2018/12/30

裏道

 寒い。貼るカイロを箱買いする。三月末くらいまでのストックは万全だ。ぬかりなし。

 web本の雑誌の街道文学館の第五回が更新されました。
http://www.webdoku.jp/column/gyorai_kaidou/

 この連載では、歴史懐古だけでなく、今現在のことも記録したいとおもっている。町の変化はすごく早い。地名も道もどんどん変わっていく。身にしみついた隙間産業感覚のせいか、自分の関心はどんどん脇街道に向かっているのだが……。

 それから紀伊國屋書店のPR雑誌『scripta』の冬号も出ています。「中年の本棚」を連載中です。今回はジェーン・スーさんの本を取り上げました。
 この連載もそろそろ仕上げにかかりたいのだが、ここ数年「中年本」の新刊が増えている。
 いわゆる就職氷河期世代が四十代になって、新しい中年の問題が浮上してきた。とくに中年フリーター問題は、わたしにとっても他人事ではない。
「中年」も「フリーター」も一括りにすると見えなくなるものがある。でも括りがないと、漠然としてしまう。
 個々の問題になると、制度による救済か自助努力かという話になるが、結論をいえば、どちらも大事だ。
 今の世の中、わかりやすい「悪」の組織は存在しない——と考えている。わかりやすくはないが、一部の人間にとって都合のよい制度、というか、極悪な制度を作ろうとする集団はいる。

 当然、そうした制度は改善していく必要はある。同時に、個人としては制度にからめとられない工夫、抜け道探しも必要である。

 自由業は、基本、出来高払いの世界だが、抜きんでた力があるか、食うに困らないだけの蓄えがないかぎり、人間関係の調整みたいなものは避けて通れない。
 もし無理難題をふっかけられたときにキレずにうやむやにするのも工夫のひとつである。

 街道歩きをはじめてから、関所や大木戸の跡地をいくつか見た。見るだけなら楽しいのだが、今、こんな理不尽な制度があったら腹立たしくおもうだろう。でも当時だって、関所を通らないですむルートはあった。ただし「公道」を通るよりも危険だった。

 いつの時代も自由と安全(安定)のバランスはむずかしい問題だ。

2018/12/21

もう年末か

 日曜日、高円寺ショーボート。年末恒例のギンガギンガvol13。しゅう&宇宙トーンズのしゅうさんが入院(意識不明)から退院、リハビリを経てステージに立ち、喋り、歌い、踊り……。すごいものを見ましたよ。よかった。
 毎年このライブに行くと「今年も終わりか」という気分になる。たぶん十三年連続で見ているとおもう。
 オグラさん、ペリカンオーバードライブはかれこれ二十年。知り合ったころ、わたしは二十代後半でオグラさんや増岡さんも三十代のはじめだった。
 人のことはいえないのだが、みんなひどい飲み方をしていた。仕事もせず、遊んでばかりいた。そういう時期があったからこそ、ちょっとした方向転換ができた気がする。

 今日、年内の最後の原稿を送る(校正は残っている)。ここのところ、メールの調子がおかしい。しめきり通りに原稿を送信し、数時間後エラーが出たことが二回あった。コタツで仕事をしているのだが、コタツの電源を入れるとネットがつながりにくくなる。そういうものなのか。

 昨日、東京堂書店で大橋弘著『ミクロコスモス 森の地衣類と蘚苔類と』(つかだま書房)の写真展(階段のところ)を見る。そのあと神田伯剌西爾に行き、田中俊之、山田ルイ53世著『中年男ルネッサンス』(イースト新書)を読みはじめる。髭男爵は唯一DVDを買ったことのあるお笑いコンビだ。その唯一が髭男爵というのはどうなのかともおもうが。
 山田ルイ53世の自己分析も味わい深い。尾崎一雄みたいだとおもった。大木にはなれないが、潅木には潅木の生き方があるという矜恃。自己髭……じゃなくて卑下ではなく、冷静な思索があちこちに垣間見える。

 ジョゼフ・ミッチェル著『ジョー・グールドの秘密』(土屋晃、山田久美子訳、柏書房)がようやく刊行。ジョゼフ・ミッチェル作品集も完結。

《ジョー・グールドは変人で文無し、雇われ仕事には不向きな小男で、一九一六年に街へ来て三十五年あたり、首をすくめて身をかわしながら生き延びてきた》

 読みたい本と漫画がたまっている。部屋の掃除もしたい。街道歩きもしたい。吉田秋生著『海街diary9 行ってくる』(小学館)も完結か。一巻から通して読みたかったので、仕事が終わるまで読むのを我慢していた。でもこれから寝る。

