……気がつけば、三月。季節の変わり目は腰痛になりやすく、ふだんより慎重に生活している。あと飲んで寝てばかりいる。
上京して二十三年になる。わたしの学生時代、中央線沿線は貧乏学生の町だった。他の路線より風呂なしアパートが多く、銭湯も夜遅くまで営業していた。家賃はともかく、物価は安いというのが、当時の印象だった(これは今もそう)。
高円寺には、西部古書会館があり、古本屋も多い。飲み屋も多い。
昔も今もわたしの生活は、家賃や光熱費をのぞくと、本と酒が消費の大半を占める。
二十歳のころはアルバイトをかけもちしながら、映画館、ライブハウス、野球場、古本屋、中古レコード屋、飲み屋に通っていた。
二十代後半には、映画を観なくなり、ライブハウスからも足を遠のいていた。
一九九七年にTheピーズが『リハビリ中断』というアルバムを出した後、活動停止した。もともとアルバムをコンスタントに出すバンドではなかったが、どんどん表現が深化していた時期だったから残念でならなかった。
それからしばらくしてパソコンを買った。でもインターネットには接続していなかった。
あるときおもいたってダイヤルQ2のインターネットのプロバイダに登録した(一九九八年の春くらいだとおもう)。最初に検索した言葉が「Theピーズ」である。
すると、活動停止する前のライブを記録したホームページが目に飛び込んできた。
ホームページを作っていたSさんは会社をやめて、Theピーズの追っかけをやっていた。
Sさんに連絡をとると、高円寺に知り合いがいるから、いっしょに飲もうという話になった。
その知り合いが、ペリカンオーバードライブ(元ポテトチップス他)のギターの小島史郎さんだった。会うなり四軒くらいハシゴして、小島さんの家に行って、昼すぎまでレコードを聴いたり、音楽のビデオを観たりした。
その後、高円寺界隈のミュージシャンとガード下の居酒屋や公園で飲むようになった。
ペリカンオーバドライブの増岡さん、800ランプ(その前は青ジャージ)のオグラさんや原さんと知り合った。その前に、ペリカンのライブを観に行って打ち上げにまざったときに、いっしょに飲んでいたかもしれない。
あまりにも飲んでばかりいたから、このころの記憶はあちこち抜けている。
(……続く)