2012/04/01

げんげ忌によせて

……三月三十一日、第二十四回げんげ忌にゲストで呼ばれ、南陀楼綾繁さんが聞き手で「菅原克己のエッセーについて」という題で話をしました。

 前日、話そうとおもっていた内容をまとめた原稿があるので、ここに転載します(当日喋った内容とはかなりちがいます)。

◎げんげ忌によせて

 今年二月、仙台に遊びに行った帰りに、途中下車した郡山の古本屋で『新日本文学』の「四〇〇号記念特別増大号」(一九八〇年十二月)を見つけた。
 特集は「中野重治論」「花田清輝論」「文学運動の現在」の三本立て。

 その中に菅原克己の「中野重治の初期抒情詩」という評論も収録されている。
『現代詩人集』の中野重治の初期の詩篇を読んだ菅原克己は、「ぼくは、中野さんにとっても、一番大事なエキスのようなものが、ここに集まっていると思えるのである」という。

 中野重治論じつつ、菅原克己が詩について語った部分をいくつか抜き書きする。

《詩人はだれでも(とぼくは思うが)、自分の處女時代のものを愛している。そこにははじめて詩の世界をのぞきこんだ初々しさ、驚き、感動といったものが溢れているからである。そしてそれは過ぎ去って二度と帰らぬものである》

《人びとの感受性、直感に、そのままふるえるように伝わってゆくような純一なものが、中野さんの初期の詩篇にはあった》

《(中野さんが)全生涯にわたって築きあげた、そのたぐいまれな思想家・文学者としての大きな成果をみるとき、その過程で、いろんな痛み、失敗をふくみながらも、若いときの純一で無垢な詩精神が、その根底にたえず流れていたように感じられる》

 この評は、そのまま菅原克己自身のこと、あるいは詩の理想を言い表しているとおもった。
 菅原克己のエッセイを読んでいると、「初期の詩精神」を大事にしていた人であることがわかる。

『詩の鉛筆手帖』(土曜美術社、一九八一年刊)で「日常の中の未知」では、「ぼくらは〈馴れる〉ということがある」という一文が出てくる。

 毎日、勤めに出かけ、満員電車に乗る。ある青年が、同じような毎日をくりかえしているうちに何も感動できないとこぼす。

 生活が味気なくおもえることもあるだろう。〈馴れる〉ことで、いろいろなことを簡単に割り切るようになり、世の中に「ふしぎ」があることを感じなくなる。

《ぼくらは生まれたとき、あの狼の子と同じようにそれを経験しているのである。もちろん、赤ん坊には意識はない。やはりこんこんと眠り、ただ口を動かしてお乳を吸うだけなのだ。しかし、無意識の上にひろげられた新しい世界の経験は、成長したぼくらの深層心理の中にひそんでいるのある。この最初のおどろきを絶えずよみがえさせるようなものが、〈詩〉にはあるのだ》

「中野重治の初期抒情詩」も「日常の中の未知」もいずれも六十代から七十代に書かれた文章なのだが、わたしはその言葉の瑞々しさにはっとさせられる。どうすれば、こんな文章を書き続けることができるのか。わたしの菅原克己へのいちばん関心はそれに尽きる。
『詩の鉛筆手帖』の「〈無名詩集〉の話」では、ある人に「お前の詩は、最初の詩集の時が一番いい」といわれたときの話を書いている。

《年月を重ね、過去には知らなかったいろんな複雑な詩の機能を学びながら、なお行く先ざきで手に入れようとしているのは、最初の、詩を知ったときの新鮮な喜びのようなものではなかろうか》

 菅原克己の『詩の鉛筆手帖』を読んでいると、「最初の、詩を知ったときの新鮮な喜び」の大切さをくりかえし綴っていることに気づく。ほとんどそればっかり……といってしまうと語弊があるかもしれないが、わたしがこのエッセイ集をしょっちゅう読み返すのは、この感覚を忘れないようにしたい、おもいだしたいという気持があるからだ。

「〈先生〉の思い出」では、中村恭二郎という詩の先生の話が出てくる。
 若き日の菅原克己が〈先生〉に詩を見せたところ、「君は室生さんが好きだね」と見抜かれる。
 そして〈先生〉はこう続けた。

「だが最初に室生犀星の影響をうけるということは、たいへんいいことだ。君の詩はナイーブでいい。自分の生地のものをなくさないように勉強しなさい」

 年譜によると、菅原克己が〈先生〉に会ったのは、一九二九年、十八歳のときである。

《それ以来、中村恭二郎氏はぼくの〈先生〉になった》

 菅原克己は、詩人であり続けるために、生涯「自分の生地のものをなくさない」ことを自らに課していたとおもう。

『遠い城』(西田書店)にも「わが師、中村恭二郎」という回想がある。

《中村恭二郎には、その後長く、いろんな意味でお世話になり、ぼくにとっては古風な言い方だがまったく恩師といっていい存在になった。そしてぼくは、詩を書き初めたころに、室生犀星を知り、中村恭二郎を知り、そこから中野重治と伊藤整を知ったことによって、今にいたるぼくの詩の根元的なものが培われたように思っている》

 わたしは今四十二歳なのだが、日々の仕事や生活を送っているうちに、「自分の生地」が磨り減っていくような不安をおぼえる。ずいぶん磨り減らしてしまったなあという悔恨もある。
 それでも一読者としては、「自分の生地」を守りぬいているような人の作品に触れたい。
 詩でも文章でも、その人ならではの「生地」、あるいは「初期の詩精神」のようなものが失われてしまった作品はどこかものたりなくおもえてしまう。

 わたしは十九歳のときに職業ライターになり、主語も意見も感情もない文章ばかり書いていた時期がある。二十代後半から三十代にかけて、どうにかして本来の自分の感覚、文章を取り戻したいとおもって、詩や私小説ばかり読んでいた。
 そのころ菅原克己を知った。そして「自分の生地のものをなくさないように勉強しなさい」という〈先生〉の教えに勇気づけられた。

 どうすればその教えを守り通せるのか。以来、そのことを考え続けている。