2011/01/31

部分と全体

 最近の健康法では、歩くことがよくすすめられている。それはいい。あと階段を登ることはいいが、下るのは膝に負担がかかるからよくないという意見もよく聞く。
 ちょっと疑問におもう。登りは自分の足で下りはエスカレーターやエレベーターを使えということなのだろうか。
 膝のことだけ考えると、そのほうがいいのかもしれない。

 しかし人間は階段や坂を登るときには前に重心が傾く。下るときは逆である。
 登ってばかりいたら、降りるときの重心のかけ方がおかしくなったり、それに伴う筋力が衰えたりしそうな気がする。
 その結果、膝は無事でも、坂や階段を下るときに転んで大ケガをする危険性が高まりはしないのだろうか。

 人間のからだだけではなく、世の中もそうだろう。

 部分にとってよくても全体によくない、もしくは全体にとってよくても部分にはよくないということがある。

 分けて考えるとどこかおかしくなる。

2011/01/27

国会雑感

 衆議院と参議院の「ねじれ国会」という状態になっている。野党だったころ、「ねじれ国会」のときにまったく審議に協力しなかった。それが今では逆の立場になっている。
 いっぽう与党のバラマキや年金問題を批判する(かつて与党だった)野党にたいし、国民の大半は「おまえがいうな」とおもうだろう。

 昨日のニュースで、あるキャスターが(政治家や政策の)欠点を指摘するだけでは何も生まれない、われわれ(マスコミ側)も反省しなければいけないのかもしれません、というようなことを語った。
 遅いとおもうが、一歩前進だとおもう。

 チャンネルを変えると、別のニュース番組で与野党の若手議員(といっても若くないのだけど)が国会内のエチケット(審議を妨害する野次にペナルティを与えようなど)について話し合っている。

 この番組のキャスターは「今、こんなことを議論している場合なのでしょうかねえ」と呆れた顔をする。

 与党も野党も議事進行を改めないと、衆参が「ねじれ国会」では何もできない。これは何千時間費やしても(それほど意見のちがいはない)合意点に至る可能性のない議論を続けることに意味があるのか、という問題である。

「ねじれ国会」に状況だと数の力で押しきるだけでなく、調整型の政治をせざるをえない。そのさい、無意味な野次を禁止しようといったことを話しあうことは、すくなくとも、これまでの議論よりは三歩くらい前進しているとおもう。

 まあ、些末だけど。

2011/01/26

田舎の両親

 東京に人が集中する理由は仕事があるからだろう。大学の数も多い。
 地方はその逆。進学あるいは就職を機に都会に出て、都会で仕事を見つけ、そのまま住み続ける。

 今年七十歳になる父は、七十五歳になったら車の免許は更新しないといっている。そうなれば、買物のたびに車が必要な場所には住み続けることはできない。
 年金(企業年金大幅カット)暮らしの身では、都会に移住したら、地方にいるときより格段に生活が苦しくなる。
 親孝行はしたいが、できる範囲は限られている。親のほうも不安定な生活をしている一人息子に面倒みてくれとはいいだせない。共倒れになるのが目に見えているから。

 最善手ではないが、両親には田舎(三重県)の特急の止まる駅のスーパーのそばに引っ越してもらうことを考えている。そうすれば、近くに親戚もいるし、車がなくても歩いて買物に行ける。
 こちらも乗り換えが楽だし、名古屋、大阪、京都あたりに用事があって出かけたときにも寄りやすくなる。

 ただし、その前にかなりの荷減らしをしなければならない。

 リミットは五年。

 さて、どうしたものか。

2011/01/25

屁理屈

 コタツと布団に入っている時間が長く、からだがなまる。
 寒さに弱い。夏の睡眠時間は平均六時間くらいなのだが、冬だと十時間以上になる。二時間以上外出すると、具合がわるくなる。

 まあ、昨日今日こうなったわけではなく、かれこれ三十年くらいこんなかんじなのだ。

 時間に縛られない職業を選んだのもそのためである。寝たいときに寝て、調子のわるいときに休みたい。それがわたしの職業選択の最優先事項だった。

 大リーグの松井秀樹選手は、自分の才能について訊かれたとき、「からだが丈夫なことだとおもう」と答えている。
 からだが丈夫だから、人より練習ができる。だからうまくなれる。
 素晴らしいことだ。
 でも彼の方法論は、わたしには何の参考にもならない。

 では、からだがあまり丈夫ではない人はどうすればいいのか。

 ひとつは、なるべく早い段階で体力がものをいう世界に見切りをつけ、なんとか自分ひとり食っていけるだけのお金が稼げたらそれでよしとすることだ。
 多少、不安なこともあるが、月十万円くらいあれば、生きていけるという自信がつくとけっこう楽になる。

 また体力がなくても「ちまちましたことを地道に続けることは苦にならない」とか「楽をするための工夫はわりと得意」とかその人に合った(生き方の)方向性がある。

 たまに大昔、石器時代だったらどうか、あるいは戦国時代だったらどうかみたいなことを考えるのだけど、怠け者にもそれなりに生きる場があったようにおもう。

 体力があって勇敢な人が命がけで狩猟やいくさに励んでいるあいだ、からだを動かすことがあまり好きではない人は新しい武器を作ったり、楽な火のおこし方を考えたりしていたのではないか。

 激しく動いて生きのびる人の比率とあまり動かずに生きのびる人の比率は、その時代時代によってちがうかもしれない。でも生きのび方の幅が広く、その種類が多い世の中のほうが、わたしはいいなとおもっている。

 やたらと早寝早起を奨励する人がいるが、だったら誰が天文学を発達させたんだ、誰が夜襲に備えるための見張りをしてたんだ、夜中は誰ひとり働かない社会で暮らしたいのか、とわたしはいいたくなる。心の中で。

