2012/12/31

たけうま書房

 ひさしぶりに品川から京急の乗って横浜の黄金町。今月、オープンしたばかりの古本屋たけうま書房に行く。
 駅からすぐの飲食店などの入ったショッピングセンターの二階。伊勢佐木町モール(古本屋がけっこうある)からもすぐだから、JRの関内から行くルートもありかなとおもった。

 店内で一箱古本市、わめぞ関係者らと合流し、それぞれ本を買う。
 わたしは開高健著『ずばり東京』(朝日新聞社)の上巻、三浦節子著『アメリカン・コミックスへの旅』(冬樹社)、河原淳著『絵の特技を生かそう』(実務教育出版)などを購入した。

 今回、わめぞTVの「特集:たけうま書房」(http://www.ustream.tv/recorded/27813986)を見てから出掛けた。古本屋にかぎらず、これから店をはじめたいとおもっている人は一見の価値ありでしょう。

『古本の雑誌』の南陀楼綾繁さんの「一箱古本市店主『たけうま書房』の謎に迫る」もおもしろい。店主の稲垣さんは、わたしと同い年(一九六九年生まれ)で、大学卒業後、フリーターになって、色川武大を愛読していたことを知り、親近感がわいた。店の棚は、編集のセンスをかんじさせられる棚(なんとなく『話の特集』と昔の『宝島』っぽい)で、音楽、映画関係の本が充実している。

 そのあと晩鮭亭さんの引率で横浜の中華街へ。水餃子と自家チャーハンがうまかった。ちょっと食いすぎた。
 帰りの電車で河原淳の本をぱらぱら読んでいたら「あっ」とおもう記述が……。

《坂崎靖司くんという人から、五十七円の切手を貼った封筒が届きました》

 封筒の中には『ホモ・ルーデンス』という一冊の詩集が入っていて、同封されていた手紙が紹介されている。

《この手紙がきっかけとなって、坂崎くんはぼくの助手となりました》

 売り込み法やマスコミ処世術などについてイラストレーター向けのアドバイスもあり、欄外にはマニアックな一行情報(「六浦光雄が昭和十一年にはじめて『アサヒグラフ』に投稿したときのペンネームは六浦甚六であった」など)も。

 河原淳の雑学コラムは、もっと評価されてもいいとおもう。

2012/12/25

ライブの話

 十九日は吉祥寺、スターパインズカフェで東京ローカル・ホンク、二十一日は神保町、三省堂書店で前野健太、二十二日は高円寺、ショーボートでギンガ・ギンガ(オグラ&迷ローズ、しゅう&宇宙トーンズ、ペリカンオーバードライブ)と素晴らしいライブを堪能し、飲みすぎた。

 十年くらい前まで、わたしはミュージシャンと会うたびに緊張していた。音楽ライターをしていたにもかかわらずだ。自分の外見(服装もふくむ)も内面もまったくちがう人種、ステージに立つ側と見る側——そこにはどうしても埋まらない溝があるとおもっていた。
 ようするに、かっこいい人たちだとおもっていた。いや、今でもかっこいいとはおもっている。

 それでもどこで重なる部分がある。話が合う部分がある。

 毎晩のように中央線界隈の飲み屋でのみあかしているうちに、いろいろ共通点も見つかってくる。逆に、まったくちがうところもおもしろくなってくる。
 わたしが「この人、ものの見方や考えたが自分とちがっておもしろいな」とおもうときは、相手もまた自分にたいしてそうおもうこともある。

 はじめのうちはライブの打ち上げにまぜてもらっても、ぎこちなかったし、話がまったく弾まず、自己嫌悪に陥ることもあった。
 そんなこんなで月日が流れ、年に数回、もっとかな、いまだに緊張して、挙動不審になってしまうことはあるのだが、たぶんそういうことを乗りこえた先におもしろい時間がある。

 ふと、そんな時間をすごすと、「齢をとるのもわるくないな」とおもえる。

 しかし、飲み友だちになって、馴れ馴れしく話ができるようになっても、ライブを見ると、「やっぱ、すごいわ、自分とはまったくちがう人種だ」という気持になる。

 酔いがさめると、「生意気なことをいってすみません」とおもう。

2012/12/19

生きいそぎの記

 ペリカン時代で藤本義一著『生きいそぎの記』(講談社文庫)を受けとる。NEGIさんに借りた本。

 表題作は若き日の藤本義一が『幕末太陽伝』などの作品で知られる川島雄三監督のもとで仕事をしていたころの話である。
 撮影所で募集の告知を見て、川島監督のところを訪れる。
 志望を聞かれ、シナリオライターですというと、川島監督は「支那料理屋ねえ、う、ふっ、ふぁ」と冗談をいったあと、こんなことを語る。

《人間の思考を、今、仮に百とします。思考を言葉にすると百の十分の一の十です。その言葉を文字にすると、そのまた十分の一です。思考の百分の一が文字です。文字で飯を食っていくには、せめて、思考の百分の二、いや、一・五ぐらいの表現が出来ないことには失格です。わかりますか、君は……》

『藤本義一の軽口浮世ばなし』(旺文社文庫)でも、同じ話を書いているのだが、この部分を確認したかったのである。

『軽口浮世ばなし』では、次のように語っている。

《普通の人は、言葉の十分の一を文字として表現するわけです。わかりますか。しかし、プロは、それが許されないのですよ。思考の一パーセントの文字では、プロフェッショナルにはならないのです》

 思考を文字に移しかえる割合が一パーセントか一・五パーセントか。それがプロとアマの意識の差なのである。この〇・五%をどう伸ばすか。それ以前に、その差に気づくことができるか。

 考えていることを文章にするとき、九九パーセントは文字にできない。そして一パーセントの文字ですら、まちがえてしまう。

 藤本義一は「プロというのは『いやなことをすすんでやるから好きなことが出来る男である』ということ」と記している。そのことに気づいたのは、二十五歳のときだった。三十代ではすこし遅いと……。

2012/12/14

赤いスフィンクス

 部屋の掃除をしていたら、『昔日の客』の関口良雄が書いた「雑話」という題のエッセイのコピーが出てきた。

《私の店の近くの池上本門寺のそばに松尾邦之助という人が住んでいる》

 駅のちかくで松尾邦之助と会って、「先生! 暫くでした」と声をかけると、「やあー」といって近づいてきた。

 そのあとの松尾邦之助の台詞——。

「何かその後、僕の本が入ったかね。四、五年前に長嶋書店(ママ)というところから、僕の『赤いスフィンクス』という本を出したのだが、何とか見付けてくれないかね」

『赤いスフィンクス』は、松尾邦之助が訳したフランスの思想家アン・リネルの小説である。出版社は長嶋書店ではなく長嶋書房で一九五六年に刊行されている。

(……以下、『閑な読書人』晶文社所収)

2012/12/12

『冬の本』と『旅のツヅキ』

……本日、『冬の本』(夏葉社)、『DECO・CHAT(デコ・シャ)vol.2 旅のツヅキ』が発売になりました。

『冬の本』
版元 夏葉社
装幀 和田誠
版型 四六版変形(179mm×112mm)
ハードカバー(カバーなし) 200ページ
定価 1700円+税

冬に読んだ本、冬になったら思い出す本など、総勢八十四名による冬と本に関する書き下ろしエッセイ集。

執筆者(敬称略)

青山南、秋葉直哉、淺野卓夫、天野祐吉、安西水丸、いがらしみきお、池内紀、池内了、石川美南、井嶋ナギ、伊藤比呂美、伊藤礼、井上理津子、岩瀬成子、上原隆、宇田智子、内堀弘、大竹昭子、大竹聡、大谷能生、岡尾美代子、岡崎武志、荻原魚雷、角田光代、片岡義男、木内昇、北澤夏音、北沢街子、北村薫、北村知之、久住昌之、小林エリカ、越川道夫、小西康陽、近藤雄生、佐伯一麦、柴田元幸、杉江由次、杉田比呂美、鈴木慶一、鈴木卓爾、鈴木理策、曽我部恵一、高橋靖子、高山なおみ、田口史人、竹熊健太郎、武田花、田尻久子、田中美穂、丹治史彦、友部正人、直枝政広、長崎訓子、名久井直子、能町みね子、橋口幸子、蜂飼耳、服部文祥、浜田真理子、早川義夫、平田俊子、平松洋子、文月悠光、穂村弘、堀込高樹、堀部篤史、ホンマタカシ、前野健太、万城目学、又吉直樹、松浦寿輝、町田康、南博、森山裕之、安田謙一、柳下美恵、山崎ナオコーラ、山下賢二、山田太一、山本善行、吉澤美香、吉田篤弘、吉本由美。

夏葉社
http://natsuhasha.com/

『DECO・CHAT(デコ・シャ)vol.2 旅のツヅキ』

「旅のツヅキ」は、"絵本"のような旅の本。旅する少年たちの…(実年齢はともかく、性別も関係なく...)。

vol.2は、判型を変え(B5版)、グラフィカルに写真とことばをのせて、オールカラー24ページでお届けします。
日本語と英語の2カ国語版。

執筆者(敬称略)
詩 扉野良人
エッセイ 荻原魚雷 島田潤一郎(夏葉社)河田拓也(For Everyman)
写真・デザイン 東海林さおり(ocyk production)
翻訳者 林裕美子

2012年12月12日発行・定価(本体860円+税)

昨年秋、京都に行ったとき、河田拓也さんが作った『For Everyman』を読んで感激したdecoさんから『DECO・CHAT(デコ・シャ)vol.1 旅と本のコラム』をぜひ河田さんに渡してほしいと頼まれた。
それから『旅と本のコラム』を読んだ河田さんが感想と返事を書いて……。詳しくは「vol.2」の「あとがき」を参照してください。

half‐moonstreet125
http://halfmoonstreet125.cocolog-nifty.com/halfmoon_street_125/

澄江堂主人

 冬になると、調子をくずしやすいのは、寒いからだけでなく、外出しなくなって、歩く時間が減るせいもあるかもしれない。
あるていど、からだを動かさないと思考も鈍る。今さらだが、そんなことに気づいた。

 先月、山川直人著『澄江堂主人』(全三巻、エンターブレイン)が完結した。芥川龍之助や宇野浩二ら当時の文士がみんな漫画家という設定でフィクションの余地を残しつつ、円本ブームとか言論弾圧とか、ちゃんと文学史、出版史をおさえている。

 芥川龍之助の生きた時代が活き活きと描かれていて、大正、昭和初期の空気が伝わってくる。その空気は今の時代に不思議と通じる部分もある(震災や不況など)。
 やっぱり田端文士村の雰囲気は憧れますね。
 あと時々登場する百閒先生が妙におかしい。もちろん借金のシーンもある。

 後篇では、キリスト教に傾倒していく芥川の内面の世界が「絵」になっていて、ただただ「すごいものを読んでいる」という気持にさせられた。

 一時期、芥川龍之介の評伝は熱心に読んだことがあったが、芥川の作品自体は二十年くらい読んでいない。何冊か読み返したくなった。

 夕方、神保町。神田伯剌西爾で珈琲を飲んでから書店をまわる。
『生誕120年芥川龍之介』(関口安義編、翰林書房)に、山川直人さんの「平成に読む芥川龍之介」というエッセイも収録されている。

 山川さんは三十代半ばに芥川の全集を毎月配本順に読んだ。それから十年後に『澄江堂主人』の連載をはじめる。

《せっかく漫画で描くからには、何か一つ大きなウソを入れたい》

『生誕120年芥川龍之介』には芥川ポーズ(右手をあごにそえる)をする太宰治の写真(三パターン)もあった。
『澄江堂主人』にも太宰が芥川の真似をするシーンがちらっと出てくる。わたしの記憶では高見順もこのポーズをしている写真を見たことがある。

2012/12/10

雑記

 うどんを作り、残ったつゆに味噌とごまポン酢をいれて、雑炊にする。あとはひたすらコタツと布団(一メートルも離れていない)を行ったり来たりする。

 布団の中で『文學界』一月号を読む。星野博美さんの新連載「みんな彗星を見ていた」が掲載されている。
 まず自分が興味を持つ理由を突きつめてから取材をはじめる。今回は歴史ノンフィクションになるのかなあ。先の展開がまったくわからない。
 これから毎月楽しみだ。

 ちょっとだけ外出して、家に戻ると山本善行著『定本 古本泣き笑い日記』(みずのわ出版)が届く。この日記、山本さんが四十代のころに書きはじめたもので、つい今の自分と比べながら読んでしまう。
 この古本への情熱はどこからくるのだろう。さっそくパラフィンをかける。

 先週は京都から東賢次郎さんが高円寺に来ていて連日飲み明かした。
 先月、東さんは放送禁止ソング界の重鎮のつボイノリオのラジオ(KBS)に出演し、「イエスタディ」の替え歌(下ネタ)を披露——。番組の後半部ではなぜかユーロ危機や中国経済の話などをしていた。謎すぎる。

 わたしは三重にいたころ、CBCのつボイノリオの番組によくハガキを出していた。その話をすると、東さんが『群像』の編集者時代に担当していた某作家(岐阜県出身)もつボイノリオの熱烈なファンであることを教えてくれた。

 中学時代に校内暴力で荒れまくっていた学校に通っていたのだが、つボイさんの番組でペンネームではなく、まちがって本名を読まれてしまったことがあった。
 翌日、下級生の誰もが怖れていた同じ部活の先輩が、自分のところに来て、「俺もあの番組にハガキを出しとるんや」といわれ、ペンネームを教えられた。
 なんとなく自分以外にも鈴鹿の人でよく読まれる人がいるなとおもっていたら、その先輩だった。

2012/12/08

空洞

 かれこれ二十年以上、わたしは鮎川信夫著『一人のオフィス 単独者の思想』(思潮社、一九六八年刊)を読み返している。
 まちがいなく家にある本の中で再読回数が多い本である。
 インターネットの古本屋がなかったころ、探しに探してようやく見つけた。
 たまに自分が紹介した本を読んだ人に「いうほどおもしろくなかったよ」みたいなことをいわれる。好みは人それぞれである。わたしは一冊の本と出あうまでの時間も読書の楽しみだとおもっている。
 その人の書いたものを一冊一冊読み続けて、ようやくそのすごさがわかることもある。

(……以下、『閑な読書人』晶文社所収)

2012/12/05

寄り道

 仕事が一段落。といっても、年末進行中であることには変わりない。

《立派な書斎で机に向って、庭の眺めを眼にして終始書いているような作家の書くものに道筋がないのは当然だ。歩きながら立止まらずに眺め、考え、発見する人々の話には、少なくとも道筋がある》(「余白の告白」/辻まこと著『続・辻まことの世界』みすず書房、一九七八年刊)

 立派な書斎も庭もないが、コタツでずっと本を読んだり、文章を書いたりしていると、どうしても行き詰まってくる。三十代半ばをすぎたあたりから、仕事帰りに寄り道をしなくなった。酒も近所の飲み屋か家でしか飲まない。寄り道なんてものは、別にしなきゃいけないとおもってするものではないが、しなきゃいけないとおもわないとできなくなる。たまにはフィールドワークのようなことをしないといくら本を読んでも消化できないかんじが残る。もうすこし歩く時間を増やしたい。

2012/11/28

目的地に着いても…

 長そでのヒートテックを着て背中にカイロを貼る季節になった。どうしても寒いと(もともと少ない)外出時間が減る。運動不足になる。すこしは歩かないと頭もまわらない。

 藤本義一著『生きいそぎの記』(講談社文庫)はNEGIさんが持っていて、貸してもらえることになった。助かる。

『週刊ポスト』の連載をまとめた関川夏央著『やむを得ず早起き』(小学館)はすごすぎる。週一ペースでこの文章の質はちょっと考えられない。

 この本の中の「目的地に着いても立たない乗客」と題したコラムを読んでいたら、「私の一九七〇年代の友人に、一歳年長のT君というシナリオライターがいた」という文章があった。
 あるときT君が缶詰めになっていた神楽坂の旅館に呼び出され、オリジナルのシナリオを読まされる。

 そのシナリオは——。

《野心を抱いた六人のチンピラ・ヤクザが自滅する滑稽な悲劇の生原稿だった》

 関川夏央はT君に「イメージキャストが川谷拓三など大部屋上がりの役者では、とても客が入らないだろう」と感想を語った。さらにコラムでは、本人の気持を汲んで口に出さなかった批評も続く。

 昨年秋に河田拓也さんが刊行した雑誌『For Everyman』に「伝説のチンピラ映画シナリオ発掘掲載『六連発愚連隊』」、そして河田氏による高田純の追悼文、インタビューが収録されている。
 追悼文とインタビューの熱量には圧倒されたのだが、初読のさい、高田純の幻のシナリオはピンとこなかった。
 むしろわたしは河田氏の追悼文の言葉にこの作品の真価を教えられた。

 高田純にシナリオの掲載をお願いしたとき、初稿を「現在の自分の目に耐えられる形に書き直したい」といわれる。
 ほどなくして大幅にマイルドに改変されたシナリオを見せられた。

《すぐに小田原まで伺って、「馬鹿な連中の、愚かさや残酷さがそのまま書かれていたからこそ、この映画は人間に対して本当に寛容なんです。そこを無くしてしまったら、この脚本の潔い魅力が消えてしまう。現在の穏当さが孕む不寛容へのカウンターとしての、作品の意味が見えなくなってしまう」と、必死に説得した》(河田拓也「追悼・高田純」/『For Everyman』)

 高田純に向けられた言葉だが、わたしにもグサっときた。
 穏当さ、あるいはバランス感覚がないゆえ、生きづらさをおぼえる人がいる。
 同じように生きづらくても、自分と別種の欠落には不寛容になってしまうことがある。わたしはいわゆるヤクザ、チンピラ映画のよさがよくわからない人間である。

 でも「このままでは、映画化の可能性がない。現在の観客、特に女の子が観ないような形で送り出したくない」といった高田純の言葉はけっして軽いものではなかったとおもう。

(追記)
『やむを得ず早起き』のT君の話のひとつ前のコラムは山田太一のドラマ『男たちの旅路』の話だった。

2012/11/26

読みたい本が…

 すっかり明け方の空気は冬。先週から貼るカイロ生活に突入した。早くも真冬とほとんど変わらない服を着て外出している。

 山口正介著『江分利満家の崩壊』(新潮社)、深沢七郎対談集『生まれることは屁と同じ』(河出書房新社)、上林暁著『ツェッペリン飛行船と黙想』(幻戯書房)……十一月の新刊はすごいなあ。
 橘玲、関川夏央の連載も単行本化。読みたい本が増え続けている。

 ここ数年でいちばん部屋が散らかっている。月末のしめきりを乗り切ったら掃除したい。

・四十は初惑。この言葉の出典元を年内に見つける。

2012/11/21

泥のなかから

 前にも書いた話なのだが、『藤本義一の軽口浮世ばなし』(旺文社文庫)の中にわたしのものすごく好きなエピソードがある。

 映画監督の衣笠貞之助が、仕事の労をねぎらうために若き日の藤本義一に「役者馬鹿ってことがあるが、なにかひとつを通したなら、人間、馬鹿と呼ばれるまでになりなさい。たったひとつのことが出来ればいいじゃないか。他人には絶対に出来ないことが。そうでしょう。あいつでなくては出来ないということがあれば、それが人生の価値ですよ」といった。

 衣笠監督の言葉に感動した藤本義一は何とかお礼の気持を伝えようと「先生、風呂で背中を流させて下さいませんか」と申し出る。
 たぶん衣笠監督は「こいつ、バカだなあ」と喜んだのではないか。

 あと別のところで「泥のなかから素手で掴む」という言葉も出てくる。

《泥にまみれるという言葉があるけれども、知らず識らずの裡に泥にまみれて方角がわからなくなるのは中年以降の生き方であり、二十代は、自らが泥にまみれようと意識することからはじまらなくてはいけないように思うのだ。
奪われるものがないから、自分の素手で掴もうとすることすべてが、自分の血となり肉となるような気がするのである》(「プロフェッショナルの意識」/同書)

 二十代にかぎらず、フリーの仕事を続けていくためには、泥にまみれて、素手で掴む感覚が必要な気がする。価値基準が何もない混沌とした世界に潜り溺れながら何かを掴みたい。でもしょっちゅうその気持は弱ってくる。

『藤本義一の軽口浮世ばなし』では、プロとアマの差について語った話もおもしろい。読み返すたびに唸ってしまう。

 今、藤本義一著『生きいそぎの記』(講談社文庫)を探している。おもいのほか古書価が上がっていておどろいた。

2012/11/19

「島免」のトークショー

 昨日、高円寺の古本酒場コクテイルで行われた星野博美さんの『島へ免許を取りに行く』(集英社)の刊行記念トークショーは無事終了。店主の狩野さんがやたら緊張していて、おかげでかなり気が楽になる。でもちょっと飲みすぎた。

《四〇年以上生きている人間にとって、昨日できなかったことが今日できるようになる、というのは、ほとんどありえないことだ》

《人間、何かができれば嬉しいし、できなければ悲しい。できないことばかり考えていたら前には進めない。だからできないことは、「自分には向かない」と言い訳して存在を無視する。そうやってこれまで生きてきた。それは年齢を重ねるにつれ習得した、生きるためのノウハウのようなものだった。
 しかしそれはいつしか自分にぴったり張りついた皮膚のようになり、そこへ開き直りが加わり、ほんの小さな努力さえ怠るようになっていた》

 わたしは車の免許を持っていないのだけど、これまでも仕事がひまな時期になると免許のことが頭をよぎった。
 たまに帰省したときに車の運転を頼む父も七十歳をこえている。最近、父がもみじマークになる前には免許を取得したほうがいいかなと考えるようになった。
 でもまだ迷っている。

 すこし努力すれば手が届きそうな目標を設定することの大切さ——。
 自分は何ができて、何ができないのか。できないことができることによって自分はどう変わるのか。

 『島へ免許……』は、何か新しいことを学ぶことのむずかしさ、それを乗り越えていくためのヒントをたくさん教えてくれる本だとおもう。

《私はこれまでの人生、いわば一点集中を信条にして生きてきた。たいした才能もなければ人と違った特異な経験を持っているわけでもない。そんな人間がものを書いたり写真を撮ったりするためには、人より長い時間その場に立ち、人より長く考えるしか対抗する術がなかったからだ》

《もしかすると車の運転というものは、これまでの人生で培った価値観を、一度捨てるくらいの覚悟が要る異文化なのかもしれないぞ》

 トークショーで星野さんは「運転していると、脳みそのこのへんが熱くなるんですよ。パソコンのハードディスクみたいに」といって後頭部の右側を押さえたり、島の自動車学校でやっていたイメージトレーニングを実演したくれたりもした。

