2007/08/31

風太郎と色さん

《うーん、人生とはひと言でいうなら「偶然」だな。だいたい、人類が発生したのも偶然らしいんだがね》(山田風太郎著『コレデオシマイ。』講談社+α文庫)

 この数日、電車に乗るときはずっと山田風太郎のエッセイを読んでいる。

『山田風太郎エッセイ集成 わが推理小説零年』(日下三蔵編、筑摩書房)刊行以来、『風眼抄』(中公文庫)、『半身棺桶』(徳間文庫)、『死言状』(角川文庫、小学館文庫)、『あと千回の晩飯』(朝日文庫)、『風太郎の死ぬ話』(角川春樹事務所)を立て続けに読んだ。

『コレデオシマイ。』は、晩年のインタビュー集のひとつ(『いまわの際に言うべき一大事はなし。』、『ぜんぶ余禄』角川春樹事務所など)。山田風太郎、聞き手、森まゆみ『風々院風々風々居士』(ちくま文庫)、関川夏央著『戦中派天才老人・山田風太郎』(ちくま文庫)という聞き書の名著もある。

『別冊新評 山田風太郎の世界 〈全特集〉』や『BRUTUS図書館 風太郎千年史』(マガジンハウス)、世田谷文学館で開催された『追悼 山田風太郎展』のカタログもファンであれば、入手しておきたい文献だろう。

 ちなみに、わたしは色川武大(阿佐田哲也)の文章がきっかけで、山田風太郎のエッセイを読むようになった。

《現在までのところ、山田さんにとって傍系の仕事の観があるエッセイの類は、完全に愛読者であって、真似しようにも真似のできない面白さである》(「山田風太郎さん」/『阿佐田哲也の怪しい交遊録』集英社文庫)

 編集者時代の色川武大は、山田風太郎の担当者だったこともある。
 山田風太郎の原稿をもらいに行くとき、電車にのらず、汗だくになって走ってとりにいった。

《たしか、ある夏の早朝であった。夜なかにタバコが切れて、私はタバコ屋がひらくのを待ちかねて、そのころ住んでいた世田谷三軒茶屋の町へ出ていった。すると、まだあまり人通りのない大通りを、交叉点の方から、頭から湯気をたてて、息せき切って走って来る青年がある。だれかと見ると、色川氏ではないか。——》(「阿佐田哲也と私」/『山田風太郎エッセイ集成 わが推理小説零年』)

 タクシーにも電車にも乗らず、走ってきた色川武大に「なぜそんなことをしたんだ」と山田風太郎は訊いた。

《電車になど乗ってゆくと、原稿は出来ていないかも知れない。もし二本の足で走ってゆくと、天がその至誠を哀れんで、原稿が出来ているにちがいない、と考えたからだという》(同文)

 さらっと書いているが、異様なエピソードである。
 走って原稿をとりにいく話は、さきほど引用した『阿佐田哲也の怪しい交遊録』の「山田風太郎さん」にも出てくる。

《山田さんは選ばれた人間、私はただの男、そう思っていたのである。
 それでも、たとえただの男でも、私は私で会社のために努力しなければいけない。山田さんに関係のない形で、なにか努めてみたい。
 私はヘンなことを考えた。電車に乗って、ただ漫然と楽チンにお宅へ伺って原稿を貰うというのでは、私の努めるところがない。そんなことだから原稿が貰えないのだ。
 私は出版社を出ると、走って、山田さんの家まで行った。神田から、三軒茶屋の先まで、汗みどろで走ったのである》(「山田風太郎さん」)

 しかも行きだけでなく、帰りも色川武大は走った。読めば読むほど、変だ。
 編集者は作家の原稿をとらなければならない。中には苦しまぎれに威嚇の手でとろうとする編集者もいる。

 山田風太郎は、走る色川武大のことをこんなふうに分析している。

《思うに色川さんは、いかに苦しがってもそういう手には出られない編集者であったろう。攻撃的でない性格の人は、しばしば自虐的になる。この暁の疾走はその現れにちがいなかった》(「阿佐田哲也と私」)

