……社会の片隅でひっそりと好きなことをして暮らすというのが基本方針だった。収入に応じた生活をするとか、あるもので間に合わせるとか、疲れたら休むとか、無理をせず、のんびり、ほそぼそとやっていくことを志向してきた。
こうした考え方は「節度」や「均衡の感覚」に基づいているつもりなのだが、周囲からは「やる気がない」といわれることが多かった。「後ろ向き」とも。
二、三年前に「嫌消費(賢消費)」という言葉を知った。あまりものを買わない、持ちたくないという若者が増えている現象を意味する言葉だけど、わたしもそうだった。
古本以外にお金をつかわない。古本も買った分だけ売るをくりかえしてきた。
二十代のころは引っ越しばかりしていたせいもあるのだが、とにかく身軽でいたかった。
ある本の中で論じられていた「縮小都市」という考え方にもけっこう共感した。
ようするに、少子高齢化の時代がすすめば、この先、機能しなくなる自治体も増えてくる。それなら学校や病院、商業施設などが整った場所に移住し、こじんまりと暮らしたらどうかという発想である(大雑把な説明だけど、だいたいそんなかんじだとおもう)。
たとえ世の中が拡大から縮小に向ったとしても、わるいことではない。「縮小=貧しくなる」ではなく、やりようによっては気楽で快適なものにもなりうる。
これは楽観論だろうか。
わたしはそうおもわない。「縮小」の方向で暮らしていきたい。「不便」の楽しみ方も考えていきたい。
隠居への憧れもそれに通じるかもしれない。
(……続く)