 会場には同世代の人もけっこう来ていて、「四十代の迷走」の話はそれぞれおもいあたるところがあるようだった。
 
(追記)
 コクテイルでは星野さんのサイン本が販売中です。あと『活字と自活』(本の雑誌社)も。
 お持ちでない人はぜひ。

2012/11/15

ハリケーン・スミス

 先週、京都から薄花葉っぱの下村よう子さんが上京し(ピアノの中島さち子さんとのライブ。このコンビのステージはまた観たい)、東京ローカル・ホンクのクニさんも高円寺に遊びに来ていて、深夜、ペリカン時代で飲むことになった。
 そのときにクニさんがCDを何枚か持っていて、順番に聴かせてもらった。その中でジャケットを見たときから、気になっているアルバムがあった。

 ジーンズをはいたヒゲの中年男性が、二頭の馬のあいだで立っている。
 アルバムは、ハリケーン・スミスの『Don't Let it Die』。しゃがれ気味のやさしい声とちょっとレトロで哀調を帯びたメロディがたまらない。もともとビートルズのエンジニア、ピンク・フロイドのプロデューサーなどをしていた人らしい(アラン・パーソンズの経歴をおもいだした)。

 なぜか家にある洋楽のCDやレコードは一九七一年から七三年のあいだに集中しているのだが、この作品も一九七二年にリリースされたものだ。昔からわたしはこの時代の音質が好きなのである。

 アルバム発表時、彼は、四十九歳。スタジオの職人から「ハリケーン・スミス」という架空のキャラクターになり、ポップスターを目指すことになった。そして三曲連続でチャートに入るヒットを飛ばし、あっという間に消えた。

《これ以上、彼について書かせてくれる場所は、ハッキリ言って世界中のどこにも無いと思う。このライナーノーツ以外には》

 素晴らしく読みごたえのあるライナーノーツだった。解説は松永良平さん。
 CDは二十四曲入り。日本が世界初のCD化(二〇〇三年)だそうだ。

……発売時に知ることができなかったのは不覚である。

2012/11/09

ゆっくり歩く

 リラックスと集中、そしてリラックスした集中——。

 限りある力をどこでつかえばいいのか問題は、あれこれ考えるよりも日常の中で試していったほうがよいのかもしれない。

 これまでも精神面の安定については、それなりに考え続けてきた。
 一日のうち、起きてから寝るまでのあいだに、何回もパズルや詰め将棋をやって、いちばん頭がまわる時間を調べたこともある。
 眠いときと腹が減っているときと満腹のときとからだに酒が残っているときはまったくだめだった。
 つまり、それ以外の時間は大丈夫ということになる。
 二十代のころは、そういうことをまったく考えずに、眠気や空腹を我慢したり、酒を飲んだりしながら仕事をしていた。
 今はできない。できなくなったから時間の使い方に注意をはらうようになったともいえる。

 集中がとぎれたら、のんびりするか寝るかして、気力と体力を回復させる。結局、そのほうが仕事もはかどる。がむしゃらに時間をかけることには意味がない。
 ただし、こうした考え方をつきつめていくと、他人と共同作業をするのが困難になる。

 あまりにも自分の精神状態のあり方に固執しすぎると、融通の利かない狷介な人間になってしまう(その自覚はあるが、改善できているとはいえない)。

 苛々しているときは、外に出てゆっくり歩くと気持が落ち着く。

 でもそのことをよく忘れる。

2012/11/06

仙台・閖上・名取

 日曜日、午後から仙台へ。駅から降りてブックオフに寄り、火星の庭で荷物を預け、SARP(旧ギャラリー青城)で開催中の「仙台写真月間2012」の伊東卓さんの写真を見に行く。
 引っ越したばかりというかんじの誰もいない部屋の壁や床、置き去りにされた物などがうつった静かな写真で、ふだんあまり凝視しないものを見るおもしろさを味わう。会場で佐伯一麦さんと久しぶりにお会いした。

 そのあとマゼランに行ってから、カフェ・モーツアルトでyumboと片想いのライブを見る。
 今回のyumboはフルートが二人加わった八人編成、片想いも八人編成のバンド。yumboは何回見ても、よく再現できるなあとおもうような曲の構成にびっくりする。いろいろな音がする楽しいライブを堪能した。

 火星の庭の前野さん、若生さん、高橋くんと居酒屋で飲んで、深夜一時すぎにyumboの澁谷さん宅へ。ついつい長居してしまう。お世話になりました。

 そのあと火星の庭の前野さん宅に宿泊する。午後一時にすぎまで熟睡してしまい、起きたら誰もいない。
 閖上と名取に午後三時に行く約束をしていたので、あわてて火星の庭へ。
 閖上はちょうど一年ぶり。仮説住宅の寺子屋で子どもたちに勉強を教えている工藤さんに車で海のちかくまで案内してもらう。
 ほとんどが更地になっていて、草がものすごくはえている。港のちかくには、ガレキの焼却場ができていた。ぜんぶ処理するのに二年ちかくかかるらしい。
 車で移動中、工藤さんと前野さんが、後ろばかり向いているわけにもいかないというような話をしていた。

 震災前に、工藤さんに閖上を案内してもらって、海からすぐそばの塾の教室で朝まで飲んで、酔いつぶれて寝てしまった経験がなかったら、今の閖上の風景を見た印象はずいぶんちがったかもしれない。

 夕方から工藤さんの自宅で部屋飲み。あっという間にまっこりのボトルが空になる。隣の部屋から工藤さんの四人の子どもたちの元気な笑い声が聞こえてくる。

 今回は電車のある時間に帰ろうとしたのだが、駅に向かう途中、工藤さんの行きつけのバーに寄る。熱い文学談義がはじまって、一杯が二杯、二杯が三杯になり、当然のように電車がなくなり、タクシーで仙台に戻ることに……。

 前野さん宅に着いたら、すぐ寝てしまい、起きたら昼前。駆け足で駅に向い、新幹線の指定をとったあと、仙台っ子ラーメンを食って、東京に帰る。

 これからちょっと休んで仕事します。

2012/11/01

想像力の食事

 本を読んでいて、そわそわして落ち着かない。
 頭に何も入ってこない。そういうときは外に出て、近所の古本屋をまわって、夕飯の食材かなんか買って、すこし遠回りして、家に戻る。それだけですっきりする。

『森の生活』のヘンリー・デイヴィッド・ソローに「からだと同じように想像力にも食事を与えなければならない」という言葉がある。

 ずっと想像力の食事とは何だろうとおもっていた。

(……以下、『閑な読書人』晶文社所収)

2012/10/30

内側の技術(七)

 好きになればなるほど、スポーツや芸事はどんどん上達するし、理解は深まる。しかし、それを実行することは、それほど容易いことではない。

 二十代の半ばくらいまでは、一冊の本に感激したら、その世界がどこまで広く深くても、後先考えずに飛び込んで耽溺することができた。
 残念ながら、今はそうではない。

『禅ゴルフ』や『新インナーゴルフ』をおもしろく読みつつも、もうひとりの自分が「これ以上、趣味を広げる余裕はないぞ。ゴルフ、ダメ、絶対。禅やヨガには近寄るな」と忠告する。

 ガルウェイのインナーゲーム理論は、もうひとりの自分が、無意識のうちに内なる欲求に歯止めをかけ、本来の動きを抑えこむ心理をくわしく解説している。

 わたしはガルウェイの本で「好調の波」を「ストリーク(streak)」ということを知った。

《いかにスランプから脱出するか、いかにストリークを続けるか。この2つの質問には、興味深い共通項があることにも、私は気づいた。前者は、スランプにいる自分は何かをしなければそのままスランプに留まるのだと仮定し、後者は何かをしなければストリークは終わってしまうと仮定していることだ》(「スランプからの脱出」/『新インナーゴルフ』)

 たとえば、悪いショットが続く。そうすると、次も失敗するのではないかと不安になる。よいショットが続いたときに、こんなことは続かないと悲観する。
 その不安や悲観は、次のショットにも影響を与え、スランプは長引き、ストリークを失速させる。

 わたしの場合、何か新しいことに興味をもつと、気持が高揚する。そのうち仕事や生活などの現実にひきもどされ、おもしろいとおもうことよりも無難なことを選択しはじめると、いつの間にか興味をなくしてしまう。いちど冷えてしまった興味を再燃させることは困難を極める。

 もはや法則といっていいくらいにこのパターンをくりかえしている。

 今回、そのパターンを自覚できたのは収穫である。

 自分の限界は自分の心が作っている。
 齢とともにリミッターを解除することへの怖れが大きくなっている。

「書けば書くほど書くことがなくなる」
「次のテーマを温める時間がない」

 そんな不安が筆を重くしていたのだ。

 できるとおもってやってみても成功したり失敗したりするけど、できないとおもいながらやると、まずうまくいかない。

「もうすこし自分を信頼してみよう」

 まずはそこからだ。

(……とりあえず完)

内側の技術(六)

「型」と「感覚」について考えていると、「どちらも一長一短ですなあ」というおもいがこみあげてくる。対処療法がいいのか、自然治癒がいいのかといった論争みたいなものだ。

 よいレッスンを受け、上達した人は「型派」になり、自己流で技術を身につけた人は「感覚派」になる。それだけのことなのかもしれない。自分に合った方法を見つけようとすれば、どうしても自分の経験に左右されてしまう。

 ガルウェイも「型」と「感覚」は対立する概念ではなく、同じ海に流れるふたつの川のようなものと表現している。
 そのふたつの川のいずれを選んだとしても、障害になるのが「自己不信」である。

『新インナーゴルフ』に「自己不信の克服」という章がある。

 不調のときの対処は、自分にたいする信頼をとりもどし、「リラックスした集中」を得ることだ。しかしそれができないから、自己不信に陥る。

 ガルウェイの『インナーゲーム』(日刊スポーツ出版社、一九七六刊)では、無我夢中でプレーする境地への到達方法こそが、「内側のゲームそのものなのだ」と述べている。

 その方法は「好きになること」である。何かに集中するときも、その対象を好きになるのがいちばんの方法である。

 あらためて『キャプテン翼』の「ボールは友だち! 怖くないよ!」というセリフは深いなあとおもった。でもしょっちゅう忘れてしまう。

 精神集中の“持続時間”を伸ばす方法をガルウェイはヨガの教えから導きだす。

《特にインド・ヨガは、心の乱れを克服する過程で“愛”の力を発見した。バーキ・ヨガは、対象物に心を奪われることによって完全に精神統一(集中)の域に達しようとする思想だ》(「ボールに心を奪われよ」/『インナーゲーム』)

《集中がさらに深まるのは、心が集中の対象に興味を抱いたときだ。興味のないものに心を留めておくのは難しい。(中略)興味が深まれば、第一印象よりもさらに細かな、見えない部分にも興味を持ち始める。興味の奥行きが増せば、人は体験をより感じることが出来るようになり、興味を持ち続ける努力を支えることになる。けれど、興味を強制すれば興味は失われていく》(「集中技術の練習」/『新インナーゴルフ』)

 ことわざの「好きこそ物の上手なれ」と同じようなことをいっているのだが、「興味の奥行き」という言葉は大事な指摘だとおもう。

 もっとも「恋は盲目」という言葉もあるように、無我夢中の状態というのは、まわりのことが見えなくなる。

……ここまで書いて、ちょっと散歩に出かけた。

 いつものように高円寺の古本屋をまわる。ゴルフやスポーツ心理学、禅やヨガの本が目に飛び込んでくる。
「しかし、待てよ」
 自分の気持にブレーキがかかる。
「今月は本を買いすぎてしまった」という反省が頭をよぎる。
 スポーツ心理学の本はかれこれ二、三年、気分転換用の本として買い続けてきたが、さすがに禅やヨガの本まで手を広げると、収拾がつかなくなるのではないか。テーマが大きすぎて、探求する時間を捻出できそうにない。

 いくら好きになることが大事といっても、おのずと限度がある。

 古本に人生を捧げてもいいとおもうくらい好きで、しかも、ある意味、仕事の一部になっているにもかかわらず、知らず知らずのうちにブレーキをかけてしまう。

(……続く)

内側の技術(五)

 ガルウェイはインナーゲーム理論で「正しいフォーム」に疑問を投げかける。
 つまり、人は自分の内なる欲求(感覚)に従ったほうが、より自分に合った理想にちかい動きになる。逆に頭で批評しながら、からだを動かそうとすると、ぎこちなくなる。
 簡単にいうと、ブルース・リーの「考えるな、感じろ」だ。

 コーチが言葉であれこれ説明したり、手とり足とり指示しなくても、ゲームに集中し、自分の感覚を信頼しながら、からだを動かしたほうが、はるかに上達するのが早い。

 もちろん、こうした考え方がすべての人に当てはまるかどうかはわからない。
 おそらく最初に型を徹底しておぼえることのほうが、自分の欲求に合致している人もいるだろう。
 とにかく「型」を自分のものにさえしてしまえば、こうしようああしようと悩みながらからだを動かさなくてもよくなる。

 自分に適したやり方はどちらなのか。
 いろいろなジャンルでも「型派」と「感覚派」に分かれる。

 料理でも「レシピ重視派」と「レシピ無視派」がいる。

 わたしは、その日の食材とか体調とか気分とか空腹度によって量や味つけを変える。最初は大雑把に作って、最後に味を整える。薄めに作って、後で味を足す。

 料理にかぎらず、たいていのことは感覚(自己流)でやっていて、何かを判断するときの価値基準も、楽とか心地よいとか、そういう感覚を優先する。こうした傾向はちょっとやそっとでは変わらないとおもう。

 インナーゲーム理論とはズレるかもしれないけど、自分の内なる欲求に従う人間というのは、チームプレイや共同作業にはあまり向いていない気がする。

 向き不向きでいえば、わたしは人に何かを教えたり、何かを教わるのも苦手である(まわりからもよくいわれる)。
 何かを習得するときのパターンは「観察(読書)→自己解釈(自問自答)→試行錯誤(工夫)」のみなのだ。

 自分もそうだから、人にたいしても「本人が気づかないかぎり、どうにもならない」とおもいがちだ。

 でも「感覚派」は「感覚派」で、常に自分の感覚に自信を持っているわけではない。
 自信がゆらいだときの修正は「型派」よりも厄介かもしれない。

 自分の内なる声に従ってやってきたのに、ある日突然、おもうようにできなくなる。
 急に「自己流でやってきたツケか」と反省する。
 反省しはじめると、どんどん堂々めぐりに陥って、「あれ、おかしい、こんなはずでは」と、それまで何も考えずにできたことすらできなくなる。

 この状態から脱け出す方法は「いや、俺はそうでなければいけないんだ」(尾崎一雄「暢気眼鏡」)という開き直りの自己肯定しかない。

 だめなときもふくめて自分の感覚を受けいれる。受けいれつつ、回復を待つ。
 半ばヤケクソで「寝れば直る(治る)」くらいのおもいこみも必要なのかもしれない。

(……続く)

2012/10/29

内側の技術(四)

 ここ数年、わたしは文章をまとめたり、削ったりすることに多くの時間を費やしてきた。
 枚数の決まった書評やコラムの仕事を続けていると、どうしても自分の「型」に縛られてしまいがちになる。
 頭の中では「気持よく書き飛ばして、後から直すところを直せばいい」とおもっていても、下手に筆を走らせると、文字数をオーバーするのが目に見えている。

 職業上の必要もあるのだが、自分の文章を他人の目で見る習慣もしみついている。それで知らず知らずのうちに、抑え気味に書く癖がついた。
 文章を書き飛ばせないのは、気力や体力の衰えよりも、単なる「練習不足」なのかもしれない。

 昨年の秋くらいから、調子よく筆が走らない原因を探り続けてきて、ようやくその可能性に気づいた。

 先月くらいからブログの編集機能が変わって、文章がものすごく直しにくくなって苛々していたとき、ふと「改行や文字数の調整にそこまで神経質になる必要があるのか」と疑問におもった。

 ちょうどそのころ、ペアレント博士の『禅ゴルフ』(ちくま文庫)を読み、その延長でW・T・ガルウェイのインナーゲーム理論を知った。

 わたしの「どうすれば、筆を走らせることができるのか」という悩みは、「どうすれば萎縮せず、気持のいいスイングができるのか」というテーマにも通じる。

 気持のいいスイングをすれば、いい打球が飛ぶわけではない。
 とはいえ、たまには文章のよしあしを気にせず、フルスイングする感覚で、書き飛ばさないと、どんどん筆が重くなる気がする。

《人間は、自分たち自身の邪魔をして、本来もてる能力をフルに発揮することを妨げる性癖の持ち主であるという正直な認識なしには、本当の進歩は為し得ない》(「はじめに」/『新インナーゴルフ』)

 ガルウェイは「ゴルフが難しいのではなく、人間の心がゴルフをあえて難しいものに仕立て上げているのではないだろうか」と問う。そして難しいものにしている原因に「特有の心理的重圧」と「正確さと緻密さの要求」と「特有の誘惑」などをあげている。

「ゴルフ」を「文章」に置き換えても、意味が通りそうである。

 正確で緻密な文章に価値があることは認めるが、それに囚われすぎると、言葉の熱が失われてしまう。

 ガルウェイはテニスを通して培ったインナーゲーム理論をゴルフで活用しようとする。しかし厳しい現実に直面する。

《スイングをコントロールしようとすればするほど、それは機械的でぎくしゃくした動きとなり、リズム感はますます損なわれる。ますますミスが多くなる。そこで私は、もっともっとと、メカニカルな矯正に自分を駆り立てる。その結果、いつの間にかスイングを矯正ではなく、自己破壊してしまう》(「ゴルフはなぜ難しいか」/同前)

 これも「スイング」を「文章」に……以下略。

 ガルウェイのショットに関する自己分析(かなり正確で緻密だとおもわれる)を読み、自分が調子を崩すときのパターンとあまりにも似ていることにおどろいた。

(……続く)

内側の技術(三)

『新インナーゴルフ』を読んでいると、ガルウェイ自身も、おもいどおりにプレーできず、もどかしい気持を告白しながら、自らの理論を実行しようとしている。

 そのもどかしさを手がかりに、わたしは自分の経験(かならずしもスポーツでなくてもいいとおもう)を補いながら、この本を読み進めていくことができた。
『インナーゲーム』と『新インナーゴルフ』は教える立場から書かれた本と学ぶ立場から書かれた本のちがいもある。もっとも「どちらを読んらいいのか」と聞かれたら、両方読んだほうがいいと答えるしかない。

『新インナーゴルフ』には、ガルウェイが持論だとおもっていたことについて、すでに一九四〇年代に出版されたゴルフの本の中にすでに書かれていたことに気づく記述がある。

 その著作はゴルフの古典といわれるE・M・プレインの『ライブ・ハンズ』である。
 孫引きになるが、プレインの言葉を紹介したい。

《私自身、今度こそ秘訣中の秘訣を見つけたぞと何度小躍りしたかわからない。ある日は腰の動きに永遠の法則を発見し、次の日は肩の回転がそれだと確信した。私はクローズド気味のスタンスを取るが、それを少しオープンにしてみた日は、これですべてが解決したのだと思ったほどだ》

 しかし「秘訣中の秘訣」とおもった法則はあっという間に崩れる。

 わたしは『新インナーゴルフ』を読みながら、これまで読んできた作家や詩人の話と共通するところをいくつか見出している。
たとえば、何かを学ぼうとする人(ガルウェイ自身もふくむ)の姿勢や心のあり方にたいし、疑問を持っている。

《人がゴルフや人生に法則を求めるどん欲さは、失望と希望の循環サイクルとなって、決して満たされないままに、幻想の中で永遠に回り続ける。人は、薬のカプセルのようになった知恵を欲しがる。すぐに飲めて、すぐに効く知恵だ。人は本で処方箋を読み、すぐ実生活で役立てようとする。人は、法則について熟慮しようとは思わない。それはその道のエキスパートの仕事だと、勝手に押しつける》(「夢中になる価値」/『新インナーゴルフ』)

 この文章を読んで、「ああ、自分のことだ」とおもった人はけっこういるかもしれない。
 わたしも安易に何かを理解したつもりになることを自戒しつつも、しょっちゅう実生活で役立つ答えを求めてしまう。

『新インナーゴルフ』を読めば、「リラックスした集中」の秘訣がわかり、いつの間にか「マスター・スキル」が身につくのではないかと期待する気持がなかったといえば嘘になる。

 でも「内面の技術」は、自分の感覚と対話しながら、時間をかけて身につけるしかない。
 ガルウェイのいう「静かな努力」を続けるしかない。

 作品の力によって、ひたすらおもしろく読める本もあれば、自分の考えた時間や悩んだ時間に比例して、おもしろさが倍増する本もある。
 ゴルフにあまり興味のないわたしからすれば、『禅ゴルフ』や『新インナーゴルフ』は後者にあたる。

「答え」よりも「問い」に響くものがあった。当然のように予想通りの「答え」はひとつもない。むしろ「答え」がないことをくりかえし論じている本なのである。

 自分に合った生活パターンや集中やリラックスの仕方も、何年何十年とかけて、細かい修正(失敗)をくりかえしながら作り上げていくものだ。つねに途中経過でしかない。

 昨日までうまくいったやり方がうまくいかなくなる。

 ガルウェイの著作は、うまくいかなくても怖れなくてもいいことを教えてくれる。
 そのためには自分の内部の感覚を鈍らせないための「静かな努力」が必要である。
 調子を崩したときに、どう気持を立て直すか。

 ガルウェイは「その方がいい気持ちだし、いい仕事が出来るからだ」という選択をすることを心がけている。

 それが何かはここでは伏せる。答えではないが、それしかないとおもえる言葉があった。

 ある人はスポーツ、ある人は音楽、ある人は絵、ある人は文学、さまざまなジャンルを通して追い求めているものがある。
 やってることはちがっても何かしら通じ合うものがある。

 わたしはその感触を得たくて、人と会ったり、本を読んだりしている。

(……続く)

内側の技術(二)

《誰でも、最高の能力を発揮したり、経験したときに、この「リラックスした集中」状態に達した記憶はあるはずだ。知覚力も注意力も極限に達する瞬間には、努力しなくても全身がスムーズに動き、人生そのものまでもがシンプルで、完全に調和が取れているように感じられる》(「集中力という土台」/『新インナーゴルフ』)

 感覚の話は言葉にしにくい。文章で書いても伝わるのか伝わらないのか、あまり自信がない。
 わかりやすい説明は、いろいろなものを端折った要点にすぎない(ミもフタもないのことをいえば、誰にでもすぐわかり実行できるようなことには、それほど価値はない)。

「リラックスした集中」は、一日、二日で習得できる技術ではないだろう。体得のレベルもピンからキリまである。
 自分でもよくわからないまま、気がついたら「リラックスした集中」を経験していたというレベルもあれば、自由自在に「リラックスした集中」を操ることができるという達人級のレベルもある。

 ものすごい高いレベルの「リラックスした集中」をマスターするには、当然、厳しい修業が必要だし、場合によっては、私生活を犠牲にする覚悟もいる。

 会社勤めをしたり、生活費を稼ぐための仕事をしたりしながらでも、ガルウェイの唱えている「リラックスした集中」の境地に辿りつくのは不可能ではない(とおもう)。

 さらにいえば、「リラックスした集中」ができたとしても、当然、元の能力に左右される。いくら「リラックスした集中」状態にあっても、草野球の選手が、プロ野球選手の投げる球が打てるわけではないし、テニスのサーブのスピードが格段に上がるわけでもない。
 でもなんてこのないゴロをエラーしたり、ダブルフォールトしたりすることは減らせる気がする。
 つまり「リラックスした集中」は、今の自分のできる範囲で最善にちかいものを発揮するための技術といえるかもしれない。

