2018/06/27

フリーランスの壁

 日、月、火と三日間、ほぼ外出せず、家で仕事。人と会わない日は髭をそらない。だから伸びる。白髪(白髭?)が増えたなあ。
 ネットの記事か何かで、「髭を剃る時間が無駄」という理由で髭の永久脱毛をすすめる記事を読んだことがある。その考え方にまったく共感できなかった。
 何が無駄か、何が無意味か。そんなことはわからない。

 紀伊國屋書店のPR誌『scripta』の最新号で「中年フリーランスの壁」という題で、竹熊健太郎著『フリーランス、40歳の壁 自由業者はどうして40歳から仕事が減るのか?』(ダイヤモンド社)と上田惣子著『マンガ 自営業の老後』(文響社)を紹介した。
 竹熊さんは芸術家タイプ、上田さんは職人タイプのフリーランスだが、二冊とも身につまされる本だった。

 わたしは今年の秋で四十九歳になる。いつまで今のペースで仕事を続けられるのか、わからない。「芸術家タイプ」か「職人タイプ」か――どっちつかずの中途半端なまま、ごまかしてきたかんじだ。
 制約のある「職人タイプ」の仕事は苦手ではないのだが、それが得意な人にはかなわない。なるべく競争を避けるため、隙間産業路線に走り、今に至っている。

 竹熊さんも上田さんも、四十代以降のフリーランスの問題のひとつに担当者が年下になることをあげていた。
 同世代の編集者が出世して、現場から離れてしまうというケースはよくある。

 四十代以降、依頼に応じて、それをこなすだけでなく、今までやってこなかったことに取り組んでいくことも大切かもしれない。
 そのための気力と体力をどうするか。むずかしい問題です。

2018/06/19

趣味と生活

 日曜日、完全休養日。昼、プロ野球の交流戦(ヤクルトが最高勝率球団になる)。今年は「育成のシーズン」とおもっていたが、借金が減りはじめると欲が出てくる。Aクラス争いをするにはQSができる先発投手、防御率二点台の中継ぎがひとりずつほしい。そろそろ入団三年目の左腕の高橋奎二投手を見たいのだが。

 W杯のサッカーのダイジェストを観る。
 ポーランドのFWのロベルト・レヴァンドフスキのインタビューを見て、ため息が出る。ペナルティエリアでボールを受けたら、何も考えずに機械のようにゴールの端にシュートする。そのための反復練習をしてきた。かつての所属チームのコーチ(?)は「努力の天才」といっていた。

 ぐだぐだとした一日をすごし、明け方寝て、月曜日起きたら夕方五時。寝すぎて、からだが怠い。何も考えずに起きたら本を読み、机に向かい、機械のように文章を書く……というわけにはいかない。

 夕方、ポストを見に行くと『フライの雑誌』の最新号が届いていた。特集は「ブラックバス&ブルーギルのフライフィッシング」。
 釣りの話の合間に、人それぞれの人生が垣間見えるのも『フライの雑誌』のおもしろいところだ。
 大田政宏さんの「ボクのプカリ人生 浮いていれば人生幸せ」、田中祐介さんの「あの日浮いた池の名前を僕達はまだ知らない」は、いずれも香川県への移住話だった。とぼけた味わいのある文章なのに、趣味に生きている人特有のすごみがある。

 釣りをするために、どう生きるか。趣味が生活、人生の中心の生き方がある。そうした生き方をしていると、今の世の中では変わり者になる。変わり者のほうが、幸せそうにおもう。

 この号、わたしは「『隠居釣り』は山梨で」というエッセイを書いた。先月、甲府と石和温泉に行ったときの話です。

2018/06/14

三重に帰省

 日曜日、三重に帰省。今回は名古屋駅から関西本線に乗り、加佐登駅で下車した。東海道五十三次の庄野宿のもより駅である。
 わたしの生まれ育った家と近い。子どものころ、父といっしょに釣りをした鈴鹿川も庄野宿の近くだった(生家から自転車で十分ちょっと)。

 庄野宿からは鈴鹿コミュニティーバスが一時間に一本くらいあり、終点の鈴鹿ハンターに行く。
 加佐登駅で降りたのは、学生時代に青春18きっぷで帰省したとき以来——バスの車窓からの景色は、小・中学生のころに、自転車でよく通っていた道だった(当時はコンビニはなかったが)。

 鈴鹿ハンターでうどんを食い、わが家の常備品となっている寿がきやの中華スープの素、コーミソースを買う。

 母に糸へんに旧字の「戀」という字のことを訊かれる。『続日本紀』に出てくる「沈静婉レン」の「レン」。「沈静婉レン」は「落ち着いていて、あでやかで美しい」という意味。永井路子の小説に出てくる。昨年、母は入院したが、今は元気になっている。ただし、老眼がすすんで、小さな字が読めないとぼやく。

 翌日は仕事(今回、パソコンを持って帰省した)。港屋珈琲でモーニング。散歩中、コーヒー豆の焙煎の専門店を見かける(この日は定休日だった)。

 火曜日は鈴鹿から鳥羽。鳥羽から伊勢湾フェリーで渥美半島の伊良湖に渡り、東京に帰る(このルートで東京に帰るのは長年の念願だった)。
 鳥羽から伊良湖は五十分(千五百五十円)。伊良湖から豊橋まではバス+電車で八十五分。

