2013/06/26

仙台で考えたこと

 週末、Book! Book! Sendai!に行ってきた。今年で五回目。皆勤賞。
 六月の仙台はいい。東京と湿度がまったくちがう。海からの風が気持がいい。

 商店街は人の流れがとだえず、家族連れのお客さんも多く、真剣に本を選んでいる。これだけの人が本を買っていく姿を出版関係の人にもっと見てもらいたい。
 途中、喫茶ホルンとマゼランに行く。

 そのあと打ち上げにまぜてもらい、古書現世の向井さん、退屈君とマンションのゲストルームに宿泊した。

 仙台にかぎった話ではないのだが、今の若い人たちの仕事のたいへんさをいろいろ教えられた。超過勤務が当たり前で、さもなくば失職——その中間のほどほどの収入でほどほどに働くというような仕事が(ほとんど)ない。

 ここ数年、ハードワークか無職かという二択の状況は首都圏でも進んでいる。
 自由業という選択肢もあるにはあるが、そこに踏み出す最初のきっかけを掴むのがむずかしい。
 部外者の目からは、仙台に行くたびに、なんとか自分ひとり食っていけるくらいの自由業が成り立つ余地はいくらでもある気がするのだが、そういう選択をすることは、一か八かの賭けをやるような感じなのかもしれない。
 もうすこし「ある仕事につく」だけでなく、「ない仕事をつくる」という発想があってもいいとおもう。
(この話はちょっと長くなりそうなので別の機会に続きを書く予定)

 翌日、駅前の北辰鮨で朝食。うまい。
 そういえば、仙台の地下鉄にあまり乗ったことがないとおもい、終点の泉中央駅まで行ってみる。仙台に行く前、高円寺で泉区出身のミュージシャンと飲んだばかりだった。
 七北田公園でぼーっとして、八乙女駅のほうまで歩き、北仙台駅まで地下鉄に乗り、そこから意味もなく歩き、意味もなく道に迷い、勾当台公園で東北三県のイベントをやっていて、迷った末、稲庭折うどん(短くなった稲庭うどん)を買った。

 昨日に続いて喫茶ホルンでアイスカフェオレ。
 流れている音楽が心地よく、読書もすすむ。

 夜は火星の庭の前野久美子さんとタコシェ店主の中山亜弓さんのトークショー。
 今回の仙台行きはこのトークショーが一番の目当てだった。

 東京・中野のタコシェは一般書店では並ばないような小出版物を専門に販売している店(中野ブロードウェイの3F)なのだが、火星の庭の前野さんはそういう店に強い関心をもっていたこと、それから喋っている姿をあまり見たことがない中山さんがいろいろ変わった人生経験を積んでいる人だとわかったこと——その話が聞けただけでも来てよかった。

 ふたりとも真剣に話しているのに、あちこちで笑いが起こっていた。わたしもこれからやろうと考えていたことのヒントがいくつか見つかった。

 夜、打ち上げにまぜてもらい、合流した二十代のフリーライターのT君のアパートに泊めてもらう。
 翌日、T君の案内でアパートちかくの広瀬川沿いを散策した。
 繁華街とはまたちがった趣のあるいいところだった。 

2013/06/17

みちくさ市 五っ葉篇

 先月のみちくさ市で仙台のbook cafe 火星の庭の前野久美子さんとのトークショーのときに一ヶ月ちかくにわたる往復書簡を配付しました。
 話は脱線がばかりしていたのですが、その中でこれから考えてみたいことを書いたので、一部引用します。