 色川武大に「走る少年」(『虫喰仙次』福武文庫)という短篇がある。

《楽あれば苦——。本当にそうだと思う。ぼくのように、半人前の人間はそれでなくたってわるいことばかり起きがちなのに、楽など味わったら、次は苦にぶつかるにきまっている》

 学校にバスで通う少年は、こんな楽をするから、不幸になるのだという妄想にとらわれる。だから学校まで走っていく。当然、遅刻する。怒られる。

《楽あれば苦、というのが怖い。どんなことがあっても、うかうかと楽をしてはいけない。ぼくはいつも、苦の中にいて、次は楽だと思いたい》

 色川武大が「楽あれば苦」といった理屈(理論?)をこねあげていることにたいして、山田風太郎が「攻撃的でない性格の人は、しばしば自虐的になる」と説明しているのは、なんともおかしい。
 そんな山田風太郎のことを色川武大は「人間のかぐろい部分を、観賞的に捕まえられる人である」とも述べている。

2007/08/27

阿波踊り

 高円寺は阿波踊り中(八月二十五日、二十六日)、今住んでいる住居の周辺は踊り人のたまり場になっていて、さらに通行規制やらなんやらで、駅から家に帰り着くまでがたいへんだ。
 高円寺駅のホームに着くと、あちこちに酔っ払い。道にも酔っ払い。大将(焼鳥屋)は大繁盛だった。

 昨日は、昼すぎ高円寺西部古書会館の古書展(二日目)に行く。
 小沢信男『昭和十一年』(三省堂)、野原一夫『編集者三十年』(サンケイ出版)、草森紳一『旅嫌い』(マルジュ社)など、いい本がいろいろ手頃な値段で買えた。お祭りムードにのせられ、花田憲子の『あんたが一番! 負けん気女房の奮戦記』(カッパホームズ)も買ってしまう。沢田亜矢子が推薦文を書いていたり、子どものころの花田勝、光司の写真があったり、ある種のマニアにとっては、しびれる本かもしれない。

 夕方、あずま通りの台湾料理で持ち帰りの焼きそばを買う。この時期、阿波踊り以外に、近所のあずま通りでは大道芸フェスティバルもやっている。ベリーダンス(?)の踊り子の集団とすれちがい、たいまつでジャグリングをしている人をながめ、占い師の前を通りすぎるうちに、シラフで歩いているのがバカバカしくなり、屋台で酒を買って、のみながら歩く。

 部屋に帰るもずっと太鼓の音、やっとなー、やっとなーの声。毎年のことなのでもう慣れた。

 ウイスキーを飲みながら、新刊の山田風太郎の『わが推理小説零年』(日下三蔵編、筑摩書房)を読む。単行本初収録のエッセイ集である。山田風太郎もウイスキー党だった。
 この本には「阿佐田哲也と私」「雀聖枯野抄」「親切過労死」と色川武大のことを書いたエッセイも三本ある。
 色川武大が山田風太郎について書いた文章と山田風太郎が色川武大について書いた文章をすりあわせたら、そのズレがたのしめそうだ。

 眠くなってきたので今日は寝ることにする。

2007/08/23

ちょっと告知

 神保町から東京メトロで家に帰る途中、早稲田で下車する。どうでもいい話であるが、神保町から早稲田まで四駅(東京メトロ半蔵門線、東西線)、早稲田から高円寺までも四駅(東西線、JR総武線)なのだ。
 東京メトロの東西線は、都内の古本屋(神保町、早稲田、中央線沿線の古本屋)をつなぐ日本屈指の「古本沿線」といえる。

 早稲田で途中下車して、立石書店にて、九月一日(土)、二日(日)の第4回往来座「外市」のチラシを受けとる。
(くわしくは「わめぞblog」を参照してください)

