2017/06/23

家庭の自助

 わたしがちょっと気にいらないことをいう。母はたいてい聞こえないフリをして、すこし間をあけて、わたしの記憶にない幼少期の話とか母自身の子ども時代の苦労話とか父の失業中の話とか、こちらの反論しようにも反論できないことに怒りはじめる。

 母が聞こえないふりをしたら即座にその場を離れる——他の選択肢はない。
 小学校の四、五年生になると、母が怒り出すときのパターンがおぼろげにわかってきて、五回に一回くらいは回避できるようになった。

 ところが、自分も母と同じような攻撃をやろうとおもえばできてしまうのである。負の連鎖は根深いですよ。ほんとうにいやなのだが、油断すると親譲りのヘンなスイッチが入りそうになる。
 スイッチが入りそうになると、何でもいいから、なるべく楽しいこと、好きな本や漫画や音楽のことを考える。
 瞑想やスポーツ心理学からその技術を学んだ。不安や怒りの感情は、自分が作りだす。作り出せるのであれば、それを切り離すこともできる。コントロールすることもできる。
 どうすれば、穏やかな人間になれるのか。

 先月、帰省したときにひさしぶりに「母地雷」を踏んでしまった。
 聞こえないふりからの意味不明かつ理不尽な口撃をくらい、心身ともに消耗した。もう諦めている。

2017/06/22

新刊の告知

 来月、発売予定の『日常学事始』(本の雑誌社)がようやく一段落した。いつも「朝寝昼起」の生活なのだが、ここ数日は「昼寝夜起」になっていた。「日常」に戻るにはもうすこし時間がかかりそう。
 三年前に刊行された岡崎武志著『貧乏は幸せのはじまり』(ちくま文庫)の巻末の「貧乏対談」で洗濯ネットのことを喋った。それを読んだ編集の宮里潤さんが企画した本でもあります。なぜか洗濯ネットにサインを書いた。

 二十八年前に三重から上京して、右も左もわからなかったころ、自分が切実に知りたかったこと、気づかなかったことをおもいだしながら書いた。「日常学」という言葉は、アンディ・ルーニーの『日常学のすすめ』(井上一馬訳、晶文社、一九八四年刊)からとった……という話は「あとがき」に書いた。わたしは一九八〇年代のアメリカのコラムニストのライフスタイルコラムが好きで、これまでもちょこちょこ生活に関する雑文を発表してきたのだけど、一冊丸ごと、生活ネタの本は初の試みだ。ちなみに、『日常学のすすめ』は、ニューヨークタイムズのベストセラーランキングで十週連続ナンバー1を記録している。あやかりたい。

 本の完成前は期待と不安がせめぎ合う。これまでは不安のほうが大きかった。『日常学事始』は期待……とはちょっとちがうのだが、今までにない手応えみたいなものを感じている。表紙も素晴らしいですよ。感涙。

 同じころ、岡崎武志さんも新刊『人生散歩術(仮題)』(芸術新聞社)も出ます。東京堂書店でトークショーもする予定です。詳しくはまた。

2017/06/20

田舎の話

 わたしの父は鹿児島と熊本の県境にちかい町に育った(生まれは台湾)。父の鹿児島の郷里は一九八〇年代には過疎化が進んでいた。交通の便がわるいところだったということもあるが、人口減少の理由はそれだけではないだろう。
 長男至上主義や男尊女卑、年功序列、不条理なローカルルール——昔ながらの田舎の面倒くさいところが詰まった地域というのは、若い人はどんどん逃げていく。逃げたら、戻ってこない。戻ったら、ひどい目に遭うのがわかっているからだ。とくに女性は。

 インターネットの生活板には「嫁いびり」の話がよく出てくる。
 女性は家でこきつかわれ、食事は別、残り物を食べさせられる。風呂は最後。日常会話の基本は罵声と罵倒で反論は許さない。パワハラとモラハラが横行している。こんなところ一秒もいたくないとおもってしまうような土地(家)は、今でも残っている(そのうち滅びるだろうが)。
 戦後民主主義やリベラルの恩恵はそこにはない。

 わたしは単純に「リベラル=善」とは考えていないが、リベラルの概念がまったく根づいていない土地のしんどさを見聞きすると「人権や平等や自由という価値観は大切だなあ」とおもう。
 いっぽうローカルルールを盾に何もしなくても威張りちらすことができた文化を懐かしむ人もいる。「伝統を守れ」というときの「伝統」には、不条理なローカルルールやハラスメント文化も含まれているのかどうか。含まれているのなら、勘弁してほしい。無理っす。

 自由や平等の概念のない「伝統」が残る土地を変えるのはむずかしい。たぶん、逃げるしかない。

夢の話

 木曜日、今年初の神宮球場。外野自由席でヤクルト対楽天戦を観る。はじめてセブンイレブンのコピー機(?)でチケット買った。
楽天の先発は則本投手——二ケタ三振の世界記録のかかっていた試合だった。なぜかヤクルト6−2楽天で勝利。原樹理プロ初完投。プロ初完投の試合を観たのは、はじめてかもしれない。記憶がない。

