2020/08/05

古山高麗雄生誕百年

 明日八月六日、古山高麗雄生誕百年を迎える。
 
 今の文芸誌は生誕百年や没後何年の企画をあまりやらなくなった。バックナンバーとしてとっておくのはそういう号だけなのだが。古本好きの文芸編集者の知り合いも、ほとんど引退してしまった。これから数年のあいだに戦中派の作家や詩人が続々と生誕百年になるが、特集が組まれそうなのは山田風太郎、鮎川信夫、吉本隆明あたりか。

 古山高麗雄著『一つ釜の飯』(小沢書店、一九八四年)の「過保護期の終わり」を読む。昭和十六年の春——コメディアンの高勢実乗の「わしゃかなわんよ」という流行語が時局に好ましくないという理由で禁じられた。

《私たちは、このような時代には、江戸時代の戯作者の精神で生きなければ生きようがない、などと言い、戯作精神の発露として、みんなで隅田川沿いに住み、互いにポンポン船を利用して訪問しあい、永井荷風のように娼婦を愛し、国民文学ではなく、黄表紙小説を書こうではないかと申し合わせた》

 この「私たち」の中には安岡章太郎もいた。安岡章太郎も今年生誕百年だった。

 昭和十六年になると、町から様々な物資が消えた。普通のパンがなくなり、コーヒーも大豆の代用品になった。
 はじめて古山さんと会ったときも戦時中のコーヒー事情を聞いた。わたしは二十五歳、古山さんは七十五歳——年の差五十歳。二十五年前の話である。「過保護期の終わり」にも当時二円で本物のコーヒーを飲ませる店に通いつめていた話を書いている。そうこうするうちに大東亜戦争がはじまった。

《ポンポン船に乗って、一時しのぎに自分を茶化し、紛らわしてみても、自分の行く道の先にあるものが、絶望的な状態であることは予見していた》

 古山さんに聞いた戦争体験で印象に残っているのは、戦死者といっても栄養失調や病気で命を落とした人が多かったという話である。それから現地では虫(蚊)や蛇が怖かったという。敵と銃を撃ち合って命を落とすみたいなことはほとんどなかった。あくまでも古山さんが経験した戦場の話だが、戦場で食料や薬が払底すれば、人間は簡単に死んでしまう。

 当時の軍部を古山さんは強い言葉で批判することはなかった。終始、穏やかに五十歳年下のわたしに戦争のひどさを伝えようとしていた。小柄で小声でぼそぼそ喋る人の戦争の話を聞くことで、自分のような人間が戦場に行けば、ロクな目に遭わないと想像できた。

2020/08/03

新居(にい)散歩

 夜、散歩。満月。ひさしぶりに月をじっくり見た。
 都内の新型コロナの感染者数を報じるニュースを見ても、天気予報くらいの感覚になりつつある。これが正常性バイアス(日常性バイアス)か。
 コロナ禍以降、気長にものを考えられなくなっている。それでも苦難苦境を乗り越えてきた人々が書き残してきた書物に学ぶことはたくさんある。

 土曜日夕方、西部古書会館。そのあと二冊持っていた本を何かと交換しようとおもい、高円寺の「まちのほんだな」の北二丁目支部を見に行く。ここは有志舎の永滝さんがやっている棚。読みたかった本があって嬉しい。

 話は変わるが『中年の本棚』のあとがきで「高円寺の寓居にて」と書いた。新居格の本を真似た。寓居は「仮の住まい」という意味と「自宅の謙遜語」という意味がある。

《わたしはなによりも散歩が好きであるが故に、散歩だけは怠らなかった》(「街の銀幕」/新居格著『生活の窓ひらく』第一書房、一九三六年)

 新居格は「散歩者」を自称し、単調な暮らしを好んだ。また「文学者」である前に「生活者」であろうとした。 戦中、言論弾圧が厳しくなった時期には「生活の向上」や「健康」に関する文章をけっこう書いている。

 彼が高円寺に住むようになったのは一九二四年十月。新聞社を何社もクビになった後、アナキストの評論家とおもわれていたため、定職に就くことができず、雑文書きで食いつないだ。勉強家だが、これといった専門がなく、高円寺で暮らしはじめたころは借金生活を送っていた。 すこし前、永滝さんに新居格が生協の前身にあたる運動をやっていたことを教えてもらった。頼み事を断れない性格だった。

 昭和十七年刊の『心のひゞき』(道統社)の奥付を見ると、新居格の住所は「杉並區高圓寺三ノ三一六」となっている。今の住所だと高円寺南四丁目——長善寺や福寿院などの近くか。評伝などを読むと中野や阿佐ケ谷界隈にも住んでいたことがあるようだ。

2020/07/31

中年の本棚

 突然、ブログの仕様が変わり、投稿の仕方がわからなくなる。Bloggerの利用者、ついていけてますか。変な「+」マークをクリックすると新しい投稿が作成できるようだ。
  新刊の『中年の本棚』(紀伊國屋書店)が出ました。「scripta」で二〇一三年春から二〇一九年秋まで続けた連載をまとめた一冊(書き下ろしも一篇収録)である。コロナ禍の推敲作業——五十肩の痛みに耐え、よく頑張ったとおもう。
 今「中年本」は出版のひとつのジャンルになっている。「四十歳からの~」「五十歳からの~」といった本も合わせるとすごい量だ。就職氷河期世代の「中年本」も次々と刊行されている。

《仕事が減る。将来に不安をおぼえる。そのときにちょっとした発想の転換ができるかどうか》(「中年フリーランスの壁」/『中年の本棚』)

 今もわたしはそういう状況にいる。自分の書いた文章に教えられ、気づかされることもある。「初心」を忘れず、「好奇心」を持続し、さらに休息をとって――中年は課題だらけである。
  中年ひとりひとりの事情は多岐にわたる。子どものいないわたしは「親」という立場からの中年論には踏み込めなかった。自由業しか経験していないので勤め人の中年事情にも疎い。それでも中年期の「心のもや」を晴らす一助になるような本を目指したつもりだ。
 ヘタな考え休むに似たり。だったら、とりあえず一休みしてから考えようというのが、わたしの人生の方針である。疲れた状態で悩んでもロクな結論に至らない。

 今はどうにかこうにか本の形にまとまったことを喜びたい。