2021/10/21

八木義徳生誕百十年

 夕方神保町。午後五時すぎでもう薄暗い。冬が近づいている。そろそろコタツの準備を考える。

 行きと帰りの電車で『何年ぶりかの朝 八木義徳自選随筆集』(北海道新聞社、一九九四年)を読む。本書に「作家の姿勢」という随筆がある。
 八木義徳は原稿執筆中に悪寒に襲われる。熱を計ると三十九度六分。しばらく静養していると野口冨士男からこんな手紙が届く。

《高熱を発せられたご様子、いけませんねえ。自身の方法が最善だなどと主張する気は皆無(六回も七回も書き直すんですから、むしろ最悪ないし最低かも)ですが、馬券の一発勝負より日掛け貯金のほうがアンゼンなことだけは間違いありません。(中略)なにか今とは別の方法を考えないと大変なことになりますよ。病気は何度でもするけれど、人間は一回しか死なないという言葉、肝に銘じてください。(後略)》

 引用した手紙の「(中略)(後略)」は八木義徳自身によるものである。「作家の姿勢」の初出は一九八八年十月二十二日(北海道新聞夕刊)。八木義徳は一九一一年十月二十一日生まれだから、七十七歳のときの随筆だ。今日、生誕百十年。

『八木義徳 野口冨士男 往復書簡集』(田畑書店)には八木が高熱を出したことを伝える野口宛の手紙(九月十二日)は収録されているが、その返事(野口発、九月十五日過ぎ)は「逸失」とある。
「作家の姿勢」の引用部分は野口発の「逸失」した手紙の可能性が高い。
 八木義徳は野口からの手紙を次のように解説している。

《ここで野口のいう「馬券の一発勝負」というのは、仕事の締切りがギリギリに迫ったところで、半徹夜つづきで一気呵成にやっつけるという私のやり方のことで、「日掛け貯金」というのは、締切りの期限にまだ余裕のあるうちに、ともかくも机に向かって一日に二枚でも三枚でも着実に書き貯めて行くという野口自身のやり方のことである》

 八木はできれば野口のやり方で執筆したいが「どうしてもそれが出来ない」。そして「馬券の一発勝負」派、「日掛け貯金」派の二つの流儀は「作家それぞれの資質の問題」だと……。
 野口の手紙は「自身の方法が最善だなどと主張する気は皆無」と断っているとおり、八木の方法を否定しているのではなく、八木の体の心配をして書かれたものだ。

「作家の姿勢」はそう簡単に変えられるものではない。その姿勢は作風とも切り離せない。

……わたしは八木義徳の随筆を読み、「日掛け貯金」派を目指すことにした。

2021/10/19

詩とアナキズム

 急に寒くなる。やる気が出ない。しばらくは低気力でどうにかやりくりするしかない。
 気力の回復には休息や睡眠が大切なことはいうまでもないのだが、ただ歩いて風呂に入って酒飲んで寝るだけの一泊二日くらいの小旅行がしたい。今はその気力をチャージしているところだ。

 新刊、田中ひかる編『アナキズムを読む』(皓星社)に「のらりくらりの哲学」という文章を書いた。新居格の随筆に触れながら、自分のアナキズム観を述べたつもりなのだが、一人だけやる気がなくて浮いている(沈んでいる)かも——と心配していた。

《アナキズムについてもそれが正しいという前提に立たないことが重要だと考えている》

 わたしが書きたかったことはこの一文に尽きてしまうのだが、そういえるまでに三十年くらいかかった。

 同書の斉藤悦則さんの「経済の矛盾を考察し軽やかな社会変革をめざす」はプルードンの思想の根幹部分について次のように説明している。

《ものごとの内部の相反する二つの面(善と悪、あるいは肯定面と否定面)の対立を、プルードンは矛盾と呼ぶより「アンチノミー」と呼びたがるのも大事な点です。それは二つの面がどちらも等しく存在理由があり、ともに必然であると言いたいからです。良い面だけを残して、悪い面のみを除去することはできない(マルクスはこれを誤解したうえでプルードン批判を展開した)。矛盾をなくせば永遠の幸せが訪れるという思想は怪しい、とプルードンは考えます》

 わたしもそうおもうのだが「社会をよくする=悪い面を除去する」と考える人は多い。
「アンチノミー」は日本語では「二律背反」と訳されることが多い。世の中は矛盾だらけなのが常態であり、善の中にも悪があり、悪の中にも善があるなんてことは珍しいことではない。

