2023/05/31

老荘風

 土曜日昼、西部古書会館。すこし前に読書欲が減退していると書いた気がするが、カゴ一杯買う。
 杉浦明平著『桃源郷の夢』(冬樹社、一九七三年)は署名本だった。宛先は寺田博——『海燕』の編集長。三百円。ビニカバがけっこう汚れていたが、手にとってよかった。家に帰って激落ちくんできれいにする(激落ちくんが真っ黒になる)。

 古書会館に行くと買うつもりのない、読むつもりのなかった本や雑誌を大量に購入してしまう。週末、家でごろごろしながら、昔の雑本、雑誌を読むのは至福の時間だ。

 山本善行著『古本のことしか頭になかった』(大散歩通信社、二〇一〇年)を読み返していたら、「あとがき」に「何も心配しないで(働かないで)一日じゅう本が読めたらいいのにな、などと呑気なことを考えているうち、五十四歳になってしまった」という一文があった。
 わたしは今年の秋五十四歳になるのだが、何にも成長しないまま年だけとってしまったなと……。書評や随筆を書いて、あとは散歩と昼寝と読書ができれば——それがわたしの夢なのだが、現実は甘くなく、仕事の合間にいろいろな煩雑な手続きが必要な雑用が押し寄せてくる。

 杉浦明平の「桃源郷の夢」は西洋人の考えたユートピアではなく、老荘風の桃源郷に暮らしたい——そんな夢想を語った短い随筆である。

《さいわい、わたしの家には桃の木が数本あって、三月下旬にはうらうらと桃の花ざかり、その花の下にねむるのは、すっかりなまけぐせのついたわたしには、何よりもたのしい》

 世の中にはビッグになりたい、裕福な生活がしたいといった夢を抱く人もいるらしいのだが、わたしは怠けたい、のんびりしたい派である。社会の片隅でひっそり暮らしたい。その気持は年とともに強まっている。

2023/05/25

下落合

 最近といってもこの二週間くらいのことだが、電車で高円寺と神保町を行き来する日(週一回くらい)に小野寺史宜著『銀座に住むのはまだ早い』(柏書房)をすこしずつ読み続けている。今年二月刊行の二十三区(二十三回分)の町歩きエッセイで電車の中と喫茶店で一区ずつ読んでいて面白い。著者は一九六八年生まれ。世代も近いし、最初の本が出た年齢も近い(三十代後半)。単行本の元になった文章はリクルートの「SUUMOタウン」の連載だった。
 昨日は新宿区の下落合のところまで読んだ。読み終えるのが惜しくてゆっくり頁をめくる。

《降り立った下落合駅は、それ自体が神田川と妙正寺川に挟まれている。そもそも、二つの川が落ち合う場所ということで、落合、となったらしいのだ》

 わたしは高円寺から野方に向う途中、妙正寺川沿いをよく歩く。落合あたりから東中野までの神田川の遊歩道も好きだ。

 東京の小さな川沿いの道を歩くのは楽しい。そんなに自然豊かな感じではなく、コンクリートで護岸された川なのだが、緑に囲まれていて、ゆっくり歩ける。いい気分転換になる。
 下落合の回では七曲坂も出てくる(昔、わたしは迷った)。小野寺さんは(たぶん)事前にそんなに下調べせず、にぎやかなエリアよりも、ちょっと人の少ない寂しそうなほうを歩きがちで、そのあたりの感覚が読んでいて心地いい。このエッセイに出てくる喫茶店にすごく行きたくなる。

 いちおう部屋探しが目的の二十三区歩きなのだが、途中から関係なくなる。歩きたいように歩く。

 四十代半ばくらいから、人生の一回性についてよく考えるようになった。若いころのような「人生一度きりだから(好きなことをしよう)」といった感覚ではなくて、季節の移り変わりや知らない町の風景、あるいは飲み屋や喫茶店で何てことのない雑談をした後の余韻みたいなものが、妙に胸に迫ってくる。
 七年前の五月に父が亡くなったことも関係しているかもしれない。時間は有限であり、自分の体も今まで通りに動くとはかぎらないんだなと……。自分の足で歩くこと、酒が飲めることも健康だからできるのだ。
 長年、本に埋もれる生活をしてきたが、町のこと、自然のこと、そして人間のこと、わからないことだらけである。現実の一日一日を大切に生きてこなかった。