 今のわたしが「リラックスした集中」を駆使して文章を書いても、他人が読んでおもしろいものになるかどうかは別の話である。
 それでも「リラックスした集中」をすれば、そうでないときより、執筆中の充足感は大きい。これは読書についてもいえる。

 ガルウェイのいう「リラックスした集中」は、「今の米国では『イン・ザ・ゾーン』(IN THE ZONE)とか『ゾーン』と表現するのが流行」しているそうだ。
 日本のテレビのスポーツ番組などでも「ゾーン」という言葉はよく取り上げられている。

《最高の集中状態に達するための魔法の方式や方程式は、残念ながら存在しない。頭で考えて得られるものではないし、考えること自体が極限の集中への妨げになる》(同前)

 たぶんわたしがよく躓くのもここである。「考えるひまがあったら、手を動かせ」というような助言もこの話に通じる。

 たとえば、このやり方で集中できた、リラックスできたという経験があったとしても、毎回、同じ手順でやってみたとしても、おもいどおりになるとはかぎらない。
 でも、そこそこ「リラックスした集中」に達する方式はある気がする。

 自分に合う方法、合わない方法をいろいろ試していく中で、すこしずつ勘所のようなものが見えてくる。

 いろいろ試す過程では『禅ゴルフ』のときに論じた「イメージ」も役に立つかもしれない。
 あと自分の性格(嗜好)にも左右される。大雑把なやり方のほうが合う人もいれば、緻密な手順のほうが合う人もいる。

 一日のうち、だいたいこの時間からこの時間に「リラックスした集中」状態に持っていこう——そう漠然と考える。
 そうすると、その時間から逆算してその日一日のペース配分をする。
 フリーランスの場合は、月のはじめが忙しいとか、もしくは月末が忙しいとか、仕事の量に波があることも多い。
 あくまでも「イメージ」でしかないのだが、その日その日、その月その月のピークに合わせて、自分の調子を上げていく意識を持つ(自己暗示でもいい)。

 でもそうやって苦労して作り上げた「リラックスした集中」状態も、ほんの些細なことで崩れる。すると、わたしは平静を失い、不機嫌になる。

 調子が崩れたときの立て直し方も研究したいとおもっている。

(……続く)

内側の技術(一)

《何事であれ、卓越した能力を発揮するには、専門的技術の土台となる「マスター・スキル」が必要なのだ。練達の基本能力であり、熟練のための極意だ。この技術を、私は「リラックスした集中」と呼ぶ。これさえ出来れば、人はどのような技術でも上達出来る。しかしこれがなければ、習得し、習熟すること自体が困難になる》(「集中力という土台」/W・T・ガルウェイ著『新インナーゴルフ』後藤新弥訳、日刊スポーツ出版社、二〇〇二年刊)

 W・T・ガルウェイは、一九三八年サンフランシスコ生まれ。ジュニア時代にテニスのナショナル・ハードコート選手権で優勝。ハーバード大学でもテニス部の主将として活躍し、その後、ヨガや東洋思想の研究を経て、一九七二年に『ザ・インナーゲーム(THE INNER GAME OF TENNIS)』という本を発表した。七六年には日本語版も出ている。

 ガルウェイの理論は、スポーツだけでなく、ビジネスやコーチングなどの分野にも多大な影響を与え、その著作はいまだにロングセラーを続けている。

 ところが、「ちょっと大きな書店に行ったら、すぐ見つかるだろう」とおもって、都内の大型書店をまわってみたところ、ガルウェイの本はスポーツの棚、ビジネス書の棚、音楽の棚とあちこちに散らばっていて、意外と探しにくい。三、四軒の書店をまわったが、すべて揃えることはできなかった(おかげで「古本心」に火がついたのだが)。

 どれか一冊といわれたら、『ザ・インナーゲーム』の改訂版の『新インナーゲーム』(後藤新弥訳、日刊スポーツ出版社)を読めば、ガルウェイの理論の大筋はわかるだろう。
 この本は、ガルウェイの本職(?)のテニスを元に「内面の技術」を論じている。

『新インナーゴルフ』は、テニスで培ったインナーゲーム理論の応用編といえる本である。先の引用文もそうだけど、「リラックスした集中」はこの本の大きなテーマである。

《究極の集中状態とは、自分を忘れて没頭するときだ。その「リラックスした集中」に自分自身を導く道は、自分を信じて「感じ取る」ことに始まる》

 ガルウェイの著作を読んでいて、将棋の谷川浩司さんや羽生善治さんの本と共通点が多いとおもった。集中やリラックスにたいする考え方、あるいは勝負観はかなり似ている気がする。
「リラックスした集中」に至る道は、人によってちがい、「こうすればいい」というひとつの答えはない。

 わたしも何かに没頭しているとき、どうしてそれができるのかよくわからない。まだうまくコントロールできない。不完全な技術であることは自覚している。

 尾崎一雄や永井龍男は原稿を書く前に部屋の片づけをしたり、拭き掃除をしたりする。河盛好蔵は仕事の前にトランプ占いをしていた。「リラックスした集中」を作ったり、掴まえたりするには、人それぞれの「儀式」のようなものがある。村上春樹のランニングもそうかもしれない。

 体力のある人とない人でも「リラックスした集中」の持続時間やその状態はちがうし、自分に合った方法を見つける必要がある。どんな人でも「リラックスした集中」は長く続かない。その「リラックスした集中」ができている時間に何をするかも大切だ(わたしは読書と執筆にあてたいと考えている)。

 話は脱線するが、新刊書店や古本屋をまわっていても、すごく集中して本の背表紙が見ることができるときとそうでないときがある。

 本を読んだり、文章を書いたりしているときも、集中の仕方によって、時間の流れ方がちがう。
 何かに没頭していると、すごく楽しくかんじる。たまに楽しいから、没頭できるのか、没頭しているから、楽しいのかわからなくなる。ふだんはあまり気のりしない雑用や単純作業ですら、没頭すると楽しくなることがある。
 あまりにも没頭しすぎると、後からどっと疲労が押し寄せてくる。

「リラックスした集中」は、作り方だけでなく、使い方もむずかしい。

(……続く)

2012/10/27

さてこれから

「知る」と「わかる」、「わかる」と「できる」、「できる」と「ごく自然にできる」のあいだには、いろいろな段階がある。「知る」だけでも「ちょっと知っている」と「ものすごく知っている」というちがいもある。
 ほとんど知らないのに「できる」こともあれば、ものすごく熟知しているのに「できない」ことがある。

 気がついたらできるようになっていた。なぜできるようになったのかよくわからない。
 世の中にはそういう感覚で生きている人もいる。彼らがまったく努力していないとはいわない(努力を努力とおもっていない可能性はあるかもしれないが)。

 将棋のプロ棋士やアマチュアの高段者になると、頭の中に将棋盤があって、いわゆる「目隠し将棋」ができるようになる。
 初心者からすれば、神技のようにおもえるかもしれないが、おそらく「目隠し将棋」のものすごい特訓をしたのではなく、毎日好きで将棋を指しているうちに、できるようになっていたのだとおもう。

 そうした能力の習得は、たいてい大人よりも子どものほうが早い。
 スポーツの場合だと、理屈よりもからだが反応し、それを反復することで体得する……と言葉で説明しようとすると、どうしても理屈っぽくなる。

 あることを初心者に教えるとき、たくさんの言葉をつかって説明するよりも、お手本を見せて、それをじっくり観察させて、理屈ぬきにやらせてみたほうが、早くおぼえるという説がある(W・ティモシー・ガルウェイのインナーゲーム理論)。

 ああしろ、こうしろと細かく指示されると、ぎこちなくなったり、苛々したりして、うまくいかないことが多い。見て学びたいとおもうような人にならないかぎり、どんなに言葉をつくして教えても、あまり効果はないのかもしれない。

 というわけで、『禅ゴルフ』(ちくま文庫)に続いて、「ヨガテニス」の異名をもつガルウェイの本を読んでいくことにする。今のところ、着地点はまったく見えてない。

2012/10/24

島へ免許を取りに行く

 来月、星野博美さんの『島へ免許を取りに行く』の刊行を記念して、古本酒場コクテイルでトークショーを行います。

出演 :星野博美・荻原魚雷
場所 :古本酒場コクテイル(コクテイル書房)
日時 :11/18(日) 16:30開場 17:00開始
チャージ:1000円

※要予約。
電話:03-3310-8130 または cocktailbooks@live.jp まで。

コクテイルのHP http://koenji-cocktail.com/

《抽象的な目標ではなく、手が届きそうな、具体的な目標が欲しい。
 それを達成できたら、この先も少しがんばれるような気がする》

《何かができるって、こんなに楽しいんだ。
 そして、人から褒められるとはこれほど嬉しいことだったのだ。
 何十年も忘れていた感覚だった。
 私は車という未知の世界に自分を放り込んだ。
 多分、免許に救済を求めていたのだと思う》(『島へ免許を取りに行く』本文より)

 手が届きそうな「目標」、そして「救済」——。『島へ免許を取りに行く』を読み終えた後も、この言葉がずっと残っている。

 三十代後半から四十代に入って、わたしはどんどん新しいことをはじめるのが億劫になってきている。
 これまでやってきたことですら、なんとなく全力投球できない。余力を残しておかないと、燃え尽きてしまうのではないかとおもってしまうのである。

 自分の中の「目標」もすこしずつ、大きなものから小さなものに変化している。
 その結果、無理せず気楽に長続きするようなやり方ばかり選んでいる。
 でもそうするとこんどは夢中になったり、没頭したりすることへの渇望感がくすぶりはじめる。

 未知の世界に自分を放り込む。

 たぶん今のわたしに足りないのはこの感覚だ。

 ここ数年、何か困ったことがあると星野さんのエッセイ(『銭湯の女神』、『のりたまと煙突』など)をくりかえし読んできた。
 どこにも属していない、何者でもない——星野さんはそういうところから言葉を発する。
 読み返すたびに何かを教えられる。
 しゃきっとした気持になる。

 今回の本もそう。
 この話の続きはコクテイルで……。     

2012/10/21

禅ゴルフ(五)

 ペアレント博士の「イメージ」の話を読みすすめていくうちに、すこしだけ頭の中のもやが晴れてきた気がする。

 これまで自分がずっと苦手だとおもっていたことは、うまく「イメージ」することができなかったからではないか。
 わたしは人前で話すのが苦手である。何をしゃべっていいのかわからなくなる。でも、それはそういう場面にいるときの自分の姿をちゃんと「イメージ」できていないからだともいえる。

 場数をふむということも「イメージ」と関係ある。
 多少苦手なことでも何度かくりかえしているうちに、すこしずつ「イメージ」ができあがってくる。
 完璧にできなくても「このくらいやれば許される」というだいたいの目安がわかってくると、気持に余裕ができてくる。
 たぶんこの余裕も「イメージ」の産物なのである。

「イメージ」は経験(練習や実戦やその他)を積むことによって、その精度も上がる。

 しかし精度の高い「イメージ」を作るにはかなりの集中力がいる。
 雑念があると、気持が散漫になり、集中力が続かない。
 この問題を改善するためのヒントも『禅ゴルフ』の中にあった。

 音楽家が、瞑想の練習はどうすればいいのかと釈迦に教えを乞う。
 釈迦は答えのかわりに「楽器を調律するとき、弦を張り過ぎたり緩め過ぎたりするだろうか」と質問する。

 弦楽器の調律をしている人の姿を見ると、今、無心になっているなあとおもうことがよくある。
 調律を「イメージ」するだけでも、精神衛生にいい気がする。
 逆に、調子がよくないときというのは、チューニングがズレたまま、楽器を演奏しているようなものと考えることもできそうだ。

 何とかして自分の心の調律の仕方をおぼえたい。

 まだまだ考えたいことはあるのだが、『禅ゴルフ』の話からどんどん脱線していきそうなので、このあたりで一区切りつけることにする。

2012/10/17

禅ゴルフ(四)

 前回の「イメージ」の話で「ここまでは、まだ序の口」と書いた。

 何でもいいのだが、一回戦突破、ベスト8、県大会、全国大会、プロ……と自分がそこに進んでいこうとする「イメージ」によって、日々の生活は変わってくる。

 目の前の試合だけを「イメージ」している人とプロになる、いや、プロで活躍することを「イメージ」している人は、最初は同じくらいのレベルでも一年、三年、五年と経つうちに、かなり大きな差がついてもおかしくない。

 プロのスポーツ選手を目指すのであれば、勝つための小手先の技術だけではなく、一年通して戦える体力、ケガをしにくい体づくり、さらにメンタルの強化にも取り組まなければならないし、引退後、コーチや指導者になるための勉強も必要である。

《意図したことのイメージを心にはっきり描けば、体は自然にそれを実現しようとする》

 どれだけ鮮やかな「イメージ」を持って行動するか。
 意志とか精神力とかいわれるようなものも、明確な「イメージ」がともなうことで、より強くなる。また自分では「イメージ」のつもりが、現実離れした妄想になっていることもある。
 その「イメージ」の精度がきめこまやかであればあるほど、そのためにやるべきことが明瞭になるし、それを遂行するための覚悟も生まれる……のではないかとおもう。

「趣味の範囲で楽しくやれたらいいや」という場合でも、それなりの「イメージ」があったほうが、より楽しく長く続けられるはずだ。

 二十代のころ、わたしは「好きな時間に寝て起きて、古本屋に行って、酒を飲んで、酔っぱらって、文章を書いて、なんとか暮らしていきたい」とおもっていたら、だいたいそんなかんじになってしまった。

 もうすこし高望みしておけば、よかったとちょっと悔やんでいる。

《五感を正しく認識することは、ショットを効果的にイメージするために必要である。人間の五感は、われわれがゴルフのショットや、それ以外のすべてのことを行う際に、心と体に適切な指令を与えるために必要な情報を収集する。だから、感覚認識の実態と、それがどのような形で体験されるかを自覚する練習は、大変ためになる》

 この視覚、聴覚、触覚(筋感覚)などの認識を深めるための方法も『禅ゴルフ』には記されている。

(……続く)

2012/10/16

禅ゴルフ(三)

 熟読というよりは、行きつ戻りつ脱線しつつ、頭の中を整理しているかんじになってきた。でも今回の読書の目的はたったひとつだ。「自分の操縦法」が知りたいのだ。

『禅ゴルフ』には、その重要なヒントが書かれている予感がする。

 わたしはゴルフ未経験者である。しかしペアレント博士の言葉にしたがえば、ヘタな先入観はないほうがよいのかもしれない。別にわたしはホールインワンを狙っているわけではない。一打一打ていねいに最後まで自分なりの最善のプレーを心がけたい。

 昨晩からひたすらひとつの単語のことを考えていた。

 ペアレント博士は、よいショットを打つためには、明確な「イメージ」を持つことが大切だと述べている。

 さらっと読み流しそうになったのだが、「ここはすごく大事だ」とふみとどまる。「イメージ」という単語から何をイメージするか。
 英和辞書をひくと「姿、形、象徴、化身、典型、印象、表象、観念、概念、心象、比喩的表現」といった意味が並んでいる。

 わたしはイメージトレーニングの「イメージ」くらいに受け取った。

 では、ペアレント博士が「イメージ」という言葉をつかっている文章をいくつか抜き書きしてみる。

《だが、もしスウィングする目的が、ボールがターゲットに向かって空中に飛ぶ、あるいはグリーン上を転がるイメージを実現することになれば、心はそうしたイメージで満たされるから、体が自然に回って自由なスウィングができることになる》

《つまり、ボールの止まる地点と、そこに行き着くまでのボールの飛び方や転がり具合を、できるだけ具体的にイメージすることである。そうするためには、あらゆる状況を迅速かつ正しく判断して戦略を立て、それをイメージに変えることが必要になる》

《だが、あえて私が“イメージ”という言葉を使うのは、イメージはもちろん視覚に関連のある言葉だが、触覚と音を含むと思うからである》

《心の中の肉体的機能を司る部分は、イメージで動く》

《意図したことのイメージを心にはっきり描けば、体は自然にそれを実現しようとする。そのイメージこそ、“ターゲット”なのである。イメージが鮮やかであればあるほど、体はそれをより効果的に体現する》

《だから、最高のスウィングを生むヒントは、観念的な思考ではなくて、できるだけ具体的なイメージなのである》

 ここまでは、序の口。
 ペアレント博士のいう「イメージ」はおそろしく多彩で緻密で深い。わたしは「触覚と音を含む」でまいった。たった一語にもかかわらず、ペアレント博士の説く「イメージ」を身につけるには、どのくらいの時間と鍛練が必要なのか、まだイメージできない。
 しかし「これが鍵だ」という確信はある。

 今の自分の停滞感や閉塞感は「イメージ」が弱まっているからではないか。
 だんだんそんな気がしてきた。

(……続く)

禅ゴルフ(二)

 毎日、本を読んだり、文章を書いたりという生活を送っていると、惰性に陥るときがある。けっこう頻繁に。
 そういうときは活字にたいする感度が落ちていることがわかる。

 新刊書店や古本屋の棚を眺めていても、意識が散漫で、背表紙の題名や著者名が頭にはいってこない。

 また長年、本を読み続けてくると、「この作家はだいたいこんなかんじだろう」と漠然と判断できるようになる。
 ジャンルや出版社にたいしても、どうしても自分の色眼鏡を通して判断してしまいがちだ。しかし色眼鏡の度数が上がるにつれ、自分には関係ないとおもえる本ばかりになって、だんだん行き詰まってくる。

 最初は『禅ゴルフ』も「禅もゴルフも、どっちも興味ないなあ」というかんじだった。

 禅に関する万巻の著書を読破した若者が、ある偉大な禅師の元を訪れ、教えを乞うた。
 禅師は若者に茶碗を出し、茶をなみなみと注ぐ。さらに注ぐと、茶があふれだした。

《お前の心は、この茶碗と同じようなもので、身勝手な意見や先入観で一杯である。最初に茶碗を空にしないで、何か学べるとでも思っているのか》

 冒頭付近で、ペアレント博士は、そんな逸話を紹介する。もしかしたら、どこかで聞いたことがあるような話かもしれない。社長の訓示にもよく出てきそうな話である。
「白紙になれ」云々の説教は、一歩まちがえば、マインドコントロールの手口にもつながる。
 いつもならこの手の話が出てくると警戒心を強めるのだが、今回は妙に腑に落ちるものがあった。

 さらに博士は次のように述べる。

《取り組む対象が瞑想であろうと、ゴルフあるいはその他のものであろうと、われわれが体験することは、初めはすべて新鮮で啓発的である。何かを始めた当初は、それをすでに達成したという意識は誰も持たない。そのような状態なら、われわれは多くのことを学ぶことができる。しかし、しばらくすると新鮮さが失われてしまう場合がある。すでに何かを悟ったような気になって、やる気が失せることがある。つまり、心の“茶碗”が満たされ始め、何か新しいものを受け入れるスペースが少なくなってしまうのである》

 今のわたしの感覚もこの“茶碗”の話と同じかもしれない。
 お茶があふれているのではなく、茶碗が欠けてもれだしている可能性もなくはないが、今の自分の低迷の原因は情報過多にあるようにおもえてならない。

 四十代以降、のんびりぼーっとする時間が減った。雑務に追われ、日々の生活が細切れになり、なんとなく落ち着かないまま、本を読んだり、資料を調べたりしている。

 今の生活を見直したい。

 というわけで、『禅ゴルフ』の熟読を続ける。

(……続く)

2012/10/15

禅ゴルフ(一)

 この一年くらい、野球を軸にひたすらスポーツ関係の本を収集してきた。

 海外のスポーツライティングの技法——スポーツ統計学や経済学や最先端の科学の知見を織り交ぜながらも娯楽性をそなえた文章に刺激を受けたからだ。

 中でも『禅ゴルフ』(ちくま文庫)を手にしたとき、ひさびさに「わたしが読みたかったのはこの本だ」という感覚を味わった。

 ペアレント博士の「禅ゴルフ」の教えは、不安定で不自由な「自分の操縦法」である。

 ゴルフ(わたしはやったことがない。この先やる予定もない)は、スポーツの中でも個人プレーの度合いが高い。チームメートと協力する必要もない。

 インターバルが多いスポーツほど、メンタルが影響する度合も大きい。

 今のところ勘でしかないが、ゴルファーのためのメンタルトレーニングは、仕事や生活への応用がかなり効きそうな気がする。

 それも『禅ゴルフ』を読み解きたいとおもった理由である。

 ペアレント博士は、どうすれば気性の荒い暴れ馬のような心の落ち着きを取り戻せるかについて老師が語るエピソードを紹介し、「思考と感情」の持論を展開する。

《よく考えてみると、思考はわれわれの心の中から湧いてくるものであり、決して心自体ではない。思考と感情の一連の流れを観察することによって、われわれは刺激→思考→行動の過程に一定のギャップが生じることを体験できるようになり、その結果、ある事態に無条件に反応するのではなく、知的に対応することが選択できるようになるのである》

 この部分だけ引用しても話は見えにくいかもしれない。

 おそらく、この教えは単純に感情を抑制しろという話ではない。

 心の中に焦りや不安が生じる。
 その焦りや不安は自分の心が作りだしたものであり、心そのものではない。
 そう認識することで、感情と思考を分ける。

 何かしらの感情が芽生えたとき、そのまま思考と直結させない。
 とりあえず、一呼吸置く。

 博士によれば、思考の本質を知るための第一歩は、「背筋を伸ばして椅子に座るか、クッションの上に胡座を組むかして、できるだけ静かな姿勢を保つ」といいそうだ。

《思考が湧いてきたら、あえて取り込んだり捨てたりしないで、自然に去来させてやるようにする。思考の存在を感知するだけで十分であり、分析したり判断したりする必要はない。(中略)どのような思考や感情が湧いてきても、いちいち反応することなく、単に認識するだけでいい》

 もちろん、あるていど訓練しないと身につかない。

 たとえば、疑心暗鬼の陥ったとき、そのことに気づけるかどうか。
 わたしの場合、訓練以前に、それが問題なのだが……。

(……続く)

2012/10/14

今後の課題

 先月からいつの間にかブログの編集機能が変更されて戸惑っている(うまく説明できないのだが、かなり面倒くさくなった)。前にもいちど変更があり、一行目を最初の一文字目が空けられなくなった。しかたなく「……」から書きはじめていたのだが、それは元に戻った。

 十月二週目から毎日新聞夕刊で連載している「そのほかのニュース」が水曜日から火曜日に掲載されることになった。しめきりも週明けから金曜日に変わり、今、生活を組み立て直しているところだ。
 しばらく木曜日が休肝日になりそう。