 今回の「外市」は、西荻窪から音羽館とにわとり文庫が参加するそうだ。
 つまり「おに吉」(荻窪・西荻窪・吉祥寺)と「わめぞ」(早稲田・目白・雑司が谷)の夢の共演(?)というわけだ。
 もちろん「文壇高円寺」も一箱で参加します。
 音羽館は七年前の八月十八日にグランド・オープン。早いなあ。もっと前からあるような気がするのだが。
 さっき古書現世の向井透史さんの昔の日記を読んでいたら、音羽館に「弟子入りしたい」と書いてあって笑った。

 それはさておき、立石書店からふらふらと早稲田の古本街を歩いて、古書現世に行くと、リコシェの阿部さんがやってきて、「河内紀 音と映像の仕事」というチラシをもらう。

河内紀 音と映像と仕事
  〜耳をすます、眼をこらす〜

場所 一角座
住所 台東区上野公園東京国立博物館敷地内
電話 03-3823-6757
座席数 150

9月4日(火)−9月9日(日)
『ツィゴイネルワイゼン』 (144分)
監督:鈴木清順 脚本:田中陽造 音楽:河内紀 製作:荒戸源次郎
出演:原田芳雄 大谷直子 大楠道代 藤田敏八
12:30/15:30/18:30
9/8(土) トークライブ 鈴木清順監督・河内紀

9月11日(火)−9月17日(月)
『陽炎座』 (140分)
監督:鈴木清順 脚本:田中陽造 音楽:河内紀 製作:荒戸源次郎
出演:松田優作 大楠道代 加賀まりこ 原田芳雄
12:30/15:30/18:30

9/15(土) トークライブ 菊地成孔・河内紀
9/16(日) トークライブ 上野昂志・河内紀

9月19日(水)−9月24日(月)
ドキュメンタリー「人間劇場」
『のんきに暮らして82年〜たぐちさんの一日〜』 (45分)
『八ヶ岳山麓 地下足袋をはいた詩人』 (45分)
演出:河内紀 製作:株式会社テレビ東京/テレコムスタッフ株式会社
14:30/16:30/18:30 二本立て上映
早稲田大学図書館・資料室で働き、古い演歌の研究を続けてきた田口親氏の日常の生活と、坦々と農業に取り組む詩人・伊藤哲郎氏を静謐に描いた、ドキュメンタリーの傑作。

9/22(土) トークライブ 坪内祐三・河内紀
9/23(日) トークライブ 秋山道男・南伸坊・河内紀

料金:前売鑑賞券 1000円
   当日鑑賞券 1200円
   リピーター  500円

前売鑑賞券は電子チケットぴあでも販売

……とのことです。

 古書現世から高田馬場まで歩いている途中、視界がぼやけ、手がしびれてきたので、水分補給しないとまずいとおもい、喫茶店(エスペラント)で休憩。古書現世で買った石原慎太郎の『息子をサラリーマンにしない法』(光文社カッパホームズ)をぱらぱら読む。
 気象予報士、政治家、芸術家……。いちおう有言実行。
 ちなみにこの本、推薦文を黒川紀章が書いている。カバーデザインは宇野亜喜良。

 そのあと、古本酒場コクテイルに「外市」と「河内紀さん」のチラシを置きにいって、家に帰ると、晶文社の宮里さんから電話があって、そのまま部屋飲み。下鴨納涼古本まつりの戦利品自慢などをして、いい気分になる。

『散歩の達人』9月号「荻窪 西荻窪」特集で「外市」メインゲストの音羽館、にわとり文庫も出ています。おすすめ。

2007/08/18

ボナンザと竜王

 仕事に追われつつ、新刊の保木邦仁、渡辺明著『ボナンザVS将棋脳』(角川oneテーマ21)を熟読する。ボナンザというのはトッププロと対戦した最強将棋ソフトだ。

 渡辺明さんは二十三歳のタイトル棋士。先日、行われた対局では、渡辺竜王は、ボナンザに勝った。それでもボナンザはかなり善戦した。
 渡辺さんは「コンピュータに負ける気がしない」という。しかし、チェスのコンピュータはすでにプロに勝っている。将棋のコンピュータでも、一手三十秒くらいの早指し戦だったら、プロ棋士でもかなり苦戦するらしい。詰め将棋は、もはや人間はコンピュータにかなわない。
 十年くらい前のインタビュー(アンケートだったかな)で、羽生善治さんは、コンピュータがプロ棋士に勝つのは「二〇一五年」と答えていた。もっと早くその日がくるかもしれない。

