2016/08/25

気分転換

 郷里の家の問題が片づいて、東京に帰ってきてから、ずっと仕事の日々(オリンピックと甲子園を観て、夜、ラジオでプロ野球のナイターを聴きながらだが)。
 外に出たのは知り合いにチケットを譲ってもらい、新宿に『シン・ゴジラ』を観に行ったくらい。『シン・ゴジラ』は堪能した。映画館でゴジラの曲がサラウンドで聴けただけでもよかった。

 あと外出もよかった。もうすこし出かけないといけない。
 在宅で仕事をしていると、からだを動かしているわけではないのに、疲れがなかなかとれない状態になることがある。よくない兆候だ。
 これといった運動をしていない以上、散歩くらいはしたほうがいい。電車に乗って移動するのもいい。

 二十代のころと比べると、仕事にたいする耐性がついた。その分、無理をしてしまう。無理は気疲れの元になる。

 終わらない仕事の途中いくつか区切りを作り、喫茶店や飲み屋に行って気分転換する。というか、酒が飲みたい。
 

2016/08/16

自足と寛容

《限りある時間と労力は、好きなことに注いだほうがいい、無駄ではないが、得るものが少ない努力はしない――というのが、自分の生き方の原則になっている》

……と、書いたが、言葉足らずだった。好きなことをやって食べていけるのであれば苦労はない。わたしは家で寝ころんで本を読むことが好きだが、当然、それでは仕事にならない。

 大学を中退して、フリーライターになって食っていけなくなったらどうするか。温暖な土地に移住し、畑を耕し、鶏を飼い、お金をつかわない生活をしようとおもっていた。ようするに、将来のことは考えてなかった。

 橋本治著『ぼくらの未来計画 貧乏は正しい!』(小学館文庫)を読む。シリーズの最終巻だ。

《「“仕事”とはなんだろう?」ということになったら、「他人の需要にこたえること」である。需要がなかったら、“仕事”は“仕事”として成り立たない》

 とはいえ「他人の需要にこたえること」だけが仕事なのか。他人の需要にこたえつつ、自分がおもしろいとおもうこともできるのではないか。他人の需要にふりまわされて、自分を見失うこともあるのではないか。

『ぼくらの未来計画 貧乏は正しい!』では「自給自足」を理想とする考えに疑問を投げかけている。

 自給自足は不自然な禁欲状態を強制し、「貧しさを維持すること」で成立する。

《カツカツの自給自足が、自給自足の状態としては理想的なのである。だから、自給自足は排他的になる。他人のことを思いやれるほどの豊かさがないからこそ、“カツカツの自給自足”なのである》

 たしかに“カツカツの自給自足”では「他人」を受け入れることができない。
 二十代のころのわたしは自分がどうにか食べていければいいと考えていた。三十代になっても、最低限の生活費だけは稼いで、あとは遊んで暮らしたいとおもっていた。

 そうした理想は他人にたいする「不寛容」にもつながる。でも「寛容」な「自足」の道もあるのではないか。この問いは、「自給自足」だけでなく、今の必要最低限のものだけで暮らすことを理想とする「ミニマリスト」といわれる人とも無関係ではない。

低迷日記

 時間ができたら……とよくおもうわけだが、時間ができて何がしたいかといえば、部屋の掃除である。とくに本の整理がしたい。本が増えると本の置き場所がなくなり、本の置き場所がなくなると、本を買い控えるようになり、その結果、低迷した気分に陥る。常にそのパターンをくりかえす。十年前のブログから同じことを書いている。

 ちょっと夏バテ気味。オリンピックと甲子園をだらだら観ている影響もあるかもしれない。頭がまわらない。仕事が手につかない。

 橋本治著『ぼくらの資本論 貧乏は正しい』(小学館文庫)を読む。この巻は「相続」の話からはじまる。『貧乏は正しい』は三巻目がよすぎて、この巻は印象が薄かった。かなりおもしろい。

《相続とはなにか? 相続とは、「生きて行く方法を相続すること」だ》

 わたしは勤め人(工場労働者)だった父の「生きて行く方法」を相続していない。
 郷里にいたときは、不向きなことばかりやらされていて、それができないと「ダメ」だといわれることが多かった(その記憶も曖昧になってきているが)。
 まわりから「できない」「つまらない」とおもわれていると、ちょっとくらい努力したところで立場は変わらない。明るくふるまっても無理しているかんじになる。

 時間に縛られず、黙々とやる作業は苦ではない。共同作業は苦手だった。自分のペースが崩れると、簡単な作業でさえ、こんがらがってしまう。毎日のように罵倒される職場で仕事をしていたこともあるが、これまでわりとできていたことができなくなって、自分がどんどん無能になっていく気がした。