 先月刊行されたスポーツ関係の本ですごく感銘を受けた本がある。ひさしぶりに本に呼ばれた気がした。手にとって目次を見た瞬間、「これは読まなきゃ」とおもったのだ。

 Dr.ジョセフ・ペアレント著『禅ゴルフ メンタル・ゲームをマスターする法』(塩谷紘訳、ちくま文庫)という本なのだが、読書や仕事にも通じるヒントがたくさんあった。

 本を読んだり、文章を書いたりしていて、自分の感覚よりも時間が経つのがはやくおもえるときがある。
五分、十分くらいかなとおもうと、時計の針が三十分くらい進んでいる。

 二十代、三十代のころは、それほど意識しなくても、その感覚を味わうことができた。本を読んでいて、電車を乗りすごすこともよくあった。それが自分の調子のバロメーターになっていた。
 今はたまに調子がいいときがあっても長続きしない。

 十年くらい前にエクナット・イーシュワラン著『スローライフでいこう ゆったり暮らす8つの方法』(スタイナー紀美子訳、ハヤカワ文庫)という本を読んで以来、メンタル・トレーニングの方法を試行錯誤してきた。
『スローライフでいこう』も『禅ゴルフ』も共通している点も多い。

 どちらも呼吸や瞑想の大切さを説いているのだが、つきつめれば、いかに自分を操縦するかについて書かれた本といえるだろう。

 もうすこし理解を深めるために、何回かにわけて『禅ゴルフ』の感想を書いてみたいとおもう。

2012/10/06

小さな古本市

 この秋で5周年を迎えるメリーゴーランド京都で「小さな古本市」が開催。わたしも「文壇高円寺古書部」として参加します。

 絵本・読みもの・画集・詩集など、とっておきの本が、贅沢にも二日間だけメリーゴーランド京都に集まります。
 今年は、2年前に出来た本屋の隣のギャラリーで、イラストレーターの武藤良子さんの展覧会を開催予定。

 10月12日は武藤良子さんのギャラリートークを扉野良人さんを聞き手に迎えて開催します。

○開催日 2012年10月14日(日)・15日(月)

○会場 〒600-8018 京都市下京区河原町通四条下ル市之町251-2 寿ビル5F メリーゴーランド店内

http://www.merry-go-round.co.jp/

2012/09/30

台風接近中

 台風のせいか、肩こりがひどい。

 しばらくぐだぐだします、と書いたのが今年の四月二十一日。それからずっとぐだぐだしていたわけではないが、なんとなく、気のりしない日が続いている。

 生活に刺激がほとんどない。問題は刺激をあまり求めていないことかもしれない。

 Yahoo!プロ野球の一球速報を見ながら、澤宮優著『中継ぎ投手 荒れたマウンドのエースたち』(河出書房新社)を読了。前著『ドラフト外 這い上がった十一人の栄光』(河出書房新社)もよかった。

 昔からドラフト外や戦力外から復活した選手が好きだった。野球好きの知人と話していると、盛り上がるテーマでもある。

 プロになるような選手は、当然、みんな才能がある。努力もする。運不運にも左右されるけど、その世界で生き残るには、どれだけ人とちがう努力をしたかということも問われる。

 努力にも才能がいる。

『ドラフト外』で今シーズンで引退を表明した石井琢朗のところを読み返した。
 ドラフト外初の二千本安打。横浜から広島に移籍。元投手で勝ち星を上げた後に二千本安打を達成したのは、川上哲治以来。同じ年の同じチームのドラフト一位は谷繁元信(現中日)だった。

 一軍と二軍を行ったり来たりする投手だった当時の石井は、三年目のシーズン終了後、監督に「野球に転向させてください」と直訴した。いちどは却下されてしまうのだが、ヘッドコーチにも食いさがった。

《自分の好きなようにやって、駄目だったら自分の責任です。でも投手でクビになっても誰も責任は取ってくれません》

『ドラフト外』では、もうひとり、投手として入団し、中日、西武などで活躍した平野謙選手(ゴールデングラブ賞九回、通算犠打数二位)も登場する。
 内藤洋子著『わが故郷は平野金物店』の話も出てきて、おもわず、注文してしまった。作家の内藤洋子は平野謙の姉(女優の内藤洋子とは別人)。平野謙も評論家と同姓同名だし、ややこしい一家である。

 打者転向というテーマで、まとまったものも読んでみたい。

2012/09/24

余白の時間

……昼メシを食いに出かけ、古本屋をまわって、家に帰ると、郵便受けに冊子小包が入っていた。

 封をあけると、名古屋のシマウマ書房が企画・編集した八木幹夫著『余白の時間 辻征夫さんの思い出』という新書サイズの冊子が入っていた。

 わたしは辻征夫の詩、エッセイが好きで、とくに三十代の半ばごろは、心の支えとして読み続けてきた。もちろん今でもしょっちゅう読み返す。

『余白の時間』の中に、辻征夫はトルストイの『戦争の平和』に出てくる言葉のコピーをいつも持ち歩いていたエピソードがある。

《おのれのために、何物をも望むな。求めるな。心を動かすな。羨むな。人間の未来もお前の運命も、お前にとって未知であらねばならぬ。とはいえ、いっさいにたいする覚悟と用意とを持って生きよ——》

 辻征夫著『詩の話をしよう』でもこの話は出てくる。
 このトルストイの言葉の前に次のようなことを語っている。

《僕はくたびれちゃったけど、これから書こうとするひとや、まだまだ書き続けてほしいひとに言いたいのは、やっぱり、何年書いても、いくつになっても基本は同じだということ。生涯無名でいいやって覚悟がないと駄目だと思うんだ》

 文章を書く仕事をはじめて二十年以上になる。無名でいいやというよりは有名になりそこなっているだけともいえるのだが、それでも辻さんがいうような「基本」や「覚悟」はときどきゆらぐ。書くことの楽しさやどうしても言葉にしたいという強い気持はどんどん磨り減っていく。

 それでも戻らなければならない場所のようなものだけは忘れないようにしたい。

 辻征夫はその目印になる。

2012/09/14

ワンサイクル

……色川武大著『うらおもて人生録』(新潮文庫)に「一歩後退、二歩前進——の章」を読み返す。

 まず、ストリップの話。
 はじめは“額縁ショー”という裸の女の子が有名な絵画のポーズをとっているだけのステージだった。
 大入り満員になったが、そのうちあきられる。客は、もっと刺激の強いショーを求め、どんどんエスカレートする。でも新しい工夫もすぐ慣れてしまい、「刺激の自転車操業」になり、ショーの限界をこえて、行きつくところまで行ってしまう。

《それでもうこれ以上やることがなくなってしまって、終わりだ》

 さらに、こうしたはじまりから終わりまでの「ワンサイクル」の例をいくつかあげているのだが、省略する。

《一人が、ただ前に突っ走るだけではワンサイクルですぐに終わってしまう。自然の知恵というものはよくしたもので、前進のエネルギーとともに、たえず後退することもやってるんだね。それでなんとかサイクルをひきのばす。つまり、しのいでいるわけだ。(中略)物事というものは自然のエネルギーにまかせると、あっというまに終わっちまうものなんだ。そこをなんとか、だましだまし、ひきのばしていかなきゃならない》

 斬新さや過激さを求め、進歩することだけを考えていると、ストリップショーと同様、衰退を早めてしまうことにもなりかねない。
 ワンサイクルで終わらせないためには、意図してサボタージュをする必要がある。
 昔、読んだときは、観念では「なんとなくそういうものかな」とおもっていた。今は「だましだまし、ひきのばして」いくことの大切さが身にしみてわかる。

 もちろん進歩自体を否定しているわけではない。ただ、作用と反作用を見極めながら、「一歩後退、二歩前進」くらいの感覚をもつこと。
「後退」と「前進」の配分はどのくらいにすればいいのか。
 立ち止まることはできても、後ろに戻るのはほんとうにむずかしい。

 最近、若い知人とちょっと話をしたとき、ワンサイクルの壁にぶつかっているかんじがした。
 もっといいものを作りたい。
 昔のほうがよかったといわれる。

 今いる場所から前に進むのではなく、後ろに下ってやり直すのはものすごく骨が折れる。時間も倍かそれ以上かかる。

 どうすればその時間を作ることができるのか。
 それもまた難題である。

2012/09/10

雑記

 金曜日、夕方四時すぎ、神保町を散策する。すずらん通りを歩きはじめたら、東京堂書店の裏あたりから、ものすごい煙が流れてきた。火事だ。本の雑誌社も近い。

 新刊書店で藤子不二雄A著『78歳いまだまんが道を…』(中央公論新社)など、原稿料代わりにもらった図書カードで数冊購入する。
 AとFの友情がたまらない。寺田ヒロオの話が出てくると涙腺がゆるむ。

 藤子Fさんは、作風や画風が安定している。
 藤子Aさんは、どんどん変化している。

 Fさんは、ずっと机の前に座って、自分の想像力を駆使して、漫画を描いていた。
 Aさんは、外に出て遊びまくって、そこから得た刺激や知識を漫画にとりいれようとした。
 ふたりは才能の種類がまったくちがう。

 トキワ荘には、自分の素質をそのまま伸ばしていくタイプもいれば、自分の外に目を向け、まだ誰もやっていないことをやろうと考えるタイプもいる。

 大雑把にわけると、Fさんは前者で、Aさんは後者だ。

 土日は、高円寺の西部古書会館の大均一祭。
 初日は二百円、二日目は百円。
 二日間で二十冊くらい買う。かんべむさし著『むさし走査線』(奇想天外社、一九七九年刊)はおもしろそう。コラムやエッセイ、対談を収録したバラエティブック。

 この本の中に「動けば食える」というエッセイがある。
 サラリーマンをやめて、作家(自由業)になるかどうか悩んでいたとき、友人のデザイナーにこんなアドバイスをされる。

《「一人になって、食べていけますかねえ」
 「そりゃ、いけるよ」
 当然だという顔でこたえた。
 「食べなかったら死ぬからな。死にそうになって死にたくなかったら、動くに決まっているからな。動けば、とにかく食えるだろ」》

 それしかないなとおもう。

2012/09/05

自信と自惚れ

……昨晩、古山高麗雄著『他人の痛み』(中公文庫)を再読した。

《自信と自惚れとをどこで分ければいいのだろう?》

「ロバの鼻先のニンジン」と題したエッセイはそんな問いからはじまる。

《人が生きるということは、他人は結果で批評するだろうが、本人には、そのプロセスの中で、何とどうつきあうかということである。自信があるかないかということは、私には重要なことだとは思えない。ましてその自信が自惚れであり、そのことに自分で気がつかないなどというようなことになれば、それは、その人の人生を貧しくしてしまうことにしかならないのではあるまいか》

 古山さんは小説家の自信についても語る。
 小説を書いたとしても、結果らしい結果が出るわけではない。結局、売れた数字ではなく、自分で自分を評価するしかない。

《その場合、なまじっか自惚れと分かち難い自信などがあれば、眼がくもることになる。(中略)といって、なんらかの意味で自信がなければ、小説など書けるものではない》

 古山さんはどんな自信を持とうとしているのか。
 それがこのエッセイのオチである。
 
 もうすこし自信を持ちたいとおもっていたところ、古山さんはもっと難易の高い境地を模索していたことを知り、「まいりました」と心の中でつぶやいた。

2012/08/30

キッチンが走る!

……たまにNHKの「キッチンが走る!」という番組を見る(たいてい火曜日の午後三時すぎからの再放送だが)。
 地元の食材を調達し、毎回ゲストの料理人が創作料理を作って、その町や村の人にふるまう。

 今回の放送は、群馬県のある村が舞台だった。
 かつてはこんにゃく農家や林業で盛んで、村の人口も四千人くらいいた。しかし一九七〇年代以降、人口は減り続け、子どもたちは町に働きに出ていってしまった。

 過疎化で学校や病院や商店がなくなる。子どもや若い世代は外に出ていく。
 村の人たちは、昔のような活気を取り戻したいと願っている。
 でも新しくその村に移り住んだ人が、家族で暮らしていくことはむずかしい。年金があれば、どうにか食っていけるというのが現実だろう。

 とはいえ、番組の雰囲気は明るい。これは出演者の杉浦太陽の存在も大きいかもしれない。この仕事に賭けているかんじが画面からも伝わってくる。

 わたしの父と母が生まれ育ったところも、いわゆる過疎地である。食い物もうまいし、物価も安いし、そこに暮らす人たちは驚くほど善良で親切だし、旅で訪れる分にはいいところだとおもう。でも住んだら、ちがう。まず、よそ者扱いされる。豊かな自然だけでなく、面倒くさい因習や男尊女卑も残っている。

 だから若い人は出て行く。よそから移り住む人もほとんどいない。
 
 次回の放送予告(九月七日、午後八時〜)は、三重県の伊勢志摩。母方の郷里のちかくも出てきそうなので、録画しようとおもっている。

2012/08/24

昼コクテイル

……毎週日曜日に高円寺の古本酒場コクテイルでF氏が「昼コクテイル」の店番をしています。いちおう喫茶店なのですが、お酒も飲めます。

営業時間 毎週日曜日 11:30-17:00

<昼コクテイルメニュー>

コーヒー(ホット・アイス) 400円
紅茶(ホット・アイス) 400円
カフェ・ラテ(ホット・アイス) 450円

ビール 550円
ワイン(赤・白) 500円
角ハイボール 400円
各サワー 400円
コーラ 400円

<軽食>
その都度

 来月「昼コクテイル」でイベントをすることになったので告知します。
 
 九月十六日(日) 16:00〜
 シリーズ『高円寺から考える』というトークライブの第一回目のゲストに出ることになりました。この日のカウンターには浅生ハルミンさんが入るそうですよ。
 参加費:500円(ドリンク別)
 定員:20名
http://af-cocktail.jpn.org/

京都・三重・岐阜

……京都、三重、岐阜と四泊五日の旅。

 十五日、メリーゴーランド京都で岡山在住の写真家の藤井豊さんと待ち合わせし(MI AMAS TOHOKUという東北フェアの最終日だった)、そのあと六曜社で扉野良人さん、「吉田省念と三日月スープ」の吉田省念さん、「ZING」という活動をしている吉田朝麻さんらと合流する。

 翌日は、藤井さんといっしょに下鴨古本まつりに行って、昼はカナートで寿がきやのラーメンを食い、夜、五山の送り火(船形と左大文字)を見る。

 十七日、三重に帰省し、鈴鹿ハンターでゑびすやでかやくうどんを食い、衣類と食材(田舎あられ、コーミソースなど)を買い、港屋珈琲で休憩する。すぐ隣のマルヤスで袋入りのSugakiya和風とんこつラーメンを買う。
 両親の家から歩いていけるところに喫茶店ができたのはありがたい。
 郷里にいたころは、平田町駅のちかくにあったドライバーという喫茶店に父といっしょによく通っていた。上京後しばらくして閉店してしまったのだけど、今でも中南米系の酸味の強いコーヒーの味が忘れられない。トースト(厚切)とピラフもうまかった。

 十八日、岐阜の徒然舎で古書善行堂の山本善行さんと夏葉社の島田潤一郎さんのトークショーを見る。東京からトマソン社(ミニコミ『BOOK5』好評発売中)のu-sen君と豆ちゃんも参加。
 岐阜駅の前をうろうろしていたら、五っ葉文庫の古沢さんに遭遇し、車で市内の自由書房、岡本書店、我楽多書房を案内してもらう。

 山本さんは古本屋、島田さんは出版社をはじめて三年。
 古本に半生を捧げてきた山本さんが、古本屋になってからの心境の変化をいろいろ聞けてよかった。
 詳細は、いずれ山本さんの著書その他で語られる日がくるとおもうので割愛。

 上京して二十数年、中央線沿線に暮らし、週に数日は神保町に通う生活をしていると、活字にたいする飢えのようなものがどんどん薄れてくる。疲れていると古本屋の前を素通りしてしまうときもある。
 見るものすべてが新鮮におもえる時期はいつかは過ぎ去る。
 二十代のころとは本の読み方も変わった。
 一冊一冊の本を味わうだけでなく、昔の本を読むことで、今のことを五十年、百年という時間の単位で考えることができるようになるのではないか。

 帰りの電車の中でそんなことを考えた。

2012/08/14

節度の時代(七)

……この文章を書きはじめたとき、「自分のいる場所」から社会や時代について考えてみたいとおもっていた。

 わたしは世の中の成長のスピードをゆるめてもいいとおもっているのだが、それはすでに高い利便性を備えた都市の住民だから、そんな暢気なことがいえるのかもしれない。また自由業者の気楽さも考え方の根っこにあるかもしれない。

 別にすべての人の足並を揃える必要はないとおもっている。

 たとえば、ベストセラーの上位をほとんどダイエットの本が独占しているような状況は、戦中もしくは戦後まもなくの日本人には想像できないだろう。
 今日明日の食いものに困っている人もいれば、栄養の摂りすぎに悩んでいる人もいる。

 わたしが「節度」や「摂生」について頭を悩ましているのも、モノや情報の飽和状態の中に身を置いているからだろう。
 嫌気がさすくらい文明の恩恵を受けながら、スローライフに憧れるわけだ。

 飢餓に苦しむ国の人に「ダイエットをしろ」というのはバカげている。病気や怪我でリハビリ中の人にハードな運動をすすめるのは間違っている。

「節度」の問題は、個人の生活や性格や体質や嗜好と密接に関わっているから、統一見解のようなものを作ることはできない。
 ひとつひとつ個別に考えていくと収拾がつかなくなる。

 欲望の多様化(細分化)にどう対処すればいいのか。
 おそらく解決策は、勝ち負けという方向ではなく、譲歩とか妥協とかすりあわせといった曖昧な形にしかならない気がする。

 強引にまとめると、個別の欲望に折り合いをつけるには、どうしてもある種の「節度」が必要になってくる。
 でもそれだけでは持てる者が有利になり、持たざる者が不利になるという問題は残ったままだ。

 考えれば考えるほどややこしくなる。

(……続く)

2012/08/12

節度の時代(六)

……わたしの愛読書にジョージ・マイクス(=ミケシュ)著『貧乏学入門 貧しさをどう楽しむか』(加藤秀俊訳、ダイヤモンド社、一九八五年刊)がある。

《明らかに、貧富に関する人間の態度は、徐々にではあるが、確実に変化しているのだ。別言すればわたしはこの本によって象徴されるような、挑戦的な態度をとる人びとがふえてきたのである。つまり、金持ちというものは下品であわれむべき人種で、心配ごとばかりにとらわれ、誤まった目標を追い、にせものの価値を求め、にせものの神をあがめ、どのように人生を楽しむか、などという理想を持ちあわせていない連中である、と多くの人が思うようになってきたのである。貧乏人から、のんきに、そして、貧困をいかに楽しむか、を学ぶことのほうが、金持ちになるよりどれほどよいことかわからないのだ》(「俗物的貧乏人」/『貧乏学入門』)

 この本の邦訳が出た一九八五年には、ひねくれたユーモア作家の冗談と受け取られていた可能性もあるかもしれない。
 でも今は、(貧乏だけど)のんきに楽しく生きるための知恵が見直されつつあるとおもう。

《イギリスが貧乏になりはじめたとき、それに対する最初の反応は、沈黙と沈痛のごとき衝撃であった。しかし、やがてそれは、日常茶飯のこととなり、誇りとさえも思われるようになった。(中略)もし、イギリスが貧乏なのであれば、貧乏であることは粋なことなのだ。栄光に輝く過去をもつイギリスが、新興貧乏国になったのだから、それなりに貧乏らしくすればよいのである》

 貧乏のなり方にもいろいろある。
 一時期羽振りがよかったのに、お金がなくなったとたん、まわりから人がさっといなくなっちゃうのは情けない。

 国の場合はどうか。経済がぱっとしなくなったからだめっていうのは、単に魅力がないだけともいえる。
 昔と比べたら貧乏になったかもしれないけど、治安がよくて、食い物がうまくて、親切な人が多くて、景色がきれいで、ちょっと疲れても木陰で座れる場所があって、ようするに、あちこちにくつろげる町がたくさんあれば、それなりに楽しく暮らしていけるのではないか。

(……続く)

2012/08/09

『文學界』のエセー

……『文學界』九月号に「『燒酎詩集』のこと」というエッセイ(エセー)で詩人・及川均について書きました。

《チュウのにおいは鼻をつき。
 ぼくら。めでたく。ここにこうしているだけなのだ。

 みたまえ。
 時空は漠たる一個の物体となり。

 みたまえ。
 アルコホルに漬かった臓物どもは歓喜して。

 焼鳥なども食いたがる。
 だいじょうぶ。小銭はまだあるはずだ。

 焼鳥もろとも。
 ここに。こうして。堪えるのだ。》(「焼鳥もろとも」抜粋/『燒酎詩集』日本未来派、一九五五年刊)

 富士正晴編『酒の詩集』(光文社カッパブックス、一九七三年)で、「焼鳥もろとも」という詩を読んで以来、ずっと気になっていたのだけど、及川均がどんな人なのか知らないままだった。
 ぼんやりとしかわからない詩人が、自分の中にいて、何かの拍子にこの詩をおもいだす。

《ぼくら。めでたく。ここにこうしているだけなのだ。》

 そんなふうにおもいながら酒が飲みたい。

2012/08/08

上山春平

……思想家の上山春平の訃報をF氏から知らされた。

 享年九十一。「戦中派」がまたひとりこの世を去った。

 上山春平は一九二一年生まれ。海軍予備士官として従軍し、「回天」特攻隊の生還者でもあった。

 わたしは大学時代に『大東亜戦争の意味 現代史分析の視点』(中央公論社、一九六四年刊)を読んだ。久しぶりに頁をひらいてみたら、鉛筆の線引だらけだった。

《私はやはり、あの戦争は侵略戦争であり、その目的は完全な失敗に終わったと見るべきだと思う》

《白人によるアジア人の支配は植民地化であるがアジア人によるアジア人の支配は植民地解放である、とでもいった考えを前提にせぬかぎり、明治以降の日本の膨張過程を植民地解放の過程とみなすことは困難であり、その侵略行為を解放戦争とみることは不可能である》

《私は大東亜戦争を解放戦争ではなく侵略戦争であると考える立場から、錯誤のうえにたつ誇りよりは、過ちは過ちとして認める誠意と過去の過ちから学んで新しい生き方を見いだす勇気とを、むしろ尊重したい》

 大東亜戦争にたいする考え方や立場はいろいろある。当然「侵略戦争ではなかった」という意見の人もいる。
 上山春平は、かつての戦争が正しいかどうかということよりも、従来の思考の枠組(尺度)自体を変えることを『大東亜戦争の意味』で提唱した。

《私たち日本国民の大多数がかつて支持した「大東亜戦争」史観も、それを裁く側に立ったもろもろの史観も、つぎつぎに絶対性を失って、相対化されてきた。私たちは、この体験を大切にしなければならないと思う》

