衆議院と参議院の「ねじれ国会」という状態になっている。野党だったころ、「ねじれ国会」のときにまったく審議に協力しなかった。それが今では逆の立場になっている。
いっぽう与党のバラマキや年金問題を批判する(かつて与党だった)野党にたいし、国民の大半は「おまえがいうな」とおもうだろう。
昨日のニュースで、あるキャスターが(政治家や政策の)欠点を指摘するだけでは何も生まれない、われわれ(マスコミ側)も反省しなければいけないのかもしれません、というようなことを語った。
遅いとおもうが、一歩前進だとおもう。
チャンネルを変えると、別のニュース番組で与野党の若手議員(といっても若くないのだけど)が国会内のエチケット(審議を妨害する野次にペナルティを与えようなど)について話し合っている。
この番組のキャスターは「今、こんなことを議論している場合なのでしょうかねえ」と呆れた顔をする。
与党も野党も議事進行を改めないと、衆参が「ねじれ国会」では何もできない。これは何千時間費やしても(それほど意見のちがいはない)合意点に至る可能性のない議論を続けることに意味があるのか、という問題である。
「ねじれ国会」に状況だと数の力で押しきるだけでなく、調整型の政治をせざるをえない。そのさい、無意味な野次を禁止しようといったことを話しあうことは、すくなくとも、これまでの議論よりは三歩くらい前進しているとおもう。
まあ、些末だけど。