2019/07/31

老人性冗舌

 天野忠著『余韻の中で』(永井出版企画)を読んだあと、山田稔著『北園町九十三番地 天野忠さんのこと』(編集工房ノア)を再読する。

《いちばん好きな作家は、と問われ、私が返答に窮していると、
「わしは井伏鱒二やなあ」
 と天野さんは言った》

 天野忠は木山捷平も好きだった。
 わたしのいちばん好きな作家は尾崎一雄である。私小説を好きになったのも尾崎一雄がきっかけだ。尾崎一雄の交遊関係を追いかけているうちに、井伏鱒二、木山捷平を読むようになった。

『北園町九十三番地』では天野忠の仕事ぶりも印象に残っている。
 天野忠は「原稿の締切りなども『完璧に』に守ったそうだ」と山田稔は書いている。

《天野忠は、つねに「励んでいる」人と仲間で噂されていた詩人である。天野忠を師と仰ぐ玉置保巳によると、彼はあるとき、こういう言われたという。あまたいる詩人のなかで人より抜きんでたものを書くためには、ふっといい詩が浮ぶのを待っているようではだめで、「自分を机の前へ引き据えるように」せねばならぬ》

 他にもこんなことも天野忠は語っていた。

《物書き、とくに名の通った物書きのこわいところは老いてから書けなくなることでなく、抑制がきかなくなって、下らない作品をつぎつぎと書くことだ。老人性冗舌、表現における失禁。書かずにいるというのは、努力の、辛抱のいることなのだ》

 老い……についての感覚はまだまだわからない。書かずにいる努力というのは未知の領域だ。

2019/07/23

この先のこと

 日曜日、夕方、選挙と散歩——。
 テレビの選挙速報などを見た後、頭を仕事に切り替える。
 五月の連休明けから引っ越しでバタバタし、それから歯医者にも通っていたのだが、ようやく通常モードに戻りつつある。仕事部屋の本が片づくのは九月くらいか。

 落ち着かない日々が続いていたせいか、地味な随筆が読みたくなる。
 天野忠の『余韻の中』(永井出版企画)の「時の流れ」を読む。

《風邪をひいて三日つづけて勤めを休んだ。
 その間中、雨が降ったりやんだりした。こっちもねたり起きたりした。もうすぐ退職の手前で、ずるけ休みのように思われるのが癪と思うが、どうも躰の方で無理せんでもええやないかと調子を下げているようでもある》

 この随筆の日付は一九七一年五月。この年、奈良女子大の図書館の仕事をやめている。

「自適」という随筆では、勤めをやめてひと月後の心境を綴っている。

《悠々ではないが、自適の暮らしをしているのが肩身が狭いとは私には思えない。何とか喰えれば、何もひ弱な神経をつかって、世間様の中で揉まれる必要はないと思うのだが、といって、喰えなくなれば、そして躰の方の辛抱がきくうちなら、私だってその嫌な世間様の中へもう一度お辞儀して入れてもらわねばならんことは嫌々覚悟しているのだが》

 この秋、わたしは五十歳になるが、たぶん、五十代になったら仕事も減るだろう。今まで通り働けるかどうかもわからない。仕事が減ったら、生活レベルもそれに合わせて縮小する。すこしずつ蔵書を売り、なるべくお金をつかわない暮らしをする。のんびり楽しい日々を送るための工夫をする。
 それでも週一くらいは外で酒を飲みたいし、喫茶店にも行きたい。年に二、三回、国内を旅したい。「悠々ではないが、自適の暮らし」を目指したい。

 それは覚悟というよりは、心の準備のようなものだ。

2019/07/17

ようやく

 六月下旬から雨続き。昨日のニュースでは日照時間が十九日連続(二十日連続に更新?)で三時間未満というのは統計史上初だそうだ。
 天候不順のせいか、毎日睡眠時間がズレる。今朝は午前四時に起床。頭がぼーっとしている。日照時間不足は心身にも影響する。ニュースではきのこ、肉を食べるといいといっていた。

 雨の中、仕事部屋の引っ越し。先に本棚は自力で移し、組立終わっていた。引っ越し業者の人には本を運搬してもらう。ペットボトルの段ボール、百箱以上。「これで半分」「あと三分の一くらい」と声を出し、ずっと笑顔。箱を三段に積み、上のふたつを持っていく。
 引っ越しは一時間ちょっとですべて完了。プロの仕事はすごい。床がほとんど見えない。その後、大家さんの代理に入っている会社の人に鍵を返す。
 立退きは三回目。過去二回は大家さんともめた。大家都合による立退きであっても、こちらから請求しないと引っ越し費用を出してもらえない(何もいわないと自腹になる)。
 今回は最初の話し合いで引っ越しに関する費用がすべて出ることが決まった。面倒な話し合いは直接利害の絡まない第三者があいだに入ると楽だ。

 まだ本棚に本を戻す作業が残っている。

 この二ヶ月、引っ越しのことで頭がいっぱいだった。もともと梅雨時は街道を歩く予定はなかったのだが、それでも予定以上に歩けなかった。そのあいだも古書会館通いを続け、資料だけは増えていく。日本海側の街道も歩きたい。

