいるあいだは、高円寺以外の町に引っ越すつもりはない。ただ、いつまで東京にいるかはわからなくなってきた。
 田舎暮らしまではいかなくても、都心に一、二時間で出かけることができる場所に住む選択は、ありかなとおもっている。

2014/03/27

二軍

 野球が好きでよかったとおもうことのひとつに、澤宮優の文章を読む喜びがある。
 選手ひとりひとりの人生が凝縮された言葉を絶妙に引き出し、野球というスポーツの魅力だけでなく、選手たちの“不屈の姿勢”を垣間見せてくれる。
 新刊の『二軍』(河出書房新社)もそうだった。

 澤宮優の野球ノンフィクションは、プロとしては不遇だった選手に光を当てている作品が多い。今回のタイトルは『二軍』ということもあって、読む前からかなり期待していた。
 にもかかわらず、その期待を軽く上回った。

『二軍』そして『ドラフト1位』『ドラフト外』(いずれも河出文庫)も野球のボールの写真が装丁につかわれている。

 この本に登場するのは、近藤真市(中日)、髙橋慶彦(広島・ロッテ・阪神)、井上真二(巨人)、金剛弘樹(中日)、西俊児(日本ハム)、藤岡寛生(巨人・日本ハム)、庄司智久(巨人・ロッテ)、太田幸司(近鉄・巨人・ロッテ)、戎信行(オリックス・ヤクルト)、 そして巨人軍寮長の武宮敏明、藤本健作——。

 もっとも活躍したのは髙橋慶彦だろう。最初はこの本に入っていることが意外だった。
 ずっとスター街道を歩んできた選手だとおもっていたから。もちろん、二軍時代もあったし、現役引退後にロッテの二軍監督もしている。

 プロ入りして数年で結果を出さなければ、クビになる。
 髙橋慶彦ですら、高校を出て、プロのプレーを見て「俺、一年でクビになるな」とおもったらしい。
 それで練習の鬼になった。 
 その後、スイッチヒッターに転向するさいには「一日二十四時間では、練習に足りない」とまで考えた。

《練習を精一杯やって、自分でも行けると思って失敗した。このときどう考えるか。“まだ練習が足りない”と思えばいいだけで、その繰り返しですよ。自分の力が足りない。また練習しよう、ですよ》

 指導者になってからは——。

《俺が自分で練習やってのは自分がしたいからやってたわけ。選手の首根っこを捕まえてさせる必要もあるんだけど、心が疲れたら練習ができなくなる。体を動かすのは筋肉じゃない。まずは心と頭だからね》

 野球の話だが、仕事全般についても考えさせられる話だ。

 二軍でどんなに結果を出しても、なかなか一軍に上がれない選手もいる。
 それでも腐らず、練習や工夫を重ねている。
 雑用も手をぬかない。
 記録は残せなくても、そうした姿勢をずっと見ている人もいる。

 プロ十年目で初勝利、最優秀防御率のタイトルを獲得した戎信行投手の話もよかった。

 一球の重さをはじめて知った。

2014/03/23

ニヒルとテロル

 三月になり、毎日けっこう歩いている。二日続けて神保町、二日続けて神田伯剌西爾で珈琲を飲む。

 秋山清著『ニヒルとテロル』が平凡社ライブラリーに入った。名著。

 鶴見俊輔著『回想の人びと』(ちくま文庫)の秋山清の回でも『ニヒルとテロル』所収の「ニヒリスト辻潤」に出てくるエピソードが語られている。

 ある会合で辻潤がテーブルの上に飛び乗り、皿をけとばして歩いた。
 その意味を秋山清は四十年にわたって考え続ける。

(……以下、『閑な読書人』晶文社所収)

2014/03/15

近況その他

 昨日、室生犀星の『随筆集 刈藻』(清和書院、一九五八年刊)を読んだ。この本、ずっと「川藻」という題だとおもっていた。背表紙の「刈」の字のところのパラフィンが傷んでいて「川」の字に見える。それで勘違いしていた。

 犀星、自分の本が売れないという愚痴ばっかり書いている。
 それはさておき、「拍手を外に」という随筆は気になることが書いてあった。

 二十代、三十代は過ぎるのが早い。
 ところが——。

《十代から二十代までは永かつた。それと似て五十から六十の間も永い、若い時代につひやした一日の生活といふものが、五十代になると二日くらゐの永さで生活できるやうだ。気持にゆとりがあり、物を見ることに叮寧綿密さがゆき亙つてゐて、すぐ結論にはなかなか達しなくて何度も考へ直して見るからである。肉体的にはその動作が鈍くなるせゐもある》

 ほんとうだろうか。五十代になってそうおもえたらうれしい。
 あと五年ちょっと。今の感覚だと五年なんてあっという間の気がする。
 ただし、五年後の自分が予想つかない。
             *
『本の雑誌』の今月号は小沼丹著『珈琲挽き』(講談社文芸文庫)について書いた。
 小沼丹は文芸文庫ではじめて知った作家で、『小さな手袋』が刊行されたときにすぐ新刊で読んだ。主語のない不思議な文章で真似しようかとおもったことがある。でもしっくりこなかったのでやめた。

 小沼丹は「第三の新人」の作家と感性がちかいといわれることがあるが、今読むとちょっとちがう気がする。随筆に関しては、詩人の天野忠と読後感が似ているとおもう。

『小説すばる』の今月号は「まんが道と古本」——。

 藤子不二雄著『トキワ荘青春日記』の一九五七年十月二十七日に、次のような記述がある。

《さっき買ってきた森卓夫という明治の青年の書いた日記『灰するが可』を読む。蘆花に送ったら『灰するが可』とだけノートに書いて送り返してきたという。明治時代の青年の悩みが書いてあるのだが、つながる感じがあって十一時まで読む》

 長いあいだ、『灰するが可』という本を探していた。実は、著者名も本の題名もまったくちがうことがわかった。
 森卓夫は、出隆だったんですね。

「まんが道と古本」は次号も続く予定です。

2014/03/13

フライの雑誌から

『フライの雑誌』の最新号が届いた。

 真柄慎一の「一生懸命」は、あいかわらずの筆のさえ、というか、人柄がにじみでている文章だ。
 歌舞伎町のスーパーで深夜アルバイトをしていたころを回想した話で、職場には四十歳すぎのミュージシャンのバイトリーダーをはじめ、一癖も二癖もあるバイト仲間がいる。
 その中で真柄さんは、自分のことを「いたって普通の人」とおもっていた。
 あるときバイトリーダーに趣味の釣りの話をする。
……これ以上は紹介しないが、すばらしい短篇小説を読んだ気分になった。
 タイトルの「一生懸命」の意味もちょっとほろ苦い。
 わたしはこういう話に弱い。

 前号(百号)の真柄さんの「幼なじみ」も読み返した。
 保育園で二人の友人と仲良くなり、小学校、中学校とずっといっしょにすごす。高校は別々になったが、しょっちゅう会っていた。しかし高校を卒業すると、それぞれの生き方もちがってくる。
 ひとりは家業の建設会社を継ぐために大学で勉強、もうひとりは老舗旅館の若旦那として修行することに……。
 そして「僕」はなんのあてもないまま上京する。

《ミュージシャンになる夢はたったの二年で諦めた。田舎でそこそこだった若者は東京で全く歯が立たなかった。そこから努力すればいいものの努力の仕方が分からなかった》

 音楽で挫折し、ひょんなことから釣りをはじめる。
 趣味は、仕事や生活に支障が出ない範囲でやるべきだ——でも世の中には、その範囲を逸脱してしまう人たちがいる。
 すくなくとも、わたしはそういう人たちが羨ましいし、憧れるし、できれば自分もそうありたい。
 何かひとつでもいいから夢中になれるものがあって、ひたすらそれを追い求める。
 頭の中がフライフィッシングのことでいっぱいになって、完全に釣りが中心の生活になる。傍目にはたいへんそうだけど、すごく楽しそうなのだ。

 堀内正徳さんの「みいさんに会いに」(一)も濃厚な人間模様を描いた私小説として読んだ。堀内さんがひとりで北海道に釣りに行く計画を立てていたら、飲み屋の店主のコジマさんに「おれも北海道へ連れていってくれないけ」と頼まれる。
 奥さんが北海道にいるのだ。それから話はどんどん勝手な方向に転がり、いっしょにミニコミを作っていた先輩のくろさんも加わり、気がつくと、男三人、知り合いのトラックを借り、旅に出る。
 関越自動車道に入る前から、前途多難な雰囲気が……。