 そろそろ仕事しようとおもう。

2011/01/11

人間風眼帖

 腹と背中に貼るカイロをつけ、外出用のコートを着込んで、仕事をする。

 ずっとFAXの調子が悪い。半分くらい印字がかすれる。今日受信したものも、ほとんど読めない。説明書を読んで、書いてあるとおりに掃除をしたのだが変化なし。
 あきらめて新宿の電気屋に行く。東口のヤマダ電機LABIにはじめて行く。出費がかさむ。

 山田風太郎は、飯がうまいのは料理がいいとはかぎらず、腹が減っているからということがあるといっていた。その逆もしかり。
 読書もそういうところがある。
 活字にたいする飢え、何かを知りたいという気持が薄れているときは、目で文字を追うばかりで頭にはいってこない。

 ここのところ、知識にたいする貪欲さが薄らいでいる。昔とくらべて生活がすこし落ち着いたせいだろう。

 お金がなくておもうように本が買えないときのほうが、切実に本が読める。仕事が忙しくて、時間がないときのほうが、おもしろく本が読める。

《金があるときはひまがない
 ひまがあるときは金がない
 金もひまもないことはあっても
 金もひまもあることは曾てない
 不公平である》(山田風太郎『人間風眼帖』神戸新聞総合出版センター、二〇一〇年刊)

『人間風眼帖』は、山田風太郎の箴言集といった本なのだが、最近まで刊行されていたことを知らなかった。

《戦後30年にわたる日記から著者自身が抜粋し、大学ノート丸2冊に書き遺していた、新発見の「太平洋戦争風眼帖」「人間風眼帖」を復元、収録》

 読み終わるのがもったいない。どこに何が書いてあるのか丸暗記できるくらい読み込みたい。おすすめです。 

2011/01/08

小さな書斎

 昨日から仕事はじめ。エンジンかからず。不摂生なりに生活のリズムが必要であることを痛感する。

 休み中、天野忠の『余韻の中』(永井出版企画、一九七三年刊)を再読した。

 詩人は、京都市左京区の小さな家のトイレの横に、二畳半の小さな書斎を作った。
 そしてこんな感慨を述べる。

《勤め仕事がなくなって、念願の自分の部屋がまがりなりにも持てて、そしてまあ何と最低線ギリギリではあっても、その日暮らしが出来る境遇(それを何十年も希求していた)、その境遇にいまやすっぽり自分の躯がはまって、ああ嬉しやと思った瞬間から私という奴はもう何をする、いや何をしたらよいのか、何をしたいとも思わなくなり、そう思うことが今度は罪悪のようにも思えてきて、そして手も足も出ないほど何もすることがないらしいのである》(書斎の幸福)

 天野忠は、長年求めていた幸福の中に「別の顔」があることに気づく。

 先がわからないということは、不安ではあるが、今の仕事を続けていく上では、わるくないのかもしれない。
 わからないから本を読む。わからないから考える。

 天野忠は、四十年ちかく勤め人をやっていたが、人見知りと対人恐怖症を克服できなかった。
 たぶん、詩人であることをやめなかったからではないかとおもう。

 三十代になったとき、その先の十年がまったくわからなかった。目の前の仕事、月々の生活をのりきることに追われているうちに、時間がすぎていく。
 長く生きていると、ふとしたはずみに「こういうときはこうしておけばいいんだ」といったかんじの処世のコツのみたいなものを掴んでしまうことがある。

 処世のコツに頼りすぎると、世慣れしたふるまいをしがちになる。
 たぶん、そこに落とし穴がある。

2011/01/02

新年

 大晦日、三重に帰省……の予定をやめて、東京でのんびりする。
 近所を散歩。人も少ない。
 南口の氷川神社に初詣。

 今年最初の読書は、色川武大の『街は気まぐれヘソまがり』(徳間書店、一九八七年刊)。
 この本の「馬鹿な英雄がんばれ」というエッセイが心に響いた。

 昔、明治大学出身の清水という大酒呑みの投手がいた。二日酔いでふらふらにもかかわらず、試合で好投し、逆に酒を飲まないと調子が出ないと豪語していたらしい。
 色川武大は「身持ちを慎んで切磋琢磨する努力型」より「庶民のやれないような無茶をしながら能力を発揮するタイプ」を好んだ。

《で、そのまま長続きすればよいのだけれど、清水も何年かするうちに肥り出してきて、球威も落ち、南海から中日に移籍してからはコントロールでごまかす投手になって、凋落が速かった。
 それが困る。それでは、“ありときりぎりす”の教訓そのもので、面白くもなんともない》

 まあ、それが現実というものだろう。
 このエッセイに出てくる投手は清水秀雄。一九一八年島根県生まれ。左投左打。プロ野球在籍は一九四〇年〜一九五三年。生涯通算成績は一〇三勝一〇〇敗だった。

「馬鹿な英雄がんばれ」には元阪神の掛布選手の話も出てくる。シーズン前に酔っぱらい運転をした彼のことをオーナーが「掛布は馬鹿だ」と叩いた。しかし色川武大は掛布を擁護する。

《たしかに利口ではないかもしれないが、私などはそういう選手こそヒーローになる資格があると思っている。(中略)プロスポーツは馬鹿な英雄こそ歓迎し、大金を投じてかかえるべきで、小利口な英雄なんていらない》

 こうした感覚は、今の時代には通じにくいかもしれない。
 スポーツ選手にかぎらず、節制して小利口にならないと生きていくのはむずかしい。

 新年の抱負のようなものを書くつもりだったが、何もおもいつかない。
 二日酔いでだるい。