 ボナンザの開発者の保木邦仁さんは、一九七五年生まれで、物理化学の研究者で将棋はアマ五級だという。ほんとうにスケールの大きな思考をする人だとおもった。才気あふれる人というのは、こういう人なのだろう。文章や発言の端々から自分のやっている研究にたいする熱意が伝わってくる。
 
《何に役立つかを考えているだけでは、科学や技術の進歩はない。
 何に役立つかが簡単にわかるということは、すでにそれは既知の知識であり、予想の範囲内の技術であることを意味している。むしろ、実用的な意味では何に役立つかがわからないような知識を吸収して、それを使って時間をかけて新しい何かを生み出すことにこそ、大きな価値があると思う。(中略)多くの発見は、偶然によって加速されている。ただそのときに、その偶然の現象を理解できる知識を有していなければ、その事実は発見されずに見過ごされてしまう》

 何の役に立つのかわからない知識。
 一見、無駄におもえるようなこと。
 日頃からそういうことの必要を自分にいい聞かせておかないと、ついつい楽で効率のよさそうなものを求めてしまう。
 読書にしても、今やっている仕事に関係するような本ばかり読んでいると、だんだん自分の考えが窮屈になってくる。

 将棋の場合だと、手を深く読んだり、たくさん読む力に関しては、二十代がピークだといわれている。
 渡辺さんは、「コンピュータのようにしらみつぶしに、読める範囲にあるすべての手を読む、ということは人間にはできない。だから無駄な手を読まず、どう捨てるかが大切になってくる。読めないから読み筋を絞る、全部を読もうとすることは非効率的で、無駄な読みをいかに早く捨てるかが勝敗を分けるカギになる」という。

 無駄な手を読まずにすませるためにはどうすればいいのか。渡辺さんは「将棋の勉強はまず量が大切」だという。

《質が変化する前には量の積み重ねが必ずある》

 渡辺さん、まだ二十三歳なんだよなあ。すごすぎる。
 そのころのわたしは週休五日のアルバイト暮らしでした。

(付記)
 朝五時すぎ、散歩したらひさしぶりに外が涼しかった。

2007/08/14

下亀と下鴨

 十日(金)
 下鴨納涼古本まつり前日、のぞみで京都へ。京阪で四条に向い、すこし散歩。暑い。六曜社でアイスコーヒーを飲んでから京阪で出町柳に行く。
(京都では、京阪電車にしか乗っていない気がする)
 近代ナリコさんの案内で、下鴨神社そばのyugue(ユーゲ)という店に行く。いい店。料理もうまい。しばらくして、扉野良人さんがやってきて、軽く飲んでから、「まほろば」に行く。恵文社一乗寺店のNさんも合流。

 十一日(土)
 午前中、下鴨神社の納涼古本まつり。植草甚一の本(対談集、読本、ワンダーランド)を格安で買う。出雲から下鴨神社に直行した南陀楼綾繁さんの荷物があったので、いっしょに扉野良人さんの家にいって、わたしはそのまま休憩する。
 近所のショッピングセンターに行って、すがきやのラーメンを食う。
 三時ごろ、ガケ書房の下亀納涼古本まつり(わたしも出品。ダンボール二箱)に行くと、東京組がたくさん来ていた。ちょうど、ふちがみとふなとのライブがはじまる。
 そのあと、出町柳の東山湯で汗を流す。ビートルズの曲が流れる銭湯。前から気になっていたのだ。
 出町柳前のカミヤ珈琲店(ここも京都にくるとかならず寄っている)で涼んだあと、もういちど下鴨神社で二百円本を中心に十数冊買う。途中、QBBの久住卓也さんに会う。ほんとにここは京都か。
 それからsumus友の会。二次会は、扉野さんのお寺。二十人はいたか。山盛りのそうめんがあっという間になくなる。これがまたうまかった。そのあとまた、まほろばで飲む。長い一日であった。

