福田蘭童著『志賀直哉先生の台所』(旺文社文庫)に「奥日光旅行」という随筆がある。
蘭童は、志賀直哉の家族を連れてあちこち旅行していた。「こんどは山のほうに行ってみたいね……」という志賀直哉にたいし、「奥日光はいかがですか。ぼくのイトコが湯元温泉で板屋という旅館を経営していますので……」。
奥日光旅行には広津和郎も誘うことになった。
湯元温泉の説明をすると、広津和郎は「そのころのことを葛西善蔵がよく言っていた」と懐かしむ。蘭童は「そうそう葛西さんは湯元の南間ホテルにだいぶ滞在していたことがあるので、南間ホテル経営者の南間栄君が、ぜひとも広津先生に碑文を書いてほしいと言ってました」という。
そのあとの広津和郎の台詞がいい。
「葛西は飲んべえだったから、だいぶホテルに迷惑かけただろうに……」
広津和郎が葛西善蔵に多大な迷惑をかけられた親友(晩年は絶交状態)だったことを知っていると、いっそう味わい深い言葉だ。
葛西善蔵は「湖畔手記」を板屋旅館で書き上げたが、南間ホテルにも滞在していた。
ちなみに、この「奥日光旅行」で福田蘭童はフライフィッシングもしている。