この一年くらい、野球を軸にひたすらスポーツ関係の本を収集してきた。
海外のスポーツライティングの技法——スポーツ統計学や経済学や最先端の科学の知見を織り交ぜながらも娯楽性をそなえた文章に刺激を受けたからだ。
中でも『禅ゴルフ』(ちくま文庫)を手にしたとき、ひさびさに「わたしが読みたかったのはこの本だ」という感覚を味わった。
ペアレント博士の「禅ゴルフ」の教えは、不安定で不自由な「自分の操縦法」である。
ゴルフ(わたしはやったことがない。この先やる予定もない)は、スポーツの中でも個人プレーの度合いが高い。チームメートと協力する必要もない。
インターバルが多いスポーツほど、メンタルが影響する度合も大きい。
今のところ勘でしかないが、ゴルファーのためのメンタルトレーニングは、仕事や生活への応用がかなり効きそうな気がする。
それも『禅ゴルフ』を読み解きたいとおもった理由である。
ペアレント博士は、どうすれば気性の荒い暴れ馬のような心の落ち着きを取り戻せるかについて老師が語るエピソードを紹介し、「思考と感情」の持論を展開する。
《よく考えてみると、思考はわれわれの心の中から湧いてくるものであり、決して心自体ではない。思考と感情の一連の流れを観察することによって、われわれは刺激→思考→行動の過程に一定のギャップが生じることを体験できるようになり、その結果、ある事態に無条件に反応するのではなく、知的に対応することが選択できるようになるのである》
この部分だけ引用しても話は見えにくいかもしれない。
おそらく、この教えは単純に感情を抑制しろという話ではない。
心の中に焦りや不安が生じる。
その焦りや不安は自分の心が作りだしたものであり、心そのものではない。
そう認識することで、感情と思考を分ける。
何かしらの感情が芽生えたとき、そのまま思考と直結させない。
とりあえず、一呼吸置く。
博士によれば、思考の本質を知るための第一歩は、「背筋を伸ばして椅子に座るか、クッションの上に胡座を組むかして、できるだけ静かな姿勢を保つ」といいそうだ。
《思考が湧いてきたら、あえて取り込んだり捨てたりしないで、自然に去来させてやるようにする。思考の存在を感知するだけで十分であり、分析したり判断したりする必要はない。(中略)どのような思考や感情が湧いてきても、いちいち反応することなく、単に認識するだけでいい》
もちろん、あるていど訓練しないと身につかない。
たとえば、疑心暗鬼の陥ったとき、そのことに気づけるかどうか。
わたしの場合、訓練以前に、それが問題なのだが……。
(……続く)