2018/08/18

『蒐める人』イベント

 来月、南陀楼綾繁さんの新刊『蒐める人 情熱と執着のゆくえ』(皓星社)の刊行記念のイベントがあります。
『sumus』『スムース文庫』初出のものにくわえ、古書日月堂の佐藤真砂さんのインタビュー、都筑響一さんとの巻末対談を収録しています。出版社はちがうけど、前著『編む人 小さな本から生まれたもの』(ビレッジプレス)と装丁が対になっています。

 わたしは「日曜研究家」の串間努さんのインタビューに同行していて(十六年も前か)、串間さんと南陀楼さんのあまりの話の濃さにまったくついていけなかったことをおもいだした。「僕は趣味を持つときには、入門書を読んだり道具を集めたりして結局やらないタイプ」という串間さんの話は自分もその傾向があるので「それでもいいんだ」とほっとした気持になった。たしか「トランプの遊び方とか?」という質問をした。
 それから「私の見てきた古本界七十年 八木福次郎」の回(二〇〇三年)は貴重だとおもいます。昭和十年代に神保町のすずらん通りで露店の古本屋が出ていた話は、その後の一箱古本市につながっているのかなと……。

第101回 西荻ブックマーク 南陀楼綾繁×岡崎武志×荻原魚雷 
『sumus』から生まれた本のこと【東京篇】

西荻ブックマーク第101回目のイベント!
書物同人誌『sumus』や本について、同人である岡崎武志さん・荻原魚雷さんのお二人を交えて語り合います。
開催日:2018年9月9日(日)
開始:18時(17時30分開場)
終了:20時(予定)
会場:ビリヤード山崎2階(東京都杉並区西荻北3-19-6、西荻窪駅北口徒歩1分)
料金:1,000円
定員:50名(要ご予約)
詳細、ご予約はこちらから 西荻ブックマーク

2018/08/17

色川武大、志摩に行く

 十四日から十六日の三日間で四十時間くらい寝ていた。睡眠時間以外もほぼ横になっていた。熱はないが、すこし咽が痛くて、首と背中がこっている。夏風邪ですな。
 風邪をひいたときは珈琲が飲めなくなる(ふだんは一日四、五杯飲む)。からだが楽になって、もう治ったかなとおもっても、珈琲が飲みたくないときは、すこし寝て起きると、やっぱり、風邪のかんじが残っている。とくに起きぬけ一時間がきつい。風邪のせいとわかっていても、心が弱って自分の将来を悲観しまくってしまう。
 つまり風邪が治ったかどうかは、珈琲が飲みたくなるかどうかでわかる。珈琲は健康じゃないとおいしくない飲み物なのだ。

 今日は風邪がぬけた感覚があったので、コンビニのコーヒーを飲んでみた(たまに飲みたくなる)。だいたい七十二時間休むと回復する。

 病中、色川武大がどこかに伊良湖から鳥羽にわたる話を書いていたなと本棚をあさっていたら『引越貧乏』(新潮文庫)の「暴飲暴食」にあった。ただし、未遂。
 色川武大が東京から鳥羽か伊勢行き、そこから和歌山に行く旅の計画を立てる。和歌山に色川という名のつく村があり、以前から行きたいとおもっていた。その話を聞いた逐琢(ちくたく)が「俺も行く」といいだす。逐琢は鳥羽の奥のほうの村の生まれで学校を出たりやめたり入ったりを四十歳くらいまでくりかえし、四、五ケ国をよくする同人雑誌仲間である。

《「——行き方に二通りあるんだ。どっちにするかね。豊橋でおりて、渥美半島の尖端まで行き、そこからフェリーで鳥羽に渡る」
「なにィ——」
「名古屋まで新幹線で行って、近鉄の特急に乗りかえて、伊勢市か鳥羽でおりる。——おい、どうしたんだ」》

 さらに「急ぐ旅じゃァないだろ。お互い休暇のつもりだ。伊勢に泊ろうと渥美に泊ろうと、泊るというだけのことさ。——渥美半島はいいところらしいぜ。ところが俺は一度もそのコースで帰ったことがないんだ」と逐琢。結局、豊橋ではなく、名古屋までの新幹線の切符を買い、船で鳥羽にわたる話はうやむやになる。
「暴飲暴食」では、鳥羽に行く途中、松阪で下車、ステーキを食い、鳥羽で海の幸を食いまくる。さらに赤福も。その後、鳥羽から逐琢の郷里の奥志摩へ。どこだろうとおもったら船越という土地だった。チャーターした車の運転手は「昔は船でしか行けんかった一帯ですがね。よう開けたもんですわ」と説明する。

 わたしの母は伊勢志摩の生まれで子どものころよく行っていたのだが、船越のほうには行ったことがない。すこしはなれたところに深谷水路という太平洋と英虞湾を結ぶ運河がある。いつか行ってみたい。
 鳥羽滞在のあと、ふたりは和歌山を訪れる。新宮駅に降り、レストランに入った途端、店に出入りする老若男女の顔つきに自分の顔に似ているとおもう。色川武大の顔はほりが深く、目鼻立ちがはっきりしている。若いころはものすごくハンサムだった。

《「おそろしいものだねえ、俺は生まれてはじめて、自分の国へ来たという感じがする」》

『引越貧乏』は色川武大が五十歳になって書きはじめた連作なのだが、そのくらいの齢になると自分のルーツのようなものが気になりだすのか。

 先日、母から祖母と叔母が暮していた伊勢志摩の家は取り壊しが決まったと電話があった。元気なうちに行きたいところ行っておかないと……と病み上がりの頭で決意した。

2018/08/14

古山高麗雄の新刊

 今日も暑いなあとおもってたら雷。急に強い雨が降ってきた。外に干していた洗濯物を慌ててしまう。夕方、小雨になったので買い物に行くと、駅近くのスーパーの店先に土嚢が積んであった。町に人が少ない。

 四十代後半になり、十年前にはじめておけばよかったとおもうことがよくある。手間や体力を必要とすることが億劫になる。いってもしょうがないことだが、何をするにも時間が足りない。

《とにかく、わからないことだらけです。わからないことだらけで、結局私も、近々死んでしまいます。それでいいのだ、と思います》(古山高麗雄著『人生、しょせん運不運』草思社)

《人は、なんとか食っていけさえすればそれでいい、としなきゃ、とも思いました》(同書)

 この八月、古山高麗雄の新刊が二冊刊行される。『プレオー8の夜明け』(P+D BOOKS)は表題作を含む短篇十六作。目次を見たら、わたしがもっとも好きな古山さんの短篇「日常」も収録されている。

《朝起きて、昼寝をして、宵寝をして、深夜あるいは明方にまた寝たりすることがある。朝酒を飲んで、一寝入りして、また酒を飲んで、また一寝入りする。そういう日もある》(「日常」)

 二十代のころ、この短篇を読んで古山さんのファンになった。第三の新人と「荒地」の詩人が好きだったのだが、「戦中派」の作家の中で、古山さんの書くものがしっくりきた。「日常」を読んだとき、「文学はここにある」とおもえた。勘違いかもしれない。

 もう一冊、今月二十一日に『編集者冥利の生活』(中公文庫)が刊行予定。中公文庫のほうは解説を担当した。表題の「編集者冥利の生活」はPR誌『春秋』の連載していた回想録——『本と怠け者』(ちくま文庫)でも紹介している。編集者だけでなく、仕事がうまくいっていない人に読んでほしい。
 戦後、復員して河出書房の編集者の職についたが、会社が倒産。食べていくためにゴーストライターや校正の外注もした。転々と出版社を渡り歩いたが、そのたびに条件はわるくなる。

《反省すると、私には儲かる商品の企画力がない。組織の中の者として可愛げがない。ヘンな野郎である。お上手が言えない。好んで毒舌を弄したり、相手の嫌うことを言ったというわけではないのに、身に備わっている人間の持ち味が出世を拒む》

《私は学校を中途退学して以来、ずっと、しがない場所を歩き続けてきた。その自分を、諦めた目で見ている。そして、なんのよりどころもなく、まあなんとかなるだろうさ、と思っている》

『編集者冥利の生活』では古山さんが二十八歳のころに書いた幻のデビュー作「裸の群」も収録している。「裸の群」と「プレオー8の夜明け」とかなり似ている。ぜひ読み比べてほしい。今日、見本が届いた。すごくいい文庫だとおもいます。安岡章太郎との対談のことも書きたかったが、長くなるのでいずれまた。

 わたしは今年の秋、四十九歳になる。ようやく古山さんが小説を書きはじめた齢になった。
 この先も寝たり起きたりしながら文章を書く生活を続けたい。

2018/08/09

武田泰淳と東海道

 東名高速道路の全線開通が一九六九年五月二十六日。来年五十周年になる。東海道新幹線の開通が一九六四年十月(東京オリンピックの年)。西ドイツを抜いて日本のGNPが二位になったのが一九七〇年。いわゆる「東洋の奇跡」である。

 武田泰淳著『新・東海道五十三次』(中公文庫)は一九六八年十一月に旅立つ(連載開始は毎日新聞で翌年一月四日から)。つまり東名高速道路の全線開通の年に執筆していたことになる。

《静岡と岡崎のあいだに高速道路が開通したばかりで、私たちはその前日、牧の原のサービスエリアで中食をとっていた。「祝開通東名高速道路 コカコーラ」その他、スポンサーつきのアドバルーンが赤白だんだらで十ヶ以上も揚がっていた》

 自動車(運転手は武田百合子)による東海道漫遊記は時代風俗資料としても貴重である。武田泰淳の『新・東海道五十三次』では東海道をそれ、愛知県のあちこちをまわる。泰淳の兄は知多半島の新舞子の水産試験場で伊勢湾、三河湾の水産資源の生態を研究していた。戦後、「『愛』のかたち」の執筆時、泰淳は新舞子で一ヶ月ほどすごしている(原稿はほとんど書けなかった)。

《椎名麟三、梅崎春生の両氏が講演会の帰途、たち寄ってくれたのが何よりうれしかった》

『新・東海道五十三次』では、知多半島の常滑に下り、半田市、高浜町、碧南市、西尾市、一色町、幡豆町(はずちょう)を走る(一色町と幡豆町は二〇一一年に西尾市に編入)。幡豆町は名鉄蒲郡線。名鉄三河線の「山線(猿投〜西中金)」「海線(碧南〜吉良吉田)」といわれる区間が廃線になったのは二〇〇四年四月。西尾市には予備校時代の友人が住んでいるのだが、行ったことがない。

 話がそれてしまったが、泰淳と百合子は三河湾沿いの町から浜名湖に行き、さらに豊橋に引き返し、伊良湖岬に向かう。

《渥美半島の突端まで行くには、豊橋から半島の内側を貫通する、田原街道の良く舗装された快適なドライブウェイがある》

 伊良湖岬に向かう途中、武田泰淳は杉浦明平と会ったのかどうか。「会った」という記述はない。そのかわり——。

《杉浦明平氏には、ルポルタージュ「台風十三号始末記」(岩波新書)がある。
 氏が町会議員となっていた福江町が、今では泉村、伊良湖岬村と合併して渥美町となった》

 渥美町の合併は一九五五年四月十五日。さらに渥美町は二〇〇五年十月に田原市に編入された。伊良湖岬から再び豊橋を経て名古屋に向かう。名古屋では東山動物園、名古屋城、平和公園に行っている。
 そして三重へ——。
 自動車で東海道を走り抜けた泰淳はこんなふうに述懐している。

《峠の茶屋。その名物。およそ「峠をこえる」という感覚は、東名、名神の二つの高速道路を走っていれば、消え失せてしまう。橋もトンネルも坂も峠も一直線に同じ平面でつながっているのだから「河を渡った」という感覚さえうすれてしまう》

 新幹線、高速道路は、日本人の旅をどう変えたのか。『新・東海道五十三次』は五十年後の「今」を予見している。
 来年の東名高速道路全線開通五十周年にあわせて復刊してほしい。

2018/08/08

木山捷平と伊良湖岬

 木山捷平著『新編 日本の旅あちこち』(講談社文芸文庫)を再読していたら「伊良湖岬——愛知」という一篇があることに気づいた。読んでいたことをすっかり忘れていた。今年、伊良湖岬に行ったときにもおもいだせなかった。

《名も知らぬ遠き島より
 流れ寄る椰子の実一つ》

 木山捷平は、島崎藤村の詩「椰子の実」の海を九州の南海岸のほうだとおもっていた。ところが、この詩の舞台は愛知県の伊良湖岬である。
 新幹線で豊橋へ。A新聞の記者とカメラマンも同行。そこからハイヤーで伊良湖岬に向かう。この紀行文の初出は一九六五年二月の『週刊朝日』。途中、今、走っている道のことを運転手にたずねると、よく知らないと答えた。

 木山捷平は、途中、渥美町に暮らす杉浦明平の家に寄る。杉浦明平は風邪をひいて寝込んでいた。杉浦明平に渥美半島を案内してもらうつもりだったが、アテが外れた。この部分は完全に忘れていた。杉浦明平の助言で陸軍試砲場の跡地に行く。
 その後、渥美町から伊良湖岬に行き、船で鳥羽にわたる。鳥羽と伊良湖を結ぶ伊勢湾フェリーは一九六四年四月に設立で営業開始は同年十月——木山捷平はこのフェリーの運行開始直後に乗ったことになる(当時の船事情はもうすこし調べてみたい)。

《鳥羽からかえりみると、伊良湖は一つの島であるかのように見えた。万葉時代は伊勢の国の内であった事情ものみこめたような気がした》

 今年、わたしは鳥羽のほうから伊良湖岬に渡って帰ってきたのだが、鉄道が普及する前は、東海道の吉田宿(豊橋)から伊良湖岬に出て船で伊勢に行く最短の道だったことを知った。ただし、伊良湖から鳥羽のあいだは波が穏やかではない。今のフェリーで約一時間の距離の船旅はけっこう大変だったとおもう。

 今は三重県の津から中部国際空港に行く高速船もある(四十五分)。空港から名鉄空港線で常滑駅に出て、名鉄河和線の知多半田駅方面のバスに乗り、さらに武豊線で亀崎駅、そこから歩いて名鉄三河線の高浜港駅(三キロくらい?)に行き、東海道刈谷駅……というルートで東京に帰ってみたい。かなり遠回りになるが。

2018/08/06

葛西善蔵の口述筆記

 古木鐵太郎の全集を買った……という話を書いたが、その何年か前に古木が葛西善蔵の小説の口述筆記をしていたことをどこかで読んだ気がしていた。今朝、おもいだした。木山捷平著『新編 日本の旅あちこち』(講談社文芸文庫)の「椎の若葉——青森」である。
 木山捷平は、青森の碇ケ関温泉に泊り、翌日、三笠山に登り、葛西善蔵の文学碑を見に行く。

《椎の若葉に
 光あれ
 親愛なる
 椎の若葉よ
 君の光の
 幾部分かを
 僕に恵め》

 文学碑の裏には友人の谷崎精二による葛西善蔵の略伝が彫ってある。

《この碑文はいうまでもなく善蔵の名作『椎の若葉』の中の一節だが、この作品は当時(大正十三年)雑誌「改造」の青年記者だった古木鉄太郎氏が口述筆記したものである》

《筆記の場所は本郷の何とかという下宿屋で、酒ずきの善蔵は一ぱいやりながら口述をはじめた。はじめたのは午後三時ごろで、終ったのが午前三時ごろだった》

 このエッセイは『古木鐵太郎全集』の別巻にも「『椎の若葉』より」として収録されている(途中、省略あり)。「何とかという下宿屋」は本郷の西城館だろう。
 口述に行き詰まった葛西善蔵が犬や牛の物真似をした話も「椎の若葉――青森」で紹介している。わたしはそこだけ覚えていた。
 葛西善蔵の口述筆記といえば、「酔狂者の独白」は嘉村礒多が担当している。

《自分は、今日も、と言つても、何んヶ年も出してみたことはないのだが、押入れから新聞紙包みの釣竿を出して見た》

「酔狂者の独白」はのんびりしたかんじではじまる小説だが、口述筆記の最中、葛西善蔵は嘉村礒多に「早く筆記して!」と急かした。ようやく筆記した原稿をその場で破り捨てることもあった。嘉村礒多の小説にも葛西善蔵の口述筆記をしていた話がある。

『葛西善蔵集』(山本健吉編、新潮文庫)で「湖畔手記」と「酔狂者の独白」を読んだのだが、字が小さくて苦労した。眼鏡を外したほうが読みやすい。老眼か?

