2012/03/09

語り口

……神保町に行って、新刊書店をまわる。石牟礼道子と藤原新也の対談集『なみだふるはな』(河出書房新社)が気になった。
 石牟礼道子が東電の原発事故のことをどうおもっているのか知りたかった。
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 いかに正しくとも、同じ言葉をくりかえし聞いたり、見たりしていると、だんだん慣れてきて、麻痺してくる。「正常性バイアス」(という学説)の正しさを痛感している。

 放射性物質の影響は、気になるけど、なるべく気にしないようにしている(はっきりいうと、一々気にするのが面倒くさくなった)。たぶんゼロリスクを追求すれば、心労で倒れる可能性のほうが高い。
 ただし一年前よりちょっとだけ高い牛乳と卵を買うようになった。
 
 石牟礼道子と藤原新也の対談を読んで、印象に残った話がある。
 水俣にチッソの工場を作るために水力発電ができた。おかげで村にも電気が通った。裸電球に灯がともったとき、大人も子どももみんな大喜びしたという話があった。

 公害問題が発覚するまでチッソは地元の誇りだった。
 だからといって許される話ではないのだが、原発に関してもその土地の歴史ぬきに批判してはいけないと考えさせられた。

 どんなに事故(とその被害)を隠そうとしても、隠し切れない世の中になってよかったともいっていた。

 終始、石牟礼道子は静かで穏やかな語り口だった。
 言葉にまったく棘がなかった。