 そうしたもろもろの史観は、特定の国家権力と結びついている。国家の利害で価値尺度を作っている以上、歴史認識としては不十分なものにしかなりえない。

《要するに、地球上における特定の地域の特定の人間集団の利害を絶対のものとする主権国家の価値尺度は、人類共通の価値尺度とは相容れないのである。しかし、いまや、人類は、国家的尺度を人類的尺度に従属させなければ、その種族の存続をはかりえない地点にまで到達している》

「人類共通の価値尺度」や「人類的尺度」で歴史を考えること。今でもむずかしい課題である。

「補論 大東亜戦争と憲法九条——佐藤功氏との対談」で、上山春平は日本国憲法について、次のように語っている。

《あの憲法には平和にたいする人類の熱望が反映されているように思います。憲法制定議会は、憲法を自分の力で最終的に決定する権限はあたえられていなかった。対日戦に参加した連合諸国の代表からなる日本管理機構の承認を得なければならなかった。したがって、あの憲法は、一種の国際契約だと思います。こうした憲法というものは、かつてなかったのではないでしょうか。そういった意味で、これはまったく新しい形態の憲法だと思います。これは、単独の国家主権の発動によって成立したのではありません。複数の主権国家の協力によってつくられた国際契約なのです》

「日本国憲法は戦勝国に押しつけられた」というような意見もある。しかし「主権国家の価値尺度」で作られたかつての憲法よりも、はるかに「人類共通の価値尺度」に近いものだと上山春平は考えていた。
 無条件降伏の帰結として作られた憲法かもしれないが、「平和にたいする人類の熱望」という「人類的尺度」の精神がそこにある。

 ここ数年、「戦中派」の思想家、作家、詩人がどんどんいなくなってしまっていることにわたしは危機感をおぼえている。
 でも一古本好きとして、伝えられることを伝えていきたい。その継承の役割を担わなければならないとおもっている。

2012/08/02

もらい泣き

……例年、八月下旬くらいから秋の花粉症になるのだけど、昨日から鼻がむずむずする。目もかゆい。

 先週末に静岡に行ったときに、急にくしゃみが出るようになって、「ひょっとしたら」とおもったら、やっぱりそうだった。
 昨年のブログを見たら、八月九日に「例年よりすこし早い秋花粉」とある。

 それでも昔と比べたら、ずいぶん楽になった。原因がわからなかったころは、一ヶ月以上、ずっと調子がわるかった。今は漢方(小青龍湯)で症状を抑えている。

 コクテイル、ペリカン時代をハシゴして、深夜から朝にかけて、冲方丁著『もらい泣き』(集英社)を読む。
『小説すばる』で連載していたとき、いつも真っ先に読んでいた。本好きの知人にも「今、いちばん面白い連載だ」と吹聴しまくり、単行本になるのを待ちわびていた。
 人から聞いた「いい話」や「とっておきの話」を元にしたコラム集で、おそらくニュージャーナリズムの手法で書かれている。
「ボブ・グリーンみたいな」と説明したくなるけど、もうすこし繊細かもしれない。「世の中、きれいごとではやっていけない」といっても、「じゃあ、どうするの?」の先はなく、ひねくれるか、斜にかまえるか、揚げ足をとるかばっかりで気が滅入る。
 だからこそ「世の中、捨てたもんじゃないよ」といい続ける人が必要になる。
『もらい泣き』を読んでいると、その役目を作者がものすごく迷いながら引き受けたかんじが伝わってくる。
 とくにある日を境に連載のトーンが変わった。でも「世の中、捨てたもんじゃないよ」の部分は一貫している。

《このコラムの雑誌連載中に、東日本大震災が起こった。
 福島県に住居を兼ねた仕事場がある私は、もろにその影響を受けた。生活の面でも、執筆の面でも》(二〇一一年三月十一日について)

「ノブレス・オブリージュ」、「インドと豆腐」、「盟友トルコ」、「空へ」、「地球生まれのあなたへ」など、震災後に書かれたコラムは、抑えた筆致ながら、ある種の「祈り」がこめられているとおもった。
 その「祈り」は、怒りや悲しみから自分を立て直すための言葉といってもいい。

 この先、何度も読み返す本になるだろう。

2012/07/30

節度の時代(五)

《息切れしながら猛進し、取引交渉でゼーゼー荒い呼吸をするぐらいなら、没落する方をとろう。超モダンで騒々しい繁華街に住むよりは、閑静でいくぶん崩壊した大邸宅に暮らすのが、英国流というもの。都会でストレスをいっぱいためて心臓発作にやられるよりは、庭園を散策して健康でいる方が、英国流にかなった生き方。(中略)空虚な進歩よりは建設的没落をとりたい。ただ、いかにして没落するかを学ばねばならない。退廃への道を学びとらねばならぬのだ》(G・ミケシュ著『没落のすすめ』倉谷直臣編訳、講談社現代新書、一九七八年刊)

 数年前から、わたしはジョージ・ミケシュが提唱した「エレガントな没落」について思索している。
 失われた十年とか二十年とかいわれる日本の現状を考えると、成長や発展という従来の前提は通用しなくなっている。

『本と怠け者』でも「ミケシュが見た日本」というエッセイを収録した。その中で「私たちは日本人に、まっとうな親父らしい忠告を一つ与えた。軍国主義を捨て経済に全力を投じるようにと。彼らは言われた通りにしてきた。そのことで今私たちは、日本人を許し難く思っている」(『円出づる国ニッポン』倉谷直臣訳、南雲堂、一九七二年刊)という文章を引用している。

 行きすぎた軍国主義から行きすぎた経済主義へ。
 軍国化も経済化も避けては通れない道だったにせよ、あまりにもやりすぎてしまった。歴史をふりかえれば、もうすこし「ほどよさ」を追求する道もあったとおもう。

 没落といっても、いきなり江戸時代のような生活水準に戻るわけではない。それなりに快適な後退の仕方はきっとあるはずだ。

 といいつつも、この十年くらいのあいだに、わたしも暑さや寒さ、不便さにたいする耐性がずいぶん落ちた。

 よくよく考えてみれば、田舎にいたころ、台風が来たり、雷が落ちたりすると、すぐ停電になった。一九八〇年代のはじめごろまでそんなかんじだった気がする。子どものころのわたしは停電になっても、それほど不便とはおもわなかった。むしろ非日常のかんじが楽しかったくらいだ。

 都会と地方で多少の差はあったかもしれないが、あるていど不便さを知っている世代であれば、「停電や貧乏なんてたいしたことはないよ。原発の事故よりはるかにマシだよ」といってもいいとおもうのだが……。

 今日は暑くて頭がまわりそうにない。
 続きはまた。

2012/07/26

節度の時代(四)

……節度とは、「度を越さない、適当なほどあい」(『岩波国語辞典』第四版)という意味。

 曖昧といえば曖昧だ。いかようにも解釈できる。だからわたしも適当に書き継いでいこうとおもう。
「節度の時代」というのは「ほどほどの時代」といいかえてもいい。ほどほどの国でほどほどの暮らしができればよしとする。けっこうそれって幸せかもよ。一番とか二番とかじゃなくてもいいんじゃね。ちょっとくらい収入が減っても、休みが多いほうがよくね。別に、そんなにほしいものとかもないし。

 わりとそういう気分の人はめずらしくないとおもう。中国やインドに経済で抜かれても「当り前だよな」と受け流せばいいだけ。

 どんどん道路を作る、エネルギーの消費量を増やす。それを発展と考えるのは、ちがうんじゃないか。
 わたしはしょっちゅう新しいものに買い替えたり、使い捨てにしたりせず、古いものを大事に使う生活のほうがいい。多少の不便を楽しむ余裕のある世の中のほうが暮らしやすいのではないかとおもっている。

 上京以来、わたしはテレビを買い、ビデオを買い、パソコンを買い、電子レンジを買いといったかんじで、ずっとものが増える方向でやってきた。そろそろ足し算ではなく、引き算も考えたほうがいい気がしている。

 国力は衰退するかもしれない。でも、ゆるやかな衰退であれば別にいいかな。今はちょっと下り坂だけど、いつか上向きになる日もくるかもしれないという希望を残した後退、多少収入は減っても、「散歩する時間も増えたし、毎日楽しいし、楽だ」というような没落だってあるだろう。

 国や社会全体がひとつの方向を目指すようなあり方には、違和感しかおぼえない。

(……続く)

2012/07/25

Theピーズとペリカン

……先週土曜日、高円寺SHOW BOATで、Theピーズ×ペリカンオーバードライブを見る。いいライブだった。でも四十歳すぎて、超満員のライブハウスで音楽を聴くとはおもわなかった。

 ペリカンは三十代で結成して十五年。
 途中から息が合ってきて、最後、完璧に仕上がる(たまにバテる)といういいかげんさは、すでにこのバントの持ち味になっている。

 Theピーズは別格。音楽とかロックとか、ジャンルがどうでもよくなるくらいすごいものを見たという気分だ。
 バーカウンターの近くで飲みながら見ていたのだけど、カウンターの中まですごく盛り上がっていた。
 MCでは「バカロック」とか「ポコチンロック」といった言葉も出てきた。「バカロック」ファンにとっては、この日のライブは奇跡の組合わせとしかいいようがない。
 人生の一日に立ち合うことができた気分だ。
 バンドをやめないでくれてありがとうといいたい。

 それからペリカンオーバドライブ、初CD『ロンドン高円寺』おめでとう。全十二曲。ギターの小島史郎さんがいたころのペリカンと今のペリカン、六曲ずつ入っているのもうれしい。

《打ち上げのような毎日の中で生まれたロックンロールナンバー》

2012/07/21

節度の時代(三)

……社会の片隅でひっそりと好きなことをして暮らすというのが基本方針だった。収入に応じた生活をするとか、あるもので間に合わせるとか、疲れたら休むとか、無理をせず、のんびり、ほそぼそとやっていくことを志向してきた。
 こうした考え方は「節度」や「均衡の感覚」に基づいているつもりなのだが、周囲からは「やる気がない」といわれることが多かった。「後ろ向き」とも。

 二、三年前に「嫌消費(賢消費)」という言葉を知った。あまりものを買わない、持ちたくないという若者が増えている現象を意味する言葉だけど、わたしもそうだった。
 古本以外にお金をつかわない。古本も買った分だけ売るをくりかえしてきた。
 二十代のころは引っ越しばかりしていたせいもあるのだが、とにかく身軽でいたかった。

 ある本の中で論じられていた「縮小都市」という考え方にもけっこう共感した。
 ようするに、少子高齢化の時代がすすめば、この先、機能しなくなる自治体も増えてくる。それなら学校や病院、商業施設などが整った場所に移住し、こじんまりと暮らしたらどうかという発想である(大雑把な説明だけど、だいたいそんなかんじだとおもう)。

 たとえ世の中が拡大から縮小に向ったとしても、わるいことではない。「縮小=貧しくなる」ではなく、やりようによっては気楽で快適なものにもなりうる。

 これは楽観論だろうか。
 わたしはそうおもわない。「縮小」の方向で暮らしていきたい。「不便」の楽しみ方も考えていきたい。
 隠居への憧れもそれに通じるかもしれない。

(……続く)

2012/07/17

好不調の波

 すこし調子が戻りつつある。調子といっても、あくまでも主観でしかないのだが、自分のためのメモのつもりでそのあたりのことを書いておく。

 なんとなく調子がいいなとおもうとき、仕事が終わって、そのまま晴れやかな気分で遊びに行ける。ようするに、散歩して、そのまま飲みに行って、明日のことを気にせずに好きなだけ飲んで、ぐっすり寝る。

 調子を崩すとそれができなくなる。
 次の仕事に移るときに気が重い。気持の切り替えがうまくいかない。

 疲れがたまっているとか、体調がよくないとか、いろいろな原因はあるのかもしれないが、むずかしく考えないほうがいいのかもしれない。ただし、むずかしく考えないことが簡単ではない。

《たとえば高校野球のようにね。甲子園で全力を投入しなければ、明日も明後日も投げるわけにはいかないんだからね。一発全力主義、これはアマチュア方式なんだ。
 プロは、フォームの世界。つまり持続を軸にする方式なんだね。一生に近い間、落伍するわけにはいかないから。
 もし、明日のことを考えないで、一回こっきりの勝負だったら、プロより強いアマチュアはたくさんいるだろうよ》(「一一三の法則——の章」色川武大著『うらおもて人生録』新潮文庫)

 色川武大は「フォーム」を重視していた。目先の結果よりも、通算打率。しかし同時に「何かを創っていく仕事は、一作に全力を投入しなければならない」から、「プロ式とアマチュア式と両方必要なんだな」とも述べている。

 メジャーリーグの本を読んでいたら、この「フォーム」を「メカニック」ともいうことを知った(厳密にはちがうかもしれない)。「投球のメカニック」とか、そういったかんじで使う。

 問題は、時とともにこれまでの「フォーム(メカニック)」が通用しなくなることだ。
 そして「フォーム」の改良は、調子のいいときにやる必要がある。
 不調のときは思考そのものがアテにならない。

 とりあえず、答えは先送り。

2012/07/08

サーバー短篇集

……光文社古典新訳文庫の続刊案内を見ていたら、『傍迷惑な人々 サーバー短篇集』(芹澤恵訳)が八月刊行予定になっていた。これは読みたい。

《幼い頃から不器用で、工作は苦手、車もエンストばかり……「なんでも壊す男」。思わず笑ってしまう自作イラストを大真面目に分析する「本棚のうえの女」。個性豊かでおかしな家族に鍛えられた作家本人のもとになぜか集まる“ちょっと変わった人たち”を描いた「傍迷惑な人々」。夢の中でだけ名外科医、空軍の勇士、賭博師、西部劇のヒーローなど、さまざまな英雄になる出版社勤務の気の弱い青年が主人公で、ダニー・ケイが主演した『虹を掴む男』の原作など、味のあるイラストとユーモアたっぷりな絶品短篇集》

 ジェイムズ・サーバーもそうだけど、海外のユーモア短篇をもっと翻訳してほしい。
 E・B・ホワイトは無理かなあ。出たらぜったい買うけど。

2012/07/03

節度の時代(二)

……今回も行き当たりばったりで。

 悲観しているわけではないが、この先、日本の社会が高度成長のような局面を迎える可能性は低いとおもっている。
 ただ、だからといって、即「停滞」や「低迷」や「衰退」に向うとはかぎらない。そうじゃないんだよなあ、でも、どういえばいいのだろう。

 わたしは世の中が下り坂でもかまわない派なのだが、それでは多くの人の共感は得られない。

 たとえば、「どうすれば低成長の時代をよりよく生きていくことができるか」といっても、「成長しなければいけないのだ」と返されると話が平行線になる。
 書店で自己啓発書を読むと、かならずといっていいくらい「ネガティブな言葉を使わないこと」というような項目がある。

 それで誰に頼まれたわけでもないけど、「低成長の時代」に変わる前向きな言葉を考えた。仮に「節度の時代」としておく。
 当り前のことだけど、車を走らせるにしてもアクセルだけでなく、ブレーキが必要というのと同じで、世の中も競争して、成長の方向に突き進めば、いつかは行き詰まる。

 成長とか繁栄とかいっている、その先に何があるのか。

 よく「原発をなくすと産業が空洞化する」「停電になっても、命を落とす人がいる」という意見にしても、どこまで電力供給量が減少すればそうなるのかという話にはならない。
 そのことに疑問を投げかけると「経済のことがわかっていない」といわれる。

 たしかに、わたしは経済のことだけでなく、原発事故の収束方法も、廃炉にするためのコストやその後の管理費のこともわかっていない。
 安全と経済を天秤にかける。そのことがいいのかどうかもわからない。
 それでも無意味な曲解や拡大解釈、極論に走ることは控えたいと心がけているつもりだ。

 安全にもいろいろな安全があり、経済にもいろいろな経済がある。
 おそらく、万人が納得する答えは出ない。
 バランスをとろうとしても、損をする人と得をする人が生じる。
 すべての人にとってプラスになることなんて、なかなかない。

 賛否のわかれる様々な問題によって生じる損(リスク)をどのていど引き受けていくか。
 そのことを考えることも「節度」といえるかもしれない。

(……続く)

2012/07/02

節度の時代(一)

……まとまらないかもしれないが、今、考えていることをだらだらと書いていこうとおもう。

 一九四五年八月、日本は戦争に負けた。戦争だけでなく、科学技術、あるいは人々の自由さといった社会の成熟度でもアメリカに大敗した。
 その反省が、戦後の社会を築いていく上での軸になり、現在に至っている。ものすごく端折ったけど、だいたい当たっているとおもう。

 いっぽうである種の節度、つまり「足るを知る」「あるもので間に合わせる」といったような美徳に関しては、かつての日本は、西欧列強と呼ばれた諸国よりも優れていた気がする。

 冷戦期の軍拡競争もそうだが、競争というものは、どこかで歯止めをかけないと疲弊し、破綻してしまう。
 大量生産・大量消費という社会のあり方も、とっくに行き詰まっているとおもうのだが、今の日本の社会はそのやめ方がわからなくなっている。

 原発をやめたら、電気が足りなくなる——。
 もしそれが事実だとしても、「じゃあ、不要なものを作るのを減らしたら」という発想にはならない。
 夏場、電気が不足してエアコンが使えなくなれば、熱中症で命を落とす人が出るかもしれない。別にそういう電気までいらないとはいっていない。
 原発を動かさないと経済が停滞する。そうかなあ、工夫次第だとおもうけどなあ。
 すくなくとも今より電気がなかったころ、会社では昼休みの時間を長くとったりしていた。仕事の時間を短くして、早く家に帰るようにすれば、それだけでずいぶん節電効果はあるだろう。

 震災後、わたしは仕事が減って不安になった。それでもやりくりすればどうにかなることがわかったし、ひまが増えれば、あまりお金をつかわなくてすむこともわかった。
 モノを減らして身軽になれば、それだけでずいぶん暮らしは楽になる。
 でもそういうことをいうと、「あなたは経済のことがわかっていない」云々の批判を受ける。

 経済の発展の行く先はどこなのか。一度立ち止まって考える必要もあるとおもう。

(……続く)

2012/06/25

仙台

……週末。
 朝から仙台に向う。
 今年もサンモール一番街商店街で開催されたBook! Book! Sendai!の一箱古本市に駆けつける。

 会場に到着してすぐ「鉄塔文庫(古本酒場)が午前十一時から営業しているよ」と誘われ、本を見る前に飲みに行く。
 ふだんならまだ寝ている時間ということもあって、すぐ酔いがまわる。
 商店街を何度も往復しているうちに、ほしい本が見えてくる。日頃の古書会館の古書展とちがって、会う人会う人と喋りながら、のんびり本が探せる。この感覚も楽しい。

 もうBook! Book! Sendai!に活気があるのは当り前のことのように錯覚してしまいそうになるのだけど、手作りイベントの延長でここまでの本のお祭りが生まれたのはすごいことだとおもう。しかもたった四年で。

 昼すぎ、書本&cafe マゼランに行って、喫茶ホルンで休憩する。昼メシは仙台っ子ラーメン。
 マゼランではフィリップ・ロス著『素晴らしいアメリカ野球』(中野好夫、常盤新平訳、集英社文庫)などを買った。
 会場に戻る。わめぞのブースはずっと大盛況で人が途切れない。この光景をもっといろんな人に見てほしいなあ。本を作る仕事をしている人はとくに。

 打ち上げにも参加し、今回もごはん屋つるまきに宿泊。
『痕跡本のすすめ』(太田出版)の五っ葉文庫の古沢さん、家主の若生さん、桑折さんと日本酒を飲みながら、雑談する。五っ葉さんは 寝る直前までずっと喋り続けていた。無尽蔵のスタミナが羨ましい。

 翌日、火星の庭に。わめぞ組が、松島さかな市場に行くというので、いっしょについていく。
 帰りは松島から遊覧船で塩釜に出る。二年前の秋にも乗った芭蕉コース。
 ガイドさんは観光案内だけでなく、ときどき津波の被害を語る。ただし、いわれなければ、ほとんど景色の変化はわからない。

 やまびこの自由席で熟睡し、午後八時すぎに帰宅する。
 夜は、高円寺のノライヌcafeで東賢次郎さんのライブ。途中から東さんの隠し球ともいえるビートルズメドレー(下ネタ)が盛り上がりすぎて、アンコールまでその路線が続いた。笑いすぎて苦しくなった。

2012/06/22

放電と充電

……神保町を歩いていて、足がふらつく。ひさしぶりの貧血だ。原因はたぶん酒の飲みすぎ。うどんと雑炊ばっかり食っていたせいもあるかもしれない。
 高円寺駅を降りてすぐ焼鳥屋でレバー三本、ハツ三本買う。寝て起きたら、ずいぶん楽になった。

 先日の古書展で買った本に、野村克也著『背番号なき現役 私のルール十八章』(講談社、一九八一年刊)がある。

 四十五歳で現役を引退した後に刊行された本なのだけど、あとがきを読んで考えさせられる。

《現役時代は、「放電」(試合出場)のために、はっきりした「充電」(練習)の場がありました。背広を着つづけることになったいま、「充電」することのむずかしさを、かみしめている次第です。「本を読む」「人の話をよく聞く」——それもひとつの「充電」ですが、それだけでは「放電する量」に追いつけそうにありません。
 その格差が広がれば広がるほど、かつての経験を“切り売り”するという結果になってしまいます》

 現役のころの野村克也は、プロ野球選手としての素質ではさまざまなスター選手より劣っていた、不器用だったと告白している(謙遜も多少あるとおもう)。
 たとえば、速球を待ちながら、変化球に対応するようなバッティングができなかった。その分、ピッチャーの癖を探したり、配球を読んだりする努力をした。

 さらに三十八歳のときに禁酒もした。それでも体力は徐々に落ちる。

《体力アップは無理でした。下降線を、どれだけゆるやかなカーブにするかというテーマと、取り組んでいたのです》

 体力が落ちた。
 酒も残る。
 本を読んでいても集中力が持続しない。

 ここ数年、ちゃんと「充電」ができていない。
 じっとしているより、迷走するくらいのほうがいい気もするが、どうなるかはまだ見えてこない。

2012/06/19

水道橋

……台風接近、だるい。午前中、業務スーパーとOKストアに食材を買いに行く。

 昨日夕方、打ち合わせで水道橋。西口の三崎町方面に行く。学生時代、このあたりの出版関係の事務所でアルバイトをしていた。近くには少年画報社やベースボールマガジン社もある。見覚えのある喫茶店やラーメン屋が残っていた。

 打ち合わせを終え、神田の古書会館で新宿展が開催中だったことをおもいだし、神保町まで歩く。

 今年に入って、野球に関する本を軸に収集している。新宿展では某書店がたくさん出品していて、買い漁ってしまう。

 二十代半ばごろも、一年くらい将棋と野球の本ばかり買っていた時期がある。一年で二〜三百冊くらい。ちょうど羽生善治さんが七冠王を達成するかしないかのころ、プロ野球はヤクルトとオリックスが日本シリーズを戦った年だ。
 わたしの野球熱は、一九九五年のペナントレースがピークだったとおもう。朝から晩までスワローズのことを考えていた。