 この先どうなるんだろう。

2014/03/11

些末事研究

 飲み友だちの福田賢治さんが、雑誌『些末事研究』を創刊しました。A5版全60頁。400円。

 内容
「1. トークショー【かくし念仏とグリーンマン】阿伊染徳美」
「2. 鼎談【俺の漫画】【地方と東京】荻原魚雷×河田拓也×福田賢治」

 画家の阿伊染徳美さんのトークショーは、古本酒場コクテイルで行われた。岩手の「かくし念仏」の話が伝説や神話の体験者の証言を聞いているみたいだった(阿伊染さんの絵も日本の神話をモチーフにしたものが多い)。
 かくし念仏は江戸中期、留守藩(岩手県水沢市)に起こった信仰で、信者は五十万人くらいいる。
 江戸期には、キリシタンの集まりと誤解されて、弾圧されたこともあった。

《オレは「かくし念仏」において相当高い聖なる血をひいている人間なんだ。田舎へ行くと、オレの家を言うとあっと驚くよ、みんなね》

 阿伊染さんは、教祖の一番弟子の子孫なのである。

 思想の科学社から『わがかくし念仏』という本も出ている。

 阿伊染さんはその後、イギリスに渡って、人間と植物が合体した「グリーンマン」の研究をする。

《ヨーロッパはキリスト教が広まったように見えるけど、うちの「かくし念仏」にもよく似ているんだけど、信じていれば天国に行けるんだ。それで、あちこちに教会を建てる。建てる時に、このグリーンマンを石で彫っているけど、魔除けなのよこれ。(中略)でも考えてみれば、キリスト教以前の原始的宗教なわけよ、グリーンマンは》

 第2部の鼎談では、河田拓也さんと福田賢治さんとわたしが漫画の話と地方の話を収録しています。

※ご注文、お問い合わせは『些末事研究』ホームページにて。
http://samatsuji.com/

2014/03/09

フォームとセオリー その四

 三月になったので、冬眠解除のつもりで気合をいれていたのだが、気温の変化に体がついていかない。数日前、腰にピリっとした痛みが走る。腰痛の兆候と察し、ひたすら安静を心がける。

 自分は「欠陥車」と考え、行動することを心がけるようになったのは二十代半ばごろだ。「欠陥車」であることを意識すると、無理がきかない分、自分の操縦に注意深くなる。年々、体力や気力その他は衰えてきているが、安全運転の技術だけは熟達してきている。
 あと「フォーム」に関しては、いつでも「ここに戻れる」という場所があるといいかもしれない。気力体力がピークのときの「フォーム」ではなく、好調でも不調でもなく、その中間あたりの状態を基本にする。
 そういう思考になったのは、(自分比で)低迷期に無理をしたり、焦ったりしても、たいして効果がないということを学習したからだ。

 色川武大は『うらおもて人生録』の中で「フォーム」を別の言葉でいいかえている。

《人間は、結局、ここだけは死んでもゆずれないぞ、という線を守っていくしかないんだ。
 その、ここだけはゆずれないぞ、という線を、いいかえれば、自分の生き方の軸を、なるべく早く造れるといいんだがなァ》(「球威をつける法——の章」)

・自分は、どういうふうに生きたいのか。
・自分は、こういう生き方だけはしたくない。

 そうしたおもいがその人の「固有の軸」になる。この「固有の軸」をもとに、自分の生き方を造っていくこと。
 それが色川武大の「セオリー」であり、「フォーム」といってもいい。

 誰もが、そういう生き方をしたほうがいいとはおもわない。「固有の軸」に殉じる生き方は、融通がきかない。だからこそ、色川武大は別の章で「ちゃらんぽらん」になれることも大切だといっている。
 これまでうまくいった「フォーム」も続けているうちに、なかなかよい結果が出ず、不調から抜け出せなくなることもある。

 その場合、どうするか。色川武大は簡単に変えないほうがいいという。
 今回、『うらおもて人生録』を読み返していて、わたし自身、迷っていた。昔とちがい、今はひとつの「フォーム」でやっていくことがむずかしくなっているのではないかと……。自分の基本、持ち味を失わないまま、新しい技術を身につけることは、むずかしい。
 だしの取り方をちょっと変えるくらいが理想なのだが……。
 それより着地点が見つからなくて、いつも文章を尻切れトンボで終わらせてしまう「フォーム」を直したい。

(とりあえず、完)

2014/03/02

フォームとセオリー その三

 無数の職業(や趣味)があり、そのひとつひとつに無数のやり方——「セオリー」があり、その「セオリー」にたいしても無数の「フォーム」がある。
 無数の「セオリー」と無数の「フォーム」の中から、自分に合ったものを見つけ、身につける。理想の「フォーム」を身につけることがゴールではない。

《誰でも一生のうちで、気力体力が最高に充実するピークのときがあって、そういうときは(格や実力に応じて)強い。けれどもだからといっていつも強いとは限らない》(「プロはフォームの世界——の章」/『うらおもて人生録』)

 アマチュアならピークがすぎて、勝てなくなったら、本業に戻ればいい。しかしプロはそうもいかない。
 だから色川武大は「プロ」は「プロのセオリー」を身につける必要があるという。

《プロは持続を旨とすべし》

 その日その日の成績ではなく、「年間打率」や「通算打率」を目標にする。

 また「一一三の法則——の章」では、アマチュアとプロのちがいについて語っている。
 トーナメントは、負けたらそれでおしまいだから「一発全力主義」でいい。プロは「持続を軸にする方式」でなくてはならない。
 ようするに、続かない方法はいけない。そのためにはペース配分を考える必要がある。
 しかし仕事があったりなかったりという状況では、なかなかペース配分を考えることはできない。どうしても「一発全力主義」になってしまう。でもそれで燃え尽きてしまったら、元も子もない。
 わたしが(仕事の)ペース配分を考えるようになったのは三十代後半くらいで、それまではどちらかといえば、アマチュア方式でやっていた。

《もし、明日のことを考えないで、一回こっくりの勝負だったら、プロより強いアマチュアはたくさんいるだろうよ》(「一一三の法則――の章」)

 プロは目先の結果より「フォーム」を重視する。どちらが正しいとか偉いとかということではない。
 うらやましいくらいの素質がありながら、ペース配分を身につけることができずにやめてしまう人はけっこう多い。そういう人を見ると、もったいないとおもうし、残念だ。

(……続く)

2014/02/28

フォームとセオリー その二

 自分が「欠陥車」であると自覚せずに、急発進や急ブレーキをくりかえしていれば、どこかで故障する。体力がないのに力まかせの「フォーム」を身につけようとしてもうまくいかない。
 色川武大の「フォーム」と「セオリー」は「こうすればうまくいく」とか「ギャンブル必勝法」といった類の話ではない。
 くりかえし語られているのは、誰にでもすぐできるようなやり方は通用しないということだ。
 プロ同士の戦いではお互い「セオリー」を熟知しているから、武器にはならない。

「セオリー」を知らずにゲームに参加にすればカモにされる。つまり「セオリー」はカモにならないための最低限の知恵といってもいい。
 そして勝負どころは「セオリー」の先にある。

 もちろん基本は大事だ。しかし基本に忠実であることが、かならずしも自分に合うとはかぎらない。たとえば、その投げ方だと肩を壊すという助言されたとしても、人によっては自分の投げ方以外の投げ方をすると、どこにでもいる凡庸なピッチャーになってしまうこともある。

 もともと身体能力が高ければ、基本通りのやり方も立派に通用するだろうが、そうでなければ、何か工夫しないといけない。

 フリーランスの場合、ひとりの依頼主が「だめ」といっても、どこかで「それもありかな」といってくれる人がいれば、仕事は成立する。手っ取り早く仕事をするには、あるていど万人受けする「フォーム」も有効かもしれないが、その道は競争が激しいし、能力差がモロに出る。

 いわゆる「欠陥車」タイプは、その道を避けたほうがいい。
 変則派には変則派の「セオリー」と「フォーム」がある。

 森高夕次原作、アダチケイジ画『グラゼニ』(講談社モーニングコミックス)の三巻にこんなシーンがある。
 主人公の凡田夏之介は変則派のピッチャー(中継ぎ投手)で、あるときフォームを改造し球威がアップする。その分、コントロールが乱れるようになって、大事なところで打たれてしまう。
 その結果、自分のプロとしての生命線はスピードではなく、コントロールだと痛感する。

