2024/12/12

散歩メモ

 火曜、大和北公園。イチョウを見る。昨年も十二月十日前後に見ている。大和町八幡神社も寄る。地図で見ると、大和町八幡神社は早稲田通りと西武新宿線の野方駅の中間くらい。早稲田通りは大場(だいば)通りの名を残す(バス停にも「大場通り」がある)。

 しょっちゅう散歩しているおかげで野方はなじみの町になった。野方駅の北口の商店街がいい。買物で荷物が増えたり、雨が降ってきてもバスですぐ高円寺に帰れるのもいい。

 今年十月刊の平田俊子著『スバらしきバス』(ちくま文庫)を散歩中にすこしずつ読む。読んでいてくつろぐ。書店で表紙のバスの絵がいいなとおもって、手にとったらnakabanさんだった。単行本は幻戯書房(二〇一三年刊)。同書「成増におりません」は、吉祥寺から成増町行きの西武バスに乗る話。

《バスはますますせまい道に入り、踏切を渡った。西武新宿線の「上石神井」駅だ》

《やや広い道に出た。「富士街道」という表示がある》

 乗ったことのないバスに乗って、知らない道を通るとちょっとわくわくする。

  わたしは上京して最初の半年間、板橋区の下赤塚の寮(風呂トイレ台所共同)に住んでいた。下赤塚のこじんまりとした商店街はよかった。東武東上線の下赤塚駅の隣が成増駅。東上線は準急、急行、快速だと池袋駅の次の駅が成増駅で、下赤塚駅に止まらない。当時は成増が羨ましかった。

 下赤塚から高円寺に引っ越したのは一九八九年十月。かれこれ三十五年。月日が経つのは早い。

 練馬駅からも成増町行きのバスがある(西武バス)。途中、下赤塚も通るので、いつか乗りたいとおもっている。吉祥寺から成増町行きのバスも気になる。

 米の値上がり(今年の夏まで五キロ二千円くらいの米が三千五百円くらいになっている)。餅はどうなるか心配だったが、昨年とそんなに変わらない。というわけで、近所のスーパーで餅(丸餅)を三袋買う。米は白米に胚芽米(倍近く値段になった)や麦を混ぜて炊いているのだが、米の値上げ以降、麦の比率を増やした(麦は値段据え置き)。チャーハンやビビンバを作るとき、麦をすこし多めにしたほうがうまくできる……ような気がする。

 物価高といえば、コーヒー豆も値上がりした。これまで愛飲していた豆は値段が上がり、量も減っている。インスタントコーヒー(ネスカフェゴールドブレンド)の値段は特売だと以前と同じ値段で売っている。家ではインスタントコーヒーをよく飲む(とくに冬)。インスタントコーヒーも何種類かブレンドして、好みの味にする。インスタントコーヒー、奥が深い。

 水曜、神保町。夕方、東京メトロ東西線で高田馬場、西武新宿線で野方駅に行き、肉のももち、肉のハナマサでいろいろ買物(肉、乾物、瓶入りのおろししょうがなど)する。

 仕事帰りに野方から高円寺に帰るのは人生初である。妙正寺川のでんでん橋を通る。野方と高円寺は近い。

2024/12/10

成長の罠 その二

 土曜、中野の四季の森公園でイチョウ、モミジを見て、中野ブロードウェイの地下で調味料(ラーメンのスープなど)、ライフでパンと惣菜を買う。
 仕事帰り、中野駅で降り、中野セントラルパーク、四季の森公園をよく通る。四季の森公園は春の夜桜もいい。

 塩沢由典著『今よりマシな日本社会をどう作れるか 経済学者の視野から』の「成功の罠」——日本のキャッチアップ期とトップランナー期について、本の内容から脱線するかもしれないが、続ける。

 日本の経済成長がめざましかったころと現在とでは社会状況がまったくちがう。
 わたしが生まれたころ(一九六九年)は、まだ一ドル三百六十円の時代で、工場の廃液は川や海に流し放題、煤煙も撒き散らし放題、労働環境も過酷だった。いわば、環境や健康を犠牲にして経済の発展に邁進していたわけだ。

 もちろん昔と比べて機械化が進み、生産力は格段に上がっている。でも上がっているのは、日本だけではない。トップランナー期に入ると、ちょっとくらいの技術の向上、改善では他国と差をつけられない。力はついているはずなのにおもうように結果が出ない状況が続いている。これも「成功の罠」といえるだろう。