 当時、ルーキーだった宮本選手や稲葉選手が、今年二〇〇〇本安打を達成した。

 その間、いったい自分は何をしていたんだのだろう。
 でも今は、二十代のころのわけもわからずに熱中する感覚を取り戻したい——それさえあれば、いや、それだけではラチがあかないこともいやというほど学んだわけだが、何かにのめりこむ感覚が弱まってしまうのはまずい気がしている。

2012/06/11

ビロビジャン

……先週、北海道からビロビジャンというユダヤ音楽(クレツマー/クレズマー)を演奏する二人組(小松崎健さんと長崎亜希子さん)が上京し、コクテイルとペリカン時代をハシゴ酒。
 ビロビジャンを紹介してくれたのは、バウロン奏者のトシバウロンさん(アルバム『ビロビジャン』にゲスト参加している)。

 六日(木)、高円寺のザ クルーラカンでビロビジャン、バロン&熊谷太輔のライブ、八日(金)、古書ほうろうでビロビジャンwithトシバウロン、ゲストは中原直生(イリアンパイプス)のライブを見に行った。
 ビロビジャンの意味は《ハバロフスクから2〜3時間のロシア極東にあるユダヤ自治州の州都》(アルバムのライナーより)とのこと。

 小松崎さんが演奏するハンマーダルシマーはペルシャで生まれ、中世にヨーロッパに伝わったピアノの原型といわれる楽器。六十四本の弦(弦の数はいろいろあるらしい)を木製の細長いスプーンのようなばちで叩いて反響させる。
 そんな不思議な楽器をほぼ独学(ビデオを見たりとか)で習得したという。
               *
 数日後、沼野充義著『屋根の上のバイリンガル』(白水社)を再読する。
 この本、ユダヤ系の少数言語のイディッシュ語の話が出てきた。昔、読んだときは、まさかイディッシュ語の話題が飛び交うような酒の席に出くわすことになるとはおもいもしなかった。

 最終日の打ち上げで、高円寺南口のまんま みじんこ洞(=ミニコミ居酒屋)に案内したところ、たまたまアイリッシュ音楽がかかって、(わたしをのぞいた)一同が歓声を上げる。店の人に聞いたら、音源を持ち込んだのはトシバウロンさんの知り合いとわかって、つくづく世間は……。

2012/06/06

休暇中

……週末から飲み続け、二日酔いになる。
 うどんと雑炊を交互に食って、ガスコンロ磨きと風呂掃除をする。
 夕方、北口の喫茶店に行って、さいとう・たかをの『ブレイクダウン』(リイド社)を読む。久しぶりに読んだら、自分の記憶が『サバイバル』とまざっていた。
 小惑星が地球に落ちて荒廃した世界を生きのびる——という作品なのだが、主人公の上司が出世のことしか頭になく、徹底して胸糞悪いキャラクターとして描かれている。わたしならこの上司が崖から落ちそうになったときに助けない。

 夜、北大路公子著『生きていてもいいかしら日記』(PHP文芸文庫)を読む。この本の文庫化はうれしい。北大路作品は全著作おすすめなのだが、とくに酔っぱらいとダメ人間に関する描写が素晴らしい。

《年が明けてから全然外に出ていない。ずっと家にいる。おそらくは正月の「朝酒から昼酒を経て夜酒に至る」という夢のような生活がきっかけで、もともと希薄だった社会性が完全に失われてしまったのだ》(引きこもりのつぶやき)

 さらに『枕下に靴 ああ無情の泥酔日記』、『最後のおでん 続・ああ無情の泥酔日記』(いずれも寿郎社)も読み返し、最近、自分は働きすぎなのではないかと反省した。

 家賃さえなければもっと遊べるのに、とおもう。

2012/06/02

神宮球場

……5月末、二日連続で交流戦の日ハム×ヤクルト戦を神宮球場の外野自由席で観た。
 一日目は完封負け(ヤクルト一〇連敗。引き分けなしの一〇連敗は五十九年ぶりだそうだ)で消化不良だったのだけど、二日目は畠山、飯原のソロ、ミレッジの満塁弾もあって、酒がうまかった。
 ミレッジ、走塁も守備も全力で見ていてすごく楽しい。
 出番はなかったけど、二軍から上がってきた松井淳も期待の選手。スタメンで見たいなあ。

 仕事帰りにふらっと神宮球場に行って、野球を見ながら酒が飲む。上京してよかったとおもう。

 試合がある日は一試合三時間、さらに新聞や雑誌を読み、データを調べたり、誰に頼まれたわけでもないのにチームの不調の原因を考えたり、なんやかやで五時間くらい消費してしまう。プロ野球ファンならよくあることかもしれないけど、気をつけないと昼も夜も野球浸りになる。
「こんなことをしている場合ではない」とおもいながら、やめるにやめられない。

 だいたい五、六年周期でそういう状態になる。毎年だと身がもたない、というか、生活に支障をきたす。ところが生活に支障の出ない範囲で……なんていっているうちは、快楽は得られない。

 この十年くらいずっと欲望を抑制し続けていた。昼酒もやめたし、ゲームもやめたし、漫画喫茶通いもやめた。
 やめたらやめたでそのうち平気になることはわかった。

 野球に関してもいずれそうなるかもしれない。
 今年は無理だけど。

2012/05/25

クリティカル・モーメント

……平尾誠二著『理不尽に勝つ』(PHP研究所)を読んでいて、「クリティカル・モーメント」という言葉を知った。

 ラグビーなどのスポーツで「勝敗を分けるような重要な一瞬」という意味。
 ものすごく不利な局面を一瞬でひっくり返したり、逆にほんのちょっとしたミスで逆転されたり、勝負の世界にはそんな「クリティカル・モーメント」がある。

 平尾誠二によると、「イギリス人は、この瞬間を見極めるのがとてもうまい。というか、どの瞬間、場面がそれなのか感覚的にわかる」らしい。

 一瞬の判断、あるいは行動が、勝敗を分ける。それを見極める感覚は、常日頃から一瞬一瞬を大切にしていないと身につかない。

 またこの本の中で、「クリティカル・モーメント」に感覚が鈍っているのは、対戦相手のデータを分析し、事前のシュミレーションをしすぎているせいではないかと疑問を投げかけている。
 データや情報が大切なことはいうまでもないが、シュミレーションを重視し、監督やコーチの指示に従うだけでなく、ゲームの流れを見極めながら、選手たちは自らの判断でゲームを進めなくてはならない。
 でもそういう判断ができない選手が増えている。

《あまりに安全、確実を求め過ぎて、選手がチャレンジする気持ちや冒険心を奪っているのではないかと……》

 一瞬の判断(決断)が、一試合の勝敗だけでなく、その後の人生にとっても大きな分かれ道になることもある。

 いかにして「クリティカル・モーメント」の見極めるか。

 この感覚については、もうすこし考えてみたい。

2012/05/21

未開の感情

 朝まで仕事し、寝ずに金環日食を見る。部屋の窓から見ることができた。

 最近、出不精になっている。出不精のほうが、仕事は捗るわけだが、ずっと家に引きこもっていると、気が滅入ってくる。
 本を読んだり、ものを考えたりするのも体力がいる。寝転んで本を読んでいるだけでも疲れる。すこし前までは、不調のせいだと不安だったのだけど、おそらく加齢のせいもあるだろう。あと体重が増えたせいもあるかもしれない。

 一日のんびり休めば、頭も気分もすっきりし、体力が回復する……なんてことはない。

(……以下、『閑な読書人』晶文社所収)

2012/05/14

五月病

……ここのところ、ずっと低迷している気がする。

 ひとつは好奇心の衰え。年齢のせいもあるかもしれないけど、本を読んでも、音楽を聴いていても、なかなか没頭できず、心おどることも少なくなっている。

 体力や気力を回復するためという名目の休息時間ばかりが長くなっているかんじだ。

 昔から「五月病」という言葉がある。新しい環境に適応できず、強いストレスを感じたり、無気力になったりする症状のことだけど、これといった生活の変化がないのに、五月になると調子を崩しやすい。

 日照時間の変化、寒暖の差に、からだがついていかない。一日中、眠くて眠くてしょうがない。「五月病」は気象病、季節病という一面もあるらしい。

 プロ野球選手にも春先だけ、あるいは夏になると調子がいいといったかんじで、季節ごとの好不調の波の激しい選手がいる。
 理想をいえば、シーズン通して、好調を持続できるにこしたことはないのだが、そういう選手は一流中の一流なのである。

 さらに「隔年選手」といわれる一年ごとに好不調をくりかえす選手もいる。

 つまり季節に左右されたり、年ごとに調子が上がったり下がったりするのは、よくあることなのだ。

 一流中の一流を目指しているわけではない身としては、そういう波を受け入れ、ごまかしごまかしやっていくしかない。

2012/05/12

石ノ森章太郎の話

……石ノ森章太郎『ジュン0 石ノ森章太郎とジュン』(ポット出版)を読む。

 石ノ森章太郎は「ぼくはこの作品で詩をかきたい」と新たな漫画表現を試みた。いろいろな版が刊行されているが、ポット出版のジュン・シリーズは完全復刻版である。

『ジュン0』は、自叙伝や自伝漫画を中心に編まれている。

「章太郎のファンタジーワールド」の「まんが家予備兵諸君!」という書き出しのアドバイスは、なかなか厳しい。

 漫画家志望者たちが仲間同士で集まると、いろいろな作品をコキおろしたり、批判したりする。
 かつての石ノ森章太郎もそういう時期があったが、でもそれは「自分の技術不足という不安をごまかそうとしているわけである」と述懐する。

《そしてやがてそれを続けていると……みごとな目高手低のお化けができあがる。つまり、見て批判する力はつくが、作品は描けない、というヤツである》

 石ノ森章太郎は「技術」を重視していた。

 石ノ森章太郎著『絆 不肖の息子から不肖の息子たちへ』(鳥影社)の「欲がない若者たち」にはこんな話が出てくる。
 最近の若い漫画家は、自分の人生を大切にしたい、消耗せずマイペースに仕事がしたいと考える人が増えた。そんな風潮にたいし「僕らの時代よりもずっと大人になっている」と認めつつも、「もったいないなぁ」と本音をもらす。

《自分をいじめることで能力が開発されることもたしかである。逆にいくら才能を秘めていても何もしなければ出てこない。(中略)マンガ家にとってのそれは、描くということにほかならないわけだ。頭のなかであれこれ考えるばかりでは、なかなか手が動かなくなっていく》

 アイデアがなくても手を動かしているうちに何かを思いつくことはよくある。

《手と頭が自由につながって好きな落書きに身をゆだねる快感とでも言おうか。手を動かしている間に脳が刺激されて、眠っていた能力や視点が出てくることが僕自身は数えきれないほどあった》

 その「技術」を身につけるためには、量をこなすしかないというのが、石ノ森章太郎の教えだ。

 考えるより、手を動かす。手を動かしかながら、考える。
 最近、その感覚を忘れかけていた。

2012/05/04

負けたり休んだり

 ずっとごろごろ本を読んだり、インターネットを見たりしている。長年、古本屋通いをしていて、毎回、買った本が面白いとおもえるわけでもない。最後まで読み通せない本がほとんどかもしれない。
 そんなにしょっちゅう「人生を変えた一冊」に出くわせるわけではないし、そんな本がたくさんあったら、それはそれで忙しすぎて疲れる。

 世の中は、ある人にとってはかけがえないことでも、別の人にはどうでもいいことばかりだ。
 時間をかけないとわからない面白さもある。

 古山高麗雄著『競馬場の春』(文和書房、一九七九年刊)を再読する。

《私は、「休むことと見つけたり」と「負けることと見つけたり」の二本立で競馬を楽しんでいる。(中略)私のような者は、負けても楽しむ世界を見いだすのでなければ、競馬が続けられるはずはない》(「競馬とは休むこととと見つけたり」)

(……以下、『閑な読書人』晶文社所収)

2012/04/27

一軍半の心得

 昨年、二軍だった選手が、一軍にいる。
 レギュラーだった選手がメジャーリーグに渡ったり、ケガをしたりして、選手層が薄くなっている。
 一軍半の彼らにとってはチャンスだが、実績のあるレギュラーとちがい、すぐに結果を残さないと次の候補にチャンスが回る。

 勝負の世界は厳しい。

 プロになるような選手は、素質も力もある。レギュラーになるには、数少ないチャンスに力を発揮しなくてはいけない。
実力も、運もいる。
 どんなに二軍で結果を出しても、ポジションの数は決まっている。スタメンの選手と変わらないくらいの実力があっても、代打や代走の数回のチャンスだけではなかなか結果を出せない。

 逆に、過去の実績があれば、ちょっとくらい不振が続いても、簡単には交代させられない。
 チャンスは平等にめぐってくるわけではない。

 走攻守三拍子揃った選手であればいいかといえば、そうとも限らない。
 チーム事情によっては走攻守それぞれのスペシャリストが必要な場合もある。左投手には滅法強いとか、守備力や足の速さがチーム内で突出しているとか、替えのきかない武器を持った選手のほうが、出番が回ってきやすい。

(……以下、『閑な読書人』晶文社所収)

2012/04/21

しばらくぐだぐだします

……今年もまたゴールデンウィーク進行(月末のしめきりが前倒しになる)を忘れていて、今週は家にひきこもって、うどんと雑炊ばっかり食いながら、仕事に明け暮れているのだが、一日中眠い。

 季節の変わり目はどうも調子がよくない。無理をすると肩か肘か腰のどこかが悲鳴を上げる。

 一年通して、体調を維持することは不可能である。野球でいえば、捨てゲーム(何もしない日)を作って、中継ぎを温存するみたいなかんじで乗り切るしかない。

 昨年の秋以降、すこし文体を変えてみようと取り組んでいた。あと体調のよしあしについて書くのは控えようとおもったのだけど、しっくりこなかったので元に戻す。

 三十代後半あたりから「持続」についてよく考えるようになった。時間をかけて身につけた技法もだんだん通用しなくなる。新しいことをはじめようとおもったら、古いやり方を捨てなければならないこともある。

 本の読み方、仕事のやり方にもしても二十代のころのようにはいかない。
 昔できたことができなくなったけど、昔できなかったことができるようにもなっている。

 体力の温存の仕方、帳尻の合わせ方などは、今のほうがうまくなったとおもう。いっぽう何をやるにも慎重になっている。保身に傾きがちになっている。

 休みの日に何もしたくないとおもうことが増えた。

 無理にでも動いたほうがいい気がする。

 来月あたりからそうする。

2012/04/11

ここ数日

……楽しいイベント続きで、酒量が増える。
 ようやく春を実感。でも衣替えはまだ。

 金曜日、ブックギャラリーポポタムの企画展「十二篇」に行く。
 木村衣有子さんと武藤良子さんのトークショー(『もの食う本』ちくま文庫のコンビですね)。

 展示は、木村さんの短篇連作を武藤さんが壁に字を書き、絵をつけたもの。
 山雀さんのジーンズの話が読まされたのだけど、このおもしろさを説明するのはむずかしい。いつか機会があったら、読んでみてください。

 土曜日、西部古書会館の「古本博覧会」に行く。今、いちばん楽しみにしている古本催事かもしれない。
 この一年くらい関心領域(アメリカのコラムと私小説)が狭くなっているような気がするので、「古本博覧会」のようなバラエティに富んだ出品の古書展はありがたい。

 日曜日、ひさしぶりに下北沢。ほん吉、古書ビビビをまわり、いーはとーぼで珈琲を飲む。のんびりしていたら、午後六時前。
 風知空知のオグラさんの『次の迷路へ』のレコ発ライブの時間がせまっている。
 ライブはたっぷり三時間。前半がソロ、後半はオグラ&迷ローズのバンド編成だった。

 新しいアルバム『次の迷路へ』は、時間をたっぷりつかって録音された多彩かつ完成度の高い曲ばかりだ。
 昔のアニメの主題歌や歌謡曲、唱歌、合唱曲、ロック、シャンソンとオグラさんが通過した音楽が、まざりあって新種のポップスに生まれ変わっている。

 ステージの桜の花を散らしながら無邪気に歌う。「心配禁止」や「ビル風の17才」は、ライブで聴くとたまらない。「それゆけ貧乏紳士」のチンドン隊とのセッションもよかった。
 オグラさんの初バンジョーも聴けた。

 アルバムタイトル曲「次の迷路へ」は、「見つからないもの」を探す決意を歌っているのだけど、「わかりやすさ」ではなく、「わからない」ところに踏み込んでいく覚悟が伝わってくる。

 今年のはじめにオグラさんが二十歳前後にやっていたバンドの青ジャージの再結成ライブを見たときにもおもったことだけど、ジャンルにはまりきらず、安易な共感を求めない姿勢は、昔から変わっていない。簡単に答えのでないことの先にある「普遍性」を探して、ずっと「迷路」をさまよっているようにもおもえる。

 今回のアルバムでいえば、「あなたの暗闇」がその迷路の先の扉をあける鍵のような気がする。

2012/04/01

げんげ忌によせて

……三月三十一日、第二十四回げんげ忌にゲストで呼ばれ、南陀楼綾繁さんが聞き手で「菅原克己のエッセーについて」という題で話をしました。

 前日、話そうとおもっていた内容をまとめた原稿があるので、ここに転載します(当日喋った内容とはかなりちがいます)。

◎げんげ忌によせて

 今年二月、仙台に遊びに行った帰りに、途中下車した郡山の古本屋で『新日本文学』の「四〇〇号記念特別増大号」(一九八〇年十二月)を見つけた。
 特集は「中野重治論」「花田清輝論」「文学運動の現在」の三本立て。

 その中に菅原克己の「中野重治の初期抒情詩」という評論も収録されている。
『現代詩人集』の中野重治の初期の詩篇を読んだ菅原克己は、「ぼくは、中野さんにとっても、一番大事なエキスのようなものが、ここに集まっていると思えるのである」という。

 中野重治論じつつ、菅原克己が詩について語った部分をいくつか抜き書きする。

《詩人はだれでも(とぼくは思うが)、自分の處女時代のものを愛している。そこにははじめて詩の世界をのぞきこんだ初々しさ、驚き、感動といったものが溢れているからである。そしてそれは過ぎ去って二度と帰らぬものである》

《人びとの感受性、直感に、そのままふるえるように伝わってゆくような純一なものが、中野さんの初期の詩篇にはあった》

《(中野さんが)全生涯にわたって築きあげた、そのたぐいまれな思想家・文学者としての大きな成果をみるとき、その過程で、いろんな痛み、失敗をふくみながらも、若いときの純一で無垢な詩精神が、その根底にたえず流れていたように感じられる》

 この評は、そのまま菅原克己自身のこと、あるいは詩の理想を言い表しているとおもった。
 菅原克己のエッセイを読んでいると、「初期の詩精神」を大事にしていた人であることがわかる。

『詩の鉛筆手帖』(土曜美術社、一九八一年刊)で「日常の中の未知」では、「ぼくらは〈馴れる〉ということがある」という一文が出てくる。

 毎日、勤めに出かけ、満員電車に乗る。ある青年が、同じような毎日をくりかえしているうちに何も感動できないとこぼす。

 生活が味気なくおもえることもあるだろう。〈馴れる〉ことで、いろいろなことを簡単に割り切るようになり、世の中に「ふしぎ」があることを感じなくなる。

《ぼくらは生まれたとき、あの狼の子と同じようにそれを経験しているのである。もちろん、赤ん坊には意識はない。やはりこんこんと眠り、ただ口を動かしてお乳を吸うだけなのだ。しかし、無意識の上にひろげられた新しい世界の経験は、成長したぼくらの深層心理の中にひそんでいるのある。この最初のおどろきを絶えずよみがえさせるようなものが、〈詩〉にはあるのだ》

「中野重治の初期抒情詩」も「日常の中の未知」もいずれも六十代から七十代に書かれた文章なのだが、わたしはその言葉の瑞々しさにはっとさせられる。どうすれば、こんな文章を書き続けることができるのか。わたしの菅原克己へのいちばん関心はそれに尽きる。
『詩の鉛筆手帖』の「〈無名詩集〉の話」では、ある人に「お前の詩は、最初の詩集の時が一番いい」といわれたときの話を書いている。

《年月を重ね、過去には知らなかったいろんな複雑な詩の機能を学びながら、なお行く先ざきで手に入れようとしているのは、最初の、詩を知ったときの新鮮な喜びのようなものではなかろうか》

 菅原克己の『詩の鉛筆手帖』を読んでいると、「最初の、詩を知ったときの新鮮な喜び」の大切さをくりかえし綴っていることに気づく。ほとんどそればっかり……といってしまうと語弊があるかもしれないが、わたしがこのエッセイ集をしょっちゅう読み返すのは、この感覚を忘れないようにしたい、おもいだしたいという気持があるからだ。

「〈先生〉の思い出」では、中村恭二郎という詩の先生の話が出てくる。
 若き日の菅原克己が〈先生〉に詩を見せたところ、「君は室生さんが好きだね」と見抜かれる。
 そして〈先生〉はこう続けた。

「だが最初に室生犀星の影響をうけるということは、たいへんいいことだ。君の詩はナイーブでいい。自分の生地のものをなくさないように勉強しなさい」

 年譜によると、菅原克己が〈先生〉に会ったのは、一九二九年、十八歳のときである。

《それ以来、中村恭二郎氏はぼくの〈先生〉になった》

 菅原克己は、詩人であり続けるために、生涯「自分の生地のものをなくさない」ことを自らに課していたとおもう。

『遠い城』(西田書店)にも「わが師、中村恭二郎」という回想がある。

《中村恭二郎には、その後長く、いろんな意味でお世話になり、ぼくにとっては古風な言い方だがまったく恩師といっていい存在になった。そしてぼくは、詩を書き初めたころに、室生犀星を知り、中村恭二郎を知り、そこから中野重治と伊藤整を知ったことによって、今にいたるぼくの詩の根元的なものが培われたように思っている》

 わたしは今四十二歳なのだが、日々の仕事や生活を送っているうちに、「自分の生地」が磨り減っていくような不安をおぼえる。ずいぶん磨り減らしてしまったなあという悔恨もある。
 それでも一読者としては、「自分の生地」を守りぬいているような人の作品に触れたい。
 詩でも文章でも、その人ならではの「生地」、あるいは「初期の詩精神」のようなものが失われてしまった作品はどこかものたりなくおもえてしまう。

 わたしは十九歳のときに職業ライターになり、主語も意見も感情もない文章ばかり書いていた時期がある。二十代後半から三十代にかけて、どうにかして本来の自分の感覚、文章を取り戻したいとおもって、詩や私小説ばかり読んでいた。
 そのころ菅原克己を知った。そして「自分の生地のものをなくさないように勉強しなさい」という〈先生〉の教えに勇気づけられた。

 どうすればその教えを守り通せるのか。以来、そのことを考え続けている。

2012/03/29

続々・文壇高円寺以前

《古本好きのフリーターとして文章を書くようになった》

 当時(三十歳前後)、年輩の同業者からは「今はよくても将来どうするんだ」と心配された。

 わたしは十代後半からフリーライターの仕事をはじめ、三十歳のときには十年選手だった。
 さすがに十年くらいやっていれば、自分の力がだいたいどのていどなのかはわかる。
 これまでは若い書き手というだけで食ってこれたけど、このままでは通用しなくなると漠然とかんじていた。

 バブルがはじけ、不景気になって、自分の関わっていた雑誌が次々と休刊、廃刊になった。

 世の中には、あんまり儲かっているようには見えないけど、潰れない店がある。そのころの自分はそんなふうなかんじで食っていけないかなあと考えていた。

 古本が読めて、たまに友人と酒が飲めて、寝たいときに寝る。あと年に数回、旅行(国内)ができれば、それでいいかな、と。
 で、その欲求は、年収二百万円くらいで実現してしまうのである(※二十代のころの話です)。

 老後はどうする?

