2008/12/30

いろいろありがとう

 仙台行ってきました。今年一年ふりかえっても、火星の庭さまさま。夏以来、仙台という町、そこで知りあった人たちから、大きな刺激を受けました。人生の転機になったとおもっています。

 二十七日(土)は、火星の庭の前野さん、浅生ハルミンさんとyumboとテニスコーツのライブに行く。倉庫みたいなライブハウスで、最初は足が冷えて冷えて、どうなるかとおもったけど、あっという間に、演奏がはじまったら、温度がどんどん上がって、ライブの醍醐味を満喫。yumboの演奏中、ステージの前でテニスコーツが卓球をしているという、もうなんといっていいのかわからない、見たことのないライブ、聴いたことのない音にあふれていた、異空間でした。

 そのあと、なんとか商会という知る人ぞ知る飲み屋に連れていってもらい、BOOK! BOOK! SENDAI!のメンバーと合流。古書現世の向井さんが牛タンシチューのデカ皿をたいらげる。牛タンのステーキのデカさにおどろく。楽しい会合だったけど、めちゃくちゃ酔っぱらって、おぼえていない。

 その日の夜は、前野家に泊めてもらい、爆睡し、起きたら、誰もいなかった。そうだ、前野さんの娘さん(五歳)に布団をひいてもらいました。すみません。
 昼すぎ、火星の庭に行ったら、晩鮭亭さん、退屈くんと合流。そのあと、マゼランに行って、東北大学前の古書街、新しくできた本にゃら堂にも寄って、STOCKのハルミンさん&海月さんのトークショー。向井さんの司会が絶妙だった。この対談、貴重ですよ。冊子かなんかの形にできないかあ。

 豪勢なトンカツ屋で打ち上げ。ウニ、あんきも、牛タン、クジラの刺身……どれもこれも最高品質。さらに白木屋で飲み続け、またまた前野家のお世話に。
 翌日、岡崎武志さん、晩鮭亭さんとマゼランへ。そのあと、岡崎さんが電車で帰り、「S」という古本屋(探しにくいかもしれないが、一見の価値あり)に連れていってもらい、店にはいった途端、焼酎(ストレート)二杯。赤塚不二夫の『我輩は菊千代である』(二見書房、一九八二年刊)など、ずっとほしかった本をいろいろ買わせていただく。
 晩鮭亭さんと「仙台は文化密度が高い」という話になる。

 火星の庭でもつりたくにこ『六の宮姫子の悲劇』(青林堂、一九七九年刊)をはじめ、大収穫でした。つりたくにこは、福島在住の漫画家のすずき寿ひささんに教えてもらった漫画家で、今年の夏から探していた。
 そうそう、火星の庭の「文壇高円寺古書部」の棚のいれかえをしてきました。自画自賛ですが、いい棚になっているとおもいます。来年もよろしくおねがいします。

 今、酔っぱらってますが、東京に帰って古本酒場コクテイルの年内最終日に顔を出してきた。前野健太さん(来年発売の新譜は素晴らしいですよ!)のライブだった。なぜかわたしを「先輩」と呼ぶ、古書桃李さんの四十五歳の誕生日だった。
 コクテイルに行く前、扉野良人さんから電話がある。先の話だけど、たぶん、すごくおもしろそうな雑誌(?)が出ます。詳しい話はまた来年。

 明日というか、今日、三重に帰ります。寝ます。よいお年を。

2008/12/25

たぶん、いま必要なもの

 すこし前、なにかの拍子に『蟹工船』の話になって、その流れで、ある人が生活苦の若者について、金がないのに酒を飲んだりタバコを吸ったり缶コーヒーを飲んだりするのは理解できないといった。
 そうかなあ。金がないときは先のことなんか考えられない。先のことが考えられないときはどうしても目先の欲求を充たしたくなる。とにかく、不安定な生活の中では、今の喉のかわきや飢えや疲れや不安をとりのぞくことが何よりも優先事項になる。

 ただ、そうした境遇からどうすれば抜け出せばいいのかというのはむずかしい話だ。

 仕事を干されて、ぐだぐだしていたころ、生き方をあらためろとかちゃんとしろとかいわれるより、とりあえず、これやってみるかとなんてことのない雑用を頼まれることのほうがありがたかった。
 ハローワークで失業中の若者に説教した漫画好きの総理が顰蹙をかったのも、そういうことなのだろう。

 赤塚不二夫がマンガ家をやめようとしたとき、寺田ヒロオが黙って半年分くらいの生活費を貸したという話がある。そうあることではないから美談になっているわけだ。
 松本零士の『男おいどん』に出てくる下宿館のおばさんは、おいどんに(ときどき)メシを食わせ、「あんたはいつか大モノになるよ」と励まし続けた。
 説教あるいは親身な忠告ですら、時と場合によっては受けつけられないときがある。腹が減っているときには、一杯の粥に勝る言葉はない。
 風邪で寝込んでいるとき、自己管理が甘いという説教されても、今はちょっと休ませてくれという気持になる。

 また『まんが道』と『男おいどん』を読み返そうとおもう。

2008/12/19

ギンガ・ギンガ

 秋くらいに刊行されて、ちょっと気になっていたコリン・レンフルー著『先史時代と心の進化』(小林朋則訳、溝口孝司監訳、ランダムハウス講談社)を読む。

 宇宙と古代の本は、年に何冊か、現実逃避もかねて読む。とくに先史時代は、おもしろいんですよ。理解はおぼつかないんだけど、研究自体が、はじまって年月が浅いから、どんどん新しい謎が解き明かされたり、浮上したりしている。

 文字ができる前の人類のことは、判明していないことがたくさんある。

 ヨーロッパでは、世界は紀元前四〇〇四年に創造されたという説が、つい二百年くらいまで信じられていて、先史時代という言葉すらなかった。

 今、われわれは、日々、これまでまったくわからなかったようなことが、すこしずつわかるようになるという状況に立ちあっている。それを知るためだけでも、生きてて損はないですよ。何の役に立つかは知らないけど。

 話はかわるけど、十二月十九日、年末恒例ライブ、高円寺ショーボートの「ギンガ・ギンガ」に行った。

 ペリカンオーバードライブ、オグラ、しゅう&トレモロウズ、そしてオープニングアクトはサリー。

 三組とも好きなバンド、ミュージシャンで、めちゃくちゃよかった。満員。
 ペリカンの新曲、パブロックを極めたような曲。疾走感と酩酊感が交互におしよせてくる。
 オグラさんは、なぜか金髪。風邪気味で、声がかれていたが、熱唱、というか、喉に負担のかかりそうな曲ばかり歌う。飛ばしっぱなし。
 途中からバンド編成になり、ペリカンのマサルさんがベース、元800ランプの原めぐみさんがキーボード、さらに一峰アネモネさんが、ダンサーとして登場した。
 しゅう&トレモロウズは、一年ぶりに見たのだけど、形容しがたい宇宙人ロックに酒がまわり、からだが動きだす。

 たのしい時間だった。現実じゃないみたい。
 ふだん、ふつうに飲んでいて、ふつうに酔っぱらっているけど、ライブを見ると、みんな、すごいなあと。
 いい余韻だ。

 さて、これから仕事。徹夜、というか、徹夜朝昼になりそう。
 そのまえに、ちょっと仮眠……。

2008/12/15

宇宙の柳

 風邪がぬける。三十代後半になって、風邪をひくと完治するまでに三、四日かかる。
 最高気温が十度以下になると、からだが鈍くなる。電車がきたので、駅の階段をかけのぼろうとしたら、足がつりそうになった。あきらかに運動不足だ。

 なんとか総武線の各駅停車にのり、新宿でのりかえ。渋谷行だから同じホームでいいのに、隣のホームに行ってしまう。あわてて戻る。渋谷から銀座線。外苑前。青山の「月見ル君想フ」というライブハウスに行く。
 カーネーションのライブ。先日の飲み会が縁で、招待してもらったのだ。岡崎武志さんも来る。
 開演前、ブックオフの話をしたりしていたわれわれは、ちょっと場違いなかんじがなきにもあらずであった。

 カーネーションのライブは、骨太だった。古きよきロックを継承しつつ、「我が道を行く」というかんじもある。
 すこしまえに、このブログで「精神の緊張度」という言葉について、いろいろ書いたけど、直枝政広さんもまたそういうものを追求しているようにおもえた。直枝さんの著書『宇宙の柳、たましいの下着』(boid)にあった言葉だと「からまわってなんぼ」とか「不器用さを隠さない」とか「思惑を超えるための無意識は自分の知らない地平にこそ生まれおち、活きる」とか、そういうことをライブの中でも、あえてやろうとしている気がする。

《おれは上品に音をマスキングしちゃう音楽は好きじゃなくてね、おそらくダメな部分がたくさん読み取れるような音楽が好きなんだ。めちゃくちゃダメダメだしね、おれも。(中略)がんばろう、という気にさせてくれるのも、そういう人間臭いダメな人やその音楽なんだよ》(同書)

……こんなところを引用してしまうと、カーネーションがダメダメなのかと錯覚してしまう人がいるかもしれないが、もちろんさにあらずで、直枝さんは洗練や円熟とはちがう欲求があるのだとおもう。自分の限界をこえたいとか、行けるとこまで行きたいとか、そういう気持が持続しているのだとおもう。しかも二十五年も。

 ほんとうにくらくらした。がんばろう、という気になった。

2008/12/13

古楽房オープン

 ここ数日、風邪だった。熱はないが、くしゃみ鼻水がとまらない。
 年末進行、これから正念場。なんとかのりこえたい。そうそう、今月から『本の雑誌』の連載(「飲んだり読んだり」)はじまりました。同じコラムページで畠中理恵子さん、高倉美恵さんの連載もはじまり、2008年度わたしのベスト3では、扉野良人さんが執筆しています。

 マスクをして西部古書会館に行くと、高円寺のあづま通りのコクテイルのすぐ先右手に「古楽房(コラボ)」という古本屋がオープンするというチラシをもらった。
 十二月十三日(土)プレオープンで十二月二十八日(日)まで店頭でワン・コイン市を開催中。本格オープンは来年一月からだそうだ。
 店長さん(実はパラディさんの店)いわく「百円均一に力をいれたい」「一月ごとに店内の棚を全部いれかえていきたい」とのこと。

『ぱふ』のとり・みき特集号、まんが家訪問記特集などを買う。

 前野健太さんの新しいアルバム(ハヤシライスレコード)のサンプル盤が届いた。ライブで聞いて、いい曲だなあとおもっていた「鴨川」も収録されていた。『ロマンスカー』のときよりも、音がやわらかく、ふっくらしている気がする。デジタルなのにアナログっぽい。とにかくいい。もうすこし聞き込んでから、また感想を書きたいとおもう。

2008/12/10

年末進行中

 先週金曜日、東京ローカル・ホンクのライブを見るために、ぷらっとこだまで京都に行ってきた。一泊二日。ホンクは丸太町の陰陽(ネガポジ)というライブハウスに出演した。このあいだ、渋谷のBYGで見たばかりなのに、わざわざ京都まで追っかけてしまったのは、ンクのメンバーが扉野良人さんの家に泊ると聞いて、だったらいっしょに飲みたいとおもったのだ。

 四十代にはいってから、東京ローカル・ホンクの木下弦二さんの詩が、ものすごく深くなっていて、そのあたり意識、気持の変化についていろいろ話を聞いてみたかった。新しい曲が二曲あって、一曲は今の心象風景、地元の戸越銀座の商店街のことなどを歌っているのだが、ただ、ちょっと暗いものになったから、この世界はもっといいものだということもいいたいとおもって、もうひとつの曲を作った。昔の曲は自分のことばっかり歌っているけど、それはそれで今歌うとわるくない。ライブのMCでそういうことをいっていた。ほんとうに新しいことに取り組んでいる。

             * 

 東京に帰ってきて、ここ二、三日いろいろ物おもいにふけった。とくにお金と時間のつかい方について。いいかえれば、なんに力を注ぐか、集中するかについて。長年食っていくことを目標としていて、それはそれでたいへんなのだが、それとはちがう、高いのか遠いのかわからないような目標があったほうがいいのではないかと……。文章を書くことにかぎらず、長くいい仕事を続けている人は自分にいろいろなものを課している。そのいろいろが何なのか。そのことを深く考えるためには、言葉だけでなく、もっと経験がいる。

 仕事ばかりしていると、正直、息がつまる。本を読んでいても、活字が頭にはいってこなくなる。文章を書けば書くほど、どんどん備蓄が減ってしまうような気がする。同業者なら、多かれすくなかれ味わうことだとおもうが、なんらかの補給路を確保しておかないと、すぐカラカラになる。といっても、からだはひとつ、一日は二十四時間、一年は三百六十五日(たまに三百六十六日)しかない。齢をとると、吸収力が低下してくる。同じようなことを続けているとすぐ行き詰まる。すくなくとも本に関してはそれなりに目が肥えてしまっている分、自分が面白いとおもえるものになかなか出合えなくなっている。だから視野と行動範囲を広げる必要がある。しかし体はひとつ、時間と金にも限度がある。効率を上げるしかないのか。でも無駄を減らすと心がすさむ。このあたりの兼ね合いをどうしているのか。それとも何か根本から生き方を改めたほうがいいのか。

2008/11/30

みちくさ市のことなど

 みちくさ市、寝坊。雑司ケ谷、午前十一時着(開始は午前十時)。
 言い訳にならない言い訳をすると、前の晩、渋谷BYGで東京ローカル・ホンクのライブがあって、次の日のこともあるから、打ち上げは参加しないつもりだったのだが、新曲(「昼休み」)が、あまりにも素晴らしく、メンバーに一言おもいを伝えてからでないと帰れないという気持になり、打ち上げに出て酒を飲んだら帰りたくなくなって、結局、終電くらいまで飲んでしまい、帰宅後も眠れず、徹夜でみちくさ市に行こうとおもっていたら、朝七時くらいに寝てしまい、遅刻してしまったというわけだ。

 みちくさ市は、ほんとうによかったですよ。天気もよかった。まったく人が途絶えなかった。
 売り場は八百屋さんの前。
 昼すぎ、カーネーションの直枝政弘さんがふらっとあらわれる。ふと通りの向いを見ると、南陀楼綾繁さんがいる。「い、い、今、直枝さん、来てますよ」と舞いあがりながら伝える。
 先日、直枝さん、関口直人さん(『昔日の客』の山王書房、関口良雄さんの長男。音楽関係の仕事でもたいへん活躍されている)、Yさん、音羽館の広瀬さん、岡崎武志さんと西荻窪で飲んだとき、みちくさ市のことをすこし話したら、来てくれたのである。
 隣で古本や雑貨を売っていたUさんに、「さっきの人、カーネーションの直枝さんですよ」というと、「CD、二枚持っている」と口惜しがっていた。

 あと近々、パラディさん、新しい展開があるらしい(正式に決まったらまた報告します)。

……これから仕事。やや正念場です。

2008/11/26

回復

 右ひじの関節痛もほぼ回復。オリンピックで買ったひじ用のサポーターはけっこう重宝した。
 部屋を換気して、窓ふきもする。

 連休中は、あまり外出しなかったのだけど、新宿のブックファーストに行ってきた。JRから都庁方面に地下道を歩いてすぐだ。雨の日でも傘なしで行ける。通路がわりと広くて、本をゆっくり見ることができた。
 地下一階と地下二階との行き来が面倒。ぐるぐるまわっているあいだに出口がどこかわからなくなる。文芸書と人文書がちょっと離れすぎか。でも営業時間が午後十時までというのはありがたい。
 買いそびれていた『カラスヤサトシ』(講談社)の三巻を購入する。
 そのあとビックカメラをのぞいて、小田急のデパ地下へ。天むすとぎょうざを買う。
 新宿西口。もうすこし喫茶店と安い食物屋があればいいのだが……。くつろげる場所がない。

 十一月三十日(日)は、わめぞイベントの鬼子母神通りのみちくさ市があります。

 出品する本の準備完了。本以外のモノもいろいろ出るらしい。楽しみだ。

2008/11/22

読書肘

 昨日、三十九歳になった。その日、右ひじの痛みに悩まされていた。

 毎年この時期、正宗白鳥の『今年の秋』(中公文庫)を読む。そのあと立て続けに、布団にうつぶせのまま、正宗白鳥の本、深沢七郎の本を読んだ。あと新刊本も二冊読んだ。
 そのときひじをついて顔をあげる格好で読んでいた。当然、ひじに上半身の体重がかかる。起き上がるときに、ビリビリといういやなかんじがした。その後、右手に力をいれるだけで関節が痛い。曲げても伸ばして力をいれても痛い。
 不便だ。コップひとつ洗うのもままならない。字を書くのも苦労する。
 横になっているとき、いつもは何も考えずに手をついて、立ち上がっているのだが、左手一本で起きるのは、むずかしいことがわかった。

 おそらく同じ姿勢でずっと本を読んでいたせいだとおもうが、齢もあるだろう。しかし読書でひじを痛めることになるとはおもいもしなかった。
 メシは左手で食った。左手一本でコーヒーを入れ、コップと皿を洗う。やりにくかったが、なんとかできた。

 ところが、生れてこのかた、まったく左手でやったことのないことがある。
 便所で尻をふく行為である。
 できなくはないのだが、すごく違和感がある。
 小さな発見であった。

 インドメタシン配合の痛みどめの薬をぬって寝る。
 だいぶよくなったので、西部古書会館に行く。
 本を持つと、まだすこし痛む。なんぎや。

2008/11/19

井伏鱒二

 先週末から『アホアホ本エクスポ』(BNN)の中嶋大介さんが上京し、広島から堀治喜さんも上京し、わたしの仕事部屋のほうに泊っている。
 土曜日、青山ブックセンターのトークショーも盛況だった。

 月曜、昼、荻窪のささま書店に行くと、待ち合わせしたわけではないのに、中嶋さんと遭遇。ラーメンを食う。家にもどって仕事。

 来月から『本の雑誌』で新連載がはじまる。八百字のコラム。今、この雑誌にいちばん足りないものは何だろうと考えていたら、突然「井伏鱒二だ!」とひらめいた。自分の思考がちょっとおかしいことにも気づいた。
 一晩中、井伏鱒二を読んでノートに五頁くらい下書きして八百字にまとめる(とりあげた本は一冊)。いつの時代の文章かわからないコラムになった。

 みちくさ市の準備もする。ちなみに、井伏鱒二は十年以上「わめぞ」界隈を転々と移りすんでいたことがある。
 井伏鱒二の小説やエッセイに青木南八という親友がちょくちょく出てくる。最近、この名前をどこかで見たなあとおもったら、宇佐美承の『池袋モンパルナス』(集英社文庫)の小島信夫の解説で見た。
 青木南八は宇佐美承のおじ。学生時代、自堕落な暮らしをしていた井伏鱒二をずっと励まし続けていた親友である。才能はあったが、夭逝している。

 夕方、都丸書店、アニマル洋子をまわる。南口のパル商店街にヴィレッジヴァンガードができることを知る。十一月二十八日オープン。
 急に甘いものが食いたくなり、久しぶり駅前のミスタードーナツに行く。大声で携帯電話でしゃべりつづける若者がいたり、バイトチョータリーとかブッコロスとか、まったく会話が成立しないまま、お互い好き勝手にしゃべりつづける若い女性二人組がいたりして、本が読めず、五分で店を出る。

 そういえば、高円寺北口のららマートが閉店。いきなりなのでおどろく。けっこう客いたのに。なぜだろう。卵と刺身はいつもららマートで買っていたのだが……。残念。

2008/11/14

二日酔い対策…失敗編

 水曜日、扉野良人さんが上京する。昼間、東京堂書店に行ったので、三階の畠中さんに声をかける。
 午後十時すぎにコクテイルで待ち合わせ。すると、岡崎武志さんが来店。偶然。午前二時すぎまで、コクテイルで飲んで、そのあと何人かで部屋飲みする。朝五時半まで。

 酒を飲むとラーメンが食いたくなる。でんぷんと塩分を補給すると、二日酔いの予防になる。あと水分もとったほうがいいらしい。

 それでも二日酔いになってしまうことがある。ひどい頭痛だ。からだが動かない。何もできない。貧血気味。ふらふらだ。
 月に一度か二度、そういう日がある。酒をやめようかとおもう。トイレでカラスヤサトシの『カラスヤサトシ』(講談社)を読む。
 二日酔いの予防だけでなく、二日酔いの解消も、ラーメン(それもインスタント)がいいようだ。
 半身浴で汗をいっぱいかいて、スポーツ飲料で水分補給する。これで頭痛はちょっと軽減する。
 あくまでもわたしの場合だけど。

『小説すばる』の十二月号が届く。連載の「古書古書話」は一年になった。

 ちゃんとからだが動くようになったのは夜十一時半くらい。ららまーとで買物。卵と牛乳を買う。クッパっぽいものを作る。味付は、塩こしょう、鳥がらスープ、ごま油、にんにく、オイスターソース、とんがら酢。具は、鳥肉、わかめ、あおさ、しいたけ、もやし、ねぎ、卵。
 ここまで作ってごはんをいれるか、焼きそばの麺をいれるか悩む。

(結局、ごはんにした)

2008/11/12

むずかしいところ

 歯の治療終了。三回ですんだ。歯石もとってもらった。以前、同じような治療で五回通ったことがある。
 それから歯石とりは、痛くて血も出てすごくいやなのだが、今、機械でやるんだね。まったく痛くなかった。
 たぶん、いい歯医者だとおもう。でもあまり客はいなかった。帰りぎわに予約表みたいなものを見たけど、まっしろだった。ひょっとしたら混んでないから、丁寧にやってくれたのだろうか。
 評判のいい歯医者は混む。その結果、治療時間が短くなり、行く回数が増える。その分、金もかかる。面倒くさい。

 今回の歯医者が、評判になって忙しくなったら、今回のような治療が受けられなくなるかもしれない。しかし繁盛しなければ、潰れてしまうかもしれない。
 むずかしいところである。

 これは飲み屋とか喫茶店にもいえる。
 混んでいる店はつい敬遠してしまう。それでゆっくり酒が飲める店、本が読める喫茶店に行く。ときどきこの店、こんなに客がいなくて大丈夫なのかと心配になる。
 とはいえ、のんびりしていた店が評判になって、忙しい店になってしまったら、複雑な気持になる。

 新刊で窪島誠一郎著『戦没画家 靉光の生涯』(新日本出版社)という本が出ている。池袋モンパルナスもの。気になる。
 今月の新刊といえば、色川武大の『遠景 雀 復活』(講談社文芸文庫)は買わないわけにはいかん。『虫喰仙次』(福武文庫、単行本は『遠景 雀 復活』という題だった)と同じかなとおもったら、「九段の杜」「疾駆」という短篇が増えていた。

「疾駆」という短篇の書き出しはこう。

《池袋のはずれに、今はもう建物に埋まっているだろうが、雑司ヶ谷という疎林を点々と含む大きな原があって、小学生の頃に学校をサボリ休みしてよく行った》

 池袋往来座の瀬戸さん、ぜひ読んでください。

2008/11/11

戦争になっても

 昔から小食なのだが一日四、五食分けて食う生活だ。先日テレビを見ていたら、そのほうが太らないらしい。ただし内蔵に負担がかかるため疲れやすいとも。
 常々健康情報はあんまり信用してはいけないと自戒しているのだが、たしかに太らないけど、疲れやすいというのはほんとうかもしれない。
 たいした運動もしていないのに、疲れている。
 だらだらと神田の古本まつり、京都百万遍の古本まつりなどで買った本を読む。

 中村光夫の『文學論』(中央公論社、一九四二年刊)もその一冊。この本の中に「知識と信念」という文章がある。読んでいて、いろいろ考えさせられた。
 文末には、昭和十六年十一月「文藝春秋」とある。日米開戦直前の文章である。

 防空訓練のことにふれ、「むろん空襲を徒らにおそれるのは、殊に我國のやうな場合には過りであらう。都市を空襲されたとしても、それで死ぬのはよくよく運の悪い者だけだとは、實地に空襲の洗禮を受けた人々が誰しも云ふところである」と中村光夫は述べている。

 自分のような凡人は、明日も一年後も自分の命が続くことを信じていないと、生活を営んでいけない、常に死を念頭に生きることは、容易に行えることではない、だからといって、死という事実は消え去るものではないという。

《現代の戦争は人類にとつて疑ひなく、大きな不幸ではあるが、その僕等の平素忘れがちな厳粛な眞實を、絶えず否應なく意識させてくれる點で、僕等の思想にとつては、或る何物にも代へ難い恩恵を與へてくれるのではなからうか》

 そして戦時下における知識人の意味を考える。

《もとより死を輕んずるのは武人の業であらう。文學者は——というより普通の人間は——正常な意味で死を恐れねばならぬと僕は信じてゐる。だが僕等が平素身につけたと信じてゐる知識や教養が、果たしてその期に及んでどれだけ自分に役立つか。いひかへれば僕等は本當に自分の死場所と云へるところに生きてゐるか》

 そう自問しつつ、こんなたとえ話をする。
 カントの哲学を講じ衣食の道を得ているだけの人と、カントに傾倒して自分の生きる道を見出している人が、平素の無事な時代であれば、両者は同じ哲学者であると信じていられるだろう。
 生計を得るか否かというだけでなく、自分の生死をかけられるものかどうか。
 それが戦争によって明らかになるはずだ……。

《僕の希ふところは、社會に對して文學の専門家顏をすることより、飽くまでかうした自己の知的本能に忠實に生きることである》

《現代の日本文化の混亂は、おそらく東洋にも西洋にもかつて類例のなかつた異様なものである。しかも僕等はこの混亂のなかで、少なくも次代に生きて育つべき眞の文化の種子を蒔いておかなければならないのである》

 好戦とか反戦とかそういう話ではない。
 明日無事かどうかわからない時代になったとき、いかなる生き方をすべきか。
 次代のために文化の種子を蒔かなければならない。
 日米開戦直前、三十歳の中村光夫はそんなことを考えていた。

 戦争ということになると、どうしても好戦か反戦かと考えがちだけど、いずれにせよ自分はやりたいことをやり続けるという考え方もあっていいとおもう。
 もちろん戦争になれば、それどころではなくなるかもしれない。そうであっても、同じ命をかけるのであれば、命がけで国のために戦う(あるいは反戦運動をする)より、命がけで好きなことをやるという考え方もあるわけだ。

 天下国家なんか関係ない。いや、天下国家なんか関係ないという人を許容できるような世の中であってほしい。
 そういうことがいえない世の中よりはいえる世の中のほうがいい世の中だとおもう。

(なんで今わたしはこんなことを書いているのだろう。現実逃避か……)

2008/11/09

雑記

 気温の変化。低血圧。今年はもうすんだとおもっていた秋の花粉症がまたきている気がする。ちょうど京都に行く前から鼻がぐずぐずしていて、この二、三日、ひどい。漢方(小青龍湯)を飲む。四、五時間経つと、くしゃみ鼻水が止まらなくなる。すこし酒をひかえる。

