2018/11/29

『喫茶品品』レコ発

 月曜日、起きたら午後三時すぎ……と焦ったら、しばらくして時計を見たら午後二時。一時間得した気分になる。
 夕方、吉祥寺。スターパインズカフェ。世田谷ピンポンズの『喫茶品品』のレコ発ライブの前によみた屋に寄ると岡崎武志さんとバッタリ。街道関係の図録三冊。たまたま探していた本が見つかる。

 この日のライブは、たけとんぼの演奏も世田谷ピンポンズの曲を素材にしつつ、全員が楽しんで演奏していたかんじがした(うまいだけじゃく、絵になる)。ドラム以外の楽器が入れ替わる。なんでこんなに七〇年代や八〇年代の音の質感を表現できるのか不思議でしょうがない。
 世田谷さんもこの一年レコーディングを通して大きな変化があった(気がする)。角がとれつつ、弾けている。これまでのフォークの枠からはみだす部分が、バンドによって形になった。音楽の幅が広がった。すべての曲がよかった。アンコールまであっという間だった。でも長年(ほぼ)ひとりでずっとやり続けきた核があったからこそ、今があるようにもおもう。
 同時代の音楽との比較の中で作られた音とはちがう妙な独自性がある。

 ライブのあと居酒屋。さらに高円寺に帰り、ペリカン時代。かなり酔っぱらう。

2018/11/25

古書会館

 金曜日、久しぶりに東京古書会館。岸井良衞著『街道散策』(毎日新聞社、一九七五年)など、街道本たくさん買う。そのあと神保町の某古書店で『東海道宿駅設置四〇〇年記念 歴史の道〜東海道〜』(豊橋市美術博物館、二〇〇一年)を見つける。この一冊だけで古書会館で買った十冊分と同じくらいの値段だったが、買う。

 最近、アマゾンの中古本で値段は「一円」で送料が「千八百円」という表示の仕方をよく見かける。「引っかけてやろう」という意図をかんじる。どんなにほしい本でもそういう出品者からは買いたくない。

 話は変わるが、大岡昇平の『小林秀雄』(中公文庫)を読んでいたら「江藤淳『小林秀雄』」というエッセイの中にこんな文章があった。

《わたしは小林の無名時代の断片を偶然持っていたので、その一部を氏にまかせた。わたし自身、いつか小林論を書くつもりであったが、ほかに仕事を持っているので、いつのことになるのかわからない。資料をいつまでも死蔵しておくのは、小林秀雄が共通の文化財産になりつつあるこんにち、公正ではないのではないか、という自責を感じることがあった》

 文中の「氏」は江藤淳のこと。さらっと書いてあるが、自分が大岡昇平の立場だったら、おそらく世に出回っていない貴重な資料を若い書き手に託せるだろうか。
 初出は一九六二年一月の『朝日ジャーナル』。大岡昇平五十二歳、江藤淳二十九歳だった。

 あと何年今の仕事を続けられるのかと考えたとき、使わないまま死蔵してしまいそうな資料をどうしたものかと悩む。すでにこの先仕事につながりそうにないジャンルの本は整理してしまった。古本の世界に本を戻す。まわり回って誰かの手元に届く。それでいいのではないか。
 これまで集めた本を残しながら、新しい分野に取り組むのはむずかしい。ただし、こうした制約はかならずしもマイナスではない。制約があるから絞り込む必要が生じ、限られた時間の中でやりたいことが見えてくる……ということもある。

 そんなことをおもいつつ、土曜日、西部古書会館に行った。

2018/11/23

四十九歳

 先週の土曜日、滋賀(草津宿など)をまわって京都へ。古書善行堂の隣のゴーリーの一箱古本まつりに顔を出し、夜はアフリカ音楽の店(?)で東賢次郎さんのDJ。知らない曲ばかりだったが、おもしろかった。
 高松から『些末事研究』の福田さんも来て、東さん宅に宿泊し、朝から座談会。

