2012/10/29

内側の技術(三)

『新インナーゴルフ』を読んでいると、ガルウェイ自身も、おもいどおりにプレーできず、もどかしい気持を告白しながら、自らの理論を実行しようとしている。

 そのもどかしさを手がかりに、わたしは自分の経験(かならずしもスポーツでなくてもいいとおもう)を補いながら、この本を読み進めていくことができた。
『インナーゲーム』と『新インナーゴルフ』は教える立場から書かれた本と学ぶ立場から書かれた本のちがいもある。もっとも「どちらを読んらいいのか」と聞かれたら、両方読んだほうがいいと答えるしかない。

『新インナーゴルフ』には、ガルウェイが持論だとおもっていたことについて、すでに一九四〇年代に出版されたゴルフの本の中にすでに書かれていたことに気づく記述がある。

 その著作はゴルフの古典といわれるE・M・プレインの『ライブ・ハンズ』である。
 孫引きになるが、プレインの言葉を紹介したい。

《私自身、今度こそ秘訣中の秘訣を見つけたぞと何度小躍りしたかわからない。ある日は腰の動きに永遠の法則を発見し、次の日は肩の回転がそれだと確信した。私はクローズド気味のスタンスを取るが、それを少しオープンにしてみた日は、これですべてが解決したのだと思ったほどだ》

 しかし「秘訣中の秘訣」とおもった法則はあっという間に崩れる。

 わたしは『新インナーゴルフ』を読みながら、これまで読んできた作家や詩人の話と共通するところをいくつか見出している。
たとえば、何かを学ぼうとする人(ガルウェイ自身もふくむ)の姿勢や心のあり方にたいし、疑問を持っている。

《人がゴルフや人生に法則を求めるどん欲さは、失望と希望の循環サイクルとなって、決して満たされないままに、幻想の中で永遠に回り続ける。人は、薬のカプセルのようになった知恵を欲しがる。すぐに飲めて、すぐに効く知恵だ。人は本で処方箋を読み、すぐ実生活で役立てようとする。人は、法則について熟慮しようとは思わない。それはその道のエキスパートの仕事だと、勝手に押しつける》(「夢中になる価値」/『新インナーゴルフ』)

 この文章を読んで、「ああ、自分のことだ」とおもった人はけっこういるかもしれない。
 わたしも安易に何かを理解したつもりになることを自戒しつつも、しょっちゅう実生活で役立つ答えを求めてしまう。

『新インナーゴルフ』を読めば、「リラックスした集中」の秘訣がわかり、いつの間にか「マスター・スキル」が身につくのではないかと期待する気持がなかったといえば嘘になる。

 でも「内面の技術」は、自分の感覚と対話しながら、時間をかけて身につけるしかない。
 ガルウェイのいう「静かな努力」を続けるしかない。

 作品の力によって、ひたすらおもしろく読める本もあれば、自分の考えた時間や悩んだ時間に比例して、おもしろさが倍増する本もある。
 ゴルフにあまり興味のないわたしからすれば、『禅ゴルフ』や『新インナーゴルフ』は後者にあたる。

「答え」よりも「問い」に響くものがあった。当然のように予想通りの「答え」はひとつもない。むしろ「答え」がないことをくりかえし論じている本なのである。

 自分に合った生活パターンや集中やリラックスの仕方も、何年何十年とかけて、細かい修正(失敗)をくりかえしながら作り上げていくものだ。つねに途中経過でしかない。

 昨日までうまくいったやり方がうまくいかなくなる。

 ガルウェイの著作は、うまくいかなくても怖れなくてもいいことを教えてくれる。
 そのためには自分の内部の感覚を鈍らせないための「静かな努力」が必要である。
 調子を崩したときに、どう気持を立て直すか。

 ガルウェイは「その方がいい気持ちだし、いい仕事が出来るからだ」という選択をすることを心がけている。

 それが何かはここでは伏せる。答えではないが、それしかないとおもえる言葉があった。

 ある人はスポーツ、ある人は音楽、ある人は絵、ある人は文学、さまざまなジャンルを通して追い求めているものがある。
 やってることはちがっても何かしら通じ合うものがある。

 わたしはその感触を得たくて、人と会ったり、本を読んだりしている。

(……続く)