2019/10/11

同じメニュー

 水曜日、神保町、小諸そばのち神田伯剌西爾。からだが快復したら、小諸そばの秋メニューのうどんを食べようとおもっていた(ふだんはから揚げうどん)。
 昔から同じ店で同じメニューばかり頼んでしまう傾向がある。同じものばかり食べても飽きない。

 内田百閒は毎日同じ店の蕎麦を食べていた。

《蕎麦屋は近所の中村屋で、別にうまいも、まづいもない、ただ普通の盛りである。続けて食つてゐる内に、段段味がきまり、盛りを盛る釜前の手もきまつてゐる為に、箸に縺れる事もなく、日がたつに従つて、益うまくなる様であつた。うまいから、うまいのではなく、うまい、まづいは別として、うまいのである》(「菊世界」/『無絃琴』旺文社文庫)

 百閒の随筆の中でも有名なものなので読んだ人もいるかもしれない。題の「菊世界」は昔の煙草の銘柄。子どものころから吸っていた煙草の変遷を回想し、「今の常用は朝日である」と綴る。

《どうして朝日にきめたかと云ふ特別な理由もなささうである。ただきめた以上は、時時変つては困るのである》

2019/10/08

中央線文化

 ようやく秋らしい季候——とおもったら夕方から雨。ここ数日、からだに痛みもなく、いい睡眠ができている。元気になったので、秋用のシャツや冬用の布団カバーの洗濯、雑誌のスクラップ、パラフィンがけをやる。コタツを出すのはあとひと月ちょっとか。

『橋本治雑文集成 パンセⅤ 友たちよ』(河出書房新社)をひさしぶりに読み返していたら、戸井十月との対談(「欲望を計算に入れない『理性』なんて、もうとっくに死んでいるんだよ……)の中でこんな発言があった。

《戸井 俺の感じだけど、例えば中央線文化っていうのか、中央線から石を投げると作家に当たるというぐらい、学校の先生をやっていて書いてますとか、自称作家なんていう人がいっぱいいるわけよね。それが、なにか違うと俺は思うんだ。「そんな、たいそうなものなの?」って感じがしちゃう。べつに、バカにしてるんではなくてね。(略)》

 戸井十月の発言を受け、橋本治は「ぼくは、近代文学なんてまず読んでないよ。読んでないから、作家が中央線に多いなんていうのも、わりと新しい知識なんでね」と答えている。
 この対談は一九八〇年ごろのものだが、その約四十年後の今でも「石を投げると」という状況は残っている。
 わたしが高円寺に引っ越してきた当時、深夜、近所の飲み屋のカウンターで飲んでいると、しょっちゅう物書や編集者と会った(自分を棚に上げていわせてもらえば、面倒くさい話になることが多い)。こうした「中央線文化」の雰囲気は好き嫌いが分かれる。

 とはいえ「中央線文化」がどういうものか説明がむずかしい。
 中央線文士の時代、七〇年代のフォーク、ヒッピー文化、八〇年代から九〇年代にかけてのインディース、バンドブーム期でもその色調は異なる。あるいは高円寺と荻窪と吉祥寺では町の雰囲気はけっこうちがう。
 共通点があるとすれば何だろう。貧乏くさいところか。みんながみんなそうというわけではないが。

2019/10/01

井戸の絵

 東京メトロの東西線で高円寺に帰るとき、中野駅止まりの電車だったら、中野から高円寺に歩いて帰る。線路沿いではなく、住宅街をあみだくじ方式で通り抜ける。桃園川の遊歩道もよく歩く。午後六時前なのに空は暗い。

 日曜日、西部古書会館。井伏鱒二の九十歳の誕生日を記念した作った絵本『トートーという犬』(白根美代子絵、牧羊社)などを買う。収録作の「すいしょうの こと」の絵にたいし、井伏鱒二が「この井戸の石組はちがうわ」といって、描き直すことになったという逸話がある。
 井伏さんは「井戸も城壁の石組みも、基本は同じなんだ」と白根さんに説明した(川島勝著『井伏鱒二 サヨナラダケガ人生』文春文庫より)。
なぜかこのやりとりが記憶に残っていて、「すいしょうの こと」の井戸の絵を見たいとおもっていたのだ。
 先日、矢掛や総社の旧山陽道を歩いているときに、石組の壁をいろいろ見た。いわゆるレンガのような均等な積み方ではなく、大小さまざまな形の石を複雑に組み合わせている。この話を知らなかったら、気づかずに通りすぎていたかもしれない。

 帯状疱疹の症状もおさまってきた。まだすこし脇腹付近に神経痛が残っているが、かなり楽になった。とはいえ、肉体は確実に衰えてきている。
 電子レンジが神経痛に反応するというのも発見だった。レンジのあたためボタンを押した途端、脇腹あたりがピリピリ痺れた。ちょっと気持いい。