2018/08/01

古木鐵太郎の話

 朝五時、近所を散歩。空は明るい。月が見える。

 古木春哉著『わびしい来歴』(白川書院)がおもしろかったので、父の古木鐵太郎の本を読んでみたくなった。
 読みたいときが買いどき。『古木鐵太郎全集(全三巻+別巻)』を衝動買い。すこし前に、別の古木鐵太郎の本をネットで購入したら、目次にびっしりと書き込みがあり、本文中に線引があった。安い本ではなかった。返品を申し入れたところ、返金してもらえた(本を返すための送料はどうすればいいのだろう? その後、何の連絡もない)。

 古木鐵太郎は一八九九年七月十三日生まれ(一九五四年三月二日に亡くなった)。
 もともと改造社の編集者で志賀直哉の「暗夜行路」、葛西善蔵の「椎の若葉」を担当した。「椎の若葉」は古木鐵太郎が口述筆記している。酔っぱらった葛西善蔵は犬の物真似をした。「湖畔手記」の担当も古木だった。
 先日『フライの雑誌』の堀内正徳さんも、あさ川日記に葛西善蔵のことを書いていた。

《葛西善蔵はあの時代に、仕事をするために籠った湯ノ湖の宿へわざわざ自前の釣り竿を持ち込んでいる。温泉入って釣りなんかしてたら、そりゃ作はできないですよ善蔵さん》(「きれいな川と元気な魚」/あさ川日記より)

『古木鐵太郎全集』所収の随筆を読むと、日光には葛西善蔵だけでなく、古木も同行していた。

《この日光湯本滞在の時が、葛西さんには最も楽しかつた期間ではなかったらうか。よく二人で湖畔を歩いたり、戦場ケ原に遊びに行つた》(葛西さんのこと)

『湖畔手記』は二、三年に一回くらい読み返したくなる。ぐだぐだ感がたまらない。

 古木鐵太郎は「散歩の作家」とも呼ばれていた。
 高円寺から野方あたりをよく歩いている。上林曉や木山捷平の随筆にも古木鐵太郎の名前は出てくる。改造社時代に上林曉と知り合い、いっしょに同人雑誌も作った(上林曉と共著もある)。井伏鱒二とも親交があった。中央線文士とのつながりがけっこう深い。

 古木の妻は佐藤春夫の妻(谷崎潤一郎の元妻)の妹でもあった。生活苦に陥っていた古木鐵太郎に佐藤春夫が編集の仕事を紹介しようとしたが、それを断り、以後、疎遠になったらしい。

 全集の別巻には尾崎一雄の古木鐵太郎の追悼文も収録されている。

《古木君の作品は、非常に特色あるものだ。即ち、古木君の作品ほど、素直な小説を、私は古今東西に亘って読んだことがないのだ。(中略)気持にも文章にも、全然ヒネつたところや企んだところの無い小説――どう考えても珍しい小説だと思ふ》

 読みはじめたばかりなのだが、すでに古木鐵太郎に魅了されている。いい人そう。

2018/07/29

東海道と木曽路

 東から西に向かう台風——今朝のニュースでは「逆走台風」と呼ばれていた。
 台風一過の日曜日、西部古書会館。“街道熱”のせいか、本を見る目が変わる。「道」という言葉に反応する。
 街道関係の本は膨大にある。さかのぼれば、古代史の領域に到達してしまう。限られた時間の中で何ができるか。今の自分の興味をどう絞り、どこに焦点を合わせるか。どの道をどう歩くか。
 この日は、藤森栄一著『古道』(學生社、一九六六年)、杉浦明平著『東海道五十三次抄』(オリジン出版センター、一九九四年)を買う。

『古道』によると、「東海道は、水路が多く、馬匹輸送にはかならずしも適していない。(中略)かといって、古い三河・遠江よりの信濃路は、あまりにも長い」とある。東海道と中山道でいえば、中山道をほとんど知らない。今、気になっている中山道の宿場町のひとつに塩尻がある。

《塩は三河からも、越後からも入った。南塩・北塩という、その南北の塩の合流点が、中仙道の塩尻だったという》

『東海道五十三次抄』の杉浦明平は愛知県渥美郡福江村生まれ。

《わたしの住む渥美半島から伊勢の神島(三島由紀夫『潮騒』の夢島)は、伊良湖水道を距ててわずか八キロの西に浮かび、その北や西の背後には三重県の山々が連なっている》

 しかし明治以降、伊良湖と三重は「近くて遠い隣仲」になる。わたしは今年はじめて鳥羽から渥美半島の伊良湖に行った。そこからバスと電車で豊橋に出て東京に帰った。いうまでもなく名古屋経由で新幹線に乗るほうが断然早い。

『東海道五十三次抄』に「東海道の名残り」というエッセイがある。

《東海道は、国道一号線に名を改めて以来、急速に滅びてしまった》

《また、東海道の主要な宿場の大部分は、木曽路とちがって、明治以降近代都市となって江戸時代の姿とは似ても似つかぬものになった》

《幕府は、役人が上方や九州方面に出張する際往路は東海道、帰りは中山道を通るようきめていた》

 往路と復路で道を変えたのは、便利な東海道ばかりつかえば、木曽路の宿場が潰れてしまうからだ。寄り道や遠回りが町や街道の文化を支えていた。わたしもできるだけこの江戸の考え方を生活に取り入れていきたい。遠回りを楽しむ文化を根づかせることが地方の再生の鍵になるのではないか……そんなことをぼんやりと考えているわけです。

2018/07/23

庄野の白雨

 広重の「庄野の白雨」は、東海道沿いではなく、加佐登神社に行く途中なのではないかと書いたが、わたしの第一感はそうではなかった。
 庄野宿の近辺というより、亀山宿に近い場所かなともおもったんですね。それなら坂はいくらでもある。

『世界名画全集 別巻 広重 東海道五十三次』(平凡社)の庄野に関する記述には、「ここは石薬師より鈴鹿川べりに出て、しばらくさかのぼると着く、わびしい部落である。ただこの地から東十町ばかりの所にある白鳥塚は、日本武尊の陵として有名である」というものもある。
 そんな「わびしい部落」である庄野宿に来た人が、地元の人に「このへんの見どころは?」と訊く。たぶん地元の人は、白鳥塚か加佐登神社と答えるだろう。
 で、「じゃあ、行ってみるか」と坂を登っていたら急に雨が降ってきた。「庄野の白雨」はそういう絵なのではないか。あくまでも想像ですが。

 宮川重信著『新・東海道五十三次 平成から江戸を見る』(東洋出版、二〇〇〇年刊)は、日本橋から三条大橋まで自転車で九日間の旅を記した本である。庄野に関しては「石薬師の家並みを抜けると、上野一里塚があり、そこから田んぼのなかの道を緩く曲がりながら行くと、やがて国道一号線に出る。国道はすぐ、JR関西線を越し、その先、鈴鹿川の支流の一つ、芥川に架かる宮戸橋へと来る」と紹介している。

 加佐登駅の前には日本コンクリートの工場がある。

《私がこの場所に特別関心をもっているのは、あの広重の『東海道五十三次』の浮世絵のなかで最高の傑作といわれる「庄野の白雨」の題材になったところだからである》

《私のいるこの場所を描いたという、その広重の絵は、竹の生い茂る急な坂道で、突然の雨に見舞われた人々が、雨宿りを求め、あわてて駆け出した構図である。(中略)絵を見るかぎり、どこの山中かと思うほど寂しい場所で、かりに、このコンクリートの工場がないとしても、ここを広重の絵に重ねるのは難しい気がした》

「庄野の白雨」を知り、庄野宿を訪れた人は、あまりの景色のちがいに困惑するようだ。
 宮川さんは「昔と今では地形も変化したかもしれない」とも述べている。

 庄野宿資料館による「庄野ふれあい探訪マップ」にも「庄野の白雨」が「題材になったところは、宮戸橋付近(日本コンクリート側)で芥川の土橋をわたり、鈴鹿川堤防に沿ってゆるやかに左にカーブするあたり、という説がある」と記されている。
 もっとも広重、現地に行って描いていない説もあるので、そもそも題材の場所が実在するのかどうかはわからない。

 地元出身者からすると、隷書東海道の「庄野」の絵(平坦な道で焚火している)がいちばん近い気がする。

東海道の話

 ここのところ、東海道と中山道関係の本を読み漁っているのだが、五街道まで広げるかどうか思案中である。

 家でごろごろしていたら、種村季弘著『東海道書遊五十三次』(朝日新聞社、二〇〇一年刊)と『世界名画全集 別巻 広重 東海道五十三次』(平凡社、一九六〇年刊)が届く。『東海道書遊五十三次』は、静岡新聞に二〇〇〇年七月から二〇〇一年六月まで連載していた。「街道筋にちなみむ書物五十三冊」を紹介している本。

 わたしは生家が三重県鈴鹿市の庄野宿の近くで、先日帰省したときに庄野宿資料館にも寄った(わたしが郷里にいたころには資料館はなかった)。
 庄野といえば、広重の「庄野の白雨」が有名だが、『世界名画全集 別巻 広重 東海道五十三次』の解説には、保永堂版「庄野の白雨」は「東海道五十三次図集中第一の傑作として有名である」と記されている。そうだったのか。ちょっと嬉しい。

《ところで現在の庄野には、こんな坂道はどこをさがしても見あたらない。むしろ隷書東海道が描いた荒涼たる冬の風景の方がより庄野の実景に近い》

《広重が何故に坂のない所を坂道として表現したか。これは広重のいわゆる絵そらごとと考えるよりほか解釈の道はなかろう》

 行書東海道、隷書東海道をあわせると庄野の絵は三種類——。たしかに隷書東海道の庄野では平坦な道が描かれている。

 でも「こんな坂道はどこをさがしても見あたらない」という記述には疑問がある。東海道からすこし外れて、加佐登駅から加佐登神社(御笠殿社)や白鳥塚古墳に向かう道はずっと坂道なのですね。もちろん、江戸時代にもこの神社はあった。わたしも子どものころ、加佐登神社にカブトムシを採りに行った。
 ただし、加佐登神社に向かう坂道が「庄野の白雨」の坂道かどうかはわからない。「絵そらごと」説か「神社に行く途中」説か。今後の研究課題としたい。

……と、ここまで書いたところで、本の雑誌編集部編『旅する本の雑誌』が届いた。

 わたしは「東海道の三冊」というエッセイを書きました。武田泰淳著『新・東海道五十三次』(中公文庫)、糸川燿史著『東海道徒歩38日間ひとり旅』(小学館文庫)、久住昌之著『野武士、西へ 二年間の散歩』(集英社文庫)の三冊。いずれも東海道本の名著だとおもっています。

2018/07/21

東海道人種

 神保町、神田伯剌西爾、小諸そば。さすがに暑くて、温かいうどんではなく、から揚げそばのせいろを食う。
 澤口書店の均一で浮世絵体系『東海道五拾三次』と『木曾街道六十九次』(集英社、一九七六年)を買う。

 日本の古本屋で『特別展 広重と北斎 「六十余州名所図絵」と「百人一首姥が絵とき」』(岡山美術館)も購入した。

 武田泰淳著『新・東海道五十三次』(中公文庫)を読んでいたら、「平凡社の世界名画全集の別巻に、近藤市太郎氏の編集解説した『東海道五十三次』がある。これは、保永堂版のほかに、『行書東海道』、『隷書東海道』のような珍しい絵図も並べてあり、近藤氏自身が同行して撮影した最新の道中写真も挿入してあって、便利きわまりない」とある。

『新・東海道五十三次』は、武田百合子が運転手で泰淳はずっと助手席に乗っている。
 車中の会話もおもしろい。戦後派の武田泰淳が、第三の新人について、こんなふうに語っている。

《吉行淳之介さんは、とっくの昔に自動車小説を書いているかもしれないし(せっかく書いたとしても、会社からクルマは貰えなかったに違いないし)。彼はゼン息で痩せほそった美男子ではあるが、あれで運動神経は発達していて運転はうまいらしいなあ。安岡章太郎さんとこは、奥さんが運転してるから、条件はうちと同じだ》

《安岡さんの所でも、奥さんは運転中『あんたのアタマ、邪魔っけよ。そっちへよけてちょうだい』なんて叱っているらしいなあ。遠藤周作さん、彼はうちより高価なクルマを運転していて、しかも立派に交通事故で怪我したらしいぞ》

《ともかく、第三の新人グループは、われら老人を追いあげてくるから苦手だよなあ。もと海軍将校の阿川弘之さん、彼は肉体も精神も強健そのもので、家庭とクルマの権威らしいから、太刀打ちできんしなあ。三浦朱門と曾野綾子の夫妻は、海を越えたブラジルでも縦走か横断か、ともかく走破してきたらしいなあ》

 武田泰淳の『新・東海道五十三次』は何度か読んでいるのだが、この記述はすっかり忘れていた。
 この本で岡本一平が東海道マニアであることを知った。岡本かの子も東海道五十三次のことを書いている。
 結婚が決まり、岡本一平はかの子を連れて東海道旅行をする。静岡では丸子(鞠子)の名物とろろ汁の店に入る。

《かの子が娘から妻になる胸のときめきをおぼえながら、店の主人や一平から教えられたのは、「この東海道には東海道人種という、おもしろい人間がたくさんいる」ことであった》

2018/07/19

暗がりの弁当

 先月、河出文庫から出た山本周五郎のエッセイ集『暗がりの弁当』を読む。
 夏バテ気味で何もする気になれないのだが、山本周五郎の随筆はすらすら、というか、だらだら読める。
「曲軒」というあだ名で知られ、頑固者のイメージが強い作家だが、「偏屈芸」といってもいような面白味がある(読者の期待に応えているかんじ)。