 土曜日、午後一時半くらいまでに行かなければならない仕事があったのだが、目ざまし時計を見たら午後二時すぎ。「大丈夫ですか?」という電話がかかってきた。「すみません」といって家を出る。
 人が待ち合わせに遅れてきたときは寛容になろうとおもう。
 夜、豚肉とほうれんそうとにんにくのスパゲティを作る。いきおいで翌日のためにタコ入りの炊込みご飯も作る。これで明日は外出せず、一日中、家でごろごろしていられる。

 すこし前、中古レコード屋でストロベリー・アラーム・クロックのCD(『ザ・ワールド・イン・ア・シー・シェル』)を買った。一九六〇年代のサイケロックの名盤。ライナー(上柴とおる)もおもしろい。

《興味深いのは、キャロル・キングの作品が2曲収録されていること。カヴァーではなく、書き下ろしである》

 ストロベリー・アラーム・クロックのメンバーがスタジオでレコーディング中、たまたまキャロル・キングが見にきて、次の日、彼らに自作の曲を手渡したのだそうだ。あとこのバンド、一九六八年にビーチ・ボーイズ、バッファロー・スプリングフィールドと三ヶ月もいっしょにツアーをしていた。ドアーズのメンバーとは飲み明かす仲だったとも。

《彼らのファーストを飾っていた曲「ザ・ワールズ・オン・ファイア」の際には、ドラマーのランディが、腕にガス管をくっつけ、ドラムを叩くと手から火が出て、ボンゴが爆発するという派手な演出で観客を沸かしたとか》

 どんなライブや。

……というわけで、いろいろ告知を。

十一月十五日(土) 大阪在住のBOOKONNの中嶋大介さんの『アホアホ本エクスポ』(BNN)の刊行記念トークショー(ゲスト:常盤響さん)が青山ブックセンター本店で開催。
18:00〜20:00(開場17:30)
定員120名。

それから翌日十六日(日)は、西荻ブックマークで佐藤泰志イベントもあります。
以下、西荻ブックマークのホームページからの転載です。
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第27回西荻ブックマーク
「そこのみにて光り輝く 〜佐藤泰志の小説世界〜」
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出演:岡崎武志(書評家、ライター)、文 弘樹(図書出版クレイン)、廣瀬洋一(古書 音羽館)ほか
会場:今野スタジオ『MARE(マーレ)』
1500円・定員25名・要予約
17:00〜19:00
※予約後にキャンセルの場合はお早めにご連絡願います。
主催:西荻ブックマーク実行委員会

18年前に惜しまれつつ世を去った佐藤泰志。昨年、吉祥寺の出版社クレインより作品集が刊行され、再び注目を集めつつあります。清冽な文体が織りなす作品世界を朗読や証言などを交え、本人不在のトークショーを成立させます。

<<さとう やすし>>
1949年4月函館生まれ。1974年、国学院大学卒業後、さまざまな職業に従事しながら、文筆活動を続ける。5度の芥川賞候補、第2回三島賞候補となる。1990年10月自ら命を絶つ。享年41歳。
               *
 日にちが近づいたら、また詳しく告知するつもりですが、十一月三十日(日)の鬼子母神通りの「みちくさ市」に「文壇高円寺」も参加することになりました。ひさびさに売り子もします。寝坊しないよう気をつけたい。

2008/11/06

温故知新

 昨日は家事に専念。掃除。本の整理。毛布と布団カバーの洗濯をする。コタツ布団を出す。午後は歯医者。治療費二千円ちょっと。あと一回で終わる。合計七千円くらいになる。前もって教えてくれた。夕方、うどん作る。夜、うどんの残りつゆを利用してブリ雑炊を作る。

 京都百万遍の古本市で平野謙の『志賀直哉とその時代』(中央公論社)を買った。三冊五百円の均一の残り一冊何にしようかなとおもって手にとって目次を見たら、すこし前に孫引きした「浅見淵」に関する文章が収録されていた。
 浅見淵は『続昭和文壇側面史』の中で室生犀星が、亡くなるまでにふたりの女性の面倒をみていたという話を紹介し、「犀星の晩年の作品が、色っぽかったゆえんの謎も、これで解明されそうである」と書いている。その指摘を読み、平野謙は「浅見さんの人間智」と評した。

「人間智」という言葉にいだいていた印象とは微妙にちがうのだが、単に言葉の意味を読み解いて文学理解するだけでなく、作者の生理のような部分まで認識する力が浅見淵にはあったのではないか。

 浅見淵、あるいは尾崎一雄もそうだが、わたしが彼らの作品を読みはじめたときは、完全に時代遅れの作家ということになっていた。

 日本の近代文学は、西洋より遅れているとおもわれていて、当時の知識人は、新しい思想、文学を西洋に学ぶことが多かった。海外の新しいものを学んだ人が古いものを学んだ人を駆逐する。そうやって世代交代してゆくうちに、だんだん西洋と日本の差がなくなってきた。

 すると、今度は新しいか古いかということより、視野が広いかどうかということが問われるようになる。私小説は古いのではなく、単なる身辺雑記で視野が狭いと批判される。世の中を俯瞰する視点があるかどうか。どれだけさまざまな文化に精通しているか。批評の世界はその高さを競うようなところが今でもある。
 俯瞰する視点が高くなればなるほど、視野は広くなるけど、その結果、あらゆるものが等価なんだというような思想も出てくる。

 その考え方からすれば、古いものにもプラスとマイナスがあり、新しいものにもプラスとマイナスがあるともいえる。わたしが「精神の緊張度」とか「人間智」といったことを考えているのも、そこに何らかのプラスの要素があるのではないかとおもってのことだ。

 平野謙は「人間そのものに対するみずみずしい好奇心みたいなもの」が「昨今の若い批評家」には欠乏しているといって、物議をかもしたことがある。浅見淵が亡くなった一九七三年ごろの話である。

(……未完)

2008/11/04

ここ数日

 図書新聞、小説すばる、ちくまの原稿を書いて送って、アルバイトを通常の倍のスピードでこなして、夜、のぞみで京都に行く。連休中だったせいか、東京駅のホームが人でいっぱいだった。格安チケットで指定席の券を買っていたのだが、満席のため自由席に乗る。

 扉野良人さんには午後十時すぎくらいに京都に着くといってたのだけど、一時間以上早く着いてしまったので、六曜社でコーヒーを飲んで、すきやの牛丼を食う。
 公衆電話がなくて、結局、京阪祇園四条駅の駅から電話。京阪の駅の名前が変わっていておどろいた。

 翌日、百万遍の古本まつり。ちょうど読みたいとおもっていた平野謙の浅見淵のことを書いた文章の載っている本などをちょこまか買う。思文閣の地下のうどん屋でなべ焼きうどんを食って、河原町のJTBで帰りのぷらっとこだまの切符を買ってから大阪の貸本喫茶ちょうちょぼっこに行く。
 古本の売り上げ金をもらい、天満橋に行って、天牛と矢野を見て、たこ焼食って、BOOKONNの中嶋さんの『アホアホ本エクスポ』(BNN)と浅生ハルミンさん、近代ナリコさんの本の出版を祝うパーティーに行く。
 ちょうちょぼっこの四人がそろっているの見たのはひさしぶりかもしれない。エエジャナイカの北村君とひさしぶり喋る。
 この日は、中嶋さんの家に泊めてもらった。
 ウイスキー用意してくれていたので、ありがたく飲む。インターネットの古書店をやっているだけあって、古本屋と同じにおいがする家だった。
 関西にいるあいだは、関西弁(というか三重弁)になる。関西弁だと軽くどもることに気づいた。しゃべるテンポがちょっと変わるせいか言葉が追いつかない。

 二日(日)、昼すぎのぷらっとこだまをとっていたので、それまで中嶋さんと梅田界隈を散策。第二ビルの四国屋のうどんを食って、第三ビルの古本屋をのぞいて、喫茶店をはしご。
 新大阪から東京。そのまま池袋往来座の「外市」の打ち上げに参加。世界の山ちゃん。店内放送がうるさくて、塩山さんが、ずっと文句いいつづける。数十分後、静かになる。水割三杯までにしようとおもっていたのだけど、五杯くらい飲んだか。
 退屈君にブックオカのブックカバーをもらう。西日本新聞のブックオカ特集の冊子も見せてもらう。

 三日(月)、旅疲れのせいか、十時間以上寝る。起きたら昼すぎ。午後一時から小さな古本博覧会の久住昌之さんの「高円寺とボク」というトーク&ライブ(無料)を聞きに行く。
 ふきっさらしの道路沿いの会場でビールケースに板をひいた台の上でしゃべる久住さんの姿があやしくてよかった。
 午後三時からは「最終大売り出し」。かなりいい本が残っていた。
 それからコクテイルで「古本催事のこれから」というイベントに行く。わめぞからは古書現世の向井透史さん、パラディさん、うさぎ書林さんが出演。噂の揚羽堂さんとはじめて会う。同い年であることが判明してはしゃぐ。
 コクテイルのあと、ささま書店のN君と文系ファンタジックシンガーのPippoさんと揚州商人でラーメン。ずっと詩の話。午前二時すぎ。この日も水割三杯までとおもっていたのだが、六杯くらい飲んだか。
……これから仕事。酒がぬけん。

2008/10/31

外市とちいさな古本博覧会

明日から、池袋と高円寺で古本イベントがあります。
池袋往来座の「外市」と西部古書会館の「ちいさな古本博覧会」です。

「外市」には今回も文壇高円寺古書部は出品しました。
高円寺からは手回しオルガンのオグラさんが店番をやっている噂の謎の雑貨屋「ハチマクラ」も参加しますよ。

「ちいさな古本博覧会」のイベントも気になります。
今回も11月3日(月)15時〜18時に「最終大売り出し」(ラスト3時間、半額セール!)をやるそうです。

というわけで、詳しい告知です(※わめぞ、ちいさな古本博覧会のブログからの転載)。

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第11回古書往来座外市〜街かどの古本縁日〜
11月1日(土)〜11月2日(日)
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「外、行く?」 2008年最後の開催!

雑司ヶ谷の関所、南池袋・古書往来座の外壁にズラリ3000冊の古本から雑貨、楽しいガラクタまで。包丁研ぎの実演もあります。敷居の低い、家族で楽しめる縁日気分の古本市です。2008年最後の開催になります。
※2日目の営業時間が変わりました。開店時間、終了時間が1時間ずれて夕方18時までの開催になりました。お出かけの帰りにもどうぞ。

■日時
2008年11月1日(土)〜2日(日) 
1日⇒11:00〜20:00(往来座も同様)
2日⇒12:00〜18:00(往来座も同様)

■雨天決行(一部店内に移動します)
■会場
古書往来座 外スペース(池袋ジュンク堂から徒歩4分)
東京都豊島区南池袋3丁目8-1ニックハイム南池袋1階
http://www.kosho.ne.jp/~ouraiza/
東京メトロ副都心線「雑司が谷」駅 1番出口・2番出口から徒歩4分

▼スペシャルゲスト
安藤書店(早稲田)
にわとり文庫(西荻窪)http://niwatorib.exblog.jp/
九蓬書店(目黒・無店舗)
ハルミン古書センター(浅生ハルミン)http://kikitodd.exblog.jp/
文壇高円寺(荻原魚雷) http://gyorai.blogspot.com/
伴健人商店(晩鮭亭)http://d.hatena.ne.jp/vanjacketei/
ふぉっくす舎 http://d.hatena.ne.jp/foxsya/
嫌記箱(塩山芳明)http://www.linkclub.or.jp/~mangaya/
やまねこ書店 http://yamaneko-bookstore.com/modules/shop/
チンチロリン商店(文系ファンタジックSinger ピッポ)
          http://blog.livedoor.jp/pipponpippon/
古書文箱
丸三文庫 http://d.hatena.ne.jp/redrum03/
豆惚舎(ずぼらしゃ・カバー販売)http://zuborasha.blog.shinobi.jp/
お客様オールスターズ

▼わめぞオールスターズ
古書現世(早稲田)http://d.hatena.ne.jp/sedoro/
立石書店(早稲田)http://tateishi16.exblog.jp/
ブックギャラリーポポタム(目白)http://popotame.m78.com/shop/
貝の小鳥 http://www.asahi-net.or.jp/~sf2a-iin/92.html
琉璃屋コレクション(目白・版画製作・展覧会企画)
木村半次郎商店(文筆家・木村衣有子)http://mitake75.petit.cc/
m.r.factory(武藤良子・雑司が谷)http://www.toshima.ne.jp/~mryoko/
リコシェ(雑司が谷)http://www.ricochet-books.net/
旅猫雑貨店(雑司が谷)http://www.tabineko.jp
藤井書店(吉祥寺・名誉わめぞ民)
bukuぶっくす(「buku」・池袋)http://www.c-buku.net/
退屈文庫(退屈男・名誉わめぞ民)http://taikutujin.exblog.jp/

▼「本」だけじゃないのです!
刃研ぎ堂(包丁研ぎ) http://www1.tcn-catv.ne.jp/kai555/
古陶・古美術 上り屋敷(会場では特選ガラクタを販売)
          http://www.wakahara.com/agariyashiki/
ハチマクラ(高円寺)http://hachimakura.com/


■主催・古書往来座
■協賛・わめぞ http://d.hatena.ne.jp/wamezo/

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第2回 ちいさな古本博覧会 
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開催日時:11月1日(土)〜3日(月祝日) 10:00〜18:00
会 場 :西部古書会館
     杉並区高円寺北2-19-9
     JR中央線高円寺駅下車徒歩5分

2000年以降に開店した新世代の古書店を中心に、多彩な古書店が大集結。
独自の感性で選んだ、優れ本、懐かし本、珍し本のあれやこれや。
個性あふれる店が、それぞれ自慢の品物をプレゼンテーションします。
面白楽しいイベントも同時開催。
今までの古書催事とは、一味違う賑わい空間を創出します。
探していた本、初めて出会う本、あなたにふさわしい本をここで見つけてください。

北尾トロの『中央線古書店散歩』tour&talk 11月1日(土)
ツアー集合13時・トーク15時から
オンライン古書店のパイオニアで、いまや人気ライターとしてもご活躍中のトロさんが、西荻から高円寺まで、沿線の個性的な古書店を紹介しながら歩きます。トークのテーマは、散歩と古本。トロさんの新刊も発売します。ウォークツアー参加者募集中! お申し込みは、collabonet@project.nameまで。(住所、氏名、連絡先をお忘れなく。参加者決定次第詳細をご連絡いたします)
先着10名様限定。
トロさんと、散歩したい、古本みたい、そんな方、悩み無用。是非ご参加くださいませ。

さらには、
久住昌之の【高円寺とボク】 
talk&live 11月3日(月)13時から
名作『孤独のグルメ』の作者・久住昌之さんが、高円寺の街を風景を、そして古本を、がりがりと噛むように語ります。〆はライブでおなかいっぱい。

こちらは予約などはご不要。もちろん悩み無用。見たい、聴きたいという方、お越しくださいませ。

さらにさらに、
特別企画《古本催事の、いま、これから》
talk 3日(月)20時から
@古本酒場コクテイル
わめぞの『外市』や『月の湯古本まつり』、『五反田アートブックバザール』など、ユニークな古書イヴェントが続々誕生しています。『彷書月刊』編集長・田村治芳さんを司会に迎え、そんな企画を立ち上げた古書店主たちの裏話、苦労話を、グラス片手にお聞きします。
【参加メンバー(予定)】
古書現世(わめぞ)
うさぎ書林(五反田アートブックバザール)
Paradis(古本博覧会)他

2008/10/27

逆じゃないのか

 土・日、西部古書会館の古書展。でも古本どころではない。自分でもまだ気づいていない未知なる力に目覚めないと片づかないくらい仕事がたまっている。ほんとうは未知なる力よりも計画性がほしい。あとやる気も。

 部屋にこもって仕事をしていると、奥歯に違和感をおぼえる。洗面台の鏡で見てみると、詰めものがちょっと欠けていた。
 なぜ、いま、歯。
 いま、じゃなくてもいいのに。
 でも欠けたところをちょっと埋めてハイおしまいだろうと予想して歯医者に行くと、レントゲンを撮られる。詰めものの欠けたところの下が虫歯になっていた。麻酔をうたれ、けっこうガリガリがやられる。
 予定通りにいかない。

 家に帰る。病院(歯医者だけど)に行ったから、安静にしてなきゃとおもい、だらだら夕方のニュースを見る。
 どう見てもあやしい健康商品に引っかかった人が、テレビ局の取材に答えている。こういう被害者の顔、出していいのかな。
 その人は安っぽい電卓にしか見えない機械を五十万円ちかくで買わされていた。機械で水に情報を伝え、その水を飲むとどんな病気でも治るのだそうだ。
 番組としては、善良な市民を騙す悪徳業者を告発したいのだろうけど、業者とおもわれる人、宣伝に加担した芸能人、医者の顔にはモザイクがかかっている。
 逆じゃないのか。

2008/10/22

浅見淵

 平野謙が「人間智」の持ち主であると評した浅見淵に『昭和の作家たち』(アテネ新書、一九五七年刊)という本がある。

 この本の「はしがき」では、平野謙が文芸時評について「テキ屋仲間の符牒のようなこんな時評文を一体誰が読むのだろう」という文章を引きながら、文芸時評にたいする自分の考えを述べている。

《流行の尖端、流行の不易性、新しい精神乃至技巧、時代性、——つまり、文学の不易性といつたものを対照として、月々の雑誌小説から以上のような新現象を見出した時、それらの新現象の今日的な位置、意味、それから価値などといつたものが、時評家の勘にピンとくる。もともとはジャアナリズムの要請によつて雑誌小説を繙読したものながら、それらが時評家の興味を刺戟して、結果において却つて積極的に筆を執らしめているのではないか》

 文芸時評にかぎらず、批評の意義をいいつくしている。でも浅見淵のおもしろさはもっと別のところにある。

 かつて浅見淵は、尾崎一雄の「もぐら横丁」という小説について、「過去からの発掘ということは、同時に、なんらかの意味で、未来に繋がる芽を発掘するということになることに於て、初めて意義があるのではなかろうか」と批評した。つまりこの作品には、それがないと。

 それからしばらくして浅見淵は病床にいた尾崎一雄をたずねた。
 尾崎一雄は「前向き批評を書いていたね」と笑った。

《不図、前記の僕の言葉が、いかにも健康人相手に物をいつているような気がして来て、なんとなく赤面されたのだつた》

 こんなふうに赤面してしまう感受性こそが浅見淵の批評の魅力であり、平野謙のいう「人間智」もそれと関係あるのではないかとおもった。

2008/10/17

人間智

 季節の変わり目、気温の変化、酒の飲みすぎ、そのほかいろいろな理由で、睡眠時間がめちゃくちゃになって寝てばかりいる。一昨日は十五時間くらい寝た。あれこれ考えてもしょうがないので、寝たいときに寝るようにしている。
 とりあえず、体調をととのえることに専念する。ようするに、だらけきっている。月末は仕事が忙しくなるので怠けるなら今だとばかりに怠けた。
 寝て、雑炊食って、寝て、また雑炊。酒もちょっと飲む。起きているときも、横になってごろごろ。

 講談社文芸文庫から尾崎一雄の『単線の駅』が出た。来月は『遠景・雀・復活 色川武大短篇集』が刊行されることを東川端さんのブログで知った。

『単線の駅』を読んでいたら、これは尾崎一雄ではなく、平野謙が浅見淵を評した文章の引用なのだが、「人間智」という言葉が出てきた(「五十年経った 浅見淵追憶」)。

 以下、孫引きになるが、平野謙の評はこう続く。

《つまり、いわれてみればナルホドと頷かれる人間観察や人間智に、浅見さんの批評や随想はみちているが、そういう人間そのものに対する好奇心みたいなものは、いくら学問をつみかさねても決して生れてくるものではないのである》

 その好奇心はどこから生れてくるのかは書かれていない。そのことが知りたいとおもった。

2008/10/15

さてさて

 月の湯の古本市と京都のメリーゴーランドの小さな古本市が終了。

 OKストアと肉のアンデスで食品の買出し。豚肉(バラ、肩)、鳥肉(もも)、卵、もやし、じゃがいも、にんじん、ほうれん草、玉ねぎ、ネギ、干しいたけと乾燥わかめが我が家の常備食(あと米と麺)。ほかの食材は、今日はいつもとちがうものを作ってみたいなおもうときに買う。そうおもうことは月に二、三回あるかどうかだけど。

 内堀弘さんの『ボン書店の幻 モダニズム出版社の光と影』(ちくま文庫)を読む。この本を読んだ人は、誰もがそうおもうにちがいないけど、「文庫版のための少し長いあとがき」が、ほんとうにすばらしすぎる。あるひとつのジャンルをきわめた人にしか書けない、そういう文章なのだ。

 書きのこされなかったことを調べあげて書く。やれといわれてもできないし、できないことがわかっているからやらない。でもそういうことをする人の書いた本を読むことはできる。
 読んでそれを自分もそういう仕事がしたいかというと、やっぱり無理だなおもう。そうおもいつつ、自分には何ができるだろうと漠然と考える。

 さて、どうしよう。
                 *
 ここ数年、ようやく本を読んだり、文章を書いたりすることが、仕事といえるようになってきた。それまではどこか趣味の延長あるいは現実逃避といったかんじだった。

 三十歳半ばくらい、体力落ちたなあ、集中力落ちたなあ、と自分のおとろえについて悩むようになったけど、逆に、若いときにはできなかったことでできるようになったこともある。
 たとえば、いろいろな人の力をあてにすること。昔のわたしはそういうことがまったくできなかった。もちろん、あてにされることも。

 将来どうしたいんだ、というようなことは、よくいわれるし、自分でも考えているつもりだが、半分くらい、なりゆきまかせでもいいかなと。残り半分。たぶん、それも考えたとおりにはならないとおもうが、とりあえず、そこは商売ぬきでもやると。半分じゃなくて、三分の一くらいか。

 さて、どうしたものか。

2008/10/13

仙台の酒豪

 先週末、金曜日に、西荻窪の戎で打ち合わせ。
 深夜一時すぎ、「だいこんの会」に参加していた前野さんがふぉっくす舎のNEGIさん、インターネット古書店の股旅堂さんといっしょに高円寺にくる。すると古本酒場コクテイルで飲んでいたささま書店のNクンから「将棋しませんか」という電話がかかってくる。
 NクンがバサラブックスのSクン、コクテイルの常連のIさんを連れてきて、朝五時まで部屋で飲む。

 翌日の土曜日は午前中に月の湯古本市に顔を出すつもりが、以上のような理由で、寝坊し、昼から仕事(アルバイト)。帰りに、月の湯古本市に寄る。
 夜、高円寺で前野さんと浅生ハルミンさんと待ち合わせ。
 今年八月にオープンした「ハチマクラ」(http://hachimakura.com/)に案内する。「ハチマクラ」は、手まわしオルガンミュージシャンのオグラさんが店番(店主は妻)している雑貨屋で、ヨーロッパのおしゃれな文房具や絵はがきやよくわからない古いものをいろいろ売っている。

「ハチマクラ」のあと、高円寺の西友そば(あまから亭の角)の細い路地にある「えほんやるすばんばんするかいしゃ」に。
 この日、仙台のバンドyumboのライブが高円寺のペンギンハウスであった。
 yumboは、倉敷の蟲文庫さんとも知りあいだそうだ。酸欠になりそうなくらい超満員、ほんとうにいいライブだった。

 ライブのあと、ラーメンを食って、古本酒場コクテイルへ。東京堂書店の畠中さんとアスペクトの前田君が並んで飲んでいる。
 浅生ハルミンさんと近代ナリコさんの『彷書月刊』の名物連載がようやく本になるそうだ。朗報。
 そうだ、BOOKONNの中嶋大介さんの『アホアホ本エクスポ』(BNN)も刊行! 中嶋さん、おめでとう!!
 この日も前野さんと朝五時くらいまで飲み明かす。

 翌日は西荻ブックマーク。コクテイルの狩野俊さんと角田光代さんのトークショー。
 人間嫌いになって店を一ヶ月ちかく閉めていたことがあるとか、あまりにも店にこないので合カギをもっていた常連さんが、代りに店番をやっていたとか、聞きようによっては笑い事ではない話をしているのだが、いかにもそのエピソードが狩野さんらしくて、終始、会場は笑い声でつつまれていた。話もうまくてびっくりした。
 
 西荻ブックマークのあと、前野さんと名古屋から上京中のリブロのAさんと高田馬場に行く。古書現世の向井さんが駅まで迎えにきたところ、ちょうど海月書林の市川さんが到着。立石書店の岡島さん、リコシェの柳ケ瀬さん、池袋往来座の瀬戸さん、ふぉっくす舎のNEGIさんというメンバーで飲む。
 さらにそのあと和民。午前三時まで……。
 おそらく前野さんは超過密スケジュールの中、一日十時間くらい飲んでいたのではないか。すごいとしかいいようがない。

※十月十八日(土)に、火星の庭とyumboの共同企画で「火星の川」というシリーズイベントがはじまります。毎回、ちがった形の実験をしていくという企画だそうです。

2008/10/10

文学以前のこと

 旅をしたり、あちこちから人がきたりして、これを楽しいといわずして何を楽しいのだという日々をすごし、日常に戻る。
 日常はやらなければならないことばっかりだ。なるべくやらなければならないことを楽しくやりたい。そうするにはどうすればいいのかを考えるのは、昔からわたしはきらいではない。

 話はいきなり脱線するけど、子どものころから、朝起きることができなかったり、集団のルールが守れなかったりして、そんなことでは社会で通用しないといわれ続けてきて、やり方はちょっとちがうけど、生きているじゃないか、食っていけてるじゃないか、どうにかなっているじゃないかということを証明したいというおもいがあって、それが自分の文学、いや、文学以前の、文学の動機のようなものなのかもしれないとおもった。

 一時期、就職はしていないけど、考えるひまもないくらい忙しいところで仕事をしたことがある。忙しいことがいやになったのではなく、「いわれたとおりにやれ。それ以外のやり方は認めない」といわれたことがいやになってやめた。

 たとえば、わたしはレシピを見て料理を作ったことがない。順序とかまったく無視して、とりあえず煮たり焼いたりして、最後に味をととのえる。料理にかぎらず、はじめは大雑把にやって、最後に調節するというやり方が好きなのだ。
 後で、こうしたほうがいいんじゃないかといわれたら、わりと素直に聞くのだけど、途中でごちょごちゃいわれるといやになる。

 一見おとなしくてまじめそうなのだけど、どこかヘンだといわれるのは、そういうところなのかなという自覚は多少はあるいっぽう、けっこうそういう人っているとおもうのである。それでちょっとわかりにくい形で社会不適応をおこしている。

 昨日か一昨日か、昼間テレビをつけたら、海外の映画をやっていて、男が煮え切らない態度でうやむやな返答をしていたら、女が「イエスかノーか、はっきりして」とかなんとかいうシーンがあって、わたしはその言葉に拒絶反応をおこし、そのままチャンネルを変えてしまった。だからその映画が何という映画かわからないし、知りたくもないのだが、わたしは昔から「イエスかノーか」みたいなことをつきつけられるのがいやだった。