 このエピソードは色川武大の「セオリー」と「フォーム」の話にも通じるとおもう。
 ひとつの欠点を改めると、別の欠点が生じる。
 短所を直して、長所を失う。
 だからこそ、自分の生命線となる能力を見極める必要がある。

(……続く)

2014/02/27

フォームとセオリー その一

 毎日新聞の「日曜くらぶ」で色川武大の「うらおもて人生録」がはじまったのは、一九八三年八月七日——。
 色川武大、五十四歳のときだ。
 宇野千代の自伝『生きて行く私』の後に続いたエッセイである。

 一九八三年七月二十七日付の毎日新聞に「日曜くらぶの新連載」という記事があり、そこに「作者のことば」が掲載されている。

《ときどき私のところにも若い人たちが遊びに来る。年齢もまちまち男女さまざまだが、彼らはいずれも尻が長い。もっとも私が客好きで、なんとか接待しようとして一人でしゃべっているうちに夜がふけるのだ。若い人たちもけっこう面白がって聴いているらしい。何故なら次に来たときも尻が長いから。
 それで、ついでのことに、架空の若者諸氏と向いあっているつもりで、活字に記しつけておこうかという気になった。私は学校に行かなかったから、自分の生きるフォームを自分で造らざるをえなかった。私のセオリーが当代の若い人の参考にどれほどなるかわからぬが、その意味で、鞭(むち)もしごきもないけれど、これは私流のヨットスクールということになるかもしれない》
             *
 この連載をわたしはリアルタイムで読んでいない。
 読んだのは、二十代の半ばだろう。
 以来、この「作者のことば」の中にもある「フォーム」や「セオリー」といった言葉は、自分がものを考えるさいのキーワードになった。

《今、セオリーという言葉を使いましたが、私はこの本では、生きていくうえでの技術に焦点を合わせたつもりであります》(はじめに)

《フォームというのはね、今日まで自分が、これを守ってきたからこそメシが食えてきた、そのどうしても守らなければならない核のことだな》(「プロはフォームの世界——の章」)

 色川武大の「フォーム」と「セオリー」の話で、わたしが考えさせられたのが「欠陥車の生き方」である。

《だらしがないから、他人とスクラムが組めない。(では、できるだけ一人で生きていくよりしかたがない)
 だらしがないから、スピードを軸にすることはむりだ。(では、じっくりといこう)
 みんな、だらしのなさに起因していて、これだけ方々に伸びひろがっているのでは、この点を矯正するよりも、へんないいかただけれども、生かした方がいいのではないか、と思ったわけだね》(「欠陥車の生き方——の章」)

 欠点や欠陥というほどでなくても、人にはかならず何らかの欠落がある。
 知識に関しても、穴ボコがたくさんある。
 何かを知っていることは、何かを知らないことでもある。

 自分の「フォーム」を作るとき、「欠陥車」であることを前提に考えようとおもった。
 しかし持続に支障が出るような欠陥は、改善したほうがいい。

 若いころにうまくいった「フォーム」が、齢をとると負担が大きくなる。
 
 さて、なにから……。

(……続く)

2014/02/23

木山スタイル

 三月まであと一週間。
 慣らし運転のつもりで徐々に散歩の距離をのばす。高円寺中野間を往復する。電車で一駅分だが、中野ブロードウェイの四階まで階段をのぼったら、足にきた。

 紀伊國屋書店の『scripta』の連載「中年の本棚」も一年。季刊の連載は楽しい。でも「中年」のあり方に関してはまだ迷っている。

 二十代、三十代のころは「現状維持ではいけない」とおもっていたのだが、四十代以降は「のらりくらりでいこう」という気持になっている。

 ここ数年、下り坂仕様のライフスタイル——どうにか細々とのんびりと暮らしていけないものかと考えている。
 四十代は働き盛りだといっても、体力も気力も衰えてきている。伸び盛りの時期はすぎたとおもう。そのことを悲観するのではなく、別の価値を見いだす。たとえば、行動範囲は狭くなった分、小さな場所(近所)を大切にするとか、部屋でくつろぐ時間を充実させるとか、自炊のレパートリーを増やすとか。

 すこし前に、山口瞳著『小説・吉野秀雄先生』(文春文庫)を読んで、やはり、この本の白眉は「木山捷平さん」であるという結論に達した。

《木山さんは、文士は講演なんかするもんじゃないと言われた》

《また、小説が書けなくなったら、汚い服装で旅行して、三流旅館に泊まればよいと言われたこともあった。とくに靴はボロボロのものがよい》

 たぶん、この方向で間違いない。ただ、行けるかどうかはわからない。

2014/02/19

藤子・F・不二雄の新刊

 昨日の昼すぎ、スーパーに行く。
 棚がスカスカで驚く。豆腐、卵、うどんなどがない。別のスーパーはもやしや牛乳がない。
 先週の雪の影響のようだ。

 今月刊行のドラえもんルーム編『藤子・F・不二雄の発想術』(小学館新書)が素晴らしい。読みはじめたら、止まらない。新聞や雑誌に発表されたエッセイやコメント、藤子不二雄賞の総評などが収録されている。

「第1章 僕が歩んできた道」
「第2章 僕のまんが論」
「第3章 僕の仕事術」
「第4章 まんが家を目指す人に」

 夕方、電車の中で夢中になって読みながら毎日新聞社に行って雑用をすませ、ついでに『サンデー毎日』の一九九三年五月九日・十六日号、五月二十三日号の高円宮殿下と藤子・F・不二雄の対談をコピーさせてもらう。

 この対談の一部も『藤子・F・不二雄の発想術』に収録されているのだが、全文読んでみたくなったのだ。高円宮殿下、サッカーだけでなく、漫画も好きだったのは意外だ。
 藤子不二雄がコンビを解消したの経緯について、F氏は次のように語っている。

《藤子 そうですね。一つの名前で、まるっきり別の作風が出てくるというのを、皆さんに幅広さと解釈してもらえたのかな、とも思うんです。「まんが道」のようにリアルな漫画は、僕には描けませんから。僕は、わりと空想的じゃないとダメなもんで。だから他人から僕も「まんが道」を描いているという前提で話かけられると、とてもつらいんですよ。
 高円宮 よくわかります。
 藤子 それなら、はっきり分けちゃったほうが、すっきりしていいんじゃないかということで、コンビを解消したわけです。別にごまかしていたのじゃなくて、なんとなく無精して一つの名前で描いていただけなんです》(『サンデー毎日』一九九三年五月九日・十六日号)

 高円宮殿下が「オバQ」のファンということもあって、その当時のエピソードも披露している。

《高円宮 小池さんはどちらが描いていたんですか。
 藤子 安孫子君です。でも、実は描き手は二人だけじゃないんです。「藤子不二雄とスタジオゼロ」という名前で、石ノ森章太郎君、「釣りバカ日誌」の北見けんいち君を加えた四人で描いてました。
 高円宮 エッ。四人でどうやって描くんですか。
 藤子 まず、最初に僕がコマ割りといって、台詞と大雑把な人物の配置を決めて、オバQやそのほかのお化けを描くわけです。そこに安孫子君が正ちゃんやお兄さんの伸一君、そしてラーメンの小池さんを描く。次に、石ノ森君のところに持って行って、ゴジラやヨッちゃんなど“その他大勢”を描くんですね。さらに、今度は北見君が背景を入れて仕上げる。非常に煩雑な作り方をしていたんです》(同前)

 一九九三年五月二十三日号では、トキワ荘に引っ越してきたころの話も語っている。

《高円宮 その手塚さんが、トキワ荘にいらしたわけですね。
 藤子 はい。最初に手塚先生がいらして、次が昨年亡くなった寺田ヒロオ君です。安孫子君がまず、様子を探りに上京して、手塚先生を訪ねたら、ものすごく忙しくしてらして。向かいの部屋にいた寺田君のところへ、「ちょっと相手をしてくれ」とほうり込まれちゃったんです。そこで、手作りのカレーライスをご馳走になって、仲良くなって帰ってきたわけです》

 そのあと藤子不二雄Aの『まんが道』にも描かれている両国の二畳一間の下宿の話も——。

《高円宮 二畳に二人ですか。
 藤子 机が部屋の片隅にあって、その机に向かって仕事して、「アーアッ」って引っくり返ると、背中が後ろの壁に激突するんです(笑)》

 話はかわるが、今月、藤子不二雄(A)デジタルセレクションの『まんが道』(全二十五巻)と『愛…しりそめし頃に…』(全十二巻)が出た。「巻末特別付録つき!!」ってなんだよ。気になるじゃないか。うーん、細かいところを拡大して読みたい。ここで大人買いしなかったら、大人になった意味はない。買うしかない。今月は禁酒、じゃなくて節酒する。