 病気や怪我したら?

 子どもができたら?

 半年後、一年後のこともわからない生活をしているのだから、先のことを考えてもしょうがない。そう開き直ったら、ちょっと楽になった。楽になったが、不安が解消されるわけではない。

 でもわたしが仕事をはじめたころはインターネットもなかったし、携帯電話なんかごく一部の人しか持ってなかった。
 この二十年くらいで世の中はけっこう変化した。
 将来を固定してしまうと、そうした変化に対処できなくなる。

 仕事がなくなったら、新しい仕事を作るか、別の仕事を見つけるか。そのどちらかしかない。

 自分の能力と条件に応じて、そのどちらかを考え続ける。

 できれば「ちょっと休む」という選択肢もほしいのだが、それは今後の課題である。

2012/03/20

続・文壇高円寺以前

……尾崎一雄の「退職の願い」(『暢気眼鏡』新潮文庫)に、「昭和の初め頃までの社会通念として『文学を志すとはそのまま貧窮につながることだ』というのがあった」という一文がある。

《大多数の者は中途で離脱し、頑張る者は窮死した。極く少数の才能あるものが名を成したが、それらも概ね夭折した。(中略)私は、才能が無いくせに中途離脱せず(というより、他に行きどころが無くなって)頑張った組なので、あわや窮死という状態に立ち至った》

 わたしが上京した一九八九年ごろはバブルの最盛期だったが、それでも文学で食っていけるとはおもえなかった。ただし、当時はアルバイトをすれば、生活に困らないくらいの収入になった。

 大学を中退し、就職せずに、フリーライターになったのも「いざとなったらバイトすればいい」と考えていたからだ。当時のわたしは風呂なしアパート暮らしで、食事はほぼ自炊していたから、月十万円くらいあれば、どうにか暮らせた。
 趣味も古本だから、売ったり買ったりすれば、ほとんどお金がかからない。

 しかし世の中が不況になり、自分も齢をとる。
 三十路前になって、さすがにこのままではまずいとおもいはじめた。とはいえ、これまでまともに働いたことがなく、就職はできそうにない。

 自分の条件(能力や経済事情)でもっとも持続可能な方法は何だろう。

 いろいろ考えた末、原稿料だけで生活するという目標を諦めた。
 家賃と光熱費と食費はアルバイトで稼ごう。とにかく生活の持続を最優先に考えよう。

 最低限の生活費をアルバイトで作っておけば、好きなだけ(お金にならない)文章が書ける。本末転倒かもしれないが、アルバイトに支障のない範囲で原稿を書いていこうとおもった。

 以降、古本好きのフリーターとして文章を書くようになった。ひたすら中途離脱しないことだけが目標の日々が続いた。

2012/03/18

文壇高円寺以前

「フリーライターは名刺と電話があれば、誰でもなれる」

 どんな仕事にもいえることかもしれないが、五年、十年と続けていくためにはどうすればいいのか。

 社交性があって、能力の高い人なら、それなりの努力で食っていける。
 社交性がなく、才能も未知数の場合、「人とはちがう何か」を身につけるための特別な努力が必要かもしれない。

 ちょっとものを知っている。ちょっと文章が書ける。それだけではちょっと足りない。

 二十代のころ、神保町や中央線沿線の古本屋通いをしているうちに、私小説の棚が気になるようになった。
 尾崎一雄、川崎長太郎、上林暁、木山捷平……。
 最初は「なぜこの作家の本はこんなに高いんだろう」という疑問だった。

 たぶん何かあるにちがいない。
 次々と私小説作家の著作に手を出すようになった。

 当時、尾崎一雄の全集は十五万円くらいした。そのころのわたしの月収と同じくらいだ。
 さらに身の程知らずにも、全集だけでなく、単行本も集めようとしたから、出費はかさむいっぽうだった。
 今おもえば、二十代後半に生活が困窮したのは私小説への傾倒も関係している。

 貯金もなく、将来も見えない。
 生活の底が抜けそうになっていた。

 引き返そうにも、どこに戻ればいいのかすらわからない。

 しかし尾崎一雄のある小説の一行が自分の行く先を照しているようにもおもえた。

(……続く)

2012/03/13

サンデー毎日

……本日発売の『サンデー毎日』のグラビア頁(見開き)にインチキ手廻しオルガンミュージシャンのオグラさんが登場。写真は荒井眞治さん、紹介文はわたしが書きました。

 同じ号に北條一浩さんによる蟲文庫の田中さんの著者インタビューも掲載されていますよ。

2012/03/12

yumboとかえる科

……三月十一日、ボロボロの井草のラグを捨て、新しい敷物に買い替える。
 夕方、ひさしぶりに池袋往来座に行った。高円寺界隈でも話題の「名画座かんぺ」をもらい、蟲文庫の田中さんが表紙の『hb paper』を購入する。

 そのあと南池袋ミュージック・オルグでyumboとかえる科(細馬宏通、宇波拓、木下和重)のライブ(東日本大地震後延期になっていた『これが現実だ』リリース・ツアー)。

 京都で知ったかえるさんと仙台で知ったyumboを東京で見られるとは……願ってもない組合わせ。チケットも完売し、客席は超満席だった。わめぞの王子、Uさんとピアノの真裏で立って観る。

 かえる科(かえる目の三人バージョン)は、yumboの澁谷さんに合わせて(?)「街の名は渋谷」などを演奏。全体を通して音数の少なさに驚く(でもあまりそうかんじない)。WHAM!のカバーの「前のクリスマス」は笑いすぎて苦しくなった。

 yumboは同じ曲でも聴くたびに構成がちがう。音の足し引きだけでなく、ものすごく洗練された部分と不安定な部分がいりまじって、曲ごとに楽器が入れ替わり、「ケーキ」のときにかえるさんが登場したり、yumboとかえる科のセッションもあったり、見ていても聴いていても、次の展開がわからない。

 七〇年代のブラスロック風の「これが現実だ」で締め、アンコールの最後の曲は「家」(この選曲はたまらなかった)。ピアノの裏にいたおかげで音がそのままからだに響いてくる。詞もすっと入ってくる。

 四月の京都のライブも行きたくなった。

2012/03/10

忘れていたこと

……雨の中、コクテイルから酔っぱらって帰る。
 どうでもよくて心地いい会話ができる店があるのはありがたい。

 食って飲んで読んで書いて寝て一日が暮れる。
 月末に家賃を払ったとたん、来月の家賃のことを考える。
 生活は面倒くさい。

 疲れると愚痴をこぼしたくなる。

 愚痴やひとり言がいえない世の中にだけはなってほしくない。

2012/03/09

語り口

……神保町に行って、新刊書店をまわる。石牟礼道子と藤原新也の対談集『なみだふるはな』(河出書房新社)が気になった。
 石牟礼道子が東電の原発事故のことをどうおもっているのか知りたかった。
             *
 いかに正しくとも、同じ言葉をくりかえし聞いたり、見たりしていると、だんだん慣れてきて、麻痺してくる。「正常性バイアス」(という学説)の正しさを痛感している。

 放射性物質の影響は、気になるけど、なるべく気にしないようにしている(はっきりいうと、一々気にするのが面倒くさくなった)。たぶんゼロリスクを追求すれば、心労で倒れる可能性のほうが高い。
 ただし一年前よりちょっとだけ高い牛乳と卵を買うようになった。
 
 石牟礼道子と藤原新也の対談を読んで、印象に残った話がある。
 水俣にチッソの工場を作るために水力発電ができた。おかげで村にも電気が通った。裸電球に灯がともったとき、大人も子どももみんな大喜びしたという話があった。

 公害問題が発覚するまでチッソは地元の誇りだった。
 だからといって許される話ではないのだが、原発に関してもその土地の歴史ぬきに批判してはいけないと考えさせられた。

 どんなに事故(とその被害)を隠そうとしても、隠し切れない世の中になってよかったともいっていた。

 終始、石牟礼道子は静かで穏やかな語り口だった。
 言葉にまったく棘がなかった。

2012/03/07

本と酒 その三

……Theピーズの「3度目のキネマ」という曲がYouTubeにあがっていることを教えてもらい、ここ数日そればっかり聴いていた。

 ときどき自分の感情や思考と言葉がうまくつながならなくなる。
 文章を書く。現実を切り取る。不正確に切り取ると、世界がゆがみ、頭がおかしくなる。大げさにおもうかもしれないが、そういうことは一人の人間の身の上には起こりうることだ。

 そういうときはしばらく本を読むのもやめて、好きな音楽にひたる。
 Theピーズの曲は(自分にとって)特効薬になる。身につまされすぎることもあるのだが、十数年前、文章が書けなくなってしまったとき、『リハビリ中断』にはずいぶん世話になった。
            *
 一九九七年から九八年にかけて、定収入だったPR誌が月刊から隔月になり季刊になり休刊し、ほかの仕事も次々と失って、テープおこしのアルバイトでどうにか食いつないでいた。

 アパートの壁が薄く、夜中にCDを聴いていると隣の住民によく壁を蹴られた。とにかく防音のしっかりした部屋に引っ越したかった。
 夜、友人が遊びに来ると、高円寺南口のOKストアの向いの午前三時まで営業していたちびくろサンボという喫茶店によく行った。

 わたしは発表のあてがない二百枚くらいの原稿(私小説みたいなもの)を書いていたのだが、パソコンが壊れてしまった。
 修理に出したが、データはすべて消えてしまった。しばらく布団から起き上がる気力も出ないほど落ち込んだ。

 二カ月くらい文章が書けなくなった。

 あまりの虚脱ぶりを見かねた河田拓也さんが、線引き屋のホームページに「何でもいいから書いてよ」と原稿を依頼してくれた。
 それで「文壇高円寺」という連載をはじめることになった。

 当時も、私小説を読んだり、音楽を聴いたり、酒を飲んだりしながら、つながらなくなった言葉をどうにかしたいとあがいていた。

 そのころの感覚をふとおもいだした。

(……未完)

2012/03/05

本と酒 その二

……古い日記を見ていたら、パソコンを買ったのが一九九八年の一月、Theピーズのホームページを見たのは同年四月二十九日であることがわかった。

 すっかり忘れていたのだが、五月には高円寺のショーボートでペリカンオーバードライブのライブを見ている。このときは打ち上げに参加せず、ライブのあとひとりで飲んだ。

 この年の秋、学生寮の二階丸ごと借りる。
 駅から徒歩三分、四畳半三部屋と台所と風呂とトイレと物干し台が付いて七万円という破格の安さだった。ただし、当時のわたしの収入は十五万円前後だったから、借りるかどうか迷っていた。家賃は収入の三分の一以下でなければいけないとおもっていた。

 物件を見つけた友人は、「おもしろい部屋だから借りろ」と強くすすめた。さらに「家賃が上がったら、その分、仕事しようって気になるよ」ともいった。

 その言葉を信じてみることにした。

 当時は、遊んでばかりいた気もするが、落ち込んでいる時間も長かった。

 単発の仕事ばかりで定収入がない。定収入がないから生活が安定しない。体調も崩しやすい。
 自分のやっている仕事が将来につながる気がしない。

 決まった仕事がないから生活が荒むのか。生活が荒んでいるから決まった仕事が入らないのか。

 レギュラーの仕事が入ると、それなりに健康管理もするようになる。連日、酒を飲んだり徹夜したりしていたら身がもたない。

 二十代後半、本を売って酒を飲む生活が続いた。それはそれで、いい経験になった……とはあまりおもっていない。そうならないほうがいいに決まっている。
 ただし、不安定で不規則な境遇に陥ったおかげで、今まで知らなかった世界を知ることができた。

 朝まで飲める店、朝から飲める店、昼まで飲める店、昼から飲める店。

 そういう店に出入りしている人々。

 当時、高円寺に引っ越して八年目くらいで、多少はおもしろい飲み屋を知っているつもりだったが、自分の知っている世界の狭さと浅さを痛感した。

 迷惑をかけたりかけられたり、ケンカしたり仲直りしたり、そういう人間関係を二十代後半になるまでほとんど経験してこなかった。
 どちらかといえば、そういう関係は面倒くさいとおもっていた。
 そんなひまがあったら、古本屋をまわって、ひたすら本を読んでいたかった。

(……続く)

2012/03/03

本と酒 その一

……気がつけば、三月。季節の変わり目は腰痛になりやすく、ふだんより慎重に生活している。あと飲んで寝てばかりいる。

 上京して二十三年になる。わたしの学生時代、中央線沿線は貧乏学生の町だった。他の路線より風呂なしアパートが多く、銭湯も夜遅くまで営業していた。家賃はともかく、物価は安いというのが、当時の印象だった(これは今もそう)。

 高円寺には、西部古書会館があり、古本屋も多い。飲み屋も多い。
 昔も今もわたしの生活は、家賃や光熱費をのぞくと、本と酒が消費の大半を占める。

 二十歳のころはアルバイトをかけもちしながら、映画館、ライブハウス、野球場、古本屋、中古レコード屋、飲み屋に通っていた。
 二十代後半には、映画を観なくなり、ライブハウスからも足を遠のいていた。

 一九九七年にTheピーズが『リハビリ中断』というアルバムを出した後、活動停止した。もともとアルバムをコンスタントに出すバンドではなかったが、どんどん表現が深化していた時期だったから残念でならなかった。

 それからしばらくしてパソコンを買った。でもインターネットには接続していなかった。
 あるときおもいたってダイヤルQ2のインターネットのプロバイダに登録した(一九九八年の春くらいだとおもう)。最初に検索した言葉が「Theピーズ」である。
 すると、活動停止する前のライブを記録したホームページが目に飛び込んできた。

 ホームページを作っていたSさんは会社をやめて、Theピーズの追っかけをやっていた。
 Sさんに連絡をとると、高円寺に知り合いがいるから、いっしょに飲もうという話になった。
 その知り合いが、ペリカンオーバードライブ(元ポテトチップス他)のギターの小島史郎さんだった。会うなり四軒くらいハシゴして、小島さんの家に行って、昼すぎまでレコードを聴いたり、音楽のビデオを観たりした。

 その後、高円寺界隈のミュージシャンとガード下の居酒屋や公園で飲むようになった。
 ペリカンオーバドライブの増岡さん、800ランプ(その前は青ジャージ)のオグラさんや原さんと知り合った。その前に、ペリカンのライブを観に行って打ち上げにまざったときに、いっしょに飲んでいたかもしれない。

 あまりにも飲んでばかりいたから、このころの記憶はあちこち抜けている。

(……続く)

2012/02/27

コクテイルのトークショー

……二十六日(日)、古本酒場コクテイルの二階で岡崎武志さんとトークショーは無事終了。

 前の日、心配でよく眠れなかったのだが、当日、ルノアールで打ち合わせしているうちに緊張がほぐれた。
 酒を飲んでいないのにいつもよりたくさん喋った。内容があったかどうかは自信がない。
 フリーライターになる前の話(高校時代の級友のお兄さんがプロの漫画家と知って刺激を受けたこと)は話しているうちに、どんどん記憶が甦ってきた。その友人の家の様子やいっしょにホラービデオを観たことなども思い出した。

 岡崎さんは(自分たちの時代は)情報が乏しくて、事前に仕事の厳しさをあまり知らなかったことが幸いしたのではないかというようなことを語っていた。これはほんとうに同感である。
「やってみなければわからない」というのは無責任かもしれないが、どんな仕事にもそういう部分がある。

 当時、役に立ったアドバイス(怒られたこと)は次の三つ。

・寝癖をなおせ
・破れた服を着るな
・眼鏡を拭け

 あと自分の経験では、自信のない仕事を「できない」といって断るより、「できる」といって失敗したほうが、得るものが多かったとおもう。
 「できない」といって断ったら、二度と依頼されない。まだ失敗した場合のほうが、再挑戦の機会をもらえる可能性が高い。

 とはいえ、何でもかんでも「できる」といえばいいわけではない。
 その匙かげんは、それなりに失敗して痛いおもいをしないとなかなかわからない。

2012/02/23

郡山にて

……おとのわ終了後、打ち上げに顔を出す。それから近くで飲んでいた古本酒場コクテイルの常連のS君と合流し、この日もつるまきに宿泊する。

 翌日、S君と火星の庭に寄る。このあとレンタカーで宮城の沿岸部をまわるというS君と別かれて、わたしは郡山に行く。

 郡山は三年八ヶ月ぶり。町の雰囲気はあまり変わっていない気がした。
 駅ちかくのビジネスホテルに荷物を置いて(部屋番号は「311」。おとのわに出演していた小野一穂さんが二日前に泊った部屋と同じかも)、ひさしぶりにてんとうふの本店に行く。ダンボール一箱分くらい古本を買う。

 郡山の町をぶらぶら歩いていると、そこにいると何の問題もないような気がしてくる。
 地元のテレビを見ていたら、「復興」「風評被害に負けるな」というフレーズを何度も聞いた。その頻度は東京の比ではない。

 今の心境を述べれば、原発事故の影響を「たいしたことない」とおもいたくなってきている。
 たぶん安全バイアスの一種だろう。
 仕事がたてこんでくると、世の中のことに気が回らなくなる。揉め事を避けたいおもいから、あたりさわりのないことしかいわなくなる。
 小心と保身をなんとかしないと、どんどんつまらない人間になる。
(この件については、時間ができたら、もうすこし掘り下げてみたい)

 夜はTHE LAST WALTZという店で東京ローカル・ホンクのワンマン。店に入ったとたん、いい音でザ・バンドの曲がかかっている。
 前日のおとのわの打ち上げでも同じテーブルだったテリーさんとホンクのライブを見る。
 『さよならカーゴカルト』収録の複雑な構成の曲をきっちりした演奏するかとおもえば、変幻自在というか遊びもあって、毎回おもうことだが、すごいものを見ているな、と。

 店の雰囲気もよくて、料理もうまくて、ライブがない日にも飲みに行きたいとおもった。

2012/02/22

おとのわ

……土曜日の夜、仙台に行ってきた。一目散に壱弐参(いろは)横丁の鉄塔文庫に向う。南陀楼綾繁さんやわめぞメンバーがすでに飲んでいて、仙台にいる気がまったくしない。
 一杯目だけハイボールで、あとは日本酒(乾坤一)。仙台に来ると飲んでばっかりであっという間に時間がすぎる。一日の半分くらい酔っぱらっているかんじだ。

 この日はごはん屋つるまきに宿泊する。
 昼に起きたら南陀楼さんも家主の若生さんもいなかった。
 歩いて“おとのわ”の会場のRensaに向う。
 出演者は、ICHI、レイチェル・ダッド、テニスコーツ、yumbo、小野一穂、タテタカコ、東京ローカル・ホンク、曽我部恵一、友部正人。

 六時間以上の長丁場にもかかわらず、終始リラックスして楽しく聴けた。テニスコーツとyumbo、友部さんとホンクの共演もあって、ファンにはたまらないステージだ。
 今回のイベントの収益の半分は「せんだいコミュニティカフェ準備室」の設立資金、もう半分は母子週末保養プロジェクト「ちいさなたび Japan」(http://chiitabi.com/)に寄付されることになっている。

 原発事故の汚染が深刻な場所にいても、様々な事情のために避難移住できない母子のために汚染程度の低い宮城県内で合宿しながら、心身の保養を助けるというのが、このプロジェクトの目的である。

 専門家であっても危険か安全か意見が分かれている。その地域その地域の深刻さの度合もわからない。
 火星の庭の前野さんから「ちいさなたび Japan」の趣旨を聞いたとき、(おそらく)潤沢とはいえない予算や人員で実行できることなのかと半信半疑だった。
 でもどんな形であっても、心配を分かち合ったり、情報交換したりする場を作ることは必要だとおもっている。

 今、自分が考えていることもつらつら書いてみたのだが、うまくまとまらない。
 睡魔が、、、
 
(……続く)

2012/02/14

おせっかい主義

《現代文明が騒々しいというのは、一つには我々の方で自分自身と向き合って時間を過すことが稀になり、それが習い性になって、偶にそういう時間が出来ると、何とでもしてこれを避けたがる癖が附いたからだということもある》(「ここ」/吉田健一著『甘酸っぱい味』ちくま学芸文庫)

『甘酸っぱい味』の元本は一九五七年に新潮社から出ている。甘いことも辛いことも混ぜて書くつもりで「甘辛」という題を考えていたが、「甘酸っぱい味」に変えた。
 吉田健一のエッセイ集の中でも、一、二のおもしろさなのだが、いかんせん、『甘酸っぱい味』という題は伝わりにくい。わたしも読む前は料理エッセイかなとおもっていた。

 この何年か、一九五五年から一九六五年にかけての評論家のエッセイをよく読む。
 だいたい戦後十年から二十年目くらい、評論家がまだ「文士」といわれていた時代である。
 彼らは世の中を頭で分析するのではなく、からだを通した言葉で世界と向き合っていた。

(……以下、『閑な読書人』晶文社所収)

2012/02/11

三十五歳を過ぎてから

《三十五歳を過ぎてから、私は深い関心を持てぬ事柄を、努力して理解し吸収しようと試みることは一切やらぬことにした。結局、そういう努力は無駄骨で、頭の中に知識として残ったとしても、細胞の中を素通りしてどんどん躯の外へ出てしまうことが分かったからである。短い人生である。あまり無駄なことをしている暇はない》(「些細なこと」/吉行淳之介著『なんのせいか』大光社)

 あるとき、吉行淳之介はコミュニストの旧友に「君はもっと世界における日本の位置というようなことに考えをめぐらさなければ、文学者としてダメである」とエドガー・スノーと何人かの著作をすすめられる。
 でも読まなかった。
 その理由を述べたのが上記の文章である。

(……以下、『閑な読書人』晶文社所収)

2012/02/08

第4回古本フェス

第4回古本フェス@トリペル 〜本読んでたら、四季ひとめぐり〜

日時:2月17日(金)〜26日(日)、12時〜20時、会期中無休
場所:マンガ・古本カフェ・トリペル
〒602−0019 京都市上京区下木下町183−6

出店者(敬称略)

