2017/04/24

一段落したので

 ゴールデンウィーク進行を無事クリアした。
 こつこつ期日を守り、きっちりできることをやる。地味だけど、その積み重ねが、ささやかな生活を維持につながる。

 一枚の絵をある人は一筆書きのようにさらっと描く。ある人は何ヵ月もアトリエにこもって描く。
 どちらがいい絵になるか。それはわからない。絵の価値は、作業時間に比例しない。

 文章も苦労して書いたからといってよくなるとは限らない。
 そのときどきの調子もふくめて、出来不出来を左右する要素はいろいろある。
 いつだって時間が足りない。予算も足りない。足りない中で何をどうするか。そこが零細自由業者の腕の見せどころ――といいたいけれども、何をやるにしても、自分自身の容量不足を痛感する。
 何の制約もなく、心のおもむくまで、やりたいことができるならそうしたい。でも、そうなったら、ひたすらだらだらしてしまう気もする。適度なストレスは、何かしたい、今の状況を変えたいとおもうきっかけになることが多い。その加減がむずかしい。
 一晩中、自問自答していたことを友人に喋る。なかなかまとまらなかった考えが伝わる。嬉しくなる。それで「もういいや」と気がすんでしまい、その先を考えなくなる。二十代のころ、そんなことがよくあった。

 今、ある本(ノンフィクション系の邦訳書)を時間をかけて読んでいる。テーマは昔からわたしも興味を持っていたことなのだが、そのことを「研究」しようとはおもわなかった。……やっぱり、考えているだけではダメなのだな。読み終えるまで書名は伏せておく(とくに理由はないのだが)。

2017/04/18

課題

 天気予報、東京の最高気温二十八度。室温は二十五度くらい。暑い。
 月曜日、荻窪。ささま書店に行く。編集工房ノアの品切本が並んでいる。大槻鉄男『樹木幻想』をはじめて見た。函入りだったとは。
 久しぶりにタウンセブンで鯖の押し寿司を買う。もうすこし荻窪界隈を散歩しようかとおもっていたら、小雨。家に帰る。

 高松在住の福田賢治さんが作っている『些末事研究』の三号が届く。この号の特集は「親と子」。福田さん、東賢次郎さん、扉野良人さんとわたしの座談会は、昨年六月に京都で収録した。
 わたしはずっと三重弁で喋っている。文字にすると、けっこう違和感があるが、そのままにした。

 昨年の五月末に父が亡くなって、それで東京と三重を行ったり来たりしていた。『些末事研究』の座談会の前日も凍結された父の銀行口座の件やら何やらで消耗していた。京都に行って、ようやく人心地ついた気がした。

 今月のはじめに発売のインディーズ文芸創作誌の『ウィッチンケア』の8号にも「わたしがアナキストだったころ」というエッセイを書いた。
 ここ何年かでいちばん苦心して書いた文章かもしれない。

『なnD 5』でも、インタビューというか、戸塚泰雄さんと五、六時間飲んだあと、帰り際にいろいろ質問されて、酔っぱらって喋ったことが収録されている。
 すこし前に中古のベースを買って浮れていた。浮れたかんじがそのまま活字になっている。でも直さなかった。

 文章を書いている途中に、ちがうことを書きたくなってしまうことがよくある。でも仕事の原稿でそんなことをしていると、期日に間に合わないし、次の予定にも支障が出る。
 そうこうするうちに遊びの部分をカットし、ひとつずつ順番に仕上げることを優先するようになる。効率はいいが、楽しくない。アクセルではなく、ブレーキばかり踏んでいるような気分になる。

 今はそのあたりのバランスをすこし変えたいとおもっている。うまくいかなかったら、また元に戻すつもりだ。

2017/04/16

春に考える(九)

 和巻耿介著『評伝 新居格』(文治堂書店、一九九一年刊)の冒頭付近に、新居格の直筆の短歌が転載されている。

《路と云ふ路は羅馬に通ずれば
 ドン・キホーテよ でたらめに行け》(「短歌研究」昭和十二年六月号)

 新居格、四十九歳のときの歌だ。
 わたしは短歌の世界には不案内なので、この歌のよしあしはわからない。でも「でたらめに行け」という言葉には、新居格のおもいがこもっている気がする。
 年譜を見ると、五十歳前後から新居格は映画関係の執筆が盛んになる。新居格は、興味をもつと、どんどんのめりこむ。見習いたい。

 わたしは三十代前後から、ゲーム、音楽、漫画など、これまで好きだったものにブレーキをかけるようになった。
 限られたお金と時間と体力を何かひとつのことだけに注ぎ込まないとダメになる……という強迫観念にとらわれていたのだ。もちろん、ひとつのことに集中してよかったところもある。いっぽう、行き詰まったときに逃げ場がない、窮屈なかんじもあった。

 何かをするということは、その分、何かができなくなる。
 しかし無我夢中にのめりこんだ経験は、かならず別の何かにフィードバックされる。今はそうおもえるようになった。

 当初、考えていたぼんやりとした着地点とはズレて(見失って)しまったが、ここ最近の心境の変化を書き残しておきたかった。
 
 続きは、また来年の春になったら考えたい。