《それから書店、古本屋だけでなく、出版の世界も自分が想像していた以上の過渡期にきているとおもえるんですね。
 この連休中、青空文庫をはじめとする電子書籍の無料本のタイトルを追いかけていました。二〇一三年五月現在、四万六千五百タイトルちかくあります(一万タイトルちょっと目を通したところで挫折しましたが……)。
 漱石鷗外露伴、宮澤賢治、太宰治、坂口安吾、あるいは夢野久作といった人気古典作品のほとんどが無料で読めます。
 この先、こうした無料の作品にどう対処していけばいいのかというのは、途方に暮れる問題です。書き手の問題としては、今まで通りの定価の単行本を出して、はたして買ってもらえるのだろうか。
 もしかしたらインターネットや電子書籍の事情に詳しい人からすれば、今さらの話題なのかもしれませんが、中里介山の『大菩薩峠』が無料で読めると知ったときはショックでした。
「紙の本でなければ絶対にいやだ」という人ならともかく、もし自分が貧乏学生のときに、電子書籍があったら、ひたすら無料本を読み漁っていた可能性があります。
 書店や古本屋に行かない人に本の魅力を伝えていくにはどうすればいいのか。
 そういったところが、最近のわたしの関心事です》

……というわけで、来月、またみちくさ市のトークショーをやります。
 今回のゲストは『痕跡本のすすめ』(太田出版)の著者で、愛知県犬山市の古書五っ葉文庫の古沢和宏さん。
 初対面のとき、古沢さんに酔っぱらって「東海地方のスターになれ」といいました。わたしは本気でそうおもっています。

 それから「痕跡本」は、電子書籍に対抗できる古本ではないかと。
 あとわたしの予想では四六判ではない変形単行本も出版物としての価値が上がる気がします。
 当日、どんな話になるのかはわかりませんが、おそらく古沢さんがひたすら喋るトークショーになるでしょう。

■日時 2013年7月15日(月・祝日)
■時間 15:30~17:00(開場15:10~)
■会場 旧・高田小学校 ランチルーム
MAP> http://kmstreet.exblog.jp/i4/
■定員 30名
■入場料:1000円 ※当日清算
詳細は、http://kmstreet.exblog.jp/18596687/

2013/06/13

未来の働き方

 ちきりん著『未来の働き方を考えよう』(文藝春秋)を読む。

 著者は証券会社、外資系企業に勤めていた覆面ブロガー。わたしは一冊目の『ゆるく考えよう 人生を100倍ラクにする思考法』(イースト・プレス)から愛読していて、今回の新刊も楽しみにしていた。

 定年延長、年金の受給開始年齢の引き上げ、終身雇用の崩壊、低成長時代、グローバリゼーション……。
 この先、今まで通りの働き方を続けていけるのか。あるいはもっと楽しい働き方はないのか。
 激動の時代を生き残るために、今まで以上の努力をしなければならないと煽るのではなく、そういう時代だからこそ、働き方も多様化したほうがいいのではないか——過激に要約すると、ひとつの会社で定年まで働くという生き方には未来がないよ(そこまではいってない)——という本である。

 これから社会に出る人、あるいは十年、二十年と仕事をしてきた人にも、深く考えさせられる問いかけがたくさんあるとおもう。

 中でも第四章の「ふたつの人生を生きる」は、本書の白眉だろう。この章には「ゆるやかな引退」「プチ引退」というキーワードが出てくる。わたしは二十代のころから「隠居」が最大の関心事なので、「プチ引退」について論じているところはすごくおもしろかった。
 引退といっても、仕事を完全にやめるわけではない。十年なり二十年なり働いて、その経験をもとに、仕事を選び直す。

《就職活動の際、自分のやりたいことが見つからずに悩む若者が多いようですが、「職業人生は二回ある」という前提に立ち、最初はとりあえず目の前にある仕事をしてみて、その間に、自分が本当にやりたいことを見極め、後半人生はそれを中心に設計すればいいのだと考えれば、就活もすこしは気楽になるはずです》

 人生の前半は「横並び人生」を選んだとしても、後半は「オリジナル人生」を選択したい。
 それは贅沢な望みなのか。
 出世や収入を増やすのが目標の人なら、競争の激しい場所で勝ち抜いていかないといけない。でも楽しく働きたいのであれば、なるべく競争相手のすくない場所でのんびりほそぼそとやっていく道を選ぶのもありだろう。

 またちきりんさんは「プチ引退」に関して次の四つのパターンを提案している。
・パターン1 半年だけ働く「シーズン引退」
・パターン2 週に2、3日だけ働く「ハーフ引退」
・パターン3 好きな仕事だけを引きうける「わがまま引退」
・パターン4 (共働きの場合)ひとり1年ずつ引退する「交代引退」

