2018/07/19

暗がりの弁当

 先月、河出文庫から出た山本周五郎のエッセイ集『暗がりの弁当』を読む。
 夏バテ気味で何もする気になれないのだが、山本周五郎の随筆はすらすら、というか、だらだら読める。
「曲軒」というあだ名で知られ、頑固者のイメージが強い作家だが、「偏屈芸」といってもいような面白味がある(読者の期待に応えているかんじ)。

《私の場合は健康法というよりも、「仕事がらくにできるように」ということを主に、自己流の生活法をやっている》(行水と自炊)

 夏は朝めしまえに行水。朝めしは自分で作る。パンにベーコン、卵、生野菜。午前十時から散歩(四十分から一時間)。それから午めし(そばが多い)。仕事は午前四時に終わる(夜、机に向かうのは年に一、二回。徹夜はしない)。

「酒みずく」を読むと、飲みながら仕事をしていたようだ。

《朝はたいてい七時まえに眼がさめる。すぐにシャワーを浴びて、仕事場にはいるなり、サントリー白札をストレートで一杯、次はソーダか水割りにして啜りながら、へたくそな原稿にとりかかる》

《健康を保って十年生き延びるより、その半分しか生きられなくとも、仕事をするほうが大切だ》

 昼も飲む。飲みながら原稿を書き、夜も飲む。起きているあいだ、ずっと飲んでいる。心配になる。

 このエッセイの初出は一九六四年十二月。山本周五郎は一九六七年二月十四日、六十三歳で亡くなった。

《規則正しい生活を続けていると、人躯は同一刺戟によって活力を消耗しやすい。ときどきバランスをこわし、人為的に耗弱させれば、却って肉躯はそれを恢復させようとして眼ざめ、活力を呼び起こすのだ、というのが私の信念であり、こんにちまで大病もせず生きてきた》(思い違い)

 このエッセイも初出は一九六四年十二月。亡くなる二年前だ。わたしも自分の不規則な生活を正当化しがちなので気をつけたい。

(追記)
 すこし前に山本周五郎が戦時中に書いた短篇が発掘。今月発売の『山本周五郎コレクション 戦国武士道物語 死處』(講談社文庫)に収録された(未読)。

2018/07/18

猛暑日

 土曜日、夕方、中野の郵便局。桃園川緑道を歩いて高円寺に帰る。木陰があるせいか、少し涼しい。小猫がいっぱいいた。桃園川緑道は暗渠で、途中、古い橋の跡がたくさんある。

 日曜日、西部古書会館、大均一祭二日目(全品百円)。十三冊。ウイングス「ハイ・ハイ・ハイ」のシングルレコード買う。「ハイ・ハイ・ハイ」のシングルはジャケ裏返しバージョン(ポールが右利きになっている)が珍品として有名だが、今回買ったのは普通のバージョン。散歩用(?)の地図も買った。

 大均一祭三日目(全品五十円)。十七冊。この日の収穫は『歌川広重没後一三〇年 木曾街道六十九次展』(リッカー美術館、一九八八年)。入場券の半券もはさまっていた。ちょっと嬉しい。
 今年は広重没後一六〇年。広重の絵を見ていると、行きたい場所があちこちに出てくる。「東海道五十三次」と「六十余州名所図会」の図録もほしくなる。

 江戸以前は東海道よりも木曾街道(中山道)のほうが利用者が多かったという話を読んだことがある。東海道は、大井川や安倍川が難所(水が増すと通れなくなる)だった。中山道では、塩尻が気になっている。JR東日本と東海の境目あたり。昔は交通の要所で太平洋側と日本海側から馬や牛で塩を運んでいたらしい。塩尻は中山道と甲州街道の合流地の下諏訪とも近い。
 東京と三重を行き来するさいには東海道や中山道の通りすぎてきた場所になるべく寄りたい。

 二日で三十冊(レコード一枚も含む)も買うのは久しぶりだ。二千円ちょっとだが。

2018/07/14

くりかえし

 昨日、神保町で打ち合わせ。帰りは東京メトロ半蔵門線、東西線。中野から高円寺まで歩く。
 佐藤正午の作品を読むきっかけになったのは『象を洗う』(光文社文庫)だった。電子書籍ではじめて買ったエッセイ集でもある。
 この本の「自己紹介」では、時間の使い方について書いている。その中で「規律」という言葉が出てくる。

