2020/09/20

郷土文学三昧

 昨日、杉並郷土博物館に行き、『杉並文学館 井伏鱒二と阿佐ケ谷文士村』など、未入手の文学展パンフを買った。杉並文学館は十月三十一日から。『井伏鱒二と阿佐ケ谷文士村』には「杉並の作家」という地図が付いていて、黒島伝治が高円寺(東高円寺)にいたことを知る。黒島家から青梅街道を渡ると龍膽寺雄と中野重治の家がある。京都の古書善行堂の棚みたいだ。ただし当時の作家はしょっちゅう引っ越していたので、時期が重なっていたかどうかはわからない。

 吉川英治は高円寺のどのあたりに住んでいたか。今の住所だと高円寺北三丁目あたりか。北原白秋も高円寺と阿佐ケ谷のあいだくらい。藤原審爾は阿佐ケ谷と荻窪も中間くらい。柏原兵三の家もそのすぐ近く。この地図だと新居格は高円寺ではなく、阿佐ケ谷時代の住まいが記されている(家の場所だけでなく、住んでいた時期がわかるといいのだが、それを調べるのはものすごく大変だ)。これほど見ていて飽きない地図はない。

 鈴木裕人さんの『龍膽寺雄の本』が届く(装丁は山川直人さん)。前述のように龍膽寺雄は高円寺に暮らしていた時期がある。そのあと中央林間に広大な土地を買い、引っ越した。拙著『古書古書話』(本の雑誌社)の「シャボテンと人間」で龍膽寺雄の話を書いた(初出は『小説すばる』二〇〇八年七月号)。鈴木さんは山川直人さんの漫画に龍膽寺雄が出てきて驚いたそうだ。 「シャボテンと人間」にも書いたが、久住昌之原作、谷口ジロー絵『孤独のグルメ』(扶桑社)にも龍膽寺雄らしき人物が描かれている(名前は出てこない)。龍膽寺雄はシャボテン(サボテン)研究者としても知られていた。

 高円寺にいた昭和の作家ではわたしは新居格のことを追いかけている。新居格を知ったのは龍膽寺雄の「高円寺時代」という作品だった(『人生遊戯派』昭和書院)。

 《その頃マルクシズムを標榜するプロレタリア派にも与せず、私たち新興芸術派にも与せず、アナーキストを名乗って独自の立場をとりながら、豪放磊落にして洒脱な風貌で一つの地位を保っていた評論家の新居格も、中央線沿線に住んで異彩を放っていた》

 二人の共通点では自宅もしくは近所の喫茶店を“サロン”にしていたことだろう。一九三〇年代のはじめ、若き文学者たちは龍膽寺雄や新居格に会うため高円寺に訪れていたのである。

2020/09/18

だらだら過ごす

 最近、生活リズムが乱れ気味。レコードを聴きながら押入を掃除する。久しぶりにノーマン・グリーンバウムを聴く。レコードを持っていたことすら忘れていた。これもジャケ買いか。『BACK HOME AGAIN』という一九七〇年のアルバムなのだが、髭とノースリーブと花のコントラストが斬新である。裏ジャケではノーマンが山羊の乳しぼりをしている。

 先週の西部古書会館では河島悦子著『伊能図で甦る古の夢 長崎街道』(一九九七年)を買った。長崎街道は街道に興味を持ちはじめてから、ずっと気になっている。
 江戸時代、海外の調味料は長崎街道を通って全国に広まった。象やラクダも通った道だ。今の九州の旧街道(長崎~佐賀~福岡)や宿場町の保存や整備の状況を知りたい。
 ただ、全国を追いかけるには時間が足りない。いずれは範囲を限定し、掘り下げていく必要がある。三十代から街道の研究をはじめていれば……とおもうが、そうすると別の人生になっていた。これまでのノープランの旅を活かしていくほかない。

 この日もう一冊『滝田ゆう作品集 ぼくの昭和ラプソディ』(双葉社、一九九一年)も買えた。遺稿作品集にもかかわらず「あとがき」がある。滝田ゆうが病床で亡くなるまで取り組んでいた本だった。絵もいいが、ちょっとよれよれの書き文字もいい。「北九州の朝」と題した絵がよかった。滝田ゆうが描いた昭和の風景はどのくらい残っているのか。知らない場所なのに懐かしくおもえるから不思議だ。

 昭和ではなく、平成の町並も消えつつある。

2020/09/16

岸部四郎の古本人生

 先日、岸部四郎さんが亡くなった。享年七十一。かつて『小説すばる』二〇一三年九月号に「岸部四郎の古本人生」というエッセイを書いたことがある(後に『古書古書話』本の雑誌社、二〇一九年刊にも収録)。以下はその再掲(最後の一行は単行本に収録したものではなく、元原稿のほうのオチである)。 