 それから少し前に、ミスなんとかの女性がインタビューなどの受け答えで反感をかったことについて、何でも聞かれたことにはっきり即答しないとバカだとおもわれるから、そういう訓練を受けたというようなことをいっていた(……うろおぼえ)。
 よくわからないが、そういうルールの世界があって、そういうルールの世界で勝つために、バカとおもわれないための訓練を受けたという。その結果、ミスなんとかになれたという話だった。世界基準がそういうものであるなら、世界はおかしいんじゃないかとおもった。

 まあ、そんな世界を改革したいというほど、大それた野望はないが、できれば「イエスかノーか」をつきつけらるような局面をのらりくらりとかわしながら、バカだとおもわれてもいいから、納得いくまでいろいろ考えたり試したりするような人生を送りたい。

 これもまた文学以前の、自分の根っこにあたるようなものなのではないかとおもったのだが、なんでそういうふうになってしまったのかについては、まだ曖昧模糊としていてよくわからない。

2008/10/08

告知その他

 大阪の貸本喫茶ちょうちょぼっこで「古本と男子」第二部がはじまりました。わたしは段ボール三箱大放出。
※ちょうちょぼっこの10月の営業日
 3日(金)、4日(土)、5日(日)
 10日(金)、11日(土)、12(日)
 17日(金)、18日(土)、19日(日)
 金   18:30〜21:00
 土、日 13:00〜21:00

◎出品者(順不同)
・文壇高円寺古書部(荻原 魚雷)1969年生まれ
・モズブックス(松村 明徳)1970年生まれ
・スクラップ館(扉野 良人)1971年生まれ
・談(折田 徹)1971年生まれ
・古書 さらち(aku)1973年生まれ
※詳細は(http://www.geocities.co.jp/chochobocko/)。

 それから十月十二日(日)、十三日(月・祝)開催の京都のメリーゴーランドの「小さな古本市」にも参加しています。京都の扉野さんからいろいろ話を聞いたら、行かないと後悔しそうな気がしてきた。どうしよう。
 
◎出品者(順不同)
荒井良二(絵本作家・イラストレーター)
刈谷政則(マガジンハウス編集者)
なないろ文庫ふしぎ堂
荻原魚雷
またたび高橋本舗
FORAN
BOOKONN
とらんぷ堂
アトリエ箱庭
萩書房
トンカ書店
扉野良人
増田喜昭(メリーゴーランド店主)
鈴木潤(メリーゴーランド京都)

 メリーゴーランドの住所は、京都市下京区河原町通四条下ル寿ビル5Fです。営業時間10:00〜19:00
※詳細は(http://junzizi.exblog.jp/8603433/)。

 これから月の湯古本まつり(十月十一日・土 10:00〜18:30)の準備。毎日、本のパラフィンがけしている気が……。
※月の湯古本まつりの詳細は(http://d.hatena.ne.jp/wamezo/20080914)にて。

 月の湯古本まつりの日、夜は高円寺のペンギンハウス(http://www3.plala.or.jp/FREEDOM/penguin/home/home.html)で、夏に仙台で見たyumboのライブもあります。見て損はないバンドだとおもいます。ライブ、ほんとうにいいですよ。

 それから十月十二日(日)は、秋も一箱古本市(11:00〜17:00)。
 さらに同日、西荻ブックマークは、こけしや別館2階で、「中央線の酒と薔薇と古本の日々 〜古本酒場ものがたり〜」という高円寺、古本酒場コクテイルの狩野俊さんと角田光代さんのトークショーがあります。
 16:30受付、17:00開演。まだ席あるみたい。もちろんわたしも行きます。

 五日(日)は岡山から来たFクン、本名でいいや、藤井豊さんと扉野良人さんと葉山(逗子)へ。秋野不矩展の最終日。そのあと午後三時くらいから奥成達さんと飲む。『深夜酒場でフリーセッション』(晶文社)をいただく。

《どんな場合にもおいても、ぼくにとって大切なことはいつも〈セッション〉のことである。
 それがジャズの演奏であるか、酒場で酒をのんでいるだけのことであるか、という〈場〉が問題なのではなくて、その〈場〉がどんな楽しいセッションになっているかどうかが常に問題なのであり、その中にいる自分の一喜一憂を発見することの楽しさが一番大切なのである》(深夜酒場でフリーセッション はじめに)

 この日も奥成さんに〈場〉から生れるおもしろさについての話をいろいろ聞かせてもらった。
 葉山から夜は吉祥寺、さらに高円寺と流れる。といっても高円寺ではもう飲めなかった。

 六日(月) 昼まで寝る。藤井クンが岡山に帰る。ひさびさに写真を見せてもらったのだけど、対象との距離感が絶妙で、人柄(おひとよし)ぶりがにじみでている。蟲文庫さんにもちょくちょく行ってるという話を聞き、世間は狭いなとおもう。
 夜、コクテイルで某誌編集者と打ち合わせ。そのあと扉野さんと飲む。中川六平さん、羽良多平吉さんも。その後、扉野さん、羽良多さんと部屋飲み。扉野さんのみやげの日本酒が効いて、最後へろへろに。

 七日(火) 午前中、琥珀で朝食のあと、都丸書店に行って、扉野さんと中野ブロードウェイ(二階、古書うつつ、三階、タコシェ、四階、まんだらけの「記憶」など)を探訪。古書うつつ、詩の棚が充実していてうれしい。菅原克己の『詩の鉛筆手帖』(土曜美術社)などを購入する。今の中野ブロードウェイ、ひとまわりすると古書展や古書市に行ったとき以上に本(漫画以外)を買ってしまう。

 扉野さんが新幹線で帰った途端、今度は先日、広島市民球場ツアーのときにお世話になった堀治喜さん(『球場巡礼』ほか、野球関係の著作多数。段々畑に野球場を作ったこともある)と晶文社の営業のTさん、あと広島出身で今、中央線在住のHクンが高円寺に。
 中通り商店街の港や(はじめていったけど、安くてうまい店だった)、そのあと赤ちゃんで飲む。
 この数日、シラフでいる時間のほうが短いような……。 

2008/10/05

岡山から

 広島に行ったのは学生時代以来と書いたが、最初に行ったのは、船で下関から釜山に旅行したときに、東京から鈍行列車で行って、広島で途中下車して、ファミリーレストランに泊った。翌年、反戦デモに参加、それから大学を中退した年にも行った。

 あと二十四、五歳のときにも鈍行電車で博多まで行った帰りに、広島市内の古本屋をまわったことをおもいだした。

 旅行から帰ってきてすぐ四、五年前まで高円寺に住んでいたカメラマンのF君が岡山県(西のほう)から上京した。学生時代にいっしょに仕事をしていた友人とF君が高校の同級生でその関係で知り合った。現在、F君は高円寺滞在三日目——。

 昼間わたしは仕事があったので自転車を貸すと、三鷹のほうまで行って写真を撮ってきていた。さっきまで古本酒場コクテイルで飲んでいた。

 八、九年前、F君に「写真の仕事をするなら東京にきたほうがいいんじゃないか」と会ったこともないのに電話でけしかけたところ、「わかりました。行きます」と即答した。その後、近所に風呂なしアパートを借り、仕事をはじめたかとおもったら「もうすぐ子どもが生まれる」と……。

 そのときの子どもがもう小学生になっているという。

2008/10/01

古本ツアー・秋

 九月二十七日(土)〜三十日(火)まで旅行。三泊四日で広島、尾道、倉敷、神戸、梅田、京都とまわる。
 扉野良人さんの企画で、今年で閉鎖される広島市民球場に行こうというツアーだったのだが、途中から古本ツアーになった。
 広島はアカデミイ書店(二店舗)とブックオフ、尾道は尾道書房と画文堂、倉敷は蟲文庫、神戸はサンパルのMANYOから高架下の古本屋を歩く。阪神電車で梅田に出て、阪急古書のまちをかけ足でまわり、京都は飲み歩き、帰りはぷらっとこだまだったので東京駅でいちど降り、八重洲古書館を見てから帰宅する。

 神戸と倉敷は半年ぶりだけど、広島市内に行くのは、学生時代以来で、そのときは八月六日の反戦デモ(アナキズム系)に参加するために行った。数年後、そこで知りあったある人に「辻潤が好きな学生がいるんだよ」と扉野さんを紹介してもらったことをおもいだした。
 あと岡崎さんの引っ越しを手伝ったときに知りあった神田伯剌西爾の竹内さん(広島ファンで今回のツアーにも参加)と今年二度も倉敷の蟲文庫に行っているというのも、ヘンなかんじだ。さらに二日前に、南陀楼綾繁さんも蟲文庫に来ていたと知らされおどろいた。

 なんとなく旅に出たくなる周期があって、二十歳から二十五歳くらいのあいだ、ひまさえあれば、自分の行ったことのないところに行っていた。当時あちこち旅行して、手当たり次第に本を読んで、何になるのかわからないまま動きまわっていたことが、十年くらいしていろいろつながってきている。
 そのときどきは自分が何をやっているのかよくわからない。今もこんなことしていて、何になるのかなあとおもうことは多いのだけど、たぶん、自分の予想のつかない、何かにつながることがあるような気がする。

 旅行中ちょっとそんなことをおもった。

2008/09/22

文学の理想

 さすがに月末になってこのままでは仕事に支障をきたしそうになってきた。でもここで休んでしまうと文学熱が冷めてしまいそうなのでもうすこし続ける。

 福田恆存が座談会で「精神の緊張度」という言葉をいったのは一九四九年の末、三十七歳のときだった。当時、中村光夫は三十八歳、丹羽文雄は四十五歳、井上友一郎、四十歳……。
 福田恆存も中村光夫も、今のわたしと同じ齢くらいだったとは。

 文学の理想、理想の文学。そういうものが語られていた時代というものが、なかなかつかめない。ただわたしはその時代の作家を好きになってしまう傾向がある。
「精神の緊張度」という言葉は、福田恆存ひとりの中から出てきたものではないことは、なんとなくわかる。当時の文学者たちがいだいていた共通の理念のようなものがその背後にあるのではないか。

 自分が文学にのめりこんで古本屋通いをするようになったのは、古本のほうが単に新刊で買うより安いからというのではなく、どこか今の時代にはない、文学の魅力があったからだ。

『小林秀雄対話集』(講談社文芸文庫)に所収の小林秀雄、中村光夫、福田恆存の鼎談「文学と人生」(「新潮」一九六三年八月号)を読んだ。文春文庫の『文学と人生について』にもはいっていて、十年くらい前にも読んでいるのだが、今回読んでまたいろいろ気づかされることがあった。いや、さらに混乱してきた。

《中村 小林さん、いろいろ文章を見ていて、文学者に一番大切なことというか、本質的なことって何だと思いますか。
 小林 トーンをこしらえることじゃないかなあ。
 中村 そうだね。
 小林 あんなおもしろいものはないんじゃないか。僕らが何ももういうことはないなと思う時は、それが聞えている。いろいろなものを見たり、考えたりしているうちに要求が贅沢になるでしょう。だからたしかにあの人のトーンだというものがあるやつとないやつと見わけがつくようになるわけだね。それを見つけることだよ。トーンがあるやつの安心がこちらに伝わるのだな。
 福田 作者が安心してなきゃ、読者を楽しませたり、堪能させたりすることはできませんね。でも今までの日本の文学者はそういうものに反逆しているところがあるんじゃないですか。
 小林 このごろでしょう。
 福田 ええ、このごろ。そういうのは文学の本道ではないというふうに思っているところがあるんじゃないかなあ》

 こんどは「トーン」か。「精神の緊張度」と「安心」は両立するのか。でも「批評家と作家の溝」の座談会のときの「これはどんな題材にぶつかっても生涯一つだ」というときの「一つ」というのは、小林秀雄のいうところの「トーン」のことをいっているのかもしれない。

「文学と人生」の鼎談では、小林秀雄の「トーン」について、中村光夫と福田恆存がふたりで語りあうところもある。

《福田 それこそ自分の天分というものがあって、いくらどういうふうに書いたって自分のトーンしか出ないんだけれど、勘違いしちゃっている。
 中村 トーンというのは限界と同じようなもので、自然に出るものだ。出そうとしてはいけないものじゃないですか。
 福田 そりゃそうです。しかし私小説が惰性的になっていくと、それはもう自分のトーンではなくて、私小説のトーンというものになっていくだろう。その中で少数の人たちがちゃんと自分のものを出している。たとえば、志賀さんだってそうだし、葛西善蔵だってそうだ。一人の作家でもはじめのうちと終りでは違うし、私小説の場合には同じ作家でも終りになってくるとトーンが次第に安易になってくる要素があることはある。一般論としてそこに私小説の危険があるのだと思う。
 中村 さっき小林さん、リアリティにぶつからないと、リアルなのでないと、信じないというのが日本人だということでしたね。それは何かものにぶつかるということでないかと思うんだけれど、精神がものにぶつかる、ものにぶつかった精神しか信用しないような習慣がわれわれにある。
 小林 論理学が不得手なんだね。科学が不得手なんだ。
 中村 そのトーンだって、本当にものにぶつかったトーンでなくちゃいけないわけでしょう。
 小林 まあそうだね》

「精神の緊張度」と「トーン」は関係あるのかないのか。
 それよりなぜ今わたしはこのテーマにこだわっているのか。
 雑誌の休刊のニュースがいろいろあって、今後の出版界への不安というのもかんじている。情報はインターネットで手にはいる。雑誌が売れない。今後ますますそうなってゆくだろうと。
 とすれば、情報以外の付加価値をどうやって作っていくかが問われてくる。
 たとえば、バックナンバーを保存したくなる雑誌とか。

 古本好きの感覚でいえば、本にしても雑誌にしても古くならない部分というのがある。
 その古くならない部分をつきつめていくと、「精神の緊張度」のようなものがあるのではないかとおもうわけである。

……というわけで、これから仕事します。

2008/09/19

続々々・精神の緊張度

 福田恆存のいう「精神の緊張度」とは何だったのか。
「批評家と作家の溝」という座談会では、明らかにされていない。懐疑、理想、あるいはどんな題材にぶつかっても生涯一つといいきれるもの。そういわれてもなかなかイメージできない。
 この座談会は一九四九年、昭和二十九年におこなわれたと考えると、その時代にはあたりまえすぎて言葉にする必要のないような価値観を補足したほうがわかりやすいかもしれない。

 たとえばかつての文壇には「俗物」という批判があった。
 中村光夫の「文学の俗化」というエッセイでは、「俗物」を次のように説明している。

《俗物の第一の資格は自己の現在と事物の秩序にそのまま満足することです。ところが文学という表現の世界は、必ず現実に対する不満から生れます。詩ひとつ歌ひとつ作る創作衝動を分析して見ても、そこには現実の秩序からはみだした、表現の世界でしか充足されぬ或る感情がが働いている筈です》

 文士は「俗物」といわれることを恐れた。そういう文壇に蔓延していた強迫観念が、「精神の緊張度」のようなものを生み出していたのではないか。もちろん「俗物」というレッテルをはりさえすれば、相手を否定したことにつながるといった弊害もあったにちがいない。
「精神の緊張度」は、当人の理想の追求だけではなく、かつての文壇にはそうした緊張感があり、文学はかくあるべしというような理想があったことで作られるところもあったのではないか。
「風俗小説論争」は、文学における「理想の喪失」がほんとうのテーマだったともいえる。
「理想の喪失」と「精神の緊張度」は関係あるのかないのか。
 わたしはあるとおもう。安易な理想では「精神の緊張度」は高まらない。

 前回、井上友一郎を「聞き上手」と書いた。
「批評家と作家の溝」という座談会の前に、丹羽文雄、林芙美子、井上友一郎の「小説鼎談」という座談会があった。この中で、井上友一郎が、日本は近代小説の伝統が浅くて、小説を特別なものだというような観念ができているといっている。

《要するに、小説で身を修めるとか、心を鍛えるとか、本末顛倒してゐるような何かが有るのぢやないでせうかね》

 その結果、人間修業が基調になりすぎて、読者を楽しませること、酔わすことがないがしろになっていると。これもまたひとつの見識だとおもう。
 楽しい文学、酔える文学、わたしもそういうものが読みたい。楽しいだけではなく、作者の姿勢が、自分の生き方や人生に響いてくる文学も読みたい。
 今の目で「風俗小説論争」を考えると、読物として楽しい文学と作者の理想を追求する文学は分けて考えたほうがいいような気がする。

「精神の緊張度」とは、かくかくしかじかである。だんだんそうした定義がどうでもよくなってきた。
 それよりも福田恆存が、「精神の緊張度」という言葉をつかって文学を語った時代に興味がうつってきた。
 福田恆存のちかくには、小林秀雄や坂口安吾がいた。
 わたしが「精神の緊張度」という言葉からまっさきに連想した坂口安吾の「教祖の文学」は、小林秀雄批判である。小林秀雄は文学を批評しなくなり、古典や骨董の世界に向かった。坂口安吾はそのことに文句をつける。
 ところが、小林秀雄は小林秀雄で、文学ではなく、絵や音楽を批評するのはわからないからで、わからないことを論じるからおもしろいんだというようなことをいっている。
 骨董にいれこんだときは、まったく文章が書けなかった。金も時間もすべてつきこんだ。頭がヘンになるくらいのめりこんで、はじめて掴むことのできるものがある。小林秀雄は坂口安吾との対談でそんなことを語っている。
 こづかいの範囲で遊ぶのではなく、人生をかけて何かを追求する。
 そういった「精神の緊張度」のようなものこそ、福田恆存は「文学の魅力」といったのではないか。

2008/09/18

続々・精神の緊張度

《今、自分の内圧を目一杯高めて文章を書くのがいいのか、それともある程度生活を整え、余裕のある状態で書くのがいいのか。そんなことについて、いろいろ思案している》(前掲「文学的自己肯定について」)

 二十九歳のわたしは「精神の緊張度」ではなく「内圧」といっている。でも意味するところは近いとおもう。今、読むと、言い訳やら誰かにたいする反論やら、そういうものがごちゃまぜになっていて、何がいいたいのかわからないところもある。
 当時の事情をすこし説明すると、商業誌の仕事を干されていて、まったく先の見えない状態で、生活も情緒も不安定だった。

 それはさておき、そもそも「精神の緊張度」という福田恆存の発言はどういうものだったのか。
 西秋書店のNさんに電話をして、臼井吉見監修『戦後文学論争』(上下巻、番町書房、一九七二年刊)の在庫を確認してもらう。
「ありますよ」
「じゃあ、今からとりに行きます」

 福田恆存の「精神の緊張度」発言は「風俗小説論争」のときの座談会(「批評家と作家の溝」)のときのものだ。出席者は、丹羽文雄、井上友一郎、中村光夫、福田恆存、河盛好藏、今日出海、初出は「文學界」(一九四九年十二月)である。

 この座談会で、福田恆存は、丹羽文雄の作品には、生涯を通して追求しているものがないとかみつく。丹羽文雄は「何を書いても丹羽文雄の小説だと思ふ。それ以外に何があるかね」と反論する。
 それにたいして福田恆存はこういう。

《福田 それは判るんですよ。その點で丹羽さんが非常なモラリストであることは肯定しますよ。だけど、意見とか、見識ぢやないんです。僕の要求するのは、その作家の生活における精神の緊張度みたいなものですよ。これはどんな題材にぶつかっても生涯一つだ。さういふものがわれわれにとつて文學の魅力だと思ふ》

 ちょっと記憶とちがった(※記憶といっても、座談会を読んだ記憶ではなく、臼井吉見のエッセイで読んだときの記憶である。ちょっと補足)。この座談会は考えさせられることが多かった。とくに福田恆存と井上友一郎のやりとりがおもしろい。主役は丹羽文雄と中村光夫なのだが、後半、ふたりともかすんでしまっている。

《福田 例へば現代の風俗とか一般世態、人情さういふものを小説家が書く場合に、完全な肯定の上に立つているとしか思へないんですよ、作品を讀んだところでは。
 井上 懐疑がないといふ意味ですか。
 福田 懐疑もないし、人間の理想、理想的な人間像、人間關係の夢、社會状態がかうあつたらいいとかいふ夢、人間である以上はいろいろ理想があるでせう、それを……。
 井上 しかし理想といふものは具體的なものでせう。
 福田 ええ。それに動かされるやうなことは、風俗作家の中に全然ないんぢやないか。人間とはかうありたいといふ氣もちがない。全然ないか、或は非常に低過ぎる……。さういふことが不滿ですね》

 福田恆存は冴えまくっているのだが、冷静に読むと、井上友一郎が発言をひきだしているようなところもある。
 井上友一郎は聞き上手な印象を受けた(ただ単に焚きつけているかんじもなくはないが)。できれば「精神の緊張度」の話をもうすこしを展開させてほしかったとおもう。

文学的自己肯定について(再録)

 小冊子『借家と古本』(スムース文庫、コクテイル文庫)には、友人が作っていた「線引き屋」ホームページに間借り連載していた「文壇高円寺」の原稿をいくつか収録しているが、収録していないものもある。
 収録していないもののひとつに「文学的自己肯定について」という原稿がある。読み返すと、いろいろ甘酸っぱいものがこみあげてくる文章だが、ここ数日にわたって考えている「精神の緊張度」と関係しているとおもうので再録してみたい。

《「文学的自己肯定について」

 先日、自己肯定について友人と話し合った。
 もちろん前向きな意味での自己肯定ではない。退廃思想もしくは退廃体質を抱えた人間がなんとかぎりぎり世の中と折り合っていけるところを見つけ、ちょっとは安心したいものだ、という話である。

 勤勉さを強要されることは苦手だ。嫌いだし、場合によっては憎み、呪うことすらある。そんな自分の感覚に普遍性があるとは思っていない。しかし、少なくとも自分のまわりの友人たちとは共有している、ある意味でかけがえのない感覚でもある。
 ミもフタもないことをいえば、そういう勤勉さを要求される局面では、自分の持ち味が出せない。長年の癖であり、その癖に愛着もある。

 そんなわれわれを目障りで非効率的で非合理な存在だと思って嫌う人がいること。そしてそれは結構世の中の多数派であること。そしてそれが正論であり、良識であり、通りのいい意見であること。
……は、悔しいけど納得はしていないが理解しているつもりだ。しかし、人のいう通り、きちんとしてもいいことがなさそうな気がする。

 でも私は世間とは違う意味で勤勉であったりもする。自分の中の内圧や衝動を高めていくために、妙な自己抑制をしていたり、生活におけるさまざまな不都合、犠牲にも耐えている。それは傍目には無意味に思えるような、くだらない行為であるだろうし、過去を振り返れば冷や汗の連続の愚挙も数多い。そして一貫性がない。同じやり方をしていてはマンネリ化し、刺激をどんどん強めていくしかなくなり、破綻してしまう。

 というわけで、今、自分の内圧を目一杯高めて文章を書くのがいいのか、それともある程度生活を整え、余裕のある状態で書くのがいいのか。そんなことについて、いろいろ思案している。

 余力で文章を書いて面白くなければ、ただ楽をしていることになる。
 生活習慣がだんだん骨絡みになると、もう他人があれこれいったところでどうしようもなくなってくる。私の朝寝昼起の夜型生活はもうかれこれ十年以上にも及ぶ。ヘタに規則正しい生活をすると、からだの調子を崩す。また物心ついたときから、体力のなさを自覚し、なぜ自分をみんなと同じように扱うのか、みんなと平等であることを強いるのか、と言いがかりとしか思えない反発心を大事に育ててきた。

 自己肯定と他者肯定のポイントは、その点ではわりと誠実に一致させているつもりである。でももうちょっと他人に寛大になった方がいいと思うこともある。

 勤勉さの強要は困る。しかし、いっとくけど、それをまるっきり否定するつもりはない。こちらとしてはできるだけ尊重したいと思っている。

 年とともに、堕落し、狡猾になった。それなりに世の中にもまれた結果の心境の変化である。立場の対立だけでなく、お互いの信頼を前提としながら、いかに対立した意見を交わしあえるか。一刀両断とか、斬り捨てという行為よりも、より渾沌に耐え、自分の実感を深めながら、他人を許容する。

 そういう関係を自分の理想とするようになった。

 ハンパな部分を批判するのは簡単であるが、そのハンパさが自分としてはどうすることもできない場合、そこを否定してしまっても、幸せになれないような気がするのである。むろん、そのハンパさがわかりやすい実害を人に及ぼしてしまうのであれば、思慮が浅いと反省したい。しかし、だからといって、そんなにすぐに気持を切り替えられるものじゃないし、切り替ったとしてもぎくしゃくするだろう。なんにせよ、気長に構える必要がある。

 考え方、行動の変化は自分の内面をつきつめていった結果というよりは、外部の変化、自分をとりまく状況の変化に迫られるケースが多い。それは悪いことばかりではない。ただあまりにも外の変化に合わせてばかりいると、自分の中にある愛着が弱ってくる。しかし、その愛着を抱えていることが苦しくなる状況の変化というものもある。自分の意志だけでは、なかなか自分を変えていけるものではないように思う。

 私だって「子どもができた」とか「親が倒れた」とかってことになったら、自分のわがままをある程度抑制して、勤勉に働くかもしれない。しかし、そんなことを今から想定し、先回りしておかなければならないとは思わない。戦争になったら、大地震がきたら、隕石が落ちてきたら、もしくは病気になったら……。
 ということはよく考える。むしろ暇をもてあます身、考えすぎるほど考えている。現在の行動の指針は、どうにもならないことを前提にしていると、どうにも窮屈になって、思考、行動が硬直化する。またあまりにも楽観的な前提とした指針は、状況の変化にせまられると脆い。

 とはいえ、自分が自覚して生きてきた時間、なんとかなってきたという手ごたえを軽視した指針など、向き不向き以前に実行する気になれない。

 自分になじむ形で、強固な指針を作っていきたい。できることならその指針が、世界のためとまではいかなくとも、自分の周囲の人には迷惑にならず、多少なりとも役に立ったりすることができればいいなと思う。もちろんそこまで思えるようになるためには、ちょっとした余裕が必要で、そうした余裕をもてる状況をいかに築き上げていくかも問われてくる。またこの余裕というのもクセモノで、表現に関しては、自分の精神の衝動を抑えてしまう効能もある。なにかが足りない、まだ届かないという焦り、危機感が、余裕にとっては邪魔になる。満たされることによって、表現する必要がなくなってしまうこともある。もちろん、そのくらいで満たされてしまうようなものは、そもそも「表現する必要がないもの」なのかもしれないが……。

 いや、衝動の昇華の仕方、それこそが表現の核だと思うのである。
 腹が立つ。だから殴る、蹴る、罵倒し尽くす。単純に衝動の昇華ということだけを考えたら、それでいいわけだ。当然、やり返されるというリスクもあるが。なぜ言葉で表現したいか。なぜよりよい表現がしたいのか。

 論敵を倒すということが目的ならば、相手に物理的ダメージを与えることで事足りる。また、お前はきたない、くさい、せこい、ずるいと貶す、恫喝、脅迫で精神的にまいらせる。矮小なエピソードの数々を暴露、脚色し、発言者の立場を貶める。さらにいえば、裏で糸をひいて、発言の場そのものを潰すのも手っ取り早いか。