 読む前からわかっていた。『まんが道』を一気に読んで、『愛…しりそめし頃に…』の二巻の「〈特別編〉さらば友よ」で号泣すると。

 この間、仕事がまったく手につかなかった。

 話は戻るが、『藤子・F・不二雄の発想術』と『藤子・F・不二雄のまんが技法』(小学館文庫)と併せて読むと、さらにおもしろいとおもう。

《ぼくの経験からいいますと、まんがをかきはじめのころは、先にもいったように、精力的にどんどんかいたほうがいいと思います。人間の頭脳というのは、学習能力を持ったコンピューターのようなもので、かけばかくほど、それがひとつの方程式になって、頭の中にインプットされていきます。そのうちに、そこへ材料をほうりこめば、アイディアが簡単に出てくるようになります》(「学習能力を持つコンピューター」/『藤子・F・不二雄のまんが技法』より)

《創作と言いますけど、有名な言葉に「完全な創作はこの世に存在しない。すべて人間が文化を持って以来の作り直し、再生産されたものである」というのがありますね。描く一方だとすぐ枯れてしまうんです。ここを一つの土壌だとすれば、たえず栄養を供給してやらなければ、枯れた土地になってしまい作物もできなくなってしまう。たえず考えなければいけない》(「創造の心構え」/『藤子・F・不二雄の発想術』より)

 一見、矛盾しているようにおもえるが、どちらもほんとうだろう。
 作り続けることで成長するし、そのための栄養補給を怠っていると枯渇する。

 いろいろ勉強になる。

2014/02/15

正しい転び方

 ソチ五輪のフィギュアスケートを観ていて、おもったことを記しておく。

 あの舞台に立っている人たちは、世界のトップクラスの選手である。それでも転んだり、ミスをしたりする。たぶん、ジャンプしてくるくる回ろうとするからだ。

 この世界を大きなひとつスケートリンクと仮定すると、あんなにくるくる回る必要があるのはごく一部の人だけだ。
 それ以外の人は、ジャンプしてくるくる回る技術よりも、ケガをしない転び方をおぼえたほうが役に立つ。おもしろく転び、楽しそうに立ち上がれるようであれば、それも才能だ。

 あるいは「え? 転けた? いつ? おれが? ウソでしょ」と平然と滑り続ける胆力を身につけるのもいい。

 逆に、人が転んだのを見ると「ダッセー、バカじゃねえの」というくせに、いざ自分が転ぶと、へなへなになってしまうような人は、前非を悔い、別人のように生まれ変わることをおすすめしたい。

 ふだんから他人に厳しい言動をしていると、自分が失敗したときに窮地に陥りやすい。前の都知事のことをいっているわけではないので、誤解しないでほしいのだが、自分が許してほしければ、人にもそうしたほうがいいという話である。

 フィギュアスケートの話と関係ないけど、このくらいは大目に見てほしい。

2014/02/13

フリーライター

 二月中旬。このあたりの季節が、一年のうちで心身ともにどん底という人も多いとおもう。

 毎日、超起きられない。午後二時くらいにぼんやりと目が覚め、布団から抜け出すまで二時間くらいかかった。

 世の中にはもっと超起きることができない人がいるとおもう。今日一日ずっと布団の中から出なかった人もいるだろう。
 そういう人からすれば「二時間で布団から出た? 自慢か?」と不愉快なおもいをさせてしまったかもしれない。

 昨年からクレジットカードを持つようになった。
 おかげで、家から一歩も出ずにキンドルで青山南著『ピーターとペーターの狭間で』(ちくま文庫)を読むことができた。

 探せばどこかにあるはずなのだが、今のわたしには探す気力がないが、ワンクリックで文庫をダウンロードするくらいの財力はある。

 気力を財力で補う。昔の自分にはなかった発想だ。今さらながら、クレジットカードってすごく便利だ。

『ピーターとペーターの狭間で』を読んでいたら「フリーライター」の話が出てきた。

《(フリーライターという肩書きは)以前からもちろん巷でその言葉は口にされていたが、活字として公にするには、どこかうさんくさいかんじがするので、一般には避けられていた。そりゃそうだろう、どこの馬の骨とも知れない奴がコネを駆使して新聞や雑誌に記事を書き、雀の涙ほどのお金を手にするのが、この「フリーライター」だからである》

 青山南自身、「まあ、ぼくもフリーライターのはしくれだから」と断っているので、同業者のみなさま、引用した文章を読んで、腹を立てないように。それに単行本は一九八七年に刊行されている。四半世紀以上前に書かれた文章に文句をいっても、書いたほうはおぼえていないだろうし、考え方も変わっているだろうし、変わっていなくても、いやがるだろうから、怒らないように。

 問題はそこではなくて、「フリーライター」という言葉は和製英語で、そのままだと(1)ひまな物書き(2)無料で書く物書き——という意味になるそうなのだ。
 で、「フリーランスライター」か「フリーランサー」なら誤解されないと。

 勉強になったが、わたしは和製英語を認めない論者ではない。「フリーライター」でいいじゃないか。どこの馬の骨かわからない物書きでいいじゃないか。

 ひまだったので無料で書いた。

2014/02/10

中立派の愚痴

 十六年ぶりの大雪と書いたが、その後、二十年ぶりとなり、四十五年ぶりになった。

 アンディ・ルーニーの『人生と(上手に)つきあう法』(井上一馬訳、晶文社)所収の「共和党派か民主党派か」というコラムを読む。

 ルーニーが、共和党派でも民主党派のどちらも支持していないというと、共和党派の友人からは「分別を失った」とおもわれ、民主党派の友人からは「裏切った」といわれる。

 彼は、政党に関係なく、いかなる支持票を投じない——。

《それどころか、だれであろうと現職の大統領には私は反対なのである》

 アメリカでこうした意見がどのくらい問題発言なのかはわからない。

《私は自分の中立性に対する直観を信用している。私はハト派に対してもタカ派に対しても中立である》

 彼はリベラル派な人は性善説、保守派は性悪説をとっていると分析する。
 性善説の人は「貧乏人と無学な人間は不平等な制度の犠牲者であり、その人たちの環境は自分たちが手を差しのべれば、改善されると信じている」という。
 性悪説の人は「彼らは貧乏人に対して無感覚というわけではなく、貧乏人は働こうとしないから貧乏なのだと考える傾向がある」という。

 ルーニーはその考えのどちらにも与しない。
 何よりも中立性を重視する。中立性はバランスといいかえてもいいかもしれない。

 アメリカの話ではあるが、日本にもどっちつかずというか、はっきりした主義主張が苦手な人は一定数いる。

 だからこそ、こうおもう。

 中立派の気分を害しても何の得もないぞと。無理矢理説得しようとすれば、ヘソを曲げる可能性のほうが高いぞと。無知な愚民扱いされたら、あんたの支持する候補者にだけは入れないと決意するぞと。
 みんながみんな、政治に無関心とは限らないぞと。どっちつかずの立場を否定する人と話すのが面倒くさいとおもって、へらへらしているだけかもしれないぞと。

 中立派は、改心はしないが、譲歩はする。
 政策の是非は別にして、より寛容かつ慎重な姿勢を見せてくれそうな候補者(陣営)に一票を投じようとおもっている人は少なくないだろう。

 どちらかといえば、わたしもそうだ。

2014/02/09

贋作曲家

 東京は十六年ぶりの大雪。午前中に西部古書会館の「大均一祭」に行く。寒い。
            *
 目利きの話の続きを書いていたら、自称・耳が聴こえない作曲家と代作者の騒動が起こった。

 素人は素人なりに、いい曲とそうでない曲の聴き分け方がある。
 おぼえやすい曲、印象に残る曲は(素人にとって)いい曲だ。玄人からすれば、単にわかりやすい曲だということになるのかもしれない。わかりやすい曲=優れた曲とは限らない。

「現代のベートーベンが作った曲だ」といわれて、うっかり信じてしまう。「このワインは、×万円」といわれたら、なんとなく「うまいのかな」とおもってしまうのも似たようなものだろう。