《私の場合は健康法というよりも、「仕事がらくにできるように」ということを主に、自己流の生活法をやっている》(行水と自炊)

 夏は朝めしまえに行水。朝めしは自分で作る。パンにベーコン、卵、生野菜。午前十時から散歩(四十分から一時間)。それから午めし(そばが多い)。仕事は午前四時に終わる(夜、机に向かうのは年に一、二回。徹夜はしない)。

「酒みずく」を読むと、飲みながら仕事をしていたようだ。

《朝はたいてい七時まえに眼がさめる。すぐにシャワーを浴びて、仕事場にはいるなり、サントリー白札をストレートで一杯、次はソーダか水割りにして啜りながら、へたくそな原稿にとりかかる》

《健康を保って十年生き延びるより、その半分しか生きられなくとも、仕事をするほうが大切だ》

 昼も飲む。飲みながら原稿を書き、夜も飲む。起きているあいだ、ずっと飲んでいる。心配になる。

 このエッセイの初出は一九六四年十二月。山本周五郎は一九六七年二月十四日、六十三歳で亡くなった。

《規則正しい生活を続けていると、人躯は同一刺戟によって活力を消耗しやすい。ときどきバランスをこわし、人為的に耗弱させれば、却って肉躯はそれを恢復させようとして眼ざめ、活力を呼び起こすのだ、というのが私の信念であり、こんにちまで大病もせず生きてきた》(思い違い)

 このエッセイも初出は一九六四年十二月。亡くなる二年前だ。わたしも自分の不規則な生活を正当化しがちなので気をつけたい。

(追記)
 すこし前に山本周五郎が戦時中に書いた短篇が発掘。今月発売の『山本周五郎コレクション 戦国武士道物語 死處』(講談社文庫)に収録された(未読)。

2018/07/18

猛暑日

 土曜日、夕方、中野の郵便局。桃園川緑道を歩いて高円寺に帰る。木陰があるせいか、少し涼しい。小猫がいっぱいいた。桃園川緑道は暗渠で、途中、古い橋の跡がたくさんある。

 日曜日、西部古書会館、大均一祭二日目(全品百円)。十三冊。ウイングス「ハイ・ハイ・ハイ」のシングルレコード買う。「ハイ・ハイ・ハイ」のシングルはジャケ裏返しバージョン(ポールが右利きになっている)が珍品として有名だが、今回買ったのは普通のバージョン。散歩用(?)の地図も買った。

 大均一祭三日目(全品五十円)。十七冊。この日の収穫は『歌川広重没後一三〇年 木曾街道六十九次展』(リッカー美術館、一九八八年)。入場券の半券もはさまっていた。ちょっと嬉しい。
 今年は広重没後一六〇年。広重の絵を見ていると、行きたい場所があちこちに出てくる。「東海道五十三次」と「六十余州名所図会」の図録もほしくなる。

 江戸以前は東海道よりも木曾街道(中山道)のほうが利用者が多かったという話を読んだことがある。東海道は、大井川や安倍川が難所(水が増すと通れなくなる)だった。中山道では、塩尻が気になっている。JR東日本と東海の境目あたり。昔は交通の要所で太平洋側と日本海側から馬や牛で塩を運んでいたらしい。塩尻は中山道と甲州街道の合流地の下諏訪とも近い。
 東京と三重を行き来するさいには東海道や中山道の通りすぎてきた場所になるべく寄りたい。

 二日で三十冊(レコード一枚も含む)も買うのは久しぶりだ。二千円ちょっとだが。

2018/07/14

くりかえし

 昨日、神保町で打ち合わせ。帰りは東京メトロ半蔵門線、東西線。中野から高円寺まで歩く。
 佐藤正午の作品を読むきっかけになったのは『象を洗う』(光文社文庫)だった。電子書籍ではじめて買ったエッセイ集でもある。
 この本の「自己紹介」では、時間の使い方について書いている。その中で「規律」という言葉が出てくる。

 わたしは大学を中退したあと、いちども定職につかず、フリーライターになった。長年、不規則かつ不安定な生活を送っているうちに、何かしらの規律がないと仕事を続けられないとおもうようになった。

 規律の大切さは、いろいろな作家が語っている。海外の作家の文章読本を読むと「毎日決まった時間に書いたほうがいい」というアドバイスが定番になっている。
 その規律が身になじむのに十年くらいかかった。といっても、不規則な生活をしていたころに考えたり悩んだりしたことが無駄になったわけではない。

 若いころから規則正しい生活を送り、規律が身についていたら、たぶん、大学もどうにか卒業していただろうし、フリーライターにならなかった可能性も高い。

『象を洗う』の「勤勉への道」も好きなエッセイである。同じような内容でも、書き方で印象はずいぶん変わる。それこそ、規律や勤勉について書かれた本は無数にあるが、読んでいるときの共感の度合、身にしみ方はまったくちがう。
 行間に、書き手自身の試行錯誤や自問自答がどれだけ含まれているか。最初から揺るぎない自信のもとに「ちゃんとしろ」といわれると受けつけられない。

 四十代の低迷期、この本に出てくる「生きることの大半はくり返し」という言葉を読んで気が楽になった。
 くりかえしもわるくない。むしろ、いいところもある。自分でも気づかないうちに、くりかえしによって培われているものがある。
 何度くりかえしても直らないこともある。日々反省です。

2018/07/11

『ビコーズ』の解説

 本日刊行の佐藤正午著『ビコーズ 新装版』(光文社文庫)の解説を書きました。

 私小説ではなく、私小説風というか、主人公と作者の経歴が似ている私小説っぽい仕掛けの作品である(ちょっと混乱している)。わたしは私小説が好きなので、この作品も大好きなのだが、ストーリー以前に文章が心地いい。細部まで作り込まれていて、時代(一九八四年ごろですね)の空気の切り取り方も絶妙で、読んでいるだけで楽しい。

 解説では『ビコーズ』と『放蕩記』の関係について、いろいろ言及しています。

 もともとわたしは五年くらい前に、佐藤正午のエッセイに傾倒し、それから小説を読むようになった。光文社文庫の『象を洗う』を電子書籍で読み、「この先、何度も読み返すだろう」と確信し、すぐ紙の本で買い直した。『ありのすさび』と『豚を盗む』で完全にまいった。

 このブログでも当時のことを書いている。

《毎日、インターネットで注文した古本が届く。届いた本の中には、自分の守備範囲外だった小説家のエッセイ集もある。
 キンドルで一冊だけダウンロードしたら、あまりにも好みの文章で「この二十年くらい何をしていたのか」と呆然としてしまった。
 その作家の名前は知っていたのだが、なぜ今まで手にとらずにきてしまったのか》(二〇一三年五月五日)

『ビコーズ』の執筆事情もいくつかのエッセイで知り、作品に興味を持った。何の予備知識もなく、読んでもおもしろいとおもう(そういう読書体験もしてみたかった)。しかし予備知識がなさすぎて、佐藤正午を知らずに過ごしてきた。直木賞受賞前の話である。

2018/07/09

古木親子

 昨日は夕方五時、今日は昼三時に起きる。部屋で西日本豪雨のニュースを見続けている。あまりにも広範囲すぎて、情報を把握できない。

 金曜、月曜のしめきりが多く、週末、家にこもりがちになる。久しぶりに荻窪へ。電車でたった二駅が遠くかんじる。
 夕方、ささま書店、タウンセブン。タウンセブンの近くのはなやで鶏だしのラーメン。昼酒組が何人かいて落ち着く。

 ささま書店で古木春哉著『わびしい来歴』(白川書院、一九七六年刊)を買う。古木春哉は古木鐵太郎の息子。
 佐藤春夫のこともいろいろ書いている。中村光夫や大岡昇平の批判にたいする擁護派だ。わたしは佐藤春夫の「うぬぼれかがみ」はまだ読んでいない。図書館に行きたい。
「わが出発」というエッセイを読んでいたら、父の郷里の鹿児島県の宮之城町(さつま町)に滞在せず、「私の生まれた高円寺の町をなぜか思い出しながら、バスが通り過ぎるままこの先の湯田温泉にその晩は一泊する」と書いている。

 表題の「わびしい来歴」では「私は少年の一時期を野方という町で過ごした。(中略)一家の私たちはその場末に、南に隣接する大和町から、さらに前をいえばその南にある私の生まれた高円寺の町から追われて来たのである」と記す。
 高円寺から北に歩くと、大和町、それから野方にたどりつく(徒歩圏内)。さらに古木一家は、野方の隣の鷺宮に移る。

 ささま書店で『わびしい来歴』を手にとり、函から出して頁をひらいたら「高円寺」の文字が出てきて買うしかないと……。

 古木鐵太郎は読もう読もうとおもいつつ、なかなか読めずにいた作家だった。息子の本を先に読むことになるとはおもわなかった。

2018/07/05

六十点主義について

 五年くらい前に刊行された本だけど、福満しげゆきの『遠回りまみれの青春タイプの人』(青林工藝舎)は、若いフリーランスの人が読んでも参考になる本ではないかとおもっている。

 このエッセイ集は、漫画家になるまでの「遠回り」を僻みとユーモアまじりの文章で綴っている。結局、凡才がデビューするには、才能よりも工夫、そして数なのだ。もちろん、福満しげゆきは単なる凡才ではなく、絵も文章も非凡なんですけどね。

 絵がうまい人はいくらでもいる。おもしろい話を作る人もいる。でもずっとコンスタントに描き続けられる人は、あんまりいない。本書の「プレッシャーで、なかなか描き出せない人は、60%理論で」は、漫画にかぎらず、あらゆるジャンルに通じる凡才向けの優れた方法論だろう。

 福満さんはマンガの制作は「60点くらいの出来…」でいいという。

《100点をめざすデメリットは「なかなか作品が仕上がらない」ことです。逆に言えば「100点を目指しても作品がジャンジャン仕上がる人」は、全然目指してもいいのです》

「100点の原稿」を「1年半」かけて仕上げるよりも「60点の原稿」を同じ期間に4本描いたほうがいい。なぜなら前者の100点より、4本目の60点のほうが「上になる可能性がある」と——。

 わたしも『日常学事始』(本の雑誌社)で「家事は六十点主義でいい」という回を書いたのだが、この福満理論とほぼ同じである。

《今の自分の家事力で「頑張ったな」とおもえるレベルを百点とすれば、だいたい六十点くらいをキープできれば合格です。長年、家事をやっているうちに、すこし手抜きをおぼえ、楽になる。(中略)今は六十点くらいの手抜き料理ですら、昔の百点よりおいしいものが作れるようになった》

 完璧主義から脱却したほうが、長続きするし、上達も早い。

 それから竹熊健太郎の『私とハルマゲドン』(ちくま文庫)の「人生六十点主義」という言葉が出てくる。二十代半ばのわたしはこの考え方にものすごく感銘を受けた。

《ある分野でプロを自称するためには、少なくとも八十点はコンスタントに取らなければプロとはいえない。それには何年も苦しい訓練を積まねばならないが、六十点くらいなら、そこそこ頑張れば素人でも取れる。そしてここが肝心なのだが、プロの六十点はけなされても、素人の六十点は褒められるのである》

 そこで竹熊さんは「プロの素人」として戦う道を選ぶ。

「六十点でいい」というのは、六十点が最終目標ではない。六十点でいいから、その分、無理なく続けて数をこなす。
 毎回、六十点くらいのものを目指しているうちに、たまたま頭がさえていたり、体調がよかったりすると、(今の自分にとっての)百点といえるレベルのものができることもある。

 昨晩、家で作ったチャーハンがそれだった。

2018/07/03

W杯雑感

 W杯、日本・ベルギー戦、惜しい、悔しい、いい試合だった。ベルギー、巧いし、速いし、デカいし、バテない。
 延長までもつれていたとしても、かなり厳しかった気がする。交替枠は日本のほうが残っていたけど、へとへとだった(観戦していたわたしも)。
 日本代表は強くなったとおもうし、しぶとくなった。
 決勝トーナメントで勝ち上がっていくには、グループリーグで燃え尽きるような戦い方をしているうちはむずかしい。賛否両論あったし、賭けの要素もあったが、三戦目で主力を温存する作戦をとることができた。この経験は大きいとおもう。
 勝てそうな試合を勝ち切るのは大変だ。
 あのパスが、あのシュートが、あのファウルが……。そうした悔しさを積み重ねてすこしずつ強くなっていくのだろう(経験値がリセットされてしまうこともよくある)。

 今日はターンオーバーの日にする。

2018/06/27

フリーランスの壁

 日、月、火と三日間、ほぼ外出せず、家で仕事。人と会わない日は髭をそらない。だから伸びる。白髪(白髭?)が増えたなあ。
 ネットの記事か何かで、「髭を剃る時間が無駄」という理由で髭の永久脱毛をすすめる記事を読んだことがある。その考え方にまったく共感できなかった。
 何が無駄か、何が無意味か。そんなことはわからない。

 紀伊國屋書店のPR誌『scripta』の最新号で「中年フリーランスの壁」という題で、竹熊健太郎著『フリーランス、40歳の壁 自由業者はどうして40歳から仕事が減るのか?』(ダイヤモンド社)と上田惣子著『マンガ 自営業の老後』(文響社)を紹介した。
 竹熊さんは芸術家タイプ、上田さんは職人タイプのフリーランスだが、二冊とも身につまされる本だった。

 わたしは今年の秋で四十九歳になる。いつまで今のペースで仕事を続けられるのか、わからない。「芸術家タイプ」か「職人タイプ」か――どっちつかずの中途半端なまま、ごまかしてきたかんじだ。
 制約のある「職人タイプ」の仕事は苦手ではないのだが、それが得意な人にはかなわない。なるべく競争を避けるため、隙間産業路線に走り、今に至っている。

 竹熊さんも上田さんも、四十代以降のフリーランスの問題のひとつに担当者が年下になることをあげていた。
 同世代の編集者が出世して、現場から離れてしまうというケースはよくある。

 四十代以降、依頼に応じて、それをこなすだけでなく、今までやってこなかったことに取り組んでいくことも大切かもしれない。
 そのための気力と体力をどうするか。むずかしい問題です。

2018/06/19

趣味と生活

 日曜日、完全休養日。昼、プロ野球の交流戦(ヤクルトが最高勝率球団になる)。今年は「育成のシーズン」とおもっていたが、借金が減りはじめると欲が出てくる。Aクラス争いをするにはQSができる先発投手、防御率二点台の中継ぎがひとりずつほしい。そろそろ入団三年目の左腕の高橋奎二投手を見たいのだが。

 W杯のサッカーのダイジェストを観る。
 ポーランドのFWのロベルト・レヴァンドフスキのインタビューを見て、ため息が出る。ペナルティエリアでボールを受けたら、何も考えずに機械のようにゴールの端にシュートする。そのための反復練習をしてきた。かつての所属チームのコーチ(?)は「努力の天才」といっていた。

