2012/07/26

節度の時代(四)

……節度とは、「度を越さない、適当なほどあい」(『岩波国語辞典』第四版)という意味。

 曖昧といえば曖昧だ。いかようにも解釈できる。だからわたしも適当に書き継いでいこうとおもう。
「節度の時代」というのは「ほどほどの時代」といいかえてもいい。ほどほどの国でほどほどの暮らしができればよしとする。けっこうそれって幸せかもよ。一番とか二番とかじゃなくてもいいんじゃね。ちょっとくらい収入が減っても、休みが多いほうがよくね。別に、そんなにほしいものとかもないし。

 わりとそういう気分の人はめずらしくないとおもう。中国やインドに経済で抜かれても「当り前だよな」と受け流せばいいだけ。

 どんどん道路を作る、エネルギーの消費量を増やす。それを発展と考えるのは、ちがうんじゃないか。
 わたしはしょっちゅう新しいものに買い替えたり、使い捨てにしたりせず、古いものを大事に使う生活のほうがいい。多少の不便を楽しむ余裕のある世の中のほうが暮らしやすいのではないかとおもっている。

 上京以来、わたしはテレビを買い、ビデオを買い、パソコンを買い、電子レンジを買いといったかんじで、ずっとものが増える方向でやってきた。そろそろ足し算ではなく、引き算も考えたほうがいい気がしている。

 国力は衰退するかもしれない。でも、ゆるやかな衰退であれば別にいいかな。今はちょっと下り坂だけど、いつか上向きになる日もくるかもしれないという希望を残した後退、多少収入は減っても、「散歩する時間も増えたし、毎日楽しいし、楽だ」というような没落だってあるだろう。

 国や社会全体がひとつの方向を目指すようなあり方には、違和感しかおぼえない。

(……続く)