2014/05/31

金鶴泳

 ようやくコタツ布団をしまう。
 すっきりした。今度出すのは十一月くらいか。

 気温の変化が激しいせいか、睡眠時間がどんどんズレる。これも自分の「ふつう」とおもうことにした。

 昨日、西荻窪に行って音羽館で金鶴泳の署名本を二冊買った。『あるこーるらんぷ』(河出書房新社、一九七三年刊)と『郷愁は終わり、そしてわれらは――』(新潮社、一九八三年刊)。

 古山高麗雄著『袖すりあうも』(小沢書店、一九九三年刊)に「金鶴泳」という文章が収録されている。追悼文の形の「金鶴泳論」といってもいい。
 金鶴泳は一九八五年一月に四十六歳で亡くなっている。

《おとなしく、言葉の少ない人だった。私はおそらく、彼の作品を読んで、執筆を依頼したのである。私が読んだ彼の作品は何と何であったか。彼と会ってどんな話をしたか。そういうことはいちいち憶えていないけれども、「凍える口」「あるこーるらんぷ」ほか、何篇かを読んで、私は彼に期待した》

 古山さんに依頼され、金鶴泳は『季刊藝術』に「石の道」を書いた。

《静かな語り口で、在日韓国人が描かれていた。その存在が。その哀しみが。その存在に対する問いを、人間とは何であるかを追究することで問うている作品であった。鶴泳さんは、問題提起というかたちで問題を提起したりはしない。在日韓国人を作り出したものを告白したりはしない。だから読者は、いっそう、鶴泳さんがおそらく心の中で問うているであろうものについて考えないではいられない》

「あるこーるらんぷ」は「自分の実験室を持つこと、それが俊吉の夢であった」という文章ではじまる。
 それからしばらくして父・仁舜の話になる。父は、強制連行で北海道の炭坑で働かされていた。給料は日本人の三分の一か半分、逃げないように常に見張りがついていた。
 戦時中、幼い栄吉(俊吉の死んだ兄)といっしょにいたところ、一回りも年下の軍人に暴行を受けた。赤ん坊の服が「白っぽい服」を着ていたからだ。「白っぽい服」は敵機の目標になりやすい。しかし日本人の子どもだって、そうした服はざらに着ていた。

 そうした差別を受けてきた父が、酒を飲むと家族に暴力をふるう。日本人の男性を好きになった姉、日本人を頑なに拒絶する父。祖国の指導者を信奉する父、朝鮮籍から韓国籍に変えようとする兄との関係も描かれる。

 分裂した家族から目をそむけるように、俊吉は化学の実験にのめりこむのだが……。

 この小説も「問題提起」はしていない。そして容易く解決できない問いが残る。

2014/05/28

日常

 毎年五月上旬には片づけていたコタツ布団をまだしまっていない。一回洗濯してから片づけたいなとおもっていると、雨が降る。

 ミニコミ『PINCH!』(特集・これからどう生きる?)が刊行。わたしも「半人前の生存戦略」という原稿を書きました。

 プロ野球の交流戦をインターネットで観たり、ラジオで聴いたり、キンドルでダウンロードした漫画を読んだり、酒を飲んだりはしていた。それ以外はずっと仕事をしていた。いつもどおりというか、なんというか、生活に変化がない。

 そんなこんなで、毎日ぐったりしているわけだが、もうこれは不調ではなく、この状態を自分の「ふつう」とおもわざるをえない気がしている。

 とはいえ、もうすこし体力がないとしんどい。体力をつけるための体力はどうすればつけることができるのか。そんなことを考えるひまがあったら、からだを動かせというのが、たぶん正解なのだろう。

2014/05/22

気分転換

 今月は梅崎春生著『幻燈の街』(木鶏書房)、『野呂邦暢 兵士の報酬 随筆セレクション1』(みすず書房)が刊行。『幻燈の街』は、単行本、全集未収録の昭和二十七年に発表された新聞小説である。
 野呂邦暢の随筆セレクションも単行本未収録作品が気になる。全二巻。