 ぐだぐだとした一日をすごし、明け方寝て、月曜日起きたら夕方五時。寝すぎて、からだが怠い。何も考えずに起きたら本を読み、机に向かい、機械のように文章を書く……というわけにはいかない。

 夕方、ポストを見に行くと『フライの雑誌』の最新号が届いていた。特集は「ブラックバス&ブルーギルのフライフィッシング」。
 釣りの話の合間に、人それぞれの人生が垣間見えるのも『フライの雑誌』のおもしろいところだ。
 大田政宏さんの「ボクのプカリ人生 浮いていれば人生幸せ」、田中祐介さんの「あの日浮いた池の名前を僕達はまだ知らない」は、いずれも香川県への移住話だった。とぼけた味わいのある文章なのに、趣味に生きている人特有のすごみがある。

 釣りをするために、どう生きるか。趣味が生活、人生の中心の生き方がある。そうした生き方をしていると、今の世の中では変わり者になる。変わり者のほうが、幸せそうにおもう。

 この号、わたしは「『隠居釣り』は山梨で」というエッセイを書いた。先月、甲府と石和温泉に行ったときの話です。

2018/06/14

三重に帰省

 日曜日、三重に帰省。今回は名古屋駅から関西本線に乗り、加佐登駅で下車した。東海道五十三次の庄野宿のもより駅である。
 わたしの生まれ育った家と近い。子どものころ、父といっしょに釣りをした鈴鹿川も庄野宿の近くだった(生家から自転車で十分ちょっと)。

 庄野宿からは鈴鹿コミュニティーバスが一時間に一本くらいあり、終点の鈴鹿ハンターに行く。
 加佐登駅で降りたのは、学生時代に青春18きっぷで帰省したとき以来——バスの車窓からの景色は、小・中学生のころに、自転車でよく通っていた道だった(当時はコンビニはなかったが)。

 鈴鹿ハンターでうどんを食い、わが家の常備品となっている寿がきやの中華スープの素、コーミソースを買う。

 母に糸へんに旧字の「戀」という字のことを訊かれる。『続日本紀』に出てくる「沈静婉レン」の「レン」。「沈静婉レン」は「落ち着いていて、あでやかで美しい」という意味。永井路子の小説に出てくる。昨年、母は入院したが、今は元気になっている。ただし、老眼がすすんで、小さな字が読めないとぼやく。

 翌日は仕事(今回、パソコンを持って帰省した)。港屋珈琲でモーニング。散歩中、コーヒー豆の焙煎の専門店を見かける(この日は定休日だった)。

 火曜日は鈴鹿から鳥羽。鳥羽から伊勢湾フェリーで渥美半島の伊良湖に渡り、東京に帰る(このルートで東京に帰るのは長年の念願だった)。
 鳥羽から伊良湖は五十分(千五百五十円)。伊良湖から豊橋まではバス+電車で八十五分。

 鈴鹿から名古屋に出て新幹線で帰るのと比べると、プラス二、三時間——けっこう遠回りになるが、伊勢志摩界隈は、まだ行きたい場所がいろいろあるので、今後もこのルートで帰ることが増えそう。伊良湖から知多半島に渡るフェリーにも乗ってみたい。

2018/06/10

古本屋台トークショー

作家と登場人物が語る「古本屋台」の世界——。

コクテイル開店20年記念イベント第1弾「古本屋台トークショー」を開催します。
Q.B.B.(久住昌之、久住卓也)、岡崎武志、荻原魚雷が勢揃いします。
サイン会もあります。

2018年6月30日(土)庚申文化会館
(東京都杉並区高円寺北3-34-1)
時間 15:00-16:30

入場料 1000円(定員50名ですのでご予約はお早めに)

イベント終了後コクテイル書房にて打ち上げをします。会費3500円(要予約・2時間飲み放題付)出演者と共に盛り上がりましょう!

詳細は、
http://koenji-cocktail.info/2018/06/05/post-163/
にて。

ご予約・お問い合わせは、cocktailbooks@live.jp(@は半角)

2018/06/05

ほどほど本

 共同通信の連載「『ほどよさ』の研究」がもうすぐ最終回(先月あたりから、ぼちぼち掲載がはじまっている。隔週掲載の新聞もあるみたいです)。

 新刊案内を見ていたら池田清彦著『ほどほどのすすめ 強すぎ・大きすぎは滅びへの道』(さくら舎)が六月七日刊行予定になっていた。あと保坂隆著『人生を楽しむ ほどほど老後術』(中公文庫)が六月二十二日刊行予定。

「ほどほど」というタイトルの本を調べてみたら、群ようこ著『ほどほど快適生活百科』(集英社)、野宮真貴著『おしゃれはほどほどでいい 「最高の私」は「最少の努力」で作る』(幻冬舎)、中村メイコ著『ほどほど、二人暮らし』(PHP文庫)、深澤真紀著『「そこそこ ほどほど」の生き方』(中経の文庫)、前田昭二著『ほどほど養生訓 走れる100歳をめざす』(つちや書店)、齋藤孝著『図解養生訓 「ほどほど」で長生きする』(ウェッジ)、香山リカ、橘木俊詔著『ほどほどに豊かな社会』(ナカニシヤ出版)、横森美香著『「ほどほど」のススメ』(中経の文庫)、曽野綾子著『「ほどほど」の効用 安心録』(祥伝社黄金文庫)など、かなりあることがわかった(上記以外にもまだまだある)。

「ほどよさ」にしても「ほどほど」にしても個人の感覚によって意見が分かれる。「ほどほど本」をすべて読んでいるわけではないが、深澤真紀著『「そこそこ ほどほど」の生き方』(中経の文庫)は共感するところが多かった。この本、単行本のときは『自分をすり減らさないための人間関係メンテナンス術』(光文社)という題名だった。

《家や車やパソコンのように、自分をメンテナンスして長持ちさせる》

 深澤さんは「無理矢理に『ポジティブ』や『前向き』になろうとしない」と助言する。別に「ネガティブ」になれという意味ではない。

《日常では「そこそこほどほど」に生きて、いざというときにがんばればよいのです》

《大きなトラブルになるのを防ぐためには、途中で休んだり、逃げたり、ちょっとした嘘をつくことも大事なのです。
 具合が悪いのを放っておいたり、無理をしてがんばった結果、重い病気になって、かえって周囲に大きな迷惑をかけるくらいなら、少しだけ迷惑をかけることになっても、初期の段階で休んだり、病院に行ったほうがよいのと同じことなのです》

 仕事にしても家事にしても人間関係にしても、無理なく続けられるやり方、あるいは力の抜き方を見つける。
「しんどいなあ」とおもったときは、今の自分がやっていることを一つか二つやめるという手もある。

 たぶん色川武大の「欠陥車の生き方」にも通じるとおもう。

2018/06/02

根拠地

 もう六月。疲れ気味。人生百年時代という言葉は見ているだけで疲れる。人生五十年、あとは余生というのが理想だ。しかし今年の秋、四十九歳になる。人生設計はむずかしい。
 あまり先のことは考えず、一年一年、休み休み、怠け怠け、どうにか乗りきれたらいいと……。

《十五歳の頃、私のいた学校の博物室に、ガラスケースに入った一本の鉛筆があった。それは、百年まえにソローがつくった鉛筆だということだった。ソローは、その頃のアメリカでは指折りの鉛筆づくりの名人だった。だから、しばらく時間をまとめて、鉛筆づくりに専心すると、そのあとは完全になまけて自分の考えにふけって暮せた。これは、時間の中に設計される根拠地の思想といっていいだろう。鉛筆をつくっている時間が、ソローが生きたいように生きるほかの時間をささえる根拠地となる》

『鶴見俊輔著作集』(五巻、筑摩書房)の「根拠地を創ろう」というエッセイの一節。

 ヘンリー・デイヴィッド・ソローは一八一七年生まれ。昨年生誕二百年だった。
 ソローは、エッセイその他を読むかぎり、かなり偏屈な変人だった。それでも「鉛筆づくり」の技術があった。
 筆一本で食うのは大変だが、ソローの場合、筆を何本を作り続けることで自由気ままな創作活動を続けることができたといえる。

 手に職、大事だ。とくに社会不適応者は。

2018/05/26

雑記

 渡辺京二著『原発とジャングル』(晶文社)を読みはじめる。「私は何になりたかったか」を読んで唸る。

《私はまず人間でありたかったので、編集者であれ教師であれ、そういう者として自分を専門化、職業人化する気は一切なかった。人間であるというのは、私の場合、一生本を読みものを書くということで、言うなれば書生で一貫したのが私の一生、お笑い草ながら女性に奉仕するという一事をつけ加えれば、それが私の一生のすべてだった》

 渡辺京二さんの本を読みはじめたのは、二〇一一年ごろで、今は高松にいる福田賢治さんと高円寺のコクテイルで飲んでいたとき、すすめてくれた。

 ここ数年、まとまった時間、読書をすることができなくなった。仕事の合間に読む。だから読むのは短いエッセイやコラム、短篇ばかり——それすら満足な量を読めていない。
 自分が必要とする本に出会うためには、読書の時間だけでなく、遊びの時間もいる。読みながら考え、考えながら生活し、生活しながら読む。そして書く。そうありたいとおもいつつ、その余裕がない。

 この本の中に「頼りになるのはただ習慣だ」という一文もあった。やはり、習慣を見直すしかないのか。

 今月末に上原隆著『君たちはどう生きるかの哲学』(幻冬舎新書)が刊行予定。この本も愉しみだ。すこし前に『「普通の人」の哲学 鶴見俊輔・態度の思想からの冒険』(毎日新聞社、一九九〇年)を読み返した。この本でも上原さんは『君たちはどう生きるか』について論じている。

2018/05/20

質と量

 質より量か、量より質か。ビジネス書を読んでいると、量をこなさないと質は高まらない——という意見をよく見かける。

 齢をとると量をこなすのがしんどくなる。諦めも早くなる。五年十年かけて、じっくり何かひとつのことに取り組むのはむずかしい。遅々として上達しないと、すぐ面倒くさくなる。

 面倒くさくならず、飽きずに続けられるものが、ほんとうに好きなものだろう。
 そういう意味では、わたしは料理が好きなのかもしれない。毎日、何かしら作っている。外食しても弁当買っても誰も文句はいわないがつい作ってしまう。

 ふとおもったは自分が料理をするのは冷蔵庫(冷凍庫)の中身を減らしたいからではないか。肉や野菜を買う。小分けにして冷凍する。冷凍庫がぎゅうぎゅう詰めになる。食材を消費するために料理する。とくにストックがあるのにダブって野菜を買ってしまったとき、もっとも料理熱が高まる。

 量に動かされている。カボチャが減らない。

2018/05/19

あかちょうちん

 五月十五日、高円寺駅北口に日高屋がオープンした。以前の店舗はミスタードーナツだった(二月に閉店)。わたしが高円寺に引っ越してきた一九八九年にミスタードーナツはすでにあった。
 部屋にエアコンがなかったころは夏の夕方、よくミスドで原稿を書いていたが、ここ数年は行ってなかった。店内がにぎやかすぎる、というか、若者が多すぎて……。
 北口のドトールもいつの間にかなくなった。西部古書会館で古本を買ったあと、ちょくちょく行っていた。

 高円寺在住の人以外にはどうでもいい話かもしれないが、どんな店がいつまであったか、けっこう忘れてしまうんですね。
 喫茶店でいうと、ちびくろサンボとか琥珀とか、あった場所は覚えているのが、いつ閉店したのか記憶が曖昧になっている。

 新刊のパリッコ著『酒場っ子』(スタンド・ブックス)を読んでいたら、いきなり高円寺の「大将」や「あかちょうちん」の話が出てきて、つい読みふけってしまった。
 大将は高円寺の焼鳥屋で三店舗あるのだが、著者は北口の「3号店」のひいきのようだ(わたしもです)。
 北口の「あかちょうちん」の記述もすごく細かい。バンドマンのたまり場の店で「僕の中の『中央線文化』の象徴のような存在でした」と記している。

《ここのボトルは一升瓶。「いいちこ」「二階堂」「ちょっぺん」「(黒)桜島」「白波」「黒霧島」の6種類で、各2900円。じゅうぶんお手頃ですよね? (中略)ただし、これで驚いていられないのがあかちょうちんの恐るべきところ。なんと毎週、日、月、金曜日、これらの焼酎ボトルが、すべて半額! つまり、1450円。あきらかに原価割れてるでしょ……》

 さらに「ボトル会員」になると「3本目と5本目は半額、6本目は焼酎のみ無料です」。友人と飲みに行くと、誰かしらの半額か無料のボトルがあって激安で飲めた。
 知り合いのミュージシャンが結婚パーティーの二次会を「あかちょうちん」でやったこともあった。後にも先にもあんなに寛ぐことができた結婚式の二次会はない(当然、普段着)。
「あかちょうちん」の閉店は二〇一〇年九月——。その前年の南口の「石狩亭」の名前も『酒場っ子』を読んで思い出した。明け方、何度か飲みに行った。

2018/05/15

甲府

 日曜日、昼、三鷹から特急かいじで甲府へ。かいじ、はじめて乗ったかも。

 天気は雨。残念。今回の甲府行きは『フライの雑誌』の取材もかねている。取材といっても、ただ散歩するだけなのだが。
 甲府駅からすこし歩いたところにあるビジネスホテル(格安)に荷物を置き、バスで甲斐善光寺へ。帰りはJR身延線の善光寺駅から甲府駅。身延線(富士~甲府)は一九二八年に全線開通し、今年九〇周年ということを知る。
 JR中央線(中央本線)から甲府経由で東海道線の富士駅に出ることができる(青春18きっぷで一度、高円寺→甲府→富士→東京とまわる旅をしてみたい)。
 雨の中、駅前の甲府城(舞鶴城)を散策する(ほんとうに近い)。

 甲府は町の中に歴史が根づいていて、山があって緑が多くて温泉もたくさんある。好きな町のひとつだ。特急をつかえば、高円寺から一時間半。また行きたい。

 夕飯は駅ビルで吉田うどん。コンビニで酒とつまみ(焼き鳥)を買い、ホテルで「ザ!鉄腕!DASH!!」を観ながら原稿を書く。

 翌日は石和温泉駅界隈を散策した(『フライの雑誌』の次号に発表)。駅前にイオンができてた。帰ってきてから調べたら、ニチイ→サティ→イオンと変遷しているようだ。
 帰り、高尾駅で途中下車。ドトールで休憩して高円寺へ。

 今月から共同通信社のエッセイ「『ほどよさ』の研究」(全十回の予定)の配信がはじまりました。題字と挿絵は山川直人さんです。いつどの新聞に掲載されるのかはわかりません。

2018/05/11

時間の問題

『閑な読書人』(晶文社)の中で、J=L・セルヴァン=シュレベール著『時間術』(榊原晃三訳、新潮社、一九八五年)という本を紹介した。

 わたしがこの本を鮎川信夫著『最後のコラム』(文藝春秋、一九八七年)で知った。当時、インターネットの古本屋もなく、海外の実用書を探すのはものすごく時間がかかった。本を探す時間も含めて読書の醍醐味だとおもっている。

