……尾崎一雄の「退職の願い」(『暢気眼鏡』新潮文庫)に、「昭和の初め頃までの社会通念として『文学を志すとはそのまま貧窮につながることだ』というのがあった」という一文がある。
《大多数の者は中途で離脱し、頑張る者は窮死した。極く少数の才能あるものが名を成したが、それらも概ね夭折した。(中略)私は、才能が無いくせに中途離脱せず(というより、他に行きどころが無くなって)頑張った組なので、あわや窮死という状態に立ち至った》
わたしが上京した一九八九年ごろはバブルの最盛期だったが、それでも文学で食っていけるとはおもえなかった。ただし、当時はアルバイトをすれば、生活に困らないくらいの収入になった。
大学を中退し、就職せずに、フリーライターになったのも「いざとなったらバイトすればいい」と考えていたからだ。当時のわたしは風呂なしアパート暮らしで、食事はほぼ自炊していたから、月十万円くらいあれば、どうにか暮らせた。
趣味も古本だから、売ったり買ったりすれば、ほとんどお金がかからない。
しかし世の中が不況になり、自分も齢をとる。
三十路前になって、さすがにこのままではまずいとおもいはじめた。とはいえ、これまでまともに働いたことがなく、就職はできそうにない。
自分の条件(能力や経済事情)でもっとも持続可能な方法は何だろう。
いろいろ考えた末、原稿料だけで生活するという目標を諦めた。
家賃と光熱費と食費はアルバイトで稼ごう。とにかく生活の持続を最優先に考えよう。
最低限の生活費をアルバイトで作っておけば、好きなだけ(お金にならない)文章が書ける。本末転倒かもしれないが、アルバイトに支障のない範囲で原稿を書いていこうとおもった。
以降、古本好きのフリーターとして文章を書くようになった。ひたすら中途離脱しないことだけが目標の日々が続いた。