2018/07/09

古木親子

 昨日は夕方五時、今日は昼三時に起きる。部屋で西日本豪雨のニュースを見続けている。あまりにも広範囲すぎて、情報を把握できない。

 金曜、月曜のしめきりが多く、週末、家にこもりがちになる。久しぶりに荻窪へ。電車でたった二駅が遠くかんじる。
 夕方、ささま書店、タウンセブン。タウンセブンの近くのはなやで鶏だしのラーメン。昼酒組が何人かいて落ち着く。

 ささま書店で古木春哉著『わびしい来歴』(白川書院、一九七六年刊)を買う。古木春哉は古木鐵太郎の息子。
 佐藤春夫のこともいろいろ書いている。中村光夫や大岡昇平の批判にたいする擁護派だ。わたしは佐藤春夫の「うぬぼれかがみ」はまだ読んでいない。図書館に行きたい。
「わが出発」というエッセイを読んでいたら、父の郷里の鹿児島県の宮之城町(さつま町)に滞在せず、「私の生まれた高円寺の町をなぜか思い出しながら、バスが通り過ぎるままこの先の湯田温泉にその晩は一泊する」と書いている。

 表題の「わびしい来歴」では「私は少年の一時期を野方という町で過ごした。(中略)一家の私たちはその場末に、南に隣接する大和町から、さらに前をいえばその南にある私の生まれた高円寺の町から追われて来たのである」と記す。
 高円寺から北に歩くと、大和町、それから野方にたどりつく(徒歩圏内)。さらに古木一家は、野方の隣の鷺宮に移る。

 ささま書店で『わびしい来歴』を手にとり、函から出して頁をひらいたら「高円寺」の文字が出てきて買うしかないと……。

 古木鐵太郎は読もう読もうとおもいつつ、なかなか読めずにいた作家だった。息子の本を先に読むことになるとはおもわなかった。