『時間術』の要点は、自分の時間をコントロールすることに尽きる。

《時をコントロールするとは、徹頭徹尾、自分自身をコントロールすることである》

 鮎川信夫は時をコントロールするためには「まず、時間泥棒にノーというべきである。イエスと言って、好ましくない約束や義務を引き受けてはならない。イエスと言うよりノーと言う方がずっと容易だ。(中略)時間配分の優先権を、他人に与えてはならない」という。
 二十代のわたしはこの考えに感銘を受け、実践した。そして仕事を干された。おかげで、時間について考える時間をたっぷり得ることができた。

 十代のころは、たいてい学校に通い、同じような時間をすごす。それでも時間のつかい方の差はつくが、その差は年々広がっていく。
 二十代、三十代にどういう時間をすごしたかで、その人のあり方は、ほぼ決まってしまうといってもよい。

 さらに四十代以降は時間のつかい方にくわえてお金のつかい方も重要になってくる。

 時間とお金をおもしろくつかえる人になりたいものだ。

2018/05/08

金銭感覚

 昔、よくわかっていなかったことに、生活レベルの差がある。
 右も左もわからないという言葉があるが、上も下もわからない。

 風呂なしアパートに住んでいた二十代のころ、年上の編集者数人と酒を飲んでいると、ずっとマンションを買う話が続いてまったく会話に入れないことがあった。同じ趣味の古本の話でも、ジャンルのちがい以上に、生活レベルのちがいに戸惑うこともある。
 ふだん五百円以下の本ばかり買っていると、数万、数十万円の本の話についていけない。

 逆にものすごい貧乏もわからない。読書はお金かからないが、時間はかかる。趣味に没頭できる時間があるということはそれなりに恵まれた境遇ともいえる。

 今のわたしは新幹線を利用するが、三十歳までは交通費に金をかけるのは無駄だとおもっていた(その分、古本が買いたかった)。わからないという感覚を自覚することはむずかしい。

2018/05/04

休日

 怠け者の節句働きという言葉があると五月の連休は仕事をしていることが多い気がする。終わりが見えない。スワローズの連敗はようやく止まった。

 京都在住の作家兼ミュージシャンの東賢次郎さんから『亀と蛇と虹の寓話』(柏艪社)が届く。『レフトオーバー・スクラップ』(冬花社、二〇〇九年)以来、八年ぶりの新刊。今回は長篇。東さんの小説は緻密なのだが、読み手の理解からはみだしていく部分を残そうという強い意志を感じる。寓話、あるいは神話風の小説で、その外側には現代がちゃんとある。密度が濃くて読み終えるまでに二日かかった。まだ頭がふらふらしている。

 コタツ布団、洗濯して押入にしまう。

2018/04/29

仙台へ

 この十年くらい、「行く/行かない」で迷ったときは、なるべく「行く」を選択することを自分に課してきた。そうしないと、どんどん動けなくなりそうな気がしたからだ。理想をいえば、わざわざ課さなくても自然に動けるようになりたいわけだが、そう簡単に一足飛びにはいかない。

 二十八日(土)、Book! BooK! Sendai 10thは、土曜日の夕方から仕事が入っていたので行くかどうか迷った。迷った以上、行くことにした。

 前日の金曜日、仕事のあと、夜、新幹線で仙台へ。事前に駅前のカプセルホテルを予約した。仙台に着いたのは午後九時すぎだったが、駅前からアーケードまで人でいっぱいだった。とりあえず、宿にチェックインし、風呂に入る。それから仙台っ子ラーメン、コンビニで酒を購入し飲んで、すぐ寝た。
 カプセルホテルは二十数年ぶり。個室のドアの部分がロールカーテンなのはちょっと意外だった。すこし離れたところで寝ている人の鼾まで聞こえる。

 朝、仙台駅のエビアンでモーニング。そこからBook! Book! Miyagi@こみち市の会場に向かう。仙台駅の東口のほうには行ったことがなかった。駅から会場までのあいだ、お寺がいっぱいあった。「仙台」の地名のもとになったといわれる千躰仏を祀る千躰仏堂の前を通る。
 宮城、福島、秋田の店が出品——。『茂田井武の世界』(すばる書房)などを購入。
 新寺五丁目公園で本、遊歩道(新寺小路緑道)に生活雑貨や飲食の店が並ぶ「新寺こみち市」との合同イベント。おこわを食べる。
 午前十時開催で、会場にいたのは一時間ちょっとだったが、楽しかった。

 そのあと喫茶ホルンと書本&cafe magellanに。行かないと仙台に来た気がしない。いつもは徒歩だが、時間がないので地下鉄に乗る。ザ・ビートニクス(高橋幸宏、鈴木慶一)の『偉人の血』(パルコ出版)を買う。造本がすごい。最初から頁が折れているところがある。わけがわからない。八〇年代の妙な空気がつまった本。

 午後一時すぎの新幹線で東京に帰る。

2018/04/25

ペースを守る

 四月の今ごろ、連休前が毎年のようにバタバタする。気温の変化も激しく、体調を維持するのがむずかしい。冬のあいだ、体力の温存を心がけるようになって、毎年恒例の「四月バテ」をすこし回避できるようになった(まあ、バテるときはバテるのだが)。
 将棋の大山康晴は「勝負哲学」に関する本をたくさん出している。中でも「自分の力を長く維持する忍耐力」を重視していた。
 どうすれば、自分の力を長く保持できるか。

《棋士は、一気に突っ走る短距離型では大成しない。常にマイペースで、すこしずつ優位を積み上げていくマラソン型。花やかさより、着実に走りつづける人こそが、結局は勝負の岸に到達するものである》(大山康晴著『勝負のこころ』PHP文庫)

 マイペースを続ける秘訣については次のように語る。

《対局のとき、私はいつも自分のペースでやりたいと思っている。百の力があれば、いつでも百の力が出せるようにしたい。それを百十とかそれ以上出そうとすると、いつも無理をしなければならず、親方の一時力に終わってしまう》

《数字で示すと、百の力を百十になっていたとする。そうした無理をした状態で、長い時間、しかも緻密なことを考える対局では、肉体も精神もオーバーヒートしてしまう。
 そうした場合、過熱しないように、初めから体力を落として調子を整えることを工夫する》

 わたしは困ったことがあると、色川武大の『うらおもて人生録』(新潮文庫)を読むのだが、この本にも「マラソンのように——の章」がある。

《マラソンを見てごらん。あれは、他の選手を追い抜いて一着になる競争じゃないよ。自分のペースを守って走り抜くものなんだよ。(中略)人を追い抜くのじゃない。自分より前を走っていた人たちが落伍していって、自分の着順があがっていくんだ。問題は、自分のペースで完走できるかどうか、だ》

 色川武大はペースを守って完走するには「何よりもまず、身体を楽にすることだね」とアドバイスし、別の章では「プロはフォームの世界。つまり持続を軸にする方式なんだね」とも述べている。

 日々の仕事や生活は持久走型でいくべし。

2018/04/19

古本屋台

 Q.B.B.(作・久住昌之/画・久住卓也)の『古本屋台』(集英社)を読む。『彷書月刊』『小説すばる』と十年くらいにわたって連載していた漫画がようやくまとまった。連載中もだいたい読んでいたのだが、ずいぶん印象に変わっている。
 焼酎一杯だけ飲ませる古本を売る屋台。主人公の帽子の男や常連客(岡崎武志さんやわたしも登場)が本をつまみに会話を楽しむ。古本酒場コクテイルのシーンもよく出てきます。漫画の中に流れている時間が心地いい。ほんとうにこんな屋台があったら通いたい。

 先日、集英社のPR誌『青春と読書』(五月号)で『古本屋台』刊行記念の対談の構成をしています。構成の仕事は十八年ぶり(ちなみに、二十代の十年間はずっと対談と座談会をまとめる仕事をしていた)。
 久住昌之さん、久住卓也さんとは飲み屋以外で会うことはほとんどなく、平日の昼間にシラフで喋ったのは、はじめてかもしれない。単行本化にあたって大幅に描き直しているという話を聞けた。終始、テンポのいい掛け合いでいい感じにまとまっているのではないかと……。

2018/04/17

標準

 不調の原因は心身の疲労と関係している。疲れさえ抜ければ、たいてい調子が戻る。
 あと季候(寒暖差)も関係ある。ただし気温の変化で体調を崩すときは、それ以前に疲れがたまっていることが多い。だから日中の温度差が激しい時期は無理をしないよう心がけている(季節に関係なく、そうしたいところだ)。

 炊事洗濯掃除して近所を散歩して本を読んで野球を見て酒を飲んでいたら、あっという間に一日が過ぎてしまう。わたしはそういう一日が好きなだろう。
 日中だらだら過ごして深夜から朝にかけて仕事をする。それ以外の時間はなるべく仕事のことを忘れる。中年以降、だんだんそういうふうになってきた。

 いわゆる「標準」とされる生き方や働き方がある。わたしも努力すれば「標準」に近づくことは可能だろう。しかしものすごく努力をしないと「標準」に近づけないというのであれば、その労力を自己流のやり方に費やしたほうがいいとおもう。

 自由業は収入が不安定だし、大変なことはいろいろあるが「標準」を無視できることはありがたい。その分「標準」に適応できれば、やらなくてもいい努力や工夫は欠かせない。
 自分に合った時間割を作り、それだけは何が何でも実行する。もちろん、それだって簡単ではない。怠けようとおもえばいくらでも理由をこしらえることができる。昨日今日と予定通りにいかなかった。たぶん疲れていたからだ。

2018/04/11

住まいのことでは

 二ヶ月くらいかけてコツコツやっていた仕事が一段落。新連載(掲載時期は未定)もぼちぼち。

 昨年、NEGIさんにすすめられて読んだ池辺葵の『プリンセスメゾン』(小学館)は新しい巻が出るたびに最初から読み返している。居酒屋で働く女の子(両親を早く亡くしている)がマンションを買う話。現在五巻まで。素晴らしい漫画だ。

『ウィッチンケア』で家の話を書いたのもこの漫画の影響かもしれない(書いているときは忘れていた)。
 一生賃貸のつもりだったが、二年前に父が亡くなって、保証人をどうすればいいのか——という問題に直面している。保証人を代行してくれる会社があることは知っているが、金もかかるし、面倒くさい。連帯保証人という制度は世の中から消えてほしいもののひとつだ。

 永井龍男の「そばやまで」(『青梅雨』新潮文庫)を再読する。「住まいのことでは、一時思い屈した」という書き出しを山口瞳が絶讃している。

2018/04/02

歩きながらはじまること

 Pippoさん経由で奈良在住の詩人西尾勝彦著『歩きながらはじまること』(七月堂)を受け取る。

 西尾さんは一九七二年京都生まれ。二〇〇七年、三十代半ばに水井宏さんの詩の通信ワークショップに参加し、詩を書くようになり、最近は「のほほん社」という出版活動もはじめた——ということをPippoさんの解説とプロフィールで知る。

 わたしは作者と作品を切り離して詩を読むのが得意ではないのだが、『歩きながらはじまること』は、西尾さんのことをまったく知らずに読んでも、一目で気にいった自信がある。詩の中に流れている人柄や思想に共感できた。詩の題から、辻まことや串田孫一が好きなのかなとおもった。

《朝の光を
 独り楽しむ

 猫の寝言を
 独り楽しむ

 庭の仕事を
 独り楽しむ

 団栗並べて
 独り楽しむ(後略)》(「ひとりたのしむ」)

……この詩は「独り楽しむ」という言葉をくりかえしながら、なんてことのない一日を讃美している。

 もっとも気にいったのが「待つ」という詩——。

《自分を
 待つことができるようになった
 以前なら
 未熟な自分に
 焦りがあった
 できないことは悔しく
 隠したいことだった
 でも
 ようやく
 今日できないことは明日
 今年できないことは来年
 それも無理なら十年後の
 自分を待とうと
 思えるようになった(後略)》

 この続きもいいのですが、気になる人は手にとって読んでください。
 その後「古書ますく堂の、なまけもの日記」の「ポエカフェ西尾勝彦」篇(二〇一四年二月二十三日)で、西尾さんが大阪で二十六歳で国語科の教員、二十九歳で奈良に転居したことなどを知る。
 ますく堂さん絶讃の「言の葉」「そぼく」という詩も『歩きながらはじめること』に収録されている。このふたつの詩も素晴らしかった。

 長く大切に読みたい詩集だ。

2018/03/31

ロングセラーの文庫

 土曜日、西部古書会館三日目(今週は木曜から開催)。未読のライター本(「フリーライターで食べていくには」系の本)が何冊出ていた。ライターや作家向けの入門書は、一行でも役に立てば、元がとれるので古本屋で見つけたら買うことにしている。

『Sage(サージュ)』の一九八一年五月号「特集! 文庫本ロングセラー」も購入。各社の文庫のランキングが掲載されている。岩波文庫の一位はプラトンの『ソクラテスの弁明・クリトン』。同書は岩波文庫が創刊時の配本の一冊。

 各社の一位は、秋元文庫が若城希伊子『十五歳の絶唱』、朝日文庫が三浦綾子『氷点』、旺文社文庫が武者小路実篤『友情・愛と死』、角川文庫がイザヤ・ベンダザン『日本人とユダヤ人』、現代教養文庫がR・ベネディクト『菊と刀』、講談社文庫が五木寛之『青春の門』、集英社文庫が三浦綾子『裁きの家』、春陽文庫が山手樹一郎『江戸名物からす堂』、新潮文庫が太宰治『人間失格』、新日本文庫がエンゲルス『空想から科学へ』、創元推理文庫がジェラール・ド・ヴィリェ『SAS/伯爵夫人の舞踏会』、ソノラマ文庫がが富野喜幸『機動戦士ガンダム』、中公文庫が北杜夫『どくとるマンボウ青春記』、早川文庫がアガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』、文春文庫がA・フランク『アンネの日記』——(※一九八一年のデータ)。

 当時、わたしは小学六年生だったが、三浦綾子がものすごく売れていたのはおぼえている。家にも三浦綾子の作品はほとんどあった(母がファン)。『塩狩峠』は、今、読んでもおもしろいのではないか。
 創元推理文庫のジェラール・ド・ヴィリェは現在すべて品切。『SAS/伯爵夫人の舞踏会』の古書価はエラいことになっている……と書いたのだが、わたしの勘違いでした(メールで教えてもらった)。すみません。

2018/03/30

文体

 インディーズ文芸創作誌『Witchenkare(ウィッチンケア)』9号で「終の住処の話」というエッセイを書きました。

 ここ数日、エッセイと私小説はどうちがうのかということを考えていたのだが、わからずじまい。自己申告で決めるものなのかもしれない。
「終の住処の話」は、今年のはじめ東西線の電車の車内で見たある不動産の会社の吊り広告をメモしていて、それをもとに書いた。いつもとちがう文体に挑戦してうまくいかず、いつもどおりの書き方に戻した。