 十二日(日)
 午前中、下鴨神社に寄ってから、近鉄電車に乗って、三重県鈴鹿の両親の家に行く。
(あまりの暑さに奈良行は断念)

 近鉄鈴鹿線の平田町駅に、鈴鹿ハンターとアイリスというショッピングセンターがあるのだが、アイリスのほうが来月で閉店になる。アイリス内の「地域でいちばん安い店」がうたい文句のオンセンドという店が閉店セールをやっていたので、Tシャツ、下着、靴下などを買い込む。
 鈴鹿ハンターのゑびすやでうどんを食う。ここのうどんは夢に出てくるほど、食いたくなる。そのあとハンター内のボンボンという喫茶店でコーヒーを飲む。
 ハンター内のリサイクルショップで、本が一冊五十円均一で売っている。岩崎書店の「SF世界の名作」シリーズが、函付のきれいな状態でまとめて売られていた。荷物が重かったので、マースティン『恐竜1億年』(福島正実訳、田名綱敬一画)だけ買った。

 家に帰ると、「今日はここ数日でいちばん暑い」と父がいう。とはいえ、風が涼しく、湿度が低く、ふつうの夏といったかんじ。
 両親の家は、エアコンもなく、パソコンもなく、ビデオも、電子レンジもない。電化製品のレベルは、完全に昭和で止まっている。
 子供のころから家にある扇風機がいまも動いている。

 テレビを見ていたら、母に突然「茶髪にしたろか」といわれる。どうも東京の人は、みんな茶髪だとおもっているようだ。家にいるあいだ「右から左へ受け流す」の歌をエンドレスで唄い続けている。かなりうっとうしい。

 昔はキレイ好きだったのに、部屋が雑然としている。そんなに買いだめしなくてもとおもうくらい、水やお茶のダンボールが積んである。老化現象か。
 京都で買った本は、東京に宅配で送ってしまったので、家にあった向田邦子の『六つのひきだし 「森繁の重役読本」より』(文春文庫)を読んだ。この中に「エ・バ・ラ」という料理が出てくる。「エッグ・アンド・バター・ライス」の略。ようするに、バターいりのたまごかけごはんなのだが、しょうゆじゃなくて塩をふる。こんど作ってみよう。

 翌朝、家を出て、途中、四日市で下車、それから名古屋に出て、東京に帰る。仕事がたまっている。
 林哲夫さんの『古本屋を怒らせる方法』(白水社)が届いていた。

 早くも秋の花粉症の徴候が……。
 いつもは八月下旬くらいからなのだが。薬代、稼がないと。

2007/08/10

どこかに書いてあった

 八月十一日(土)から下鴨納涼古本まつりとガケ書房の下亀納涼古本まつりに合わせて、京都に行きます。
 毎年暑さでぼーっとなるので、今年はおでこにアイスノンシートを貼って挑むつもりだ。忘れないようにカバンに入れとこ。
 あと十一日(土)には「sumus友の会」もあります。

 時間 午後六時〜
 場所 Dylan-II(ディラン・セカンド)
 京都市中京区木屋町蛸薬師上ル下樵木町192 樵木ビル4F TEL 075-223-3838

 荷造り終了。あとは電車の中で読む本を選ぶのみ。

 青柳いづみこ、川本三郎監修『「阿佐ケ谷会」文学』(幻戯書房)を持っていきたいが、ちょっと重いので断念する。この本は中央線沿線の喫茶店めぐりをしながらゆっくり読んだほうがいいだろう。
 ちょうど新刊の常盤新平著、中野朗編『国立の先生 山口瞳を読もう』(柏艪舎)を読み終えたばかりなので、一冊は山口瞳の本を持っていきたい。