 小野寺さんのエッセイに出てきた妙正寺川は、うちからだと徒歩十分ちょっとなのだが、どこからどこまで流れているのか知ったのはわりと最近である。荻窪から落合まで。十キロもない。そんな小さな川のそばに井伏鱒二、阪田寛夫、古木鐵太郎、耕治人、福原麟太郎、さらに尾崎一雄や林芙美子が暮らしていた。

『銀座に住むのはまだ早い』の杉並区の回では善福寺川を歩いている。

2023/05/21

本の片付け

 土曜日、荻窪散歩。家を出たら傘がいらないくらいの小雨だった。古本を買うかもしれないので傘を持って行く。

 四月半ばくらいから、蔵書の整理をやっていて、仕事部屋の本を減らした。レコードとCDも減らした。今年の秋で五十四歳、来年は五十五歳——昔のサラリーマンなら定年という齢も近づいて、仕事部屋もいつまで借り続けるかわからないなとおもい、今年一年くらいかけて本を減らすことにしたのだ。
 街道関係の図録や大判の本が増えたせいで仕事部屋の小窓が開けられなくなっていたのでそれもなんとかしたい。本の背表紙が見えない状態は精神衛生によくない。

《年をとって読書力は非常に衰えたし、小さな活字を夜読むということがうるさくなったので、書物の数をこなしてゆく速さは鈍ったが、本がほしいと思う心持は大して弱まらないらしく、結局、読まない本、主として古本を、沢山買って机のまわりに積んでゆく》(「古本のこと」/福原麟太郎著『書齋の無い家』文藝春秋新社、一九六四年)

 一九六二年あたりに連載していた随筆だから、福原麟太郎、六十八歳くらいか。
 わたしは五十代の入口あたりから読書量が減った。地図を見る時間が増えた。以前より、散歩したり、料理をしたり、のんびり過ごすことに時間を割くようになった。

 自分を律し、制御できる人に憧れる。昔の文士の中には、自分の感情を制御できず、周囲に当たり散らし、自己嫌悪に陥って……みたいな人も多かった。中原中也にしても喧嘩に明けくれていた四谷花園アパート時代は二十代後半だったし、何より郷里の親から同世代の勤め人の給料以上の仕送りをもらっていた。それで働かないと食っていけない同業者たちに「おまえらはダメだ」と絡みまくる。酒に飲まれ、睡眠薬に溺れ、錯乱しまくっていたころの太宰治にしても、今のわたしより一回り以上若い。

 自己制御不能に陥ってしまう人は努力や修業でどうにかなるわけでもなく、どうしようもなく、そうなってしまう。昔は性格の問題だと考えられていたが、脳の機能の問題と解釈したほうが納得がいく。

 たまに銀行の窓口、スーパー、コンビニのレジなどで、キレ散らかしているおっさんを見かけるが、あれは前頭葉の萎縮など、加齢による脳の機能の低下(障害)が原因といわれている。つまり、五十代あたりで急に怒りっぽくなった場合、病気の疑いもある。

 酒の席で怒りまくっていた自分より十歳くらい年上の同業者のことをおもいだす。アル中ではないかと疑っていたが、脳の病気だった可能性もある(もうこの世にいない人の話である)。

 静かに穏やかに年をとる。けっこうむずかしいことなのだ。感情を抑えるには体力もいる。体力が低下すると、酒の酔い方もひどくなる。そのあたりも今後の課題である。

2023/05/15

新聞紙包みの釣竿

 葛西善蔵が押入から釣竿を引っ張り出す話は何だったか。すこし前に『フライの雑誌』の堀内さんと今の時代とまったく関係ないテーマについて語り合ったのだが、お互い、酔っぱらって作品名が出てこないままうやむやになった。

《自分は、今日も、と言つても、何んヶ年も出して見たことはないのだが、押入れから新聞紙包みの釣竿を出してみた》

 あらためて読み返すと、不思議な書き出しである。何故こんなはじまり方なのか、よくわからない。『葛西善蔵集』(新潮文庫)の編者の山本健吉は「酔狂者の独白」の「この書出しの一節は何度読んでも情懐の深いものである」と評す。この作品は嘉村礒多が口述筆記している。