 逆にいえば、プロの耳もアマチュアの耳もだませるような「贋物」だったら、それはたいしたものだ。
 事の顛末が明らかになっても「やっぱりいい曲だ」とおもえるのなら、代作者の才能は「本物」だったということになる。

 とはいえ、昔も今も、音楽が曲のよさだけが評価されることは稀だ。歌手やバンドの力量(外見も含む)にも左右されるし、聴き手は歌い手や作り手側の物語込みで音楽を聴く。

 わたしの場合、古本や中古レコードにたいし、「苦労してやっと見つけた」という感激をその評価に加えてしまう。作品のよしあしではなく、稀少価値があるかどうかに左右されやすい。
 コレクター以外にはどこがいいのかわからない印刷したカードでも「レア」であれば、高額で取引される。

 耳が聴こえない(フリをしている?)独学の作曲家は、学校で地道に勉強してきた作曲家よりも「稀な存在」だ。耳も聴こえず、譜面も読めないのに、交響曲が作れたらそれこそ「奇跡」だ。
 わたしはそれをありがたがってしまう人を否定できない。

 後からおもえば、贋作曲家の能力を試す方法はいくらでもある。
 クラシックの名曲のスコアを見せて誰の曲かを当てさせる。
 プロの作曲家ならすぐわかるだろう。
 譜面が読めないとわかったら、もっと早く協力者(代作者)の存在に気づいたはずである。

 十八年もバレなかったことが、いちばんの「奇跡」だとおもう。

2014/02/05

失敗の回数券

 起きたら室温が十度以下。コタツの上に電気コンロを置いて、やかんで湯をわかす。沸騰したら止め、湯気がおさまったら、またわかす。
 豆腐+しょうがの汁もの生活は続く。最初はうどん、その後つゆを足して雑炊にする。阿佐ケ谷の沖縄料理の店で沖縄そばの濃縮つゆを買ったのだが、ちょっと味が足りないとおもったときの抑えの切り札として使っている。

 新刊、吉田康弘著『組織で生き残る選手 消える選手』(祥伝社新書)を読む。

 吉田康弘は平均引退年齢26歳のJリーグで39歳(現役引退は41歳)までプレーした選手である。

 現役時代は、監督のゲームプランやチーム事情に対応することを優先し、キーパー以外のポジションはどこでもやる準備をしていた。

 鹿島アントラーズに入団時、吉田選手はジーコと同じポジションだった。ポジションを奪うのはほぼ不可能——“サッカーの神様”に勝てるのは「運動量」くらいしかない。
 そこで吉田選手は、監督がもっとも使いたい選手(=ジーコ)を助けられる選手になろうと考える。そうすれば、出場機会が増える。

 そのためには何をすればいいのか?

 組織の中での生き残り方について書かれた本だけど、フリーランスの処世にも通じる気がする。
 とくに第4章の「モチベーションの維持」は読ませる。

《失敗は回数券のようなもの、と私は考えています。たとえば、10回失敗すると、1回成功がついてくる、など。つまり、成功の確率を上げるためには、分母(失敗の回数)を大きくしなければいけないのです》

 失敗することによって、うまくいかないことを発見する。その発見を収穫と考えられる発想の柔軟さが吉田選手の強みだったとおもう。海外のメンタルトレーニングに関する翻訳書も読んでいたという。

 現在、吉田康弘は横河武蔵野FC(JFL)の監督。
 武蔵野市のチーム。
 応援しようかな。

2014/02/03

目利きの話 その三

 東京の最高気温一八度。四月上旬並の気温らしい。

『目利きのヒミツ』を再読し、その中の言葉が、自分がおもっている以上に深く残っていたことに気づいた。

「真贋の奥に見える生きもの」というエッセイで焼物の話が出てくる。

《たとえば焼物の良さというのは、いちど自分の手で焼いてみないことはその本当の良さがわからないような気がする》

 なんてことのない文章だが、今回読んで、うーんと考え込んでしまった。たぶん、前に読んだときも、そうだったとおもう。

 焼物を作る。何でもない色でもこの色を出すことがむずかしい。
 赤瀬川原平は「そういうことはいちど自分の手でやってみて失敗を重ねて、やっと実感できることである」という。

 焼物にかぎらず、あらゆる創作、演芸、スポーツなどにもいえる。
 何だって見るのとやるのは大違いだ。

 野球を観ていて、ピッチャーの失投、野手のエラー、打者の凡打にヤジを飛ばす。
 当たり前だけど、自分がその場所にいて、それができるかといえばできない。しかし「プロでお金もらっているんだから、できて当然」と考える。
 では、自分はまったくミスをしないかといえば、そんなことはない。しょっちゅうある。

 世の中には焼物を作ったことはないが、焼物の良さがわかる人がいる。
 赤瀬川原平は「おそらく見ることの集積が、それを作る作業の感覚にまで染み込んでいって、知識が実感にまで重なることがあるのだろう」と推測する。

 焼物のむずかしさを知らずに焼物を批評するようなことをよくやってしまうなと『目利きのヒミツ』を読んで痛感した。

 テレビに出ている芸人を見て「つまらない」とおもったり、プロ野球選手のエラーを「ヘタクソ」とおもったりする。そうおもう自分はその舞台やグラウンドに立つことのむずかしさをわかっていない。

 誤解してほしくないのは「自分ができないくせに何もいうな」といいたいのではない。

《やっぱり身銭を切らないと物は見えてこないのはどの世界も同じようで、お金を媒介としてその物との関わりが一段と深まる》

 この文章も読みながら、うーんと考えさせられてしまった。

 今は「見ることの集積」という言葉の重さと深さに困惑している。

(……続く)

2014/02/02

目利きの話 その二

『目利きのヒミツ』をはじめて読んだとき、三十二歳の自分はどんな感想を持ったのか、よくおぼえていない。

《じっさいにやってみれば考えが変ることもあるのに、そんな「いいかげんなこと」は信じられない》

 当時のわたしは簡単に考えを変えることは無責任だとおもっていたし、ぶれることはいけないとおもっていた。
 同時に本ばかり読んでいて、経験が足りていないというおもいもあった。ただ、頭もからだも急激な変化はよくない。だから「徐々に」「ほどほど」といった感覚が必要だ。

 そもそも頭とからだを分けて考えるのは頭の発想である。

 疲れには体の疲労と心労がある。たぶん単純に分けることはできない。体の疲れが心の疲れにつながることもあれば、その逆もある。
 思考は体調に左右される。

『目利きのヒミツ』は、すぐよこ道に逸れる。理路整然とは逆だ。赤瀬川原平は、オウムの原稿を書いて、ゲラで読んでがっかりし、はじめから書き直したという。わかりきったことを大マジメに書いてしまったと反省している。
「オウムの頭と体」はそうした経緯を経て綴られた文章である。

《体にとっていちばん警戒しなければいけないのは頭の観念世界で、体はそんな頭を上に乗せているから困るのである。頭だけで観念世界をいじるならいいが、そうはいかない。観念が膨張をはじめると、それを乗っけている体は動かなくなり、それがつづくと体は観念に吸い込まれて骨抜きになる》

《ヨガとか座禅とか瞑想とかいうものには、体の教養主義を感じる。思い過ごしだといいんだけど》

《文化というのはたんに出来上がった絵画や文学というだけのものではない。それは結果の話であって、むしろそれ以前の生活の中でユトリの部分、ショックアブソーバー。頭ではムダだと思われながら体がどうしても欲しいもの。自分に合った物や事柄への愛着。(中略)つまりむずむずする体が文化の母胎としてあるわけで、頭はというともちろん科学である》

 赤瀬川原平は、オウム信者のバランス感覚や身体感覚のなさを指摘する。オウムに限った話ではない。わたしもそうだが、知識や情報に比重を置きがちな現代人は、多かれ少なかれ「体」が「観念」に支配されている。
 スポーツや武術をやっている人でさえ、理論や理屈で体をコントロールしようとする傾向がある。

(……続く)

目利きの話 その一

 二月。あいかわらず、毎日しょうがを入れたうどん、みそ汁を食う。散歩が仕事の日々。

 気分転換に赤瀬川原平著『目利きのヒミツ』(光文社知恵の森文庫)を再読した。
 文庫化されたのが二〇〇二年の秋で刊行後すぐ読んで、すごく興奮したことをおぼえている。
 とくに「現代美術と鼻の関係」は、内容を忘れていたけど、読み返して、何度もうならされた。この先、何年かに一回読む本になりそう。

