ここのところ、東海道と中山道関係の本を読み漁っているのだが、五街道まで広げるかどうか思案中である。
家でごろごろしていたら、種村季弘著『東海道書遊五十三次』(朝日新聞社、二〇〇一年刊)と『世界名画全集 別巻 広重 東海道五十三次』(平凡社、一九六〇年刊)が届く。『東海道書遊五十三次』は、静岡新聞に二〇〇〇年七月から二〇〇一年六月まで連載していた。「街道筋にちなみむ書物五十三冊」を紹介している本。
わたしは生家が三重県鈴鹿市の庄野宿の近くで、先日帰省したときに庄野宿資料館にも寄った(わたしが郷里にいたころには資料館はなかった)。
庄野といえば、広重の「庄野の白雨」が有名だが、『世界名画全集 別巻 広重 東海道五十三次』の解説には、保永堂版「庄野の白雨」は「東海道五十三次図集中第一の傑作として有名である」と記されている。そうだったのか。ちょっと嬉しい。
《ところで現在の庄野には、こんな坂道はどこをさがしても見あたらない。むしろ隷書東海道が描いた荒涼たる冬の風景の方がより庄野の実景に近い》
《広重が何故に坂のない所を坂道として表現したか。これは広重のいわゆる絵そらごとと考えるよりほか解釈の道はなかろう》
行書東海道、隷書東海道をあわせると庄野の絵は三種類——。たしかに隷書東海道の庄野では平坦な道が描かれている。
でも「こんな坂道はどこをさがしても見あたらない」という記述には疑問がある。東海道からすこし外れて、加佐登駅から加佐登神社(御笠殿社)や白鳥塚古墳に向かう道はずっと坂道なのですね。もちろん、江戸時代にもこの神社はあった。わたしも子どものころ、加佐登神社にカブトムシを採りに行った。
ただし、加佐登神社に向かう坂道が「庄野の白雨」の坂道かどうかはわからない。「絵そらごと」説か「神社に行く途中」説か。今後の研究課題としたい。
……と、ここまで書いたところで、本の雑誌編集部編『旅する本の雑誌』が届いた。
わたしは「東海道の三冊」というエッセイを書きました。武田泰淳著『新・東海道五十三次』(中公文庫)、糸川燿史著『東海道徒歩38日間ひとり旅』(小学館文庫)、久住昌之著『野武士、西へ 二年間の散歩』(集英社文庫)の三冊。いずれも東海道本の名著だとおもっています。