 わたしは大学を中退したあと、いちども定職につかず、フリーライターになった。長年、不規則かつ不安定な生活を送っているうちに、何かしらの規律がないと仕事を続けられないとおもうようになった。

 規律の大切さは、いろいろな作家が語っている。海外の作家の文章読本を読むと「毎日決まった時間に書いたほうがいい」というアドバイスが定番になっている。
 その規律が身になじむのに十年くらいかかった。といっても、不規則な生活をしていたころに考えたり悩んだりしたことが無駄になったわけではない。

 若いころから規則正しい生活を送り、規律が身についていたら、たぶん、大学もどうにか卒業していただろうし、フリーライターにならなかった可能性も高い。

『象を洗う』の「勤勉への道」も好きなエッセイである。同じような内容でも、書き方で印象はずいぶん変わる。それこそ、規律や勤勉について書かれた本は無数にあるが、読んでいるときの共感の度合、身にしみ方はまったくちがう。
 行間に、書き手自身の試行錯誤や自問自答がどれだけ含まれているか。最初から揺るぎない自信のもとに「ちゃんとしろ」といわれると受けつけられない。

 四十代の低迷期、この本に出てくる「生きることの大半はくり返し」という言葉を読んで気が楽になった。
 くりかえしもわるくない。むしろ、いいところもある。自分でも気づかないうちに、くりかえしによって培われているものがある。
 何度くりかえしても直らないこともある。日々反省です。

2018/07/11

『ビコーズ』の解説

 本日刊行の佐藤正午著『ビコーズ 新装版』(光文社文庫)の解説を書きました。

 私小説ではなく、私小説風というか、主人公と作者の経歴が似ている私小説っぽい仕掛けの作品である(ちょっと混乱している)。わたしは私小説が好きなので、この作品も大好きなのだが、ストーリー以前に文章が心地いい。細部まで作り込まれていて、時代(一九八四年ごろですね)の空気の切り取り方も絶妙で、読んでいるだけで楽しい。

 解説では『ビコーズ』と『放蕩記』の関係について、いろいろ言及しています。

 もともとわたしは五年くらい前に、佐藤正午のエッセイに傾倒し、それから小説を読むようになった。光文社文庫の『象を洗う』を電子書籍で読み、「この先、何度も読み返すだろう」と確信し、すぐ紙の本で買い直した。『ありのすさび』と『豚を盗む』で完全にまいった。

 このブログでも当時のことを書いている。

《毎日、インターネットで注文した古本が届く。届いた本の中には、自分の守備範囲外だった小説家のエッセイ集もある。
 キンドルで一冊だけダウンロードしたら、あまりにも好みの文章で「この二十年くらい何をしていたのか」と呆然としてしまった。
 その作家の名前は知っていたのだが、なぜ今まで手にとらずにきてしまったのか》(二〇一三年五月五日)

『ビコーズ』の執筆事情もいくつかのエッセイで知り、作品に興味を持った。何の予備知識もなく、読んでもおもしろいとおもう(そういう読書体験もしてみたかった)。しかし予備知識がなさすぎて、佐藤正午を知らずに過ごしてきた。直木賞受賞前の話である。

2018/07/09

古木親子

 昨日は夕方五時、今日は昼三時に起きる。部屋で西日本豪雨のニュースを見続けている。あまりにも広範囲すぎて、情報を把握できない。

 金曜、月曜のしめきりが多く、週末、家にこもりがちになる。久しぶりに荻窪へ。電車でたった二駅が遠くかんじる。
 夕方、ささま書店、タウンセブン。タウンセブンの近くのはなやで鶏だしのラーメン。昼酒組が何人かいて落ち着く。

 ささま書店で古木春哉著『わびしい来歴』(白川書院、一九七六年刊)を買う。古木春哉は古木鐵太郎の息子。
 佐藤春夫のこともいろいろ書いている。中村光夫や大岡昇平の批判にたいする擁護派だ。わたしは佐藤春夫の「うぬぼれかがみ」はまだ読んでいない。図書館に行きたい。
「わが出発」というエッセイを読んでいたら、父の郷里の鹿児島県の宮之城町(さつま町)に滞在せず、「私の生まれた高円寺の町をなぜか思い出しながら、バスが通り過ぎるままこの先の湯田温泉にその晩は一泊する」と書いている。