《一昨年は、夏の暮れから初冬へかけて日光の湯本で暮らしたが、何んと云ふことなしに持って行つた竿で、ユノコの鱒をだいぶ釣りあげたのである》

 ここのところ、小説や随筆の内容をあらかた忘れ、たまにおもいだすことが多くなった。「日光の湯本で暮らした」時期のことを書いたのが「湖畔手記」で一九二四年の作、「酔狂者の独白」は一九二七年の作である。
「酔狂者の独白」は口述筆記ながら、二ヶ月以上かかっている。

『葛西善蔵集』(新潮文庫)の解説を読んでいたら「椎の若葉」は「この頃牧野信一との交友がはじまり、これは酒中の口述を牧野が筆記したものである」とある。
 ところが『古木鐵太郎全集』三巻所収の「葛西善蔵」には「『椎の若葉』といふ小説は、あれは私が談話筆記したものである」と述べている。いっぽう山本健吉の解説では「湖畔手記」を「当時の『改造』記者古木鐵太郎に口述したもの」としているが、これも古木の話とはちがう。
 古木は「それから暫くして、気分転換といふ気持もあられて、日光の湯本に行つて、そこで二ヶ月ほどもかゝつて書かれたものが、あの有名な『湖畔手記』だ」という。

 また古木の「葛西さんのこと」でも「『椎の若葉』——この作品は、私が談話筆記をしたものである」とし、「『湖畔手記』といふ小説には自信を持つてゐられたやうだった。またあの作品を書かれてゐる時ほど葛西さんの気持が緊張してゐるやうに見受けられたことはなかった」と……。

 新潮文庫の解説の影響かどうか、「椎の若葉」が牧野信一の口述筆記という説は何度か見かけた。

2023/05/14

コタツ布団しまう

 今年は五月六日にコタツ布団を片づけた(四月以降、ほとんどつけていなかったが)。それから扇風機を出した。
 十一月くらいから四月末あたりまでは押入に扇風機をしまい、コタツの季節が終わったら入替える——というのが我が家のルールなのだけど、どうでもいい話だな。

 毎年同じようなことをくりかえしているようでいて世の中は変わっていく。

 五十歳をすぎると過去の自分を更新していく感覚みたいなものがなかなか得られなくなる。それが老いってものなのか。
 気力や体力の衰えもそうだが、一度体調を崩すと回復に時間がかかる。
 若いころは寝てりゃ治るで乗り切っていたが、寝てるだけだと体力がどんどん落ちてしまうのである。だから休みながらも、すこしずつ体を動かして、筋力を維持していく必要がある。最初から体調を崩さないのが一番いいわけだが、それもむずかしいのである。

 四月から五月にかけて、体調不良でいろいろ迷惑をかけてしまった。健康こそが礼儀作法の基本というのは山口瞳の教えなのだが、そのとおりだなと……。

2023/05/05

連休中

 五月の連休、二種類の仕事を抱え、頭の切り替えに四苦八苦する。四月は体調不良(+アレルギー性の結膜炎も併発)でほとんど酒を飲んでいなかったのだが、月末にペリカン時代が十三周年ということで『ペリカン 弓田弓子詩集』(山脈叢書、一九七九年)を渡そうとおもい、飲みに行く。三杯。

 仕事の合間、『電車のなかで本を読む』(青春出版社)を読んでいたら、山本善行撰『上林曉 傑作小説集 孤独先生』(夏葉社)が届く。ちょうどアンソロジー作りの追い込み作業中だったので刺激を受ける。

 遅ればせながら『SFマガジン』(六月号)を買う。特集「藤子・F・不二雄のSF短編」——連休明けに読みたい。

 今はすっかり元気になって健康のありがたみを噛みしめているところだ。不調の底の時期は本もなかなか読めなかった。
 晴れの日一万歩、雨の日五千歩以上の散歩の日課は、天気に関係なく一日五千歩以上を目標にすることにした。でも平均すると一日七、八千歩は歩いている。そのくらいが自分には合っているのだろう。
 とにかく続けることが大事なのだ。続けるためには無理はできない。

 近年は夢とか希望とか、そういうことをあまり考えなくなった。それより日々温柔でありたい、平穏に過ごしたいという気持が強い。そうあれたら、それ以上望むことはない。