 万人共通の理想はない。それゆえ理想を旗印にした争いに終わりはない。その矛盾をどうするか……ということは、アナキズムにかぎらず、様々な思想および社会運動の課題だろう。
 柔軟性を失い、変化を止めてしまった思想はだいたい十年か二十年で消える。

 話は変わるが『望星』十一月、特集「詩のない生活」に「鮎川信夫雑感 詩を必要とするまでに」というエッセイを書いた。『望星』は「いとしの愛三岐」「続・愛しの愛三岐」など、この四、五年かなり読んでいる雑誌である(連載陣も坂崎重盛さんをはじめ、好きな書き手が多い)。今回、詩の特集の依頼ということもあって、頑張って書いた。これまで何度となく鮎川信夫のことを書いてきたが、今のところ一番出来ではないかと秘かに自負している。

2021/10/16

自由とは

 すこし前に荻窪の古書ワルツで田村隆一著『もっと詩的に生きてみないか きみと話がしたいのだ』(PHP研究所、一九八一年)を買う。立ち読みしていて、いくつか読んだことのある文章があったので「ひょっとしたら持っているかも」と迷ったが、装丁に見覚えがない。家に帰って未入手本と判明した。

「本をめぐる対話 斎藤とも子君と」の初出は一九八〇年九月。同じ名の女優(近年、新聞雑誌では「俳優」と書かないといけない)がいる。一九六一年生まれ。斎藤とも子は「十七歳」「高校二年」と語っている。たぶん本人だろう。
 田村隆一は「本をめぐる対話」の一冊にスタンダールの『パルムの僧院』を取り上げている。太平洋戦争前夜、年上の友人たちは兵隊になり、命を失った。日本が戦争に敗けそうになり、大学生の徴兵延期が廃止され、昭和十八年に田村隆一も兵隊になる。そんな話をして——。

《斎藤 ああ、そうなんですか、学徒動員で。
 田村 (笑)で、しようがなくてねえ。それでまあ、せいぜい畳の上で本が読めるってのは、わずかな時間だと思いましたしね。とくに日本の軍隊ってのは、いろんな先輩から話を聞いてると、たいへんなところらしくてね、とにかく畳の上で自分の好きな文学の本読めるなんてのはね、もう最後の唯一の自由なんですがね、それもだんだん迫ってきて、しようがなくて、どういうわけだかなあ、スタンダールの小説、また読み出してね。で、兵隊に行くまえの晩までこの『パルムの僧院』読んでて……》

 しかし『パルムの僧院』は途中までしか読めなかった。

《田村 ところが不思議なもんでね、まあ、不思議と命ながらえて、敗戦で、生き残ったんですけどね。どうもその中絶したところから読み出す気になれなかったですね。そのままついうっかり三十何年たっちゃってね。あなたに会ったおかげで、そのつづきをこれから読もうとおもって……。
 斎藤 フフフ。私もまだ、ファブリスが、恋人のクレリアとめぐり会うところまでしか読んでないんですけど》

『パルムの僧院』は、生島遼一や大岡昇平訳が有名だが、戦中、田村隆一が読んだのは齋田禮門訳か。戦時中、畳の上で好きな本を読む。若き日の田村隆一にとって、それが自由であり、贅沢だった。すくなくともそういう感覚はわたしにはない。今のわたしは「老眼で字がかすむ」「目が疲れた」と心の中でしょっちゅう愚痴をこぼしながら本を読んでいる。

《田村 フフ、でも、いま……なかなかねえ、人間の自由っていうのは、これ、不思議なもんで、ほんとうに不自由にならないと自由ってのはわからないところもあるんですねえ。あまり、こう自由ってものがね、こう空気のようにいつでも周りにあるとね……。
 斎藤 あると……。
 田村 うん、やはり自由ってものが目に見えてこないわけ》

 この一年数ヶ月、コロナ禍を経験し、自由がちょっと見えた気がする。
 深夜日付の変わる時間あたりにふらふら飲み歩く。仕事帰り、神宮球場にふらっと寄る。ライブハウスで友人のバンドを見る。それまで当たり前にやっていたことが、そうではなくなった。

 営業再開した知り合いの店でウイスキーの水割を飲んだ。家でも同じ酒を飲んでいるのに「いやー、うまいな」と。戦争に比べれば、新型コロナの緊急事態宣言なんてたいしたことではないかもしれないが、それなりに不自由を知ることができた。

 そのうち日常が戻って、いろいろ忘れてしまうのだろう。それはそれでよしとしたい。