2016/12/04

強情さが必要(五)

「自分がやりたいことだけでなく、相手にもプラスになるような仕事のやり方」云々の話が途切れたままだった。

 二十代のころのわたしは、やりたい仕事ばかり選んできたわけではない。毎回、自分のやりたいことだけやって、お金がもらえるともおもっていない。厳しいスケジュールの仕事も引き受けることもあったし、誰かが落とした原稿の代わりに突貫工事のような穴埋め記事を書くこともあった。

 出版界の景気がよかったころは、二回一回くらいは好きに書かせてもらえたのが、それが三回に一回になり、五回に一回、十回に一回といったかんじで、しだいにやりたくない仕事ばかりやらされるサイクルに陥っていた。

 古本屋に行く時間や本を読む時間や酒を飲む時間を削って、やりたくない仕事ばかりやる生活は耐えられなかった。それでアルバイトで生活費を稼ぎ、金にならないけど、好きなことが書ける仕事だけをやるようになった。
 こうしたやり方が正しいとはおもっていない。でも、わたしには合っていた。だから続けられた。

 二〇〇〇年代になると、フリーター・バッシングが激しくなった。わたしはフリーターという働き方にいいもわるいもないという考えだ。本人が合っているとおもうのであればそれでいい。すべての人が就職し、フルタイムで働くことをよしとする社会のほうがおかしい。自分の目には狂っているように見える。

 定職につかず、ふらふらしていると「そんな生活、いつまでも続かないぞ」と忠告される。二十年前にそういわれた。

 わたしは寝たいときに寝て、好きなだけ本が読める生活を望んでいた。その生活を続けるためなら、お金のかかる趣味とか老後の安心とかはいらないとおもっていた。
 正しいかどうかはわからないが、やりたいことと楽しいことはわかる。やりたいことと楽しいことがわかっているなら、あとはどう実現させるか。わたしはそればっかり考えていた。

(……続く)

2016/12/03

強情さが必要(四)

《文学者には、苦悶と冒険が必要だと云はれるがそれはその通りだ。私は、平凡な庶民生活の中に、それがいつぱいあることに気づいてゐる。家常茶飯事の中に、危機と冒険がある。それを単に平凡で退屈だと見るのは、見る方の感度が鈍いのである。われわれの生活も、生きると云ふことも、生そのものも、謂はば「一寸先は闇」なのだ》(「異議あり」/尾崎一雄著『わが生活わが文學』)

 ある座談会で、自分の作風を「保守的」「反逆精神がない」と批判されたことにたいし、尾崎一雄はそう反論した。ちなみに、この座談会で三島由紀夫は終始、尾崎一雄を擁護している。

 尾崎一雄の家は、神主の家筋で、父は神道系の学校の先生をしていて、子どものころは厳格な躾けのもとに育てられた。

《私のやうに厳重なカセをはめられてゐた者には、それを脱するだけですでに大仕事だ》

 厳格な家で育ち、文学の道を志し、無頼放蕩の日々を送り、親類縁者のあいだで鼻つまみになり、「逃亡奴レイ」のような生活をしていた時期もある。しかし、その生活を改める。

《「逃亡奴レイ」がまた鼻について来たからである。そいつがまた一つの型に思はれて来て、これではつまらんと気づいたのである》

《今では、平凡で善良な庶民の一人として、その中に生きることを心がけてゐる》

 尾崎一雄は、放蕩無頼の生活を立て直していく過程をくりかえし小説に書いている。

『わが生活わが文學』の「気の弱さ、強さ」では、「独自の作風をうち出した作家は、他人の云ふことなど気にしない、あるひは鼻であしらふ一面を有つてゐると思ふ」と綴っている。

(……続く)

2016/12/02

強情さが必要(三)

 尾崎一雄は、友人や先輩の批評に右往左往してしまう画家のSにたいし「やはり、強情さが必要だと思ふ」といった。この場合の「強情さ」について、もうすこし考えてみる。

 わたしはよく道に迷う。地図を見ず、知らない土地でもまっすぐ歩き続けてしまうからだ。いつまで経っても目的地に着かない。同じところを行ったり来たりする。完全に迷っているにもかかわらず、人に聞こうとしない。
 今はスマホや携帯電話があるから、道に迷っても……わたしはスマホや携帯を持っていない。しょっちゅう道に迷うくせに。「強情さ」とはちがうかもしれないが、多かれ少なかれ、人の忠告に耳を傾けないタイプはすこしズレたところがある。

 仕事にしても、自分のやり方で進めてしまい、途中から共同作業になっても、誰にも合わせられないという経験をずいぶんした。わざとそうやっているのではなく、ついそうなってしまうのだ。まちがっていても、なかなか認めない。そこに「強情」の「強情」たるゆえんがある。
 長年、自分の時間をすべて、自分のために使いたいとおもっていた(今だって、できればそうしたい)。ひとりっ子だから、というと、当然、そうではないひとりっ子もいるわけだが、自分がそういう人間になったのは、家庭環境の影響が大きいとおもっている。
 学校から帰ってきたら、家ではずっと好きなことができた(やりすぎると注意された)。そのまま上京して、フリーライターになっても、その習性は変わらない。それが当たり前だとおもっていた。

 画家Sは「自分の仕事を批評されると、それをそのまま受け入れる」。その結果、いつまで経っても自分の作風のようなものを確立できずにいる。こうした批評に右往左往してしまう人は「強情さ」ではなく、「受け流す」感覚を身につけてほうがいいのではないかとおもっている。
 誰にたいしても、きつい言い方をする人がいる。あるいは相手によって言うことや態度がコロコロ変わる人がいる。それはその人の癖だ。その癖を差っ引いて話を聞くようにする。同時通訳の人が、そのまま伝えたら相手が激怒するような言葉を絶妙に言い換える作業に近いかもしれない。面倒くさかったら、聞いているフリをする。何でもかんでも真に受けないこと。

 わたしが尾崎一雄を読みはじめた二十代後半は商業誌の仕事を干され、プータローをしていた。まわりからも説教という名の忠告を受けた。
 当然のように無視を決めこんでいたのだが、「自分がやりたいことだけでなく、相手にもプラスになるような仕事のやり方もおぼえたほうがいいよ」という言葉には考えさせられた。ただし、そのやり方はわからなかった。

(……続く)