2014/02/13

フリーライター

 二月中旬。このあたりの季節が、一年のうちで心身ともにどん底という人も多いとおもう。

 毎日、超起きられない。午後二時くらいにぼんやりと目が覚め、布団から抜け出すまで二時間くらいかかった。

 世の中にはもっと超起きることができない人がいるとおもう。今日一日ずっと布団の中から出なかった人もいるだろう。
 そういう人からすれば「二時間で布団から出た? 自慢か?」と不愉快なおもいをさせてしまったかもしれない。

 昨年からクレジットカードを持つようになった。
 おかげで、家から一歩も出ずにキンドルで青山南著『ピーターとペーターの狭間で』(ちくま文庫)を読むことができた。

 探せばどこかにあるはずなのだが、今のわたしには探す気力がないが、ワンクリックで文庫をダウンロードするくらいの財力はある。

 気力を財力で補う。昔の自分にはなかった発想だ。今さらながら、クレジットカードってすごく便利だ。

『ピーターとペーターの狭間で』を読んでいたら「フリーライター」の話が出てきた。

《(フリーライターという肩書きは)以前からもちろん巷でその言葉は口にされていたが、活字として公にするには、どこかうさんくさいかんじがするので、一般には避けられていた。そりゃそうだろう、どこの馬の骨とも知れない奴がコネを駆使して新聞や雑誌に記事を書き、雀の涙ほどのお金を手にするのが、この「フリーライター」だからである》

 青山南自身、「まあ、ぼくもフリーライターのはしくれだから」と断っているので、同業者のみなさま、引用した文章を読んで、腹を立てないように。それに単行本は一九八七年に刊行されている。四半世紀以上前に書かれた文章に文句をいっても、書いたほうはおぼえていないだろうし、考え方も変わっているだろうし、変わっていなくても、いやがるだろうから、怒らないように。

 問題はそこではなくて、「フリーライター」という言葉は和製英語で、そのままだと(1)ひまな物書き(2)無料で書く物書き——という意味になるそうなのだ。
 で、「フリーランスライター」か「フリーランサー」なら誤解されないと。

 勉強になったが、わたしは和製英語を認めない論者ではない。「フリーライター」でいいじゃないか。どこの馬の骨かわからない物書きでいいじゃないか。

 ひまだったので無料で書いた。