 いってることとやってることが矛盾している。当たり前だ。矛盾せずにやれたら、なんで考え、悩むものか。自分が明日からどう生きていくかのために、私は考え、それを言葉にしているのである。私は自分の書くものに、自分の理想を常に託している。できれば、そうありたいという希望も書く。またその考えをガチガチに定めず、振り切らず、ほどよく振幅しながら、ほどよく落ち着き、身になじませていきたいと思っている。

 こうした面倒な手続きそのものが、私は好きだからというのもあるし、ある意味では臆病な考え方なのだろうとも思う。勝ち負けや力の差がはっきり出るような局面はできるだけ回避したい気持が、まぎらわしい迷走に向かわせてしまうのだろう。

 腕力で解決できるなら、表現しようとは思わないだろう。
 生活の持続と衝動の持続のかねあい。

 簡単に結論の出せない問題に取り組むこと。そして簡単な結論が出ている問題にも一ひねり、二ひねり考えてみること。ある意味、世の中の無駄を引き受けることで、現実生活のさまざまなマイナス要因を相殺、突破していくこと。

 それが文学のひとつの道のように思う。また自分自身の拠所である。勝つことが目的なら、気の済むまで殴り合いをしてくれと思う。(1998年10月18日)》

……昔からこんなことを書いていたのです。

2008/09/17

続・精神の緊張度

 まとまらないかもしれないが、もうすこし、「精神の緊張度」について考えてみたい。
 おそらくそれは単に「気力の充実」というようなことではない。深刻な内容であればよいとわけでもない。

 この連休中、坂口安吾の「不良少年とキリスト」を読み返した。「精神の緊張度」という言葉を考えはじめたとき、まっさきに安吾のことがおもいうかんだからだ。やぶれかぶれなところもふくめて、これほど「精神の緊張度」が高いとおもえる文章を書く作家はそうはいない。

《文学とは生きることだよ。見ることではないのだ。生きるということは必ずしも行うということでなくともよいかも知れぬ。書斎の中に閉じこもっていてもよい。然し作家はともかく生きる人間の退ッ引きならぬギリギリの相を見つめ自分の仮面を一枚ずつはぎとって行く苦痛に身をひそめてそこから人間の詩を歌いだすのでなければダメだ》(「教祖の文学」/『教祖の文学/不良少年とキリスト』講談社文芸文庫)

 わたしが「精神の緊張度」という言葉から連想したのは、そういう覚悟の有無である。
 もちろんそんなことをいえば、すべて自分にはねかえってくるわけだ。
 文章を書くことが生活の手段になる。いつしか生活の持続が目的になり、そつなくこなすことばかり考えてしまうようになる。

《小説なんて、たかが商品であるし、オモチャであるし、そして又、夢を書くことなんだ。第二の人生というようなものだ。有るものを書くのじゃなくて、無いもの、今ある限界を踏みこし、小説はいつも背のびをし、駆けだし、そして跳びあがる。だから墜落もするし、尻もちもつくのだ》(同前)

 こうした文学の姿勢を持続させるためには強靱な肉体と精神を必要とする。強靱な肉体と精神をもってしても、限界をふみこえようとすれば、身の破滅が待っている。
 生活の持続を考えながら、限界を踏みこそうとするのは矛盾している。どうしようもない矛盾だ。そうした矛盾の中で「精神の緊張度」の高いものを書いていけるのかどうか。

(……続く)

2008/09/15

精神の緊張度

 福田恆存の評論か座談会かで、文学の魅力は作家の「精神の緊張度」にかかっているという意見があったのをどこかで読んだことがある。
 それ以来、ときどき、この言葉の意味を考えている。

 文学にかぎらず、音楽、絵、あるいはスポーツも、「精神の緊張度」が魅力の根底にあるようにおもう。
 どれだけ本気で自分の限界に挑むか。よりよいものを目指すか。自分に何を課せばいいのか。「精神の緊張度」には波があって、それをコントロールするのがむずかしい。

 同じようなことを続けていると「精神の緊張度」が弱まってくる気がする。
 このところどうも必死さ、切実さ、そういうものが不足している気がする。平和だからか。齢のせいか。

 たとえばプロ野球選手と高校球児でいえば、プロのほうが技術は上だが、一試合一試合の「精神の緊張度」は、負ければ後がない高校球児のほうが高い。プロの消化試合よりも、アマの試合のほうがおもしろいことはよくある。
 それだけではない。
 そんなに単純な話ではない。

(……続く)

2008/09/14

鮎川信夫のこと

 仕事帰り、池袋往来座に「外市」の荷物をとりに行く。
 店内の詩の棚を見ていたら、『ユリイカ 特集 嵐が丘 エミリ・ブロンテの世界』(一九八〇年二月号)があった。「黒田三郎 追悼」という手書の腰巻が付いている。
 鮎川信夫、中桐雅夫、田村隆一の追悼詩、北村太郎、三好豊一郎の追悼文などが収録されている。

 鮎川信夫は、黒田三郎のことを批判する文章をいろいろ書いている。
 わたしは、ふたりの関係はよくないとおもっていた。でも『ユリイカ』に掲載された「黒田三郎」という追悼詩を読み、ずいぶん印象がかわった。

《その後、「死後の世界」を読み
 きみと話したくなって電話をすると、
 きみは意外に元気な様子で近況を語ってくれ、心暖まる十五分か二十分であった。
 最後にきみはさりげなく「声を聞かせてくれてありがとう」と言って、電話をきった》

 池袋から代々木までの山手線の電車の中で読んでいて、「声を聞かせてくれてありがとう」のところでちょっと涙腺がゆるむ。

《きみが再入院して
 再起はおぼつかないという報らせを受けてから、
 ぼくはきみとたった一ぺん打った碁のことをときどき思い出していた。
(きみが美しい奥さんと結婚して、みんなに羨まれながら、西荻窪のアパートに住んでいたときのことだ)
 ぼくは黒を持ち確実に三隅を占拠したが、中央の白が厚く、ずるずると敗けてしまい
 会心の笑みをもらすきみを前にして、ひどく口惜しい思いをした》

「荒地」の詩人の中では、黒田三郎が碁がいちばん強かったのではないか。たしか三好豊一郎が碁敵だった。鮎川信夫は黒田三郎の「碁風」を「おっとりしていて、どこが強いのかわからない」という。

《いまでも下手な碁打ちであるぼくは考える
 きみの地合いの計算には
 ぼくの考慮のおよばぬところが
 きっとあったにちがいない、と》

 話はかわるが、電車の中吊り広告を見ていたら『文藝春秋』の今月号は東京裁判の特集のようだ。

 鮎川信夫は吉本隆明との対談で、東京裁判について「少なくとも連合国側は、それは公正を装ったという言い方をすれば、そうかもしれないけれども、彼らは彼らなりに公正であろうとしたことは認めなければならない」(「戦争犯罪と東京裁判」/『対談 文学の戦後』講談社、一九七九年刊)と述べている。
 そして「あれは不公平だというんだったら、日本人がもし勝者になった場合、あれよりも正当な、公正な裁判ができるかというと、ぼくはできなかったという感じがやっぱりする」とも……。
 スターリンやヒトラーや当時の日本の軍部が、同じような裁判をやっていたら、まちがいなくもっとひどいものになっていただろうというのが鮎川信夫の見解である。
 それは現実には起こっていないことではある。しかしそうした可能性をふまえてものを考えている。

《敗戦というのは、受け取り方にもよるけれども、勝利なんかよりもすばらしいぞということもあるんじゃないか。(中略)戦前の日本を見ていていちばんおもしろくないことは、日清とか日露とかいう戦争の勝利によって、日本の国がだんだん悪くなっていったという感じがある》(「『敗戦』と国家と個人」/同前)

 もし太平洋戦争に勝利していたら、日本の国家の力はますます強まり、さらに国家への奉仕を強制されていたのではないかと……。
 鮎川信夫のこうした現実認識の仕方は、どういうところからきているのか。
 ちょっとそのへんのことを考えてみたくなった。

2008/09/09

反抗と継承

 中村光夫の『近代の文学と文学者』(上・下、朝日選書)を読んでいたら、「新進作家というのは、いわゆる出来上がった文壇に反抗することで世間に出ていくし、またその反抗を通して自分の芸術を伸ばしていくのが正道である、という考え方があります」と書いてあった。

 文学の新人賞、とくに芥川賞の功罪について論じた評論の一節なのだが、多数決で決めるとなると、どうしても無難な作品が残りやすく、またあるいは先輩に認められやすい作家が得をすることにたいして中村光夫は疑問をいだいている。当然の疑問だろう。

《文学はどんな場合にも、反抗である、と言えるけれども、同時にそれは継承である、とも言えるわけです。その両面を備えない作家はやはり文学の世界では本当に生きられないのではないか、そんなふうに考えられます》

 わたしは、昔の作家の考え方や感じ方を継承したいとおもっている。それをどういう形で受け継いでいくか。どう新しい感覚で読み直していくか。やっぱり従来の作品に反抗、抵抗していく部分がないと、どうしても縮小再生産になっていく。それをどうすればいいのか。そんなことをいろいろ考えていたところだった。

 最近、自分が齢をとったのかなあとおもうのは、新しいものへの興味が薄れてきたことだ。好奇心、情熱が弱くなっている。いっぽう二十代のころのように、お金がなくて本が買えないということはなくなった。それより本の置き場所がないことが悩みの種になった。

 場所がなくて際限なく本を買うことができなくなったことが、好奇心の衰えと関係しているのではないかと考えたこともあったが、どうもそうではないような気がしてきている。

 たぶん麻痺してきたのだ。本を読んで人生観が変わるようなこともない。
 十年、二十年、好きで追いかけ続けてきたジャンルのことについては、未知の刺激を受けることはすくなくなってきたのは事実である。だったら新しいジャンルを開拓すればいいではないかとおもわないわけでもないが、それが億劫なのである。そのへんが齢をとったかなあとおもうところである。

《だいたいある世代の文学者は、自己を表現するために自分の父親(または兄)の世代の文学の方法、あるいは価値を否定してそれと反対の方法に歩むことで、自分の道を見いだすというのが普通です。父親の方からいうと彼は息子たちに否定されることを避けられない運命と考えるほかないわけですが、それが孫の世代になると、彼らは自分の父親を否定することによって、その父親に否定された祖父の価値を再認識するようになります。この場合、祖父にとって息子は否定するほかない敵であっても、逆に孫は思いがけなく現れてきた援軍のようなものです》

 中村光夫のこういう文章を読むと、自分が古本屋通いをしながら、いわゆる戦中派作家に耽溺してきたのも、法則通りのことをやってきただけなのかという気がする。
 反抗と継承のバランスというのはむずかしい。中村光夫の文章は、考えたらキリがなくなるようなことをさらっと書いているから油断できない。

2008/09/08

外市雑感

◆風邪は治ったはずなのだが、まだ本調子ではない。理由はわかっている。酒を飲んでいるからだ。水割数杯しか飲んでいないのに、次の日酒が残る。花粉症の薬と酒の相性がよくないのかもしれない。疲れをためないようにする。
◆池袋往来座「外市」初日。昼すぎ、にわとり文庫さんからあずかってきたゼリアちゃんを持って行く。ホンドラベースが改良されていた。本が見やすくなったとおもう。
◆わめぞの天才画伯の『大阪京都死闘篇 武藤良子関西旅行記 完全版』(わめぞ文庫)をもらう。ええっと、うん、すごい。おもしろい。我が道を行きまくっている。
◆「外市」二日目。昼前に顔を出し、いったん家に戻って仕事(&昼寝)。上り屋敷さんで立体定規を買う。二百円。夕方、目白駅に着いた途端、ゲリラ豪雨。池袋往来座に行くと、すでに本は店内にしまってあった。いつも撤収作業の中心になっているNEGIさんがいないので手間どる。
◆二次会は世界の山ちゃん。大阪からBOOKONNの中嶋クンも参加。下関からブログ「正式の証明」の若者も来ていた(昨年のブックオカのときに会っていたらしい)。帰り、浅生ハルミンさんと山手線で「古物商の免許がとりたい」という話をする。
◆十月は月の湯の古本市、大阪の貸本喫茶ちょうちょぼっこの「男子と古本」、京都のメリーゴーランドの小さな古本市に出品予定。また九月下旬ごろから仙台の火星の庭で「文壇高円寺古書部」を再開。仙台では十月二十五日(土)〜十一月三日(月)に『Book! Book! Sendai』(http://bookbooksendai.com/)という新イベントも開催。行きたいなあ。

2008/09/04

まだまだ大丈夫

 病みあがりでとどこおった仕事をひとつずつ片づけ、ようやく一段落。
 昨晩、古本酒場コクテイルで、Sさんという学生ライター時代の先輩と飲んだ。会うのは五年ぶりくらい。ふたり目の子どもが生まれたという。
 Sさんは大学卒業後、食品メーカーに就職した。ちょっと意外だった。
 Sさんは地に足ついた仕事のほうが自分に向いているとおもったそうだ。
 当時のわたしは雑務をまったくやらない人間だったから、Sさんにはずいぶん迷惑をかけた。責任感の強いSさんは、いつも裏方に徹していた。
 ずっとそのことがひっかかっていた。
 昨晩そのことをいうと「いや、俺はそういう仕事がもともと好きだったんだよ」といわれた。

 十九、二十歳の学生が集まって編集室で寝袋持参で何泊もしながら雑誌を作る。毎日お祭りさわぎだった。
 Sさんといっしょに仕事をしたのは一年ちょっとだったけど、わけがわからないくらい楽しかった。あれはやっぱりなんというか、青春というやつだったんだろう。恥もいっぱいかいた。
 あんなにも密度の濃い時間というのは、その後、味わっていない気がする。

 この先出版界はきびしいという話をよく聞く。バブル崩壊後、雑誌の廃刊休刊が相次いだ。わたしも仕事がなくなったのだが、もともとそんなに仕事をしていなかったので、貧乏ガマン大会に参加しているつもりでやりすごした。アルバイトしながら原稿を書く生活には慣れている。

 神保町に行く。いつも人がいっぱいだ。こんなに本が好きな人がいるのだから、まだまだ大丈夫だという気もする。例外でもいいのだ。本が好きで好きでたまらない人間がいるかぎり、どういう形にせよ、本を作る人間、本を売る人間は必要とされるとおもう。
 Sさんはしきりに「ものづくりは楽しいよ」といっていた。
 ほんとうに必要とされるものを作る。
 それしかない。

2008/08/31

病みあがりで古書市

 秋の花粉症が本格化したのか。それとも風邪なのか。急に気温が下ったし。とにかく頭がまわらない。鼻にテュッシュペーパーをつめ、マスクをしながら仕事をする。去年はどうしていたのか。
 とおもっていたら、熱が出た。三十七度五分。
……とここまで書いたのが、二十五日(月)でそれから火、水、木、金とずっと三十八度半ばくらいの熱が続く。水曜日に病院に行ったのだが、いつも聴診器をあてて、すぐ薬を出してくれるお医者さんが「リンパ腺がはれてますね」といったあと、「血液検査してみますか」ときかれる。心の準備(?)ができてなかったので検査は断り、いつもの薬をもらって、様子をみることにする。

 様子をみていたところ、まったく熱が下らない。

 たまに肩がこりすぎて、首が痛くなることがあるのだが、それも風邪の初期症状のひとつであることがわかった。首から肩にかけてのリンパ腺がはれるから痛いわけだ。
 上京以来、風邪ひいて医者に行くなんて、この一年くらいことで、それまでずっと自力で治してきたのだけど、熱が出て肩がこると低周波治療器をつかっていた。無知ってこわいなあとつくづくおもう。
 水分をとって寝る、汗をかいて起きる。そのくりかえし。一日六、七枚くらいシャツをかえる。部屋干しでも三十分くらいで乾く通気性のいいTシャツを先日帰省したときに買いだめしておいたのだが、こんなにも早く役立つ日がくるとは。
 治りかけのときに、むしょうにお腹が空く。やっとだ。長かった。一週間ちかく風邪が治らなかったのはひさしぶりだ。

 土曜日、ようやく熱がぬける。声はかすれ気味だ。
 午前中、西部古書会館の大均一祭を見て、それから仕事に行く。この日は全品二百円。日曜日は全品百円になる。
 病み上がりだから、まだ本調子ではない。珈琲を飲んだら、気持わるくなる。煙草も吸ってみたが、うまくない(このまま禁煙できるかも)。
 風邪をひくと、酒、珈琲、煙草をのまず、古本屋通いをしなくなる。まったくお金のかからない暮らしだ。そのかわりちっとも楽しくない。

 夕方仕事が終わり、帰りにBIGBOXの古本市に行く。
 東西線の電車の中で「早く帰って寝たほうがいいかなあ」ともおもったが(仕事の資料をふくめ荷物もいろいろあった)、高田馬場で降りてしまう。
 久々のBIGBOXの古本市だけど、あいかわらず、ことごとく、手にとった本が自分の予想よりも安い。あと一階じゃなくて九階、建物の中というのもよかった。なつかしいかんじ。BIGBOXのエレベータに乗ったの、何年ぶりだろう。
 本気で蒐集しているわけではないけど、毎日新聞社の「コア・ブックス」シリーズの未入手本、大宅壮一選集の『文学・文壇』の巻、あと『面白半分』の増刊号など、気がついたら重くて持てないほど買ってしまう。

 さてこれから原稿を書かないといけない。予定通りにいかないなあ。

2008/08/22

積んでは崩し

 どうもやる気がでないので、自転車で阿佐ケ谷に行く。早稲田通りから北口の「ゆたか。書房」「銀星舎」「ネオ書房」「今井書店」「千章堂書店」の順に古本屋めぐり。
 そのあと高円寺にもどって、名曲喫茶ネルケンでコーヒーを飲んで、北口のアンデスで豚肉を買って帰宅する。なんか調子がわるいなあとおもっていたら、雷雨。
 仕事しないとなあとおもいつつ、現実逃避ばかりしている。

 ソフトボールの決勝戦と女子サッカーの三位決定戦を交互に見て、そのあと古本のパラフィンがけと値段付をする。好不調と関係なくできるちょこまかした作業はけっこう好きだ。

 阿佐ケ谷の古本屋で買ったみうらじゅんの『ボク宝』(光文社文庫、一九九九年刊)を読んだ。

《物集め、収集、コレクション、意味合いはどれも同じだが、この世界もどこかの誰かさんがいつの間にか介入してきて「どれだけ持ってるの?」「価値は上がってんの?」「売ったらいくらになるの?」と、ややこしいことになってきた。
 かく言うボクも、バリバリその世界で戦い、出費に苦しみ、“こんなものまで押さえなきゃなんないわけ”と悩んだりもした。それは全て、どこかの誰かさんが作ったルールの下、いつかくる(はずの)他人に向けての自慢を、期待しての戦いであったわけだ》(「ボク宝に指定します!」)

 それで四十歳を前にしてこれまでコレクションをふりかえり「どれがぼくにとってのボク宝なのか?」を検討する。
 結局、自分にとって何が必要なのか。わたしも「どこかの誰かさんが作ったルール」にしばられながら、古本を売ったり買ったりしている。それではいかんとおもうのだが、なかなかそこから逸脱できない。

 仙台への旅行中に『積んでは崩し 南陀楼綾繁のブックレビュー&コラム』(けものみち文庫1)が届いていた。逸脱している。道なき道を邁進しているかんじだ。まさに、けもの道だ。そのけもの道は、すでに南陀楼さんのルールや方法論が確立されている(とおもう)。
 とはいえ、本を紹介するだけでなく、書店に仕入れさせて、売れ残ったら自ら買い取るというルールには唖然……。
 南陀楼さんより若い世代からすると、またそこからの逸脱を考えなくてはいけない。けもの道はけわしい。

2008/08/18

またまた仙台へ

 十五日(金)の夜。仕事のあと、また仙台へ。新幹線一時間四十分。近い。ちょうどこの日、秋花粉の症状が出はじめる。しかし仙台にいるあいだは平気だった。
 火星の庭に行くと、yumbo(ユンボ)というバンドがリハーサルをしていた。
 翌日、ライブを見て、緻密な曲構成とやわらかい雰囲気、メンバーそれぞれの個人技とハーモニーに驚嘆。ほんとうにいいバンドだった。ボーカル、ギター、ベース、ホルン、ピアノ、パーカションという編成なのだけど、曲ごとに楽器がころころ変わる。
 演奏のあいだ、ずっと東京にいる友人たちにも聞かせたいなあとおもっていた。

 十六日(土)は、塩竈市の長井勝一漫画美術館に。ふれあいエスプ塩竈という施設の中にある。
 白土三平、永島慎二の原画や『ガロ』のバックナンバー、稀少本などが展示。『AERA』に掲載された長井勝一インタビューもかざってあった。インタビュアーは中川六平さん。
 この建物のすぐ隣にある、明日香書店という古本屋にも寄る。
 午後八時半、火星の庭の古本の森文学採集のクロージングパーティー。前野さんが用意してくれたウィスキーがうまくて、つい飲みすぎ。しゃべりすぎた……ような気がする。yumboの澁谷さんと中古レコードの話をしたような……気がする。番号買い、年代買い、セッションメンバー買い。まわりがちょっとあきれていた……ような気がする。ほんとうにすみません。
 パーティーの前に、吉祥寺のバサラブックスのSさんが来店。髪をばっさり切っていて、一瞬、誰かわからなかった。すみません。

 今回の仙台では、とにかくずっと飲んでいて、最終日は大寝坊。時計を見たら五時すぎで「朝?」とおもったら夕方だった。火星の庭のクロージングパーティーから帰ってきたのが午前三時くらいで、すぐ寝て、それから十四時間、いちども目がさめなかったのである。
 おかげで、昼すぎに帰るつもりが、東京行最終のやまびこに乗ることに。おかげで、仙台一番町のアップルストアで行われたyumboのライブを見ることができた。

 どうしてこのバンドをこんなにいいとおもってしまったのだろう。音のよさ、演奏のうまさ、だけじゃない。何か別のもの。メンバーひとりひとりの力をはるかにこえたところにある音を表現しようとしている姿勢をかんじたのだとおもう。たぶん、やりたいことの理想が高すぎるバンドなんじゃないかと。まだちょっと考えがまとまらない。

 火星の庭の「文壇高円寺古書部」コーナーの売り上げ冊数は百三十冊!
「三割引セール」を八月二十四日(日)まで延長してもらうことになりました。よろしくおねがいします。

……というわけで、いろいろ告知。

八月三十日(土)、三十一日(日)に高円寺の西部古書会館で「第二回 大均一祭」があります。
++西部古書会館++
杉並区高円寺北2-19-9
http://www.kosho.ne.jp/~tokyo/kaikan_w.htm

『わめぞ月の湯ツアー 2008・秋』がまもなくはじまります。
■Road to 月の湯(1)
第10回 古書往来座外市  会場・古書往来座
奇数月恒例、街かどの古本縁日。古本約3000冊から雑貨、ガラクタまでの敷居の低い古本市! 「わめぞ文庫001」発売開始!
9月6日(土)〜7日(日)

■Road to 月の湯(2)
第23回 早稲田青空古本祭 会場・穴八幡宮境内(主催・早稲田古書店街連合会)
早稲田古本街、年に一度の大バーゲン。6日間で、のべ30万冊出品。わめぞメンバーの古書現世、立石書店が参加します。
10月1日(水)〜6日(月)

第2回わめぞ青空古本祭(予定) 会場・立石書店・外スペース(穴八幡宮すぐ下)
穴八幡宮すぐ下の立石書店での外市。
10月4日(土)、または5日(日)予定

■Road to 月の湯 FINAL
第2回 月の湯古本まつり 会場・月の湯(目白台)
今年4月に大好評だった昭和初期からの銭湯を使っての古本市。カフェコーナーあり。
10月11日(土)
詳細は「わめぞblog」(http://d.hatena.ne.jp/wamezo/)にて。

貸本喫茶ちょうちょぼっこで「古本と男子」というイベントが九月から十一月まで三ヶ月にわたって開催されます。わたしも第2部で古本を出品します。

「古本と男子」
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第1部
2008年9月
6(土)7(日)
12(金)13(土)14(日)
19(金)20(土)21(日)

●M堂(松岡 高)1946年生まれ
●本の森(高橋 輝次) 1946年生まれ
●街の草(加納 成治)1949年生まれ
●古本オコリオヤジ(林 哲夫)1955年生まれ
●にとべ文庫(にとべさん)1963年生まれ
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第2部
2008年10月
4(土)5(日)
10(金)11(土)12(日)
17(金)18(土)19(日)

●文壇高円寺古書部(荻原 魚雷)1969年生まれ
●モズブックス(松村 明徳)1970年生まれ
●スクラップ館(扉野 良人)1971年生まれ
●談(折田 徹)1971年生まれ
●古書 さらち(aku)1973年生まれ
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第3部
2008年11月
1(土)2(日)
7(金)8(土)9(日)
14(金)15(土)16(日)

●BOOKONN(中嶋 大介) 1976年生まれ
●縦縞堂(三谷 修)1979年生まれ
●エエジャナイカ(北村 知之) 1980年生まれ
●古書文箱(薄田 通顕)1984年生まれ

++貸本喫茶ちょうちょぼっこ++
大阪市西区北堀江1-14-21 第1北堀江ビル402
http://www.geocities.co.jp/chochobocko/img/address.jpg

(付記)
やっぱり秋の花粉症のようだ。例年、八月末か九月のはじめくらいなのだが、今年は二週間も早い。

2008/08/14

下鴨・鈴鹿・上前津

 十日(日)ぷらっとこだまで京都。六曜社で扉野さんと待ち合わせ、出町柳へ。わめぞ民の柳ケ瀬さん、牛越さんと待ち合わせ。
 銭湯(サウナ付)に行って、まほろばに行って、夜の下鴨神社を散歩して、焼肉と中華料理の店へ。あと四日市のメリーゴーランド(絵本の店)の鈴木さん(現・メリーゴーランド京都店)も加わり、三重弁の「おっちゃくい」はどう説明すればいいのかという話などをしたような気がする。「おっちゃくい」は、「やんちゃ」とか「聞き分けのない」といった意味なのだけど、微妙にちがう。

 その後、扉野さんに“かえる目”の「主観」というCDを聞かせてもらう。
 CDの帯に「おっさんの体にユーミンが宿る!」「琵琶湖湖畔の畸人・細馬宏通が綴るイヤんなるほど生々しき歌」とある。
 あまりのすばらしさに呆然。「ふなずしの唄」「あの寺に帰りたい」「女学院とわたし」「女刑事夢捜査」「パンダ対コアラ」(いずれも曲名)。
 詳細は「かえるさんレイクサイド」(http://www.12kai.com/kaerumoku/index.html)を参照。

 十一日(月)下鴨納涼古本まつり、初日。ダンボール(大)一箱分東京に送る。ベンチで休憩中の山本善行さんに『Sanpo magazine 関西大散歩通信』の創刊号(特集・昼ジャズ!)をもらう。