 そのあと翌日は岐阜をまわって郷里の家へ。岐阜と三重を結ぶ美濃街道も気になる。三重にいたころは滋賀も岐阜も地理上の距離よりも遠く感じていたが、今は近くおもえる。帰りはJR中央本線。恵那を歩いて塩尻に泊る。

 火曜日、旅行から帰ってきてパソコンが不調というか、メールの調子がよくない。
 コンピュータのおかげで便利になった分、不具合になると、いろいろな仕事が滞る。不具合の原因がわからないのも困る。

 ただこれまでのメールの不具合は、プロバイダー側が原因のことが多かった。焦っても仕方がないので飲みに行く。日付が変わったら、送信できるようになっていた。

 今月の中公文庫、大岡昇平著『小林秀雄』、武田泰淳著『新・東海道五十三次』——カバーデザインが渋い。『新・東海道五十三次』は、増補新版で自作解説、武田花の書き下ろしエッセイが新たに収録されている。旧版を持っていても買って損はないとおもう。
 もともと好きな本だが、街道旅行をはじめて以来、『新・東海道』のおもしろさは格段に増した。武田泰淳の父の出身が愛知県と三重県の県境のあたりで、いつか歩いてみたい。
 先月刊行された井伏鱒二著『七つの街道』(中公文庫)と『新・東海道五十三次』を読み比べるのもおすすめだ。

 どちらも思索と観察に「癖」がある。わたしの「街道文学館」は泰淳の『新・東海道』方式(地名を並べる)を真似した。

 今週、四十九歳になった。大人の休日倶楽部の入会資格の年齢まであと一年。待ち遠しい。

2018/11/17

前略、街道の上より

 web本の雑誌で連載の「街道文学館」の第二回が更新——。
http://www.webdoku.jp/column/gyorai_kaidou/

 ここ最近、ブログで街道の話ばかり書いていたが、連載がはじまってどうしたものかと悩む。旅の日程、ペース配分もむずかしい。
 もうすこし行き先をしぼり、ひとつの町に時間をかけたほうがいいのかもしれない。

 月一回くらいのペースで東京(高円寺)と三重(鈴鹿)を行き来する生活を送る中、この移動を利用して何かできないかと考えていた。
 その答えが街道の研究だった。その答えが正しいかどうかはわからない。移動しながら、知らないことを知り、わからないことを考える。行きと帰りで考え方が変わるかもしれないし、途中で飽きるかもしれない。

 まだどんな形になるのか、着地するのか見えていない。東京と地方、ふたつの場所からものを考える楽しさみたいなものはかんじている。東京の「当たり前」と地方の「当たり前」はちがう。その土地その土地で暮らし方もちがう。
 歴史を遡ると、さらに多様な暮らし方が見えて……きそうな気がする。

 今はそういうことがおもしろい。

2018/11/11

どんなふうにして

 金曜日、小雨、夕方、神保町のち中野。古本案内処の棚、あいかわらず楽しい。探しているジャンルの知らない本が見つかる。あとそこから派生してつながるジャンルの本に気づかされる。
 翌日、西部古書会館。「街道本」も入手済の本を見かけることが増えてきた。二度目に見る本はたいてい最初に買ったときよりも安い(だから値段は見ない)。

 仕事と読書の時間をどうするか。読みたい本と行きたい場所が増え、時間が足りない。といっても、酒飲んで本読んでだらだらしていた時期だって、時間が足りるということはなかったわけで、結局、できる範囲でやりくりするしかない。

 気分転換にアメリカ探偵作家クラブ著『ミステリーの書き方』(大出健訳、講談社、一九八四年)を読む。
 この本はミステリーの技法(プロットやアウトラインの作り方)の解説だけでなく、「いつ、どんなふうにして書くか」について多くの作家の意見を取り上げていて勉強になる。

 ジョン・D・マクドナルドはこんなふうに回答している。

《いつ何時間書くにせよ、自分のからだの機能とエネルギーのサイクルに合わせて、規則的に書かなければいけない。気分が乗った時に書くなどという作家は、物書きとして成功できないばかりか、人間としても成功できないように思う。(成功といっても金の面だけを言っているのではない)》