 それから紀伊國屋書店の『scripta』で「下流中年」の話を書いています。社会に蔓延する「不寛容」をどう解消していくか。こちらはいつもどおりに書こうとして、ギクシャクしたかんじになってしまった。むずかしいテーマを書くとき、どういう文体で書いたらいいのか。むずかしいテーマである。

 今、自分のいる場所から何かを書く。「声」の届く範囲は限られている。読みやすさを考えると「声」の届く範囲を意識して書いたほうがいい。ただし一読者の立場だと、そこからはみだそうとしている文章のほうが好きだ。好きなのだけど、わたしはそういう文章を書くのが苦手だ。

2018/03/28

バスに乗る

 今日の最高気温は二十四度。ちょっと前に雪が降ったのに変なかんじだ。

 昨日は江古田で打ち合わせ(来月からの短期連載の話)。行きは高円寺からバスで練馬に出て江古田へ。今さらながら西武池袋線、東京メトロ副都心線、東急東横線と直通の「Fライナー」という快速があることを知る。横浜まで乗り換えなしで行けるのか。

 日頃、中央線(総武線)と東京メトロの東西線しか利用していないので都内の鉄道事情に疎くなっている。
 もっと疎いのが都内の路線バス事情である。
 江古田から帰りは中野行きのバスに乗った。新井薬師駅を経由するバスで、哲学堂公園の桜を見たり、いい雰囲気の商店街を通ったりして楽しかった。バス内の放送で「古本案内処」の広告が流れ、「買い取り」という言葉に反応してしまう。

 中野駅まで行かず、中野ブロードウェイ手前の新井中野通りで下車することにした。早稲田通りに入ってから渋滞で進まない。ひとつ手前の中野五丁目で降りたほうがよかった。行きの練馬行きのバスも練馬駅前が渋滞ですこし余裕を持って家を出たつもりだったのだが、待ち合わせの店への到着がギリギリになってしまった。ひとつ手前で降りたほうが、早かったとおもう。
 行き帰りのバスで気づいたのは、乗車してから停留所を二つか三つで降りる人がけっこういたこと。バスに乗り慣れているかんじだった。

 高円寺からのバスは永福町、野方、練馬、赤羽方面などがある。新高円寺からは吉祥寺に行くバスもあって一度乗ってみたい。

 おなかが空いていたので「中華料理 和」でラーメンと炒飯のセット。中華料理で「和」っていうのがおかしい(「和」は「かず」と読む)。
 三月中、一日千円もつかわない日が多く、自分には物欲がなくなってしまったのかとおもったが、杞憂だった。古本案内処とまんだらけでけっこう散財してしまう。

2018/03/26

祝祭の日々

 昨年刊行された本だけど、色川武大著『戦争育ちの放埒病』(幻戯書房)、伊丹十三著『ぼくの伯父さん』(つるとはな)の二冊の単行本未収録エッセイ集は、あらためて編集者のすごみを感じた本だった。読み終えるのがもったいなくて、喫茶店に行ったときにすこしずつ読み継いでいた。
『ぼくの伯父さん』を読み終わって奥付の刊行日の日付を見たら、二〇一七年十二月二十日。伊丹十三が亡くなったのが、一九九七年十二月二十日だから、没後二十年だったことに今更ながら気づく。

 すこし前にささま書店に行ったとき、Nさんが高崎俊夫著『祝祭の日々 私の映画アトランダム』(国書刊行会)を(興奮気味に)すすめてきた。わたしが映画をほとんど観ないことを知っているNさんが映画の本をすすめてくるというのはよっぽどのことだ。

『祝祭の日々』は、イーヴリン・ウォーと吉田健一の話からはじまって、映画と本、雑誌、時々ラジオの話が縦横無尽にくりひろげられる。知識と記憶の埋蔵量がすごい。先にちらっと「あとがき」を見たら樽本周馬さんの名前があって「やっぱり」と納得する。

 高崎さんは子どものころから映画関係の記事をスクラップしていて、そのまま映画関係の雑誌や本を作る編集者になった。虫明亜呂無著『女の足指と電話機』『ニセ札つかいの手記 武田泰淳異色短篇集』(いずれも中公文庫)、『親しい友人たち 山川方夫ミステリ傑作選』(創元推理文庫)なども高崎さんの編著である。

 同書の「クラス・マガジン『話の特集』が輝いていた時代」にこんな記述があった。

《私がもっとも熱心に「話の特集」を読んだのは、この一九七〇年代前半の数年間だったと思う。後に『東京のロビンソン・クルーソー』に収録される小林信彦のコラム「世直し風流陣」、虫明亜呂無の『ロマンチック街道』、色川武大の『怪しい来客簿』などの連載も夢中になって読んだ》

 わたしは一九九〇年代半ば、休刊直前くらいになってようやく「話の特集」を古本屋で探して読むようになった。当時、映画と音楽好きの同業の友人の河田拓也さんも七〇年代の「話の特集」の話をよくした。
 高崎さんの「話の特集」の話ではっとさせられたのが、次の指摘——。

《「話の特集」のエッセンスは、レイアウトを担当した和田誠の傑出した才能に負う部分が大きいこともわかってきた。(中略)いっぽうで、矢崎泰久好みの硬派なジャーナリズム精神は、たとえば、竹中労の「メモ沖縄」「公開書簡」のような連載に体現され、この〈遊び〉と〈反権力志向〉のフシギな共存こそが、一時期の「話の特集」の面白さを支えていたように思う》

〈反権力志向〉の硬派なジャーナリズムというのは、そのまま剥きだしの形で出されても、多くの人に読まれることはむずかしい。文化(遊び)の厚みがないと厳しい。九〇年代以降のリベラル言説の停滞は「〈遊び〉と〈反権力志向〉のフシギな共存」が崩れたこととも無縁ではない。今の硬派ジャーナリズムの世界は、冗談がいえない空気みたいなものが、蔓延していて息苦しい。

 話は変わるが、『祝祭の日々 私の映画アトランダム』を読むすこし前にペリカン時代で安田南の話をしていた。この本にも安田南の話が何度か出てきて、よくあることだが、いいタイミングで読めて嬉しかった。

2018/03/21

月夜の喫煙

 起きたら、霙。寒い。ようやく春らしくなってきたとおもったのに。
 数日前から寝つきがよくなくて、毎日睡眠時間がズレる。季節の変わり目はよくそうなる。

 東京市外杉並町高圓寺六六九。『新居格創作集 月夜の喫煙』(解放社、大正十五年刊)の巻末に記されていた新居格の住所だ。発行者は、山崎今朝彌である。山崎今朝彌は、アナキストの岩佐作太郎や幸徳秋水とも親交があった弁護士で、学生時代、玉川信明さんの大正思想史研究会でその名前をちょくちょく聞いていた。

『月夜の喫煙』も冒頭の「作者の言葉」があいかわらず素晴らしい。わたしは新居格の「まえがき」が大好きである。あと題名もいいとおもう。

《これはいづれもわたしの心にひそむ感情の投射である。私は作家ではない。だが、私には人生を——それがかなりつまらないものであつても、——人生的に見ようとする傾向が少し計りある。それがこうしたものを書かせたのだ。私は私の書いたどの作品にたいしても大した自信は持てぬ、また持たうなぞと思はない》

《私は私のかきたいと思ふことを書いた計りだ。それでいゝのか、いけないのかは懸念しない、よくても、わるくても仕方がない。こんなのが私の作品、そしてそれだけが作者としての言葉》

 新居格の本は一貫して「自分は自分の書きたいものを書いただけだ」というようなことが記されている。新居格の本を読むたびに、そうした文章を目にする。

《地底から清水が湧き出すとでも云ひたひやうに、物事をほんとうに考へることの出来る明澄さが心の奥底から浮び上がつてくるやうな気がした。そのこころが考へる、そしてさびしい》(月夜の喫煙)

「そしてさびしい」が唐突でおかしい。

2018/03/19

自伝の事典

 二〇〇八年一月号からはじまった『小説すばる』の「古書古書話」が先月号終了——。月刊誌で十年連載を続けられたのはほんとうにうれしい。
 今月号からは「自伝の事典」という連載に変わりました。第一回目は佐藤春夫。タイトルに「事典」と付いているが、作家、漫画家、ミュージシャンといった人たちの自伝(評伝)を中心に取り上げていく予定です。
「古書古書話」のときも何度となく自伝を取り上げていた。
 不遇な時期をどう乗り切ったかというのは、昔からわたしの関心事のひとつで、自伝を読んでいるときもそのあたりのエピソードがいちばん気になる。
 あとデビュー作や出世作が出る直前もおもしろい。

 不遇といっても、後からふりかえると、その時期があったからこそ、成長できたという話はいくらでもある。
 わたしも二十代半ばから三十歳にかけて、仕事がなくて、本やレコードを売りさばきながら、どうにか生活をしていた。そのころ、知り合った人たちのおかげで、三十代は楽しくなった。ひまだったから、本もたくさん読めたし、自炊の腕も上がったし、倹約、節約の知恵も身についた。

 浪人とか落第とか中退とか失業とか、その渦中にいるときはしんどいことが、自伝ではいちばんおもしろい部分になる。

2018/03/15

枕元の本棚

 十四日、どうにか確定申告をすませ、気が抜ける。阿佐ヶ谷から高円寺まで歩いた。

 今、東京堂書店の入口右側のカフェスペースで『絶景本棚』(本の雑誌社)のパネルが展示されている。わたしの枕元の本棚の写真もあります。けっこう恥ずかしい。

 吉行淳之介、山口瞳、古山高麗雄、色川武大、尾崎一雄、木山捷平、梅崎春生、内田百閒、辻潤……。
 すこしは入れ替わっているのだが、十年以上、枕元の本棚の本はほとんど動いていない。

 三十代以降は、海外のコラム、野球と将棋と釣りの本が増えた。漫画はものすごく減った。

 同じような作家が好きでも似たような本棚になるとは限らない。不思議である。

2018/03/13

雑記

 月曜日、荻窪・ささま書店。福山市教育委員会(井伏鱒二追悼一周年事業実行委員会)の『井伏鱒二の世界』(一九九四年刊)を買う。限定五〇〇部の内二七号。
 二十年くらい前から文学展のパンフをちょこちょこ集めているのだが、これは知らなかった。大判の本を見逃しがちなのは、置き場所がなくて見て見ぬふりをしてた時期が長く続いたからかもしれない。井伏鱒二の字(書)は味わい深い。愛用していた将棋盤や釣り竿の写真も収録されている。

 火曜日、神保町で仕事帰り(ひさしぶりに対談のまとめをすることになった)、鳥海書房で伊藤桂一の『釣りの風景』(六興出版)を買う。平凡社ライブラリーの版は持っていたのだが、六興出版のちょっと大きめの新書サイズの随筆集はつい手にとってみたくなる。神田伯剌西爾で読みはじめる。御茶ノ水から総武線の各駅停車で高円寺まで没頭して読んだ。「悲しい釣り」は何度読んでもいい。

《釣りは、ふつう、たのしい遊びだが、沈んだ気分をまぎらすために、釣り場へ出かける人も多いのである。この世で、志を得られないとき、自分で自分を慰める最良の手段として、釣りが残されている。釣りしかないだろう》

 伊藤桂一は同郷(三重)の作家で二〇一六年秋に九十九歳で亡くなった。『フライの雑誌』に追悼エッセイを書いたときにも同箇所を引用した。釣りにかぎらず、ひとりでも楽しめる趣味は救いになる。

2018/03/06

アワの一粒

 尾崎一雄の『沢がに』(皆美社)は、もともと署名なしの本を持っていたのだが、七、八年前に署名本を見つけ、買い直した。どこで買ったのかは忘れてしまった。この本の「生きる」という随筆が好きで、何度読み返しているかわからない。

《巨大な空間と時間の面に、一瞬浮んだアワの一粒に過ぎない私だが、私にとってはこの世こそかけ換えのない時空である。いつの世でも、いろんなさまたげがあってそうはいかないけれど、すべての生きものは、生まれたからには精いっぱい充実した時をかさね、やがて定命がきて自然と朽ちるようにこの世を去りたいものだ》

 尾崎一雄の小説や随筆は、ほとんど身辺の話を材にとっているのだが、そこから時空や宇宙、あるいは自然の話に飛ぶ。
 自分という「点」を掘り下げながら、同時に巨大な「面」「空間」を書く。

 自分のことばかり考えると、どんどん狭い穴に落ちていく気分になる。でもそんな自分も「巨大な空間と時間」の中では「アワの一粒」にすぎない。そう考えると、人とはちがうやり方だろうが何だろうが「とりあえず、生きてりゃいい」とおもえてくる。

 若いころから、わたしは「ふつう」に生きるのがしんどかった。むしろ若いころのほうがつらかった。朝起きることができないし、午前中は、ほぼ調子がよくない。いまだに人ごみが苦手で、周囲と足並を揃えようとすると、それだけで疲れてしまう。
 今も同じだ。ただし五十歳ちかくまでどうにかこうにかやってきた。
 平均からはズレた生き方かもしれないが、休み休みでも十年二十年三十年と続けていれば、自分なりの道ができてくる。
 そういう生き方があるということを尾崎一雄から学んだ。

2018/03/03

人生設計

 土曜日、西部古書会館。金曜日が初日だったから二日目。昨年の秋くらいから読書欲が低迷気味だったのだが(仕事が難航していた)、三月になってすこし回復してきた。

 昔から「何のために働いているのか」みたいなことを考えすぎるのは精神衛生によくない気がしている。
 自分の住みたい町でなるべく快適に暮らしていきたい。あとは、本が読めて、週二日か三日、飲み屋で酒が飲めて、年に二、三回、二泊三日の国内旅行ができれば、それでいい。

 郷里にいたころから「将来、おまえみたいなやり方は社会で通用しない」といわれ続けてきた。今も「老後はどうするの?」「親の介護はどうするの?」と訊かれると言葉に詰まる。
 そもそもいつまで生きるのかさえわからない。だからこそ、それなりに備えが必要なのかもしれないが、わからない未来よりも今のほうが大事だ。日々の暮らしが厳しくなったら、そのときは全力で改善に取り組みたい。

2018/02/28

困る夢

 仕事の電話で目が覚める……という夢を見る。
 電話の相手は、もう何年も会っていないかなり年輩の作家だ。「出版社に原稿を送りたいのだが、今、連絡先がわからないので、とりあえず、君のところにFAXしてもいいか」といわれる。わたしはその出版社に知り合いがいない。そうこうするうちに、電話が切れて、FAXが送られてくる。手書きの原稿が何十枚も。どうしたものかと困っているうちに、目が覚めた。

2018/02/27

高円寺で

 先週、高円寺ショーボート。「今夜、高円寺で」(山田エリザベス良子、世田谷ピンポンズ、オクムラユウスケ)のライブ。ショーボート二十五周年か。三者三様のフォークを堪能する。音楽に浸りながら酒飲んで酔っぱらって楽しかった。近年のライブはほとんどそういう聴き方になっている。