 仕事の合間に、山川直人の『道草日和』(小学館)、『夜の太鼓』(KADOKAWA/エンターブレイン)を読む。『道草日和』の帯の裏には『夜の太鼓』、『夜の太鼓』の帯の裏には『道草日和』の紹介文が載っている。
『道草日和』は一回八頁、『ビッグコミックオリジナル』の増刊号の連載(足掛け五年)をまとめた掌編漫画集。
 主人公らしい主人公はいないけど、山川作品でおなじみの売れないミュージシャンや漫画家が、ちょくちょく顔を出す。陸橋があって、古い喫茶店、古道具屋のある町が舞台になっていて、町を行き交う人たちの小さな喜びを描いている。それぞれの回の登場人物がときどき別の話に出てくる。

 夢を追いかけるだけでなく、地に足のついた暮らしの中にも幸せがある——さりげなく、そういうメッセージがこめられているようにおもう。いつまでもふらふらしているわたしがいってもまったく説得力がないのだが……。
 東京に行った息子のことを心配している母親の話(「また会う日まで」)も好きな作品だ。

『夜の太鼓』の「エスパー修業」は、昔なつかしのジュブナイル風(といっても、子ども向けかどうかは微妙)の作品——「そこそこ」の自分を物足りなくおもう女の子がエスパーに憧れ、修業をはじめる。彼女がエスパーになれるかどうかはさておき、修業の過程で小さな変化があらわれる。
 ちょっと謎めいた話で、読み手の想像にゆだている部分も多く、読み返すたびにいろいろな解釈ができる作品になっている。山川さんの絵はSFとすごく合っているとおもった。
 メルヴィルの小説を漫画化した「バートルビー」も収録されている。

 仕事はあと一山。
 これから軽く飲んでくる。適量厳守の予定。

2014/05/17

すこし息抜き

 星野源著『蘇える変態』(マガジンハウス)を読み終えた。エッセイだから、内容を紹介するのも何なのだが、文章がいい。というか、内容に関係なく読まされてしまう。

 先月刊行の細馬宏通著『うたのしくみ』(ぴあ)は、一気にではなく、じっくりゆっくり読んでいる。

 プロ野球が開幕して、四月から(ちょっとだけ)仕事も忙しくなって、酒量も減らし、疲れをためないことを心がけて、日常が単調になって、一週間があっという間にすぎる。

 家にこもっている時間が長くなると、どうせなら、窓から海とか川とかが見えるような部屋に引っ越したくなる。

 三十代半ばに、乳酸菌や納豆菌の入った腸の薬を飲むようになって、ずいぶん改善した。風邪もあまりひかなくなった。その分、太った。

 体質が変わって、外に出るのが億劫ではなくなった。二十代くらいから、そうだったら、また別の人生を送っていたかもしれない。

 今月の仕事はまだ終わらない。

 早く仕事と関係ない本をだらだらしながら読みたい。

2014/05/08

この先の扉

 連休中、ほとんど高円寺。というか、家で仕事をしていた。連休明けにしめきりがあって、休むに休めない。

 先日、『仕事文脈』(タバブックス)の四号が完成し、その打ち上げに出席する。
『仕事文脈』は、地方での働き方をはじめ、これからの仕事のあり方を真摯に模索している雑誌だとおもう。

 ここ数日は、ラジオでプロ野球を聴いて、詰将棋をして、羽海野チカの『3月のライオン』を読み返した。そんなことをやっている場合ではなかったのだが、九巻に登場する名人のライバルの土橋健司九段の言葉を読んで、もっと今の自分にとって難しいことをやってみたくなった。

 将棋の棋士の魅力というのは何だろう。
 人生のかなり早い段階で、生きる道を決め、ひたすらひとつのことに自分の持てる力を特化する。将棋さえ強ければ、処世術なんかいらない。

 ここ最近、これから先どうするか、わからなくなっていた。しかし、わけがわからなくなるほど、勉強や研究したその先に未知の領域につながる扉がたくさん見えてくる——『3月のライオン』の中で描かれているシーンは、仕事の世界にもあるような気がする。

 ここのところ、ずっと低迷しているのだけど、次の扉が見えてくるまで、もがき続けるしかない。