2018/12/15

雑記

 今週はじめ、品川のKAIDO books & coffeeと街道文庫に行ってきた。素晴らしかった。一年くらい前からずっと気になっていた店なのだが、あるていど自分の街道にたいするスタンスが定まるまで行くのを控えていた(今も定まっているわけではない)。街道文庫の田中義巳さんはウルトラマラソンのランナーで公務員をしながら街道の研究をしてきた。田中義巳、三輪主彦著『ジャーニーランのすすめ 東海道五十三次の走り方』(窓社、一九九七年)という著作もある。

 この日はJR五反田駅から京浜急行の北品川駅まで歩いた。ほぼ一本道でJR品川駅から歩くのとそんなに時間は変わらない。
 品川宿は昔の道幅と同じ旧街道がきれいに整備されている。街道初心者にもおすすめの宿場町である(詳しくはweb本の雑誌の「街道文学館」で書く予定だ。来年あたり)。

 金曜日夕方神保町。東京古書会館のち神田伯剌西爾でマンデリン。
 数々の野球のノンフィクションを手がけてる澤宮優さんは『戦国廃城紀行』や『廃墟となった戦国名城』(いずれも河出書房新社)という歴史関係の本も刊行している。この二冊は未読だった。いずれも書き下ろし。二〇一〇年刊。一九六四年生まれの澤宮さんが四十代半ば、大学の職員をやめ、独立したころの作品である。
 すこし前に近江路を歩いたのだが、『廃墟となった戦国名城』の安土城のところで下街道(朝鮮人街道)の話も出てくる。膨大な資料を読み込み、それを血の通った文章にする技術がすごい。何を書いても文章がいい。

 最近、『三塁ベースコーチが野球を変える 監督を代行する10番目の選手』(河出文庫)が文庫化され、再読する。「縁の下の力持ち」といわれるような人を通して、野球の見方を変えてくれる本だ。

 話はズレるけど、今年インターネットの野球関係の掲示板で「ようやっとる」という言葉をよく見かけた。今年の野球界(ネット)の流行語だ。
 中日ドラゴンズの白井文吾オーナーが低迷する森繁和監督体制のことを評した言葉である。褒め言葉ではなく、ほんとうにひどい状態を茶化す意味合いでつかわれることも多いのだが、語感の明るさにおかしみがある。
 あと今年のペナント前半、ヤクルトの山田哲人選手が四球で出塁ばかりしていたころ「ウォーキング・テット」という書き込みもよかった。何年かしたら忘れてしまいそうなのでメモとして残しておく。

2018/12/10

低速と低層

 金曜日、神保町の古書会館。喜国雅彦の個展を見る。会場、本人いるとは……。土曜日、西部古書会館。初日ではなく、木曜日から開催していたのだが、けっこういい本が買えた。資料なんてなければないでどうにでもなるとおもいつつ、目の前にあるとほしくなる。安心感は得られる。

 すこし前に読んだ本に内藤新宿の話が出てきた。ところが、その本が何だったかおもいだせない。メモをとらないとまずい。記憶力が落ちている。
 池波正太郎の『戦国と幕末』(角川文庫)だということが判明するまでに三日かかった。

 内藤新宿の話はさておき、今回は忘れないようにメモしておきたいとおもったのは次の文章だ。

《なにしろ、江戸の名残りの一つとして有名だった日本橋の頭上へ高速道路をぬけぬけとかぶせてしまうような政治家や役人や商人たちが、いまの東京に充満しているのだから、たまったものではないのだ》

 すこし前に二〇二〇年の東京オリンピック後に日本橋の上の首都高を地下化する計画があるというニュースを見た。今すぐなくしてもいい気がする。そのかわり日本橋から品川(東海道)、板橋(中山道)、千住(日光街道)、新宿(甲州街道)までの歩行者と自転車専用の“街道”を整備するという案はどうでしょう。
 今の日本に必要なのは「低速道路」だ。歩く人が増えれば、町は活気づくはずだ。たぶん日本橋周辺の高速道路を地下化する予算の十分の一くらいで作れるのではないか(計算は適当です。もっと安くできるかもしれない)。

