2012/10/29

内側の技術(一)

《何事であれ、卓越した能力を発揮するには、専門的技術の土台となる「マスター・スキル」が必要なのだ。練達の基本能力であり、熟練のための極意だ。この技術を、私は「リラックスした集中」と呼ぶ。これさえ出来れば、人はどのような技術でも上達出来る。しかしこれがなければ、習得し、習熟すること自体が困難になる》(「集中力という土台」/W・T・ガルウェイ著『新インナーゴルフ』後藤新弥訳、日刊スポーツ出版社、二〇〇二年刊)

 W・T・ガルウェイは、一九三八年サンフランシスコ生まれ。ジュニア時代にテニスのナショナル・ハードコート選手権で優勝。ハーバード大学でもテニス部の主将として活躍し、その後、ヨガや東洋思想の研究を経て、一九七二年に『ザ・インナーゲーム(THE INNER GAME OF TENNIS)』という本を発表した。七六年には日本語版も出ている。

 ガルウェイの理論は、スポーツだけでなく、ビジネスやコーチングなどの分野にも多大な影響を与え、その著作はいまだにロングセラーを続けている。

 ところが、「ちょっと大きな書店に行ったら、すぐ見つかるだろう」とおもって、都内の大型書店をまわってみたところ、ガルウェイの本はスポーツの棚、ビジネス書の棚、音楽の棚とあちこちに散らばっていて、意外と探しにくい。三、四軒の書店をまわったが、すべて揃えることはできなかった(おかげで「古本心」に火がついたのだが)。

 どれか一冊といわれたら、『ザ・インナーゲーム』の改訂版の『新インナーゲーム』(後藤新弥訳、日刊スポーツ出版社)を読めば、ガルウェイの理論の大筋はわかるだろう。
 この本は、ガルウェイの本職(?)のテニスを元に「内面の技術」を論じている。

『新インナーゴルフ』は、テニスで培ったインナーゲーム理論の応用編といえる本である。先の引用文もそうだけど、「リラックスした集中」はこの本の大きなテーマである。

《究極の集中状態とは、自分を忘れて没頭するときだ。その「リラックスした集中」に自分自身を導く道は、自分を信じて「感じ取る」ことに始まる》

 ガルウェイの著作を読んでいて、将棋の谷川浩司さんや羽生善治さんの本と共通点が多いとおもった。集中やリラックスにたいする考え方、あるいは勝負観はかなり似ている気がする。
「リラックスした集中」に至る道は、人によってちがい、「こうすればいい」というひとつの答えはない。

 わたしも何かに没頭しているとき、どうしてそれができるのかよくわからない。まだうまくコントロールできない。不完全な技術であることは自覚している。

 尾崎一雄や永井龍男は原稿を書く前に部屋の片づけをしたり、拭き掃除をしたりする。河盛好蔵は仕事の前にトランプ占いをしていた。「リラックスした集中」を作ったり、掴まえたりするには、人それぞれの「儀式」のようなものがある。村上春樹のランニングもそうかもしれない。

 体力のある人とない人でも「リラックスした集中」の持続時間やその状態はちがうし、自分に合った方法を見つける必要がある。どんな人でも「リラックスした集中」は長く続かない。その「リラックスした集中」ができている時間に何をするかも大切だ(わたしは読書と執筆にあてたいと考えている)。

 話は脱線するが、新刊書店や古本屋をまわっていても、すごく集中して本の背表紙が見ることができるときとそうでないときがある。

 本を読んだり、文章を書いたりしているときも、集中の仕方によって、時間の流れ方がちがう。
 何かに没頭していると、すごく楽しくかんじる。たまに楽しいから、没頭できるのか、没頭しているから、楽しいのかわからなくなる。ふだんはあまり気のりしない雑用や単純作業ですら、没頭すると楽しくなることがある。
 あまりにも没頭しすぎると、後からどっと疲労が押し寄せてくる。

「リラックスした集中」は、作り方だけでなく、使い方もむずかしい。

(……続く)