昨日の昼すぎ、スーパーに行く。
棚がスカスカで驚く。豆腐、卵、うどんなどがない。別のスーパーはもやしや牛乳がない。
先週の雪の影響のようだ。
今月刊行のドラえもんルーム編『藤子・F・不二雄の発想術』(小学館新書)が素晴らしい。読みはじめたら、止まらない。新聞や雑誌に発表されたエッセイやコメント、藤子不二雄賞の総評などが収録されている。
「第1章 僕が歩んできた道」
「第2章 僕のまんが論」
「第3章 僕の仕事術」
「第4章 まんが家を目指す人に」
夕方、電車の中で夢中になって読みながら毎日新聞社に行って雑用をすませ、ついでに『サンデー毎日』の一九九三年五月九日・十六日号、五月二十三日号の高円宮殿下と藤子・F・不二雄の対談をコピーさせてもらう。
この対談の一部も『藤子・F・不二雄の発想術』に収録されているのだが、全文読んでみたくなったのだ。高円宮殿下、サッカーだけでなく、漫画も好きだったのは意外だ。
藤子不二雄がコンビを解消したの経緯について、F氏は次のように語っている。
《藤子 そうですね。一つの名前で、まるっきり別の作風が出てくるというのを、皆さんに幅広さと解釈してもらえたのかな、とも思うんです。「まんが道」のようにリアルな漫画は、僕には描けませんから。僕は、わりと空想的じゃないとダメなもんで。だから他人から僕も「まんが道」を描いているという前提で話かけられると、とてもつらいんですよ。
高円宮 よくわかります。
藤子 それなら、はっきり分けちゃったほうが、すっきりしていいんじゃないかということで、コンビを解消したわけです。別にごまかしていたのじゃなくて、なんとなく無精して一つの名前で描いていただけなんです》(『サンデー毎日』一九九三年五月九日・十六日号)
高円宮殿下が「オバQ」のファンということもあって、その当時のエピソードも披露している。
《高円宮 小池さんはどちらが描いていたんですか。
藤子 安孫子君です。でも、実は描き手は二人だけじゃないんです。「藤子不二雄とスタジオゼロ」という名前で、石ノ森章太郎君、「釣りバカ日誌」の北見けんいち君を加えた四人で描いてました。
高円宮 エッ。四人でどうやって描くんですか。
藤子 まず、最初に僕がコマ割りといって、台詞と大雑把な人物の配置を決めて、オバQやそのほかのお化けを描くわけです。そこに安孫子君が正ちゃんやお兄さんの伸一君、そしてラーメンの小池さんを描く。次に、石ノ森君のところに持って行って、ゴジラやヨッちゃんなど“その他大勢”を描くんですね。さらに、今度は北見君が背景を入れて仕上げる。非常に煩雑な作り方をしていたんです》(同前)
一九九三年五月二十三日号では、トキワ荘に引っ越してきたころの話も語っている。
《高円宮 その手塚さんが、トキワ荘にいらしたわけですね。
藤子 はい。最初に手塚先生がいらして、次が昨年亡くなった寺田ヒロオ君です。安孫子君がまず、様子を探りに上京して、手塚先生を訪ねたら、ものすごく忙しくしてらして。向かいの部屋にいた寺田君のところへ、「ちょっと相手をしてくれ」とほうり込まれちゃったんです。そこで、手作りのカレーライスをご馳走になって、仲良くなって帰ってきたわけです》
そのあと藤子不二雄Aの『まんが道』にも描かれている両国の二畳一間の下宿の話も——。
《高円宮 二畳に二人ですか。
藤子 机が部屋の片隅にあって、その机に向かって仕事して、「アーアッ」って引っくり返ると、背中が後ろの壁に激突するんです(笑)》
話はかわるが、今月、藤子不二雄(A)デジタルセレクションの『まんが道』(全二十五巻)と『愛…しりそめし頃に…』(全十二巻)が出た。「巻末特別付録つき!!」ってなんだよ。気になるじゃないか。うーん、細かいところを拡大して読みたい。ここで大人買いしなかったら、大人になった意味はない。買うしかない。今月は禁酒、じゃなくて節酒する。
読む前からわかっていた。『まんが道』を一気に読んで、『愛…しりそめし頃に…』の二巻の「〈特別編〉さらば友よ」で号泣すると。
この間、仕事がまったく手につかなかった。
話は戻るが、『藤子・F・不二雄の発想術』と『藤子・F・不二雄のまんが技法』(小学館文庫)と併せて読むと、さらにおもしろいとおもう。
《ぼくの経験からいいますと、まんがをかきはじめのころは、先にもいったように、精力的にどんどんかいたほうがいいと思います。人間の頭脳というのは、学習能力を持ったコンピューターのようなもので、かけばかくほど、それがひとつの方程式になって、頭の中にインプットされていきます。そのうちに、そこへ材料をほうりこめば、アイディアが簡単に出てくるようになります》(「学習能力を持つコンピューター」/『藤子・F・不二雄のまんが技法』より)
《創作と言いますけど、有名な言葉に「完全な創作はこの世に存在しない。すべて人間が文化を持って以来の作り直し、再生産されたものである」というのがありますね。描く一方だとすぐ枯れてしまうんです。ここを一つの土壌だとすれば、たえず栄養を供給してやらなければ、枯れた土地になってしまい作物もできなくなってしまう。たえず考えなければいけない》(「創造の心構え」/『藤子・F・不二雄の発想術』より)
一見、矛盾しているようにおもえるが、どちらもほんとうだろう。
作り続けることで成長するし、そのための栄養補給を怠っていると枯渇する。
いろいろ勉強になる。