2017/01/28

さて、これから

 正月ボケをひきずり、調子が上がらず焦る。メールの送信ができなくなり焦る。さらに仕事部屋のブレイカーが壊れて焦る。そんなこんなを乗りこえて、月末の仕事が終わり、達成感と安堵感にひたる。

 冬のあいだ、腰(ときどき背中)に貼るカイロをつけている。寝ているときもカイロを貼っている。
 たまに、カイロを貼らずに寝ると、目覚めてからしばらく、頭が回らず、からだが動かない。
 疲れやすさ、寝起きのひどさには、個人差がある。子どものころは「甘え」の一言で片づけられてきたが、そうじゃない。

 昨日、神保町「ブックカフェ二十世紀」で向井透史さん(古書現世)、小山力也さん(古本屋ツアー・イン・ジャパン)のトークショーを見に行く。夕方、神保町に用事があって、というか、このイベントに合わせて、予定を組んだ。
 わめぞの「外市」や「みちくさ市」などを手がけてきた向井さんの話は、古本屋というより、編集者、あるいはプロデューサーの発想に近い。「本を売る」ことだけでなく、「人を呼ぶ」ための仕掛けをいろいろ考えている。

 いわゆる古本好きを相手にするなら、渋い本、趣味のいい本を揃えるというような方法がある。でも、それだけでは広がりがない。日頃、古本屋と縁のない人に足を運んでもらうためにはどうしたらいいか。

 十年くらい前に、わめぞの「外市」がはじまったころ、メンバーではないのに飲み会によくまぎれこんでいた(出品もしていた)。
 十年、あっという間だ。あっという間だったけど、本(古本)をとりまく環境もずいぶん変わった。十年一日というわけにはいかない。たぶん、これからの十年も。

 それから昨年十二月にWeb本の雑誌の「日常学事始」の連載は終了しました。
 いちおう単行本になる予定ですが、いつ刊行されるかは未定です。

2017/01/21

ダメをみがく

 十年以上前、新聞の夕刊で文庫本を紹介する欄の仕事をしていて(今はやっていない)、以来、文庫の新刊のチェックをするのが習慣になっている。
 各出版社の文庫で読みたいとおもうのは月に一冊あるかないか。ところが、ときどき何冊か読みたい本、あるいは単行本ですでに読んでいるけど、文庫で買い直したい本が数冊同時に出ることがある。

 今月の集英社文庫もそう。橘玲の『バカが多いのには理由がある』、サミュエル・ハンチントン著『分断されるアメリカ』(鈴木主税訳)、津村記久子、深澤真紀著『ダメをみがく “女子”の呪いを解く方法』と、ジャンルはバラバラだけど、気になる本が三冊あった。

『ダメをみがく “女子”の呪いを解く方法』の単行本は紀伊国屋書店で刊行。タイトルに“女子”とあるが、男女問わず、仕事や人間関係の悩みを抱えている人には、よく効く本だろう。

 わたしは就職した経験はないが、仕事をしていて困ったときのことをおもいかえすと、私生活を干渉されたり、性格や身なりにたいして、あれこれ文句をいわれたりするのが、つらかった。こちらも仕事はまったくできないから、怒られるのはしかたがない。でも仕事がうまくいかない理由は、経験不足や伝達ミスによるものが大半なのに、なぜか「古本を読むな」とか「ミニコミに原稿を書くな」といった説教になる。理不尽。

『ダメを磨く “女子”の呪いを解く方法』では、津村さんが最初に就職した会社で、通勤中に音楽を聴いていることを注意されたという話をしている。会社帰りに音楽を聴くのはいいらしい。よくわからない基準だ。

 話は戻るが、「仕事がまったくできなかった」と書いたけど、今は「自分に合った仕事のやり方ではなかった」だけかもしれないとおもっている。
 同じ仕事でも文句をいわれながら嫌々やるのとリラックスしながら自分のペースでやるのとではまったくちがう。

 津村さんと深澤さんの対談は、おもいあたることがたくさんあった。
 仕事をする過程でつかわなくてもすむ「感情」を浪費させられる職場がある。何をするにも気をつかったり、常に尊敬(しているふり)を強いる人がいたり、仕事以外のことで消耗する。
 そうした状況を改善する、あるいは克服するという方法もあるとおもうが、「逃げる」のもあり。ありというか、正解の可能性が高い。

 また「『メンタルから変えていく!』じゃなく、ペンを替える」もいい話だ。

《津村 根本から変える必要は全然なくて、ちょっとしたことを変えて三日もちました、次の変化で七日もちました……って、そういう小さな工夫をずっと続けながらちょっとずつしのいでったらいいと思うんですよね。
 深澤 だいたい朝起きて一日終わるのを繰り返すだけでも大変ですよ。まず一日をごまかし、一週間をごまかし、一か月をごまかして生きていくだけで十分》

 メンタルもそうだし、生き方はそう簡単には変えられない。それより日々の「小さな工夫」の積み重ねのほうが有効というのはそのとおりだとおもった。

《深澤 自分自身がマシにならなくてもいいですよね。環境がよくなったとか、小さな「マシ」づくりを繰り返すことで、結果的に自分の本体がマシになることもある、っていうぐらいでいい》

 これは至言。

2017/01/15

神吉拓郎のこと

 土曜日、西部古書会館の大均一祭(初日)に行って(十三冊買う)、夕方、西荻窪の月よみ堂で大竹聡さんと『神吉拓郎傑作選』刊行記念のトークショー。この間、神吉拓郎の短篇とエッセイを交互に読み続けていたのだけど、どれもおもしろい。中年の文学だとおもった。