 人の能力は、環境に左右される部分も多い。
 郷里に帰省すると、車の運転ができなかったり、朝起きられないだけで役立たずに成り下がってしまう。
 ずっと不安定な生活を送っていたけど、自分の不得意なことを要求されない環境はほんとうにありがたい。

『貧乏は正しい!』連載時、わたしは大学生で、二十二歳のときに橋本治の合宿に参加している。
 それからしばらくして大学を中退した。「生きて行く方法」がわからず、途方に暮れたこともあったが、限りある時間と労力は、好きなことに注いだほうがいい、無駄ではないが、得るものが少ない努力はしない——というのが、自分の生き方の原則になっている。

2016/08/13

三重と京都

 八月九日、吉祥寺SCARABで「夕涼み『オグラ三弦楽団』リサイタル」を観る。オグラさん、ピアノが原めぐみさん、コントラバスは新井健太さん(東京ローカルホンク)という「オグラ文化祭」でおなじみのメンバー構成。いいライブだったですよ。音楽の中にオグラさんが考えたこと——変わらない部分も変わった部分がつまっている。いろいろな音楽がまざりあい、「円熟」や「洗練」もされているのだけど、それ以上に「変」や「不思議」に磨きがかかっている。

 十日、三重に帰省。凍結されていた父の銀行口座の問題がようやく解決する。
 鈴鹿ハンターのゑびすやで天ぷらうどんを食い、二階のステップで衣類を買う。ハンターの近くにぎゅーとらというスーパーもできていて、大黒屋光太夫あられ(北野米菓)も買った。
 母に鈴鹿ハンターができる前は、どこで買い物をしていたのか訊く。ハンターはわたしが幼稚園のときにできた。それ以前の記憶がない。
「ハンターの前は平田駅前にジャスコがあった」「個人で野菜や魚を路地で売っている人もいた」
 ハンターのすぐそばにはアイリスというションピングセンターもあったが、いつの間にかなくなった。
 夕方、港屋珈琲でアイスコーヒーを飲む。行きの新幹線からずっと橋本治著『ぼくらの東京物語 貧乏は正しい!』(小学館文庫)を読み続ける。名著だ。三重を離れて二十七年のあいだに自分が通っていた喫茶店はなくなった。ドライバーという喫茶店で父は毎週のように通っていた。焼いたトーストに卵焼きをはさんだ卵トーストサンドが絶品だった。あとチャーハンも美味しかった。

 夜、テレビでナイター(ヤクルト中日戦)を見る。副音声でサカナクションの山口一郎が出演していた。中日ファンだったのか。知らなかった。
 朝七時くらいまで眠れず、起きたら昼。母に怒られる。
 近鉄電車で白子駅でいったん降りて、海を見る。それから特急で丹波橋まで、京阪に乗り換え出町柳に着いたのは夕方四時すぎ。下鴨古本まつりに行く。そのあと六曜社でコーヒーを飲んで、高瀬川のベンチで汗だくになったシャツを着替えてぼーっとしていたら、林哲夫さんと会う。ディランセカンドで善行堂の山本さんの還暦祝い(?)のイベントの二部に出席した。
 クジ引きがあって『京阪神 本棚通信』をまとめた冊子(山本さんの連載「天声善語」も所収)が当たった、というか、選んだ。

 そのあとレボリューションブックス(お酒が飲める本屋)で、扉野良人さん、東賢次郎さん、世田谷ピンポンズさんらと飲む。世田谷さんから『勇者たちへの伝言 いつの日か来た道』(ハルキ文庫)の増山実さんを紹介してもらう。
 チューダー、トキワ荘のキャベツ炒めなどのメニューがある(チューダーは売り切れだった)。

 この日は久しぶりに東さんの家に宿泊。あいかわらず、秘密基地みたいな家だ。住みたい。
 翌日、カナートまで東さんに送ってもらい、スガキヤのラーメンを食う。なぜ京都に来てまでスガキヤなのか。それから善行堂に寄る。自著にサインすると、山本さん、たまたま来ていたお客さんにサインしたばかりの本を売る。うらたじゅんさんの大きな絵を見る。ところどころ『sumus』の同人らしき人物も……。

 進々堂でアイスコーヒーを飲んで京都駅。新幹線で東京に帰る。車内で『勇者たちへの伝言』読みはじめ、止まらなくなる。主人公は父といっしょに西宮球場に行って、阪急ブレーブスのファンになる。
 しかし西宮球場もブレーブスもなくなってしまう。「勇者たち」は「ブレーブス」、副題の「いつの日か来た道」も別の意味がある。かけがえのない記憶を結晶化している。わたしも父といっしょに野球を観に行ったときのことをおもいだした。