2009/07/14

オキナワノハナ

 週末、横浜に行く。飲んで食って新しいブックオフ(アクロスプラザ東神奈川店)に行って帰ってきた。

 大口駅の商店街(あけぼの通商店会)にあったナカトミ書房にも行ったけど、閉まっていた。二階建の古本屋で店の奥のほうに階段がある、おじいさんがやっていたものすごく古いかんじの店で、二年くらい前に行ったときには、昔の文庫本が昔のままの値段で売っていた。
 もう(店頭の)営業はしていなさそうだったが、どうなったのだろう。

 横浜への行き帰りに、JRの湘南新宿ラインに乗る。
 新宿横浜間三十分。
 ふとおもったのだが、名古屋や京都から東京に帰るときに新横浜駅で降りて横浜駅に出て、湘南新宿ラインで高円寺に帰るというのはありかもしれない。
 
 河北新報の夕刊「まちかどエッセー」の連載はじまりました。
 7月13日が第1回掲載。以後、8月3日、17日、31日、9月14日の5回の予定です。

 それから7月16日(木)から7月30日(木)までカメラマンの藤井豊さんが岡山のルネスホール内公文庫カフェで「写真展 オキナワノハナ」という個展をします。
 午前11時〜午後10時まで(火曜日定休)

 これまで東京、京都、岡山で何度も撮影現場に立ちあっているのだけど、藤井さんは撮影しているときの雰囲気がちょっと独特(かなりヘン)である。

 被写体との距離感もおかしい。でも写真はいい。それがいつも不思議なのである。
 なんとか時間を作って、見に行こうとおもっている。
    
 詳細は、フジイユタカ写真記録(http://fujiiyutaka.seesaa.net/)にて。

2009/07/10

8月のライオン

 若手のお笑い芸人がわからなくなってきている。齢かもしれない。
 テレビを見ていて、おもしろかったとおもうものが、あんまりウケてなかったり、まったく笑えなかったネタが会場その他で盛り上がっていたりすることも多くなった。

 ザ・イロモネアを見ていて、もやもやした気分になって、その原因をさぐろうとインターネットを検索していたら、チャルさんという人の「8月のライオン」というブログにたどりついた。

 素晴らしいの一言。我を忘れて読みふけってしまった。
 わたしが雑誌の編集者だったら、すぐスカウトしたい。

 観察が細かくて的確、文章に芸がある。軸もぶれない。深い。

 「オードリーの若林の試練」だけでも読んでみてほしい。

《オードリーは、とにかくインパクトのあるボケの春日に、トークができて仕切りもできるツッコミの若林という、最近珍しいほどの王道路線を突っ走っているコンビです。遅かれ早かれ、大きな番組のレギュラーになったり、深夜の冠番組を持つことになると思います。
その時に成長しなければならないのは、やはり若林です》

《これから先、オードリーが大きい仕事を任されていくにつれ、若林にはものすごくたくさん勉強しなければならないことが出てくると思います。ツッコミの人は売れてからの方が成長を強いられることが多いのです。浜ちゃんだって上田だって名倉だって、自分の相方だけを相手にしていた時よりもはるかにたくさんのことを求められて、それに応えるための努力をして、今の地位を得ているわけです。爆笑問題の田中は…田中のままでMCをしているような気がします》

 オードリーの若林を論じ尽くした、ほんとうに愛のある批評だ。決められた枚数(八百字か千字くらいの)のコラムも読んでみたい。

2009/07/08

出口の方向

 最近、酒飲んで下書き(手書き)、シラフで清書(パソコン)という執筆パターンが自分には合っていることがわかってきた。
 鉛筆、万年筆、いろいろためしてみたけど、この五年くらいパイロットのジェルインクのボールペンをつかっている。楽に書ける。自分の頭の中のイメージにちかい字になる。
 替え芯が安く買えるのもありがたい。

 たっぷり睡眠をとり、古本屋に行き、喫茶店に寄り、食料を買いこみ、掃除と洗濯をして、レコードを聴きながら、本を読み、料理を作る。

 ひさしぶりにのんびりした気がする。

 鮎川信夫の『一人のオフィス 単独者の思想』(思潮社、一九六八年刊)を読みかえした。
 二十代のころからこういう文章が書きたいとあこがれていた。ただ、どうすれば、その域に達することができるのか。そのことをかんがえると途方にくれた。
 自分の専門領域ではない問題にたいして、(あるていど大雑把でもいいから)大きく外れない判断ができるようになるにはどうすればいいのか。
 鮎川信夫の頭脳はどうなっているのか。

 世の中が複雑になっている。昔とは比べものにならないくらい文化が分散している。専門外のことはわからなくても当然なのかもしれないが、それだけではない。
 何が大事で、何が大事でないか。鮎川信夫はそうした「均衡の感覚」を重視していた。

 『時代を読む 鮎川信夫 コラム批評100篇』(文藝春秋、一九八五年刊)の「あとがき」で、「この時代の迷路が、入組んだ壁や紛わしい曲り角でいかに錯綜していても、出口の方向を見失うことはなかった」と述べている。

 『一人のオフィス』では、未来にたいして楽観はしたくはないが悲観もしたくないといっている。
 鮎川信夫は、シニシズムに陥らないことを自分に課していたのではないかとおもう。
 安易なヒューマニズム、理想主義を手厳しく批判することはあったが、けっして冷笑、嘲笑はしなかった。

 二十代、三十代、迷路の中で文章を書いてきた。
 出口の方向を示すような仕事がしたくなってきた。

 準備不足、勉強不足をいいだしたらキリがない。

 『一人のオフィス』の最終回は「『たしかな考え』とは何か ある知識人にみるゆるぎない知性」というコラムである。

 ある知識人とは、津田左右吉のこと。

 場所がなくて何年も押入にしまったままの『津田左右吉全集』を出そう。
 その分の蔵書を整理しよう。

 まずはそれから。