2020/02/18

近況

『本の雑誌』三月号の特集「文学館に行こう!」で、中部地方の文学館を紹介した(内容としては「街道文学館」の番外編になっている)。
 わたしは二十五年くらい文学館のパンフレット(文学展パンフ)を収集していて、本の雑誌の編集者にその話をしたことが「街道文学館」の連載につながった。

『小説すばる』三月号の連載「自伝の事典」はこの号が最終回。『小説すばる』は、二〇〇八年一月号から十二年もお世話になった(『古書古書話』本の雑誌社)。
『scripta』の「中年の本棚」の連載も終わった。五十歳はいろいろ区切りの年か。五十代は仕事と関係ない本を読む時間を増したい。地理や風土を意識して本を読むようになって、一冊の本を読むのに時間がかかるようになった。楽しいけど、時間がいくらあっても足りない。

 二つの連載が終わるタイミングでQJWEBの「半隠居遅報」の連載がはじまった。あくまでも「遅報」であって「時評」ではないのだが、二十代のころから「今」をすこし広い幅、長い時間の中で考えたいとおもっていた。それをどう形にするかは、まだ手探りの状態。早い段階で型を作ってしまうと楽なのだが、それはしたくない。

 仕事のペース、生活のリズムをいろいろ再構築しないといけない。

 週末、街道歩きをした。雨の水戸街道を歩いた。雨の日はダメだ。足が止まると、からだが冷える。春先の街道歩きは昨年も苦労した。天候に左右されることも含めて楽しもうと前向きに考えることにする。

2020/02/04

二月になったが

 いつの間にか二月。昨年暮れあたりに部屋の天井がはがれてきて、大家さんに修理を頼んでいた。今日朝九時に工事の人が来て昼には終わった。
 テレビやステレオを動かし、もういちどコードやら何やらをつなぎなおす。ラジオをつけたらジェーン・スーさんの番組だった。飲み友だちのあいだで愛聴者が多い。本は全部読んでいるが、ラジオははじめて聴いた。面白い。
 そのあとレコードを何枚か聴く。CDは楽だけど、わたしはレコードが回っている光景が好きなのだ。見ていて飽きない。アンプをきれいに磨いたせいか、音がすこしよくなっている。

 西部古書会館で買ったまま積ん読になっていた福原麟太郎の『変奏曲』(三月書房、一九六一年)を読む。「野方の里」という随筆の初出は一九五九年四月の日本経済新聞なのだが、いきなり「野方の里といっても、東京都中野区野方町一丁目のことで、その五七六番地に、この筆者が住まわっているのである」と書いてある。おおらかな時代だ。

《昭和二十三年の夏、暑いさかりに、この町へ越して来たとき、書斎にした六畳の窓をあけると、生けがきの外にはすぐ麦畑が見渡すかぎり海のように続いており、涼風がそよそよと吹き込んで、実に快適であった》

 七十年ちょっと前の野方の話。高円寺からほぼ北にまっすぐ歩くと野方だ。昔はなかったけど、今、高円寺と野方のあいだに案内板みたいなものがあって、高円寺駅まで一・何キロ、野方駅まで一・何キロと駅までの距離が記されている。高円寺から野方は余裕で徒歩圏内である。
 高円寺駅と野方駅のちょうど中間地点は中野区の大和町なのだが、このあたりも好きな場所だ。近くに川があるのもいい。

 五十歳になって、気持の区切りというか、諦めというか、吹っ切れたことがいくつかある。
 ひとつは自分の能力にたいし、過度な期待をしなくなった。たぶんこの先万全といえる体調はない。やや不調くらいでよしとする。
 肩凝りや腰痛も簡単には治らない。今、腰の調子がよろしくないのだが、動くのに苦労するほどの痛みはないので休み休み仕事している。
 のんびり仕事しているが、しめきりまでには何とか仕上がるようになったのは年の功といえるかもしれない。
 焦ってもしょうがない。掃除したり散歩したり、適度に息ぬきをしながら、ひとつひとつ片づけていくのが自分には合っている。

 そのことはわかっていてもすぐ忘れてしまうので自分のためのメモとして書いた。

2020/01/25

半隠居遅報

 毎年恒例——というか、自分のためのメモとして書いていることだが、今年も「冬の底」と名付けている心身不調のどん底の時期がやってきた(ような気がする)。
 今年は一月二十四日か二十五日か。でもまだわからない。昨日午後一時すぎに起きて、原稿の校正、図書館に行って調べてものをする予定が午後四時すぎまで指先に力が入らない。頭蓋骨に膜がはっているかんじがして頭がまわらない。こんな調子が続くようなら仕事にならない。ただしそんなに悲観はしていなくて、経験上はここからすこしずつ上向きになっていくと考えている。昨年も一昨年もそうだった。

 そんなわけで、絶賛不調中なのだが、QJWEBで「半隠居遅報」という連載をはじめることになりました(いちおう隔週で三ヶ月の予定)。第一回は「気楽に休める社会 休み休み歩いたほうが遠くまで行ける」です。
https://qjweb.jp/journal/4383/

「半隠居」という言葉は山口瞳の『男性自身』シリーズの中で見つけた言葉で、杉浦日向子が提唱していた「晴れ時々隠居」のニュアンスもある。ようするに、働かないと食べていけない「金のない隠居」ですな。

 山口瞳の『隠居志願』(新潮社、一九七四年)に「小さい海」というエッセイがある。『男性自身』シリーズの中でも大好きな一篇だ。

《どうも現在の俺は半隠居かもしれないと思い、半隠居というのも落ち着かない感じだなと思った》

 初読は二十代半ばころか。父の本棚にあった。ブラックジャーナリズムの仕事を辞め、週三日くらいアルバイトをしながら、古本やレコードを売って暮らしていた。

「小さい海」を書いたころの山口瞳は四十六歳。同エッセイにはこんな文章もあった。

《以前、ある小説家に、おれたちは、五十歳を過ぎないと自分の仕事が出来ないと言われた》

 自分の仕事とは何か。あと何を書き残しておきたいか。
 最近、そんなことばかり考えている。