 歩きまわり疲れたので、いったん扉野家で休憩させてもらう。
 そのあと夕方、ガケ書房に行って、かえる目のCDを買う(早速!)。ガケの帰り道、コミックショックの銀閣寺店がよかった。佐々木マキ『ピクルス街異聞』(青林堂)、藤子不二雄A『トキワ荘青春日記』(光文社)などが定価の半額だった。
 そのあと木屋町のディランセカンド。岡崎武志さん、山本善行さん、アホアホの中嶋さんとジュンク堂BAL店の書店員さんが盛り上がっていた。わたしは途中でぬけて、元田中のカフェ・ザンパノに。数時間後、扉野宅で中嶋さん柳ケ瀬さんらと合流。みんな疲れていたのかすぐ寝る。

 十二日(火)メリーゴーランドの鈴木さんに教えてもらった京都四日市間の高速バスをはじめて利用。京都から一時間半(近鉄特急でも二時間半くらいかかる)で四日市に行くというのは半信半疑だったのだが、ほんとうだった。片道二千五百円。でも乗客は五人。採算とれんだろ。廃止にならないことを祈りたい。四日市駅前のアーケード街はシャッターだらけ。三重県でいちばんの盛り場だったはずなのだが、駅の反対側にアピタというショッピングセンターができて、人がそちらに流れているかんじだった。
 アピタ内の宮脇書店(四日市本店)で文庫本を一冊。最近、帰省するとかならず寄る。
 駅から家に電話するが、留守だったので、県道沿いの白揚(新刊書店)の鈴鹿店まで歩く。場所が移転していた。
 その後、鈴鹿ハンターで衣類を買う。ゑびすやのかやくうどん。スーパーサンシで「福助のあられ」(福助製菓)を買う。お茶をかけて食う。子どものころからの夜食の定番だった。「田舎あられ」ともいう。

 母、会うたびに「茶髪にしたろか」といわれる。あとテレビを見ながら「水泳の****はドーピングしてんのちゃうの。バレへんやつ」とかそんなことばっかりいってる。疲れる。

 十三日(水)昼、名古屋。矢場町のリブロに寄って、上前津、鶴舞間の海星堂、つたや書店、ネットワークを駆け足でまわる(時間がなかった)。
 海星堂の文庫棚を見ていたら、さりげなく、佐藤まさあき著『劇画私史三十年』(桜井文庫、東考社)があった。おもしろい。帰りのこだまで読みふけってしまった。
 佐藤まさあきは、大阪から上京するとき、まっ白な背広の上下と黒いカッターシャツ、銀のネクタイという格好で電車に乗った。

《私のイメージの中にある大都会である東京ではこれくらいの服装でコケおどししないとバカにされると思ったからだ。よっぽど東京というところはすごい所だと思いこんでいたらしい》

 つたや書店は、あいかわらず均一棚(五十円〜百円)が充実している。来るたびに十冊くらいは買ってしまう(北杜夫の『マンボウ談話室』『美女とマンボウ』『怪人とマンボウ』『スターとマンボウ』講談社、全部帯付)。
 ネットワークでは『別冊太陽古書遊覧』(平凡社)と『よみがえれ! 抒情画 美少女伝説』(サンリオ)を買う。安かった。

 名古屋駅に戻り、エスカのすがきやラーメンを食ってぷらっとこだまで東京に帰る。

2008/08/06

古本酒場ものがたり

 火星の庭から帰ってきてコクテイルに飲みに行くと、狩野俊さんの『高円寺古本酒場ものがたり』(晶文社)の見本ができていた。

 一九九八年、洋書の古書店「WONDER LAND」が閉店になり、退職金も貯金もなく、国立で店をはじめた。ちょっとデタラメな開店方法なのだが、そのあたりのことも詳しく書いてある。
 あまりおすすめできる方法じゃない。でも何かをはじめるときって、後からふりかえると平気で無茶なことをやっていることがある。
 開店当初、アパートと店の家賃払ったら、ほとんど金が残らない日々が続く。国立時代の常連だった人の話を聞くと、いつあいているのかわからない店だったという。というか、その常連さんが、勝手に休む狩野さんの代りに店番していたという話にはおどろいた。むちゃくちゃだ。

 わたしがはじめてコクテイルに行ったのは、高円寺に移転してしばらくしてから。『彷書月刊』のMさんが「高円寺の古本酒場って知ってますか?」という電話がかかってきて、いっしょに行ったとおもう。
 通いはじめたのは、あづま通りに移転してきてから。うちのすぐ近所。ちょうど夕方から夜の散歩コースにある。今の店に移転したころの事情もこの本ではじめて知った。

 ある人の助言で店の移転を決めるのだけど、それですぐ行動してしまうところがすごい。
 工務店の見積もりを「三〇分の一」におさえる方法も書いてある。これはお金がないけど、店をはじめたい人には、参考になるにちがいない。実行できるかどうかは別だが。
 二十一世紀版の「就職しないで生きるには」みたいな内容になっている。

 ほんの一、二年くらい前まで、店に行く前に今日営業してるかどうか電話してから飲みに行った気がする。定休日以外にも、急に休みになるから、待ち合わせには不向きな店だった。
 今はそういうことはない。
 あいかわらず、いいかげんなところもあるが、そのいいかげんさのおかげで、おもいつきでいろいろなことのできる場所になった。
 あまりにも無計画だから、まわりの人がなんとかしようとする(もしかしたら、そこまで計算した上での深謀かもしれないが、たぶん、ちがう)。

 前半の日記部分を読んでいると、いろいろおもいだす。
 酔っぱらうために飲みにいってたつもりが、気がついたら、品切だった『借家と古本』を復刻してもらったり、『古本暮らし』の出版記念会をひらいてもらったり、店で古本を売らせてもらったりするようになった。

 狩野さんのある種の大雑把さというのは、わたしもちょっとずつ影響を受けた。迷ったときに「とりあえず、やってみよう」とおもうことが増えた気がする。

2008/08/02

そしていわき

 二十九日(火)、火星の庭でカレーを食べて、スーパーひたちでいわきへ。いわきは六年ぶりくらいか。
 漫画家のすずき寿ひさと待ち合わせ。平読書クラブを案内してもらうと、営業時間は五時まで。電話して開けてもらう。
 二階からおじいさんが降りてくる。五十二年やっているという。火星の庭のことも知っていて、前野さんのことを絶賛していた。平読書クラブは、仙台の大きな古本屋とちがって、町の古本屋といったかんじだった。
 色川武大の文庫数冊とマルコ・ペイジ著『古書殺人事件』(中桐雅夫訳、ハヤカワ・ミステリ)など。嬉しい収穫。

 そのあとすずきさんのお兄さん(ということはすずきさんか)、いわきの総合文化誌『うえいぶ』の編集長のWさんと居酒屋で飲む。『うえいぶ』の創刊は一九八八年で前の雑誌から通算すると三十年以上続いているそうだ。
 わたしも次の号に原稿を書いた。すずきさんに「彼はたいへんな怠け者でねえ」と紹介される。人のことはいえないとおもう。
 Wさんからは福島県の文学話をいろいろ聞かせてもらう。今年亡くなられた河林満さんの話など。Wさんはいわき市の図書館の郷土資料専門員。まだ三十代半ばくらいだけど、福島県に関係のある作家や詩人のことを聞いたら、なんでも答えてくれる。
 そのあとすずき寿ひささんの漫画の講義。知らない名前の漫画家や作品名が出てくるたびにメモをとる。話を聞いていると、むしょうに読みたくなるのだが、困ったことに入手難のものばかり……。

 滝田ゆうがティッシュのCMに出ていたという話は知らなかった。

 それにしても、東京、暑いね。ひどい。ミストサウナみたいだ。 

2008/08/01

仙台 古本紀行

 28日(月)、火星の庭の前野さんに萬葉堂書店の泉店を案内してもらう。
 萬葉堂書店は、鈎取店、泉店ともに文庫の均一がすばらしい。均一以外の文庫もほとんど定価の半額。二店で文庫本を三十冊くらい買ったかもしれない。
 単行本も吉行淳之介監修『マジメなマジメなドジな話』(スポニチ出版、一九八二年刊)、山本容朗著『作家の食談』(鎌倉書房、一九八〇年刊)、臼井吉見著『近代文学論争』(上下巻、筑摩叢書、一九七五年刊)、『現代にとって文学とは何か』(読売新聞社編・発行、一九七一年刊)など。

『マジメなマジメなドジ話』は、『世界ドジくらべ』と『世界ドジドジくらべ』の二冊から「よりドジ加減の強いものを選び出したうえ、新たに数話加え」た本だそうだが、はじめて見たよ。カバーは畑田国男。
『現代にとって文学とは何か』の執筆者は武田泰淳、辻邦生、曽野綾子、黒井千次、後藤明生、河野多恵子、柏原兵三、加賀乙彦、有賀頼義、立原正秋、遠藤周作、石原慎太郎、磯田光一、中村光夫、山本健吉、小田切秀雄、進藤純孝、佐伯彰一、奥野健男、森川達也、久保田正文、秋山駿、川村二郎、松原新一。
 昔のアンソロジー本は、見つけたら買っておく。単行本未収録作に当たる可能性も高いし、これまで読んだことの作者の文章にふれるきっかけにもなる。

 萬葉堂書店の泉店の最大の収穫は、『太宰治7』(洋々社、一九九一年刊)という雑誌。
 背表紙に「古山高麗雄に聞く 太宰治の戦争と平和」とあり、見た瞬間、ああーっと声が出そうになった。
 古山さんは仙台の第二師団に招集されるのだけど、そこで太宰治の弟子の戸石泰一と出あう。文学青年同士、すぐ親しくなって、古山さんは戸石泰一の家にも遊びに行っていたという。
 このインタビュー記事についてはまた後日くわしく紹介したい。

 そのあと、ビブロニア書店とS(エス)という店に連れていってもらう。いずれも前野さんに教えてもらわなければ、自分では行けそうにないところにある。
 ビブロニア書店では、『コロンブスの贈り物』(ダイヤモンド社、一九九一年刊)というアフィニスクラブという愛煙家の会が編集したアンソロジー集を買う。この本も執筆者がおもしろい。永倉万治、亀和田武、都筑道夫、小峰元など。
 S(エス)は、古いビルの二階にある看板も何もない店なのだが、二十年くらい続いている地元の古本好きのあいだでは有名な店らしい。
 金井美恵子著『ながい、ながい、ふんどしの話』(筑摩書房、一九八五年刊)、『コミック・ボックス 特集「ガロ」編集長 長井勝一氏のある日』(一九九六年刊)など。あと某画伯のTシャツも買った(プレゼント用)。

 この日、オグラさんのライブのある沖縄館「島唄」に行く前に萬葉堂書店の五橋店にも寄る。
 ちょっと本を買いすぎたか。まあいいか。
 とりあえず、行けるところまで行ってみようとおもう。今は。

(……続く)

2008/07/30

火星の庭

 二十六日(土)、夕方、仕事を終え、新幹線で仙台へ。二時間かからない。
 駅を降りて、とりあえず駅前のブックオフに行く。文庫本が二冊一〇五円セール中だった。
 モスバーガーでカルビ焼肉ライスバーガー(東京にはないメニュー)を食って、火星の庭に。ウィスキーを何杯か飲み、焼鳥屋、中華料理屋などをハシゴ(飲み続ける)。一週間ちかく断酒していたのでしみる、しみる。熟睡。

 二十七日(日)、午前中から車で萬葉堂書店の鈎取店を案内してもらう。深沢七郎の『流浪の手記』(徳間書店)があった。文庫(徳間文庫)は持っているのだが、単行本は、見たことがなくて、ずっと探していたのである。
 この本は「風流夢譚」事件後の放浪生活の話や「書かなければよかったのに日記」という読まずにいられなくなるような題のエッセイが収録されている。
 ほかに井伏鱒二編『若き日の旅』(河出新書、一九五四年刊)、『写真集 太宰治の生涯』(毎日新聞社、一九六八年刊)、高見順著『各駅停車』(毎日新聞社、一九五四年刊)などを購入。

 夕方、手まわしオルガンのオグラさんと火星の庭で合流。これまで人前で話をする前は、かならず緊張でおなかが痛くなったり、貧血になったりしていたのだが、東京から来ていたNEGIさん、ささま書店のN君、晶文社のTさんと雑談をしているうちに気が楽になった。

 古本旅行の話をして、吉行淳之介と鮎川信夫から読書の幅がどんどん広がっていってうんぬんといったことをしゃべったとおもう(まいあがってしまったのか、忘れてしまっている)。あと「はじめて見たほしい本は、どんな値段でも買う」というようなことをしゃべっていたそうなのだが(ふぉっくす舎のNEGIさんのブログ参照)、これは願望。でもそうやって買った本は、なんとか元をとろうとおもって読むし、読みたいときに買った本は、後々の自分の財産になるような気もする。というようなことをいいたかったのだけど、言葉足らずであった。

 オグラさんも仙台ではじめてのライブだった。
 曲の前に、お客さんから仙台の話をいろいろ聞き出して、そこに詩と歌をのせてゆく。「ビル風と17才」という曲に「ぼくらをどっかへ連れてってくれよ〜」と歌いあげるところがあるのだけど、なんというか、甘酸っぱくて、くーっとくる。

 打ち上げのとき、途中で寝てしまう。前野さん宅までの記憶なし。気がついたらN君と同じ部屋で寝ていた。

(……続く)

2008/07/24

手の読書

 月末、仙台に行く。火星の庭のイベントがあり、その後、福島にいる漫画家(漫画研究者)のすずき寿ひささんと会う予定。しかし月末は原稿のしめきりがある。パソコンを持って旅先で仕事をすることは避けたい。そんなことをしたら旅情が台なしだ。というわけで、今、「しめきり前渡し」に挑んでいる。

 火星の庭の補充用の本を買うために夜、自転車で古本屋をまわる。次の九月の外市、さらに十月に大阪某所で開催予定の古本イベントの準備もある。
 この数ヶ月、これまでの人生でいちばん古本を買っているかもしれない。本を買って、シールをはがし、汚れをおとし、線引や書き込みがないか頁をめくり、パラフィン紙をかけて、値札を作る。本を読むのは電車の中と喫茶店に行ったときだけになっている。
 なんというか「目」ではなく「手」で本を読んでいる気分だ。
 読んだ本の内容は、九割くらい忘れてしまうといわれている。ほとんどおぼえていないといってもいい。でも手にとった本のことは、ぼんやりと記憶に残る。本のサイズや重さなど、知らず知らずのうちにおぼえた感触は、本を探すときに重宝する。

 ずっと四六判と文庫のサイズの本を中心に蒐書していたので、大判の本、新書サイズの本はまだまだ手でふれている量が不足している。知らない本がたくさんある。最近、大判の本と新書をちゃんと見ていこうと心がけている。大判の本といっても、画集や写真集ではなく、文学展のカタログや判型の大きな雑誌の作家の特集(とくに追悼号)を探す。

 大きい本のほうが見つけやすいとおもうかもしれないが、逆だ。大判の本は横に積んであって、表紙や背表紙が見えないことも多い。背表紙が見えていたとしても、自分の守備範囲ではないとおもって素通りしてしまう。

 先月、『ザ・開高健 巨匠への鎮魂歌』(読売新聞社、一九九〇年刊)というすこし大型の本を買った。書名は知っていたけど、単行本だとおもいこんでいた。勘違いだ。それでずっと買いそびれていた。いちど買って以来、あちこちの古本屋で目にする。大判の本は置き場所に困るから、なるべく見ないように棚の前を通りすぎていたのだろう。
 永島慎二の『旅人くん』(インタナル出版社、一九七五年刊)は、横長の大きな判型の本なのだが、これもはじめて見たときはビックリした。

 新書も似たようなことがある。
 古本屋で見てはじめて「新書サイズだったのか」と気づくことが多い。これまで単行本、文庫の十分の一も新書の棚を見ていないとおもう。当然、知らないことがたくさんある。

 尾崎一雄著『もぐら随筆』(鱒書房、一九五六年刊)もずっと単行本とおもいこんでいたので見つけるのに苦労した。

『もぐら随筆』には「酒は飲んでも飲まないでも」という随筆がある。尾崎一雄は「酒を飲むと書く息が切れます。僕は、酒を飲む奴は大体一流の作家になれないという持論を持っている。昔から。(中略)酒を飲むと、そこに発散しちゃう。僕の経験です。飲む連中が飲まなかったら、もっと書けるでしょう」といっている。
 もっとも最後には、「飲んでも飲まなくても、それだけのものらしいことは、私自身の場合でも判る。仕方のないことだ」という結論なのだが……。

 月曜から酒を飲んでいない。酒をやめると一日が長い。
 そしてつまらん。

2008/07/17

古本の森文学採集

 今日から仙台「book cafe 火星の庭」(http://www.kaseinoniwa.com/)の「荻原魚雷、古本の森文学採集」がはじまります。
「文壇高円寺」「古本暮らし」で紹介した本の展示や「文壇高円寺古書部」というコーナーで古本も販売しています。7月27日にはトークショー(ひとりで喋るのは初めて)と手まわしオルガンミュージシャンのオグラさんのライブがあります。
 仙台のみなさま、謎のオルガンはもちろんのこと、オグラさんのギターにも注目してください。丸い桶のギター。
 前野さんに「古本の森文学採集ノート」という冊子を作ってもらいました。(B5版、20ページ、限定300部)

【展示】7/17(木)〜8/18(月)
【トーク&ライブ】7/27(日)
18:00開場 18:15開演 20:30終了予定
第一部「荻原魚雷トーク・古本の森文学採集」
第二部「インチキ手廻しオルガン弾きオグラ・ライブ」
前売券 当店にて発売中
(定員35名)2500円・1ドリンク付

〒980-0014 仙台市青葉区本町1-14-30 ラポール錦町1F
tel 022-716-5335 fax 022-716-5336
営業時間:11時〜20時 (日・祝日は19時まで)
定休日/毎週火曜・水曜

※『小説すばる』8月号の「荻原魚雷の古書古書話」の欄外にも「仙台のブックカフェ『火星の庭』にて、『荻原魚雷、古本の森文学採集』フェアが開催中」との告知が出ています。この号では「平野威馬雄と降霊会」という文章を書きました。

※前にほしいと書いた四季新書の本は、小野佐世男の『美神の繪本』でした。

2008/07/11

百閒と滝田ゆう

 水曜日、仕事帰りに池袋往来座に寄る。
 おお、内田百閒まつりだ。でも庶民には、ちょっと手がでないなあとおもっていたら、『一等車』(四季新書)があった。帯まで付いている。おそるおそる、値段をたしかめると庶民価格である。
 四季新書は、永井龍男の『紅茶の値段』以来、二冊目だ。四季社、いいなあ。でもあんまり見ない。
 あと一冊、四季新書でほしい本がある。日本の古本屋で検索したらあった。庶民価格ではなかったが、後に引けない気分になり、注文する。その本が何かはまた後日……。
             *
 木曜日、荻窪のささま書店。均一でちょこちょこ買って、そのあと店内をうろうろ。漫画の棚で、滝田ゆうの『下駄の向くまま 新東京百景』(講談社)を購入。文庫は持っているのだが、元版がほしかったのだ。
 滝田ゆうは昔荻窪に住んでいた(田河水泡宅に住み込み)こともある。

 そのあとタウンセブン地下の東信水産の押し寿司を買う。ここ、安くてうまいとおもう。

 夜、十一時三十分ごろ、古本酒場コクテイルへ。軽く飲んで帰ろうとおもっていたら、ささま書店のN君が入ってくる。やあやあ、さきほどはどうも。
 結局、一時すぎまで。うーん。
               *
◆告知 西荻ブックマーク
7月13日(日) 今野スタジオ『MARE(マーレ)』

「三木鷄郎と冗談音楽」(出演:山川浩二)

16:30受付/17:00開演

1500円/定員25名

〈やまかわひろじ〉

広告評論家、1927年生まれ。電通ラジオ・テレビ局などで企画プロデューサーとして活躍。三木鶏郎と大学時代から、「日曜娯楽版」(NHKラジオ)のライタースタッフの一員としてかかわり、電通時代に三木鶏郎のCMソングのプロデュース。電通退社後は広告評論家として活躍しつつ、「アド・ミュージアム東京」のオブザーバーをつとめる。著書に『広告発想』、『映像100想』、『昭和広告60年史』など多数。

2008/07/09

若手気分

 池袋往来座の「外市」終了。今回も盛況。文系ファンタジックシンガーのピッポさんもおもしろかった。思潮社にいたこともあるらしく、『現代詩手帖』の尾形亀之助の特集号も担当していたとか。
 「外市」はどんどん新しい人が参加している。わたしも一年前は新人だったが、すでにベテランの気分だ(勘違い)。
 前回初登場の白シャツ王子には、早くも売り上げで追いぬかれてしまった。
 なんか時間の進み方がヘンだ。いつの間にか知らないうちに、いろいろなことが変わってゆく。

 たとえば、学校における部活動みたいなものか。ついこのあいだまで新入部員だったのに、いつの間にか後輩の面倒をみるようになる。
 自由業者(あくまでもわたしの場合)は、あんまりそうした役割がほとんど変わらず、気持の変化もない。

 これまで疑問におもっていたことの謎がとけた気がする。
 学生時代に遊んでいた友人が就職して、何年かぶりに会うと、なんか妙に貫録をついていて、戸惑っていた。なんだろうとおもっていたのだが、会社にいると、毎年新入社員がはいってきて、どんどん立場が変わっていくからなのだな。
 当たり前といえば、当たり前のことなのかもしれないが、そういう当たり前のことは経験しないと、なかなかわからない。
 二十代から三十代にかけて、自分より若いライターといっしょに仕事をする経験がほとんどなかった。五十代、六十代でも「中堅」という世界であり、十代後半から二十年ちかく出版の世界で働いていても若手気分だ。

 この何年かの停滞した気分というのは、あまりにも立場が変化しない生活に起因するものなのかもしれない。それがわかったところで、どうなるという話ではない。否が応でも自分を変えていかざるをえないところに身を置けば、変化せざるをえない。わたしはあんまりそういう場数をふんでいない。

 なんかだんだん愚痴っぽくなってきたので、今日はこのへんで。

2008/07/02

明るい風

 旅先で買った本が届く。
 当たり前のことだけど、二十年くらい来る日も来る日も古本屋や新刊書店に行ってるのに、けっこう読んでいるつもりの作家の本でも知らない本がたくさんある。

 わたしは河盛好蔵の随筆は好きで、古本屋で見つけるとかならず手にとる。でも『随想集 明るい風』(彌生書房、一九五八年刊)という本のことは知らなかった。
 上盛岡のつれづれ書房で見つけた。
 目次を見たら「太宰治の思い出」や「阿佐ケ谷会」といった題の随筆がはいっている。熊本日日新聞の連載だった。

「本を買うこと」というエッセイには、河盛好蔵は幼少のころから本を読むのが好きで、たえず古本や新刊書を買いこんでいたと話が出てくる。
 蔵書は戦災でほとんど焼けてしまったが、戦後また集め出し、狭い家からはみだしそうになっている。どんなに長生きしても読みきれないくらいの量だという。
 河盛好蔵はちょっと反省する。

《こんな風に本を買いこむのは、ただその本が自分のものだという自己満足のためにすぎないのではあるまいかと。守銭奴が金をためること自体に悦びを感じているのと同じ心理ではないだろうかと。たしかにその傾向があることは否めない》

 この文章を盛岡と郡山から届いたダンボールをあけながら読んだ。
 河盛好蔵はさらにこんなこともいう。

《だが、考えてみれば、そういう悔いを感じるようになったこと自体が知識欲の衰えを示すのかもしれない》

 たまにそのことを考えているときに、そのことについて書いてある本を買うということがある。
 郡山からの帰りの電車の中で、知識欲や好奇心が衰えてきているのではないかとずっと考えていた。家でずっと本を読んでいると、だんだん未知のものに興味をおぼえなくなる。
 毎日同じような生活をしていると、新しい知識を必要としなくなるからかもしれない。

『明るい風』は、なんてことのない話がけっこう多い。

「呼び水」という題の随筆がある。
 河盛好蔵は、仕事の前にトランプの独り占いをしていた。「一種の頭脳のウォーミングアップ」のつもりだった。

《ところが、誰でも知っているように独り占いというのはすぐ成功する場合と、何度やってもうまくゆかないときとがある。そうなると、半ば意地になって、仕事の方はそっちのけで、いつまでもトランプを並べているために、思わず時間の経つのを忘れてしまう》

 わたしはいつもパソコンのゲームの「上海」をやったり、将棋の「次の一手」問題を解いたりする。
 あと皿(コップ)洗いとガス台の掃除もする。換気扇や風呂の掃除をはじめてしまうこともある。

2008/07/01

盛岡・仙台・郡山

 六月二十八日〜三十日まで東北へ。
 二十八日、盛岡。川留稲荷神社そばの山桜の古木のある家で美術家の田中啓介さんのお別れ会。にぎやかで楽しいことが好きな人だったということで、みんなでどんちゃんさわぎをやろうという会だった。歌あり、踊り(神楽舞)あり。
 盛岡は八年ぶり。前に行ったときは花見の季節だった。そのときに弘前の桜まつりと八甲田山に連れていってもらった。

 帰りに盛岡市内の古本屋もまわる。八年前と比べたら、半分くらいになっていた。
 盛岡駅からキリン書房、東方書店、それから上盛岡の浅沼古書店、つれづれ書房に行く。
 上の橋書房、小田島文庫、雀羅書房は閉店。
 つれづれ書房は移転。雀羅書房の向かって歩いていたときに、電柱に看板を見つけて訪ねてみた。昔の雀羅書房のすぐ近くだった。買いましたね。
 尾崎一雄の『学生物語』(春陽堂)が千円だった。状態もいい。一万円くらいはするんじゃないかなあ。ほかにもふだんは手が出ないような文学関係の本が手頃な値段で売っていた。
 あとふらっと入った盛岡駅前の「カプチーノ詩季」という喫茶店がよかった。地元では有名な店なのかなあ。たまらんうまさだった。また行きたい。
 
 二十九日は仙台。雨。駅前のブックオフが20%引セール(百円の本も)をやっていた。
 火星の庭の前野さんとジュンク堂の仙台ロフト店で待ち合わせ。
 そのあと店で飲み会。日本酒、びっくりするくらいうまかった。体調があんまりよくなくて、ここのところ飲んでいなかったのだけど、すっかり元気になる。

 ちょうど一年くらい前に独立した書本&cafe マゼランさん(http://magellan.shop-pro.jp/)にもお会いする。店名を決めるさい、わめぞメンバーに「火星の裏」「全裸」などの珍名を提案されていた店。
 三十日、そのマゼランに行き、コーヒーを飲みながら、本を見る。
 仙台の古本屋は七月二十七日のトークショーとライブ(オグラさんの)のあとゆっくりまわる予定。
 仙台は、歩いていて気分がいい。木も多い。