……と書いているうちに、交流戦が終了した。

 十九歳でライターの仕事をはじめて、二十六、七歳くらいまで、千駄ケ谷界隈の事務所を転々としていたころ、ひとりで球場に行って酒を飲む楽しみを知った。

 郷里にいたときは、ふらっと球場に行ったり、仕事帰りにライブハウスに行ったりする生活は想像できなかった。当時はひたすら「毎日、寝ころんで本が読めたらなあ」というのが夢だった。夢は叶った。生活苦と引き替えに。
 中学、高校のころは「図書館の近くに住みたい」とおもっていた。上京して古本屋通いをするようになってからは借りるよりも探して買って読むほうがはるかに楽しいことを知った。わたしの夢は現実と地続きであることが多い。
 二十代のころから最低限の生活費を稼いて、あとは読書三昧の暮らしがしたかった。
 読書生活のために、就職せず、(ほとんど)外食せず、衣類に金をかけず、親戚付き合いや冠婚葬祭から逃げまくる半生を送ることになった。今なお続行中。
 子どもを育てたり、親の面倒をみたり、そういうことをちゃんとできる人は立派だとおもう。しかし、そういうことができない人だって楽しく生きていけるならそれにこしたことはないと声を大にしてはいわないように気をつけているのだが、心の中でひっそりとおもうくらいは許してもらいたい。

2017/06/15

「戦友」の話

 尾崎一雄著『随想集 苺酒』(新潮社)に所収の追悼文をいくつか読み返した。
 ひとつは「中野重治追想」。中野重治は一九七九年八月二十四日亡くなっている。

 尾崎一雄と中野重治は親交が深かった。『筑摩現代文學体系』の尾崎一雄の巻の月報に中野重治が寄稿している。
 中野重治は尾崎一雄の家を訪ね、「話」の「御馳走」になったと書いた。つまり、古本の話で盛り上がったわけだ。
 また戦後、病気中の尾崎一雄を上林曉と中野重治がいっしょに見舞いに行ったこともある。

《中野君はもともと詩人だが、同時に小説家でもあり、批評家でもあつた。その態度は、私などと違って、きびしく、鋭かつた。ちよつと類の無い厳しい鋭さだつた》

 中野重治は、同時代の作家では井伏鱒二、上林曉に好意を寄せていたが、「私も全く同様だった」と尾崎一雄は綴っている。さらに、ふたりは好きではない作家も重なっている。

 もうひとつ「戦友上林曉」を読む。『すばる』の一九八〇年十一月号に掲載された。
 上林曉が亡くなったのは一九八〇年十月六日。
 この文章の中でも尾崎一雄が療養中に、中野重治と上林曉が見舞いに来たときのことを綴っている。
 そのさい、上林曉は中野重治のことをこんなふうに評していた。

《中野さんが政治に引きずられてるのは惜しいなア。政治運動と絶縁して、文學一本槍になつてくれたら、ぼくら、嬉しいんだけどなア》

 上林曉にそういわれた中野重晴は困った顔をしていたらしい。
「戦友上林曉」を読んだときに、山口瞳が向田邦子の追悼で「戦友」という言葉をつかっていたことをおもいだした。
 向田邦子が亡くなったのは一九八一年八月二十二日。「戦友上林曉」のほうが先に書かれた。尾崎一雄と上林曉が好きだった山口瞳は「戦友上林曉」を読んだにちがいない。
 リアルタイムで読んでいた人は「気づいた人」もけっこういたのではないか。また山口瞳は「気づく人」を意識して書いたのではないか。

 わたしは時系列があやふやなまま本を読むことが多い。いつ書かれた文章なのか——もうすこし気をつけて読みたい。

2017/06/09

The ピーズ

 金曜日、The ピーズ三十周年の武道館。九段下の駅を出たら、ピーズのTシャツを着た人だらけ。感無量。二十年以上前のピーズのBaseBallバッチを付けて会場に向かう。 二十年前に活動停止したときは、どうしてこんなにいいバンドが音楽をやめなきゃいけないのかと怒りと悲しさで放心状態になった。でもこの活動休止期が縁でペリカン時代の増岡さん、原さんと知り合って、今日いっしょにライブを観た。酔っぱらっている。帰りの電車、増岡さんが百回くらい「よかった、すごかった」といっていた。「鉄道6号」の歌いだし「やっとこんないいとこまで〜」で目頭が熱くなる。「シニタイヤツハシネ」合唱。当たり前にかっこいい。結成から三十年かけて初の武道館。しかも満員。ロックの奇跡ですよ。生きててよかったとおもいました。

2017/06/05

最低限

 来月発行予定の単行本の仕事の追い込み中、生活のリズムが乱れる。
 いつもどおり家事をして、散歩して、決めた時間に集中して作業したほうがいい。わかっているのだが、焦ってしまう。
 家事や散歩をする時間を切りつめたところで、その分、仕事が捗るわけではない。だったら焦る時間を削って、やれるところまでやって後は知らんくらいの気構えで乗りきろうとおもうことにした。

 何をやるにせよ、体力に自信がない病弱な人は「ふつう」を目指さなくていいのではないか。それよりも自分の決めた「最低限」を地道に根気よくクリアする。
 できないことはできないわけだし、ヘンな期待をさせないことも大事なのではないかな。屁理屈ですけどね。自己流だろうが、世間とズレていようが、日々をのりきってるんだから、文句いうなよというのが今の気持だ。遊びたい。