十一月。コタツ布団を出す。長袖のヒートテックも出す。
すこし前に新宿(内藤新宿)を歩いた。甲州街道と青梅街道の分岐点(新宿三丁目)の付近に「追分交番」や「追分だんご本舗」という店もある。山田風太郎の『警視庁草紙』に内藤新宿という言葉が出てきて「内藤ってなんだ」とおもった記憶がある。そのときは調べず、読み飛ばした。
内藤新宿の「内藤」は、高遠藩の内藤家屋敷があったから。今の新宿御苑も内藤家中屋敷である。
元禄十一年(一六九八)に内藤新宿が開設されるまでは甲州街道の第一宿場は高井戸宿だった。
新宿通り(甲州街道)を通って、新宿歴史博物館に行く。大人三百円。『特別展 内藤新宿』をはじめ、新宿歴史博物館の図録は何冊か入手していたのだが、いいパンフレットばかりだ。
この日は『内藤新宿 歴史と文化の新視点』というパンフレットを購入した。
大久保の百人町には鉄砲百人組、八王子の千人町は千人同心がいた。八王子の千人隊は、江戸の火消し役としても活躍したらしい。
神保町で買った江戸時代図誌の『中山道 一』(筑摩書房、一九七七年)を読んでいたら、徳川家康が甲州街道(甲州道中)を五街道のひとつにした理由を「甲府城をいざというときの避難地と考えた」としている。江戸時代図誌シリーズは、中山道の巻に甲州街道や青梅街道も含まれている。
《(甲府は)富士川を下った駿府と連絡することもできれば、諏訪を経て中山道に出る方法もあった》
この秋、高円寺に引っ越して二十九年になった。
JR中央線沿線に住むようになって「この電車を乗り継いでいけば、名古屋まで行けるんだな」とおもったが、今年の夏までJR中央線(中央本線)で郷里に帰省したことがなかった。時間はかかるけど、快適なルートだった。甲府や塩尻も好きになった。
東京も知らない町ばかりだ。
新宿と四谷はけっこう近い。