 昼すぎ、郡山。前から行きたかった古書てんとうふ本店に。圧巻。文庫が定価の半額。古くて定価の安い本は、百円以下になる。旺文社文庫の内田百閒も梅崎春生も半額。何度も最後の頁にほんとうの値段が書いていないか確認する。
 お金がなくなってしまい、コンビニエンスストアではじめてお金をおろした。時間内なら手数料かからないんだね。知らなかった。
 
 帰り麓山公園で休憩。ふらふら歩いていたら徳本堂という楽器と古本を売っている店があって、はいってみたら「百円均一まつり」状態。
 郡山、物価がおかしい。
 途中下車してよかった。
 たぶん今日か明日、ダンボール二箱届く。金欠。

2008/06/28

新・文學入門と…

 木曜日、昼すぎに起きて丸善丸の内店(オアゾ内)に行く。この店、検索の機械がつかいやすく、数も多い。これに慣れると、昔みたいな一列ずつ棚を見るのが面倒くさくなる。いいことなのかどうか。以前、三階にあった漫画コーナーが二階になった。これまで三階には、文庫、新書と漫画、その他、人文書、科学関係などがあって、たまにレジが大行列ができていたのだが、これですこしは解消されるのではないか。
 岡崎武志、山本善行著『新・文學入門』(工作舎)も並んでいた。

 小説と詩、あるいは随筆といったところの垣根をとっぱらって、ほんとうにいい本にとりあげている。
 ずっと探していていまだに入手できていない本が、次々と出てくるから、「うう」と悔しいおもいをしながら読んだ。
 漫画の一人一冊全集みたいなのもあってもおもしろいかなあ。

 大手町のホームで南陀楼綾繁さんとバッタリ。同じ電車(東京メトロ東西線)に乗っていたみたい。ついこのあいだも神保町のすずらん通りの裏の路地で会った。

 あと山田稔さんの『富士さんとわたし 手紙を読む』(編集工房ノア)が出ますね。五百頁以上の大著。三千五百円+税。

 むしょうに読みたい。

 月末から盛岡と仙台に行く。それまでに仕事をすべて片づけたい。とおもっていたのだが、風邪をひいたのが計算外。しかも左目がアレルギー性の結膜炎になる。まいった。

 金曜日、アルバイトの前に病院。待ち時間もほとんどなく、聴診器をちょこちょことあてて、すぐ処方箋を書いてくれる高円寺のM医院に行く。気管支炎といわれる。
「煙草、控えなさいよ」
「はい」

 仕事のあいま、七月五日(土)〜六日(日)の池袋往来座「外市」に出品する本の値付けとパラフィンがけをする。この作業、ほんとうに楽しい。

2008/06/25

現実逃避

 一昨日、高円寺南口の古本屋をのぞきながら、青梅街道沿いの新高円寺まで歩く。文房具屋でテープはがし(ニチバン)を買う。
 そのあと東京メトロの丸ノ内線で新高円寺から荻窪へ。
 ささま書店、ブックオフをまわったところで雨が降ってきたので、家に帰る。卵その他いろいろ食料品を買う。
 高円寺のドラマで清水玲子の『ミルキーウェイ』(白泉社文庫)、『竜の眠る星』(全二巻・白泉社文庫)を購入。
 最初は点描のクオリティに驚嘆しつつも、ロボットがあまりにもロボットっぽくなくて(そういう設定なのだが)、絵柄によっては十四頭身くらいに描かれていたりして、なんだかなあとおもっていたのだが、話の内容にぐいぐい引き込まれてしまう。

 地球とよく似た恐竜のいる星が舞台で、その星では種族同士の争いがずっと続いている。で、この星にとって、人類は必要なのか否かという問いが出てくる。
 なんか、ここのところ、スケールのデカいSF漫画が読みたくてしょうがない。現実逃避したいってことか。
 家に帰ると、咳が止まらない。小青龍湯を飲んで寝る。

 昨日は、中野。ひさしぶりに自転車に乗る。あおい書店、まんだらけ、中野のブックオフ、ぽちたま文庫といういつものコースをまわって奥の扉でコーヒー。
 中野と高円寺のあいだの環七沿いの古本とビデオとゲームの中古屋にも寄る。本の数はすくないけど、たまに均一(五十円)で掘りだしものがある。
 北口のアンデスで豚のもも肉(四百グラム)、ベーコン切りおとし(三百グラム)、鳥のもも肉(二枚)。全部冷凍する。最近、オクラも冷凍するようになった。
 風邪をひいていたということもあるが、一週間酒をぬいてみた。
 一日が長い。仕事もせずに、テレビ見て、漫画読んでいるだけだ。
 飲みすぎは気をつけたいが、飲んで人と喋ったり、あれこれ考えたりするのは大事なことかもしれない。部屋で本ばかり読んでいると、知識が血肉にならない気がする。というのは、飲み屋に行く口実、酒呑みの自己弁護だな。

2008/06/23

告知その他

『舢板(サンパン)』(十四号)が出ています。
 わたしは今回「古山高麗雄 二十八歳の幻のデビュー作を読む」という原稿を書きました。
 古山さんの幻のデビュー作は、一九四九年に古山高麗雄の名前である雑誌に発表した芥川賞受賞作の『プレオー8の夜明け』とよく似た『裸の群』という作品(原稿用紙約六十八枚)です。

 数年前、[書評]のメルマガで「全著快読 古山高麗雄を読む」という連載をしていたのだけど、この小説の存在はまったく知らなかった。完成度も高く、当時、何故、この作品が話題にならなかったのか不思議なくらいだ。
 どこか全文掲載してくれる雑誌ないかなあ。
           *
[書評]のメルマガといえば、北村知之さんの「全著快読 編集工房ノアを読む」の連載がはじまった。そうきたかあ。連載一回目は、天野忠の『木洩れ日拾い』。
 読みごたえのある連載になりそう。
           *
 風邪、ようやく治る。完治に一週間。寝てばかりいた。回復の兆候としては、珈琲が飲みたくなり、ラーメンかカレーが食いたくなる。
 この季節、風邪かなとおもっていると、どうも光化学スモッグの影響だったということがある。喉が痛くなり、熱も出る。
           *
 仙台、火星の庭の前野さんから「荻原魚雷、古本の森文学採集」のハガキを送ってもらった。

 文壇高円寺古書部の出張販売もあります。
(絶版文庫の精鋭を送るつもり。色川武大『花のさかりは地下道で』文春文庫、藤子不二雄『二人で少年漫画ばかり描いていた』文春文庫など。もちろん単行本も用意しています)

 期間は、七月十七日(木)〜八月十八日(月)。
 七月二十七日(日)には手まわしオルガンミュージシャンのオグラさんとのトーク&ライブもあります。
 定員35名。2500円。1ドリンク付。
 あと「古本の森文学採集ノート」というパンフレットを前野さんに作ってもらう予定です。
 限定300部。ご来場の方に進呈。

〈問い合わせ〉
book cafe 火星の庭
ホームページ http://www.kaseinoniwa.com/
仙台市青葉区本町1−14−30
11:00〜20:00(火・水定休)

2008/06/19

ならし運転

 寝汗をかいたらすぐ治ったと書いたが、ずっと三十七度前半から後半を行ったり来たり。昨晩作った豚肉とオクラともやしの雑炊を食い続ける。
 昼間ずっと寝ていた。月曜日はだいたい古本屋と新刊書店をまわったり喫茶店に行ったり酒を飲んだりしているのだが、それをしないと一日が長い。

 一日十六時間くらい布団の中ですごす。いろいろなことを考えたが、ひとつとしてまとまらない。
 仕事や人とのかかわり方について、これでいいのかなあというようなことを考えていた。考えすぎるのはよくないなあとも考えた。こういうことを考える時間がほしかったのかもしれない。

 正午から午後二時くらいのあいだ、また寝る。シャツを六回着替える。ビックリするくらいの寝汗。おかげでずいぶんすっきりした。洗濯する。ドライなんたらかんたらのすぐ乾くシャツ。一時間で乾く。ならし運転をかねて散歩する。

 火曜日もほとんど寝ていた。この日はしょうがいりのみそ煮込みうどん。ダバダバ汗をかく。
 熱があっても腹が減るのはありがたいことだとおもう。
 体力は回復してきたが、頭の働きはいまいちだ(当社比)。

 部屋で寝っころがってニュースを見ていたら、地球温暖化とかの関係でコンビニエンスストアの深夜営業自粛を要請したとかしないとかという話があるらしい(うろおぼえ)。
 それより自動販売機を減らせばいいのにとおもう。とりあえず今の半分になっても困らないだろう。

「ネットカフェ難民」といわれる人に無利子でお金を貸して、都心の風呂付きの部屋(家賃月六万円以上だった。敷金礼金二ヶ月)を借りて、そこに引っ越しさせるまでの経緯を伝えるニュースも見た。いきなり六万円以上の部屋を借りて大丈夫なのか。それより敷金礼金保証人という制度をなくしたらいいのにとおもう。もしくは国(あるいは都道府県)が保証人になるとか。いろいろ審査して数十人ほど支援する手間と金を考えたら、そのほうが安上がりだろう。

 話はかわるけど、講談社の『KING』休刊のニュース。ここのところ、ずっと「愚直な男」を特集していたが、売れなくても刊行を続けたり、会社をやめて雑誌を出し続けたりする愚直さはないのか。安直としかおもえない。

 ひさしぶりにぼやいてみた。

2008/06/16

鬼子母神

 午前中、西部古書会館の百円均一セールに顔を出してから、鬼子母神古本まつりに。
 行きはJR新宿駅から新宿三丁目まで歩いて東京メトロ副都心線に乗ってみた。

 鬼子母神古本まつりはすごい人だった。

 山ちゃんで打ち上げ。仕事があったので、午後九時すぎに帰る……はずが家に着いたのは午後十一時すぎ。池袋から新宿方面の山手線に乗ったつもりが、座席に座ったとたん熟睡してしまい、気がついたら田端駅だった。ひさしぶりに山手線を一周してしまった。
 たぶんそのせいで風邪をひいた。
 風邪薬を飲んで頭に冷えピタを貼って原稿を書いていたのだが、どんどん熱が出てくる。これはいかんとおもって、いったん寝る。寝汗をかいたらすぐ治った。

2008/06/11

関西紀行

 八日(日)
 午前中、原稿を一本書いて大阪へ。電車の中ではひたすら宇佐美承の『池袋モンパルナス』(集英社文庫)を読んだ。不覚、こんなにおもしろい本だったとは。

 梅田・阪急古書のまち、それから天神橋筋書店街の古本屋をまわる。矢野書店と天牛書店の二軒だけで今回の関西滞在中の書籍購入費(予定)をオーバー。
 BOOKONNの中嶋さんに電話し、貸本喫茶ちょうちょぼっこで待ち合わせ。荷物をしばらくあずかってもらい、心斎橋のブックオフ、ベルリンブックスを案内してしもらう。
 ベルリンブックスは古いビルの中にあって、なんとなくヨーロッパっぽい(行ったことないけど)雰囲気の店だった。
 大量の本がつまったブックオフの袋をさげて、おしゃれな古本屋に入るのは、ちょっと恥ずかしかったよ。行く順番を逆にしてほしかった。
 それでまたちょうちょぼっこ。ずっとビールを飲んでいた(※1)。冷えたのはもうないといわれたのだが、気にしないと答える。迷惑な客だったかもしれない。

 一日目からダンボールで東京に本を送ることになった。
 つるまるうどんというチェーン店でメシを食ったあと、午後十時前に、阪急電車で京都へ。サウナオーロラ、六曜社、まほろばといういつものコース。

 九日(月)
 朝(というか昼)、バールでメシ。恵文社に行くと、急にどしゃぶりになる。
 秋くらいBOOKONNの中嶋さんのイベントをやるらしい。
 京都の出町柳周辺の古本屋めぐり。ガケ書房に寄って、扉野家に。
 いつものことながら、扉野良人さんに貴重な資料をいろいろ見せてもらう。説明もわかりやすくておもしろい。感嘆しっぱなし。
 ちょうどいま調べはじめていたことがあって、「どうしても見つからない本があるんだよなあ」というと、「これでしょ?」と今日その著者(※2)のことが話題になることを予想していたかのように、すぐ本棚から出てきてビックリした。

 夜はまほろばで岡大介さんと薄花葉っぱののライブ。ものすごく盛り上がった。
 後半の岡さんと薄花葉っぱのセッションがすごかった。すごかった、としか説明できないのがもどかしい。音と店の雰囲気が絶妙で、いい気分で酔っぱらえるようなライブだった。
 午前〇時くらいにカウンターで寝てしまう。
 そのあと扉野さん宅で飲み会。わたしは先に寝ていたのだが、午前三時ごろ目をさまし、朝まで飲むことに。

 十日(火)
 朝六時、雑魚寝状態の扉野家を出て、ひとりで川沿いを散歩。高野川を一時間くらいさかのぼって歩いて叡山電車で帰ってくる。
 京阪三条のコインロッカーに荷物をあずけ、ジュンク堂書店BAL店の岡崎武志さん、山本善行さんの「〈架空の〉きまぐれ日本文學全集フェア」を見てくる。
 デジタルの万歩計(小型)を買う。懐中時計をなくして以来、腕時計(高校の入学祝い)をポケットにいれていたのだけど、電池切れでもないのに、たまに針が止まってしまうのだ。それで時計機能付の万歩計を買った。簡単にいうと、衝動買いだ。

 河原町の古本屋をまわったあと、水明洞、山崎書店にも行く。それでもまだ時間があったので、京都府の動物園に行く。
 バスの運転手風のおじさんふたり組(推定五十代)が、「きりんはかわいいなあ」「呼べがくるかなあ」と話しているのが、妙におかしかった。

 帰りにまた六曜社。オクノ修さんはいるかなあとおもいながら入ったらいた。「よく来るねえ」と笑われる。
 夜七時、ぷらっとこだまで東京に帰る。白角の水割を飲みながら、『池袋モンパルナス』を読み続ける。
 考えさせられる本だ。
 そのことについてはまたいずれ書いてみたい。

(※1)以前、このブログで「ビールは飲まない」と書いたが、ほかのアルコール類がなければ飲みます。訂正。

(※2)新居格のこと

2008/06/08

NEGI御殿

 昨日は仕事のあと、ふぉっくす舎のNEGIさん宅のパーティー。
 もより駅に行くと、退屈君が待っていた。そのあと木村衣有子さん、晩鮭亭さん、南陀楼綾繁さん、わめぞ民も合流。往来座の瀬戸さん、いきなり駅近くのスーパーで缶チューハイ飲みだす。

 それにしても、NEGIさんの家はすごかった。本屋みたい。壁一面、ロフト部分まで本棚。広い。家はともかく、ブックタワーはほしいなあとおもった。
 本日のメニューもあって、次々と料理が出てくる。お店みたい。
 豆乳のそうめん、うまかった。ウニパスタも、うまかった。

 やりのこしてきた仕事が残っていたので、午後十時前に帰る。
 おもったより家が近いことが判明(タクシーで帰った。割増料金でも千円代)。電車で行くより自転車のほうが早いかも。

 六月十五日(日)、鬼子母神古本まつりもよろしく。

 今回の文壇高円寺古書部は、内田百閒、旺文社文庫特集です(もちろんほかにもいろいろ出品します)。

 場所:雑司が谷鬼子母神境内にて。
 時間:9:00〜16:00 雨天中止。

※詳細は古書往来座ホームページ(http://ouraiza.exblog.jp/)を参照。

2008/06/01

まあよしとする

 飲みすぎた。反省。たぶん反省してもきっとまた飲みすぎる。まあいいでしょう。

 世の中には反省しない、反省は無意味だといいきる人がいる。そう言い切れたら楽になれそうとおもうが、まあいいでしょう。自分(の性格や生活)を変えたいとおもうことに意味はあるのかと考えることがある。結局、ちっとも変わってないじゃないか。つくづくおもうわけである。変わったか変わっていないか、そういうことはすぐにわからない。すこしずつよくなったり、わるくなったりする。

 二十代の十年、東京の、中央線沿線の、高円寺のような、物書きや漫画家やバンドマンや演劇人がゴロゴロいる町に住んで、毎日のように古本屋に通い、漫画喫茶にも何千時間と通い、部屋で友人と酒を飲みあかした。いいたいこといいあう。それでケンカになる。またいいたいことをいう。そのくりかえしだった。わたしはそのかんじが心地よかった。

 たまに仕事の打ち合わせなどで、遠慮がちに喋ったつもりなのに相手には図々しい発言と受け取られてしまう。うーん、なんでだ、わからん。

 率直、素直ということをいいことだと信じていた。自分が田舎にいたときは、そういうふうに振る舞うことができなかったからだ。だから上京して、ひとり暮らしをはじめ、好きなときに寝て、読みたい本を読んで、好きなだけ酒が飲めるようになったことが何よりうれしかった。お金はなかったから、それなりに制約はあったが、そんな生活のおかげで、何に感動したり感激したりする気持を失わなくてすんだとおもっている。

 我慢ばかりしていると、そういう気持は弱ってくる。損得とか効率とかばかり考えていても弱ってくる。もともとちまちました人間だからつい考えてしまう。ちまちました人間にありがちなことだが、けっこう計算は得意なのである。

 自分の得意なことは、正しいとおもってしまいがちだ。そのおもいこみを打ち砕いてくれるような人や作品に出合うと、うれしくなる。「ああ、つまらんなあ、オレは」と……。

 無駄とおもうこともたくさんある。それをなくせば、もっとよりよく生きていけるのかもしれないが、無駄のない生活がおもしろいかどうかは別だ。文学や詩、音楽の効用。  酒やタバコもそうかもしれない。酒を飲みすぎた日、読まない本をたくさん買ってしまった日にいつもそうおもう。まあよしとしよう。

2008/05/30

告知いろいろ

工作舎のホームページ(http://www.kousakusha.co.jp/index.html)に6月下旬発売の岡崎武志、山本善行『新・文學入門』のことが紹介されている。
石丸澄子さんの表紙、いいですよ。ブルー。

それから今週木曜日(5月29日からの「吉祥寺ごちゃまぜ古本マーケット」に「文壇高円寺」も出品することになりました(〜六月四日まで)。

6月1日(日)〜3日(火)は東京古書会館の「地下室の古書展」。
「佐野繁次郎の装幀モダニズム」展も開催。
企画・出品:林哲夫、西村義孝
後援:アンダーグラウンド・ブックカフェ

展示関連講演会:「モダニスト佐野繁次郎の装幀について+佐野本の集め方」
林哲夫+西村義孝
日時:6月1日(日)午後1時~
東京古書会館7階会議室にて
参加料:500円(当日)

あとまもなく『舢板(サンパン)』の最新号が出ます。
詳細は後日。

2008/05/25

できると当たり前

 スポーツや碁将棋であれば、勝ち負けがはっきりしているから、いやでも自分が強いか弱いかわかる。でも文章の世界は、それがなかなかわからない。まわりから「ヘタだ」「つまらん」といわれても、「そっちの読み方がわるい」「うまければいいというものではない」といろいろなまぎれや言い訳を探そうとおもえばいくらでも見つかる。

 二十代後半、わたしはぐだぐだとひたすらまぎれを探していた。風呂なしアパートに住み、古本ばかり読んでいた。どうせ今は書く場所がないと。だから食いつなぐしかないと。
 毎日食いつなぐことばかり考えていると、先のことが考えられなくなる。いろいろ忠告されても「それができれば苦労しない」とふてくされていた。
 酒の席でもよく失敗した。かならず余計なことをいってしまう。
 つい最近も。ああ、おもいだしたくない。

 科学や技術の世界に「不可能を可能にする。そして可能なことを当たり前のことにする」というような言葉がある。

 仕事もそうかもしれない。できないときは、どうすればできるようになるのかわからない。次に十回に一回、五回に一回できるようになっても、どうすれば持続させられるかわからない。安定し、持続させられるようになって、ようやくその先のことを考えられるようになる。

 田舎にいた高校生くらいのころは、文章でメシを食うなんて不可能だとおもっていた。上京して、原稿を書いてお金がもらえるようになっても、ずっと食えたり食えなかったりの不安定な生活が続いた。

 三十代になって連載の仕事をするようになった。そうすると、毎週あるいは毎月のしめきり日に原稿を仕上げるために、何をしなければいかないのかを考える必要にせまられる。日頃から「次は何を書こうか」と考える癖が身につく。書く前は飲まないとか、睡眠をしっかりとるとか、体調のことも気にするようにもなる。そうしないとからだがもたない。
 それでもなかなか食えることが「当たり前」にはならない。

 それができれば苦労しない。苦労しないとそれはできない。
 できるようになるまで、当たり前になるまで、どうしても時間がかかる。

……これからちょっと正念場です。 

2008/05/22

大人になるってこと

 二十代後半はほんとうに先が見えない状態で、どうやったらそこから抜け出せるのか悩んでいた。当時やっていた仕事は、将来やりたい仕事とつながっているとはおもえなかった。どんなに文学が好きでも、それは仕事にはならないと諦めていた。
 昔から人に相談したり、質問したりすることが苦手だったから、たいてい読書で解決しようとしてきた(当然、解決できないことのほうが多いわけだが)。

 尾崎一雄の私小説(『暢気眼鏡』ほか)、色川武大の「虫喰仙次」(『虫喰仙次』)「友よ」(『花のさかりは地下道で』)、古山高麗雄の「湯タンポにビールを入れて」「ジョーカーをつけてワンペアー」(『湯タンポにビールをいれて』)といった短篇で食えない作家、編集者の身の処し方をいろいろ学んだ。
 吉行淳之介もそうだ。吉行淳之介はアルバイトの編集記者時代、同人雑誌にも参加していたのだが、仕事が忙しくなると、文学のことを考える余裕がなくなったと書いている。

《私はこの期間を、将来作家として立つまでの「雌伏の時期」というようには見ていない。私はその日その日を精一杯生きていたのだし、また作家として立ちたいという希望も持っていなかった。(そういう希望を持って苛立つことは、精神衛生上悪い、となかば無意識のうちに切り捨てていたのかもしれぬ、といま考えてみたりもする。いろいろの要素が絡まっているようで十分には分析できない)。しかし、結果としては、この時期は作家としての私の土壌に、十分な肥料をそそぎこんだことになる。もしこの時期がなかったとしたら、かりに作家として立つ機会を持てたとしても、とうてい長続きはできなかったとおもう》(『私の文学放浪』)

 不遇な時期は、後の肥料になる。そう考えて、気持を立て直す。
 今おもうと、かなり荒んだ生活を送っていた気もするが、荒みきらずにすんだのは、読書のおかげだったかもしれない。とはいえ、どこかで生活を持続させられるようにならないと、本を読むことも文章を書くこともままならない。でもその方法がわからなかった。

《私は娯楽雑誌つくりに愛情と情熱をもって働いていたが、三流雑誌の仕事には、心を衰えさせる事柄があまりにも多かった。屈辱的なことに出合ったときには、「自分にはもう失うべきものは何も残っていない」という言葉を呪文のように繰返し、かろうじて心を鎮めた。そういう私にとっては、やはり自分自身の内面の世界をもつことが必要だったわけである》(『私の文学放浪』)

 自分の好きな作家にも苦労していた時期があった。その苦境から抜け出した方法はそれぞれちがう。運不運もあるが、けっして運だけでもない。ナゲヤリになったり、ヤケになったりはしていない。
 自分の心を鎮める方法、いいかえれば、自分のとりあつかい方を身につけていた。

 わたしの苦労は自分が楽することばかり考えていた結果である。いろいろな面倒な仕事を押しつけられる。それが肥料になる。ただ、それだけだと器用貧乏になってしまう。そうならないための忠告も、先にあげた作家の本のどこかに書いてある。あったとおもう。

2008/05/21

どんぐり宴会

 二十日、高円寺の古本酒場コクテイルで扉野良人さんの出版記念会(どんぐり宴会)をひらく。
 呼びかけ人は、郡淳一郎さんと間奈美子さんとわたし。

 午後七時すぎ、岡崎武志さんの乾杯の音頭でスタート。
 店の奥に『佐藤泰志作品集』を発行したクレインの文さん、鶴見太郎さんがいた。文さんは、扉野さんが小学生か中学生のころからの知り合いだそうだ。
 高橋信行さん、羽良多平吉さん、木村カナさん、トムズボックスの土井さん、西秋書店さんら次々と登場する。
 それからBOOKONNの中嶋さんはこの日のために、ゴールデンウィークあたりからずっと高円寺のわたしの仕事部屋に滞在していた(滞在費はヤフオクで捻出)。
 柳瀬徹さんがきて「元カリスマ書店員の……」と知人に紹介すると、「そのいい方はやめてください」といわれる。柳瀬さんと扉野さんとわたしは[書評]のメルマガの「全著快読」の連載仲間でいっしょに京都で飲んだこともある。
 何年か前に大阪で扉野さんといっしょに飲んだ森山裕之さん(たしか、そのときわたしは大阪の前田君の自宅に泊めてもらった)も来てくれた。今度ゆっくり飲みましょう。
 ちょうちょぼっこの福島さん、海月書林さんともひさしぶりに会う。 
 店の外には坪内祐三さん、南陀楼綾繁さん、古書現世の向井さん、立石書店の岡島さん、わめぞ絵姫、未來社のAさん、紀伊国屋書店のOさん。東川端三丁目さんとははじめてしゃべった。東川端さんは退屈君に声をかけてもらったのだ。

 担当編集者の中川六平さん、近代ナリコさん、畠中理恵子さんの話があって、午後十時前ごろ、手廻しオルガンのオグラさんが歌い、そのあとオグラさんがギターを弾き、浅生ハルミンさんが「月の砂漠」(しかも替え歌)を歌う。
 四月に京都の「まほろば」でライブをやったときに扉野さん家のお寺にいっしょに泊った『ロマンスカー』の前野健太さん、来月「まほろば」でライブ予定の『カンカラソング』の岡大介さんの歌……のあたりで酔いがまわりはじめる。

『足稲拾遺物語』の編者の高橋信行と郡淳一郎さんからどんぐり(まつぼっくり?)の彫像をプレゼントされ、扉野さんも満面の笑みだった。
 狩野さん、てんてこまいだったとおもいます。ありがとうございます。

 今、古本酒場コクテイルでは、ワタベテッサンさん(http://w-tessin.web.infoseek.co.jp/title.html)の個展「アルコールカーニバル」が開催中(六月十八日まで)です。

2008/05/12

古本博覧会記

 土曜日、午前十時、「小さな古本博覧会」に行く。「ものすごく顔色悪いですね」とコクテイルの狩野さんにいわれる。うむ、二日酔いだ。昨日はコクテイルでずっと飲んでいた。三時間睡眠だ。さすがにからだがだるい。しかし本を見たら元気になる。

 もともと安い西部古書会館でも、書肆楠の木、はらぶち商店の棚は価格破壊……。
 どの棚も、ふだんの古書展よりもその店その店のカラーが出ている気がする。
 音羽館、にわとり文庫、風船舎と見ているうちに、重くて持てないくらい本を買ってしまう。二十冊は買ったかも。それでも七千円ちょっと。
 ヘンリー・ミラー著『わが青春のともだち』(田村隆一、北村太郎訳、徳間書店、一九七六年刊十二月刊)はうれしい収穫。この本が出るひと月前に、北村太郎は二十五年つとめた新聞社を退社している。田村隆一と北村太郎は、すでにねじめ正一の『荒地の恋』(文藝春秋)にあるような微妙な関係にあった。そんなふたりが『わが青春のともだち』を共訳していたわけだ。
 訳者のあとがきは、田村隆一が書いている。

《共訳者の浅草育ちの北村太郎は、東京府立第三商業学校(昭和十年〜十五年)のクラスメートであり、彼の小悪魔的な誘惑によって、ぼくは詩の世界に生きることになった。(中略)多忙な彼がこの翻訳に全精力をかたむけてくれたことに、ぼくは心から感謝する》
 
 古本博覧会のあとアルバイト。眠い。夕方、丸善の丸の内店に行く。『ボマルツォのどんぐり』は二階のエスカレーター上がってすぐの文芸書の平台の角に平積になっていた。ポップもあった。読書論コーナーでは「sumus」メンバーの単行本が面だしで並んでいる。ありがたいことです。

 さて、古本博覧会二日目。なんとか昼起きて、岡崎武志さんの古本DJを見る。
 岡崎さんが古書会館で選んだ本をプレゼントするという企画。最初に紹介された本が筑摩書房の世界文学全集の『月報合本』。
「ほしい人」
 手をあげる。わたしだけ?
 呼ばれて、壇上に行くと、マイクを渡される。
「西部古書会館の近所に住んでます。岡崎さんともよくここで会います」
 あいかわらずのしどろもどろ。
 イベント後、ガレージにて半額セールがはじまる。また、たくさん本を買ってしまう。
 そのあと会場にいた知り合いと古書会館そばの喫茶店ナジャでコーヒーを飲む。 
 いったん家に帰り、夕方、散歩の途中、西部古書会館の前を通ると、二日目とはおもえない人だかりができている。
 ガレージに半額本が大量に補充されたようだ。ああ、近所に住んでいてよかった。

 第二回は秋ごろ開催したいとのこと。

(追記)
 五月十五日(木)から六月十一日(水)まで「吉祥寺ごちゃまぜ古本マーケット」(武蔵野市吉祥寺本町2−8−8・特設会場)という古本イベントがあります。場所は東急百貨店そばです。
 午前十一時半から午後八時まで。

2008/05/09

おぼえがき

 ひとつの仕事でつまづくと、そのあとの仕事にまで影響が出てしまう。
 スケジュールどおり予定は消化できないということを前提に計画を立てなければいけないと反省する。もちろん、今はそんな反省をしている場合ではない。一刻も早く原稿を書かなくてはいけない。とはいえ、焦ると仕事がはかどらない。そこでガスコンロの掃除をする。シャツにアイロンをかける。時間に比例して結果の出る雑務は、精神衛生によい。
 調子がよくないときに、書こうとすると、時間をかけた分だけ、文章の量が減ってしまうことがある。
 この何日か、ある原稿の文章が一行も増えなくて困っている。

一、疲れたら休む。
二、予定の枚数をこえるまで文章を削らない。
三、全体の流れは最後に調整する。書いている途中でそれをはじめると収拾がつかなくなる。

 以上、自分のためのおぼえがき。

2008/05/08

ちいさな古本博覧会

 今週末、高円寺北口の西部古書会館で新イベント「ちいさな古本博覧会」が開催されます。わたしは二日間とも行くつもりです。

 一九八九年の秋に高円寺に引っ越して以来、西部古書会館の古書展は八割くらいは顔を出しています。西部古書会館は、慣れていない人には、ちょっとはいりにくいかもしれません。古本好きの中でも「濃い客」が多いです。ここにくる客の中では、わたしなんかはまだまだペーペーです。西部古書会館にくるたびに、古本の世界は奥が深いとおもいます。
「なんとなく、敷居が高そう」あるいは「そんな場所知らない」という人は、今回の「ちいさな古本博覧会」で《西部デビュー》してみるのはどうでしょう? 