 二十代のころ、高円寺北三丁目~四丁目の風呂なしアパートを転々と引っ越していた。ショーボート(地下)のあるマンションが建ったころ、「どうしたらこんなとこに住めるのだろう」とおもった。
 知り合いの編集者が高円寺で鉄筋のマンションに住んでいたのだが、その家賃が当時のわたしの月収と同じくらいだった。
 そのころ北口のごちゃごちゃした飲み屋をよくまわっていると、常連客のひとりから「さくらももこが、このへんに住んでいた」と教えてもらった。さくらももこと面識はまったくないのだが、上京して高円寺に住んで、売れっ子になった人がいるというのはとても励みになった。『ちびまるこちゃん』(集英社コミックス)の三巻の「ひとりになった日」で静岡から高円寺に引っ越してきた日の話を描いている。南口か北口かはわからないが、電信柱には「高円寺三丁目」と記されている。たぶん、北だとおもう。

 ショーボート二十五周年のあいだにわたしは南口に引っ越し、再び北口に戻り、四十八歳になった。

2018/02/24

『怠惰の美徳』発売中

 昨日、梅崎春生著『怠惰の美徳』(中公文庫)が発売になりました。詩(二篇)とエッセイと短篇を収録しています。
 梅崎本が手元に一冊しかなかったので、神保町に行き、東京堂書店と三省堂書店で一冊ずつ買う。東京堂の文庫のランキングに『吉行淳之介ベスト・エッセイ』(ちくま文庫)が入っていた。
 吉行淳之介も梅崎春生もずっと読み続けている作家なのだが、ふたりとも病弱だったという共通点がある。わたしは元気なときよりも弱っているときに読める本が好きなので、そういう本が作りたかった。

《寒くなると、蒲団が恋しくなる。一旦蒲団に入れば、そこから出るのがいやになる》(寝ぐせ)

《その頃、一日一日を、僕はやっと生きていた。夢遊病者のように一日中ぼんやり動いていた》(一時期)

 いずれも『怠惰の美徳』に収録した梅崎春生の短篇の書き出し。何をするのも億劫なときに読みたくなる。梅崎作品は最初の数行がやる気がなくて素晴らしい。寝ころんでだらだら読んでいたくなる。読み終わったあと、ちょっとだけ元気になる。

 今回の文庫には一九四二年に梅崎春生が丹尾鷹一名義で発表した「防波堤」という幻の短篇も収録した。十年ほど前に扉野良人さんが[書評]のメルマガの連載「全著解読 梅崎春生」でこの作品のことを紹介している。『梅崎春生作品集』(沖積舎)の三巻に入っているが、全集には未収録だった。

2018/02/17

寒がりと怠けたがり

《私のおやじも寒がりだったし、うちの息子も寒がりだ。寒がりの上に、なまけものだ。(寒がりと怠けたがりにも何か関連あるらしい)》

 梅崎春生の「聴診器」というエッセイの一節。来週発売予定の梅崎春生著『怠惰の美徳』(中公文庫)にも収録している。今回のアンソロジーは梅崎春生の「怠け者」の面を軸にして編集した。解説もわたし。戦争文学だけではない、梅崎春生のゆるくて、ぐだぐだした魅力を伝えられたらとおもっている。カバーの絵(平木元さん)、デザイン(細野綾子さん)もすごく気にいっている。

 寒がりと怠けたがりは関連あるのかどうか。わたしも寒さが苦手で横になってごろごろしているのが好きだ。
 今日も起きてから、ずっと頭がぼんやりしている。毎日やろうとおもっていることの三分の一くらいのことしかできない。「それが自分なんだ」と開きなおる気力もわいてこない。

 昨年秋、福岡を訪れたとき、梅崎春生の生家付近をメモをとりながら散策したのだが、いざ書いてみると取材した文章の部分が妙にゴツゴツしていているような気がして(よくあることだ)、全部カットした。
 昔の自分だったら、他の部分を削って取材した部分を残していたかもしれない。齢とともに、文章における取捨選択の感覚が変わった。

 できない三分の二より、できる三分の一を大事にする。しかし、できる三分の一も年々摩耗していく。だから、できない三分の二に取り組む必要がある。わかっているのだけれど、その気になれなくて困っている。

2018/02/14

私の好きな中公新書

 WEB中公新書の「私の好きな中公新書3冊」というコーナーに「文学から都市を愉しむ」という原稿を書きました。

 http://www.chuko.co.jp/shinsho/portal/105596.html

 なるべく新刊書店で買える本……とのことだったですが、菊盛英夫『文学カフェ ブルジョワ文化の社交場』と上岡伸雄『ニューヨークを読む 作家たちと歩く歴史と文化』は品切れ。『ニューヨークを読む』は電子化されています。『ニューヨークを読む』は、アメリカ文学好きにおすすめしたい本。読後、小説の読み方が変わった。
 川本三郎『銀幕の東京 映画でよみがえる昭和』は、東京を舞台にした文芸映画もたくさん取り上げている。わたしはあまり映画を観ないのですが、それでもおもしろかった。
 菊盛英夫の『文学カフェ』は、あとがきに新居格や高田保の名前が出てくる。若き日の菊盛英夫は新居格に東京のカフェに連れ回されていたらしい。以上、補足。

2018/02/10

三好十郎「歩くこと」

 二十年、三十年と古本屋通いをしていると、たとえ未読であっても、作家の名前くらいは何度も目にしているから知っている……つもりになっていることがよくある。
 でもたまになんで知らなかったのかとおもう作家が出てくる。まったく知らなかった昔の作家に興味を持ち、インターネットで検索してみたら、おもっていたよりも著作がいっぱいあって驚く。

 わたしは三好十郎を知らなかった。自分のアンテナに引っかからなかった。名前を見ても、何を書いた人なのかさっぱりわからない。
 青空文庫に作品がいろいろ入っていたので、その中から「歩くこと」というエッセイを読んだ。
 長年、自分が散歩をしたり、旅行をしたりしているときに意識していたことが書いてある。嬉しくなった。もちろん、エッセイを一、二篇読んだくらいでは三好十郎がどんな人物なのかはわからない。だけど、「歩くこと」の一篇で好きになった。一行一行、すべての言葉に魅了された。
 たぶん、自分とは性格や資質はちがうような気がするが、「考えようとしていること」が重なっている。そんなふうおもえる人はひさしぶりだ。

 最初、「歩くこと」はキンドルで読んだのだが、本の形で読みたいとおもい、『三好十郎の仕事』(全三巻+別巻、學藝書林)を日本の古本屋で注文した。

2018/02/06

吉行淳之介ベスト・エッセイ

 昨年は二月三日に「冬の底」と書いている。今年は五日。眠くて眠くてしかたがない。寝る時間と起きる時間がズレる。その時期を抜けると、だんだん春が近づいてくる感覚がある。

 明日というか、もう今日か。ちくま文庫から『吉行淳之介ベスト・エッセイ』が発売になります。
 二〇〇四年に編んだ『吉行淳之介エッセイ・コレクション』(全四巻)をもとに、新たなエッセイをくわえて編集した本です。解説は大竹聡さん(素晴らしい解説です!)。

 今回の再編集では、冒頭に「文学を志す」「私はなぜ書くか」の二篇を並べた。

《詩人とか作家は、やはり追い詰められ追い込まれて、そういうものになってしまうのが本筋ではあるまいか、と私はおもう。人生が仕立おろしのセビロのように、しっかり身に合う人間にとっては、文学は必要ではないし、必要でないことは、むしろ自慢してよいことだ》(文学を志す)

《この世の中に置かれた一人の人間が、周囲の理解を容易に得ることができなくて、狭い場所に追い込まれてゆき、それに蹲(うずく)まってようやく摑み取ったものをもとでにして、文学というものはつくられはじまる》(私はなぜ書くか)

 二十代のはじめから、四十代の後半の今に至るまで、何度読み返してきたかわからないエッセイだ。
「劣等感」と「自己嫌悪」に苦しんでいた若き日の吉行淳之介が、萩原朔太郎の『詩の原理』を読み、自分は詩や文学を必要とする人間だと自覚した。そのときの感動をあらわした言葉がすごくいいんですよ。

 世の中、あるいは自分にたいして何かしらの違和感(“強弱”はあれど)をおぼえ、狭い場所に追い込まれる。エッセイの中では「文学」という言葉をつかっているが、表現全般に通じることかもしれない。

2018/02/01

紀伊半島(三)

 新宮駅から十五時三十分の在来線で尾鷲駅に向かう。尾鷲行きも今回の旅の目的のひとつ。尾鷲市は「年間降雨量日本一」で有名な町である。

 尾鷲までは特急ではなく、鈍行に乗った。特急くろしおの車窓に負けず劣らず、新宮〜尾鷲間は絶景が続く。海も山もすごくきれいだ。
 電車で新宮〜尾鷲間を移動したことはないのだが、大泊駅(鬼ヶ城があるところ)近くの湾は「ここ、知ってる」という既視感があった。ここも小学生のときの旅行で寄ったのだろうか。なんとなく浜辺を歩いた記憶があるし、たまに夢に出てくることもある。

 志摩生まれの母からは尾鷲の話はよく聞いていた。昔、伊勢のほうで働いていたとき、ときどき遊びに行ったらしい。宿に千円くらいで泊れて、映画館もあって、とくに夜はにぎやかだったそうな(五十年くらい前の話)。

 尾鷲駅に着いたのは十六時五十四分。余裕をもって鈴鹿に帰るには十八時十八分のワイドビュー南紀八号に乗りたい。尾鷲の滞在時間は、一時間二十分ちょっと。早歩きで尾鷲港に行って、帰り道に主婦の店サンバーストでお茶とアラレを買い、観光らしい観光もできないまま駅に戻る。せっかく尾鷲に行ったのに魚を食いそびれる。反省。歩いている途中、「津波は逃げるが勝ち」という標語を見た。

 新宮〜尾鷲間の車窓で絶景とおもった場所は、ことごとく津波の危険地帯でもある。心配だ。

 十八時台の電車だと、暗くて窓の外が見えない。尾鷲から鈴鹿まで、特急で二時間くらい行けることがわかった。いつでも行ける。鈴鹿からは日帰りも可。
 ワイドビュー南紀の停車駅(名古屋駅〜紀伊勝浦駅間)では、多気駅、三瀬谷駅、熊野市駅で降りたことがない。紀伊長島駅は、学生時代にいちど降りているはず(……なのだが、記憶がない)。
 三重県内にも行ったことがない場所がたくさん残っている。

 JR鈴鹿駅に着いたのは二十時十分。この駅で降りたのはわたしひとりだけだった。駅のまわりが真っ暗。淋しい。そこから近鉄の鈴鹿市駅まで歩く。約七百メートルある。
 父が元気だったころは、JR鈴鹿駅を利用するときは車で送ってもらっていた。今さら車の免許をとる気がない。この先も基本は徒歩と電車(ときどきバスと船と飛行機)で生きていくしかない。

 鈴鹿駅と鈴鹿市駅は、おもっていたより遠かった。鈴鹿市駅のコンビニで明太子のパスタを買って、郷里の家に帰る。
 昼間、新宮にいたせいか、鈴鹿が寒く感じる。
 特急に乗っている時間が長かったので、それほど疲れはない。

 家で母から安乗の灯台の話を聞いた(登ったこともあるそうだ)。わたしが木下惠介監督の『喜びも悲しみも幾歳月』に安乗の灯台が出てくるという話をしたら、一九六〇年前後、伊勢志摩を舞台にした映画に姉と弟といっしょにエキストラで出た(台詞あり)という話も聞いた。その映画のタイトルも教えてもらったが、インターネットで検索しても出てこなかった。謎。

(……完)

紀伊半島(二)

 午前八時五十三分に和歌山駅を出て、新宮駅には午前十一時四十九分に着いた。
 新宮駅から鈴鹿駅には直通のワイドビュー南紀という特急がある。だいたい三時間。おもっていたよりも近い。昔、車で南紀勝浦に行ったときは、片道八、九時間くらいかかった記憶がある(途中で休憩や寄り道もしたけど)。四十年くらい前、三重から和歌山にかけての道路事情はひどかった。道が細くて崖だらけで雨が降るとすぐ通行止めになった。

 はじめて新宮駅に降りた……のだけど、見たことがあるような気がしてしょうがない。わたしはこの風景知っている。よくある町だからではない。新宮のような町は日本中探しても滅多にないはずである。

 新宮駅を出て、徐福公園、阿須賀神社、新宮城跡、佐藤春夫記念館、熊野速玉大社、浮島の森を歩いて回る。
 レンタサイクルを借りるかどうか迷ったのだが、今回の旅は歩くことにした。町は歩いてみないとわからないことが多い。

 新宮川(熊野川)の向こう側は三重県である。「この川の水、半分は三重のものなんだな」という感慨に耽る。

 新宮に行きたかったいちばんの理由は、佐藤春夫記念館を見たかったからだ。記念館は、西村伊作の弟の大石七分が設計した佐藤春夫の家を移築復元したもの。造りがかっこいい。佐藤春夫については、いずれ雑誌に書く予定なので、ここでは詳しく書かない。

 佐藤春夫記念館を出た後、浮島の森に行こうと歩いている途中、まさ家といううどん屋に入った。ここがめちゃくちゃうまかった。味にかんしては、好みもいろいろあるし、体調に左右されることもあるが、わたしが理想とするうどんのだしだった(ほんのりとだしの酸味がきいていて、さっぱりした味だった)。

 浮島の森は泥炭の上に森があり、昔は風が吹くと池の中を動いた。受付で「時間はある」と聞かれたので「はい」と答えたら、係の人が、浮島の植物や浮島の歴史を解説してくれた。北や南のシダやコケが混在している珍しい森なのだそうだ。

「はじめて来たのに、この町、知っている気がするぞ」問題は……おそらく、子どものころ、南紀勝浦に行ったとき、行きか帰りのどちらかに新宮に寄ったのではないか。ただし、その記憶がまったくない。さらに新宮から鈴鹿に帰る途中、「憶えていないけど、なんとなく知っているような気がする景色」を何度も見ることになる。

 わたしの母校の先輩で『群像』の編集長だった大久保房男は、プロフィールに「紀州熊野に生る」と書いている。熊野と呼ばれる地域は和歌山と三重にまたがっている。
 佐藤春夫は新宮の生まれで、大久保房男にとって「熊野訛り」で話ができる唯一の文士だった。

 佐藤春夫の父は医師。大逆事件で処刑された医師でクリスチャンの大石誠之助も新宮の人だ。大石誠之助は、文化学院を作った西村伊作のおじでもある。西村伊作と佐藤春夫は、大石誠之助に多大な影響を受けている。

 今年一月、新宮市は大石誠之助を「名誉市民」に決めた。新宮市、すごい。たぶん、新宮はまた行くことになるとおもう。まき家のうどんもまた食べたい。

(……続く)

紀伊半島(一)

 月曜日、朝七時に家を出て新幹線で大阪に(三日くらい前から朝型生活を送っていた)。大阪は仕事の打ち合わせ。
 今回、大阪行きに合わせて、紀伊半島をぐるっと回って三重に帰るという計画を立てた。

