2012/01/23

自我と他我 その五

……息ぬきのため町に出て、深夜営業のレストランに入る。
 そして鮎川信夫は物思いにふける。

《主要なテーマはいつもきまっている——「おれは自分の人生の大部分を、なにかしたくないことのために奪い取られているのではないか?」》(「ときどき素顔に返れ」/『一人のオフィス 単独者の思想』思潮社)

 このコラムを書いていた当時、鮎川信夫は四十代半ばである。

 鮎川信夫は新宿が好きだった。
 お酒は飲まなかった。
 店ではコーヒーかオレンジジュースを頼む。昔、鮎川信夫が来ていたという飲み屋の店主から、よくコーラ飲んでいたという話を聞いたことがある。

 誰もが他人である町で解放感を味わっているうちに「徐々に私の内部には、町の人が、一つの性格として育っていったようである」といい、さらに「一つの性格」はしだいに年相応に老け、「知的で、軽薄で、分別臭い、哲学者じみたものになっている」と述懐する。

《私の仕事は、一種の座業だから、家に引っ込んでいることが多い。しかし、屋内に長く閉じこもっていると、どういうものか、意欲がだんだん鈍ってくる。働けば働くほど自己の独立性が奪われていき、大きな組織のなかに、がっちり組み込まれていくという、勤労者ならだれでも知っている、あの感じに近いものが襲ってくる。それが私をして、時間外の時間を夜の町に求めさせる現在の理由であるのだろう》(同上)

 ときには「自分の感覚の世界」に閉じこもり、ときには「夜の町」をさまよう。

「無数の他我」の中に「町の人」がいる。「単独者」といわれた鮎川信夫は、この感覚を大事にしていたのではないか。

 文章を書くとき、自分なりに読者を想定する。
 自分の言葉が通じやすい人だけを意識して書くとそうでない人にはわかりにくいものになる。鮎川信夫は、詩ではなく、時評を書くさい、お互いのことをそれほど深く知らない「町の人」を意識していたのかもしれない。

「町の人」の考えは、バラバラである。あることについて、賛成の人もいれば、反対の人もいれば、無関心の人もいる。そんな「無数の他我」を「一つの性格」に育てる。

……続きは、またいずれ。