日時 5月10日(土)、11日(日)
   午前10時から午後6時
会場 西部古書会館
   杉並区高円寺北2ー19−9
   JR中央線高円寺駅下車徒歩3分

※高円寺駅北口を出てすぐ右(向いにパチンコ屋)の信号をわたって、まっすぐ北に行き、つきあたりで右折。オリンピック(ディスカウントショップ)のすぐ隣です。
※土日のため、JR中央線の快速は高円寺駅で止まりません。各駅停車のJR総武線に乗ってください。

参加店一覧

Paradis(パラディ)
コクテイル書房
常田書店
アジアンドッグ
オヨヨ書林

そら屋六進堂
はらぶち商店
モダンクラシック
書肆アゴラ
音羽館

風船舎
しましまブックス
書肆楠の木
アバッキオ
古書ワタナベ

盛林堂
玉晴
アニマ書房
とんぼ書林
吉野書店

ぶっくす丈
Backpage
中央書籍
にわとり文庫
古書桃李

ハーフノート・ブックス
太陽野郎
古書かんたんむ
聖智文庫

2008/05/05

「外市」終了

 池袋往来座の「外市」無事終了。わが刺客、白シャツ王子(古書文箱)は、きわどい差ながら、わめぞ絵姫に勝利。でかした。

 今回はにわとり文庫さんの売り上げにずいぶん協力したかも(まだまだほしい本があった。近々お店に行きます)。『吉行淳之介対談浮世草子』(三笠書房)は、はじめて見た。本の形にビックリだ。
 縦二十六・五センチ、横二十七センチ。デカすぎて逆に気づかない。一九七一年で定価が二千五百円の本だから、当時としてはかなり高い本だったのではないか。あんまり売れなかったような気がする。
 口笛文庫出品のプラスチックの仕切板、新潮文庫の志賀直哉も買った。
 聖智文庫の追加本にはわめぞメンバーも騒然となる。あまりの安さについ遠慮してしまった。あとで「買えばよかった」とおもう。

 打ち上げには大阪から上京中のBOOKONNの中嶋さんも参加。「ahoaho-expo」は大人気だった。それが、ガイチ主義。おもしろいですよ。
 そのうち「外市」のスペシャルゲストで参加することになりそう。

 宴会後半、わめぞ絵姫にからまれてわき腹をつって倒れる。追い討ちをかけるようにわき腹をつっついてくる。
 ほんとうに痛かったです。

2008/05/04

王子リード?

 連休、といっても仕事。でも池袋往来座の「外市」には行く。
 神戸の口笛文庫さんの出品物、おもしろい。
 太宰治の角川文庫のプラスチックの書店の棚用の仕切板(正式名称はなんていうのかわからない)を買う。百円。まだ芥川龍之介とかカフカとかいろいろあった。二日目の夕方まで残ってたら、全部買いたい。

 往来座の店内の棚も充実していたなあ。

 初日「白シャツ王子」なるニックネームがついてしまった古書文箱のU君とわめぞ絵姫の武藤さんの売り上げ対決は、今のところ王子のリードのようだ。でも僅差だ。
 とりあえず、U君、仕事が見つかったようでなにより。

 そのあとコクテイルで大阪から上京中のBOOKONNの中嶋大介くんと飲んだ。いや、飲んだような気がする。
 仕事してます。大丈夫です。順調です。ごあんしんを。誰にいってるんだ……。

2008/05/01

気分転換

 一仕事終え、次の仕事にとりかかるため家事をしたり、古本屋をまわったり、喫茶店に行ったりする。夜だと軽く飲む。軽く飲んでちょっと寝てそれから仕事をする。
 ずっと机にかじりつても、仕事がはかどるわけでもない。かえって効率がわるい。
 たとえば、あらかじめ何時から何時までは原稿を書くと決め、時間がくれば、仕事をやめて、一区切つける。
 そうすると、原稿を書く時間までは心おきなく遊べる。「今日の仕事は終わった」という気分も味わえる。それで「さあ、飲むぞ」と……。
 しかし、なかなかそういうふうにはできないのである。この先、そんなふうにできたらいいなあという願望をいってみたまで。

 昨日、自転車で阿佐ケ谷に。パラフィン紙とゲルインクのボールペン(パイロット)のなんというんだ、あれは、0・7ミリのつめかえ用のインクを買う。
 元高原書店のSさん(通称・助教授)とひさしぶりにしゃべる。「阿佐谷南口駅前のふるほんや」が移転になるそうだ。次の場所はまだ決まっていないという。
 北口の「ゆたか。書房」で梅崎恵津ほか『幻化の人・梅崎春生』(東邦出版)があった。ほしかった本だ。
 高円寺に戻ってZQで「サウスウエストF.O.B」というバンドのCDを買う。一九六八年のアルバム。コーラスも演奏も絶品だが、すこしアングラ臭(嫌いではないが)もある。

 今日は一日中仕事。
 夜、池袋往来座の「外市」に出品する古本を立石書店の岡島さんと退屈君が取りに来てくれた。
 前回以上に自信の品揃えです。
 そのあとコクテイル。ささま書店のN君に天野忠の署名本(『單純な生涯』コルボウ詩話会と『重たい手』第一藝文社)をありえない値段で売ってもらう。手にとった瞬間、全身から汗が出た。
 天野忠はその詩のすばらしさもあるけど、どんな時代、どんな場所でも、天野忠なら大丈夫なかんじがする。

(告知)
 PR誌『ちくま』、五月号も掲載されました。先月号から二ヶ月連続で掲載(まさに不定期)。
 今回は「昔日の客と店主と写真集」。
 写真集は『ブルデル彫刻作品集』(筑摩書房)のこと。

2008/04/28

GWも、外行く?

GWも「外、行く?」 〜街かどの古本縁日〜

第8回 古書往来座外市 〜口笛は、わめぞに響く〜
■日時 2008年5月3日(土)〜4日(日) 
3日⇒11:00〜20:00(往来座も同様)
4日⇒11:00〜17:00(往来座も同様)

■雨天決行(一部店内に移動します)
■会場 古書往来座 外スペース(池袋ジュンク堂から徒歩4分)
東京都豊島区南池袋3丁目8-1ニックハイム南池袋1階
(http://www.kosho.ne.jp/~ouraiza/)
               *
 先日、年に一度か二度のスーツを着て神保町に行く。夜はパーティー。昼間、古書街をぶらっとまわり、最近あまり見ない角川新書、近代生活社の本を何冊か買う(仕入のようだ。というか仕入だ)。
 昔の新書は、カバーが破れやすいので、そこそこ状態のいいものを見つけると嬉しくなる。
 三省堂書店の前で、一服していると、古書桃李さんとバッタリ。
「どうしたんですか? スーツ姿で」
「いや、その、まあ……」

 夜、池袋往来座の「外市」用の本にパラフィンがけをする。
 値付も、だんだん早くなった。迷わなくなった。
 今回の「外市」には、「古書文箱」のU君も参加します。たぶん、「外市」参加者では最年少でしょう。

 U君は、もともと高円寺の古本酒場コクテイルに来ていた元渋谷のブックファーストの書店員で、昨年、福岡に移住し、今年再び上京。ブックオカの一箱古本市ではかなりの売り上げを記録していた。
 わめぞ絵姫、打倒なるか。

2008/04/18

書けば書くほど

 昨日、雨の中、仕事で大手町の丸善、神保町の東京堂、三省堂、グランデ、新宿の紀伊国屋書店をまわる。神保町で、扉野さんの『ボマルツォのどんぐり』(晶文社)が面出しで並んでいる書店があった。
 禁酒中(といっても、本日解禁の予定)だから、なかなか眠れない。

 それにしても[書評]のメルマガ(vol.357)の[鶴亀とボマルツォと号]は、ものすごい密度だった。

 樽本周馬さんの短期集中連載「『文学鶴亀』ができるまで」、堀内恭さんの「入谷コピー文庫 しみじみ通信」、内澤旬子さんの「もっと知りたい異文化の本」、「林哲夫が選ぶこの一冊」、そして扉野良人さんの「全著快読 梅崎春生を読む」の最終回……。

 わたしが「全著快読 古山高麗雄を読む」を連載していたころは、ずっと坂道をのぼりつづけているような気分だった。書けば書くほど書くことがなくなる。今でも「鍛えられたなあ」とおもう。

 次の「全著快読」は「1980年代生まれ」らしいですよ。

2008/04/16

酒抜き中

 自転車を買って一ヶ月。けっこう乗っている。夕方、古本屋をまわったり、買物したりしながら、一時間くらい商店街をぐるぐるまわる。隣の中野、阿佐ケ谷まで行くこともある。
 人通りの多い道、車の多い道を避け、散歩のときにはあまりとおらなかった道を走る。自分の行動範囲がすこし変わる。地味だけど、楽しい変化だ。

 原稿料がわりにもらった図書カードがすこし残っていたので、中野のあおい書店で、鮎川信夫他著『現代詩との出合い わが名詩選』と田村隆一著『自伝からはじまる70章』(いずれも詩の森文庫)を買う。
 詩の森文庫は、読みたい本がたくさんあるのだが、すぐには書店からなくならないだろうとおもい、つい買い控えてしまう。
 中野のあおい書店は、詩のコーナーが一階にあり、のんびり立ち読みができるのがうれしい。
 帰りに奥の扉でアイスコーヒーを飲む。

 仕事、仕事と気ばかり焦りながら、詩の本を読んでいる。短い文章ばかり書いてきたから、十枚以上の原稿となると、途中で息切れする。早くて三日はかかる。
 飲んで寝てばかりいるのに、時間がほしいとおもう。酒を飲むから時間がなくなるんだな。重々承知である。でも飲まないと頭の切り替えがうまくいかない。酔って寝て起きて机に向かう。そういう習慣が身についてしまった。
 というわけで、現在、酒抜き中。金曜日まで飲まないつもりだ。

 それにしても田村隆一を読みながらの断酒はつらい。

2008/04/13

ボマルツォのどんぐり

 あるルートを通じて、ひと足先に扉野良人さんの初単行本『ボマルツォのどんぐり』(晶文社)の表紙と目次と初出一覧を見る。
 たぶん、いちばん古い原稿は、一九九四年十一月の『虚無思想研究』に発表した「辻潤と浅草」。二十三歳のときのエッセイである。

 前にも書いたかもしれないが、『思想の科学』の編集者だったN島さんに、「辻潤が好きな学生がいるんだよ」と紹介してもらったのが、扉野さんと知り合うきっかけだった。高円寺の「テル」で飲んだ。

 今回の本の話がはじまったころ、たまたま『虚無思想研究』のバックナンバーを読んでいたら、当時、扉野さんが本名で書いた「辻潤と浅草」を見つけ、「辻潤と浅草」を収録するよう催促した気がする。今、読んでも二十三歳とはおもえない文章だ。

 一冊の本の中に、十四年の歳月が流れている。大学卒業後、京都に帰って、お坊さんをやりながら、ずっと手間暇かけた文章を書き続けてきた。
 発表の場所のほとんどは同人誌だ。
 よかったなあ、とおもう。それにしても、内容が渋すぎるのではないか、ともおもう。

 目次をみると、いきなり永田助太郎、寺島珠雄、辻潤という名前が並んでいる。後半の作家の生地をめぐる紀行エッセイには、田中小実昌、田畑修一郎、加能作次郎、川崎長太郎の名前が出てくる。
 あと『sumus』創刊号の「ぼくは背広で旅をしない」は、素の扉野さんがよく出ている文章かもしれない。
 タイトルの「ボマルツォのどんぐり」の意味は、秘密にしておこう。

《旅するエッセイストは、
 ボマルツォに向かう。
 そこでどんぐりを拾う》

 帯にはそう書いてあった。
 もうすぐ書店に並びます。

2008/04/11

マエストロ 完結

 夜中、さそうあきらの『マエストロ』三巻(双葉社)を読んだ。
『漫画アクション』の連載が中断し、web連載していた作品だ。交響楽団が解散して、音楽や生活に行き詰まっていた音楽家たちが、ひとりの指揮者によって変わっていく。絵の中に、自分の想像をこえた理想の音がある。
 読み終えたあと、今の自分には、かんじとるのことのできない理想について考えてしまった。「近づく」とか「たどりつく」とかではなく、ずっと先にある理想は、考えていても見えてこないような気がする。
『マエストロ』に出てくる「天才」といわれるような指揮者は、一歩間違えば、人格および生活破綻者になりかねない、そんなギリギリのところで音楽に打ち込んでいる。

2008/04/04

月の湯古本まつり

 夕方、池袋の古書往来座に「月の湯古本まつり」に出品する古本を持っていく。目白駅から往来座までずっとゆるやかな下り坂になっていることに気づいた。キャスター付のカバンだと楽チンだ。店にはいると「今日、朝日新聞の朝刊に載ったんですよ」と新聞を見せてもらう。かなり大きな「わめぞ」という文字と古書現世の向井さんとうつむきかげんの往来座の瀬戸さんの写真が出ていた。「世界のわめぞ」にまた一歩前進。

月の湯古本まつり
2008年4月5日(土) 11:00〜18:30
会場:月の湯(東京都文京区目白台3−15−7)
JR目白駅改札を出て左方向すぐの交番前信号を渡ったところにあるバス停から、都バス「新宿駅西口」行き(白61系統)乗車、5つめの「目白台三丁目」下車。降車して左方向最初の路地曲がりすぐ。徒歩1分。

※詳細は、古書往来座ホームページ(http://ouraiza.exblog.jp/)にて

 家に帰ると、チャイムが鳴る。ドアをあけると眠そうな顔をしたコクテイルの狩野さんが立っている。
「明日、月の湯行きますか?」
「行くよ」
「じゃあ、このチラシ置いてきてもらえませんか?」
 おお、これまた楽しそうなイベントだ。中央線の古本文化も新時代に突入だ。

「ちいさな古本博覧会」
2008年5月10日(土)/11日(日) 10:00〜18:00
会場:西部古書会館(杉並区高円寺北2-19-9)

8店舗のホスト古書店を中心に、多彩なゲスト古書店が参加して、面白楽しい古書催事を企画しています。
約20,000冊が大集結。
懐かし本、珍し本、あれやこれや、よりどりみどり。
探してた本をここで見つけてください。

※詳細は、古本博覧会(http://blog.livedoor.jp/furuhon_hakurankai/)にて

2008/04/03

神戸倉敷京都

 昨日まで四泊五日の旅。
 神戸のサンボーホールの古本市は、最終日だったけど、大漁。今東光著『おゝ反逆の青春』(平河出版)、横井庄一著『明日への道 全報告グアム島孤独の28年』(文藝春秋)、田村隆一編『エスケープのすすめ』(荒地出版社)、薄田泣菫著『猫の微笑』(創元社、函付!)、坂田明著『笑うかどで逮捕する!』(晶文社)、遠藤周作著『ぐうたら生活入門』(未央書房)などを購入。『ぐうたら生活入門』は、単行本と文庫で中身がちがうことをはじめて知る。単行本には、園まり、安井かずみ、野末陳平、藤田小女姫、斎藤輝子、丸尾長顕の対談が収録されている。
 一箱古本市には、前衛詩関係の資料をたくさん出している人がいた。五年前に開催された三重県の伊勢市立郷土資料館の『詩人 北園克衛 生誕100年記念展』のパンフレットを買う。会場でBOOKONNの中嶋さん、北村知之さんを見かけたのでお茶を飲みながら雑談する。

 それから倉敷、蟲文庫。田中美穂さんとは初対面(共通の知人がいすぎて、そんな気はまったくしなかったが)にもかかわらず、閉店後、ウィスキーを出していただき、飲んでいるうちに、おもいのほか長居してしまう。

 翌日、岡山に行き、路面電車に乗って後楽園へ。ふだんはあまりしない観光というのをやってみようとおもったのだ。四十五分くらい楽しんだ。後楽園の反対側の奉還町商店街をぶらぶらし、そのあと倉敷で神田伯剌西爾の竹内さんと合流。竹内さんに美観地区を案内してもらうが、定休日のところが多く、再び、蟲文庫で飲み会になる。竹内さんは岡山出身で、蟲文庫の田中さんと同世代。しかも昆虫や爬虫類が大好き。ふだんはクールな竹内さんが蟲文庫のリクガメにメロメロになっていた。
 昨日あけてもらったウィスキー(たいへん高級なもの)のボトルをわたしと竹内さんでほとんど飲んでしまった。
 田中さん、すみません。ありがとうございました。

 それから前野健太さんのライブを見に、倉敷から京都へ。
 昼すぎ、扉野良人さんの家のお寺に荷物を置きに行くと、留守番の書生がいる。木屋町のライブハウス、UrBANGUILDで、働いているというトリイ君。Night Tellerというバンドをやっていて、テニスコーツや細胞文学などのサポート、自主レーベルも主宰している若者。彼の話がおもしろく、掘りごたつに座ったとたん、動きたくなくなる。
 ライブのために深夜バスで京都に来ているささま書店のN君とガケ書房で待ち合わせしていたのだが、お寺に来てもらうことに。
 さらに岡山で別れた竹内さんとも再び合流し、夕方、三人で六曜社に行く。店で偶然、薄花葉っぱのMさんと会う。

 まほろばの前野健太さんのライブは、客の年齢層がほとんど前野さんより年上で、しかもオクノ修さんが見に来ていたのせいか、前半、珍しく緊張していたみたいだったけど、徐々に立て直してゆき、後半は絶好調に。これもライブならでは醍醐味。でもN君が東京にいるときと同じ酔っぱらい方(寝るか、絡むか)だったので、京都にいる気がしなかった。
 その後、東京組(五人)、BOOKONNの中嶋さん、元高原書店のN君の先輩のYさん(大阪在住)らと扉野さんのお寺に宿泊。YさんとN君はひさしぶりの再会らしい。

 そしてわたしはYさんと明け方ちかくまで文学論争(?)をすることに……。

 扉野さん、ありがとうございました。扉野さんの晶文社から出る単行本は、四月中旬くらいには書店に並ぶそうです。

2008/03/27

十年前

 はじめてパソコンを買ったのは一九九八年一月。かれこれ十年以上になる。今は五台目。ずっとノート型のMacをつかっている。
 たしか最初のパソコン(PowerBook 2400)を買うために、海老沢泰久さんのインタビューのテープおこしを数十時間分やった。でも海老沢さんとはまったく面識はない。
 先日、昔のフロッピーディスクの整理をしていたら、そのころの日記が見つかった。日記は一ヶ月も続かなかった。

《一月某日 ダニにくわれたのか、からだじゅうが痒い。昼間から酒を飲む。こんなことをしていてはいかん。EGBRIDGEの辞書は、鍛えがいがある。どんどん賢くなってくれ。ユーザー辞書に新語を登録しているうちに、徹夜してしまった。早くパソコンを仕事につかいたい。

一月某日 今日はいろいろ学習した。shift+deleteで普通に削除ができること。コマンド+Aで、全てを選択。これでdeleteを押せば、全文削除になる。またshiftを押しながら、カーソルを左右に動かすと選択できる。今月中にパソコンで仕事がしたい。でもプリンターがないので無理だ。

一月某日 新宿のビッグカメラでプリンターを買った。キヤノンのBJC-420J。次の目標はインターネットだ。早くパソコンで仕事をして元をとりかえしたい。

一月某日 電子メールの設定がすみ、Oに電子メール送る。こんどはネットスケープが使えなくなる。

一月某日 都丸書店に古本を売りに行く。六千円になる。将棋ゲームのソフトがほしくなるがガマンする。今の自分にできることは、アルバイトしかない。ちゃんと働いていれば、きっといいことがある。それから無駄づかいをやめよう。なるべく自炊して、煙草は一日一箱までにする。
 といいながら、夜、大岩で飲む。水割三杯。

一月某日 昼二時に起きて、部屋でゴロゴロして洗濯する。南口の古本屋をまわり、あまから亭で焼きそば。夕方、銭湯に行く。近所の富士旅館で電気スタンドと湯飲みを拾う。
 最近、恥ずかしがり病にかかっている。
 夜、テープおこしの仕事。テープおこしをするためにパソコンを買ったつもりはない。

一月某日 隣室の住人から「うるさい」と苦情。毎晩、壁を叩いてくる。引っ越したい。敷金礼金1・1で駅から五分内、風呂はなくてもいい。古くてもいい。でも貯金がない。自分の生活を守るには金がいる。
 夜、肉豆腐作る。これで二日くらいは乗りきりたい》

……うーん、無内容だ。読んでいて情けなくなる。ほんとうに来る日も来る日もテープおこしばかりしていた(テープおこしの仕事は一年くらい前までしていた。いちばん最後のテープおこしは、五×寛之の仏教関係の話だったとおもう)。パソコンを買えば、ひょっとしたらすぐ原稿の依頼がまいこんでくるのではないかとおもったのだが、そんなことはなかった。ここには書いていないが、当時、金もないのに週三日くらい漫画喫茶に通っていた気がする。銭湯は週一回くらい。ほかの日はアルバイト先で風呂に入っていた。

 それにしても恥ずかしがり病って。

(……以下、「活字と自活」に解題、大幅加筆し、『活字と自活』本の雑誌社所収)

2008/03/26

あすなひろしが文庫に

 火曜日、洗濯、掃除、買物(OKストア)をすませ、夕方、杉並区役所に滞納していた区民税を払いに行くついでに阿佐ケ谷の新刊書店で、仕事の資料の雑誌を探すが見つからない。
 そのまま中野まで行く。
 阿佐ケ谷から中野まで自転車だとあっという間だ。
 探していた雑誌は、あおい書店にはなかった。でも三十分以上店内であれこれ立ち読み(あいかわらず新刊書の並べ方が素晴らしい)してから、はなまるうどんで食事(かけ小、唐揚、カボチャの天ぷら)。
 ブロードウェイ三階の明屋書店に、目当ての雑誌はあった。
 あおい書店と明屋書店が高円寺にあれば、といつもおもう。はなまるうどんも。

 そのあとタコシェに寄る。古本を五冊と『いましろたかし傑作短編集』(ビームスコミックス文庫)を買う。中身は『いましろたかし傑作短編集クール井上』(エンターブレイン)と同じ。上京して風呂なしアパート暮らしのころ、いましろたかしにハマった。とくに『ハーツ&マインズ』(集英社)所収の「ジャスティⅡ 山下兄弟怒りのまんが道」は傑作だとおもう。

 それにしてもビームスコミック文庫のラインナップはすごい。あすなひろしの『青い空を、白い雲がかけてった 完全版』(上・下)、『林檎も匂わない』、『いつも春のよう 増補版』もはいっている。
 あすなひろし作品は一通り持っているのだが、『いつも春のよう 増補版』はほしいなあ。再編集版では「ゆめの終わり」「ながれうた」が追加収録されているそうだ。

『いつも春のよう』の収録作では、「ラメのスウちゃん」が好きで、読むたびに涙腺がやられる。

《国電を降りて
 三つめの路地を
 曲がったところに
 赤ちょうちん「安芸」がある》

 この店では「ラメのスウちゃん」という中年のおばちゃんが働いている。そのスウちゃんが「若くて きれい……な頃」の遠い昔の恋が描かれているのだけど、あとは読んでください。ふだん漫画を読まない人にこそ、読んでほしい。