 和歌山は、小学生のころ、家族旅行で南紀勝浦の温泉や瀞八丁(どろはっちょう)に行っている。四十七都道府県で、唯一、自分のお金で行ったことがない県が和歌山県なのである。それから四十七都道府県で一度も行ったことがない県庁所在地は和歌山市だけだ。

 三重県と和歌山県は隣同士だが、名古屋寄りの三重県民(+近鉄沿線民)にとっては和歌山は遠い(和歌山の人も三重県の北勢部は、遠く感じているのではないか)。

 翌日、三重への移動を考えると、紀伊田辺あたりに泊りたかったのだが(和歌山出身の知り合いの新聞記者からは「白浜がいいよ」とすすめられていた)、仕事の打ち合わせが何時に終わるかわからないので、事前に和歌山市内のホテルを予約した。

 打ち合わせは、夕方四時ごろに終わった。「白浜くらいまで行けた」とおもったが、しかたがない。和歌山市内も行ったことはない場所だし、(乗る機会がほとんどない)南海電鉄にも乗ってみたかった。

 どういうわけか、わたしは和歌山市駅と和歌山駅といった私鉄とJRの似たような名前の駅があるところが好きだ(先月行った、栃木県の足利駅と足利市駅もそう)。
 なんば駅から南海本線の特急サザンで和歌山市駅へ。あと昔から私鉄と在来線の特急も好きである。知らないうちに、なくなってしまうので、機会があったら乗ることにしている。
 大阪から和歌山市駅はだいたい一時間。東京と同じくらい寒い。飲み屋街がありそうなところまでホテルから歩いて二十分くらいかかることが判明(和歌山市に行くことがあったら寄りたいとおもっていたバーは月曜日が定休日だった)。翌日のことを考えると、ここは無理するべきではないという結論に至り、宿のちかくのラーメン屋で食事をすませ、コンビニで酒と焼き鳥を買って帰る。缶ウイスキー一本で飲んで熟睡した。

 翌日は宿からJR和歌山駅まで歩いて(途中、和歌山城のまわりを散策)、朝八時五十三分の紀勢本線(きのくに線)の特急くろしお1号で新宮へ。
 特急くろしおは、ずっと乗りたかった電車である。進行方向右(海側)の指定席を取る。なぜか昔から電車の窓から海を見るのが好きだ。今回の旅行では、行き帰りの新幹線以外は、本を読まないと決めていた。

 車内で駅の売店で買った鯛の押し寿司を食い、昨日買った残りの缶ウイスキーを飲む。入り江や湾がきれいだ。
 トンネルを抜けると海、トンネル、海、トンネル、海。きのくに線、素晴らしい。途中下車したい駅がたくさんある。
 次に帰省することがあったら、南紀白浜空港で白浜に行って、どこかで一泊してから、三重に帰るのもよさそうだ。あと南海フェリーで和歌山港から徳島港(もしくはその逆)にも行ってみたい。

 周参見(すさみ)駅も気になる。インターネットで調べたら、町名(村名)の由来は「海を波風が激しく吹きすさんでいたことより」とある。見老津(みろづ)駅も音で字がおもいうかばなかった。すさみ町の見老津沖に「ソビエト」という島名の無人島があることを知った。なぜ、ソビエトなのか。「島や岩がそびえたつ様子から名付けられた」という説もあるみたいだが、真相はわからない。
 旅の途中で通り過ぎてしまった場所というのは、なかなか行けないことが多い。
 そうこうするうちに、新宮駅に着いた。和歌山駅から約三時間。特急でも三時間。鈍行だと五〜六時間くらいかかる。

 生まれてはじめて紀伊半島の大きさを実感した。

(……続く)

2018/01/27

鈴鹿の文学

 高井有一著『塵の都に』(講談社、一九八八年刊)は、明治の文士・齋藤緑雨について書いた“現代小説”である。「私」は新聞社勤めで三重の津支局長をしていたころ、緑雨の生誕地の鈴鹿に住む人物と知り合い……。「私」の経歴は、作家本人と近いのだが、微妙にちがう。

 昨年あたりから郷土文学の本を立て続けに読み、鈴鹿や津が舞台の小説として『塵の都に』を知った。二十代半ばから三十代半ばにかけて、わたしは高井有一さんに何度かお会いしている。ほぼ酒の席だったが、昔の同人誌や文学者の集まりのことを聞くと、いつも穏やかな笑顔で答えてくれた。そのとき『塵の都に』の話ができなかったのが悔やまれる。

 この小説の後記に「近鉄鈴鹿市駅を降りて歩き出すのとほぼ同時に雨が落ちて来て、みるみる激しくなつた。私は商店街の傘屋に入つて、折畳みの傘を一本買ひ、ついでに『龍光寺はどつちになりますか』と訊ねた」とある。

 龍光寺は、三重にいたころの齋藤家の菩提寺である。子どものころ、わたしは春になると龍光寺の寝釈迦祭りによく行った。高井さんの小説の中に、なじみのある寺の名が出てくるとはおもわなかった。
 近鉄の鈴鹿市駅近辺は寺社町でわたしの父の墓も龍光寺のすぐそばの寺にある。父と母はこのあたりをしょっちゅう散歩していた。
 緑雨は鈴鹿出身の文人だが、地元ではあまり知られていない。『塵の都に』が刊行された一九八八年——まだわたしは鈴鹿にいたのだが、緑雨の名を知ったのは上京後だ(山本夏彦のコラムで知った)。
 緑雨は鈴鹿生まれで明治法律学校(現在の明治大学)を中退し、文筆家になった。ちなみに、わたしも鈴鹿出身で明治大学を中退し、雑文書きになった。いつか緑雨を研究したいとおもいつつ、何もしていない。

2018/01/25

イップス

 都内の気温氷点下。こたつから出られず、仕事も捗らず、深夜、インターネットで百万円台の中古のマンションをいろいろ見ていた。
 山梨県の甲府市内にけっこうある。
 高円寺界隈でひとり暮らし用のアパート(1K)が月六、七万円。百万台マンションなら一年半から二年分の家賃で買える。今のところ、買う気はないが、もしこの先、仕事が行き詰まったときの選択肢として……答えは出ない。

 最近、読んだ本では澤宮優著『イップス 魔病を乗り越えたアスリートたち』(KADOKAWA)がよかった。選手自身が、イップスについてこれだけ語っている本を読んだことがなかった。
 登場するのは、元日本ハムの森本稀哲、岩本勉、ヤクルトの土橋勝征、プロゴルファーの横田真一、佐藤信人の五人。この本を読んで、森本稀哲選手の印象がずいぶん変わった。いい人だなあと……。
 ゴルフだと、至近距離のパットが入らなくなる。野球の場合、ピッチャーがストライクが入らなくなる。野手は簡単な送球ができなくなる。
「失敗してはいけない」という気持が強すぎると、イップスになることがある。

 スポーツの本だが、困難の克服というテーマは、人生全般にも通じる。澤宮さんは、苦労人の言葉を引き出すのがうまくて、陽の当たらない部分を丁寧に描く。

 年中、わたしは調子がよくないのだが、「それが当たり前」とおもって生きていくのは、そんなに間違っていないのかもしれない。

2018/01/22

休日

 昼すぎ、起きたら、雪。すでに積もっている。今日は一歩も外に出ていない。

 日曜日、午後二時すぎ、鬼子母神通りみちくさ市。池袋の古書往来座にも寄る。
 そのあと副都心線で西早稲田に行って、新宿中央図書館で、ある随筆の初出を調べるため、一九五〇年代の新聞の縮刷版と格闘する。
 探している記事がない。見落としか。現実逃避で雑誌コーナーに『将棋世界』や『週刊ベースボール』を読みに行く。そのあいだ、隣の小学生は電子辞書を片手に、ずっと勉強している。
 二十代のころ、先輩のライターや編集者に頼まれて、国会図書館や大宅文庫に昔の新聞や雑誌を調べに行くアルバイトをよくしていた。日当五千円くらいだったか。たまにどんなに探しても、該当記事が出てこないことがあった。そのときの徒労感をおもいだした。

 図書館からの帰り道、新大久保駅に向かう(途中、道に迷う)。韓国の店がたくさんある。人だかりができているとおもったら、韓国の化粧品の店だった。

 新大久保駅を抜けて、JR総武線の大久保駅から高円寺に帰る。

2018/01/16

雑記

 冬のあいだは、朝七時ごろに寝て、午後二時ごろに起きて、午後三時ごろまで蒲団の中でだらだらするのが理想――なのだが、西部古書会館の大均一祭ということで、すこしだけ早起きした。といっても午後一時半だが。

 初日は全品二百円(二日目は百円)。大均一祭は棚を見るのも楽しい。今回、自分の守備範囲外の本だけど、「これ、均一で出すの?」という本がけっこうあった。

 土曜日、ペリカン時代でオグラさんと会ったら、前橋でわたしは相当酔っぱらっていたことがわかった。
 まっすぐ歩けないくらい酔っぱらっていて、オグラさんにホテルの前まで送ってもらったらしい。道に迷って「ここはどこだ?」と焦った記憶はあったのだが、うーん。

 ここ数日、庄野潤三の『浮き燈臺』(新潮社)を読んでいた。その前に『自分の羽根』(講談社文芸文庫)を読んだ。『自分の羽根』に「志摩の安乗」という随筆が収録されている。

《安乗は志摩半島の的矢湾の入口に面した小さな岬の村で、昔からここの海で嵐に逢って難破する船が多かったというのである》

 正月、三重に帰省したとき、志摩出身の母に安乗(あのり)の話を聞いた。伊良子清白の「安乗の稚児」や庄野潤三の『浮き燈臺』は、安乗が舞台になっている。
 わたしは生まれも育ちも鈴鹿なのだが、母方の祖母がいた志摩には、子どものころ、よく遊びに行った。安乗という地名も耳にしていた。『浮き燈臺』は、想像していた小説とはちがっていたが、すごくおもしろい。

2018/01/09

前橋

 八日、前橋。Cool Foolで早川義夫、オグラのライブ。こんな組み合わせのライブを観る日が来るとは……。
 オグラさん、風邪気味。声が枯れてたけど、歌い切る(MCがものすごく早口だった)。「区民プール」のときは、声が出るのかどうかハラハラした。それもライブのおもしろさ。
 早川義夫さんのライブは九四年の渋谷公会堂以来。当時、ミニコミも出ていた(探せば家のどこかにあるはず)。一曲目が「マリアンヌ」で声がまったく変わってない。最初、CDが流れているのかと勘違いしたくらい。
 宿をとっていたので、ライブ後もオグラさんと飲む。Cool Fool、いい店だった。帰り道、迷いそうになる。

 翌日、前橋文学館に行く。田村隆一、佐藤垢石、伊藤信吉、清水哲男のパンフレットを購入。前橋文学館付近の遊歩道、詩碑がたくさんあって楽しかった。弁天通商店街を散歩。ちょうど初市のお祭りでにぎわっていた。前橋の雰囲気は「昭和感」があふれている。
 帰りは十一時四十五分に上毛電鉄の中央前橋駅から赤城駅(上毛電鉄、自転車が持ち込める)。
 赤城駅から歩いてわたらせ渓谷鐵道の大間々駅へ。大間々駅の周辺、ゆっくり歩いてみたかった。途中、ふじみ書房という古本屋があったが、定休日だった。
 大間々駅から桐生駅。桐生駅からJR両毛線で足利駅、そこから歩いて東武伊勢崎線の足利市駅に出て、久喜駅へ(この区間だけ特急に乗った)。久喜駅からJR上野東京ラインで赤羽駅。赤羽駅から埼京線で十条駅。十六時四十五分着。計五時間。ずいぶん遠回りした。たぶん、二度とこのルートをつかうことはないだろう。
 この日、十条のパレスチナ料理の店で新年会だったのだが、待ち合わせ時間ピッタリ。十条、はじめて降りた。東京も知らない町がたくさんある。

2018/01/08

古本はじめ

 六日、西部古書会館。今年の古本はじめ。これから取り組みたいテーマがはっきりしないまま棚を眺める。そういう時期もある。
 わたしは子どものころから冬が苦手だった。気温が十度以下になると、壊れたロボットみたいになってしまう。
 部屋を暖め、カイロを貼り、それなりに防寒対策はやっているが、寒いのはつらい。頭がまわらず、寝てばかりいる。とりあえず、冬をのりきることに専念したい。

 文芸(にかぎった話ではないが)の世界には「調和型」と「破滅型」という区分があるけど、そのどちらでもない「怠惰型」の作家もいるようにおもう。
 性格は温厚で、見た目はマジメそうなのに、集団生活が苦手な社会不適応者はけっこういる。
 体力がなく、疲れやすい人もそうかもしれない。

《も少し弱くなれ。文学者ならば弱くなれ。柔軟になれ。おまえの流儀以外のものを、いや、その苦しさを解るように努力せよ。どうしても、解らぬならば、だまっていろ》

 これは太宰治の言葉。ひさしぶりに読み返した。「如是我聞」ですね。
「も少し強くなれ」ば、生活は改善されるのかもしれない。ただ、強く、丈夫になることで失ってしまう感覚もある……ような気がする。

2018/01/04

新年

 年末年始は郷里の三重ですごした。あらためて地方の町は、車がないと不便だなとおもう。車で移動することを前提として町が出来上がっている。
 大晦日、鈴鹿ハンターに行って、衣類、酒、刺身、だし巻き卵、あられなどを買う。父の本棚をゆっくり見ていたら、青木雨彦の本がけっこうあった。知らない言葉や人名をメモした紙がはさまっている。母が転んで手を怪我していたので、わたしが雑煮を作る。

 昨年から旅先にキンドルを持っていくようになった。インターネットに接続して、地図と時刻表を見ることができる。元旦、お店が営業しているかどうかもわかる。ひさしぶりにマックスバリュに行く。

 二日、夕方、名鉄百貨店のデパ地下に寄ってから、東京に帰ろうとしたら、新幹線が一時間以上遅延。エスカで珈琲を飲んで、時間をつぶす。

 つかだま書房の新刊、後藤明生の『壁の中』を昨年からスローペースで読みはじめている。『海』の一九七九年一月号から一九八四年五月号まで連載、それから『中央公論 文芸特集』一九八五年夏季号に掲載——後藤明生が、四十六歳から五十三歳にかけて書いた長篇小説である。

 日々の仕事があることはありがたいことだが、それだけ時間は細切れになる。長篇小説や巻数の多い漫画を一気に読むのが、年々むずかしくなっている。
 仮に年三百冊として、十年で三千冊、二十年で六千冊、三十年で九千冊……。仕事で読む本と趣味で読む本の比率は、半々くらいが理想なのだが、なかなかそういうわけにもいかない。

 フリーランスで仕事を続けていくためには、平均ではダメだとおもっている。もちろん、平均以下だと話にならない。
 何をやるにせよ、同業者の平均の一・五倍か二倍のことをやって、ようやく抜け出せる。何を一・五倍、二倍やるかは、人によってちがう。平均以上のことをやっていても、楽に暮らせるわけではない。そんなことを新年早々考えていた。