《現代文明が騒々しいというのは、一つには我々の方で自分自身と向き合って時間を過すことが稀になり、それが習い性になって、偶にそういう時間が出来ると、何とでもしてこれを避けたがる癖が附いたからだということもある》(「ここ」/吉田健一著『甘酸っぱい味』ちくま学芸文庫)
『甘酸っぱい味』の元本は一九五七年に新潮社から出ている。甘いことも辛いことも混ぜて書くつもりで「甘辛」という題を考えていたが、「甘酸っぱい味」に変えた。
吉田健一のエッセイ集の中でも、一、二のおもしろさなのだが、いかんせん、『甘酸っぱい味』という題は伝わりにくい。わたしも読む前は料理エッセイかなとおもっていた。
この何年か、一九五五年から一九六五年にかけての評論家のエッセイをよく読む。
だいたい戦後十年から二十年目くらい、評論家がまだ「文士」といわれていた時代である。
彼らは世の中を頭で分析するのではなく、からだを通した言葉で世界と向き合っていた。
(……以下、『閑な読書人』晶文社所収)