 鈴鹿から名古屋に出て新幹線で帰るのと比べると、プラス二、三時間——けっこう遠回りになるが、伊勢志摩界隈は、まだ行きたい場所がいろいろあるので、今後もこのルートで帰ることが増えそう。伊良湖から知多半島に渡るフェリーにも乗ってみたい。

2018/06/10

古本屋台トークショー

作家と登場人物が語る「古本屋台」の世界——。

コクテイル開店20年記念イベント第1弾「古本屋台トークショー」を開催します。
Q.B.B.(久住昌之、久住卓也)、岡崎武志、荻原魚雷が勢揃いします。
サイン会もあります。

2018年6月30日(土)庚申文化会館
(東京都杉並区高円寺北3-34-1)
時間 15:00-16:30

入場料 1000円(定員50名ですのでご予約はお早めに)

イベント終了後コクテイル書房にて打ち上げをします。会費3500円(要予約・2時間飲み放題付)出演者と共に盛り上がりましょう!

詳細は、
http://koenji-cocktail.info/2018/06/05/post-163/
にて。

ご予約・お問い合わせは、cocktailbooks@live.jp(@は半角)

2018/06/05

ほどほど本

 共同通信の連載「『ほどよさ』の研究」がもうすぐ最終回(先月あたりから、ぼちぼち掲載がはじまっている。隔週掲載の新聞もあるみたいです)。

 新刊案内を見ていたら池田清彦著『ほどほどのすすめ 強すぎ・大きすぎは滅びへの道』(さくら舎)が六月七日刊行予定になっていた。あと保坂隆著『人生を楽しむ ほどほど老後術』(中公文庫)が六月二十二日刊行予定。

「ほどほど」というタイトルの本を調べてみたら、群ようこ著『ほどほど快適生活百科』(集英社)、野宮真貴著『おしゃれはほどほどでいい 「最高の私」は「最少の努力」で作る』(幻冬舎)、中村メイコ著『ほどほど、二人暮らし』(PHP文庫)、深澤真紀著『「そこそこ ほどほど」の生き方』(中経の文庫)、前田昭二著『ほどほど養生訓 走れる100歳をめざす』(つちや書店)、齋藤孝著『図解養生訓 「ほどほど」で長生きする』(ウェッジ)、香山リカ、橘木俊詔著『ほどほどに豊かな社会』(ナカニシヤ出版)、横森美香著『「ほどほど」のススメ』(中経の文庫)、曽野綾子著『「ほどほど」の効用 安心録』(祥伝社黄金文庫)など、かなりあることがわかった(上記以外にもまだまだある)。

「ほどよさ」にしても「ほどほど」にしても個人の感覚によって意見が分かれる。「ほどほど本」をすべて読んでいるわけではないが、深澤真紀著『「そこそこ ほどほど」の生き方』(中経の文庫)は共感するところが多かった。この本、単行本のときは『自分をすり減らさないための人間関係メンテナンス術』(光文社)という題名だった。

《家や車やパソコンのように、自分をメンテナンスして長持ちさせる》

 深澤さんは「無理矢理に『ポジティブ』や『前向き』になろうとしない」と助言する。別に「ネガティブ」になれという意味ではない。

《日常では「そこそこほどほど」に生きて、いざというときにがんばればよいのです》

《大きなトラブルになるのを防ぐためには、途中で休んだり、逃げたり、ちょっとした嘘をつくことも大事なのです。
 具合が悪いのを放っておいたり、無理をしてがんばった結果、重い病気になって、かえって周囲に大きな迷惑をかけるくらいなら、少しだけ迷惑をかけることになっても、初期の段階で休んだり、病院に行ったほうがよいのと同じことなのです》

 仕事にしても家事にしても人間関係にしても、無理なく続けられるやり方、あるいは力の抜き方を見つける。
「しんどいなあ」とおもったときは、今の自分がやっていることを一つか二つやめるという手もある。

 たぶん色川武大の「欠陥車の生き方」にも通じるとおもう。

2018/06/02

根拠地

 もう六月。疲れ気味。人生百年時代という言葉は見ているだけで疲れる。人生五十年、あとは余生というのが理想だ。しかし今年の秋、四十九歳になる。人生設計はむずかしい。
 あまり先のことは考えず、一年一年、休み休み、怠け怠け、どうにか乗りきれたらいいと……。

《十五歳の頃、私のいた学校の博物室に、ガラスケースに入った一本の鉛筆があった。それは、百年まえにソローがつくった鉛筆だということだった。ソローは、その頃のアメリカでは指折りの鉛筆づくりの名人だった。だから、しばらく時間をまとめて、鉛筆づくりに専心すると、そのあとは完全になまけて自分の考えにふけって暮せた。これは、時間の中に設計される根拠地の思想といっていいだろう。鉛筆をつくっている時間が、ソローが生きたいように生きるほかの時間をささえる根拠地となる》

『鶴見俊輔著作集』(五巻、筑摩書房)の「根拠地を創ろう」というエッセイの一節。

 ヘンリー・デイヴィッド・ソローは一八一七年生まれ。昨年生誕二百年だった。
 ソローは、エッセイその他を読むかぎり、かなり偏屈な変人だった。それでも「鉛筆づくり」の技術があった。
 筆一本で食うのは大変だが、ソローの場合、筆を何本を作り続けることで自由気ままな創作活動を続けることができたといえる。

 手に職、大事だ。とくに社会不適応者は。