 当日は、秘蔵の『ベースボール・ライフ』(球団 東京ライターズ倶楽部)という神吉拓郎が所属していた草野球チームのミニコミの合本(1958年〜1992年)を持っていった。ただの古本自慢。はらぶち商店の値札がついている。西部古書会館で買った。

 大竹聡さんが選んだ神吉拓郎の短篇は、主人公が電車に乗っているシーンが多い。
 会社員がふらっと途中下車する。そこから小さな物語がはじまる。『神吉拓郎傑作選』の冒頭に入っている「つぎの急行」は大好きな短篇だ。

 すこし前に神吉拓郎著『東京気侭地図』(文藝春秋)を読み返した。この本には「阿佐ヶ谷駅南口」というエッセイが収録されている。

《知らない駅を下るのは、楽しい。
 高円寺と阿佐ヶ谷は、中央線の駅のなかでは、あまり下りたことのない駅だった》

 知らない駅といえば、わたしは高円寺から地下鉄メトロの東西線直通の電車によく乗る。その中に東葉勝田台駅行きの電車がある。
 東葉勝田台駅ができたのは一九九六年。ずっと行ってみたいとおもいながら、実行していない。今年の目標にしよう。

2017/01/11

古書展始め

 土曜日、今年最初の西部古書会館。初日に行くのは久しぶり。本が重くかんじるほど買うのも久しぶり。
 二十代、三十代といろいろ続かなくなってやめたことがいろいろあるが、西部古書会館通いは続けたいことのひとつだ。十九歳から四十七歳の今まで、旅行中をのぞけば、ほぼ西部の古書展には足を運んでいる。

 古書会館では、旅創刊65周年記念『昭和の旅』(一九八九年)を買った。武者小路實篤の「旅」(昭和二十二年)が再録されている。

《旅は今迄知らなかつた土地にゆくのが、たのしみなものだ。知ってゐる処へ行つて知つてゐる人に逢うのも、勿論悪くないが、知らない土地を見るのも、実にたのしみなものだ。まだ自分はどうしてもこゝに住みたいと思ふ処に出逢はない》

 年々、知らない土地に行く機会が減っている。
 古本屋通いもそう。わたしは決まった店に行くことが多い。知っている店のほうが、本が探しやすいからだ。
 さらにいうと、ほしい本を買うだけなら、インターネットの古本屋で買うほうが早い。効率がよいこと、早いことに意味があるのかないのか。
 余裕をもって仕事をするには、それ以外のことを効率よく片づけるか、やることを少なくするか、そのどちらかの選択をせまられる。

 自由で身軽であることを望みながら、その状態を持続するには、ある意味、ストイックにならないといけないのは矛盾しているような気がする。万事矛盾。

 ぐだぐだ怠け、ぐだぐだ考えることも、この先、続けたいことのひとつだ。

2017/01/06

新年

 年末年始、三重に帰省する。父が亡くなってから、はじめての正月。

 元旦は午前中、コメダで珈琲。昼から久しぶりにイオンモール鈴鹿(ベルシティ)に行ったのだが、人が多すぎてすぐ出る。その隣のイオンタウン鈴鹿へ。ラーメンを食べて、ニトリと地元農産物直売わくわく広場などに行く。
 二日、墓参りのあと、神戸城(神戸公園)に行く。いつの間にか、郷里の家の近くから神戸城付近まで遊歩道が整備されていた。鈴鹿に滞在中、一日平均二万歩くらい歩く。今年の正月は暖かかった。

 昨年の暮れ、岩明均の『寄生獣』、年明け、東京に帰ってきてから荒川弘の『鋼の錬金術師』を読む。
 どちらもラストの記憶がぼんやりしてきたので、あらためて通読した。ときどき読み返さないと忘れてしまう。

 録画していた年末のプロ野球の戦力外通告の番組を観る。
 加齢、ケガ。スポーツの世界は厳しい。フリーランスの生活も楽ではない。いつまで「現役」を続けられるのか。新年早々そんなことばかり考えている。

 四日、神保町。神田伯剌西爾、小諸そば。電車の中で芝木好子著『春の散歩』(講談社文庫)を読む。

《私の暮す町高円寺へ初めて来たのは昭和十五年頃である。新宿から四つ目の駅は郊外のちょっとした町で、商店街をぬけると静かな住宅地が幾筋も伸びていた。今もこの環境はあまり変らない》(わが町)

《東京の中央線沿線に住む私は、こまごまとした住宅の並ぶ横町に四十余年も住んで、朝夕、犬をつれて散歩してきたから、路地のことならなんでも知っている》(横町の散歩)

 芝木好子が高円寺にいたのを知ったのは最近のことだ。「横町の散歩」の初出は読売新聞(昭和六十年三月三十日)である。亡くなったのは一九九一年八月。享年七十七。家は、高円寺と阿佐ケ谷のちょうど中間くらいにあった。
 わたしが高円寺に暮らしはじめたのは一九八九年の秋、かれこれ二十七年。今でも道に迷う。

『春の散歩』を読んでいたら、こんな記述もあった。

《締切の迫る仕事を早く始めなければならないのに、ぎりぎりへ来てから本を読み出すことがある。なにも今読まなくても、と自分でも思うけれどペンを持つ気になれないで、一日読みふける。これは私だけかと思ったら、中野重治氏の随筆にも同じことが書いてあった》(相聞歌)

 中野重治の随筆が気になるが、これから仕事する。