……石ノ森章太郎『ジュン0 石ノ森章太郎とジュン』(ポット出版)を読む。
石ノ森章太郎は「ぼくはこの作品で詩をかきたい」と新たな漫画表現を試みた。いろいろな版が刊行されているが、ポット出版のジュン・シリーズは完全復刻版である。
『ジュン0』は、自叙伝や自伝漫画を中心に編まれている。
「章太郎のファンタジーワールド」の「まんが家予備兵諸君!」という書き出しのアドバイスは、なかなか厳しい。
漫画家志望者たちが仲間同士で集まると、いろいろな作品をコキおろしたり、批判したりする。
かつての石ノ森章太郎もそういう時期があったが、でもそれは「自分の技術不足という不安をごまかそうとしているわけである」と述懐する。
《そしてやがてそれを続けていると……みごとな目高手低のお化けができあがる。つまり、見て批判する力はつくが、作品は描けない、というヤツである》
石ノ森章太郎は「技術」を重視していた。
石ノ森章太郎著『絆 不肖の息子から不肖の息子たちへ』(鳥影社)の「欲がない若者たち」にはこんな話が出てくる。
最近の若い漫画家は、自分の人生を大切にしたい、消耗せずマイペースに仕事がしたいと考える人が増えた。そんな風潮にたいし「僕らの時代よりもずっと大人になっている」と認めつつも、「もったいないなぁ」と本音をもらす。
《自分をいじめることで能力が開発されることもたしかである。逆にいくら才能を秘めていても何もしなければ出てこない。(中略)マンガ家にとってのそれは、描くということにほかならないわけだ。頭のなかであれこれ考えるばかりでは、なかなか手が動かなくなっていく》
アイデアがなくても手を動かしているうちに何かを思いつくことはよくある。
《手と頭が自由につながって好きな落書きに身をゆだねる快感とでも言おうか。手を動かしている間に脳が刺激されて、眠っていた能力や視点が出てくることが僕自身は数えきれないほどあった》
その「技術」を身につけるためには、量をこなすしかないというのが、石ノ森章太郎の教えだ。
考えるより、手を動かす。手を動かしかながら、考える。
最近、その感覚を忘れかけていた。