2019/12/04

年譜の話

 十二月になった。けっこう暖かい。一日の半分くらいはコタツで仕事か読書という日々を過ごしているが、電源はほとんど切ったままだ。

 講談社文芸文庫の木山捷平の年譜であることを調べていたら、自分の記憶に残っていた記述が見つからない。同じ文芸文庫の『落葉・回転窓』の年譜を見たら、あった。

《一九五六年(昭和三一年)五二歳
 囲碁を始め、生涯の趣味となる》

『木山捷平全詩集』の年譜には、この囲碁に関する一文がなく、その年発表した作品(「耳学問」など)のことや山梨県の増富鉱泉に行ったことが記されている。
 こうした「小発見」はちょっと嬉しくなる。
 今回あらためて木山捷平の年譜を見てみると、五十二歳以降に小説の代表作を書いていることがわかった。

 囲碁の効果なのか。

 五十代になって「生涯の趣味」をはじめるのもわるくない。

2019/11/29

夜の散歩

 水曜夕方神保町、神田伯剌西爾でマンデリン。JR中央線お茶の水駅から高円寺を通過して西荻窪の音羽館へ。村上文昭著『耕治人とこんなご縁で』(武蔵野書房、二〇〇六年)などを買う。耕治人は野方に住んでいた。野方は西武新宿線沿線だけど、高円寺からも徒歩圏内である。

 耕治人が亡くなったのは一九八八年一月。享年八十一。
『耕治人とこんなご縁で』には、著者以外の追悼文もいくつか収録されている。斎藤国治の「耕治人君と『丘』」にこんな一節があった。

《西武野方駅からそう遠くない耕君のお宅には一度だけお邪魔したことがある。静かなお住まいで奥様はお元気でおられた。野方は福原麟太郎先生がおられたのですぐ判った。あの頃の耕君はご夫妻ともお元気であった》

 一年くらい前に西部古書会館で買った福原麟太郎のあるエッセイ集に本人の名刺が貼られていたことがあった。その住所も野方だった。こういうのはちょっと嬉しい。
 福原麟太郎には『野方閑居の記』(新潮社)という函入りのきれいな本(野口弥太郎装丁)もある。
 福原麟太郎は一九八一年一月没。享年八十六。

 ひまなときに野方を散策したい。

 話は変わるが、音羽館の帰り道——北口から南口に抜け、荻窪まで歩いてささま書店に寄って高円寺に帰るつもりだった。
 神明通りという明るい道があり、荻窪駅方面のバスが走っていた。南東に斜めの道で荻窪駅からは確実に遠ざかっている気がしたが、そのまま歩く。
 しばらく歩くと大宮前体育館というところに出た。このあたりでバスが左折している。地図を持たず、夜の道を歩いていると不安になる。方向感覚がわからなくなる。適当に斜めの道を歩き、適当に曲る。すると与謝野公園に出た。与謝野鉄幹、晶子夫妻はかつて荻窪に住んでいて、すこし前にその終の住み処が公園になっていることを知って、何かのついでに行ってみようと考えていたのだが、まさか道に迷って夜の九時前にたどり着くことになるとはおもわなかった。

 結局、ささま書店の営業時間までにはたどり着けず、そのまま高円寺まで歩き、ペリカン時代で飲む。
 店に入ると根岸哲也さんとその親族の方々が飲んでいて、橋本治の杉並の実家の話を聞かせてもらう。近所だったらしい。

2019/11/25

知命の書

 今週、五十歳になった。なんとなく、ここ数日、自分以外の人が五十歳くらいのころに書いた文章を読み返していた。

 久しぶりに古書善行堂の山本善行さんの『古本のことしか頭になかった』(大散歩通信社、二〇一一年)を手にとる。山本さんは一九五六年生まれ。この本で永田耕衣のエッセイ集を知って古本屋で探したけど、見つからず、そのまま忘れていたことをおもいだした。
 それにしても五十代に入ってからの古本熱がすごい。

《私の場合このように古本を買うことで自分を支えているみたいなところがあって、だからここのところが崩れると精神的にも苦しくなる。最近どういうわけか自分を支えすぎて(本を買いすぎて)、家に置けなくなり、こっそり実家に本を運んでいたのだが、それがとうとう見つかってしまったのだ。「二階の底がぬけるがな」と怒られたのだ。父は素人(?)なので、どのくらいの本で底が抜けるかわからないのだ》

 二〇〇六年三月の記。山本さんが古本屋をはじめるのはその四年後か。

 わたしが『sumus』に参加したのは二〇〇〇年の春——三十歳のときだった。山本さんや岡崎武志さんが当時四十代の前半で、そのとき「四十代になっても、一冊百円するかしない本でこんなに一喜一憂できるのか」と畏敬の念を抱いた記憶がある。

 昔からわたしは古本熱に波がある。今年は仕事部屋の引っ越しもあって、夏以降今に至るまで、おもうように本が買えない状態が続いている。本の置き場所がもうないですよ。地方の格安の平屋の家を買うか、蔵書を売るか。ほかの選択肢はないか。天命を知るといわれる齢になっても、迷いまくっている。

『古本のことしか頭になかった』のあとがきは何度読んでもいいなあ。頭がおかしい。