 アメリカのライター本は「規則」を重視する傾向がある。

 ロス・マクドナルドは「一日三、四時間、週五日、昼前後から始めて規則的に書く」といい、エリック・アンブラーは「一日五時間、毎日書く。日曜や祭日も休まず、早い時間に朝食を済ませてすぐに始める」と答えている。
 ドロシー・ソールズベリ・デービスは「わたしはなるべく、書きかけの状態で一日の仕事を終えて、翌日のとっかかりを残しておくようにしている」という。書けるだけ書くのではなく、書きすぎない工夫も必要なのだろう。

 気分が乗らなくても自分の決めた時間に規則正しく書く。どうすればそれができるようになるのか——の答えは見つからなかった。

2018/11/03

「街道文学館」開館

 夕方四時半起床。西部古書会館で図録数冊。
 前日は神田の古本まつりで筑摩書房の江戸時代図誌の未入手の巻、広重の図録などを買う。最近、大判の本ばかり買っている。

 web本の雑誌で「街道文学館」という連載がはじまりました。
http://www.webdoku.jp/column/gyorai_kaidou/

 十月中旬くらいにスタートする予定が、いろいろあって十一月になった。「日常学事始」以来のweb連載(月二回更新の予定)。一回あたりの分量は大雑把に書けるだけ書いていこうとおもっている。内容もなるべく雑多に、街道の話だけでなく、文学や漫画の話なども盛り込んでいくつもりである。
 四十代半ばすぎから、東京と郷里の三重を行き来する生活を送ることになって「何かできないか」ということをぼんやり考えていた。
 東海道の本からはじまり、中山道、甲州街道(甲州道中)と街道のことを徐々に知るうちに、どんどんおもしろくなってきた。日々、行きたい場所、読みたい本が増えていく。時間がいくらあっても足りない。

 もうすこし準備してから連載をはじめるつもりだったのだが、たぶん、街道初心者だからこその「驚き」みたいなものは今しか書けない気がしている。

2018/11/02

内藤新宿

 十一月。コタツ布団を出す。長袖のヒートテックも出す。
 すこし前に新宿(内藤新宿)を歩いた。甲州街道と青梅街道の分岐点(新宿三丁目)の付近に「追分交番」や「追分だんご本舗」という店もある。山田風太郎の『警視庁草紙』に内藤新宿という言葉が出てきて「内藤ってなんだ」とおもった記憶がある。そのときは調べず、読み飛ばした。

 内藤新宿の「内藤」は、高遠藩の内藤家屋敷があったから。今の新宿御苑も内藤家中屋敷である。
 元禄十一年(一六九八)に内藤新宿が開設されるまでは甲州街道の第一宿場は高井戸宿だった。

 新宿通り(甲州街道)を通って、新宿歴史博物館に行く。大人三百円。『特別展 内藤新宿』をはじめ、新宿歴史博物館の図録は何冊か入手していたのだが、いいパンフレットばかりだ。
 この日は『内藤新宿 歴史と文化の新視点』というパンフレットを購入した。

 大久保の百人町には鉄砲百人組、八王子の千人町は千人同心がいた。八王子の千人隊は、江戸の火消し役としても活躍したらしい。

 神保町で買った江戸時代図誌の『中山道 一』(筑摩書房、一九七七年)を読んでいたら、徳川家康が甲州街道(甲州道中)を五街道のひとつにした理由を「甲府城をいざというときの避難地と考えた」としている。江戸時代図誌シリーズは、中山道の巻に甲州街道や青梅街道も含まれている。

《(甲府は)富士川を下った駿府と連絡することもできれば、諏訪を経て中山道に出る方法もあった》

 この秋、高円寺に引っ越して二十九年になった。
 JR中央線沿線に住むようになって「この電車を乗り継いでいけば、名古屋まで行けるんだな」とおもったが、今年の夏までJR中央線(中央本線)で郷里に帰省したことがなかった。時間はかかるけど、快適なルートだった。甲府や塩尻も好きになった。

 東京も知らない町ばかりだ。
 新宿と四谷はけっこう近い。