『酒呑みの自己弁護』(新潮文庫)か『月曜日の朝・金曜日の夜』(新潮文庫)か、上下巻だけど『世相講談』(角川文庫)もそろそろ再読したい。『旦那の意見』(中公文庫)も捨てがたい。迷う。

 最近、新刊本を読んで、古本が読みたくなることが多い。
 長年お世話になっている重里徹也さんの近刊の『文学館への旅』(毎日新聞社)を読んだときも、黒岩重吾の『どぼらや人生』(集英社)と『どかんたれ人生』(毎日新聞社)を再読した。
 黒岩重吾のエッセイは二十代のときに夢中で読んだ。わたしの切実な読書体験のひとつといってもいい。

『どぼらや人生』の「あとがき」で黒岩重吾は「人間が苦難の道を持つことがいいかどうかは、私には結論が出し難い。喰べることが脅かされる生活というものは、人間の心をどうしても浅ましくする。そして、それは場合によっては、その人間にとって二度と立ち上がれない程の危険を伴うものである」と書いている。
 黒岩重吾は、貧乏だけでなく、二十七歳のときに大人の小児麻痺にかかり、手足の動かない生活が三年くらい続いた。

《全身麻痺の大病に罹って以来、私は憔悴し、精神的にまいり掛けると、こん畜生、馬鹿にしやがって、と自分の衰弱に対して、猛然と腹が立って来るのである。
 つまり、“どかんたれ奴!”と衰弱に対して闘志を燃やすのである》 (「書けない夜」/『どかんたれ人生』)

『文学館の旅』によると、二〇〇五年九月に、奈良県立大宇陀高校内に「黒岩重吾の世界」室ができたそうだ。土、日は一般公開だから、十二日(日)に京都から近鉄電車で郷里(鈴鹿)に帰る途中寄れるかも。夏休み中もあいているのだろうか。いちおう電話番号と住所をメモしておこう。

 山口瞳が『男性自身』シリーズ(たぶん)のどこかで、黒岩重吾のことにふれていて、小説になる題材をエッセイで書いているのがもったいないといような記述があった。それがどこに書いてあったのかわからない。記憶違いかもしれない。
 また山口瞳のエッセイの中で「小説の勉強がしたい」と書いていた。それもどこに書いてあったのか見つけられない。

 文章の勉強がしたい。その勉強の方法がよくわからない。それがわかれば、苦労しない。単純に考えれば、いい文章をたくさん読むことに尽きるような気もするが、たくさん読むよりも、一冊の本を時間を書けて読んだほうがいいのかもしれないともおもう。
 部屋にこもって本を読んでいるより、外で遊んだり、友だちと酒を飲んだほうが勉強になることも多い。
 つまり、わたしの考える勉強というのは現実逃避とほとんど同じ意味である。

 今、ちょっと山口瞳の『男性自身 素朴な画家の一日』(新潮文庫)をぱらぱら読んでいたら、わたしが探していた文章とはちがうけど、次のような記述が見つかった。
 山口瞳が二十代のころ、同人雑誌の仲間としゃべっていて、「病気になったほうが勝だなあ」という話になった。

《病気になりたいというのは、病気になれば本が読めるからだった。勉強できるからだった。そのように、私たちは生活に追われていた。アクセクして働いていた。また、本好きでもあった。(中略)ここ三年間病気をすれば、確実にアイツを抜ける。そんなふうに思った。小説家にかぎらず、病気に罹って、就職せずに、読書家になり、博覧強記の人になってしまったという例は多いのである》(「病人になりたい」)

