2018/11/17

前略、道の上より

 web本の雑誌で連載の「街道文学館」の第二回が更新——。
http://www.webdoku.jp/column/gyorai_kaidou/

 ここ最近、ブログで街道の話ばかり書いていたが、連載がはじまってどうしたものかと悩む。
 月一回くらいのペースで東京(高円寺)と三重(鈴鹿)を行き来する生活を送る中、この移動を利用して何かできないかと考えていた。
 その答えが街道の研究だった。その答えが正しいかどうかはわからない。移動しながら、知らないことを知り、わからないことを考える。行きと帰りで考え方が変わるかもしれないし、途中で飽きるかもしれない。

 まだどんな形になるのか、着地するのか見えていない。東京と地方、ふたつの場所からものを考える楽しさみたいなものはかんじている。東京の「当たり前」と地方の「当たり前」はちがう。その土地その土地で暮らし方もちがう。
 歴史を遡ると、さらに多様な暮らし方が見えて……きそうな気がする。

 今はそういうことがおもしろい。

2018/11/11

どんなふうにして

 金曜日、小雨、夕方、神保町のち中野。古本案内処の棚、あいかわらず楽しい。探しているジャンルの知らない本が見つかる。あとそこから派生してつながるジャンルの本に気づかされる。
 翌日、西部古書会館。「街道本」も入手済の本を見かけることが増えてきた。二度目に見る本はたいてい最初に買ったときよりも安い(だから値段は見ない)。

 仕事と読書の時間をどうするか。読みたい本と行きたい場所が増え、時間が足りない。といっても、酒飲んで本読んでだらだらしていた時期だって、時間が足りるということはなかったわけで、結局、できる範囲でやりくりするしかない。

 気分転換にアメリカ探偵作家クラブ著『ミステリーの書き方』(大出健訳、講談社、一九八四年)を読む。
 この本はミステリーの技法(プロットやアウトラインの作り方)の解説だけでなく、「いつ、どんなふうにして書くか」について多くの作家の意見を取り上げていて勉強になる。

 ジョン・D・マクドナルドはこんなふうに回答している。

《いつ何時間書くにせよ、自分のからだの機能とエネルギーのサイクルに合わせて、規則的に書かなければいけない。気分が乗った時に書くなどという作家は、物書きとして成功できないばかりか、人間としても成功できないように思う。(成功といっても金の面だけを言っているのではない)》

 アメリカのライター本は「規則」を重視する傾向がある。

 ロス・マクドナルドは「一日三、四時間、週五日、昼前後から始めて規則的に書く」といい、エリック・アンブラーは「一日五時間、毎日書く。日曜や祭日も休まず、早い時間に朝食を済ませてすぐに始める」と答えている。
 ドロシー・ソールズベリ・デービスは「わたしはなるべく、書きかけの状態で一日の仕事を終えて、翌日のとっかかりを残しておくようにしている」という。書けるだけ書くのではなく、書きすぎない工夫も必要なのだろう。

 気分が乗らなくても自分の決めた時間に規則正しく書く。どうすればそれができるようになるのか——の答えは見つからなかった。

2018/11/03

「街道文学館」開館

 夕方四時半起床。西部古書会館で図録数冊。
 前日は神田の古本まつりで筑摩書房の江戸時代図誌の未入手の巻、広重の図録などを買う。最近、大判の本ばかり買っている。

 web本の雑誌で「街道文学館」という連載がはじまりました。
http://www.webdoku.jp/column/gyorai_kaidou/

 十月中旬くらいにスタートする予定が、いろいろあって十一月になった。「日常学事始」以来のweb連載(月二回更新の予定)。一回あたりの分量は大雑把に書けるだけ書いていこうとおもっている。内容もなるべく雑多に、街道の話だけでなく、文学や漫画の話なども盛り込んでいくつもりである。
 四十代半ばすぎから、東京と郷里の三重を行き来する生活を送ることになって「何かできないか」ということをぼんやり考えていた。
 東海道の本からはじまり、中山道、甲州街道(甲州道中)と街道のことを徐々に知るうちに、どんどんおもしろくなってきた。日々、行きたい場所、読みたい本が増えていく。時間がいくらあっても足りない。

 もうすこし準備してから連載をはじめるつもりだったのだが、たぶん、街道初心者だからこその「驚き」みたいなものは今しか書けない気がしている。