《頭が回転をはじめる前の、感覚が野放しだったころの自分の表現というものがある。その感覚がいまはなくなり、それじゃ頭の回転のせいなのかどうかはわからないが、とにかくかつてのその自分の感覚にあやかろうとして、頭でそれを追いはじめる》

 理論や理屈が、感覚よりも優先される。文章の話でいえば、細かな言葉づかい——そういう表現は避けたほうがいいといったルールに縛られる。
 ただ、ルールを優先しすぎると自分の感覚を弱らせてしまうことにもなりかねない。

 食べていかなきゃいけないとおもって、わたしもそれなりに文章技術のようなものを身につけようとしたし、それが役に立っているところもあるのだが、「感覚が野放しだったころの自分の表現」はできなくなってしまった。
 この十年くらい、感覚の表現に関してはずっとリハビリ中だ。

「現代美術と鼻の関係」では、頭は計算できるが、感覚は計算できないという話をしている。

「オウムの頭と体」もその延長にあるのだが、時事問題を語りながら、それが芸術論になっている。
 昔は太字の万年筆に抵抗があったが、今はちがう。いつの間にか自分の好みが変わっている。そんな話をしていたかとおもえば、次のような文章が出てくる。

《若いころは自分の体内にムダな神経質を養っているもので、考えても仕方ないことまで深く考えてしまう。じっさいにやってみれば考えが変ることもあるのに、そんな「いいかげんなこと」は信じられない。どうしても最初の考えに閉じ籠ろうとする》

 わたしも初志貫徹や一貫性をいいものだと考えていた。自分だけでなく、他人にもそれを期待してしまうから質が悪い。

(……続く)

2014/01/26

いつもの旅先

《寒いのが苦手だから、十二月にはいると、冬眠したくなってくる》

 本をひらいたら、いきなりそんな一行が綴られていた。
 常盤新平著『いつもの旅先』(幻戯書房)の「春を待ちながら」というエッセイの冒頭の一文である。

 常盤新平が亡くなったのは昨年の一月二十二日——『いつもの旅先』は没後一年の刊行の単行本未収録のエッセイ集。

 常盤新平は山口瞳の熱心な読者だった。文体ではなく、随筆を小説のように書く手法が似ている。『ニューヨーカー』の掌編のスタイルの影響もあるだろう。木山捷平の作品も愛読していた。古本屋で見つからなかった木山捷平の本が講談社文芸文庫になったことを喜んでいる。

『いつもの旅先』が刊行されるすこし前、『小さなアメリカ』(PHP研究所、一九九一年刊)を読み返していた。エッセイ集というより、アメリカの雑誌記事の小ネタ集で『ビッグコミック オリジナル』と『ダカーポ』の連載をまとめた本だ。

《▼最近の雑誌について、ノースウェスタン大学ジャーナリズム学部の雑誌グループ部長エーブ・ペックが嘆いている。
「何を着るか、どこで食べるか、どんなふうに買物するか、こんなことしか教えない雑誌が多い」》

 それから北沢夏音さんが『窓の向うのアメリカ』(恒文社21、二〇〇一年刊)がおもしろいといっていたことをおもいだし、久しぶりに読み返した。

 この本の中に「コラムとエッセイのちがい」という文章が入っている。

 クリストファー・シルヴェスター編『コラムニスト』という英米百四十一人のコラムニストの作品を集めた本を紹介し、コラムの定義が提示される。

『窓の向こうのアメリカ』の「山口組の末席をけがして」「稀に見る素敵な人」は、山口瞳のことを描きながら、自分のだめなところを書いている。この二篇を読んでおくと、『いつもの旅先』はさらに味わい深くなるだろう。

2014/01/25

冬眠生活

 一月、二月は自分に期待しないことにしている。ひどい風邪をひかず、腰痛その他を回避することを心がけ、多少、気持がふさぎこむくらいはよしとする。

 あたたかい汁ものを作って、しょうがを入れまくる。瓶入りの最初からすってあるしょうがは楽だ。
 一年中同じ調子を維持しようとしても、その無理はどこで出る。仕事も趣味も暖かくなるまで怠けながらやる。

 コタツに入っている時間が長くなると、どうしても腰によくないので散歩はしたほうがいい。あとお湯につかるか足湯をして汗をかくのもいい。

 キンドルで本を検索すると、色川武大の『花のさかりは地下道で』が電子化されていた。
 文春文庫版は品切れで古本屋でもあまり見かけない。

 紙と電子——どちらがどうというのではなく、この先、入手しにくい本が電子版で読めるのであれば、それでいいやとおもっている。

 本を見つけるまでの苦労や一冊の本にたいする愛着は、電子書籍で味わうことはむずかしいとおもうが、そのあたりの感覚も変わっていくかもしれない。
 インターネットの古本屋が普及する以前にあった古本にたいする「一期一会」の感覚はなくなりつつある。
 幸か不幸かといえば、どちらともいえない。本が探しやすくなった分、見つけたときの感激が薄れた。今は知らない本を探すために古本屋や古書会館に行く。

 いまだに音楽だけはレコードかCDの形をしていないとだめだ。

2014/01/18

フライの雑誌

『小説すばる』2月号の特集「はじめての東京暮らし」で「今住むなら、この古書店街だ!」という記事で「谷根千」「おに吉」「わめぞ」を紹介しました。
 今、自分が上京したら、どこに住みたいかと考えたら、その界隈かなと。
 下北沢を入れるかどうかは最後まで迷った。

 昨晩はフライの雑誌社の堀内正徳さんと高円寺で飲んだ。『葛西善蔵と釣りがしたい』を読んで、同世代で高円寺・阿佐ケ谷界隈にいたこともある人ということは知っていた。
 堀内さんからフライフィッシングの話をいろいろ伺った。「この人はフライフィッシングの世界における手塚治虫のような人です」といった説明がおもしろかった。

『フライの雑誌』は100号まで出ていて、100号の特集は「フラット・グリップ・レボリューション」である。

 フライは毛鉤。フライフィッシングは毛鉤を使った釣りのこと。
 同誌の樋渡忠一の「頭がフライフィッシング!」を読んで、その奥深さを垣間見た。おそろしい趣味だ。もはや趣味といっていいのかすらわからない。

《私はフライフィッシングを始めるまでは、休日は身体を休めたり身の回りのことをする日であったが、フライフィッシングを始めてからは、休日どころか24時間、365日フライフィッシングのことを考えるようになった》

 車、住まい、ファッションもフライフィッシングが中心になり、観光旅行もせず、行き先で釣りができるかを重視するようになる。

《フライフィッシングにのめりこんだ多くのフライフィッシャーは血液型にA型やB型等の他にFF型があるように感じたり、DNAのA、G、C、T以外に、FFという塩基があるのではないかと思ってしまうほど、頭の先からつま先まで、体中全てがフライフィッシングになってしまう》

 これがあれば、それさえあれば生きていける——。わたしはそうした気迫と覚悟に満ちた人たちの文章を読むのが好きだ。
『フライの雑誌』は、そういう文章だらけの雑誌なのである。

 堀内さん自身は、そっちの世界にはまりこみすぎてしまうと雑誌を出せなくなるからちゃんとブレーキを踏んでいる……というようなことをいっていた。「自分はふつう」とおもっているおかしな人だった。

2014/01/17

詩の話

 秋山駿の『私の文学遍歴』の中で、石コロのことをずっと考えているうちに音楽が鳴ったという話を紹介した。

 いい話のように紹介したが、一歩まちがえば……ちょっと危ない。

 受験勉強していたころ、この不毛な時間を早く終わらせて、本が読みたい、音楽に浸りたいとおもっていた。
 その後、独学の研究によって、そういう精神状態だと、成績が上がらなくて当たり前だということがわかった。
 こんなことをやっていても無駄とおもいながら勉強しても、ちっとも頭に入らないし、血肉にならない。

 深夜にラジオを聴いていて、知らない洋楽が流れ、肌がぞわっとなったり、後頭部の上のほうがしびれたりした。
 そうなると、もうだめだ。他のことは考えられない。ラジオに耳を近づけ、今流れている歌詞やメロディを脳裏に焼き付ける。ヘタすると、誰の曲なのか、何ヶ月も何年もわからないことがある。
 その間、自分の記憶の中の曲を反芻し続ける。

