毎日新聞の「日曜くらぶ」で色川武大の「うらおもて人生録」がはじまったのは、一九八三年八月七日——。
色川武大、五十四歳のときだ。
宇野千代の自伝『生きて行く私』の後に続いたエッセイである。
一九八三年七月二十七日付の毎日新聞に「日曜くらぶの新連載」という記事があり、そこに「作者のことば」が掲載されている。
《ときどき私のところにも若い人たちが遊びに来る。年齢もまちまち男女さまざまだが、彼らはいずれも尻が長い。もっとも私が客好きで、なんとか接待しようとして一人でしゃべっているうちに夜がふけるのだ。若い人たちもけっこう面白がって聴いているらしい。何故なら次に来たときも尻が長いから。
それで、ついでのことに、架空の若者諸氏と向いあっているつもりで、活字に記しつけておこうかという気になった。私は学校に行かなかったから、自分の生きるフォームを自分で造らざるをえなかった。私のセオリーが当代の若い人の参考にどれほどなるかわからぬが、その意味で、鞭(むち)もしごきもないけれど、これは私流のヨットスクールということになるかもしれない》
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この連載をわたしはリアルタイムで読んでいない。
読んだのは、二十代の半ばだろう。
以来、この「作者のことば」の中にもある「フォーム」や「セオリー」といった言葉は、自分がものを考えるさいのキーワードになった。
《今、セオリーという言葉を使いましたが、私はこの本では、生きていくうえでの技術に焦点を合わせたつもりであります》(はじめに)
《フォームというのはね、今日まで自分が、これを守ってきたからこそメシが食えてきた、そのどうしても守らなければならない核のことだな》(「プロはフォームの世界——の章」)
色川武大の「フォーム」と「セオリー」の話で、わたしが考えさせられたのが「欠陥車の生き方」である。
《だらしがないから、他人とスクラムが組めない。(では、できるだけ一人で生きていくよりしかたがない)
だらしがないから、スピードを軸にすることはむりだ。(では、じっくりといこう)
みんな、だらしのなさに起因していて、これだけ方々に伸びひろがっているのでは、この点を矯正するよりも、へんないいかただけれども、生かした方がいいのではないか、と思ったわけだね》(「欠陥車の生き方——の章」)
欠点や欠陥というほどでなくても、人にはかならず何らかの欠落がある。
知識に関しても、穴ボコがたくさんある。
何かを知っていることは、何かを知らないことでもある。
自分の「フォーム」を作るとき、「欠陥車」であることを前提に考えようとおもった。
しかし持続に支障が出るような欠陥は、改善したほうがいい。
若いころにうまくいった「フォーム」が、齢をとると負担が大きくなる。
さて、なにから……。
(……続く)