 ついでにいうと日本橋周辺の再開発は「低層化」を目指したほうがおもしろいとおもう。

 わたしは低速&低層こそが未来の日本の向かう道だと考えている。もし独裁者になれたら、今すぐその方向に舵を切るつもりである。

2018/12/07

働いたほうが楽

 数日前に日中の気温二十度と書いたら、急に寒くなる。睡眠時間がズレる。貼るカイロとヒートテックのおかげで昔と比べるとかなり冬は楽になった。毎年同じことを書いているような気がする。
 気温とメンタルの関係はどうなっているのか。わたしは寒いと気力が減退する。 
 仕事中、気がつくと寝ている。冬のあいだは通常の半分くらいのことしかできないとおもっている。

 色川武大著『無職無宿虫の息』(講談社文庫)の「すけこまえれじい」にこんな一文がある。

《遊びというものは、あれは、段階を追って進んでまいりますと、もう中毒なんでありまして、面白いというようなもんじゃないんですな》

 遊び、あるいは趣味にしても本気でやれば、「働らいてる方がよっぽど楽なんですから」という状態になる。
 そこまで趣味に入れ込めるかどうか。ジャンルはちがっても、マニアの世界には楽ではない領域がある。その領域に踏み込んだ人じゃないとわからないことがある。
 年々わたしはそういうところから足が遠のいている。古書会館も初日の午前中を避け、二日目の午後に行くことが増えた。翌日の仕事に支障が出るような酒の飲み方もしなくなった。どんどん無理をしない人間になっている。

《遊びばかりじゃないんですな。物は癖といいまして、私なんかでも、昔、ちょっとした拍子で一日働いちゃったりすると、ああ危ない、これが癖になって、働らかずにいられなくなったらどうしよう、と思ったりして、それでもそういうときというものは、なんか働らきたいもので。
 働らきたいときに働らくなんて、わがままだッ、なんて無理に自分にいいきかせる》

 古本屋通いにしても街道歩きにしても楽しいとおもっているうちはまだまだなのかもしれない。いまだに働いているほうがつらい。

(追記)
 web本の雑誌の「街道文学館」更新しました。
http://www.webdoku.jp/column/gyorai_kaidou/

2018/12/04

「ズレ」を探す

 十二月。日中の気温が二十度。温かい。一昨日はカイロを貼ってたのだが。

 月曜日、荻窪。ささま書店のちタウンセブンで食材と調味料を買い、コーヒーを飲んで歩いて帰ろうかとおもったが、空が雲ってきたので、そのまま電車に乗る。
 インターネットで「街道本」のことをしょっちゅう調べているせいか、アマゾンがすすめてくる本が街道関係ばかりになる。ネットがなかった時代に街道のことを調べるのは大変だっただろうとおもう。今はネットに出ていない情報を探すほうが大変な時代になった。

 二十代のころは図書館に行って単行本の奥付の参考文献や書籍広告をひたすらメモした。絶版の本を買えるかどうかは一期一会の感覚があった。
「ちょっと高いな」とおもって棚に戻す。その後、何年もその本が見つからない。古書価も店ごとにまったくちがった。
 品切になった文学展のパンフレットがネットの古本屋でけっこう買えるようになった。以前は苦労した。文学館にまだ在庫が残っていても、ハガキで申し込み、そのあとの支払いも面倒くさかった。
 何もかも便利になればいいというわけではない。後になってふりかえると知りたいことを知るためにかけた時間や手間は貴重な経験におもえてくる。

 昔は情報が少なかったおかげで「今、こんなことを調べているのは日本でひとりなのではないか?」としょっちゅう勘違いした。
 その勘違いが自分の原動力になっていた。

 たいていのことは誰かがすでに調べている。今はそういうことがすぐわかる。でも細かく見ると興味のあり方にしても調べ方にしてもすこしずつちがう。

 はじめのうちは自分にはやることはないようにおもえても続けているうちに先行者と自分の「ズレ」が見えてくる。

 斬新なアイデアだとおもったことが平凡だったり、逆に当たり前におもっていたことがそうでなかったりということもよくある。
「ズレ」を見つけるためには何にせよ「量」の道は避けて通れない。だけど、「量」に溺れてもいけない。わからないまま先に進まないと見えてこない。

 そのあたりの匙加減はいつまで経ってもむずかしい。