 歌詞はわからない。ただ、「Poetry Man」という単語だけは聴き取れて、「詩人」のことを歌った曲だということだけはわかった。

 当時のわたしは詩の話のできる友人がいなかった。詩が好きであることは恥ずかしいことだとおもっていた。
 だから「詩人」のことを歌っている人がいることを知って、うれしかった。
 今聴いてもフィービー・スノウの「Poetry Man」は、文句のつけようのない名曲だとおもう。

 秋山駿の『私の文学遍歴』は、石コロの話のあと、中原中也の話になる。
 小林秀雄と中原中也を比較し、「中原中也の詩のほうがほんとうの知性であると、私は思っています」と語る。

《Q どこか、向こう側に行っちゃった人間いるじゃないですか、おしまいになってしまった人間。中也はそういう人間なんですよね。われわれ、常識の世界にとどまって努力している人間とは、やはり違う。超えていますよね。
 秋山 なかなか行けないぞ、向こう側には。超えられないよ》

 そして「中也の詩が好きになるっていうのは、つらいことなんでね」という言葉が出てくる。

《中也はわれわれの生き方と違いますよ。中原中也の考え方で生きれば、みんな繁栄しない。終わりになっちゃう、そういう人だから、大変でね。小林秀雄は、中原中也がいたから良かったんだ。あんな人がそばにいて、自分を批判していたら、努力するほかないよ、もう》

 秋山駿と同時代のインテリのあいだで中也の評判はよくなかった。

《そういう人たちは、「知性がないからさ」と言う。よく喧嘩しましたよ。でも、つらいんだよ、絶対こっちのほうが不利だなと思ってね》

 中也では理論武装できない。論争になると負ける。

 論争で負けても詩の精神みたいなものは受け継がれる。笑われたり、恥ずかしがられたりしながら残る。

 そういう詩もある。

2014/01/16

私の文学遍歴

 昨年十二月に刊行された秋山駿著『私の文学遍歴 独白的回想』(作品社)を読む。
 秋山駿は二〇一三年十月二日に亡くなっている。八十三歳だった。

 聞き書きのせいか、秋山駿の独特の偏屈さがすこしやわらいでいる。こんなにとっつきやすい秋山駿の本ははじめて読んだかもしれない。

 秋山駿は世の中や人間に嫌気がさして、石コロのことをひたすら考えはじめる。ただの石コロだから、何をどう考えていいからすらわからない。
 二十二、三歳のとき、三日三晩徹夜するように考えているうちに、次のような経験をする。

《その経験というのはね、だんだん衰弱して、気を失うような感じになってくる。その数歩前に、とってもいい気持ちになってね。頭の中で、その一瞬、何とも名状しがたい音楽のようなものが鳴ったんですよ。そのときは、あ、これか、これが幸福というものかと思った。ある絶対的な状態だった》

 また味わいたいとおもい、一所懸命考え続け、何度かその状態に近づいたが、「もう、あれは出てこない」。

 ひたすらひとつのことを考え続ける。そのうち頭が疲れてしびれてきて、ある瞬間、時間が止まったような、多幸感に包まれる。
 それ以前と以後で自分の感覚が変わってしまう。
 アスリートやミュージシャンの自伝などによく出てくるピークエクスペリエンス(至高体験)のようなものは思索の世界にもある。

 文芸批評とは何なのかについて語るくだりもおもしろい。

《批評とは何かと訊かれたら、苦しまぎれに「それはつまり、人の作品を読んで感想を書くものだよ」って答えてやる。相手は不思議な顔をするよ。それに次に、訊いてくるんだな。「感想を書くっていうのは、仕事になるんですか」とね。こちらは困るよな、答えられない。すると、すぐ相手はつづけて「結局、それが何の役に立つんですか?」って訊いてくる。
 これが、批評家の急所の三点だよ》

 作家が文章を書く。
 文章はその書き手の思想や性格の一部でしかない。一部を手がかりに、文字を追うだけではなく、言語化されていない無意識の領域まで解明しようとする。

 秋山駿はそういう批評家だったとおもう。

2014/01/14

反復練習

 野球選手が、守備練習で連続でノックを受ける。野球の場合、試合中に守りの選手が起き上がる間もなく、ボールが飛んでくることはない。
 長年、わたしは「千本ノック」のような練習の意味がわからなかった。
 たぶん、考えなくても瞬時にからだが動くようにするための練習なのだろう。
 反復練習の目的というのは、たいていそうだ。

 草野球をやっていた子どもが、二、三十年ぶりに野球をする。
 運動不足でからだはおもいどおりに動かない。真っ正面に飛んできた簡単なゴロが捕れない。あれ、おかしい。逆に、ものすごく速くてむずかしい逆シングルの球に、からだが勝手に反応して、捕れてびっくりすることもある。

 不思議な感覚だ。考える間もなく、からだが動く。というか、考える間がないから、からだが自然に動く。

 慣れや熟練は、考える間を短縮する。

 すごい職人やミュージシャンを見ると、からだと道具や楽器が一体化しているかんじがする。
 ある種の技能というのは、できるようになってはじめてわかる。できないうちはわからない。

 連休中、昨年十二月からこのブログで書き続けてきた「試行錯誤」と「自分の声」を読み返した。半知半解で書いているから未消化なところが多い。
 それこそ“自分の声”でこのテーマを書きこなすには、まだまだ時間がかかりそうだということがわかった。

 反復練習が必要だということも……。

2014/01/13

自分の声 その六

「試行錯誤」を書きはじめたときは、どこにたどり着くのか、わからなかった。そのうち「自分の声」という問題が浮上してきた。

「自分の声」は、個性や独自性だけでなく、内なる「子どもの声」という意味合いもあるのではないか。
 この十年くらい、バラバラに考えていたことが、なんとなく、つながりそうになってきた。

 三十代のわたしは私小説と海外コラムとスポーツ心理学に傾倒していた。
 そこから自分が導き出そうとしていた答えは、ほとんど同じものだということに四十代になって気づいた。

 二十代後半に失業状態になり、自分の感情その他のコントロールが必要だとおもうようになった。
 編集者に何かいわれるたびに、一々ケンカしたり落ち込んだりしていたら、身が持たない。子どものころから「わがままだ、身勝手だ」といわれ続けた性格はそう簡単には変わらないだろうが、せめて怒りや不安などの負の感情は抑えられるようになりたい。

 吉行淳之介や鮎川信夫は、自己抑制や規律を大事にする作家だった。
 いっぽう自分の感情をコントロールしようとすればするほど、本能とか欲望とか内なる自分の「子ども」みたいなものが弱ってしまう。
 自分の中の「子ども」の部分を温存しながら、自分を律していくというのは、かなりむずかしい。今もどうしていいのかわからない。
 スポーツ心理学の本を読んでいても、いかにして規律と本能のバランスをとるかということがテーマになっている。
 ガルウェイのインナーゲーム理論もそうだし、勝木光の『ベイビーステップ』(講談社コミックス)もそうだ。

 わたしの場合、あまりにも急に感情を抑えようとしすぎて「自分の声(言葉)」が出せなくなった。あまり怒らなくなったかわりに、文章に気持がこもらなくなった。

 中途半端に自己抑制を心がけるだけではいけない。
 で、どうすればいいのかわからず悩んでいたときにマイク・ルピカのコラム集を読んだ。

 ピート・ハミルの「序」には、コラムニストは「自分の声」と「驚いたり恐れたりすることへの感受性や能力」を保持することの大切さを説いている。
 ルピカは、スポーツライティングにとって「心にたっぷり少年の部分」を持ち続ける必要があるといった。

 規律と本能をどう調和させるか。

 日本の私小説——尾崎一雄の文学もそのことについてくりかえし書いている。

(……続く)

2014/01/12

成人の日

 本田圭佑がイタリア・セリエAのACミランの入団会見のさい、「心の中のリトル・ホンダが選んだ」と答えた。
 いくつかのスポーツ新聞の補足には、オランダのFWファンペルシーがマンチェスターUへの移籍時に「自分の心の中にいるリトル・ボーイに聞くと、彼は“ユナイテッド”と叫んだ」という発言が元ネタとあった。

 何か大きな決断をするとき、自分の心の中の「子ども」に相談する。子どもは好きなこと、やりたいことを選ぶ(そうじゃない子どももいるとおもうが)。

 わたしの場合、自分の内なる「子ども」の声は「やめたい」「休みたい」を連呼しかねないので、重要な決断をまかせるのは心配だ。
 かといって、「子ども」の部分を抑えすぎると、その声はだんだん聞こえなくなる。