『今よりマシな日本社会をどう作れるか』では、長引く不況の理由として、今の日本人の消費行動にも触れている。

《たとえば、高度成長期には「三種の神器」と言われた物があった。洗濯機、冷蔵庫、それにテレビ。その後の安定成長期には、車と、カラーテレビと、クーラーを買いたいという、「3C」の時代があった。
 もっと長い目で考えれば、「物」ばかりでなく、より良い教育を子どもに与えて、より豊かな生活を送りたい、それが多くの人たちの願いだった》

 だから当時の人たちは、よく働いたし、お金もつかった。

 今はどうか。一人の人間が飲み食いできる量は限られているし、ものを置くための場所もない。先月、我が家のテレビが壊れてしまったのだけど、今のところ、買い替えすらしていない(しばらく電源を抜いて放置していたら、いつの間にか直っていた)。
 昨今の異世界転生のファンタジーでも、勇者や英雄として活躍するのではなく、スローライフ志向というか、波風立てず穏やかに生きたいといった願望を持つ主人公が多い。このあたりは今の感覚を反映しているとおもう。

 塩沢さんは今の日本人は高所得者だけでなく、中間階層の人たちの「需要飽和」が近づいているとも分析している。さらに将来の不安ゆえ、遊興費につかえるお金があっても貯金してしまう。

 日本にかぎらず、先進国の多くは消費需要が停滞している。

 その要因の一つは「時間の制約」。今、働き盛りの人は長時間労働をしているため、ほとんど遊ぶ暇がない。つまり消費の機会がない。

《物であれば時間がなくても買うことができる。しかし、サービスとか、文化というか、そういうものだったらどうでしょうか。(中略)ライブに行くにも、本を読むにも、旅行に行くにも、食事をしてみんなで話をするという楽しみにも、全部時間がかかる。今、お金を一番稼いでいる人たちが、少なくとも週五日間はそういうことができないことになっているわけですね》

 世の中が豊かになり、最新の車や家電を手に入れたいという欲から、のんびりしたり遊んだりしたいという欲に変わってきた。たぶん、社会はまだその変化に追いついていない。

(……続く)

2024/12/04

成長の罠 その一

 十二月。本の運び出しなどで久々に筋肉痛になる。ようやく資料の整理もゴールが見えてきた。気疲れの要素のない単純作業を続けていると、ランナーズハイみたいな状態になる。

 付箋を貼ったまま行方不明になっていた本——塩沢由典著『今よりマシな日本社会をどう作れるか 経済学者の視野から』(編集グループSURE、二〇一三年)が見つかった。この本に「成功の罠」という言葉が出てくる。

 日本が欧米諸国を追いかける立場だったころは経済も活発だった。ところが、トップランナーの仲間入りした途端、長い低迷期に突入し、今に至る。

《キャッチアップの時代とトップランナーの時代とでは、本当は社会のあり方、教育、あらゆるものが変わらなければいけないはずだった》

 しかし日本は変わらなかった。変われなかった。

《経営学の世界ではよく「成功の罠」という言葉を使います。経営学では、この言葉は企業の経営方針について使うのですが、日本の場合は、経済全体が「成功の罠」に陥ってしまった》

 キャッチアップの時代からトップランナーの時代になっても、ずっと同じやり方を続けていれば、社会は低迷する。スポーツ、芸事などでも、素人のうちは、ちょっと練習すれば上達するが、レベルが上がるにつれ、そうもいかなくなる。それと似ている。

 経済学には古典派、新古典派など、いろいろな派がある。どの理論も一長一短というか、完璧なものはない。あらゆる政策が誰かにとってプラスになれば、マイナスになることもある。プラスマイナスゼロの人もいる。

 おそらく誰もが満足できるような理論はない(たとえば、わたしは累進課税に賛成だけど、富裕層の人たちは嫌がるだろう)。

 経済理論はやってみないとわからないことも多い。新しい理論を試して失敗するより、このままでいいという人が多数派を占める世の中であれば、優れたアイデアも実行に移すのは困難である。
 問題はまだまだある。少子高齢化と人口減少……。先進国の中で日本はこの問題に関してはトップランナーであり、まだ乗り越えた経験のある国がない。

 ただし、ものは考えようで、戦争や飢餓のない国は、かなり恵まれいるともいえる。世界を見れば、日本よりマシな社会のほうが少ない。少ないからこそ、成長のための方策がわからない。

……この話、もうすこし続けます。