 引っ越し前、仕事部屋に置いていた夏用の肌掛けを捨てようとしたら、「粗大ゴミです」というシールを貼られ、ゴミ置き場に残っていた。小さなゴミ袋に入るくらいの大きさなのだが、それでもダメなのか。前に捨てたときは大丈夫だった記憶があるのだが。結局、ハサミで切って小さくして捨てたが、いまだにゴミのルールがわからない。

 そういえば、古い座布団も燃えないゴミで出せなかった。座布団は一度洗濯し、完全に乾ききる前に、綿を出して小分けにすると楽なことがわかった(綿が縮んで小さくなる。埃も出ない)。今後、布団系を捨てるときはこのやり方で処分することにする。

2019/07/09

引越やつれ

 引っ越しが終わるまで仕事が手につかない。毎日掃除したり散歩したり酒飲んだりして過ごしている。

 上京三十年で借りた部屋の数は九軒(下赤塚一軒、高円寺八軒)になる。四十代に入ってから、引っ越しから遠ざかっていた。たぶん四十代最後の引っ越しになるだろう。

 最初の単行本の印税で書庫兼仕事部屋(木造の風呂なしアパート)を借りたのは二〇〇七年十一月。赤字になったらすぐ撤収するつもりで借りた。
 綱渡りながら十二年ちかく維持することができた。その部屋が老朽化のため、取り壊しが決まった。三回目の立ち退きである。
 新しい書庫探しのため、不動産屋をまわる。最初に下見をした物件は家賃も間取りもほぼ条件通りだった。「ここでいいかな」とおもいながら不動産屋の担当者と下見に行った。そのとき、借りようかどうか迷っていたアパートの手前で引っ越しのトラックが前にも後ろにも進めず、立ち往生していた。
 数分間だろうか。かなり長い時間におもえた。

 その下見のさい、道でばったり旧友の河田拓也さんと会った。知り合ったころは、お互い、風呂なしアパート暮らしだった。下見のあと喫茶店で待ち合わせし、知り合いがはじめた店で昼酒(レモンサワー)。河田さんと話しているうちに、もうすこし探してから決めようと気が変わった。

 何日か後、転居先の場所を絞り、近所の不動産屋に行くと、前の仕事部屋から歩いてすぐのアパートの一室が空く予定があると教えてもらった。
 再び下見。部屋に入って数秒で「借りたいとおもいます」と即決した。まったく迷いがなかった。
 部屋を借りるとき、そこでの暮らしが想像できるかどうかはすごく大事だ。新居は明るい未来が見えた……ような気がした。家から仕事部屋までの道のりが好きなコースだったのも即決した理由である。

 新居に本を運ぶ前に本棚を並べておきたい。経験上、本を入れてしまうと本棚を組み立てる場所がなくなるからだ。ちょうど世田谷ピンポンズさんが高円寺に来たので手伝ってもらった。助かった。

 この本棚に本が収まるのはいつの日のことか。それまでは落ち着かない日々が続く。自宅と旧仕事部屋と新仕事部屋の三軒をぐるぐるとまわる。いつまで新しい部屋を維持できるのか。あと何年くらい仕事ができるのか。そんなことを考えるひまがあったら、午後の散歩にでかけたほうがいい。

2019/07/01

終わらない歌

 五月下旬から予定外のことが重なり、終わりの見えない作業に追われている。
 諸事情により仕事部屋を引っ越すことになった。近所のスーパーに行くたびにペットボトルの段ボールを六、七枚もらう。ひたすら段ボールに本を詰める。箱がどんどん積み上がっていく。途中、古本屋に二度ほど本を売ったが、変化を感じられない。

 掃除も仕事もいっぺんにやろうとせず、何分の一かずつ分割して順番に片付けていくのがコツだ。とりあえず、五分の一くらいを目安にはじめる。五分の一まで進めば、残りは五分の四。それまでにかかった時間や労力を基準に、残りの作業がどのくらいかかるか、漠然と見えてくる。

 ここ数年、原稿を分割方式で書いている。十枚の原稿ならまず二枚書く。二枚書いたら休み、また続きを書く。細かく区切っていくほうが、時間の配分がしやすい。気持に余裕もできる。
 自己啓発書では、よく「小さな目標」を立てろというアドバイスがある。目標までの道のりをなるべく小さく刻み、階段のように一段ずつのぼるイメージといっていいだろう。

 困ったときは吉行淳之介の「草を引っ張ってみる」(『ずいひつ 樹に千びきの毛蟲』講談社ほか)という随筆の言葉をおもいだす。

《今日から十日のあいだに、短篇を一作書かなくてはいけない。五里霧中の状態で唸りはじめなくてはならないのだが、唸るにも体力がいる。本当に唸り声を上げることもしばしばある。こういうとき支えになるのは、これまでも何十回も切り抜けてきたことだから、たぶん今回もなんとかなるだろう、こういう考え方だけである》