 山口瞳は随筆は小説のように、小説は随筆のように書けというようなことを書いていた。これまたどこに書いてあったかわからない。

2007/08/05

一年

 八月三日(金)、仕事帰りにウィークエンド・ワセダに行ってきた。初日午後七時スタートは、ほんとうによかった。中央線の住民としては夜から古本屋めぐりをするのは、めずらしくない。
 夜の早稲田の古本街は新鮮だった。わたしは週何日か神保町界隈で仕事(アルバイト)をして、東京メトロ東西線で高円寺に帰る。それが午後七時前で早稲田の古本屋はその時間にはたいてい閉まりかけている。
 夜、早稲田界隈で古本屋が開いていたら、途中下車する回数は格段に増えるとおもう。たまにでもいいから、夜間営業してほしい。

 立石書店から古書現世の順でまわった。ひさびさに買ったなあ。池袋の往来座出品のベトナムのかごはさっそくつかっている。
『HB』の創刊号も買った。特集は「高田馬場から考える」。

 橋本倫史さんの「さよなら古書感謝市」では、BIGBOXの古本市の敷居の低さ、棚の雑然としたところを評価している。

 図書館と新刊書店(あと今ならAmazonも含めてもいい)を主に利用しているいわゆる「本好き」は、かならずしも古本屋通いをするわけではない。古本マニアになると、知らず知らずのうちに敷居が高くなってしまうところがある。

 昔、『彷書月刊』の田村さんが、古本屋通いをはじめた人が、古書会館に行ったり、目録で本を買うようになるのは、ほんのごくわずかだというような話をしていた。そういう意味で、たしかにBIGBOXの古本市は、古本の初心者が気軽に行ける古本市だったなあと、今さらながら惜しまれる。

 雑誌作りも古本稼業も、商売である以上、儲かる、儲からないという問題は切実だとおもうけど、目先のことだけではなく、未来の読者、未来のお客さんを作ることもおなじくらい大事なことだとおもう。

 先日も若い編集者とそんな話をしていた。たしかに今雑誌を買うのは、五十代以上かもしれない。だから年輩の人向けに雑誌を作ればそこそこ売れる(という計算は成り立つ)。もちろん読者と共に齢をとってゆく雑誌はあってもいい。そういう雑誌も必要だとおもう。でもそれだけではいけない。

 古本屋にしても、マニア向けの部分と初心者向けの部分、たぶん両方必要なのだとおもう。
「敷居の低さ」と「雑然」。気にしていても、つい忘れてしまう。ものを作っていても、あるいはなにかを蒐集していても、ついつい「洗練」にむかってしまう。そのせいかどうかはわからないけど、行きづまってしまう。
 同じような日常をくりかえしてうちに、ある種の慣れというか、あんまり深くかんがえずに、なんとなくやりすごせてしまうようになる。
 目先の仕事も大切だけど、とりあえず、何の種をまくのかを決めずに畑を耕しておくことも大事かなと……。

 ブログ「文壇高円寺」をはじめてちょうど一年になります。これからも地味に続けていきたいとおもっています。

2007/08/03

仮病

 個人差はあるとおもうが、三十歳をすぎると、いろいろからだにガタがくる。しめきりが重なった翌日は、首を左に倒すと痛い。腰もだるい。一日や二日では治らない。そのまま次の仕事にとりかかる。
 つまり、万全な体調で仕事ができることのほうがめずらしいのだ。年に数日あるかどうかだ。
 二十代のころのわたしは、調子がわるいと休んだ。調子がわるくなくても、わるくなりそうな予感がすると休んだ。仮病というものは、今はそれほどひどくないけど、ここで休んでおかないと、後々つらいことになりそうだというときにつかうこともある。

 わたしにはモンゴルからやってきた二十代半ばのドルジ青年を批判する資格はない。大相撲は巡業が多すぎる。あんなことしていたら力士寿命が短くなるだけだとおもう。
 スポーツ選手は、からだが資本だ。心もそうだ。

 故郷でサッカーをしていたときの横綱は、ほんとうに楽しそうだった。もちろん、日本相撲協会からすれば、許しがたいことなのかもしれないが、力士を目指す若い人は減るいっぽうだろう。