「岸部四郎の古本人生」 

 古本マニアのタレントといえば、岸部四郎(岸部シロー)である。
 グループサウンズ時代はザ・タイガースのメンバー、その後、俳優(『西遊記』の沙悟浄役など)や司会(『ルックルックこんにちは』の二代目司会者)としても活躍した。
 岸部四郎の父は、京都で店舗を持たずリアカーで古本を売る商売をしていた。
『岸部のアルバム 「物」と四郎の半世紀』(夏目書房、一九九六年)は、自らの蒐集哲学を綴った異色のエッセイ集である。
 第一章の「ノスタルジーとしての初版本」によると、古本が好きになったのは下母沢寛原作のドラマ『父子鷹』(関西テレビ、一九七二年)に出演したのがきっかけだった。幕末を舞台にした時代劇に出演したさい、その原作を読み、たちまち本の世界に魅了される。
「それまでは音楽に夢中であまり本を読む習慣はなかったが、それからはもう江戸の風俗や勝海舟、坂本竜馬、西郷隆盛をはじめとする幕末群像に関するものを、むさぼるように読みはじめた」
 さらに西山松之助、三田村鳶魚など、江戸文化の時代考証もの、明治期の日記や評論も読みふけった。二十代前半の岸辺さんの読書傾向はかなり渋い。
 それから夏目漱石に耽溺し、明治の文人の初版本を集めるようになる。
「近代日本の象徴ともいうべき漱石の大ファンになってしまったぼくは、作品を読めば読むほど、あるいはこれら弟子たちの書いた漱石を読めば読むほど、もっともっと漱石のすべてを理解したくなった」
 そのためには当時の雰囲気を感じながら読まなければいけない。
 岸部四郎はそう考えた。
 初版本だけでなく、読書環境もなるべく漱石の時代に近づけたいとおもい、アパートを借り、六畳一室を自称「漱石山房」にする。明治の家具や什器を揃え、座布団も芥川全集の装丁の布とそっくりなものを民芸屋で探してもらい、わざわざ作った。
 暖房もガスや電気ではなく、火鉢に炭を使い、部屋にいるときは和服ですごす。
 漱石、安倍能成、芥川龍之介、内田百閒、森鷗外、永井荷風、島崎藤村、志賀直哉と近代文学を次々と読破し、その初版本かそれに類する本を集めた。
 漱石の次は芥川龍之介も熱心なコレクションの対象になった。神保町の古本屋・三茶書房の店主・岩森亀一が自ら額装した芥川全集の木版刷り(売り物ではない)も頼み込んで譲ってもらった。
「芥川を蒐めだしたころは、ぼくは三茶書房のご主人がその道の権威だとは知らなくて、ただの偏屈な古書店の親父だと思っていた」
 続いて興味は芥川から永井荷風に移る。
「荷風に凝れば、どうしても私家版の『腕くらべ』『濹東綺譚』『ふらんす物語』が欲しくなるのは人情だ。これらはコレクターズ・アイテムのシンボルみたいなもので、だれでも欲しがるが、もう最近ではほとんど市場に出てこない」
『腕くらべ』の私家版は友人たちに配られたもので限定五十部。岸部四郎が探していたころ(おそらく一九八〇年前後)の古書相場は五十万円くらいだったそうだが、一九九〇年代半ば、店によっては二百万円くらいになった。『ふらんす物語』は発禁になり、印刷工場に残っていた予備を好事家が装丁したもので、『腕くらべ』が五十万円のころ、三百五十万円くらいしたという。
 しかし自称「漱石山房」は妻との離婚により幕を閉じ、蔵書の大半も売却した。中には売りたくないものもあったが、「それを隠したのでは値段がつかない」。
 自分の不要な本だけ売っても、なかなか高値で買い取ってもらえない。
 古本屋がほしい本(店に並べたい本)をどれだけ混ぜるか。このあたりの駆け引きは古本を売るときの醍醐味といえる。
 彼の趣味は、絵画、骨董、玩具、楽器、オーディオ、ヴィンテージバッグ、ヴィンテージジーンズなど、多岐に渡っている。
「趣味は貯蓄」といい、八〇年代にはお金儲けに関する本(『岸部シローの暗くならずにお金が貯まる』、『岸部シローのお金上手』いずれも主婦の友社)を刊行していた彼が自己破産に陥ってしまう。離婚の慰謝料、借金の保証人など、様々な事情もあるのだが、蒐集対象を広げすぎたこともすくなからぬ遠因になったとおもう。
 岸部四郎といえば、二〇一一年一月、昼の情報番組の企画で風水に詳しい女性タレントが部屋の運気を上昇させるという名目で、彼の蔵書を某古本のチェーン店に売り払ってしまう“事件”があった。
 蔵書の中には吉田健一の著作集(全三十巻・補巻二巻、集英社)もあったのだが、買い取り価格は六百四十円……。
 著作者や全集の古書価は下がっているとはいえ、今でも吉田健一は古本好きのあいだでは人気のある作家で、数年前までは十五万円くらい売られていた。
 放映後、番組にたいし「岸部さんが不憫すぎる」といった批難が殺到した。
 ただ、この騒動のおかげで岸部四郎が漱石、芥川、荷風から、英文学者でエッセイストの吉田健一まで読み継いでいたことを知り、ただ単に「物」としての本ではなく、心底、文学が好きな人だとわかったのは収穫だった。
 ちなみに、『岸部のアルバム』には、自称「漱石山房」時代、同じアパートの別の階に森茉莉も住んでいて、その交遊も記されている。
 なんと森茉莉は、鷗外よりも○○のファンだった。