 山川直人の『コーヒーもう一杯』(エンターブレイン)の四巻も出てた。この巻の「本を読む男」、積まれた本の中に色川武大の「あの本」や菅原克己や木山捷平の詩集がさりげなく描かれている。
 そのあとブロードウェイ二階の古書だるまやで、三好豊一郎『内部の錘 近代詩人論』(小沢書店)、小島政次郎『明治の人間』(鶴書房)など。古書だるまや、店は大きくないけど、かならず何か買ってしまう。

 三好豊一郎の本は、黒田三郎資料——。
 黒田三郎のことを同じく「荒地」のメンバーだった三好豊一郎が記しているのだが、抑えた筆致にすごみがある。

《わかっているのは、黒田の飲酒と並外れた酔態であるが、黒田は随分睡眠薬の世話になってその服役状況も光子さんが心配するほどだったから、飲酒も味覚のみでなく、酔わずにいられない衝迫を、心のどこかにいつも感じていたのだろう》(「荻窪清風荘時代の黒田三郎」)

 また詩が読みたくなってきた。

2008/03/25

酩酊読書

 先日、疲れていたのは、からだの調子があんまりよくないのに飲みすぎたせいだ。胸の右側が痛くなる。心臓は左だから大丈夫かな、とおもうが、ちょっと心配だ。

 土曜日、神保町のヒナタ屋で開催した石田千さんと『彷書月刊』の田村治芳さんのトークショーに行って、ひさしぶりに元書肆アクセスの畠中理恵子さんに会い、いきなり「ごめんなさいね」と謝られてしまったのだが、畠中さんにはお世話になりっぱなしで、なんで謝まるのかまったくわからなかった。

 先日、自称「古本労働者」のTさんが「俺は、三日酒を飲まなかったからアル中ではない」といっていた。それで三日くらいわたしもやめてみようかなとおもっていたのだが、その決意は十六時間しか続かなかった。Tさんとは「仕事中に酒を飲むようになったら危ない」という意見で一致した。

 家で仕事しているから、いつでも飲もうとおもえば、飲める。ウィスキーをちびちびなめるくらいなら、大丈夫だろうとおもって書くと、酔っぱらって、やたら文章がくどくなり、あとで読み返すとめちゃくちゃだったりするので、お金をもらっている原稿を書くときは飲まないように気をつけている。

 いつもはうちでも外でもサントリーの角の水割を飲む。でも今、家になぜかジョニ黒がある。買ったおぼえがないから、誰かのお土産(※)だとおもうが、もしかしたらこの酒はかなりうまいかもしれない。でも「オレが好きなのは角だ」と自分にいい聞かせる。

 自分の好きな酒をけなされると腹が立つのはなぜだろう。大昔の話だが、「角が好きだ」といったら、「あんな酒、よく飲めるねえ」みたいなことをいわれて、大喧嘩をしてしまったことがある。ただの好みだろ。好みでいえば、わたしもビールが飲めない。だからといって、ビールを飲む人に「あんな酒」とはいわない。こんなことは当たり前だとおもっていたが、案外そうじゃない人が多くてときどきビックリする。

 すこし前に、神田伯剌西爾の竹内さんに、わたしは家でインスタントコーヒーをアイスコーヒーにして(約一リットル)、冷蔵庫に常備しているという話をした。すると竹内さんは、「インスタントはフリーズドライなんたらで作っているから、おいしいんですよ」といって、さらにインスタントコーヒーをうまくする方法を教えてくれた。
 ちょっと濃い目に作って氷をぶちこんで、すぐ冷やすといいそうだ。

 鮎川信夫は、酒が飲めず、コカコーラを飲んでいたと、昔、新宿ゴールデン街のナベサンで教えてもらった。わたしはコカコーラが飲めない。
 それはともかく、好きな作家よりも好きな詩人がけなされると、カチンとくる。自分のことをけなされるよりも腹が立つ。なんなんだろうね、この心理は。

 意味もなくだらだらと書いているのは、酔っぱらいながら中村光夫の『文學の回帰』の中の武田泰淳の『森と湖のまつり』について論評を読んでいたら、こんな文章があって、考えこんでしまったのだ。

《氏の小説は、ほめるわけには行かないし、しかも言いたいことは澤山あるので、自然惡口を並べることになるのですが、世間には惡口さえ言いたくない小説がたくさんあります》(「森と湖のまつり」)

 中村光夫は一九一一年二月五日、武田泰淳は一九一二年二月十二日生まれで、一つちがい。ほぼ同世代の人間である。わたしは『森と湖のまつり』は、傑作だとおもっているのだが、今、行方不明になっている。たぶん文庫を二冊持っているはずなのだが、見当たらない。
「この小説で、作者が本當に額に汗してとりくんでいる問題はただひとつしかないので、それは藝術家の現代社會における存在理由です」という批評は、わたしも同感だ。
 しかし中村光夫は「私小説の直接の延長の上」で書かれたことが気にくわない。

《この「藝術家」を主人公とした小説に、作者の制作の生理が少しも告白されていなかったら、すべては空しい假面にすぎません》

 それゆえ、この作品を「傑作」のように騒ぐのは日本の文学あるいは作者の才能にたいする「侮辱」であり、このていどで「いい氣になられては困る」という。そして中村光夫の次の言葉にくらっときた。

《僕は利口すぎる人間は自信がないという俗説は信じません。自信を持たない、少なくとも持とうと本氣で努力しない人間の利口さにはどこか缺けたところがあるのです。自信のないことを、自分が利口な證拠と思っている人間の自己満足くらい不潔なものはありません》

 自信とは「自分が何をしているかはっきり知ること」だという。

 わたしは酔っぱらいながら、自分が何をしているか知ろうとした。
 酒を飲みながら、文章を書いている。こんなことをやっていてはいけないとおもった。

(※)某酒乱が我が家で暴れたおわびに置いていったようだ。

2008/03/24

廃物

 日曜日、一日中寝ていた。背中がだるくて、すこし熱っぽかった。
 ずっと寝ていたら、すっきりした。
 全力で休まないと、気力と体力が戻らないからだになってしまった。
 ひとつのテーマを追うことが、しんどくなっている。昔は努力なんかしなくても、追いかけ続けることができた。本を読みはじめたら止まらなくなり、仕事が手につかなくなった。
 今はわざと自分を追い込まないと、そんなふうにはならない。

『現代作家論』の「作家論について」で中村光夫は、「孫みたいな作家の書いた小説にまともにぶつかる情熱は誰にでも与えられる天分ではないし、時代のジャーナリズムに興味を失った批評家とは、自分の存在理由を否定した廃物にすぎないのです」と愚痴をこぼしている。

 ここのところずっと持続の問題のことを考えていた。
 日々の暮らし、あるいは仕事は、効率よくやっていくと楽なのだが、それだけではだめだろうなとおもう。
 面倒くさいこと、ややこしいこと、自分の中ではっきりとした答えの出ないものに取り組んでいかないと力がつかない。
 暇ができたら、といっているうちに、時間はすぎてしまう。

 ところで、『現代作家論』の翌年に出た『文學の回帰』(筑摩書房、一九五九年刊)の「ふたたび政治小説を」の出だしは、こんな文章からはじまる。

《文藝評論はこのごろ書きにくくなりました。僕が小説を頭から眞にうける年齢を少しすぎてしまったせいかも知れませんが、それだけはありません》

 中村光夫によれば、マスコミの発達によって、作家は読者に仕える奴隷になった。読者からの作家を高める声も聞こえなくなった。
 中村光夫は「文學者はいても文學はない時代」だと指摘する。
 そして現代作家は、ほんとうは書きたいことがないのに、注文があるから無理して書いている、自分のテーマを追求している作家は例外だという。

《今日さかんに仕事をしている作家に、文學を信じているかと問いかけたら、まともに返事する人はほとんどいないでしょう。こんな質問が愚問に聞こえるのが現代です》(「ふたたび政治小説を」/『文學への回帰』筑摩書房、一九五九年刊)

 わたしはというと、文学を信じていた、と過去形にしてしまいたくはないが、「頭から眞にうける年齢」ではなくなりつつある。
 もう小説を読んだくらいでは、人生観が変わったりはしない。とはいえ、自分の考え方は、これまで読んできた文学からものすごく影響を受けているのも事実である。
 適当なところで世の中と折り合って、毎日楽しく暮らしていけたら、それでいいんじゃないかとおもう。
 楽しく暮らしていても、からだや心が弱ることもあるわけで、そんなときだけ文学の力を借りている。
 小説やエッセイや漫画を読んで「頭から眞にうける」ことはすくなくなったが、それでもときどき、後頭部のあたりがピリピリしびれたりすることがある。詩を読んだり、音楽を聴いたりしていて、ぞくぞくすることもある。

 こういうのは琴線にふれるというのかな。でも、気まぐれだからな、琴線は。

 ここまで書いて、時計を見たら朝五時。資源ゴミを出しに行くと、雨が降っていた。道で百円玉を拾い、そのままセブンイレブンに行ったら、おむすび百円のフェア中だった。おなかが空いていたわけではないが、直巻きおむすびの鮭いくらを買った。

2008/03/22

負け酒

 池袋往来座「外市」の売り上げ対決でわめぞ絵姫の武藤さんに負けて、石田千さんの『山のぼりおり』(山と溪谷社)の刊行記念トークショーのとき、古本酒場コクテイルで飲み放題ということになった。コクテイルなら、五千円くらいにしかならんだろうとタカを括っていた。トリス一杯二百五十円、料理もほとんど五百円以下。客のほうが心配して「値上げしたら」と気をつかうような店なのだ。
 ところが、ムトー画伯の飲み代は九九〇〇円。今年十年目を迎えるコクテイルにおける、ひとりのお客さんの飲み代としては空前の記録だという。

『山のぼりおり』は、飲み仲間の好青年、五十嵐雅人さんの単行本初仕事。著者も編集者もカメラマン(坂本真典さん)も、みんなからだを張って、汗を流して、寒さにふるえて、共同作業で作った。装丁は緒方修一さん。

 わたしも山のぼりをすすめられたのだが、人一倍寒さに弱いので無理かも。でも富士山の山小屋の主人がいった「へとへとになったときに、見つかる答えというのがあるんです。登山は、じっくりと考えたり発見したりするいい機会なんです」という言葉には、かなり魅かれるものがあった。
 あと山で食うラムネ(駄菓子)は、うまいそうだ。お試しあれ。

山と溪谷社のホームページにイベント三連発&三月二十七日(木)の「石田千×佐々木美穂さんトークショー」の告知が出ています。
※http://www.yamakei.co.jp/event/event080320.html

それから四月九日(水)〜二十日(日)に大阪の「いとへん Books Gallery Coffee」で開催の「日曜おんな 武藤良子展」の告知も。
※http://www.skky.info/itohen/gallery/mutoh.html
         *
 翌日、仕事の帰りに早稲田で途中下車、古書現世に寄って、ムトー画伯の食いっぷりの件で向井さんに愚痴をこぼす。
 本を数冊買う。そのうちの一冊は、中村光夫の『現代作家論』(新潮社、一九五八年刊)。
 ちょうど『想像力について』(一九六〇年刊)のすこし前の本を読みたいとおもっていたところだった。
「書き込みがあるからこれはいいですよ」とおまけしてもらう。そういえば、わたしが持っている中村光夫の本は線引き本が高い。

 さっそく高田馬場の行きつけの喫茶店のエスペラントで読む。
『現代作家論』の「作家論について」は、まさに「ここいうのが、読みたかったんだよ」とおもっていた文章だった。

《四十歳が批評家にとって大きな迷いの齢であることはたしかなようです。青年時代は僕等はひとからあたえられてすますことができるが、老年は自分でつくらねばなりません。この移りかわわりの時期に、批評家の経る危機が他の文学者より深刻なのは、元来が他人のことをあげつらうのが商売である僕等が、いやでも自分というものにぶつかり、それを処理することが迫られるからです》

 わたしは今年三十九歳、来年四十歳になる。正直、今までの仕事の仕方(本を読んで文章を書く)に、迷いが出てきている。できれば本に頼らず、もっと自分の言葉で書きたいとおもうようになったきた。
 中村光夫を読みはじめたとき、なにかそのためのヒントがあるかもしれないという予感があった。
 ただ、あまりの知識、教養にひるんだ。なかなか性格もつかめず、読めば読むほど、遠い人におもえた。

《やりきれなくなるのは、日々需要があるがままに書いている時評、解説などの雑文がはたして自分の仕事といえるかどうか、いかに生活のためでもそういうことに残り少い生涯の時間を費やしてよいものか、二葉亭の言葉をもじって云えば、「文芸批評は男子一生の事業なりや」という疑問が心を曇らしがちなのは、どの職業にもある中途の迷いというものなのでしょうか》(「作家論について」)

 中途の迷い。おもいあたることがありすぎる。
 山に登って、人生を考え直したい。

2008/03/21

中村光夫と尾崎一雄

『想像力について』は、四十代後半の中村光夫が、まもなく五十歳になるというころに書いたものだ。中村光夫は逍遥、藤村以来の日本の近代文学を根本から考え直そうと試みていた。

《日本の近代文学も、その結果だけを見た人が単純に考えるように、今日僕等の眼前にある姿が予定されていたわけではない、それぞれの時代に多くの人々がおのおのの可能性を夢見、現実と闘った結果が、今日の軌道を描いているにすぎない。その発展を社会史的に必然とする見方はむろん成立つけれど、その必然は多くの可能性の犠牲の上に、始めて実現されたものだ、ちょうど個人の一生が現実に辿った行路は彼が他の可能性を捨てた結果であるように》(批評の使命)

 それからしばらくして中村光夫は小説を書きはじめる。自分の捨てた「他の可能性」を試したかったのかもしれない。
 何かを選択すれば、何かを失う。失った可能性のことを忘れながら、生きているようなものだ。選択によって、自分のおもいどおりの人生を作るのはむずかしい。
 才能とは、適切な選択や決断ができることかもしれない。その選択か正しいかどうかはすぐにはわからない。軽はずみや勘違いの選択、あるいは人にいわれるがままの選択であっても、選んだことには変わりない。

 文学にかぎらず、何かしようとおもってはじめる。あとはそれが続くかどうか。
 いろいろな可能性を試したい気持もあるが、そうすると、今度はなにもかも中途半端になってしまうのではないかと不安になる。

 中村光夫が「文学と世代」で、長生きしてりっぱな仕事をした人の「思想」と「信念」の話も、結局、持続の問題とつながってくる。

《自分が自分であるという気持、これは別にエゴイズムでも傲慢でもなくって、ほんとうのところ、そうなんだから仕方がないという気持、そういうものを持つことが必要じゃないかと思うのであります》

 五十歳前の中村光夫は、若いころは無限に何でもできそうだとおもっていたが、もはや「偉大な芸術作品」みたいなものを残すことはできそうにないとかんじている。それでも「自分が自分である」という信念を持とうとする。
 この文章を読み、わたしは「尾崎一雄の私小説みたいだな」とおもった。

《「こんなことをして小説を書いたとて、それが一体何だ」そう思うと、反射的に「いや、俺はそうでなければいけないんだ」と突き上げてくるものがある》(尾崎一雄『暢気眼鏡』新潮文庫)
          *
「思想」と「信念」のことを考えつつ、尾崎一雄の随筆をパラパラ読みはじめる。

『わが生活わが文學』(池田書店、一九五五年刊)に「気の弱さ、強さ」という随筆がある。

 尾崎一雄の縁類の画家にSというそろそろ四十になろうという男がいる。このごろ、仕事がうまくいかないと悩んでいる。Sは素直な男だ。尾崎一雄は、Sの気立てのよさに好感をもっているのだが、その性格が仕事上のわざわいにもなっているのではないかと考える。

《Sは、友人や先輩に自分の仕事を批評されると、それをそのまま受入れる。批評は、ほめられるよりも、くさされる方が多いらしい。くさされると、Sは、なるほどと思ひ、その点を直さうとする。それまでの自分の方針を否定して、やり直したりする。
 私は、そんなことをしてゐたら、キリが無いんぢゃないのか、と考へる。批評する人は一人ではない。いろんな人にいろんなことを云はれ、それをいちいち、もつともだ、と思つて、相手の批評、あるひは忠告通り、自分の仕事を直さうとしてゐたら、結局何もできなくなつてしまふではないか——とさういふことをSに云つてやつた》

 そしてSは「なるほどさうですね」とうなづく。そうやってすぐ人のいうことにうなづいてしまうことが問題なのだから、すこしは抗弁したらどうなんだ、と尾崎一雄は歯がゆくおもう。

《独自の作風を打ち出した作家は、他人の云ふことなど気にしない、あるひは鼻であしらふ一面を有つてゐると思ふ》

 これもまた中村光夫の「自分にとにかく絶対のもの、何がきてもびくともしないだけのもの」をつかまなきゃいけないという話とつながる。

 頑固に自分を貫けばいいという話ではない。忠告を受け入れるにせよ、ただただ素直にそれを聞くのではなく、抵抗すべきところは抵抗しながら自問自答し、ほんとうに納得のいった意見だけを「選択」する必要がある。

……もうすこしこの話は続けたいのだが、疲れたので寝る。

2008/03/19

りっぱな仕事

 中村光夫の『想像力について』は、考える材料の宝庫のような本だと書いた。ただ、この本におさめらた文章の多くは、ある人物による批判への反論の形で書かれたものなのだが、わたしはあえて論争の要素を無視して読んだ。今、自分の考えたいことを考えるのに、この論争の部分はちょっと邪魔だったのだ。

 この本の巻頭の「文学と世代」は、世代論からはじまる。ある時代にすぐれた仕事をした作家は、かならず次の世代に批判される。だからといって前の世代がくだらないとはかぎらない。
 また文学の歴史を見ると、子どもが親の世代を不当なくらい批判するが、孫は祖父の時代を賛美する傾向があるらしい。
 中村光夫はあるていどの齢になって、自分の限界、自分の命の短さを意識するようになってから、いろいろなことがわかってきたという。

 人生をどうやったら一番りっぱに生きられるかということには「現代もヘチマも」ない、われわれにとっての真剣な問題だと述べ、それから「長生きしてりっぱな仕事をしてきた人」のことを分析しはじめる。

《長生きしてりっぱな仕事をしてきた作家は、必ず何度も何度も、いわば世間から生き埋めにされたような目にあって、その生き埋めの運命に堪えてまた復活しています》

 この「生き埋め」という言葉は、森鷗外が二葉亭四迷の追悼文でつかっていたのだそうだ。
 鷗外も、文壇から疎外されていた時期があった。永井荷風もそうだった。
 武者小路実篤も昭和の初め「非常にひどい生き埋め」にあった。
 新しい村の運動が失敗し、人道主義は古いといわれ、かつては拝むようにして武者小路実篤の原稿をもらっていた出版社が、原稿を持ち込んでも載せなくなった。
 それで武者小路実篤は、大衆雑誌に二宮尊徳や孔子の伝記などを書く。それからまた復活した。

《こういうふうに、生き埋めという運命に堪えるということをやった人、これをやるだけの何か自分の身についた思想というものをつかんだ人、こういう人たちがほんとうに意味のある仕事を、明治以来の文学で残してきた。さっき私が言いました自分にとにかく絶対のもの、何がきてもびくともしないだけのものを、自分の生活に関しては、つかまなきゃいけないが、それと同時に、この生活、こういう自分の信念が、必ずしも世の中に受け容れられるとは限らない、だから他人がどう考えるということは、自分にはどうにもできないことだから、それに対しては寛容になろう、その代り自分の信念は動かすまい、こういうふうに、今あげたような作家はみんな考えていたと思うのです》

 生き埋めだけでなく、生前はずっと評価されず、没後何年も経ってから復活する作家もいる。やっぱりそれも「これをやるだけに何か自分の身についた思想」をもっていた人なのだとおもう。
 ではそうした「思想」や「信念」は、どうやって身につけたのか。
 それが知りたい。その中身も知りたい。中村光夫はそういうことをあんまり説明しない。
 自分で考えるしかない。わたしが身につけたもの、動かすまいとおもっているものは何だろう。
 ひとつは仕事がいやになるような仕事はしないということである。
 いやな仕事をしないというのは、なかなかむずかしいのだが、結局、そういう仕事は続けられない。どうすれば、仕事がいやにならないか。
 希望をいえば、休み休み、充電しながら、仕事を続けたい。古本屋通いができないほど忙しくなると、ほんとうに仕事がいやになる。
 何があっても本を読む時間と睡眠時間は確保する。あと家事を手ぬきしない。
 いろいろ考えているうちに、「思想」や「信念」よりも「生活」や「寛容」という言葉のほうが大事なような気がしてきた。

 中村光夫の結論らしきものとは、違うのだが、それはいずれまたの機会に。

2008/03/18

ないものねだり

 仕事が忙しかったり、気力が萎えていたりして、しばらく中断していたが、またぼちぼち中村光夫を読みはじめる。すこし前に『想像力について』(新潮社、一九六〇年刊)を読んだのだが、今の自分にとって考える材料の宝庫のような本だった。おかげで考えがとっちらかってしまった。
 この本の中で、中村光夫は「ないものねだり」が批評の本質だと述べている。

《文学もまた——すべての芸術と同様——「ないものねだり」から始まるのですが、そのねだる対象は、詩、小説、批評でそれぞれちがいます》(批評の使命)

 作家は現実にないものを「ねだる」が、批評家は文学にないものを「ねだる」のだそうだ。
 時とともに、これまでの文学になかったものは次々と書かれる。それでも書かれていないものがある。じゃあ、それを探すことが批評なのか。それを書くことが文学なのか。

 すこし前に「欲」のことを書いたが、そういう意味では、十代二十代のころと比べて、わたしは「ないものねだり」をしなくなってきた。充たされた生活とはいえないが、仕事がなくて食うや食わずという状況ではない。あといろいろ諦め癖がついてしまった。
「ないものねだり」も書くと、けっこう気がすんでしまう。しかし、書いても書いても、しっくりこない、言い尽くせないものも残る。それと同時に新しい「ないものねだり」が出てくる。

 自分の中で、本を読みながら、十代二十代のころのような読書の感激を味わいたいというのも「ないものねだり」だろう。自分の考えや感じ方が、一冊の本を読んで変化する。年々そういう読書は、減るいっぽうだ。活字への飢えそのものがなくなってくる。それでますます「ないものねだり」の難易度が上がる。ちょっとやそっとの名作では満足できなくなる。

 わたしが田舎から上京した理由も「ないものねだり」という言葉で説明できてしまう。田舎にはない大きな書店や古本屋のある町に住みたかった。「文学にないもの」というより、都会にあって田舎にないものをねだっていたわけだ。
 それから二十年近く東京で暮らすようになって、こんどは都会にないものに憧れる。
 失業中は仕事がほしいとおもい、仕事が忙しくなると、休みがほしくなる。
 キリがない。

2008/03/17

西荻窪

 日曜日、昼起きて、西荻窪の昼本市に行く。最初、自転車で行くつもりだったが、たぶん飲むから、帰りが面倒だとおもい、電車で行く。
 ムトーさんと退屈君が並んで本を売っている。さっと一巡して、音羽館に行こうとしたところ、岡崎武志さん、Y&Nさん、元八重洲古書館のKさんらと遭遇し、物豆奇でコーヒーを飲む。けっこう長く喋った。
 西八王子にできた古本屋の話、老後の話、岡崎さんの文章が高校の入試問題になった話、Kさんの就職先の話などなど。
 コーヒー代をはらったとき、財布に千円ちょっとしか金が入っていないことに気づく。
 郵便局に行って、そのあとラーメンを食ったら急に眠くなり、午後四時前に帰宅し、午後十時すぎまで寝る。
 寝すぎた。

2008/03/14

告知あれこれ

『spin 03 佐野繁次郎装幀図録』(みずのわ出版)と『足穂拾遺物語』(高橋信行・編、青土社)と石田千著『山のぼりおり』(山と溪谷社)が届く。
 うーん、こんなに読みたいものが一度に来るなんて。

 石田千さんとは、今月二十日(木)に刊行記念のトークショーを高円寺の古本酒場コクテイルでします。予約状況はどうなんでしょう。終わったあとも、しばらく飲んでいるので、近くの方はぜひ。

『山のぼりおり』はインターネットを駆使して、登ったことのない山(富士山以外、全部)を見たり、わからない花やキノコの名前(ホソバウルップソウ、アメリカウラベニイロガワリ……)を調べながら読んだ。こういう読書もおもしろい。

『足穂拾遺物語』は、前に「いつ刊行になるかわからない」と書いてしまったのだが、予定通り出ました。頁なかほどの「初出媒体書影集」を見て、ため息。
 扉野良人さんから、刊行記念イベントの案内メールが届いたので、転載します。

■■『足穂拾遺物語』ライヴ・ツアー in KIOTO
出演=高橋信行、高橋孝次、羽良多平吉、郡淳一郎、木村カナ、扉野良人
2008/3/17(月)/開場=18:00/開演=19:00
予約=1,500円+1drink/当日=2,000円+1drink
会場=UrBANGUILD アバンギルド(http: //urbanguild.net/)
京都市中京区木屋町三条下がるニュー京都ビル3F
(京阪三条から西へ進み木屋町通りを南に約150M)
予約=UrBANGUILD LIVE予約(http://urbanguild.net/live/live.frame.html)
主催=knothole

■■同時多発開催
『足穂拾遺物語』刊行を記念して、ガケ書房、恵文社一乗寺店で、稲垣足穂アート&ブック・フェアを同時開催します。

■ガケ書房PRESENTS
稲垣足穂になるのです
3月15日(土)〜3月31日(月)
http://www.h7.dion.ne.jp/~gakegake/index.htm

(出品作家)
松江直樹=足穂の埴輪
滝町昌寛=足穂マッチ
吉田稔美=足穂ピープショー
細馬宏通=立体写真に関する小冊子
雨林舎=チョコレート碑
SPORE木戸=きのこ覗きスコープ

■恵文社一乗寺店PRESENTS
TAROUPHO LIVRE FRAGMENT
3月13日(木)〜4月8日(火)
http://www.keibunsha-books.com/

(出品作家)
戸田勝久=立体作品
鳩山郁子=グリーティング・カード、イラスト・ボード
書肆ユリイカ版『稲垣足穂全集』7冊揃
etc.

『spin 03』は今回カラー頁あり。佐野繁次郎の図録は圧巻の一言。さらにこの号は、昨年、神戸の海文堂書店で行われた畠中理恵子さん、近代ナリコさんの対談(「本と女の子の本音?」書肆アクセス閉店をめぐって)も収録。
 北村知之さんの「エエジャナイカ3」、点滴をうちながら、ニック・ホーンビィの『ハイフィデリティ』(新潮文庫)を読むくだりがたまらん。この小説、わたしの愛読書でもある。レコードマニアの話。古本好きが読んでも、きっと身につまされるとおもう。映画も観たけど、あれはやっぱり舞台はアメリカじゃなくてイギリスじゃないと。

 これから確定申告。年にいちど電卓をつかう日。