第1部 17日(金)〜21日(火)
古本徘徊堂  福岡・中央区は大名の古本屋さん、人文系から雑誌まで、幅広く漏らさず楽しめるる品揃え。ときめく古本に出逢えるお店です。

古書城田 福岡は北九州・小倉の古本屋さん。ベテランの眼力が光ります。

本の会  京都の、本好き5人組。本のイベントなども今後目論んでおられるそう。古本5重奏。

M堂   大阪の古本通といえば、この方。日本文学を中心に。

風博士  マイホームツアーを終え、ついに定住へ!?古本好きミュージシャンといえば、この方。

本の森  大阪より、フリー編集者、古本研究家の高橋輝次さん。新刊書『ぼくの古本探検記』は、さすがの濃ゆさ。

はなめがね本舗  オトメごころをくすぐるオンライン古本屋。町家古本はんのきでも、お馴染みです。


第2部 22日(水)〜26日(日)
駒鳥文庫  大阪・天満橋の映画関連書専門の古本屋さん。映画好きは、とりあえず全員集合。

London Books  京都・嵐山の古本屋さん。幅広いジャンルの古本を、素敵なお店で展開中。

Libretto(リブレット)  古本が大好きなお母さん。息子さんを連れて、本のあるとこ、どこまでも。

古書柳  昨年は、長岡天神の一箱古本市にも出店。日本文学を中心に。

Books Subbacultcha(ぶっくす・さばかるちゃ)  大学卒業間際の出店。ちょっとひねった古本やCDを。2月14日に、長岡京でブックイベントも開催。

文壇高円寺古書部  東京よりフリーライターの荻原魚雷さん。読書に裏付けられたセレクト。

 近隣には、町家古本はんのき、KARAIMOBOOKSさん、獺祭書房さん、萩書房さん、澤田書店さんなど古本屋さんがあります。こちらもあわせてどうぞ。

・古本フェス開催中、店内での飲食はできません。ご了承ください。
・専用駐車場はございません。公共交通機関、もしくは近隣のパーキング等ご利用ください。
・書籍のお取り置きは、引き受けいたしかねます。ご了承ください。

※詳細、お問い合わせは「獅子の歯 古書ダンデライオン雑記」を参照。
http://oldbookdandelion.blog108.fc2.com/

2012/02/03

告知

……今月二十六日に岡崎武志さんと高円寺の古本酒場コクテイルでトークショーをします。

 はじめて岡崎さんと会ったのは、二十代半ばごろ、高円寺のカウンターだけの小さな飲み屋で知り合いました。その後、古書会館や中央線界隈の古本屋でしょっちゅう遭遇するようになり、三十歳のときに、書物同人誌『sumus』にさそってもらい、わたしは文学や古本に関するエッセイを書くようになりました。

 つまり、飲み屋と古本が縁で今に至っているわけです。
 詳しい話は当日に。

 以下、告知文——。

「岡崎武志と荻原魚雷の文章を書いて生きていく方法」

 ライターデビューがほぼ同時というお二人が、そのデビューから今までの、物書きとして生きていくための方法を伝授します。
 大正時代に建てられた古民家のお座敷で、ゆったりとした時間の中、じっくりとお二人の話を聞くと、今までとは違う道が見つかるかもしれません。
 トークショー終了後には懇親会もあります、ご質問などありましたら、この機会にぜひどうぞ。

 場所 コクテイル書房 二階座敷 高円寺北3-8-13 03-3310-8130 

 2月26日 四時からトークショー開始(一時間半程度) その後に懇親会があります。

 チャージ トークショーのみ1500円 懇親会 お酒を飲まれる方1000円(おつまみとお酒付) 飲まれない方500円

※予約をお願いします。03-3310-8130 まで電話もしくはファックスで または、cocktailbooks@live.jp(@は半角)

2012/02/01

痕跡本

……久しぶりに中野に行く。中野ブロードウェイのまんだらけの記憶と古書うつつに寄って、キクマツヤでシャツを買う。薬局で常備薬を買い込む。
 中野は北口が工事中で、駅の券売機の位置が変わっている。

 愛知県犬山市の五っ葉文庫の古沢和宏著『痕跡本のすすめ』(太田出版)を読了。こんなに手のこんだ遊び心のつまった本だとはおもわなかった。カラー写真も豊富で印刷も凝っているのに、定価一三〇〇円(税別)。
 書き込みやアンダーラインだけではなく、本の傷や破れや汚れまで愛でる寛大さにはおそれいるばかりだ。数年後、古本屋で「痕跡本」のコーナーができてもおかしくない。
 東海圏のテレビやラジオの関係者は一刻も早く彼の才能に気づいたほうがいい。話術(饒舌すぎるけど)もすごいし、スター性もあるとおもいますよ。

「アホアホ本」の中嶋大介さんもそうだけど、従来の価値観を変えるような、ひとつのジャンルを作るのは素晴らしい偉業ですよ。
 誰かふたりの対談を企画しないかなあ。わたしは聞いてみたい。

2012/01/30

馬ごみの話

 阿佐田哲也著『無芸大食大睡眠』(集英社文庫)を再読した。

「書き初めに一言」というエッセイでは、正月に遊びほうけて自己嫌悪に陥り、「疲れた」「隠居したい」といった愚痴をえんえんとこぼしているのだが、それから急に話が変わって、阿佐田哲也が人から聞いてもっとも印象に残った言葉を伝える。

《長く生き残っていくというのはむずかしいですねえ。あんまりリードしすぎて、ぶっ千切って先頭に立ってはいけないですよ。他の皆の目標になりますから。皆、誰だって能力自体はそれほど差はないんですから、目標にされたら損です。潰れる可能性大ですね》

 ある日、阿佐田哲也の家にふらっと現われた三十代の無職渡世の青年の言葉だそうである。
 この話には続きがある。

(……以下、『閑な読書人』晶文社所収)

2012/01/29

意地で維持

……寒くて飲んで睡眠時間がぐだぐだになって、起きるのが夕方もしくは夜になってしまう日が続いている。

 働くときは働き、遊ぶときは遊び、怠けるときは怠ける。
 自分がそうやって生きている以上、世の中にも働く人、遊ぶ人、怠ける人がいて、なんとなくバランスがとれるのである。もっとも同意してくれるのは遊んでいる人と怠けている人だけだという現実も深く受け止めねばなるまい。

 昨日はぶりかまを焼いて、わざと雑に身を残して食い、それで粗汁を作って食った後、味噌を入れ、冷蔵庫の残りものの野菜をぶちこんで味噌煮込みうどんを作ったら、今世紀最高といっていいくらいの出来映えになったのだが、同じ味を再現する自信はない。

 今陽子とピンキーとキラーズ「東高円寺」経由で作曲家のすぎもとまさと(杉本眞人)のライブ動画を見て、不明を恥じた。ちあきなおみの「紅い花」を歌っているのだが、味がありすぎる。
                *
 世の中には、一見、マジメそうなのに、人並のことができず、協調性があまりなく、やや常識に欠ける(かといって非常識でもない)人というのが一定数いる。

 自分のことを厳重に梱包していわせてもらうと、倉敷の蟲文庫さんの印象がそうだった。
 田中美穂著『わたしの小さな古本屋』(洋泉社)を読んでいると、蟲文庫さんの「おかしさ」が随所に出てくる。

《イソギンチャックなど、海辺の潮だまりに貼り付いて暮らす生き物の生活形態を「固着生活」と呼ぶそうですが、帳場でじっとしてほとんど動かない自分の様子とどこか通じると思います》

 二年ほど続けたアルバイトをやめると告げたその日に「古本屋になろう」とおもい、その帰り道に古本屋に寄って、『街の古本屋入門』を購入し、店舗探しに不動産屋をまわる。

 後年、そのころをふりかえって、「『無謀』という言葉をつくづく噛みしめました」と綴る。

 これからお店をはじめようとおもっている人におすすめできるやり方かどうかはさておき、どうはじめるかよりも、どう続けるかのほうがはるかに大切なことなのだな、と……そんなふうに読みました。

《「意地で維持」これは蟲文庫のテーマです》

 わたしもそれしかないとおもっています

2012/01/23

自我と他我 その五

……息ぬきのため町に出て、深夜営業のレストランに入る。
 そして鮎川信夫は物思いにふける。

《主要なテーマはいつもきまっている——「おれは自分の人生の大部分を、なにかしたくないことのために奪い取られているのではないか?」》(「ときどき素顔に返れ」/『一人のオフィス 単独者の思想』思潮社)

 このコラムを書いていた当時、鮎川信夫は四十代半ばである。

 鮎川信夫は新宿が好きだった。
 お酒は飲まなかった。
 店ではコーヒーかオレンジジュースを頼む。昔、鮎川信夫が来ていたという飲み屋の店主から、よくコーラ飲んでいたという話を聞いたことがある。

 誰もが他人である町で解放感を味わっているうちに「徐々に私の内部には、町の人が、一つの性格として育っていったようである」といい、さらに「一つの性格」はしだいに年相応に老け、「知的で、軽薄で、分別臭い、哲学者じみたものになっている」と述懐する。

《私の仕事は、一種の座業だから、家に引っ込んでいることが多い。しかし、屋内に長く閉じこもっていると、どういうものか、意欲がだんだん鈍ってくる。働けば働くほど自己の独立性が奪われていき、大きな組織のなかに、がっちり組み込まれていくという、勤労者ならだれでも知っている、あの感じに近いものが襲ってくる。それが私をして、時間外の時間を夜の町に求めさせる現在の理由であるのだろう》(同上)

 ときには「自分の感覚の世界」に閉じこもり、ときには「夜の町」をさまよう。

「無数の他我」の中に「町の人」がいる。「単独者」といわれた鮎川信夫は、この感覚を大事にしていたのではないか。

 文章を書くとき、自分なりに読者を想定する。
 自分の言葉が通じやすい人だけを意識して書くとそうでない人にはわかりにくいものになる。鮎川信夫は、詩ではなく、時評を書くさい、お互いのことをそれほど深く知らない「町の人」を意識していたのかもしれない。

「町の人」の考えは、バラバラである。あることについて、賛成の人もいれば、反対の人もいれば、無関心の人もいる。そんな「無数の他我」を「一つの性格」に育てる。

……続きは、またいずれ。

2012/01/21

自我と他我 その四

……鮎川信夫を読み解くキーワードは「単独者」であると書いた。
 もうひとつのキーワードが「均衡の感覚」である。

 政治も経済も「均衡の感覚」が失われるところから歪みが生じる。

《われわれとしては、国際政治の世界で、均衡の感覚を保持して進みうるならば、それでよしとしなければならないだろう》(『一人のオフィス 単独者の思想』思潮社)

「正しい均衡の感覚」を有しているかどうか。それが鮎川信夫の判断基準だった。

《だが、「正しい均衡」といっても、自称であって、立場が異なれば一種の偏奇と映るかもしれない、ということは私もよく承知している。同じ一つの事件を解釈するにも、右の立場と左の立場ではまるで違った見方をするし、保守主義者と進歩主義者では結論がぜんぜん違ってくる》(同上)

 自己の政治信条を他人に押しつけず、一個人としての権限と責任において発言し、その分を守る。いっぽう独裁政治と全体主義にたいして強い警戒心があった。
 戦前戦中と比べれば、今は言論の自由がある。それでも時代時代に情報の歪み、タブーは存在する。

《本当に怖いのは、そういう当事者の政策ではなくて、それによって言論に携わる者が、自己検閲をして、本当に言いたいことを言わなくなってしまうことだと思います》(「詩と時代」/『すこぶる愉快な絶望』思潮社)

 商業誌(紙)の世界では、こうした自己検閲は当たり前のように行われているといっていい。自己検閲は「業務に支障をきたす」とか「面倒くさい」といった理由で行われることもある。
 かつては投書の形だった抗議が、今ではメールやツイッター等でダイレクトに届く。その結果、以前とは比べものにならないくらい無数の他我の力は強くなっている。

 だからこそ、自己を貫徹するためには軸になる正しい均衡の感覚を身につける必要がある。

(……続く)

2012/01/20

自我と他我 その三

……自己を貫徹する力は、信仰心と似ている。狂信者ほど自己を貫徹する力は強い。信じるものがないと弱くなる。
 十代二十代のころに影響を受けたものを信じ続ける。ここ数年、わたしはそういう気持が弱ってきている。いろいろな本を読み、いろいろな考えを知り、「無数の他我」が根づくにつれ、何が何でも自己を貫徹させたいという欲求が薄まっているのかもしれない。

《しかし、自己言及だから純文学がつまらないのでは、多分あるまい。(中略)文学者の自己言及がつまらないとすれば、そこに語るに値するような自己がないというだけのことである》(「文学停滞の底流」/『私の同時代』文藝春秋)

 鮎川信夫は職業としての文学者の地位が下がり、文学の教養が現在の価値観から疎外されつつあり、文学も単なる消費物になり下がっていることが「文学停滞」につながっていると指摘する。

《神(絶対者)のいない世界で、相対主義に安住しているのが、現代人である。言葉など信じず、オーウェルのいう二重思考にも馴れているから、嘘を真実のように言いくるめるのは造作もない》(同上)

 神(絶対者)のいない世界だから、文学は停滞している、という単純な話ではない。しかし「現代人は相対主義に安住している」というのは、重要な指摘だろう。

 わたしも現代人のひとりであるからして、絶対の正しさを信じることができずにいる。この鮎川信夫の意見についても「絶対に正しい」という立場で書くことができない。
 文学であれ、思想であれ、自分の軸になる「絶対者」を持つことができたら、自己を貫徹しやすくなる。ただし、狂信者になれば、「無数の他我」が敵対者になりかねない。

 相対主義に陥らず、「無数の他我」を統御することは、鮎川信夫にとっても容易ではなかった。しかしその困難を決して避けようとはしなかった。

 おそらく文学の使命を信じていたからだ。
 そして語るに値する自己の持ち主でもあった。

(……続く)

2012/01/19

自我と他我 その二

……書くことは自己惑溺のモノローグではなく、他我とのダイアローグである。

 その他我の設定は人によってちがう。自説に賛同してくれる他者もいれば、相反する意見を持つ他者もいる。文意がまったく通じない他者もいるし、そもそもはじめから読む気がない他者もいる。

 鮎川信夫は「詩を十年やめる」と宣言したことがある。詩をやめてみて、自分はかなり異様な人間だったことに気づく。
 そして「他人がわかってくれなくても、どうでもいい、と思いつづけていたということになる。いつも一人になりたがっていたと言い換えてもいい」(「〈私〉性とは何か」/『疑似現実の神話はがし』思潮社)と述べる。

 ここまで極端ではないけど、わたし自身、他人にわかってもらいたいけど、わかってもらうために、自分の考えを変えたくないとおもっている。しかしその困難にぶつかるたびに、閉じこもりたくなる。

《言葉というのは本当に難しい。どんなに言葉の技の利をつくし、贅をつくして表現しても、わからない人にはわからないし、かなりチャランポランに喋った言葉でも、そこから重要なヒントを掴んでくれる人もいる》(「〈私性〉とは何か」)

 鮎川信夫は「他我とは、無数の読者の影である」という。無数の読者は、さまざまな考えの持ち主であり、すべての人を納得させることは、不可能といってもいい。逆にあまりにも他我を意識しすぎると、くどくなりすぎたり、不鮮明になったりする。

 そのさじ加減やバランスをどうするか。

 他我にたいして鈍感にならずに、自己を貫徹させる強さを持つこと。

《文学者の世界は表現の世界なのだから、その単独者が自分をこの社会のなかでどう生かしていったか、どういう戦略、思想、美学で人生と相渉り闘ったかがわかれば誰にとっても参考になる、と思う。ジョイスでもプルーストでもすぐれた文学者を見ていけば本当に自分の、自分のためのものが確実に得られるだろう》(「反核運動の真贋を問う」/『疑似現実の神話はがし』思潮社)

「単独者」という言葉は、鮎川信夫を読み解くための重要なキーワードである。
 でもわたしはいまだにその意味を理解しているとはいえない。

(……続く)

2012/01/17

自我と他我 その一

《詩人の取柄は、自己の感性の世界を固守するところ以外にはない。だから、徹底的に自己の世界に閉じこもれ》(「日時計篇」からの展望」/鮎川信夫著『吉本隆明論』思潮社)

 わたしは詩を書かないし、昔と比べると読む時間も減った。それでも「自己の感性の世界を固守する」という言葉について考えてみたくなった。
 自己の世界に閉じこもって安住すると緊張感を失いやすい。固守する自己が薄っぺらければ、表現も薄っぺらいものにしかならないことはいうまでもない。

「自己の感性の世界を固守する」ということには、そうしたあやうさと紙一重である。
 それに鮎川信夫のいう詩人の取柄は「自己満足」「自己完結」と否定されてしまう風潮がある。しかしどんなに否定しても、否定しきれないものが残る。

 三十代になって、わたしがアメリカのコラムに熱中するようになったのは鮎川信夫の次のアンディ・ルーニー評がきっかけだった。

《個人主義の発達した米国では各人が自己のなかにモデルをさがし求める傾向が強い。ルーニーは、そうした米国人一般の欲求にこたえるのに、うってつけのユニークな個性の持ち主であり、かつ自己の売り込み方を心得ている。というより、正直に自己を語れば、ユニークでない人なんていないのだから、誰にでも興味を持たれるはずだということを、よく承知しているのである》(『人生と(上手に)つきあう法』/鮎川信夫著『最後のコラム』文藝春秋)

 正直に自己を語ることはむずかしい。自己を語ろうとすると、(自慢にせよ、卑下にせよ)どうしても装飾をほどこしてしまう。
「自己の感性の世界」を磨り減らしてしまうと、自己を語っているつもりが、他人に受け入れられやすい意見を述べているだけということにもなりかねない。

《考えて物を書くのは、ひどく孤独な作業である。自己惑溺のモノローグに似ている。が、内実はモノローグとは似て非なるものだ。書くという行為のなかで、自己はたえず分裂しつづけ、数かぎりなく他我を生み出す。その他我とのダイアローグを通じてしか、筆者の作業は進行しない。無数の他我を統御して、自己を貫徹させるのは容易ではなく、書くことは遅々として進まなくなる》(「裁判を読む」/鮎川信夫著『私の同時代』文藝春秋)

 では、他我とは何か。

(……続く)

2012/01/13

ハイチのこと

……昨日(十二日)の夕刊に「ハイチ大地震から二年」という記事があった。

 すっかり忘れていた。おぼえてなかったといってもいい。
 二年前の大地震で人口約一千万人のハイチで約三十万人が亡くなっている。今でも仮設住宅ではなく、仮設テントで暮らしている人が約五十五万人いる(ピーク時はその三倍だったらしい)。地震後、五十万人以上の人がコレラに感染したという。

 日本の社会は恵まれているなあとおもう。恵まれているからこそ、いろいろなことを心配する余裕がある。
 比べるのもヘンだが、自分の関心は「東日本大震災>ハイチ大震災」ということになる。さらにいうと、「自分の生活>東日本大震災」でもある。
 たいていのニュースは知らなければ知らないままだし、知ったとしてもすぐ忘れてしまう。

 あらためて自分の関心と無関心の境界はどのへんにあるのだろうということを考えた。

 知らず知らずのうちに、世界のキリのなさにたいして、自分なりに線を引いている。本屋に行っても、自分の興味のない棚の前は素通りし、背表紙すら見なくなる。
 分別というか、処世の知恵のようなものでもあるけど、そればっかりだと、際限のない現実に抗っていく力や好奇心が衰えていく気がする。

2012/01/07

新・外市

……今日から「第1回 鬼子母神通り 外市 〜街かどの古本縁日」が開催されます。

 古書往来座の軒先で開催していた外市がリニューアル復活! みちくさ市でもおなじみ、キク薬局ガレージ周辺で開催します。古本約一万冊。みちくさ市形式のみちくさブースコーナーもあります。商店街にフラリとあらわれる、敷居の低い古本市です。お気軽にご来場ください。「外、行く?」。

■日時
2012年1月7日(土)〜8日(日)
11:00〜16:00

■場所
鬼子母神通り キク薬局周辺
東京メトロ副都心線・雑司が谷駅 徒歩4分
都電荒川線・鬼子母神前停留所 徒歩3分

http://d.hatena.ne.jp/wamezo/20120108

2012/01/05

年末年始

……大晦日から三日まで静岡ですごす。妻の親族が集まり、いつもにぎやかだ。はじめて会ったときに小学生だったいとこも大学生になっている。

 静岡では、食って寝て、飲んで寝て、ひたすらぐうたらした。
 静岡おでん、とろろ汁、いかめし、大好物ばかり。雑煮や味噌汁にもふりかけやだし粉や青のりをかける。最初はおどろいたが、やってみるとけっこううまい。
 郷里の三重と気候風土が似ているとおもう。

 静岡では「東静岡を『副都心』に」と再開発が進んでいて、東静岡駅を「日本平駅」に改称するという動きもある。
 正月の静岡新聞でそのことを知った。
                 *
 今年は情報とすこし距離をとって、思索の時間を増やしたい。十年くらい前から同じようなことをいっている気がする。

 年末年始、ぐうたらしながらおもったのは、大切なことは何度でもくりかえし伝えたほうがいいことだ。
 昔の本の中にも今、必要なことがたくさん書いてある。そんなに昔ではなく、近過去でも忘れられていることはたくさんある。

 静岡に滞在中、橋本治の『貧乏は正しい!』(小学館文庫)を三巻まで再読した。
 二十年くらい前に『ヤングサンデー』で連載していた時評なのだが、固有名詞を変えれば、そのまま今でも通じるようなことばかりである。

 二巻の『貧乏は正しい! ぼくらの最終戦争』の「阪神大震災篇」の「『忘れない』ということ」は、今こそ多くの人に読んでほしい。

《“努力をする”ということだって大変なことだ。そして、人間がなんで“ムチャな努力”なんかが出来るのかと言えば、そこに“希望”を感じるからだ。その“希望”が感じられなくなった時、人は疲れ果てて絶望する》

《人間は、時間の中で、“慣れる”ということを獲得してしまう。「もうそんな必要はない」と頭では思っていても、体の方は獲得してしまった習慣の中からなかなか抜け出せない。つらい日の中で格闘する夢を見てうなされたりするのは、そんな時だ。人間は、押しつけられてしまった“むごい記憶”を、なかなか振り払うことが出来ない》

《大震災にあった人達に必要なのは、「忘れる」ということだ。それが出来てはじめて“復活”は可能になる。でも、大震災にあわなかった人間達のすることは違う。大震災にあわなかった人間達のすることは、それを「忘れない」ということだ》

《忘れてはならないことはただ一つ、「その不幸は、誰に対しても突然ふりかかってくる不幸」なのだ。“痛みを共有する”ということは、その悲劇を“特殊な悲劇”だと思わないことだ。不幸は誰にだってくる。そう思わなかったら、「自分だけなぜ?」と思って泣く人達が救われないじゃないか》

 無理矢理でも“希望”を持ちたい。
 その“希望”を言葉にしていきたい。

 今年の抱負はそんなところです。