 わたしは十九歳でフリーライターになった。
 成人式には行かず、高円寺の飲み屋でひとりですごした。
 数年後、大学を中退した。

 大学でやめて学生ライターじゃなくなったら、仕事が減った。
 その年、バブルがはじけた。住んでいたアパートも取り壊しになった。
 古本を買うだけでなく、売る生活がはじまった。

 貧乏生活が続くうちに、自分の中の「子ども」の部分が磨り減り、削られていくような気がした。

 自分がおもしろい人だなとおもった大人は、みんな「子ども」の部分を大事にしていたとおもう。
 損得抜きで「いやなものはいやだ」といえる人たちだった。
 親戚にひとりくらいいる変なおっさん——大人らしくない大人の存在に救われる子どもだっている。

 無理や我慢をすることで身につく力もあれば失う力もある。

 成人の日から二十数年経った今おもうのは、別に急いで大人になる必要はないということだ。誰かにとって「扱いやすい」人間になることが大人になることではない。

 自分の中の「子ども」の声を失ったら、つまらない大人になる。

2014/01/08

ガルウェイの話

 今日から通常運行。正月中一日だけ横浜に出かけたが、ほとんど高円寺(主に室内)ですごす。外出らしい外出も、外食もせず、元旦に雑煮を作った以外は、うどんを主軸にしたいつもどおりの食生活。

 年末に新しいパソコンを買って(前のパソコンはキーボードの「S」が壊れていた。不便だった)、データ移行やら環境設定やらをしているうちに年が明けた。

 休み中、勝木光の『ベイビーステップ』(講談社コミックス)を現在刊行中の巻までキンドルで読んだ。優等生の主人公が高校生が、テニスに目覚め、プロテニスプレイヤーを目指すという漫画である。
 身体能力その他に突出したものがない人間が、フィジカルエリートにどう立ち向かうかというのは、スポーツ漫画における永遠のテーマといってもいいだろう。
 主人公は、目(動体視力)がよく、真面目で几帳面な性格ゆえ反復練習を厭わず、テニスに関するあらゆることをノートに書きこむ「記録魔」という設定だ。
 作中、ティモシー・ガルウェイのインナーゲーム理論(インナーテニス)が紹介されていたり、主人公が禅の修業をしたりする場面も描かれる。テニスの戦術やメンタル面などにかなり深く言及している理論派のスポーツ漫画である。

 インターバルの多いスポーツは、メンタルの要素が大きく影響する。
 スポーツ心理学は、テニスとゴルフが発展させたというのもうなづける話だ。今ではスポーツのみならず、チェスのプロもメンタルトレーナーをつけている。

 バリー・グリーン、ティモシー・ガルウェイ著『演奏家のための「こころのレッスン」』(辻秀一監訳、音楽之友社)は、インナーゲーム理論をスポーツ以外の分野に応用した本で、「リラックスした集中」のための技法やもうひとりの「自分の声」が、音楽にも有効だと説いている。

 バリー・グリーンはコントラバス奏者でガルウェイの『インナースキー』に感銘し、共著を出すことになった。

 グリーンはコントラバスのレッスンを受けていたとき、指をどうしろ、左腕をどうしろ、と先生に注意されてばかりいた。あなたはまちがっているといわれても、その理由がわからない。
 練習してもなかなか上達しなかった。
 ところが、あるとき演奏会で名コントラバス奏者のゲリー・カー(ゲーリー・カー)の演奏を聴いた。

《私がそこで学んだことは、10年分のレッスンに匹敵するものでした。私はゲリー・カーがどんなに易々と弾いているかを見たのです。音楽の意味と力を感じ、その音は私の心と魂に届きました。コントラバス奏者の身体が楽器と「融合する」と、きっとこんな感じなのだろうということが、おぼろげながら初めてわかったのです》(第10章 理想の指導と学習)

 その演奏会以来、バリー・グリーンは「カーならどう弾くだろう」と想像しながら、レッスンに取り組んだ。
 カーの演奏を自分の演奏に「翻訳」できることに気づいたことが、自分の転機だったという。

 言葉でいくら説明されてもわからないことが、たった一度の演奏を聴いただけでわかる。
 スポーツにも音楽にもそういう面がある。

2014/01/05

自分の声 その五

 三十代の試行錯誤をふりかえるつもりが、書いているうちに忘れていたことをおもいだしたり、考えが変わったりする。

 マイク・ルピカのスポーツコラムをはじめて読んだとき、その文章の何がどう「自分の声」なのかわからなかった。

 ルピカは野球、テニス、バスケットボール、陸上、ボクシンングなど、あらゆるジャンルのスポーツを書いている。おそらくひとつひとつのスポーツのジャンルの知識はその種目の「専門家」には太刀打ちできないはずだ。だとすれば、ルピカは何で「専門家」に対抗しているのか。

 ルピカは、ある試合、ある選手の記憶を書き留める。敗者に寄り添ったコラムを書く。しかも「一時間に千語」というスピードで。

 三十代のわたしが『スタジアムは君を忘れない』に感激したのは、スポーツという枠はあるにせよ、それ以外はかなり自由に書いているとおもえたからだ。

《ロイ・キャンパネラは口癖のように言ったものだ。野球をやるなら心にたっぷり少年の部分を持っていなければならない、と。スポーツライティングもまったく同じ。いま目にしているものを好きになること。もし好きになれなかったら、どこにでもいるタイムカードを押すだけのクズと変わらない》(『スタジアムは君を忘れない』まえがき)

 好きになること――ルピカのライティングの根底にはそういう気持がある。それがそのまま彼の「声」になっている。

 好きなことをする。当然、そのために何かを捨てたり、我慢したりすることもある。好きだからといって何もかもできるわけではない。

 いつの間にか、好きなことにブレーキがかかるようになっていた。せっかく好奇心が芽生えても、今やっている仕事にすぐ結びつかないようなことは後まわしにする。
 しめきりという制約の中、自分のできること、やりやすいことしかしなくなる。

 少年時代の自分はどうだったか。興味をもったことにすぐ飛びつき、できるかどうかわからなくても、やってみようとする。失敗をおそれず、簡単にあきらめない。

 いつから自分はそういうことができなくなったのか。

(……まだ続く)

2014/01/04

才能とは?

 今年初の西部古書会館。本が安くなった。昔、二千円くらいで自分が買った本が百円、二百円。それでも売れ残っている。ちょっと悲しい気分だ。

 年明けから、テレビを見て、漫画を読んで、ぐだぐだすごしている。サッポロビールのCMがよく流れる。妻夫木聡の「大人のエレベーター」シリ−ズの総集編——。
 その中に北野武に「才能とは?」とたずねる回がある。
 北野武は「どの仕事を選べばいいのかわかる人は才能がある(とおもう)」と答える。

 自分に合った仕事を選ぶ。それが何かはむずかしい。
 単に好きなことをすればいいというものではない。好きなものにも適性がある。どんなに好きでも、競争がものすごく激しく、限られた人しかその席に座れない仕事もある。
 適切な仕事の選択をして、一生にわたって創意工夫を続ける覚悟を持てるかどうか。他人から否定されても「自分は才能がある」とおもい続けることができるか。
 自分に足りないものをどう補えばいいのか。

 北野武というか、ビートたけし自身が本で語っていたことだけど、才能は「時代」にも左右される。
 ツービートが活躍していた時代と今とでは漫才やお笑いの裾野の広さがちがう。だから、今はかなりの技術があっても、突出するのはむずかしい。

 そういうことは他のジャンルにもいえるだろう。
 漫画家もそうだ。トキワ荘の時代なら高校を卒業して(もしくは在学中から)、プロになることは珍しくなかった。今でも不可能ではないが、現在の日本の漫画の平均水準を考えると、極めて困難だ。

 プロとアマの話をいえば、プロの場合、その職業に求められる平均水準の能力だけではなく、「+α」が問われる。逆に突出した「+α」があれば、平均水準の能力は「最低限」でもどうにかなる。

「+α」は、一言で説明するのはむずかしいのだけど、「独自性」や「希少性」に基づいた能力と考えてもいいかもしれない。
 色川武大はフリーランスとして生きていくには「極め技」がないと厳しいという(「極め技」があったとしても「運」に左右されるというのが色川・阿佐田哲学なのだが……)。

 しかし今の世の中は「最低限」の水準が上がり、「極め技」が通用する期間が短くなっている。

 新年早々、そんなことを考えていた。

 あいかわらず睡眠時間がズレまくる。正月ボケも治らん。