2013/06/09

明日の友を数えれば

 常盤新平著『明日の友を数えれば』(幻戯書房)を読む。
 二〇一二年十二月刊行、常盤さんが亡くなったのは二〇一三年一月二十二日だから最晩年のエッセイ集である。

 アメリカのコラムに興味を持つようになって以来、常盤新平の『コラムで読むアメリカ』(旺文社文庫)、常盤新平、川本三郎、青山南共同編集『ヘビー・ピープル123』(ニューミュージック・マガジン社)にはすごくお世話になった。『ヘビー・ピープル123』は、後に『現代アメリカ人物カタログ』(冬樹社)として改訂版も出ている。

『明日の友を数えれば』の「綴の女性」というエッセイは、古山高麗雄の『真吾の恋人』(新潮社)の話である。「真吾の恋人」は福島のいわきが舞台になっているのだが、わたしはすっかり忘れていた。
 常盤新平は岩手県水沢の生まれで、小学校から高校まで仙台に育った。岩手の記憶はほとんどなく、郷里は仙台だとおもっていると別のエッセイで読んだ。
 両親はいわきに暮らしていたことがあり、新平の「平」は「平市」からとったというエピソードも語られる。

《『真吾の恋人』という短編集は古本屋で手に入れた。これが発売された一九九六年当時、私は古山さんの熱心な読者ではなかったのだ。「真吾の恋人」もだからなにげなく読みはじめて、古山高麗雄というすぐれた作家の世界にはじめて触れた思いがした》

「綴の女性」は二〇〇三年八月に発表された(ちなみに、古山さんが亡くなったのは二〇〇三年三月十一日)。『真吾の恋人』の刊行は一九九六年六月だから、本が出て七年後である。

 つまり、わたしは十七年前に出た本の感想が綴られた十年前のエッセイを読んでいることになる。
 文学はもっとゆっくり読まれてもいいのではないか。

 最近、急ぎすぎかもしれないと反省した。