 表題の「わびしい来歴」では「私は少年の一時期を野方という町で過ごした。(中略)一家の私たちはその場末に、南に隣接する大和町から、さらに前をいえばその南にある私の生まれた高円寺の町から追われて来たのである」と記す。
 高円寺から北に歩くと、大和町、それから野方にたどりつく(徒歩圏内)。さらに古木一家は、野方の隣の鷺宮に移る。

 ささま書店で『わびしい来歴』を手にとり、函から出して頁をひらいたら「高円寺」の文字が出てきて買うしかないと……。

 古木鐵太郎は読もう読もうとおもいつつ、なかなか読めずにいた作家だった。息子の本を先に読むことになるとはおもわなかった。

2018/07/05

六十点主義について

 五年くらい前に刊行された本だけど、福満しげゆきの『遠回りまみれの青春タイプの人』(青林工藝舎)は、若いフリーランスの人が読んでも参考になる本ではないかとおもっている。

 このエッセイ集は、漫画家になるまでの「遠回り」を僻みとユーモアまじりの文章で綴っている。結局、凡才がデビューするには、才能よりも工夫、そして数なのだ。もちろん、福満しげゆきは単なる凡才ではなく、絵も文章も非凡なんですけどね。

 絵がうまい人はいくらでもいる。おもしろい話を作る人もいる。でもずっとコンスタントに描き続けられる人は、あんまりいない。本書の「プレッシャーで、なかなか描き出せない人は、60%理論で」は、漫画にかぎらず、あらゆるジャンルに通じる凡才向けの優れた方法論だろう。

 福満さんはマンガの制作は「60点くらいの出来…」でいいという。

《100点をめざすデメリットは「なかなか作品が仕上がらない」ことです。逆に言えば「100点を目指しても作品がジャンジャン仕上がる人」は、全然目指してもいいのです》

「100点の原稿」を「1年半」かけて仕上げるよりも「60点の原稿」を同じ期間に4本描いたほうがいい。なぜなら前者の100点より、4本目の60点のほうが「上になる可能性がある」と——。

 わたしも『日常学事始』(本の雑誌社)で「家事は六十点主義でいい」という回を書いたのだが、この福満理論とほぼ同じである。

《今の自分の家事力で「頑張ったな」とおもえるレベルを百点とすれば、だいたい六十点くらいをキープできれば合格です。長年、家事をやっているうちに、すこし手抜きをおぼえ、楽になる。(中略)今は六十点くらいの手抜き料理ですら、昔の百点よりおいしいものが作れるようになった》

 完璧主義から脱却したほうが、長続きするし、上達も早い。

 それから竹熊健太郎の『私とハルマゲドン』(ちくま文庫)の「人生六十点主義」という言葉が出てくる。二十代半ばのわたしはこの考え方にものすごく感銘を受けた。

《ある分野でプロを自称するためには、少なくとも八十点はコンスタントに取らなければプロとはいえない。それには何年も苦しい訓練を積まねばならないが、六十点くらいなら、そこそこ頑張れば素人でも取れる。そしてここが肝心なのだが、プロの六十点はけなされても、素人の六十点は褒められるのである》

 そこで竹熊さんは「プロの素人」として戦う道を選ぶ。

「六十点でいい」というのは、六十点が最終目標ではない。六十点でいいから、その分、無理なく続けて数をこなす。
 毎回、六十点くらいのものを目指しているうちに、たまたま頭がさえていたり、体調がよかったりすると、(今の自分にとっての)百点といえるレベルのものができることもある。

 昨晩、家で作ったチャーハンがそれだった。

2018/07/03

W杯雑感

 W杯、日本・ベルギー戦、惜しい、悔しい、いい試合だった。ベルギー、巧いし、速いし、デカいし、バテない。
 延長までもつれていたとしても、かなり厳しかった気がする。交替枠は日本のほうが残っていたけど、へとへとだった(観戦していたわたしも)。
 日本代表は強くなったとおもうし、しぶとくなった。
 決勝トーナメントで勝ち上がっていくには、グループリーグで燃え尽きるような戦い方をしているうちはむずかしい。賛否両論あったし、賭けの要素もあったが、三戦目で主力を温存する作戦をとることができた。この経験は大きいとおもう。
 勝てそうな試合を勝ち切るのは大変だ。
 あのパスが、あのシュートが、あのファウルが……。そうした悔しさを積み重ねてすこしずつ強くなっていくのだろう(経験値がリセットされてしまうこともよくある)。

 今日はターンオーバーの日にする。