 それぞれのパターンを今の自分の現状に応じて、いろいろアレンジするのもおもしろい。
 暑いのが苦手な人は「夏だけ引退」、寒いのが苦手な人は「冬だけ引退」、あるいは花粉症の時期だけ「プチ引退」したいという人もいるかもしれない。

 自分の性格、体質、趣味、理想のライフスタイルに合った働き方を選ぶ。たぶん「プチ引退」の話もそうだが、ものすごく有能で、お金の余裕があるから、そういう生き方ができるというわけではない。
 ただし、規定のコースからズレた選択をする以上、多少の覚悟はいる。

 この先、働き方が多様化すれば、会社や社会だって変わらざるをえない。自分の時間がほとんどなくなるような働き方はいやだという人がもっと増えれば、もうすこしゆるやかな世の中になるだろう。そうなってほしい。なんとなく、そうなるような予感はする。

2013/06/09

明日の友を数えれば

 常盤新平著『明日の友を数えれば』(幻戯書房)を読む。
 二〇一二年十二月刊行、常盤さんが亡くなったのは二〇一三年一月二十二日だから最晩年のエッセイ集である。

 アメリカのコラムに興味を持つようになって以来、常盤新平の『コラムで読むアメリカ』(旺文社文庫)、常盤新平、川本三郎、青山南共同編集『ヘビー・ピープル123』(ニューミュージック・マガジン社)にはすごくお世話になった。『ヘビー・ピープル123』は、後に『現代アメリカ人物カタログ』(冬樹社)として改訂版も出ている。

『明日の友を数えれば』の「綴の女性」というエッセイは、古山高麗雄の『真吾の恋人』(新潮社)の話である。「真吾の恋人」は福島のいわきが舞台になっているのだが、わたしはすっかり忘れていた。
 常盤新平は岩手県水沢の生まれで、小学校から高校まで仙台に育った。岩手の記憶はほとんどなく、郷里は仙台だとおもっていると別のエッセイで読んだ。
 両親はいわきに暮らしていたことがあり、新平の「平」は「平市」からとったというエピソードも語られる。

《『真吾の恋人』という短編集は古本屋で手に入れた。これが発売された一九九六年当時、私は古山さんの熱心な読者ではなかったのだ。「真吾の恋人」もだからなにげなく読みはじめて、古山高麗雄というすぐれた作家の世界にはじめて触れた思いがした》

「綴の女性」は二〇〇三年八月に発表された(ちなみに、古山さんが亡くなったのは二〇〇三年三月十一日)。『真吾の恋人』の刊行は一九九六年六月だから、本が出て七年後である。

 つまり、わたしは十七年前に出た本の感想が綴られた十年前のエッセイを読んでいることになる。
 文学はもっとゆっくり読まれてもいいのではないか。

 最近、急ぎすぎかもしれないと反省した。

2013/06/04

地球の上で

 暮尾淳『詩集 地球の上で』(青娥書房)を読む。地球は「jidama」とルビがふられている。今年二月に出ていたのだが、最近、書店の詩のコーナーから遠ざかっていたせいか、気づかなかった。
 ちどり足のような文章のリズムが心地よい。

《マレンコフが死んだと
 居酒屋で聞いたが
 スターリン時代の
 ソビエトの首相ではなく
 カラオケの世になっても
 新宿の古いバーを回っていた
 それが通称の
 流しのギター弾きで
 本名は誰も知らず
 皺々の分厚い本の歌詞を
 おれは老眼鏡で追いながら
 「錆びたナイフ」だったろうか
 その調子はずれの声に
 ギターを合わせてくれたのは
 三年前ではなかったか》(マレンコフ)

 わたしもマレンコフを知っている。新宿で飲んでいれば、当然知っていてもおかしくない。「さっき飲んでた店にマレンコフが来たよ」とお客さんがいう。すると、しばらくして、ギターを持ったマレンコフが店に入ってくる。そんなことが何度か会った。

(……以下、『閑な読書人』晶文社所収)