2023/01/30

行き詰まった時

 土曜起きたら午後三時半、毎日睡眠時間がズレる。コーヒーを飲んで頭がぼーっとしたまま西部古書会館へ。『季刊銀花』特集「串田孫一の世界」(文化出版局、第百二号、一九九五年)、佐藤正午原作、根岸吉太郎監督の映画『永遠の1/2』(一九八七年)のパンフレットなど。
『銀花』所収、串田孫一「闇に厭きた風」は数行ずつの思索の断片を連ねたエッセイで、もしかしたら単行本に入っているのかもしれないが、調べる気になれない。一九三七年から一九九五年までの著作目録は三百七十六冊、年に平均六、七冊本を出している。

 そのあと西武新宿線方面を散歩する。野方から沼袋に向かって歩いていたつもりが、いつの間にか環七に戻っていた。
 家に帰ると『些末事研究』(vol.8)が届いていた。特集は「行き詰まった時」。わたしは世田谷ピンポンズさん、尾道の古本屋「弐拾dB」の藤井基二さん、福田賢治さんとの座談会に参加した。昨年七月三十日、ふくやま文学館に寄ってから尾道駅で降りたら、福田さんと道で会った。飲み屋で座談会をしたあと、コンビニで酒を買って波止場で語り明かす。この日は「あなごのねどこ」というゲストハウスに泊った。

 翌日、尾道から岡山に向かう途中、写真家の藤井豊さんが駅のホームにいて、そのまま倉敷の蟲文庫に行き、高松の福田さんの家へ。高松は二泊——帰りの飛行機、午前中の便を予約していたのだが、運行中止になって夕方の便に変更し、空港で六時間くらい過ごした。

 この号で執筆しているつかだま書房の塚田さんと飲んだとき、「福田さん、楽しそう」という話になった。塚田さんのエッセイに出てくる「一生幸せでいたければ」の古諺は「釣りをおぼえなさい」というバージョンもある。

2023/01/28

桑名の駅

 押入のレコードを整理していたら、友川かずき(現在はカズキ)『俺の裡で鳴り止まない詩 中原中也作品集』(一九七八年)が出てきた。二十年ぶりくらいに聴く。このアルバムはA面五曲目に「桑名の駅」という曲がある。桑名の夜は暗かつた〜。アレンジはJ・A・シーザー。JR桑名駅のホームに中也の「桑名の駅」の詩碑もある。一九九四年七月、桑名駅開業百周年のときにできた。

 中原中也の詩集の「桑名の駅」には「此の夜、上京の途なりしが、京都大阪間の不通のため、臨時関西線を運転す」と付記されている。一九三五年の詩。

 わたしは郷里に帰省するときは近鉄を利用することが多い。だから最近までJR桑名駅の中也の詩碑のことを知らなかった(わたしが上京したのは一九八九年春で郷里にいたころはなかった)。

「桑名の駅」のころの中原中也は四谷花園アパートから市ヶ谷谷町に引っ越したばかりだった(ちなみに中也は高円寺に住んでいたこともある)。村上護著『文壇資料 四谷花園アパート』(講談社、一九七八年)に、青山二郎を慕って中原中也が花園アパートに引っ越してきた後の話が詳細に記されている。

《青山二郎が住んで以後は、文士たちの往来も多くなったが、いろんな人物の出入りがあった。いまの作家のように紳士面もしなければ、名士ぶったりしない。彼らは談論風発、朝まででも飲み明かし、大いに青春を謳歌した》

  当時、青山二郎の部屋にはステレオがあり、レコードも二千枚ほど持っていた。中也も青山に刺激され、蓄音機を買い、レコードに凝った。著者の村上護は「彼の音楽に示した関心の深さは、もちろん詩にも反映している」と書いている。 

2023/01/23

歩くだけ

 ついこのあいだ年が明けた気がするのだが、もう一月下旬。何をしていたのかあやふやなまま時が流れていく。カタールのW杯の決勝戦もちょっと前くらいにおもえる。一ヶ月以上前か。

「神奈川近代文学館」の機関誌(第159号/二〇二三年一月十五日発行)に「尾崎一雄没後40年 “天然自然流”に生きる」というエッセイを書いた。文学館の仕事ははじめてかもしれない(文学館に雑誌をコピーしに行くアルバイトはしたことがある)。神奈川近代文学館は一九八四年開設、晩年の尾崎一雄も同文学館の設立に尽力し、亡くなる一年前に名誉館長に就任している。カフェ「昔日の客」の関口直人さんから「読んだよ」と電話があった。尾崎一雄、尾崎士郎の話をいろいろ聞かせてもらった。

 尾崎一雄著『新編 閑な老人』(中公文庫)に収録した「歩きたい」(初出『小説公園』一九五四年二月号)は五十四歳のときの作品である。
 大病から回復して、すこしずつ歩けるようになってきた。かつて行った土地を再訪したいと野心を抱くようになる。尾崎一雄の「踏切」(『虫のいろいろ』新潮文庫などに所収)でも再訪したい土地の話を書いている。五十二歳くらい。

《昔通った小学校への道を、再び辿ってみたいという私のひそかな、しかし割に強い願望は、よく考えてみると私のこの頃の傾向の——大げさに言えば象徴なのかもしれない》(「踏切」)

——「小学校への道」は三重県の宇治山田の明倫小学校の通学路である。

 土曜日午後、野方まで散歩した。ここのところ、ひまを見つけては西武新宿線沿線の野方駅〜鷺ノ宮駅あたりを歩いている。通りのあちこちに駅や学校までの距離を記した標識がある。
 野方の北原通り商店街の肉のハナサマ、肉のモモチでいろいろ食材を買う。肉のハマナサ、二十四時間営業だったのか。ハナマサのプロ仕様シリーズの喜多方ラーメン(三玉入り)が好みの味だったのでまた買う。プロ仕様シリーズ——乾物も充実している。
 野方駅の踏切で立ち止まっているとドラえもんのラッピング電車(DORAEMON-GO!)が通り過ぎた。
 高円寺、野方を往復すると八千歩くらい。行きはでんでん橋、帰りは宮下橋を通った。

 野方を歩くようになって耕治人も読み返している。耕治人は野方四丁目に住んでいた。福原麟太郎の家の近所だった。

 本を読むこと、歩くこと——どこかで重なり、つながるとおもっているのだが、どうなるか今はわからない。ただ歩くだけ。歩きながら、何ができて何ができないか、そんなことばかり考えている。