2019/01/11

旅の本

 年明けの読書は牧野伊佐夫著『画家のむだ歩き』(中央公論新社)、それから池内紀著『東海道ふたり旅 道の文化史』(春秋社)でスタート。
 牧野さんの本の「ふろ会」というエッセイでは、高円寺の抱瓶、古本酒場コクテイル、唐変木のイラストが入っている。
 あと「甲府で家さがし」というエッセイに「晩年は田園のなかに暮らして絵を描きたい」という言葉があった。

 わたしも昨年石和温泉あたりの物件を見てきた(今すぐ移住する予定はない)。
 甲府も候補のひとつだったが、駅がちょっと大きすぎるとおもった。もうすこしこじんまりとした駅の町がわたしの理想だ。

 池内紀著『東海道ふたり旅 道の文化史』は刊行前から気になっていた本だ。
 わたしは郷里が東海道沿いで、東京との行き来も東海道線ばかりつかってきた。でも長年、東海道の宿場や歴史のことを知らずにいた。この齢になって、地元のことすら、知らないことばかりだ。知らなかった街道や郷土史について知識が増えていくにつれ、日本の見方もすこしずつ変わってきている。
 駅前なんてどこも同じ、ロードサイドはチェーン店だらけ……なんておもっていたが、旧街道を歩くとその印象が一変してしまう。多様性は自分の興味や関心の持ち方にも左右される。
 釣りに興味を持つ前は川の魚をほとんど知らなかった(子どものころに釣りをしていた時期もあるが、ほぼ海釣りだった)。知ろうとおもわなければ、見えてこない。

 東海道に関しては、静岡から名古屋(鞠子〜宮)、滋賀(土山〜草津)のほうは行ったことのない宿場が多い。

 通り過ぎてきた場所に途中下車していくだけでもどれだけ時間がかかるのかわからない。

2019/01/05

年末年始

 大晦日、妻といっしょに三重に帰省。桑名に寄り、七里の渡し跡を見て、東海道を歩く。
 桑名からはJR、快速みえで鈴鹿駅へ。桑名駅からスイカで駅に入ったら、伊勢鉄道の鈴鹿駅では使えない。キャッシュレス社会の道は険しい。
 鈴鹿ハンターに行き、ゑびすやで天もりうどん。ゑびすやのうどんを食わないと鈴鹿に帰ってきた気がしない。

 元旦、近鉄の平田町駅からバスで加佐登神社に行く。初詣。加佐登神社はヤマトタケルの笠と杖がまつられている神社である。すぐ近くに白鳥塚古墳もある。
 広重の「庄野の白雨」の絵を見たとき、加佐登神社から橋を渡ったところの坂道あたりの絵ではないかとおもった。
 今回歩いてみて、すくなくとも庄野宿の近くよりは加佐登神社付近の坂のほうが白雨の絵の光景に近いかなという気がした。自信はないが。

 加佐登神社から庄野宿まで歩き、そこからバスで鈴鹿ハンター。長袖シャツ、靴下などを買う。この日は寿がきやの野菜ラーメンを食う。

 翌日、青春18きっぷで名古屋から中津川駅、中津川駅から木曽福島駅へ。雪がすこし積もっている。福島宿を訪れるのは二度目だが、素晴らしいとしかいいようがない。しかし冬は寒い。氷点下の空気は顔が痛くなる。
 関所のあたりまで軽く歩く。駅に戻ると足の指が爪ですこし切れていた。寒さで痛みが麻痺していてわからなかった。雪が降ったときのことを想定し、いつもとちがう靴をはいたのがよくなかった。靴や足のコンディションについてはまだまだ勉強しないといけない。

 木曽福島駅から塩尻駅へ。駅前のほっとしてざわが閉まっていたので庄屋で晩メシ。大繁盛。
 行きは東海道、帰りは中山道(+甲州街道)で東京〜三重を行き来するようになり、もっとも宿泊しているのが塩尻である。塩尻に宿をとっておくと安心して、いろいろなところで途中下車できる。帰りも甲府まで出てしまえば、高円寺まであっという間……ではないが、だいたい座って帰ることができる。
 塩尻から甲府までの景色も好きだ。
 帰省ラッシュのピークの一月三日でも座って帰れた(混んでいたが)。
 18きっぷの季節なら名古屋から新幹線で東京に帰るより、一泊二日で中央本線で帰るほうが安い。こんな快適なルートに気づかなかったのは不覚だ。しかし寒い。貼るカイロのおかげでどうにか乗りきれた。

 東京に帰り、夜、仕事。余力を残して旅行から帰ってこれるようになったのは成長といえよう。

2018/12/30

裏道

 寒い。貼るカイロを箱買いする。三月末くらいまでのストックは万全だ。ぬかりなし。

 web本の雑誌の街道文学館の第五回が更新されました。
http://www.webdoku.jp/column/gyorai_kaidou/

 この連載では、歴史懐古だけでなく、今現在のことも記録したいとおもっている。町の変化はすごく早い。地名も道もどんどん変わっていく。身にしみついた隙間産業感覚のせいか、自分の関心はどんどん脇街道に向かっているのだが……。

 それから紀伊國屋書店のPR雑誌『scripta』の冬号も出ています。「中年の本棚」を連載中です。今回はジェーン・スーさんの本を取り上げました。
 この連載もそろそろ仕上げにかかりたいのだが、ここ数年「中年本」の新刊が増えている。
 いわゆる就職氷河期世代が四十代になって、新しい中年の問題が浮上してきた。とくに中年フリーター問題は、わたしにとっても他人事ではない。
「中年」も「フリーター」も一括りにすると見えなくなるものがある。でも括りがないと、漠然としてしまう。
 個々の問題になると、制度による救済か自助努力かという話になるが、結論をいえば、どちらも大事だ。
 今の世の中、わかりやすい「悪」の組織は存在しない——と考えている。わかりやすくはないが、一部の人間にとって都合のよい制度、というか、極悪な制度を作ろうとする集団はいる。

 当然、そうした制度は改善していく必要はある。同時に、個人としては制度にからめとられない工夫、抜け道探しも必要である。

 自由業は、基本、出来高払いの世界だが、抜きんでた力があるか、食うに困らないだけの蓄えがないかぎり、人間関係の調整みたいなものは避けて通れない。
 もし無理難題をふっかけられたときにキレずにうやむやにするのも工夫のひとつである。

 街道歩きをはじめてから、関所や大木戸の跡地をいくつか見た。見るだけなら楽しいのだが、今、こんな理不尽な制度があったら腹立たしくおもうだろう。でも当時だって、関所を通らないですむルートはあった。ただし「公道」を通るよりも危険だった。

 いつの時代も自由と安全(安定)のバランスはむずかしい問題だ。